はてなキーワード: 救急車とは
新型コロナの話題で「ベッド数が足りなくなってきている」みたいな話があり
(ところでいつまで『新型』コロナ言い続けるつもりなのか。。。さっさと名前つければいいのに。COVID19みたいな発音しづらい名前じゃなくて)
けど 「ベッドが足りなくなった」 「医者の手が回らなくなった」 これって、医療崩壊していないですよね?
もともとの医療リソースがもつキャパを超える、患者が押し寄せるだけなら、ただのキャパオーバー。
一方、コロナのせいで、「マスクなどのキーリソースが不足しネックになったり」 「医療従事者が感染したり」 して、
本来出せるはずのパフォーマンスが出せなくなり、キャパが縮んでしまったら、これは医療崩壊と言えるわけで。
この2つを誰も分けて論じないことが、まず不思議で仕方がならないんです。
キャパにはどうしたって限度はある。もりもり患者がふえれば、そりゃキャパオーバーは起こる。
けど、医療崩壊は防がなければいけない。
これ、犠牲をともなう放水をしてでも、ダムの決壊を防がなければいけないのと似たことだと思うのですね。
さらに不思議なのが「重症患者が医療リソースを圧迫する」という話。
なぜコロナの重症患者だけが医療リソースを圧迫するのか?させていいのか? という話が
ほとんど聞かれない。
父が倒れ、救急車で運ばれた最初の病院で、この病名が診断されたあと
付き添いの母はこういわれたそうで。
まず 「あいにく当病院では処置できない、循環器に強い隣町の大病院に搬送する」
次に 「隣町の大病院はリソースが満杯で 受け入れ態勢がないそうだ もはやあきらめるしかない」
で、父は死にました。 つまりは医療崩壊なんて起きていないけど 医療キャパからあふれて、父は死んだわけです。
しかし、社会が父を救うために医療リソースを余剰に抱えるコストを考えれば、
仕方がないことだとしか、これは、思えないのですよね。
翻ってコロナの話。
・ たかだか505人の新型コロナ重症患者がキャパを大きく食いつぶすことにより、他の患者が疎かにされていないのか?
・医療従事者が疲弊しているというが、疲弊する働き方を医者にさせる、という禁じ手がなぜ行われているのか?
→ そこにはリソースを超える患者の受け入れなどの 『ムチャ』が強いられているからではないのか?
気になって仕方がないし、この論点が論じられないのが不思議でしかたがありません。
今後コロナが拡大するにつれ、キャパオーバーに近くなったタイミングで、
「医者にかかれない」「治療してもらえない」 患者はどうしても増えるはずです。では、どういう病気の患者に割を食わせる?
その判断を医者にさせるのは酷だから、まあ、国が指針を示すしかないでしょうね。
医療リソースを食いつぶす新型コロナ重症患者に割を食わせるのが、妥当なようにも思えます、
それに、コロナ重症者を助けることに、新型コロナ感染拡大を抑止する効果はないから。
でもって、何より、医療従事者の方たちには、「頑張り」「奮起」 をせずに、
「いつもと同じ年のように」働いてほしいのです
それこそが、持続可能な形で、社会が医療サービスを最大限に享受するためのありかたのはずですよね。
そのためには、患者を見捨てるトリアージ指針は、整備すべきですよね。
以上、これ、門外漢の私が春ごろからずっと思っていることだから、
業界のひとも、とっくの昔に同じことを考えているはずなんだけど
なぜか、この手の議論をまず耳にしない。ずーっと。なんでなんだろう。
その不思議を、第3波がおっきくなってきたこの折、思い出した、そんな今日このごろです。
(2020-12-05)
関西の政令指定都市生まれ・育ちの女が夫の転勤で田舎に行って辛かった話
東京生まれ東京育ちの若者が田舎に転勤になって死ぬほど辛い話が話題になっているので、隙あらば自分語りをしようと思う。
当方はアラサーの在宅ワーカー、運転免許は所持しているが持病があり車の運転に不安がある。関西の政令指定都市の中心部にほど近い、終電を逃しても中心部から家まで歩ける距離の場所で生まれ育った。
酒が好きで、友人と頻繁に飲み会を開いたり一人で飲み屋に入ったりすることもしばしばあった。
関西の別地区(駅前以外はそこそこ田舎)出身の夫と結婚してすぐに関東の大都市に転勤。そちらには友達もいて、スキルアップのために仕事と並行して専門学校に行ったりして毎日が充実していた。しかし1年で中国地方に転勤することになった。
