はてなキーワード: バックボーンとは
けど院卒以上になるとそれはそれで語彙が劣化してるんだぜw
伝達時に翻訳語を用いることによる意味合いの変化が起こるってのもあるんだが
院生以上の人とかかわると日本語に単語レベルで英語が混ざるようになる。
これは結局目を通す文章が英語ベースになるってことなんだろうが(ある一定以上の専門用語は適切な日本語訳を持たなかったりする)
領域の被ってる人と話すときはまだいいんだがこれがちょっと領域がかぶってるが専門が違うって人と話をすると
バックボーンの違いによる知識の違いがあって日本人同士でも英和or英英辞書が必要になるって面白い事態が発生するんだよな・・・
週末に行ってきたイベントだが、ちょっとインパクトが強すぎて、あとたぶん昼から通しで追っかけてるのは自分だけなので、この話誰かに伝えたい!と柄にもなく思ってしまった。
ここまで、日本語でウケを取り、アメリカ人にしか聞こえない英語をしゃべりつつの話。まじありえないレベルの覚悟と実践なんだが・・・!
この人のセッション、ブラジル事情の紹介みたいな話で大ホール側のセッションも覗いてみようかなと思っていた所にこれで、ただちに絶対参加すべきレベルのセッションに格上げされた。こんな人がいるとは。
で、昼休み後の問題のセッション。結局ツイートどころじゃなかったが、こんな感じ:
Javaはあれが酷いとかPHPがとかいう態度でRubyを使うのも無駄だ。
なんという激熱トーク。本当に小さかった南米のRubyコミュニティを仲間と共に成長させ、いまやRubyConf Brazilとか南米で何個もイベントが立ち上がるまでに育てた。この伝道のため、ここ数年で80箇所は回って普及に努めたとかとか。ブラジル事情への関心と関係なく、この熱量を体験できてよかった。
最後の時間オーバー後の「あと一言だけ(本当はあと1分だけと本人は言っていたのだが、わざと誤訳してタイマー役の人に会場から叫んだ自分w)」でどんなにダメだとされていても、諦めずに進めという、過去の偉人が貶められたり失意にあった時代の動画もよかった(もっとも、この話は知っていたのでインパクト自体は薄めだった)。
この後はLTとクロージング。
インパクト強すぎw
これ漫画系展開をバックボーンにしたエンタテイニングなスタイルだと理解せずに真に受けると大変だなと心配になったり。なにしろ上は三行だけど全部通しで書くと
真面目に受け取ったらヤバイ発言多すぎだろ・・・
こ れ が 締 め の 講 演 か よ !
そういえば途中にまどマギネタも入ってた記憶があるのだが、上のインパクトが強すぎてどこかに飛んでった。
その後の高橋さんの最後の挨拶とスタッフを集めてのスタンディングオベーションはちょっとうるっと来た。初参加だから今回の運営自体への思い入れはないのだけど、この回だけでも感激することが多かった。この完成度に達するまでどれだけの努力と熱意が投入されていたかと考えると。
隣の席が実はtdtdsさんでびびってたのだが、最初に立ち上がったのを見て、続く二人目のタイミングが大事!とすぱっと立ち上がってみてよかった。その後前列の人がみんな!立とうよ!みたいにやって一気に雪崩状態。
これで会議は閉幕したのだが、さらにherokuの緊急パーティーが開催され、思い切って行ってみた。まあ、懇親会に輪をかけたリア充な雰囲気でまともに話せなかったのだが、
こんな一日だった。熱かった・・・
ANIME EXPOで初音ミクのライブ?コンサート?が行われ盛況で終わったようだ。
クリックをする前の僕は、盛況に終わったというのが信じられなかった。初音ミク ライブパーティー2011がひどかった事実と、セガが大喧嘩をし初音ミクから離れてしまったというニュースをみたからだ。(ソースは自分でぐぐってください)
だからそんな盛況に終わるはずがないと思っていたし、2010以降初音ミクは僕の中で時計の針を止めていた。
いざ動画を見てみると何もかもを吹き飛ばし僕の中に熱い熱い興奮が沸き上がってきた。
2010年の感動を通りこして目の前に繰り広げられる世界にただただ驚愕し、歓喜していた。
短い動画ではあったけれど観終わった後「音楽も捨てたもんじゃないな」と僕は思った。
セガの功績もその文化に拍車をかけ、初音ミクとう文化を成立させてしまった。
今の日本音楽はバックボーン、特典、アイドル的要素といったものが重視されている。正に異常事態だ。
そこに風穴を開けようとしているのがこの初音ミクが巻き起こした新たな文化である。
アイドル的要素は抜けきれていない。が、曲がとにかくいい。とにかくいいのだ。
かっこいい曲もあれば、泣ける曲もある。
初音ミクを馬鹿にしている人たちというのは、ボーカロイド=オタク=キモイという原始時代的な鎖国脳なので武士は食わねど高楊枝てき思考で新しいものを取り入れきれないのだ。
音楽好きと自負するのなら、きっと気に入る曲があるというのだから聞いて探せばいいのだ。探しもしないのに初音ミクがニュースででると嫌悪し気持ち悪い図式でしか考えられないのならば、音楽好きなどやめてしまったほうがいい。
僕は初音ミクはどんどんメディアに露出していくべきであると思う。
どうも。こないだまで就職王って名乗ってましたが、今は無職王です。
で、前回書いたコレhttp://anond.hatelabo.jp/20110429004257に
なんかすごい真面目なトラックバックが来てたので、なんか書かなきゃなーと思いました。
