はてなキーワード: eテレとは
いま30歳代後半の男で、少し前に初の子どもが生まれた。1歳ごろからだんだんとテレビや音楽にわかりやすく反応するようになって、家事をやらなきゃいけない朝の時間帯は、たぶんほかの親もそうしているように、Eテレを流して見せてるんだけどさ、あの地味に豪華なキャスティングはなんなの。
NHKの、子ども向けじゃないほかの番組も無駄に豪華なのはそうなんだけど、あれは見てるのが大人だから、まぁわかる。けど、子ども向けの番組の、なんでもないキャラの声を有名俳優がやってる意味がマジでわからない。
たとえば「デザインあ」のコーネリアスとか、昔で言えば「みんなのうた」の大貫妙子とか、未発達な子どもの感性に訴えるセンス良さげな音楽を使うことは大賛成なんだよ。けどさ、今朝の「みんなのうた」がAAAとオカモトズでさ、あれはダメでしょ。凡庸なJPOPで(AAAはコブクロみたいで、オカモトズはオアシス笑のパクリみたいな曲)、アニメーションも取ってつけたようなもので。
Eテレを見てる時期の刺激が美的感性を形成するうえで決定的な影響をもたらす、とまでは言わないが、わざわざ金かけてつまらないものを作るなよ。
そもそもアニメ見る前からキャラクターを覚えて好きになってる子が多い。
アンパンマンも大抵同じパターンだけど、幼い子ってアニメを見てキャラ好きになるより、まずキャラから好きになる事が多いんだよ。
子供の行動範囲にはグッズが大量に売ってるから勝手にキャラを覚える。んで親が「好きなら喜ぶだろう」とアニメの存在を教えて見せる、って順番が多い。
逆に子供が興味持たないのに積極的にアニメを見せるのはそれこそオタク親くらいだろう。
普通の親は元々ニチアサを見る習慣などないし、親が元々見ないし子供も興味ないなら敢えて子供に見せる積極的な理由もない。
(子守用に何か見せたいってならEテレの方が朝も夕方も毎日やってて知育にも良さげだから普通はそちらを選ぶ。Eテレだけで量も十分だし)
んで親が見せないのに子供が自分でチャンネル合わせて見るわけもない。
親が教えずとも子供が自分で「日曜朝8時半からテレ朝系列で放映中」なんて情報を仕入れられる歳になる頃には卒業してる。
んでアニメ見た事も無ければ当然どんな内容かも知らないから、単に見た目で好きになってるだけだよ。
操縦すると死ぬロボットに乗る漫画。読後は爽やかな気分だった。
確かに女子中学生がレイプされて妊娠したとか、父親が失踪して代わりにバイトして三人の弟と妹を育ててた兄貴が明日遊園地行こうねって決めた瞬間戦闘が開始したり。
でもそれはごく一部で、何も知らずに死んでいった二人を除けば、生まれてくる弟のため、心臓病の幼馴染にフルマッチの自分の心臓を移植するため、兄と兄の母親のためと、死に対して前向きなストーリーの方が多かった。
同作者の作品。ミミズジュースとかのり夫とかで話題になってた。
いじめのシーンでミミズジュースは確かにあったし胸糞悪いとは思ったけど、すぐに皆殺しにされてるし、のり夫も同性愛者で愛する男を守るためにバラバラに解体されても一切弱音を吐かずにいたわけだし。
最後に主人公の母親は銃殺され、友人は病院の窓から突き落とされ、政府関係者も犠牲者遺族に包丁で刺されて死んで、地球丸ごとリセットされるけど、鬱になるほどじゃなかった。
金に困って闇金に金を借りてずぶずぶと堕ちていく債務者たちがたくさん出て来る。
無関係な一般人が巻き込まれはするものの、殆どが下らない見栄のためだとか、ニートだとか、犯罪に手を出してお金が無くなったとか、同情の余地が無い人間ばかり。
彼女が戦争を終わらせるための兵器となってどんどん人じゃなくなっていく話。
設定的に好きなジャンルだと思ったけど、彼氏側がなんだか情けなくてあまり。
まあそんな状況になればそう思うんだろうけど。
最終的には結ばれるし、これが鬱漫画って呼ばれてる理由が分からなかった。
世界が滅んでも好きな人が居るなら良いとかそういう漫画だと思うんだけど。
いじめで家族を殺すまでされた女の子がいじめっ子に復讐する話。
胸糞悪い展開にして殺せばはいオッケーみたいな軽さ。