ここまでが前提である。
中国地方の田舎に引っ越す際、その地方の大きな駅周辺ではなく、大型スーパーに自転車で行ける距離の場所に家を借りた。既に車を1台所有していたが旦那が通勤で使うため、日中私は使えない。もう一台車を購入することも考えたが、持病のことと今回も1年で転勤になったら……と思うと二の足を踏んだ。
同県内の中心部に近い場所に友人がおり、県庁所在地のある場所で会うことになった。旦那とは共通の知り合いがいないため電車で行くことにし、徒歩だと45分くらいかかる最寄り駅まで車で送ってもらい、駅に入る。
駅員さんがいない。
まあ、これは想定内だった。
改札もない。
都会で見慣れた自動改札機がない。ICカードが使えないのではないか。仕方ない、切符を買うか……。
券売機がない。
これは想定していなかった。どうやって切符を買うのか分からない。アラサーになって電車の乗り方が分からないなんて思いもしなかった。
バスと同じ後払い制なのか?と冷静になれば分かるのだが、私にとって電車は券売機で先に切符を買うというものだと信じて疑わなかったのだ。
「終電21時→到着翌朝5時」……? アプリで終電だと表示されたルートだと、途中の乗換駅から最寄り駅までの電車が朝の5時前までなく、22時半から5時まで待つというルートだった。前の時間の電車を調べ、県内の中心部から最寄り駅に電車で帰れる終電は「19時半」だということが判明した。終電19時半……これが田舎の公共交通機関か……と頭を抱えた。
田舎に住んでいてある程度は覚悟していたが、「遊びに行くのに予想以上に交通費がかかる」ということが出かけることに対してハードルになった。
中心部に買い物に行くだけで3000円。
家の周りには徒歩で行けるお酒を出す飲食店がない。お酒を飲んだら運転ができないので車で行って代行で帰ることになる。美味しい店は20km先ということもざらにあるので、飲食費とは別に約5000円。
家賃が都会に住んでいた時と比べて安くなっているとはいえ、形の残らない交通費に数千円を出すことにためらってしまう。私は実家の立地が良かったこともあり、交通費に片道1000円以上かかることが滅多になかったので、抵抗が大きかった。
遊びだけではない。
平日の昼間。旦那の仕事中に足にけがをしてしまった。足首に痛みが走り、段々と腫れあがっていく。田舎の病院は数えるほどしかなく、最寄りの数キロ先の病院は休診日。その次に近い病院は十数キロ先。最寄りのバス停から直通バスはない。田舎の病院の診療終了時間は早いので旦那を待っていられない。救急車を呼ぶレベルでは全くないし、そうなるとタクシーか、と考えた所でタクシー代が頭を過る。……それなら一晩様子を見よう。
そう考えた時に「これがもっとひどい病気や怪我だったら……?」と怖くなった。生活がひっ迫しているわけでもないし、旦那はタクシーを使ったからと言って怒るような人ではない。しかし都会ではすぐに医者に行こうと思うことも、こちらだったら行くのを躊躇ってしまう。それがとても恐ろしくなったのだ。
田舎に暮らしていて良かったこともあるし、辛かっただけの生活ではなかったが、持病や運転に不安がある自分には田舎は辛かった。
3ヶ月前に子供を生んだ。初めての子だ。元気に見えたその子が突然救急車で運ばれ、集中治療室で管に繋がれ、薬で眠らされている。医者からは心臓移植とか人工心肺の話を聞かされた。
夫は号泣していた。今もお風呂でこっそり泣いているのを知っている。でも私は悲しいという感情はわいてこない。よくある、辛すぎて感情が麻痺してるとかじゃあない。一定の確率で遺伝子のコピーだとか、器官形成時などにミスなどが起こり、生まれた子が死亡するというのを聞いたことがある。たまたまそれが自分の手元で起こった。きっと彼はそう長く生きられずに死ぬだろう。それでも良い、それが生命だよなあという気持ち
不謹慎なことだが、生命の神秘を感じている。叶うことなら医者にもっと質問したい。人間の複雑な設計図だとか、遺伝子のコピー、器官形成されて人ができる過程について、劣性遺伝子をヘテロに持つと死んでしまうマウスの例とか、そういうのをもっともっと純粋に知りたいと思っている
ただの感情です
都下のいわゆる住宅密集地の一戸建てに住んで在宅仕事をしてます。
