はてなキーワード: 敬礼とは
Nさんは愛想がよく会社内みんなに好かれてる。だれにもにこやかに話しかける。
理系のひとらしく1を尋ねたら10くらい説明してくれて結局1がよくわからなくなるほどいろいろと説明をしてくれる。
基本的にギャグセンは低いけどおもしろいことをいおうとがんばる姿はとてもらしい。
そんなNさんをみてるのがとても好きだ。
だが、ふとした拍子に全ての表情が消えるときがある。
なにかシリアスなやりとりをしているか疲れているかそれともどう反応してよいかわからないときになるようだ。
実はそれが案外と好き。レアポケモンをみつけたような気分になる。
Kさんがいた。彼は派遣社員であり、あからさまにひとによって態度を変える。
仕事ができるとはいえないが、それよりも失敗した仕事を隠蔽する癖がありみなには距離を置かれてる。
でも仕事ができてめんどうみのいいNさんのことはとても気に入っていた。
ところが誰にも愛想のいいNさんはKさんにはそうとわからないように距離をおいているように思えた。
ひととの距離を測ることが下手なKさんはグイグイとNさんに寄っていく。
そしてKさんはよく敬礼をする。「わかりました上等兵どの!」といいながら。
そのたびにNさんが紙の表情になるのを遠目でみるのが大好きだった。
Kさんは他の社員のパワハラで辞めていったのでしばらくそのやりとりをみていない。
部署も変わったこともあり(仕事の関係上頻繁に顔をみるが)Nさんの紙の表情は本当にレアになってしまった。
いっそおれがそうなるように「わかりました上等兵どの!」をやろうと思っているがその度胸はいまのところない。
Nさんに嫌われるのが怖いからだ。
は?
ふざけんなよ。
俺たちの税金はお前らを身内で讃え合わせるために払われてるわけじゃねえぞ?
こう言うこと言うと「でも、それが市長クラスの仕事だから〜」とか言い出すトンチンカンがいるけどよお、俺が聞いた内容が正しければ単に公務員同士が公務員同士で褒めあってるだけで町内会すら参加してねえらしいぞ。
つまり、ソイツらは俺たちが税金で雇ってやってる時間に「身内が身内に褒められるためのイベントに身内を駆り出して、そのあいだ仕事を止めていた」んだぜ?
許せるかよ。
許せねえよなあ?
アホかよ。
「おお、なんと羨ましい」
「そちたち、誠の忠臣よの。これからも励むが良いぞ」
「ビシッ!」
「ほほほ、そちたちこそ公僕の鏡であるぞ」
とかやってる間によお、公共事業の調整は遅れるんた。
市民が不便を被る時間が伸びても、お役所は「メンゴメンゴ(うっせーなー)」で済むんだぜ?
マジで糞だよなあ。
許せねえよ。
たまたま通った駅に貼ってあった、東京オリンピックのマスコットキャラのポスター。
それを見た時、不覚にもムラっとしてしまった。
どうしてこんな気持ちになったのか、自分でもまだ飲み込みきれていない。
内容は、オリンピックの期間中、テレワークや時差通勤を推奨します、とキャラクターが呼びかけるポスター。
二人いるキャラのうちの青い方、男の子っぽいキャラクターが、駅員の帽子をかぶって笑顔で敬礼するポーズを取っている、という何の変哲もないもの。
ポスターが目に飛び込んだ時、時間も無いのに思わず足を止めて、私は食い入るように見つめてしまった。
そして私の中に、沸々と湧いてきた衝動。
快楽に溺れて、あられもない表情になって行く、その様子を眺めてみたい。
なんなんだ。何が私を惹きつけた。こんな気持ちは初めてだ。
だが私は男なのだ。いわゆるショタモノ大好物、などと考えたりしたことは人生で一度も無かったし、
ましてやそんな衝撃が駅のポスターに潜んでいるなんて、思ってもみなかった。
何より恐ろしいのは今後の生活だ。
これから私は駅でそのポスターを見る度に、またムラムラした感情を抱いてしまうのだろうか。