二代目ロストジェネレーションが失ったもの。望み。そして、僕らは何からはじめるべきか
http://d.hatena.ne.jp/thinking-terra/20110529/1306640590
で、これ読んで思ったんだけれども。
ぼくが思うに、現代日本の若者における問題ってのは最早「価値観」の問題ではないと思うのね。
いうなら、それは生存の問題だし、もっと明確に言えばいかにクサレ年寄りから椅子をムシリ獲るかってことなんだと思うんだ。
「既存の価値観に乗ることは出来ない」とテラケイさんは仰る。でも、ぼくはそれは違うと思う。
むしろ、現時点に於いても生存戦略としては「既存の価値観にドップリ漬かる」は限りなくベストに近い。
「世代」のことを考える前に、「自分」のことを考えて、グダグダ言わずに東大を出るべきなんだ。
もちろん、東京大学というのはかなり極端な例だけれども。
ミクロで考えるなら、まだ現代日本は個人の力で「なんとかなる」社会だとぼくは思う。
ぼくの「就職王」コラムは個人化戦略の極地のようなものだけど、実際あの程度でなんとかなってしまう。
でも、もちろんマクロで考えるとこれは明確に間違っている。
だって、椅子の数が限られているなら誰かは必ず負けるんだから。社会には一定水準の競争が必要である、という
命題を真であるとした上でも、社会を構成する一定層はそれなりの職を得て暮らしていけなきゃまずい。
それに、ぼくのような口先だけで逃げ切るやつが評価される企業の土壌というのも、あんまりよくない気がする。
やっぱり、社会は少しずつでも変えていかなきゃならない。ぼくらの世代が楽しく生きるために。
「社会を変える」って言いにくい世代だよね、ぼくらは。上の世代が派手にコケたから。
どうせ社会なんて変わらない、馬鹿どもの轍を踏んでたまるか。そういうところがある。
デモやる?って言われても「それ頭の悪い年寄りが大分前に失敗した」としか思えない。
カウンター・アクションは必要だけれど、それはやはり時代に即したものでなければいけない、と思う。
少なくとも「就職クソッタレ」って言って変わるものがあるなんて考えられない。そうじゃないか?
ウザイ自分語りで申し訳ないけれど。ぼくが就職したのは「箔をつけるため」だった。
今、起業をするために色々じたばたしてるんだけれど、やっぱりカネを出して貰うにはそれなりのものが必要になる。
少なくとも、「真っ当に勤めていれば生涯年収4億近かったですよ」くらいのことは言えないと、
与えられたカネの代わりに差し出すものとしては、とても足りない。実はこれでも全然足りないんだけれど、
それでも何某かのバックボーンにはなる。使えるモノは、使わなきゃ損だ。就職して数年踏ん張るだけで得られる
ステータスって、実は結構お買い得な気がする。ある意味、大学の名前以上に。
この日本社会は実にクソだと思うけれど、使えるものを使わずに戦うのはいかにも勿体無い。
「価値観を変える」なんてのは、ヒッピーになるのと同じだ。ヨガをやってもマリファナやってもロックフェスをやっても、
実はどーにもならない。それは、かつてアホな連中がもうやった。ぼくらがそれをやる必要はない。
ぼくは巷で見る就職活動批判にすごく違和感を感じていて、つまるところそれはどこまで言っても
「負け犬の遠吠え」としか認識されないんじゃないか、ってこと。
かつての頭の悪い年寄りには「世界同時革命」みたいな強烈なイデオロギーがあったから、「就活のバカヤロー」よりは
スケール感もまとまりもあったけれど、ぼくらの世代にはそれもない。あるべき社会のモデルすらない状態で、
「価値観を変えろ」って言われても、それは「解脱しろ」とか言われるのと一緒だ。シャクティーパッドとかポアとか
そういう語感にしかならない。そんなことにはほとんど何の意味もない。
つまりところ、それがミクロの問題であれマクロの問題であれ、既存社会からの断絶というのは不可能なんじゃないかと思う。
テラケイさんは価値基準を語るときに「外部」と「内部」という言葉を使っているけれど、ぼくには価値観に於いて明確な
「外部」ってのがあるとは思えない。テクストに外部はない、みたいな学問を専攻してたせいもあるんだけど
それを差し引いても、既存の価値観を排除して生きていけるなんてとても思えない。そんな強くないからね。
ロストジェネレーション世代にニーチェじみたものを押し付けても、それは「レッツ自殺!」って結果しかもたらなさないのではなかろーか。
我々が目指すべきものは、この社会から乖離したものではなく地続きにものでなければいけない、と思う。
じゃあ、どうすべきかってことなんだけど。
とりあえず、まずは団結すべきだと思うんだ。勝ってる奴も負けてる奴も。
世の中はクソで、なんとかしなきゃ楽しい人生は送れそうもない、って意識を共有することだと思う。
ぼくはかつて、ものすごく貧乏で大学の学費にもメシ代にも汲々としてた時期があったんだけど、
その時、やっぱり同じような奴らと相互扶助的に生きていて、それは例えば部屋を分け合ったりとか
僅かなカネを分け合ったりとか、電気釜を共有したりとかそういう話だったんだけど、そういうところからだと思う。
例えば、イタリアの話。イタリアは、失業率がアホほど高いけど、自殺率は低い。これは何故かっていうと、一説には
一族主義が強く根付いているからだ、と言われている。縁のある誰かが食えてなければ、誰かが食わす。そーいうところがあるらしい。