今年、緊急事態宣言で休校になったとき、朝から夜まで家の周りで近所中の子供たちが私の家の前の道路で大騒ぎしてたんです。
ギャー!!!!キー!!!!うおおおおお!!!!ああああーーーー!エンドレス
子どもたち、それはもうすごくて、道路でボールついて自転車とくねくねするボード乗り回して走りまわって叫び倒して通行する車に威嚇して、ボールがバンバンうちのにも周りの車にも家にもあたるし、家の敷地にも勝手に入ってきてぎゃーぎゃー騒ぎまわって。
まあ子供もその子らの親も大変な時期だしお互い様とか思って我慢して仕事してました。
今は平日は静かなもので、土日に隣の家の男親が未就学児5~6人と午後の数時間外で騒ぐだけなんですけど。
相変わらずうちにボール当てるし、勝手に入ってくるし敷地に自転車勝手に置くしもう我慢ができないので、家の前にチェーンと監視カメラつけて注意喚起のチラシ入れたり町内会に話したりいろいろしたんだけど何も変わらんで。
子供の鳴き声じゃなくても、その親の声聞いただけでもイライラがとまらなくて勝手に泣いて心が閉じる。
土日に家にいるのがもう無理なので、最近の週末はひとりでホテル泊しています。
家の名義は夫だし、絶対に引っ越さない(騒ぐ声が気にならない)と言ってるので私が家を出れば丸くおさまるんでしょう。
引っ越したくない気持ちはわかるよ、だっておうちの設計図見るの楽しかったもんねワクワクしてさ、懐かしいです。
土日に夫とお菓子食べながらゲームしたり、テレビ見てつまらんだのおいしそうだのあーだこーだいう時間も大好きでした。もう失くしましたけど。
たぶん離婚するんだろうね、悲しいけど、なんかもういろいろ諦めてて今日もずーっと泣きながら半笑いしてて顔がよくわからない。
私の犠牲で大多数の幸福が保証されるならもうそれでいいです、ダニみたいな存在なんだろね私は世界にとって。
子供がいない既婚者なんてどれだけ納税してようが関係なしに非生産的な人間なんでしょうから、いつも子持ちに貢献しなきゃいけないんだもんね、忘れてた私が悪いそりゃそうだよ世界は!!!
情けはひとのためならずっていう言葉が好きでねえ、まわりまわっていい人生が送れたらいいなって、電車で年寄りにも妊婦にも席たくさん譲ったし、そこらに倒れてる人がいればおまわりさん呼んだり救急車呼んだり、よく道を聞かれるので目的地まで案内したりとか、私わりといい人間だったと思うんだよね。うるさくないし太ってないし滅多に怒らないしゴールド免許だし、それなりにきちんと稼いで自立して扶養にも入ってないし借金もないし老後のために地道にお金積み立ててさあ、自分は子供もてなかったからせめて地域貢献をって地域イベントの運営手伝ったりしてねー、ほんとえらかったよねえ。
もちろんダメなとこもいっぱいあるけどさ人間だしね、でもなんでただの変なよその親たちにこんなに心をすりつぶされなくちゃいけなかったんだろうね。あーがんばったのになあ、ぜんぶ無駄だったんだねえ。
人生ってそんなもんなんだろうと思うけど、悲しくて悔しくてもうだめです。だめだわ。
みんなは元気でがんばってね。
来年発売のBSX (BUREI STATION X)店頭1次予約がBEPPU CAMERAで行われると聞いて前日夜から並ぶことにしたのだった、1次予約で抽選券を手に入れ、抽選に当たれば2次予約として晴れてBSXを買う権利が与えられる、今年は疫病が流行っていて転売屋を並ばせるとあっさり全滅することは確実なのでこのようなシステムが採用されたらしいが、ネットでの予約とは別に店頭での予約枠が別にあるという噂が流れ、力技で早くから並べば、機械的な手段で瞬時に予約を決める業者に惑わされずにBSXを手に入れられると目論んだ、のだった、失業保険も今月で切れるから少しでも収入につながればと思い、並ぶことにした、のだった、もう雪が積もってきているのでまさか徹夜で並ぶ馬鹿はいないだろうと思って前日の22時にBEPPU