フリーダムに書く。
「大体の人が好きなことは仕事にできない」
みたいな理屈をまあよく見るんだけどさ、
そういう考えはそれなり人生損してるなぁーと。
結論だけ言うと、仕事楽しくなくても、仕事していること自体を楽しめばいいのに。
人生の半分くらいの時間を使うものを楽しまないって・・・そりゃ勿体ねーわって思う。
何もね、今の会社から与えられた任務に心から真面目に取り組む必要無いし、
つかそれは洗脳だし、まあどこまでも行っても嘘よ。
仕事内容を楽しいと思い込むのではなくて、仕事する時間そのものにできるだけ多くの楽しみを見出すのよ。
重要なコツは、仕事で使う時間を「なにか自分の人生とは別の時間」のように考えないこと。
あのね、
どれだけやりたくないことだろうが、
それらに対して手を動かして考えるのは「自分」なのよ。
何が自由でどう楽しむかは人それぞれだけど。
例えば俺の場合は全ての数字を維持するゲームだと思って楽しんでる。
売上とか給料とか仕事の速度とかもちろん、後輩の機嫌とか、昼飯の旨さとか、
とにかく仕事行っている間の全ての事柄を数値化して、それをなるべく高く維持するゲームみたいに考えてる。
あと細かいことをいちいち楽しんでる。
タイピング早くなると楽しー。
電話に慣れると楽しー。
人を丸め込めると楽しー。
俺を怒ってる人を観察すると楽しー。
一番早く来るエレベータを的中させると楽しー。
あと、考え方として「楽しさ」と「仕事の内容」に直接的な関係がないっての重要。
会社の職種とか上司に依存しないんで、いつ職場を鞍替えしてもいい気楽さがある。
そもそも会社なんてどんな最悪なことが起きても、クビか倒産しかありません。
それがなんだっつうんでしょ?次の会社行けばいいだけじゃん?
そう気楽に構えれば上司のカミナリとか仕事上の大ミスとか、ゲームの臨時イベントクエストみたいなもんですよ。
まあこれは俺のやり方だけど、とにかくどんな楽しみ方も絶対にある。
「仕事内容がやりたいことではないので楽しめない」
って考えは間違いだし根拠がない、と俺は思う。
人は皿を落とさず回すという何の意味もない単純なことにすら楽しみを見いだせる。
人は災害や戦争などという意に反することの極致にすら楽しみを見いだせる。
銃弾も飛んでこないし、複雑さは皿回しの比ではない。
楽しみ方なんていくらでもあると思うんだ。
間違いなく言えるのは、
「仕事後と休日だけが自分の時間」みたいな考えで生きてたら人生あっという間に終わる。
か、人生つまらなすぎて20代で退職リタイアして労働が無意味にトラウマになる。
それか自殺。
実際そういう人らを見てきたし、
それは本当にもったいないと思う。
仕事に行くのも皿洗うのも風呂はいるのもシャンプー詰め替えるのも全部自分の人生の時間なんだから、
楽しみを見つけることはできるって。ゼッタイ。
逆に言うけど、
仕事(を含めた生活)に自分独自の楽しみを見つけようという姿勢もなく、
それである日突然「とくに自分がどうこうしなくても自動的に楽しくなれるようなこと」と出会える(それも仕事で!)、なんて思ってるほうがおめでたい。
「いまの職業や会社が楽しいかどうか」なんてどうでもいいんですよ。職業や会社なんて人生から見たら使い捨てなんですから。
「仕事している時間をどう楽しむか」を見つける(・・・というより作る)ことが超重要。
最後に、
人に与えられた楽しみに出口なんかない。
会社なんかは
みたいな感じで「こう楽しめ」と押し付けてくる。
まあそれはクソオブクソ。無視していい。
そしてそんな言葉の通り本当に「今の会社の自分の仕事」に対して心から取り組むようになったら、
「仕事を楽しめ」ではなくて、
そのためには「たとえ囚人ですら自分の意思で自由に動いていない時間など一秒もない」という事実に気づくことですなぁ。