じゃあ、我々悲惨な現状にいる連中も、そーしとけばいいんでないかな、と思ってる。
とりあえず、屋根とトモダチがいれば死ぬことはない。ぼくはそー思う。
こうすることで何が得られるかといえば、リスクを取るのが非常に容易になる。
「1人が1のリスクをとる」ことと「10人がそれぞれ1のリスクを取り、リターンを分配する」ことは大分違う。
もちろん、10人全員が敗れ去るパターンもありえるけれど、かなりのヘッジが出来ることになる。
そして、何よりだけど精神的にとても楽だ。ぼくは「起業」の道を選んだけれど、他にもロースクールに行ったりとか
そういう道を選ぶことにもやはりリスクはつきまとう。金銭的なリスクもそうだけれど、孤独化してしまうことが何よりヤバイ。
官僚から政治家目指すぜ、みたいな道にしてもやはり同じだ。そういうとき、価値観を共有出来るつながりがあることは
何より強いとぼくは思う。いや、今んとこカネを得て起業に漕ぎ出したところだから、この先なんかわかんないけどね。
仲間にも全部見捨てられて、一人ひっそり首を括るって可能性も全然あるわけだし。
それで、社会批判の話に戻るんだけれど。ぼくが「就職王」でやりたかったことは
「就職活動批判」のちょっとスマートな形を提示するってことなんだ。
確かに、マクロ的に考えると我々は既存の価値観に乗っかることは出来ないかもしれない。
しかし新しいマクロな価値観とライフスタイルを創造することも、おそらく出来ないだろうってこと。
その行き詰まりの中でクリティカルなクリティークを社会にカマすとしたら、
既存の価値観に乗っかって踊り狂いながら、同時にそれ自体を批判として成立させるしかないんじゃないかと思う。。
ダンスパーティーを台無しにしたいなら、まず誰より上手く踊らなきゃいけない。そうでなければ、誰も話を聞いてくれない。
やはり、我々はこのクソみたいな社会で戦っていくしかないし、クソみたいな社会を否定したところで
クソじゃない社会の青写真を描けるわけじゃない。それは、大分昔に失敗した。
だから、このクソだめみたいな社会の集団的蛆虫として既存の価値観と地続きの世界をサバイブしていく以外に多分道はない。
そして、九人がダメでも、一人が生き残れればそいつが他を引き上げればいい。もちろん、現実的にこんなことが上手く行くか?
ってところはあるけれど、独力で社会と隔絶された「価値観」を作り出すよりは、十人で価値観を「共有」するほうがまだ成功率は高い。
「悟りを得た」人はそんなに多くないけど、「宗教にハマって死んだ」人は腐るほどいる。
その程度の価値観共有なら多分できるんでないか、そういう風にして戦っていくしかないんじゃないか、と思ってる。
人間、上手いこと価値観を刷り込まれれば飛行機でビルに突っ込めるんだから、それくらいできるんじゃね?と。
まー、なんというか。
これはぼくの戦略っぽく見せかけた誇大妄想だから、なんのあてにもならないけれど。
とりあえず、若い人間はもーちょい戦略的に生きるべきだと思うし、また同時に団結すべきだと思う。
個人の内面のナイーヴな話に閉じてしまうのは、なんかどーなんだろーな、とぼくは思うんだよね。
これから具体的にどーするか、どのようにして生き残ってリスクを取っていくかを論じるべきじゃないだろうか。
まだまだやれることあると思うんだよね、実際。
ところで、死ぬほどどーでもいいけど、「ロストジェネレーション」って若い頃第一次世界大戦に遭遇して、何か価値観がクラッシュしちゃったよーな世代の作家達を指す言葉で、「二代目」っていうとちょっとおかしいことになるよね。ロスジェネの「二代目」世代ったら、ビートの時代でケルアックとかギンズバーグとかを指すと思う。
不況なんかにぶつかった「貧乏くじ世代」を指す意味で「ロストジェネレーション」って語を使うと、今の世代は何代目になるのか、すごくめんどくさい議論が要るね。個人的に、「ロストジェネレーション」を現代の「失われた世代」に当てはめるのは色々ムリがある気が。字面はいいけど、原義から考えるとスゲービミョーな感じ。ロスジェネ論争とか言われると、今更ヘミングウェイとか論じてんの?って思っちゃうのはぼくだけじゃないと思う。
10年前の話じゃなくて、今の話をしてるんだよね?
新人が「レビューしてください」つってモノを持ってきた、でも内部設計書が無い、ってのは昨今ありえないな。
ここら辺は、元増田と僕のバックボーンの違いだろう。CMMIとかに会社が理解をもってないと難しいよね。
それに相手は、オープンソースを知らなかったのでしょ?
OpenSSLを知ってて趣味に走ったのではなく、無いと思ったから作ったのでしょ?
そしてOpenSSLが無い世界でOpenSSLを作ったら、それは凄く差別化要因になるでしょ。
それは、オープンソースを組み込む時でも検討する話。作り込み特有の話じゃない。
引継にドイツ語できる奴いないのに、ドイツ語のオープンソース盛って来られたら困るっしょ。
業務的な要素を加味したり、他の部品との組み合わせを考えたら皆無。
あと、ドキュメントは開発時に書き放すものじゃなく、ソースと一緒に管理保守するもの。
レビュー日までに間に合って、レビュアーがOK出すなら、オープンソースでも作り込みでもいい。
それでも、上司の貴方にとって
オープンソースを知ってる事が、そんなに大事なら、
それこそ教育コストをかけて後輩に教えてあげれば良かったんじゃないの?
