はてなキーワード: 熟年離婚とは
これと同じ作者だろ。よっぽど離婚した女ザマァがお好きなようで
私と一緒やな
⇒詳細が分からなさすぎるので何も言えないが障害年金は? 指定難病であれば特定医療費制度が使えるわ
使ってる制度の詳細を書いてほしいわ
あと貯金が趣味だったのに100万しかないってどゆこと? お若い方なのかしら
そりゃそうよ
最期まで面倒みる必要ある? 「面倒みたい」なら分かるし、それなら面倒見ればいいけど、許しをこうてるってことは本当は見捨てたいのかなと
誰に許してほしいの? 誰も責めてないと思うが
実家、新築の家を昔ローンで買ってたけど、今年55歳の父親が1500万の残債がどうにもならなくて売りに出すって。でも、私あの家にそんな価値ないって知ってる。猫が柱をがちゃがちゃにして、あらゆるところの掃除をマメにしていたわけでないから汚れが酷くて立地が酷い。だからきっとそんな値段では売れない。
脛かじりたいけど齧れないぜ!ってことが言いたいのかな?
うちの場合は高卒父はめちゃくちゃ金稼いでるし、高卒母は営業職→介護職に最近ジョブチェンジしたけど常に年収350〜400万円くらいは稼いどるけどなあ
それはあるあるよねー
うちは母は金稼ぐ能力はあったけどパチンコに全力投球して養育費も全部つぎ込む系だったからいつも金欠だったわ
電気ガスと固定電話は止まるのが当たり前で給食費の滞納も当たり前、教師からみんなが見てる前で「お前、今月の給食費がまだだぞ!」とデカい声で言われたりしたけど、もはや昭和レトロで懐かしの思い出よね
(隙あらば自分語り)
私は自分の人生でした決断の中で最良のものが「結婚しなかったこと」「子どもを作らなかったこと」だと思ってるから同じだわ
でも貧乏になるからじゃなくて(私は父に似てお金に全然困ってない)、100000000000%の確率で子どもを虐待する親になると思ったからだわ
不幸な人間を増やさずに済んで良かった
私も生まれたくなかったし、メンタルに余裕がない時は「この不幸の全ての元凶は生みの親である」みたいなモードに入ることあるある〜
自分の子供が苦しんで地獄を生きねばならん環境であれば産まないようにするの、どちらが大切かと言うと私は自分勝手なので後者なんだ。
ん? 矛盾してね? 一人の不幸な人間を産まなかったんだからめちゃくちゃ他者想いじゃん
つうか子どもがもし障害などを持って生まれてきたらっていうifは想定してないのかな?
誰にも理解されなくていい。
認知症の有病率は65歳で15%くらいで80歳後半になるとだいたい50%にあがる。
いや65歳で15%の有病率って高すぎるでしょ
厚労省のデータを見てきたけど65〜69歳の時点での有病率は1.5%、85〜89歳で44.3%、90歳以上で64.2%だから「85歳以上の高齢者」というくくりで平均を出すと一応54.3%にはなるな
うちの近所は割と治安が悪くて、ちゃんと徘徊限界独居老人の実態が見れる。ズボン履いてないばあちゃんがスーパーに歩いてたり、ふくよかなばあちゃんがスーパーに置いてあるはこの上に座ってたりする。
うちの近所には超有名な単科精神科病院があるけど、まあいろいろいるよ!(隙自語)
配偶者が生きててもなる可能性については考慮しないものとする、って感じすか?