補助的な役割を女性ばかりが担わされている、という主張には一見「おっそうだな」って思わされてしまうけれど、よく考えると釈然としない。
レースクイーンとかラウンドガールみたいに本当に「添え物」でしかなくて、なくしてしまってもたいして問題ない役割は確かにあると思う。でも教養解説番組の聞き手ってそういうのとは違うでしょう? 視聴者の疑問を代弁したり番組進行したり論点整理したりって(増田も認めているとおり)きわめて重要な役割だと思うのよね。
「語り手と聞き手」っていう形式をとるコンテンツは媒体に関係なく無数にあるし、インタビューやある種の対談もこの形式と含められると思うので(語り手と聞き手が適宜入れ替わるEテレの『SWITCH』とかね)、この形式じたいには普遍性がある。つまり聞き手の存在じたいは許されるし、それどころか、なくしてしまうことはできない、つまり誰かが担わなきゃいけない役割なわけだ。実際、キャスティングによっては聞き手のほうがギャラがずっと高いなんてこともザラにあるだろう。
これを女性にやらせるなという主張は、聞き手は男性にだけやらせておくのが妥当、聞き手という場から女性を排除して男性に独占させろという主張になってしまう気がするんだが……。「男女比1:0にしろとまでは言ってない、せめて1:1にしろと言っている」ならば「去年は福君だったじゃん」で決着ついてるけど、そうではないらしい。ハテ?
女性がこれまで長いあいだ従属的な立場に押し込められてきた、っていうフェミニズムの主張に異論はない。不公平や差別の結果としてそうなってしまっているのは是正されなければならないと思う。しかし、千田先生もそうだったけど、このケースを「語り手が上、聞き手が下」っていう単純な上下関係・主従関係に当てはめてしまっていいのか。
語り手+聞き手形式は多くが「知る者が知らない者に知識を与える」っていう進行をする以上、両者の理解度に勾配があることがそもそも大前提だが(じゃないと成立しない)、それは必ずしも主従関係や立場の上下を意味しない。聞き手がイニシアティヴをとるケースや年長者や社会的に立場が上の人が聞き手の立場をとるケースからもわかるように、野球のバッテリーのようなイーブンな分担であって、どっちが偉いとかいったものではないはず。
両者の理解度に勾配があることが前提と書いたけれど、それはまた、聞き手がアホであることも意味しない。相対的に勾配はあるが、それは語り手のほうが(そのテーマに関しては)高い位置にいるからで、聞き手をあくまでも視聴者の代表と位置づけるならば少なくとも「平均的な人物像」を想定しているはずで、「相槌だけ打たされてアホ扱いされるのはいつも女」という主張は通りにくい気がする。
別のところでも書いたけど、こんなふうに、もともと上下関係などない役割にわざわざ上下関係を作り出して「女を下に見ている!」と問題視するケースは枚挙にいとまがないけれど、これって「性役割の再生産」などではなくむしろ「新しい差別の生産」なんじゃないかな。(別のところ:https://anond.hatelabo.jp/20181018000112)
キズナアイはNHKにふさわくないと抗議したフェミニストは、数年前に水樹奈々やμ's(ラブライブ)は紅白歌合戦にふさわしくないと抗議すればよかったのに。そもそも、下記に記す通り、NHKは民放に比べて男性向けのオタク文化を発信することに積極的だった。
男性向けのオタク文化を肯定的に紹介するNHKは、そういった意味で中立的だ。民放だと、男性向けのオタク文化を貶すか歪曲することでしか紹介することができない。なぜなら、テレビは女性と老人のものだからだ。女性でも老人でもない若年男性は長時間労働でゴールデンタイムの番組を視聴することができないだろう。
そういったテレビの主な視聴者はオタク文化に否定的だ。民放があれだけオタク文化を貶すのなら、お堅いテレビ局と思われているNHKはさらに激しくこき下ろすことが期待される。しかし、NHKはオタク文化をこき下ろすどころか、ノーベル賞の解説番組にVTuberのキズナアイを起用した。だから、多くの人が肩透かしを食らってしまったのだろう。