後輩にはオープンソースを教えていないのに
後輩に向かって「10年後の新人の事を考えて!」って言うのは、ちょっと可哀想。
とりあえず、新聞屋が端折ったのか、本人の知恵がそこまで回らなかったのかしらんが、
現状で丸腰戦略を取った場合、真っ先に日本を占領するのはアメリカ合衆国だと言う事を失念している。
既に国内に米軍は展開済みなんだから、そそくさと占領して、「丸腰戦略は間違いでした」という政権を樹立させるだけ。
中国の歴史書なんて、それこそ過去の為政者は徹底的に咎る伝統がある。
というか、作家と学者を同列に考えてるお前さんのほうがおかしいだろ。
あえて突っ込むが、
その資金を安全に海外まで運んで、きちんと運用されているのか監視し、場合によっては提案をしなければならないのだが、
それらを行うためのバックボーンはどうするのかね?
よくわかった。
ただ俺は最後にこうも書いている。
ただ、そういう家柄を国家の補助のもと税金を大量投入して残す必要があるのか? という論議は、またどんどんすればいいと思う。
だから俺は天皇制云々はシステムの問題としていろいろ議論してもらえばいいとして、尊敬の念を忘れてはならないと言っているのだ。
天皇を崇めている人の神経がわからない。なんでただの「人」をああも崇拝できるのか。神様だと思ってるの?いちいち敬語とかつけて、あほみたい。
こういう主張から天皇制廃止に飛躍しているのだと思ったから、俺はもう少し他者に敬意を払うべき、ということを言いたかったのだ。
元増田の意図を取り違えていたのだから、元増田の求めるものに対しては結果的にずれた主張になってしまったのだと思う。
これはねえ。
難しいな。
確かに言っていること自体はおかしくない、間違ってないとは思う。
しかし、そんなに色濃くないとは言え日本には儒教精神のバックボーンがあるし、年長者を敬うべきとか、そういう慣習がある。
その点からすると、増田の言っていることは、間違ってはいなくとも、広く日本で受け入れられる考えか、と言えばそうではないように思う。
というか、俺を含む人間で、受け入れられないと思う層は必ずいる。
天皇は色々仕事をする→尊敬されるべき→天皇制っていいね→(天皇は色々仕事をする……
↑このサイクルができてるわけでしょう?このサイクルを除けば実際、天皇制を支えるものなんて迷信によって支えられてきた歴史の「過去」しかない。
そのサイクルが尊敬を生み出す、と言いたいようだが、それだけでは絶対にない。
歴史の「過去」しかない、と言っているがその歴史こそがもっとも重く、最も尊いものだと俺は思う。
つまりまあ、ちょっと飛躍するけど、功労者って言われて何年も働いてないのに高額契約する野球選手もいるでしょう。
すっかり変わってしまった元彼女ではない、かつての優しかった彼女のことばっか思い出して行動するやつもいるでしょう。
そういう感じで、いま働かなくなったから何十年かですぐさま尊敬に値しない一族になるとは俺は思っていない。
歴史上の偉人の末裔は尊敬していいと思うし、日本で一番高貴な血筋を保っているのだ。
他国の歴史では権力構造が変わるときに前王室を虐殺して、自らが王になることが多いのに対し、日本ではそのようなことは行われなかったのだ。
日本の権力者は天皇に自らを高官に任命させる、または天皇の子を娘に産ませる、それしか考えていない。
天皇家を虐殺して自ら天皇になろう、という発想のものがあらわれたっておかしくはないのに、だ。
あとついでに全然論理的じゃないことも書いて申し訳ないけど、俺は権威主義なんだ。
だから現在も続く徳川家の末裔だって、いまや民間人だけど俺は尊敬する。
こういう考えの人も、少なくはないと思う。
学会の開会式に皇太子来るって聞いたら、見にいきたくなるじゃん? というか、行ったしね。
論理的じゃないことをさらに書いて申し訳ないけど、天皇家は問答無用で、制度によらず、尊敬すべき家柄だと俺は思っている。
ただ、税金をどの程度使うか? 大臣の任命権などの社会的役割をどう扱うか? などの天皇制については、廃止を含めて議論したっていいと思う。
しかし、廃止するのであっても、家や伝統の維持のために、小額の補助を出すことくらいは、認められてもいいんじゃないかと思っている。
ただでさえアイデンティティを失った日本人が、これ以上失う必要はないのだから。
元増田の言いたいこととかみ合う部分は最後の三行だけになって申し訳ないです。
アイコさん障害児っぽい風貌だけど。
日本の人口構成を考えると、ふつうにやったら若者に勝ち目はないわけで。
今年職を得られなかった人達や未だ職を得られなかった人達は、いい加減暴動起こしていいと思うんだよね。
左翼崩れの『活動家』みたいなのじゃなくて、そこそこ金も人望もバックボーンもある指導者が一人必要なんだけれど、
そういう人間は普通に職を得て働いているし、社会運動に興味なんてないっていうジレンマ。