60歳になったら死のと思ってる。
うーん
そう思う根拠が不明すぎて「お前がそう思うんならそうなんだろうな、お前の中ではな」としか
それ今実現できてるんだよね? そのわりには恨み節が多くて「なんも要らない」どころか欲求不満爆発寸前に見えるから、その主張は嘘だと思うね
もう絶対にやらん
他人の日記や投稿に対して科学的根拠などの事実と明確に異なるものを指摘するならまだわかる
でも単に「お話」の印象から来る嘘か誠かだけを執拗に追求しようとするの醜悪すぎ
いちいちそういうのをコメントする人って何を考えてやってるんだろう
例えばこれね
母が熟年離婚に失敗した
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230809122024
別にこんなのにいちいち「嘘っぽい」とかいうのなんか意味がわからん
嘘だとしたら何か問題あるのだろうか?逆に真実であることを願うわけでもなく、どっちでもいいとしか言えない
そうそう
俺は増田で独身の関係の投稿して200・300とか普通に貰ってるんだが、あれ全部嘘なんだよな
それっぽいことを即興で感情任せで書いた風の文章だから信憑性あったっぽく、誰一人俺が子育ての合間に書いたとは思わなかったんだろうな
熟年離婚って何十年も耐え忍んだ結果なんだよな。
20代で結婚してみて、あれ?結婚って苦痛以外何者でもなくね?って気がついて
独身の最高さに気づいて30代を楽しんでる俺が一番正しい。
親父の定年1年前。
母親に「お父さんが定年したら離婚しようと思ってる」と言われた俺
親父は典型的な昭和の父!で専業の母に全てを任せっきりで、仕事一筋人間だった
それなりに子供のことも妻のことも愛しているのはわかっていたが、休みは寝てるだけ、家族サービスも家族に言われればつきあうが自分から「どこにいこう」とは言わない
上げ膳据え膳、脱いだ服もほったらかし、掃除も料理もなにもしない
「おいビール」
そんな親父
母親が遊びに行ったりするのを止めることは一切なかったが、旅行から帰ってくると皿一つ洗ってない台所を見て母がうんざりする、という感じだった
定年したらあんなのが1日家にいてお世話をするのがもういやだ、会社に行ってるから耐えられる、とのことで、でも一人で母が生活できるのか? 金は?なんぞと思っていたが
「すぐに決めないで定年してしばらくは様子を見たらどうだ」というに留めるのが精一杯だった
しかし定年したら親父は人が変わったように働き始めた
最初の一ヶ月は母が懸念したとおり食っちゃ寝だらだらだったが二ヶ月目からは母の仕事を全部奪い取る勢いで働く
朝早起きして朝食を作り、掃除、洗濯、庭の草むしり、古くなったものは買い換え、便利グッズに変更。掃除機はルンバに変わった
母は「飯だぞ」と起こされ昼飯も父が作り、皿も洗い、夕方は風呂もしてくれる。布団も干すし、雑巾もかける
父のお守りは嫌だと言っていた母。やることがないどころかお姫様のようになにもしなくてもいい。
旅行も行ってこいと送り出し(自分と一緒だと気が詰まるだろうからと一人で行かせる)母の誕生日にはケーキを買ってきて(自作もする)プレゼントも渡す
父に何が起こったのかと俺も妹も母も驚いていたが、どうもずっとこういうことをやりたかったらしい
仕事ばっかりマンネリでつまんねーって思ってたら家事の面白さに気づいたそうで、母は父が家にいる方がまったり生活できている
一年経って「離婚は?」と聞いたら「するわけないでしょ」って笑われた
すっかり仲良し夫婦になっちゃって子供の俺も嬉しいが、親父がここまで変わるとはな。
「おい、飯」と言っていた親父が母に「アイロンはこうしてかけた方がピン、と伸びるのよ」といわれて「なるほど!」と言っているのは微笑ましい
母も「家事の大先輩」としていろいろ聞いてくる父に答えるのが楽しそうだ
(追記)
なんかバズっててびっくりした
ブコメ読ませて貰ったけど、仕事に全てのパワーをとられて他のこと何もしてなかった父が仕事がなくなって初めて家事を仕事感覚でやってるっての本当それ
「一週間使うと買い込んだ食材をいかにして効率よく腐らせず栄養バランスのよい食事にするか」などが腕の見せ所で楽しいようだ
しかし初心者なので失敗もあり、そこを母に指摘され、ずっと家事してた人は違うなあ、と母を尊敬するセリフを言うため母もどことなくドヤ顔をしている
定年といえど親父は65越え。立派な昭和の爺
あと、ケーキは誕生日に買ってくるが、自分でも作ったりとかしはじめたので矛盾ではないです。
明日帰ってくる妹と孫のために今日は朝から料理を仕込んでいるようだがなにかはしらん