「NHKは中立?オタク文化のゴリ押しじゃないか」と言う人は中立の意味が分かっていない。中立とは「誰に対しても味方にならないこと」だ。民放は視聴率のために老人と女性の味方をしなければならない。だから、民放のバラエティ番組では、若いタレントが徹底的に貶されるし、「イケメン」の大合唱である。そして、フジテレビの番組で、元々男性向けのオタク用語だった「バブみ」という言葉が女性向けに歪曲された。そうやって、世間の目を気にして番組を作るのなら、それは一種の偏向である。
オタク文化はもはや非モテやニートと言った社会不適合者の文化ではなく、部分的にポップカルチャーの一部として若者の間で受け入れられるようになった。そういうことを世間の目を気にして斜めに構えず、肯定的に紹介できるNHKは、民放より中立的と言える。
※民放とはテレビ東京を除いた民放キー局のこと。具体的にはフジテレビ、テレビ朝日、日本テレビ、TBSテレビを指す。
※中立的な情報を作るのは難しい。情報は人が作るものだ。人には立場がある以上、どうしても情報は偏向してしまう。情報が偏向しないようにするには、受け手側がいろんな情報を目にするように心がけるしか無い。
持病をもっていて夏は苦手だ。
暑さが収まってやっと過ごしやすくなったけど、夏に持ち越した疲れのせいか、持病が少し悪化して気持ちがちょっと塞いでいた。
元気がなかったのは体調のせいだけじゃない。
夏前に、
「新入社員研修を変えよう、いままで我流で作った研修を、専門書にあたってアップグレードするんだ」
と挑戦した。
「このプロジェクトで『同じ事の繰り返し』のこの会社の仕事のあり方を変えるんだ」
と立て続けに3本こなした。
それぞれ、一応ゴールまでこぎ着けた。
でも研修に関しては振り返りで
「新入社員が緊張感を失いがちなんですよね、ちょっと長過ぎるのかな」と言われ、
プロジェクトに関しては
「今回はスムーズでしたよ」「増田さんの指示がはっきりしててやりやすかったです」
と言われたけど、同僚とクライアントに煽られるのをキラキラガールズポップを聴いて自分を鼓舞して乗り切って、
終盤の偏頭痛で歩いて帰れなくて、タクシーを捕まえて帰ってまで期待した結果にはほど遠い。
思いっきり振りかぶった一打が、ボールに当たった!と思ったあとで、遠くに飛ぶ前にシューっと消えて、
周りで見てた観衆が「当たって良かったねえ」で済んじゃった感じ。
「こんなもんかー」
普段、浮世離れしたドンキホーテキャラで周りに接しているけど、
「そうね、まー、俺、ホントは大した事ないんだよねー」ってちょっと力が入らない感じだった。
「帰ってeテレの『奇跡のレッスン』でも観るかー」ってロッカーに道具を片付けようとしてた時、
「増田さんのスライドでやってくれた勉強会、今すごく役に立ってます。お礼言おうって思ってたんです。」
そうか、アレ、役に立ってたのか。
世の中の先生達はこういう気持ちなのかなーなんて考えて、少し希望が持てた。
言葉があると救われる。
「そういってくれると、俺も勉強になるよ」
子どもが生まれて3年経つが、いまだに自分の時間が全然ない。当然、趣味をする時間が足りない。「何のために生きてんのかな」と本気で考える。
気が付くと、「家に帰りたい。」と独り言を言うことが増えた。無意識に言っている。怖い。
どうやら、僕は無意識に子どもがいるこの生活を「家以外のどこか」だと思っているようだ。
20時頃は子どもを寝かしつける時間であるため、電気を付けて食事をとることはできない。
そのうえ辛いもの、油ものは出ない。子どもも妻も食べないため、コスパが悪いからだ。
友人とも疎遠になったのも辛い。幼稚園や将来にかかる費用を計算したら、月のお小遣いは1万円でももらいすぎているくらいだった。
何に使うのも自由だが1万円以上は一切出ない為、友人との飲み会は月に1回がいいところだ。
こちらを気遣ってくれて、1次会をサイゼリヤにしてくれるあたり本当にいい友人を持ったと思う。
休みの日も早いので、23時には帰らなくてはいけないのも寂しい。彼らはいつも通り朝方まで遊んでいるのに。