暴動やデモっていうのは徹底した理論武装の上で行わないと反感しか得られないものだから、実際難しい。
有象無象がやってもそこいらにいる胡散臭い勢力に取り込まれて終了ってことになる。
ただ、現在日本には人的リソース(=無職、ニート)が有り余っているのできっちり理論武装して指導力を発揮できれば
一介の政治的指導者になりあがれる可能性があるなーと思っている。
結局、基本的な主張は「老人から金を引っ剥がせ、若者に金を寄越せ」っていう、デモに乗っかるようなバカな若者の
共感を極めて得やすい題材だし、ホント上手くやれば今こそ面白いんだけどなぁ。暴動の基本は馬鹿に火をつけることなんだから。
折角こんだけ扇動しやすいバカが一杯余ってるご時勢なのに、中々そういう指導者って出てこないんだよなぁ。
そろそろ若き指導者が台頭してもいい時代情勢になってきたと思うんだけど。
ネットのおかげで若者の「政治離れ」も大分解消されつつあるし。不満だけはたっぷり溜まってると思うんだけどなぁ。
優秀な若い世代は海外逃げたり、あるいは起業したりっていう「孤立化」戦略みたいなものに意識が向いていると思うけど
こういう状態の基本戦略はどっちかといえば「連帯」することだし、もっといいのは人を率いることだと思うんだよなぁ。
そりゃ孤立化戦略も悪くないけど、指導力とカリスマで仕掛けてくるヤツが全然いないって問題だよなぁ。
有能な人間ほどミクロの視点と自己責任の原理で戦おうとするのはわかるけど、マクロの視点で戦おうとする有能なヤツが少しくらいいたっていいんじゃないかと思うわ。
たしかにバックボーンは強いが1ユーザーあたりに割り当てられる回線はかなり、絞らているのが現状。
そっこう500エラーを返す さくらってのが 個人的評価で 高負荷環境での使用について信頼してない。低負荷なら普通のレンサバでよかろう。
スクリプトゴリゴリなら、高負荷環境でないと安心できないし・・・
そもそもCPUタイムの割り当てについてもかかれていないし・・・
24コアです。ただし仮想マシンは48台収容です。とかでも文句言えないし。
S3みたいに、CPUコアの割り当てにより値段が変わるシステム=言い方変えればCPUコアの割り当ては保証されるシステムでないと、安心出来ない。
練習用にはいいんだろうけど・・・VmwareでLinuxいれた方がよかろうと。
正直、用途がわからん。
30歳を間近に控えて、唐突に総合格闘技を始めてしまった。
まぁ、まず道場に行くわな。
するってーと、皆さんがいる。こいつらがまた、いい人たちなんだこれが。
道場全体にただようほのぼのオーラ。指導員のプロの方は流石の風格なんだけれども、
アマチュアクラスの人たちはほんとに奥ゆかしい。全力でチョーク極めた後に「大丈夫ですか?」とか
お互い気を使いあう間柄。まぁ、スパー中はガシガシやりあうけどな!
「みんなで強くなって楽しんで旨いビール飲もうぜ!」みたいな空気がたまらない。
ジュードーやってた時の「奥襟寄越せクソが!」「うっせぇ、背負うぞウド!」みたいな
あのキリキリした感じとは全く別で非常に楽しい。「あわよくば折れろ!」と思いながら変な角度で足払いを打ち込んでくる奴もいない。寝技戦は詰め将棋的要素が強く、スパー後の感想戦がやたら面白い。
もちろんおっさんなのでそこにはビールがつく。ちょううまいんだこれが。
ぶっちゃけてスポーツってものに最早いい感情は抱いてなかった。今でも高校部活は気が狂ってると思っている。
柔道推薦で高校に行くっていうことは「故障したらお払い箱」ってことで、
腰や膝辺りを壊してしまって無残に高校を去っていく同輩をたくさん見てきた。
競い合い精神を磨く、なんていうけど断言して私立の部活で精神なんか磨けない。
おまけに、ごく一部の大成した人間以外は名ーんにも残らない。大学まで行けて、就職まで出来た俺は
本当に幸運だったと思う。高校辺りでケガ→ドロップアウトの流れに乗ってしまった奴は
往々にして人生からもドロップアウトしていった。下手に体力と技術があるものだから、その後は本人にも他人にも
かなり悲惨なことになった例が多い。
それに引き換えて、ソーゴーはとても良い。
色んなバックボーンを持った人たちが、お互いに和気藹々と技術を交換しあう。
極真がローを教え、柔道が内股を教え、ボクサーはフックを教える。
皆一線級を退いた人たちだが、とても真摯に、何より楽しくシバき合える。
例えば、純粋極真空手の人VS純粋柔道の人だと8割方柔道が勝つ。
しかし、タックル切りを覚えた空手家相手だともうわからない。総合で一番戦績のいい柔術家だって
打撃ルールでは面白いほどカモにされる。(当たり前のことなんだが)
だから、みんな相手の技術と経歴に敬意を払うし、尊重しあえる。
いい年こいたオッサンが「だからさー、ゴゴプラータはさぁ」なんて真剣に討論出来るのが超楽しい。