仕事をしているときは家事も何もやる気力が湧かず、家なんて寝る場所だったと言っていた。やはり仕事が忙しいことが家庭で何もしないおっさんを作り上げるのかもしれないな
ここ数年、15年前に離別した父親に連絡を取るべきかどうか定期的に悩んでいる。
両親の離婚に絡んだ話で周囲の人には話すのもはばかられ、誰にも相談できないのでよかったら聞いてほしい。
ここへ投稿するのは初めてなので、読みにくいところがあったらごめんなさい。
※昼頃に投稿したんですが間違えて消してしまい、迷ったのですがせっかく書いたので上げ直しました。すみません。
・父:70歳。生死含め現在は何をしているか不明。離婚当時は大手企業部長。激務で平日はほぼ顔を合わせることはなかったが、私は割と父に懐いていた。おとなしいオタクタイプだが時々激昂することがあった。
・母:65歳。飲食業正社員。離婚当時は専業主婦。父がほとんど家にいないため、家のことは全て母が仕切っていた。普段は天然でのほほんとしているが、かなりの気分屋。教育ママで過保護だったが、私が社会人になってからの関係は良好。
・私:アラサー女。私大卒業後、社会人をしている。昨年結婚。離婚当時は高校生。
両親は15年前に離婚した。
父は仕事が忙しく、物心ついてから一緒に家族旅行に出かけた記憶もない。大手企業で出世していたため、比較的裕福な生活は送らせてもらっていた。
夫婦仲はあまり良くなかったようで、表立って喧嘩するところはほとんど見たことがなかったが仲が良さそうに見えることもなく、父がいない時に母から父の陰口を聞かされることも時々あった。
けれど、オタクタイプの父と私は気が合うところもあり、一緒に海外ドラマのDVDを深夜まで見たり、カメラを買いに連れて行ってもらったりと、私個人は父に懐いていたし父のことは割と好きだった。
逆に、教育熱心で過保護でわがままで時々ヒステリックな母に対しては委縮してしまうことも多く、学生の頃は母の言いなりになっていた私はむしろ母のほうが苦手だった。
母は度々熟年離婚するつもりと言っていたが、当時の私はまさか本当に離婚するとは思っていなかった。
事が起こったのは私が高校1年生だった頃のように思う。
夜中に両親が大声で言い争うことが増え、母が父の陰口を言うことが増えた。
ある日、「お父さん不倫してるみたい」と母が言い出した。
父の車にあった口紅のついたペットボトルを見せられたり、母が突き止めた不倫相手の職業などを聞かされたり、不倫相手の家を見に行くという母に一緒に車で連れて行かれたり、「2人のことはお母さんが守るからね」と母に泣かれたりした。
結局、母いわく「早く離婚しないと共有財産を使い込むと脅された。早く離婚したかったから不倫の話は出さなかった」とのことで、詳細は分からないがとにかく離婚となった。
正直、当時は母がいちいちこういったことを話してくるのでそのたびに傷ついていたし、不倫して私たちを捨てる父を心底憎んでいたし、辛い現実から逃げたかったのであまり関わらないようにしていた。
父が出て行った日のことも全く覚えていない。
父がいなくなってからは、私は受験で荒れていたし、弟は不登校になるしで大変だった。
父が出て行ってからは、3度だけ連絡があった。
1度目は、父が出て行った年の私の誕生日に誕生日カードと図書券が届いた。私を捨てたくせに今さら何なんだと思い、特にお礼は言わなかった。
2度目は、私が大学に合格したときに、おめでとうとメールが来た。その時も、父を殺したいくらい憎んでいたので無視した。
3度目は、大学3年生のときに母と大喧嘩をしたときに私からメールをした。実家を出たいからお金が欲しいと連絡して、父は心配する返信をしてくれた。結局母とは和解して、父には特に連絡しなかったように思う。
その後、いつ頃か忘れたが父から母あてに間違いメールがあり、どうやら再婚したようだった。
母から見せられたそれは再婚相手の連れ子あてのメールだったようで「父の日のプレゼントをありがとう」という内容だった。
それで本当に、父はもう私の父ではなくなったのだなと思った。
父のことは関わりが少ないながらも好きだった。
けれど、母の言うことを鵜呑みにして「父は私たちを捨てた」と思っていたし、好きだったからこそ裏切られて辛いし自分がかわいそうだと思っていた。
精一杯育ててくれた母には勿論感謝しているが、自分が大人になってから、夫婦としての母は未熟だったのだろうなと感じることも増えたし、離婚したくなる気持ちも分かるようになった。
