補助的な役割を女性ばかりが担わされている、という主張には一見「おっそうだな」って思わされてしまうけれど、よく考えると釈然としない。
レースクイーンとかラウンドガールみたいに本当に「添え物」でしかなくて、なくしてしまってもたいして問題ない役割は確かにあると思う。でも教養解説番組の聞き手ってそういうのとは違うでしょう? 視聴者の疑問を代弁したり番組進行したり論点整理したりって(増田も認めているとおり)きわめて重要な役割だと思うのよね。
「語り手と聞き手」っていう形式をとるコンテンツは媒体に関係なく無数にあるし、インタビューやある種の対談もこの形式と含められると思うので(語り手と聞き手が適宜入れ替わるEテレの『SWITCH』とかね)、この形式じたいには普遍性がある。つまり聞き手の存在じたいは許されるし、それどころか、なくしてしまうことはできない、つまり誰かが担わなきゃいけない役割なわけだ。実際、キャスティングによっては聞き手のほうがギャラがずっと高いなんてこともザラにあるだろう。
これを女性にやらせるなという主張は、聞き手は男性にだけやらせておくのが妥当、聞き手という場から女性を排除して男性に独占させろという主張になってしまう気がするんだが……。「男女比1:0にしろとまでは言ってない、せめて1:1にしろと言っている」ならば「去年は福君だったじゃん」で決着ついてるけど、そうではないらしい。ハテ?
女性がこれまで長いあいだ従属的な立場に押し込められてきた、っていうフェミニズムの主張に異論はない。不公平や差別の結果としてそうなってしまっているのは是正されなければならないと思う。しかし、千田先生もそうだったけど、このケースを「語り手が上、聞き手が下」っていう単純な上下関係・主従関係に当てはめてしまっていいのか。
語り手+聞き手形式は多くが「知る者が知らない者に知識を与える」っていう進行をする以上、両者の理解度に勾配があることがそもそも大前提だが(じゃないと成立しない)、それは必ずしも主従関係や立場の上下を意味しない。聞き手がイニシアティヴをとるケースや年長者や社会的に立場が上の人が聞き手の立場をとるケースからもわかるように、野球のバッテリーのようなイーブンな分担であって、どっちが偉いとかいったものではないはず。
両者の理解度に勾配があることが前提と書いたけれど、それはまた、聞き手がアホであることも意味しない。相対的に勾配はあるが、それは語り手のほうが(そのテーマに関しては)高い位置にいるからで、聞き手をあくまでも視聴者の代表と位置づけるならば少なくとも「平均的な人物像」を想定しているはずで、「相槌だけ打たされてアホ扱いされるのはいつも女」という主張は通りにくい気がする。
別のところでも書いたけど、こんなふうに、もともと上下関係などない役割にわざわざ上下関係を作り出して「女を下に見ている!」と問題視するケースは枚挙にいとまがないけれど、これって「性役割の再生産」などではなくむしろ「新しい差別の生産」なんじゃないかな。(別のところ:https://anond.hatelabo.jp/20181018000112)
https://woman-type.jp/wt/feature/13170 以前、息子が見つけてきて「これ、変だよね」と言った消防少年団のポスターには、男の子がホースを持って前面に立ち、女の子が後ろで救急箱を持って...
補助的な役割を女性ばかりが担わされている、という主張には一見「おっそうだな」って思わされてしまうけれど、よく考えると釈然としない。 疑問その1、聞き手が男ならいいのか ...
結局そういうことだよね ステレオタイプの押しつけそのものが嫌いなんじゃなくて、ただ別のステレオタイプで塗り替えたいだけという
「重要な役割だ」などいって持ち上げておけばキモくて金のないおっさんを原発作業員や運輸業で使い捨てにしても問題ないということですよねわかります
土木作業や原発作業に従事する女の子たちも大きく描き、積極的に彼女たちの社会参加を周知するポスターを池袋駅や渋谷駅に何枚も貼りだす世の中が来てほしい 2100年までには、到来し...
肉体労働はたいてい歩合じゃなくて日当だからなー。 遺伝子操作でもして女が男と同じ分量の仕事をこなせるようにならん限り、現場は男が主役のままだろうと思う。 もっとも、2100年...