柔道、空手、ボクシングなんでもそうだけど、基本的にモノを言うのはフィジカルだ。
しかし、柔術に関しては相当頭脳戦の要素があり、練習すればするほど強くなるのである。
断言するけど、30歳から始めても普通に強くなれる唯一のものが寝技、それも柔術式の寝技だと思う。(レスリングはちょっとフィジカル寄り)つまり、誰がやっても楽しいのだ。
そんなわけで、最近流行もしぼみつつある総合格闘技人口がまた伸びて欲しい。
書籍やCDといったパッケージメディアは、その技術的な側面においては、役目を終えている。
あらゆるメディアは、情報の格差をお金に換えるシステムである。情報の格差には、知識レベルと理解レベルの2種類があり、広く薄くお金を集めるには、知識レベルの格差を強調するという手法が取られてきた。
知っているか否かを問題にするという手法であり、知らない事は恥ずかしい事であるとする事で、大衆に情報格差の存在を認識させ、それを埋める為にお金を使わせるというのが、基本的な構造である。この構造は二つの欠陥を持っていた。
一つは、インターネットという知識の巨大な蓄積の存在によって、知識そのものは、検索によって引き出せるモノでしかなく、検索できるかどうかという環境の保有と維持こそが、知識レベルの格差をお金に換える手法となってしまったという点にある。インターネットへの接続環境を提供するISPや、携帯電話会社が、それまでのパッケージメディア産業の売り上げを、根こそぎ奪い取っていったのである。
もう一つは、出版や放送には資本が必要であり、製品化の為の資本がかけられているという事が、知識や情報の品質を保証していたが、この保証方法では、資本がかけられてさえすれば、知識や情報には価値があるという、価値の逆転現象が発生していた。そうしなければ、巨大な資本を運用できない状態であったし、競争相手がいなければそれで問題なかったが、インターネット以後は、記録によって、資本がかけられている事と知識や情報の品質の間には、相関が無い事が判明してしまった。資本を出す側の都合によって、知識や情報の品質が捏造されていたのである。
インターネットの実現は、情報の流通経路の変化だけでなく、出版社という既存資本の信頼性の欠落まで、表面化させてしまったのである。
消費者がパッケージメディアを不要と判断し、支出を削っているのは、そのお金がインターネット接続費に宛てられている事と、既存メディアに対する不信の表出なのである。
電子出版は、既存メディアをインターネットに取り込もうという話であるが、そのスキームは、携帯電話会社やISPによる顧客囲い込む競争の一部でしかない状態にある。コンテンツを取り込むという行為でしかなく、媒体の価値が情報の価値や知識の権威を決めるという発想である限り、権威や影響力を失った旧媒体が、新媒体に、熟柿が落ちるように取り込まれて消滅する手続きでしかない。
「継続的に質の高い情報を発信するのに必要な経済的なバックボーンを、どのように確保するか」という観点ではないという点に、関係者の思惑が出ているのであった。
インターネット以後の情報の格差とは、「理解」レベルとなる。格差の正体は知識量ではなく智慧であり、事実の確認ではなく、それらからどのような結論と対策を出せるかである。
電子書籍ビジネスは、知識量が格差であった時代には、情報を囲い込んだ上で木戸銭を取る詐欺同然の商売が成立したが、それが通用しなくなっているという事を、改めて確認する変化であり、同時に、旧来のメディアに止めを刺す変化となるであろう。
ですが、彼の推進したい「光の道」のプランには同意できません。
では、NTTはそれを了解するでしょうか?簡単ですね、同意するわけがありません。正論がまかり通る世の中ではないことは、ネットの皆さんなら周知のことと思います。
彼がアクセス回線会社を作るというのは、NTTのインフラの先行者利益を捨てろ、と言っているのと同じです。事実彼は「イコールフッティング」をよく使います。
では、公正競争のためにNTTはイコールフッティングになる必要があるでしょうか?ないですね。どれだけ赤字垂れ流してでも全部独占していた方がいいじゃないですか。彼は「我々はメタルから退けというのか」と言ってますが、正にそのとおり。退いてくれればいいんです。ソフトバンクが(できればKDDIも)退いて、肩たたき間近の人にはとっとと出て行ってもらい、浮いたお金でNTTとアクセス回線整備を主に担当している東西の子会社でやればいいのです。ソフトバンクが介入する必要はありません。
これは特に孫正義が主張している「地方ほど赤字だから変えろ」という問題に直結しますが、地方民というのは基本的にいまだムラ社会から抜け切れておらず、「どこの馬の骨とも知れぬモノ」を毛嫌いします(まあ私の世代でもそういう人はいますが)
単純にメタルを光に置き換える場合、NTTとソフトバンク、どちらが信頼できるでしょう?