CAMERAの前に行くともう3人いずれも黒い上着を来た男が並んでいたから馬鹿はいたのかと思った、が馬鹿は一体誰なのだろうかと思い自分も並んだら、数分後に背後にもう一人爺さんが立った、爺さんは作業服の上にボアのジャンパーを着て、手に持った大きなビニール袋からは乱雑に畳んだ新聞紙や傘や黄色くなったビニール袋がはみ出していたからバイトなのだと思い、なるべく関わらないようにしようと思ったが爺さんは暇そうにしていて、いーっさみいなあとかいって話しかけたそうに独り言を言うから、いつの間にか話すことになって、適当に相槌を打っていたら、爺さんはまんじゅうが食べたくなったから場所を取っておいてくれという、わかったといったら爺さんは新聞紙を地面の上に置いて、向こうに見えるコンビニに入っていく、数分経って戻ってきた爺さんは手にまんじゅうを2個持っていて1個を自分にくれる、つぶあんの入ったまんじゅうはとてもあたたかく、道路に氷が張りだした空気の中で体に染み込むような旨さだったからじいさんが一気に好きなってしまった、からお互いに身の上話などしながら夜が明けるのを待っていたら、ますます気温は下がる、じっと立っていると膝が震えてくるくらいになる、爺さんはこんどはコーヒーが飲みたくなったからまた場所を取っておいてくれというから、わかったというと、また新聞紙を地面に置いてコンビニに行く、とすぐに別の男が2人やってきて列に割り込み、新聞紙を踏みつける、すいませんそこは、としか自分は言えなかった、男の一人はガンをつけてきて、なんだよ誰もいないあいてる場所だから入ったんだけど、という、いやそこはすぐに戻ってくるんですよ、というが聞き分ける様子がない、そのうちに缶コーヒーを2個持った爺さんが戻ってきて男たちを見かけた途端に甲高い声で怒鳴りつける、男たちと爺さんは小競り合いになるが、2人にかなうはずもなく爺さんは殴り倒されてアスファルトの道路に転がって、男の一人が、るぁとかいってそこへ蹴りを入れると、ボクンと骨を打つ音がして爺さんは動かなくなる、いつのまにか警察が5、6人来てその場を取り囲む、BEPPU CAMERAから警備員が出てきて警察と話す、救急車が来て爺さんは運ばれていく、男たちは警察に連れて行かれる、自分はその場で事情聴取を受ける、なんで並んでいたのかと聞かれて、BSXの1次予約を店頭でするためだと説明すると、そんなことはやっていないと店側はいっているぞと警官に言われる、いやまさか嘘だろう、店に聞いたのかというと、店側が言っているんだから早く帰ったほうがいいと言われる、いや嘘だろう、嘘じゃない、という問答を繰り返しているうちに列にいた他の人々はどんどん帰っていったから、ようやく本当らしいと思うようになる、事情聴取を終えた頃には他には誰もおらず、夜が明け始めていて、BEPPU CAMERAのシャッターは閉まったままで、そのまま帰ろうにもあまりにも手持ち無沙汰で、ひどく腹も減っていることに気づいたから、周りに店を探してもこの時間に空いている店などなく、ようやく見つけたのはタクシー運転手や警備員にそばやうどんを早朝から出す店でカウンターしかなくて、朝からそばかよと思うと、壁のメニューにじゃんぎ丼があったからとりあえず注文して、出てくるものを掻っ込むと飯が熱くて、肉は甘辛くて、あっという間に食べ終わって外に出ると帰るしかすることがないことに気づいて、帰っても自分を待っているものは何もないことに気づいて、
https://www.healthcare.omron.co.jp/resource/column/qa/146.html
また、「突発性めまい」といわれる突然生じるめまいについて、CTスキャンなどの詳細な検査で調べたところ、多くは耳鼻科系疾患でしたが、約1割は脳梗塞が原因でした。脳の病気のために突然めまいが生じることは多くありませんが、起きる場合には、ほぼ例外なく小脳や脳幹の脳卒中によるものといわれます。気をつけなければならないのは、突然めまいが生じるとともに、うまく話すことができなくなったり、激しい頭痛が伴ったりする場合です。その際は脳卒中の可能性がありますから、躊躇せずに救急車を呼ぶなどして、迅速に対処するようにしましょう。
39℃超えて2日か3日目くらいの頃だったと思う
全然体も動かせないし、じっとして布団に入っていた。
39.8℃とかそのあたりをさまよっていた時に
突然体かすーっと軽くなった
そんなはずはないのに
なんかなんでもできる気がする
でも脳内はなんかちょっとしたパニック状態で10人くらいが一気に話しかけてくるような感じがした。
そんな折、自分は異常なのか、正常なのか確かめなければならないという衝動に駆られた
そうだ裸になろう
そして裸になって道路で寝てみよう
(通りすがりの人が騒げば異常だと言うことが確かめられる。と思った気がする)
