2020-12-05

医療崩壊」? 「キャパオーバー」ではなくて?

医者の知り合いもいないし、医療について全く素人なんですが。

新型コロナ話題で「ベッド数が足りなくなってきている」みたいな話があり

(ところでいつまで『新型』コロナ言い続けるつもりなのか。。。さっさと名前つければいいのに。COVID19みたいな発音しづらい名前じゃなくて)

けど 「ベッドが足りなくなった」 「医者の手が回らなくなった」 これって、医療崩壊していないですよね?

もともとの医療リソースもつキャパを超える、患者が押し寄せるだけなら、ただのキャパオーバー

一方、コロナのせいで、「マスクなどのキーリソースが不足しネックになったり」 「医療従事者が感染したり」 して、

本来出せるはずのパフォーマンスが出せなくなり、キャパが縮んでしまったら、これは医療崩壊と言えるわけで。

この2つを誰も分けて論じないことが、まず不思議で仕方がならないんです。

キャパにはどうしたって限度はある。もりもり患者がふえれば、そりゃキャパオーバーは起こる。

けど、医療崩壊は防がなければいけない。

これ、犠牲をともなう放水をしてでも、ダム決壊を防がなければいけないのと似たことだと思うのですね。

さら不思議なのが「重症患者医療リソースを圧迫する」という話。

今日日本コロナ重症患者数は、505人だそうだけれども

それ以外の病気重症患者日本に何人いるのか?

なぜコロナ重症患者けが医療リソースを圧迫するのか?させていいのか? という話が

ほとんど聞かれない。

私は父を「腹部大動脈瘤破裂」で亡くしまして。

父が倒れ、救急車で運ばれた最初病院で、この病名が診断されたあと

付き添いの母はこういわれたそうで。

まず 「あいにく当病院では処置できない、循環器に強い隣町の大病院搬送する」

次に 「隣町の大病院リソースが満杯で 受け入れ態勢がないそうだ もはやあきらめるしかない」

で、父は死にました。 つまり医療崩壊なんて起きていないけど 医療キャパからあふれて、父は死んだわけです。

しかし、社会が父を救うために医療リソースを余剰に抱えるコストを考えれば、

仕方がないことだとしか、これは、思えないのですよね。

翻ってコロナの話。

たかだか505人の新型コロナ重症患者キャパを大きく食いつぶすことにより、他の患者が疎かにされていないのか?

医療従事者が疲弊しているというが、疲弊する働き方を医者にさせる、という禁じ手がなぜ行われているのか?

 → そこにはリソースを超える患者の受け入れなどの 『ムチャ』が強いられているからではないのか?

気になって仕方がないし、この論点が論じられないのが不思議しかたがありません。

今後コロナが拡大するにつれ、キャパオーバーに近くなったタイミングで、

医者にかかれない」「治療してもらえない」 患者はどうしても増えるはずです。では、どういう病気患者に割を食わせる?

その判断医者にさせるのは酷だから、まあ、国が指針を示すしかないでしょうね。

医療リソースを食いつぶす新型コロナ重症患者に割を食わせるのが、妥当なようにも思えます

それに、コロナ重症者を助けることに、新型コロナ感染拡大を抑止する効果はないから。

でもって、何より、医療従事者の方たちには、「頑張り」「奮起」 をせずに、

「いつもと同じ年のように」働いてほしいのです

それこそが、持続可能な形で、社会医療サービスを最大限に享受するためのありかたのはずですよね。

そのためには、患者を見捨てるトリアージ指針は、整備すべきですよね。

きっと事故災害とは違う判断基準が必要になる。

以上、これ、門外漢の私が春ごろからずっと思っていることだから

業界のひとも、とっくの昔に同じことを考えているはずなんだけど

なぜか、この手の議論をまず耳にしない。ずーっと。なんでなんだろう。

その不思議を、第3波がおっきくなってきたこの折、思い出した、そんな今日このごろです。

(2020-12-05)

  • そんなのはみんなわかってるんですよ 言い出したら、なにかは失敗するのが目に見えてるわけで、異常に叩かれる未来しかないのです だから誰も取りたくないので、のらりくらり先延ば...

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