土、日、遅くとも7時には起きなくてはいけない。
日曜はEテレの教育番組が8時には終わってしまうので、本当は6時に起きなければいけないができていない。
休みとはいえ気持ちは平日と大して変わらない。洗濯、掃除、皿洗い、子どもの着替えを済ませて9時には児童館へ間に合うように出ていく。
「まだ遊びたい」と泣く息子を連れて帰ってきたら昼食だ。キムチか天ぷらが食べたいが日曜日はうどんだった。
この夏は猛暑で公園は行けなかった。仕方ないので午後は市民プールへ行くのが日課だった。
水泳ゾーンでひたすら泳いでストレス発散したいが、30cmの幼児プールで子どもを見張らなければならない。
一度帰宅して買い物に同行し、洗濯物を畳んだらもう夕飯だ。17時台だけはEテレのおかげで少し休憩できるため仮眠を取る。
皿洗いをしてお風呂に入れたら就寝。自分自身の体力が無いのか、子どもと一緒に朝まで寝てしまう。
趣味をする時間が全くないため、妻に相談したこともある。どうか趣味の時間をくれないか、と。
あなたは色んな人と関わりがあるのだろうけど、あの子にとってはまだ家族しか外との繋がりがない。
その相談は父親としてあるべき姿だと思っているの?」とぐうの音も出ない正論が飛んでくるだけだった。
「自分が死ぬまでにしたいこと」に家庭を持つことが入っているか?
「自分が幸せだと感じる瞬間」を想像したとき、そこに家族の姿があるか?
僕は趣味だけが生きがいだった。小、中、高とずっと帰宅部だった。全て趣味に時間を注いでいた。
そんな人間は、子どもを持つべきではなかったという事実に後悔しながら日々生活している。
息子はまだ小さいからか、こんな僕にも懐いてくれている。
「お父さん、次のお休みはいつ?」と毎日聞かれるけれど、僕に"お休み"できる日はあと数年は来ない。
この日記は、ただ単に「三度の飯より趣味が好き!」な人や「結婚したし、子ども作っとこうかなー」なんて安易な考えを持つ人がいたら
よーく考えた方がいいよ、僕はこんな生活をして後悔しているよって言いたかっただけだ。
ただ、愚痴をこぼしてしまったばっかりにネガティブな感情を持つ人が増えてしまい申し訳ない。
ここから下に書くことも最低な糞野郎の内容なので、親として怒りを感じる人は読まない方がいいと思う。
「自分の時間が無くなるなんて当たり前なのになぜ産んだの?」という多くの疑問をもらっているので答える。
仕事が趣味、みたいなバリバリこなす上司も、野球ばっか見ていたような同僚も「子どもはいいぞ!人生で一番大切な存在だ。」という人ばかりだった。
「子ども全般は嫌いだけど自分の子どもだけは可愛い!」みたいなこともよく聞いた。
妻、義両親、両親、みんな子どもを欲しがったし、
「僕が子どもが生まれたら趣味以外にも興味(生きがい)が持てるのかな?」と安易な判断で子作りに協力してしまった。
僕が世間知らずだったのかもしれないけど、自分の時間が無くなるよ、覚悟しているの?なんて話は全然聞いたことがなかった。
いくら子どもが生まれても、多少は趣味の時間が取れるだろうという甘い考えがあった。
妻も趣味を持っていたが、「趣味をすること=自分のためだけに時間をつかうことは親のすべきことではない」という考えなので交代で育児を休む気がない。
「今は手がかかるが、そのうち嫌でも子どもは離れていってしまう。それまで趣味は封印」とのこと。
増田たちも怒っているけど、本来なら月に1回、23時までの飲み会も許されない。
みんな凄いよ。僕はせめてこの飲み会が無いと、もうストレス発散できる場所が無い。
正直、何をされても可愛いと思えるほどではない。「寝顔が可愛くて見ていると疲れが吹っ飛ぶ」などという気持ちはない。
おもちゃを取ったり取られたりの仲裁もあるし、まだ滑り台などの階段を上らせるのも危険で、すぐ横で見ていなきゃいけないので疲れる。
ふとしたときに成長を実感することが増えたけど、成長する喜びよりも自分がしてきたことが報われた、という気持ちの方が強い。
(父(僕)がしたことが報われたのではなく、母(妻)が主にしていることが報われているのだけど。)