国のバックボーン、すなわち信頼がある元公社と、大企業とはいえ民間の会社、田舎のおじいちゃんおばあちゃんは、どっちの人の話を信頼するでしょうか。田舎は資本主義じゃありません。社会で動くのです。
これはアクセス回線会社設立にしても同じ。自分の経営が悪いからと言って、はいはいと他人のアドバイスを聞く奴(しかもそれがコンサルでも無い同業、競争相手)が居るでしょうか。こちとら長年かけて壱からやってきたんだ。よそもののひよっこが、偉そうなくちを聞くでねえ、とげんこつ叩き込むに決まってます。
王将のブラックぶりが最近際立ってるけどさ。なんつーかブラック企業ってホントたくさんあるよね。まぁ、俺が勝手にそう思ってるだけかもしれんけど。
俺も中小にもならない零細企業で働いてきて、ブラック企業を経験してきた。しかしここへ来て転職に成功してある程度の企業に偶然にも入れた。縁があったとしか言えない。運だよマジで。
今の会社は不況の中でもじわじわ成長をしている地場の中堅企業。社員数はそこまで多くないが俺にとってはこれまで働いてきた会社の中では大きい企業に入る。これまでは最大でも15人とかそれくらいの会社だったからな。
まだそんなに時間はたってないが、安定している企業とブラック企業の違いがわかってきたのでなんとなく書き留めておく。
安定しているというバックボーンがあるからなんだろうけど、今の会社は仕事もゆったり。基本定時にみんな帰る。残業したとしても1時間程度。上の人間が早く帰ろうというタイプの人なので必然的に残業はほとんどない。
心にゆとりがあるせいか、他の人間に対して怒鳴ったり、注意したりなんてことはまだ見たことがない。誰もが落ち着いていて淡々と仕事している。その影響からか人間関係は、俺が見る限り誰もが良好。
これがブラックなら全く逆だった。常に売上を考えて結果を出さないといけない。まぁ、企業として当然のあり方だけど、そうなるとピリピリして他人を怒鳴り散らしたり、つまらないことで口論になったりといい雰囲気ではなくなる。売上を上げるため夜遅くまで残業して仕事仕事の毎日。心も不健康になりがち。そんな状態だと上の人間も頭おかしくなってくるんだろうな。
俺は今までがブラックだったため、今の会社のこの状態に「こんな会社もあるのか・・?」とただ純粋に驚いている。
でも王将の場合で言うと大きな企業で経営は安定していると思うんだけど、どうなんだろ?飲食だからやっぱキツイのかね?知らんけど。
鋭い指摘だと思う。
違う面から補足したい。
解説をしていた魔裟斗が長島☆自演乙☆雄一郎は、パンチやキックに微妙にフェイントをいれていると言っていた。
しかし、あれは女装癖(服装倒錯者)を持つ男性が作る女性的な所作でしかないのでは?と私は感じられた。
もちろん、意識的に取り入れたものである可能性も否定できない。
しかし、試合終盤のスタミナが切れた状態にあっても基本的にその動きは変わっていなかった。
このことから考えると、ある種”本質的な”女装癖の持ち主なのではと考えられる。
どのあたりまで、本人が自覚的なのかというのは分からない。
ただ、現状について、以下のスキームは十分推測されうる。
物心が付いたときから所作が女性的→格闘技で矯正したい→それでもやっぱり動きが女性的→周りからキモイと言われる→キモイといえばオタク→そう言えばアニメ好きだな→アニオタで売っちゃおう
思いつくまま書いていったらかなり長くなってしまった…
まず指摘の大かった『女子は「ほんと男子って馬鹿よねー」って言いながら実際興味しんしん』の部分についての言い訳。これについては非常に申し訳ない気持ちでいっぱいです。「女性の性に対する抑圧」「処女厨となにが違うの」の指摘は、自分でも書きながら意識していた部分であり、痛いところを突かれたなと感じています。
最後の段落の意図については、自分のいいたかったことは『いっそみんなで開き直りましょうよ』の前までで言い切っているので、あとは極論を言って『落ち』を付けようかな、という感じで書いた文章です。
当初ここでは、指摘されたような「男性はニッチなポルノでオナニー、女性はBLで楽しくオナニー」みたいな文章を書いていました。しかしすぐ「女性の性のはけ口としてBLを扱うべきか」「そもそも女性の性について、軽く冗談めかして極論を言うだけのバックボーンとしての知識があるか」という考えに至り、段落丸ごと全部削るかどうか悩んだ結果『男性』を『男子』、『女性』を『女子』にし、さらに女子の台詞を「ほんと男子って馬鹿よねー」という小学校の学級会を連想させるようなより冗談っぽい表現に変えました。書いた当初は「興味しんしん」で女性の性欲について多少触れたつもりだったんですが、不適切であるという指摘はもっともです。
また、表現を変えた、ではなく、逃げた、のほうがより正確かもしれません。
結果、多くの人に不快な思いをさせてしまったようで、本当に申し訳ないです。女性の性欲について踏み込むのを躊躇したあげく適当にお茶にごそうとして自爆するぐらいならやめときゃよかったかもしれません。最後の段落については、ちょっとどうするか考えます。(削除するか、変更するか)(でも個人的にやっぱなんか適当な落ちは欲しいんですよね。)なお、BLに関しては「女性の性欲のはけぐちとしての部分もあるものの、男性は男性らしく、女性は女性らしくといった性差の抑圧を取っ払ったうえで、恋愛を含む人間同士の関係性を描くための手段としての側面が強い」と考えており、また、女性の性欲に対しての知識は恥ずかしながら「あるのは知ってるけど、どんぐらいのもんなのかは想像することしかできない。訊くのもむずかしい」程度のものです。
「この増田のような人が腐女子を叩いているんだろうと思った 」という指摘について。
BLにはほとんど聞きかじった知識しかないものの、強く興味を抱いており、たたくなんて。そんな。そこは強く「違います」と言いたい。