※一応フォロー
以下の理由で、誰もがこれをできると俺も思っていません。
・俺は技術職なのでそもそも会社なんぞ使い捨ての乗り物であるという考えがあります
・俺は人間関係の状態や質にプラス/マイナスの影響を1mmも受けない人です
・俺は会社における立ち振舞(「お疲れさまです」とかね)はロールプレイだと考えることができます。軍隊の敬礼といっしょでしょあんなもん。
・全ての評価軸が自己満足なので、他人に怒られても全く心的ダメージ受けないですし、褒められても全く心的プラスはありません。
「うん。ボクが納得してるからいいんだ」
「しかし……」
「きみ、名前は」
眼の前で緊張している彼は、視線を下に落としたまま氏名を応えると、
「はっ」と私はノートに名前と所属、そして時刻を書き記す。そして「じゃ、このへんでいいかな」と促す。
「……失礼します」引き下がった。
「かれ、何回目だっけ」
「二回目かと」
「はい」所属長の名前を思い出しながら、“TEL 下げ”と追記する。
「春だねぇ」
「はい」
「今年はできないって。どうするか。地元でやるかな」
「入れておきます」
「うん」
「いかほど」
片手を上げて開いてみせるので、
「五百……」
「ちがうよぉ、四千五百ぅ」
「マルカンでね」
「はい」
「ところで、例の、そろそろチラホラと……」
「梅も咲いてるよねぇ」
「このままで、よろしいので」
「うん。彼も次期選挙で忙しいとこ、よく、よこしてくれたよね。おかげで、助かった」
「確かに」
「呼ぶ、って言ったら、あれこれ騒がれちゃって、あれぇ、やっぱりちょっとあざとかったかな、て」
「はい」
「だから、こういうのがあれば、まあ、納得してもらえるかな、って。ちょっと、いまはやめといたほうがいいかもよ、って、さ」
「はい」
「次の冬には挨拶に行かなきゃね」
私は11月のページ、既に決まっている当選祝勝会の直後に、その旨、記入する。ゴルフのコーチの手配は7月のページに。
「はい」
「午後は無しね」
「はい」
「新作のプライムが来たんだ」
* * *
午後来客なく、私邸で過ごす。
僕いつもゴミ収集してもらう人に家の前で会うとき、いつもありがとうございます!っつって最敬礼してるけど?
学会で大阪に来てボスと研究室メンバーで飲んだ後、その場のノリで飛田新地に行くことになった。当方童貞26歳、まさかの事態に思考が追いつかない。難波からタクシーで動物園前に向かい、20時ごろの新地に降り立った男6人。
3人組に分かれて新地を彷徨くことになった。途中の十字路で再開した時は3人が2人になってた。これはもう腹を決めて行かねばと思い、目に付いたショートカットのお姉さんのところへ急いだ。同期が敬礼してきたので敬礼で返す。
二階に上がり、さっそく服を脱ぐように促される。15分で11000円、安いのか高いのか分からないがとにかくここまで来たらやるしかない。服を脱いで待っているとお姉さんが扉を閉め、服を脱ぎ始めた。初めて見る女体に思わず釘付けになった。
・冒頭の交戦シーンがいい。エンジン音とか、爆弾がヒューッと落ちてくる音が恐ろしくて、思わず身震いしてしまった。
・プライベートライアン級とは言わずともかなりの迫力。
・撃ち落されたアメリカ兵パイロットが回収されるシーンは、少し鼻がついた。
・意図はわかるけど、3~4人全員が手を止めていかにもなショック受けました顔はくどい。もっと自然な演出にして欲しかった。
・実際のところ、戦艦ひとつが有るか無いかで、戦争への運命が変わるか?そんな単純なもんじゃないよねっていう映画を楽しみつつも心の片隅にあったツッコミに対してもきちんと回答があったのがよかった。
・平山案阻止が戦争回避になると信じる主人公の櫂と、戦争回避など時すでに遅しと、その後の事を構想する五十六と平山の対比ね。