そして、母の一方的な言い分だけを信じ、父からの精一杯の連絡もことごとく無視していた自分はなんて愚かだったのだろうと後悔するようになった。
正直、父のことを思うと未だに複雑な感情がわき上がってきて泣きそうになる。
母との関係は現在良好ではあるけれど、調停の内容も離婚の条件も一切知らないし、私のなかでは未だに離婚の話題はタブーなので聞くこともためらわれる。(母はあっけらかんとしており、私も気にしていないと思っているようだが…)
母からは、私が父に連絡を取るのは私の自由だと以前から言われている。
昨年に結婚もしたので、その報告もしたい。
その一方で、母の言っていたことが本当だったらどうしようと思いや、父は私のことなどもう忘れてしまっていて、連絡などしたら逆に迷惑なのではないかという思いもある。
自分に冷たくしてきた実子より、新しい家庭の方が大切なのは当然だと思うので。
連絡は取ろうと思えば取れる。Facebokで検索したら本人が出てきたし、それで連絡が取れなくても戸籍を辿ればいいだけだ。
このまま父が死んだら後悔すると思う一方で、もう傷つきたくない。
ここ数年ずっと悩み続けている。
もちろん田舎の人間は閉鎖的ってのもあるけど、逆に、わざわざ都会から田舎に移住するタイプの人間も癖強いから、ぶつかってはいけない人同士がぶつかってる気がする。
妥協したり調整したり、要は自分が下のポジションでうまく人間関係やれるような人間は、普通に都会でうまくやれるからそれを捨てて田舎に行くモチベがない。わざわざ都会から田舎に移住しないわけよ。
田舎に移住したがる人って、有能な場合は良くも悪くもリーダータイプというかお山の大将みたいな人だし、そうでなかったら普通に無能で社会不適合。
前者みたいなタイプが頑固な地元の老人とうまくやれるほうがレアだよね。
むしろ、真面目に地域おこし頑張る有能な人より、無能でも特に主張がないニートみたいなやつのほうがうまくやれるぐらいまである。
例外的にうまくいってるのは、もともとその地方出身である程度地域に友達や知り合いがいるパターン。そうでなければ、田舎でうまくやれるタイプの人間が移住するなんてことはないからだけど。
あと、たまにいるのが、やる気がないサラリーマンとか公務員やってたおっさんが熟年離婚とかで無理に都会に住むモチベーションなくなって適当に地方移住、地元の老人会の一番の若手みたいな感じでうまくやってたりはある。
結婚した際の年齢
妻:30歳 年収 650万
夫:27歳 年収 450万
10年前、仕事は冴えないSE。友達もいない、彼女もできたことない。そんな冴えない人生を送っていて流石に寂しくなり、
婚活をしてみた。当時はマッチングアプリみたいのはそこまで盛り上がってなく、婚活サービスを登録した。
パートナーエージェントというものすごい面倒見の良いサービスで、これなら自分でもいけるかも。。
となぜか思った。童貞、友達なしなら普通に考えたらダメなんだけれども。
ちょうど28歳以下の男性の割引キャンペーンがあり、登録してみた。
親身にインタビューをしてくれて、自分の良さを引き出す紹介文を一生懸命書いてくれた。
1年くらいやってダメなら諦めようかと思ってたらなんと一人目の人と結婚できた。
キャンペーンの甲斐もあり、パートナーエージェントさんには3万円くらいしか払った記憶がない。
とても幸せだった。人生って、いいもんなんだなって、心の底から初めて思った。
向こうのほうが年収も役職も上。ずぅっと仕事続けたいと言っている。
SEで年収を上げるには転職するのが手取り早いのは事実で、昇給の予算よりも
良い条件で転職するにはコネか、誰にでもわかる実績を作るかだ。
登壇するのも自分の名前を売るのには良いらしいが、友達ゼロのコミュ障なので
あの勉強会後の懇親会に耐えられず、登壇はあまり頑張らないことにした。
OSS活動の方が自分には合っており、とにかくgithub上の実績を重視することにした。
ただ、子供が産まれてからはgithub上の活動はむずかしくなり、働くだけで精一杯になってしまった。
夫:37歳 年収 1500万 (本業1300 + 副業 200)
子供:二人
こんなに可愛く思えるものが他にあるのかと感じた。
胸いっぱいの幸せという感じを毎晩感じて寝られている。
年収はOSS×転職戦略が上手くはまり、妻を超えることはできた。割の良い副業でも少し稼げてる。
妻は子供二人分の産休で昇進等が止まってしまったという側面もあるけれども。
今となってはもっと上手く資産運用しておけばもっと楽に増やせたのにと後悔してる面もある。
子供二人働きながら育てるの、大変だけど、頑張るよ。