30秒か、2分かわからないけどそんなもんだろうと思う。寝てみた。
幸いかどうか、人は通らなかった。
そして、ふと「あぁ自分は異常かもしれない。でも確かめられなかったな」
と思いながら部屋に戻った。
取り合えず、携帯の電話帳を開いて、実家の母に電話をしてみようとした。
キーを押すのもやっとだった。
「いいよ」と言ってくれたが、ビビって呼べなかった。
後輩に付き添ってもらってようやく辿り着いて点滴を打ったら快方した。
そんな気がした。
90年代半ば位まではタクシー運転手、駅員、警察とかは本当にガラが悪かった。
ワンメーターでキレられるなんて日常茶飯事だし、駅員に何か聞くと「案内に書いてあるだろ!」とかつっけんどんに言われるのが関の山だった。
繁華街で道路にゲロ吐いて痙攣してる若い女の子がいて救急車呼んで保護してあげてください!って交番に駆け込んだら「何でもかんでも警察に言うな!お前が呼べばいいだろ!(ガチで原文このまま)」
と怒鳴られた。
俺を酔っ払いだと思ったらしいが、後日警察署まで乗り込んで苦情を言ったが最終的に頭を下げて謝罪したのはそいつの上司で同席したそいつは最後まで悪態つき顔を合わせずブツブツ言ってて上司が無理やり手で頭下げさせただけ。
不良高校生かよ!と思った。
それ以前に題材が。
(信者・応援すると自認しながら行動が完全にアンチなにんげんを、しょっちゅう実在で見かけるし増田にも味方といって誤射のふりしてオタク蜂の巣になるまで撃ってるやつがいっぱい観察できる)。
NHKのねほりんぱほりんでもそうですが、表に出せる範囲だとそうだよねーって。
しらべたらいっぱいイベントに救急車だの警察だの喚ばれてるんだけどな。
まあそれは昔ですし、今学級会が機能しやすくなってますし、そもそもフィクションですし。
同人女という見慣れない人間のおもしろ感情の一サンプルとしてはいいんじゃないですかね。
犯罪者の感情なんてわかるわけないし。綾城の感情もやっぱり説明しようにも説明がつかんよ。
弊ジャンルにもやっぱり数人いるけど
天才は本当に気まぐれで、次にどこにいくか予想がつかず、普段のツイートみててもなんでわざわざそこに萌えた?ってなる。
犯罪者も本当に気まぐれで、次にどこにいくか予想がつかず、普段のツイートみててもなんでわざわざそんなことを?ってなる。
でも実際に行動されるととても迷惑。
相手のタクシー運転手に罵声を浴びせられながら救急車に乗り込んだが、救急隊員は優しい言葉をかけてくれて、タクシー運転手の態度に一緒になって憤慨してくれた。(血まみれながら会話はできる程度の怪我だった)
1か月ほど経って治療もひと段落し、ふと思い立って「あのときの救急隊員の方にお礼を伝えてください」なんて消防庁にメールを送ってみた。
返信は「ありがとうございます~励みになります~」みたいなテンプレではあったが、その救急隊員が俺のメールを見て仕事が頑張れたり、家族に優しくできたりしてたら嬉しいなってぼんやり考えてる。
その翌週、仕事でちょっと機転を利かせた出来事があって、自分にとっては何気ないいつも通りの対応のつもりだったんだけど、相手のお客さんがわざわざ本社に俺のことを名指しで「増田さんという社員の方の対応が素晴らしかった」とメールをくれた。
大きな会社ではないけど社内全体にそのメールが転送されて、上司の覚えが良くなったことも、自分の仕事がそんなに喜ばれたこともすごく幸せな気分だ。
私は大阪市民ではないのでヘタなことは云えないけど、実際に救急車であるとか総合医療センターであるとかコロナが拡大している現況の下で大阪市の現業部門が奮闘してるのを目の当たりにしたら、現状維持というか市を残しておいたほうが良いんじゃないの?的な皮膚感覚があるのではないか、な。
またコロナが後押しした側面もあるのだけど、医療費と介護と生活保護などの社会扶助の費用がおそらくこの先増大するはずというのは誰もが予測できて、それらについてたとえ負担増になっても今と同じシステムで決めたいという意識があるのではないか、と。
大阪市民にとって命や生活にかかわることなのでそれらが府の財政や二重行政の解消より重要と思えば反対にまわるかなあ。
あとほんとわかんないのは、仙台と宮城とか二重行政ってあんまり問題にならなかった気が。なぜ大阪はうまくいかなかったのか傍から見てて謎。