・老獪なジジイどもに才能あふれる美しき青年がやり込められる図はいいものだw
・しかし、平山の思想って基地外すぎるだろwでも物語として面白かった。
・ずーっと「平山案」と呼ばれていた戦艦の名前が「大和」と明かされるところは、おおってなった。いい脚本だ。
・TVに最近、めっきり疎いので菅田将暉がこんなに魅力的な俳優とは知らなかった。演技うまいね。
・板書しながらの演技はお見事。
・グラブルのキモイCMの人ぐらいの認識しかなかった。これは確かに売れっ子になるわ。
・悪魔に魂を売ってしまった後の櫂の表情は最高だった。あの敬礼の死んだ目線はしびれる。これが見たくて2回も見てしまった。
・しっかりと時の経過を感じられるのがよかった。少佐から中佐に昇進して何を思ってやってきたんだろうと思いを馳せたくなる。
・あと、演技いいなと思ったのは田中少尉と平山中将と永野中将。
・最高のバディだったよ、田中少尉は。敬語やめて欲しくてムキになるところの言い方が面白い。
・平山中将の眼鏡がキラーンと光るのは、あまりにも漫画的表現すぎて笑いそうになったけど、それ以上にシビレた。
・特に美味しい場面がある訳じゃないけど、永野中将がやたら好きだった。
・國村さんの声が良すぎてずるい。大音量で流れるボイスが心地よすぎる。
・櫂が自分で導き出した式で金額をピタリとあてるところ。まず1回目に五十六がバンバンと机をたたくのもいいが、2回目に永野中将が競馬に勝ったおっさんみたいにはしゃぐの好き。
・煙草をくゆらせるのも全部かっこいい。この映画で一番かっこいいのは永野中将だ。
・鶴瓶は鶴瓶でしかなかった。下手くそで正直萎えたけど、原作のキャラクターがまんま鶴瓶らしいね。
・1回目はキャイーンの天野わからなかったけど、2回目は気づいた。枝野さんにめちゃくちゃ似てね?
・尾崎お嬢様の服かわいい。演技が若干拙いところが却って浮世離れ感出てた。
・一目で敵側とわかる高任。顔がもう悪役ですとこれでもかと主張しているので、演技はそんなに過剰しなくてもよいのでは。
日本人観光客、中国(大陸)に行かない問題 http://zaikabou.hatenablog.com/
それより俺は反応の方が気になった。
まあそりゃネックに感じる人もいるよね、って感じ。
いざとなったら危なそうだし、怖いし、そこを挽回する材料はない。
じゃあ結局何だ、というとこういう話をみると連想して思い出す話があるからちょっと聞いてほしいなってだけ。
これが強烈なインパクトだった。
カーキ色の人民服をぴっちり着こなし、頭には人民帽、表情は同じ小学生ながら今にも敬礼しそうなほど固く引き締まったもの。
俺ら小学生は驚きと物珍しさに包まれた後、彼をからかう気持ちがわいてきた。
具体的に言うと、帽子取ったんだな。
よく小学校のいじめである「へいパスパース」ってやつ。あれをやったわけだ。
当然許されないことだし、彼も怒りの形相で俺らを追いかけてきた。
確かそれをやったのは俺を含め4~5人。
最終的にそれは屋上まで続いた。
で屋上まで逃げた卑劣な俺たちは、屋上につながるドアを彼が入る前にバタンと閉めた。
当然彼は怒りのまま、俺たちの方を見ている。
最終的に大人の誰かがやってきて、怒られつつ俺らは帽子を返したはずである。
ただ、子供のしたことで時代もあるとかを考えても、これは「人権が一応ある国」でやっていいことだったのだろうか。
これはやった俺が悪い話で、ほかの日本国民に罪はない。
でも「人権がない国と違い、ある国では」の前フリがあるとこれを思い出して仕方ない。
あるよ、あるけどない所よりひどい目にあわされることもままあるよ。
ってかお前がやったろ?
あるだけで胸を張ってるけど、いつも人権相応の待遇が得られるのかな