食わず嫌いしていた少女マンガを「すげーおもしれー!」と目を開かせてくれた『ポーの一族』でした。女性作家の漫画で最高傑作だと思うのは『日出処の天子』。よしながふみは漫画はもちろん対談集も購入しており、羽海野チカは短編読みたさにコミックキューも買いました。そんでハチクロの最終巻みてちょっと後悔。男性の漫画好きとしては典型的すぎるラインナップですが、それでもこれらの名作を生みだしたBLという文化について、たたくことなんて考えられません。あといちおう、最初から最後までエロいだけのBLも読んだ経験が何度かあります。あれ、比喩表現の一部とか男性向けエロ小説と共通してるから、普通に勃起するんですよね。めちゃくちゃびっくりした。すごく面白かった。
ただ「未発達な蕾」っていう表現が出てきたときには、笑っちゃいまいた。「蕾」って、女性器を花弁に例えることが前提として比喩表現だと思っていたので。結構普通にBLであるわけ?菊の蕾?普段は聞きたくても聞けないのですごく気になります。
…とまあこんな感じなので、叩くような思想は持ち合わせていないつもりです。ただ、自分自身誤解している部分もは多くあるだろうし、文章からいやな感じがにおいたってきてるところもきっともあはずなので、もしよければ簡単にでも指摘もあえるとすごくありがたいです。おれ、ふじょしにきらわれたくない。
「秘めることを悪いことだと勘違いしている。日本だけがポルノの国ではない。ポンペイの遺跡や欧米のポルノショップやエグイAV等も観た方が良いと思われ。」という指摘について。秘めることは別に悪いことではないと考えています。いちおう秘めることを悪いというのではなくて、元エントリは「なかったことにしようとするのは無理筋じゃね?」という感じのニュアンスで書いたつもりでいるのですが、誤解を与えるような表現だったなら申し訳ない。本意ではないと弁解させてください。あとポンペイの遺跡についての知識はないですが、欧米のえぐいやつについては、昔某マニアックAV専門店(邦洋問わず)の倉庫整理のバイトをしたことがあるので、いかに世界が広いかということについては認識しているつもりです(遠い目)。
最後に、特殊性癖(性嗜好)うんぬんについて。例に挙がっているような、他人を物理的に強く傷つける性嗜好はもちろん倫理的にアウトだと思います。ただまあ、現実に実行しないかぎりその人の人間性が否定されるわけじゃないし、想像するのは自由だと思うので「たいへんだとは思うけど、うまくおりあいつけてください。吉良吉影がかっこいいのはジョジョの中だけです」って感じでしょうか。なお、倫理判断はケースバイケースで。
「このマンガはスゲぇ!」とは結構聞くが、
「この哲学書はスゲぇ!」とはあんまり聞かない。
東浩紀さんがご専門なんですがね。マンガと哲学を撹乱させるのは。
アンチエイジングがお好みで無いなら、(一概に「悪い」とはとても言えません。私の好きなマンガはフロイト的なバックボーンが異様にしっかりしており、「マンガとは思えない」という具合に、これも撹乱...。と言うか、意地悪なゲームの一つでは有ります。)
「今読んどくべき本(マンガ以外)」ぐらいここで紹介すれば良いだけの話なんだけどね。
でも正直、差別化が難しくなってると思う。マンガとマンガ以外が。
「ゴーマンかましてよかですか?」(←死ぬ程嫌いなマンガの台詞である)
アニメ?もういいよ!という人は読まない方が吉。
知ってるよ。あの衝撃を彼らも感じるのかな?受けるといいね、と答える人もいれば、もうネットで流出しているんだよね。と答える人もいると思う。
それはそれとして、いまさらながら、なぜヱヴァ破が評論家ウケしなかったのだろうか。気がついてみれば、なんてことはない非常に単純な理由だった。評論家は、ショッキングな作品を評価する。それだけ。芸術作品と同じで、(時代的文脈における)事件性が重要。
ただ、今の世間の雰囲気的に、もうショッキングなのはいいよ!という気がしている。
世間の流れが早すぎて、逆に、落ち着ける場所が求められているというか。火を囲んでお年寄りの昔話を聞いているような感覚。どこかで聞いた事があるのにライブ感を感じる語り口。物語本来の機能。
私は私。あなたはあなた。と、興味や属性でどんどん細分化され、砂粒の様にバラバラになってく個。進めば進むほど視界が悪くなる、どこへ向かうか分からない世の中。信じられるものは何もない。自分さえ矮小。
その点、増田やニュー速はテーマが決まっていないから、はぐれた個人、バックボーンを持たない人達、信仰を持たない人々が集まれる心安らげる場所かも。
個人的には、ヱヴァ破のテーマは、テクノロジーと老人達に殺されないためにどう稼いでいくか、の方法論だったと思う。
サービスはコピーできない、最後のコンテンツは人間、とは言うけれども、人間、やはり、生まれた時代に捕らわれるし、侍当人としては鉄砲を持った民兵に刀で立ち向かっていくしか選択肢はないのではないか。
ただし、出来るだけの事をやるために、用意は周到に、作戦は綿密に。
必死であがくほか選択肢が見えない。
殺されると分かっていても全力でダンスするしかない。
では、出来るだけ楽しく踊ろう。多分、それが後悔しない生き方。
あ、どもども元増田です。増田で自分語りをするのは難しくて、自分がブログやネットラジオ等で物を言うときと違って「読んでもらう側」に自分という情報が当然一切何もない状態で、でもある程度、その話にとって必要なバックボーンは説明した方はいいんだろうけど⇔そうすると文章が冗長になる。その辺のバランスでいつも悩みます。
ということでここにはいわゆる蛇足の足の部分を、一応。
・両親は離別です。自分が小学校から中学校に上がる時に離婚しました。ただその理由がちょっと厄介で、父親が内緒で借金を作って(ただこれも元は父親の故郷の親友とやらが蒸発したせいでウチに飛んできた借金なんですけど)、その名義を仕事上厄介になるから自分にしたくないからって妻(オカンですね)の名義で新しく金を借りて元の借金を返した。それを誰にも相談せず、結局新しい方の借金が膨れ上がって焦げ付いてから家族ないしは親類にバレた。怒った母親は離婚した。その時に親類は飛び火を恐れて、みんなウチと縁を切った。といういきさつがあります。なので親類からの援助というのはほぼ受けていません。家とかも借金のカタで全部飛んで行ったので、財産はゼロで普通にマンションをその時に新しく借りてのスタートでした。いわゆるホームはギリギリある中学生状態ですね。
・ただ、母親の仕事は(これもややこしいんだけど)そんないきさつを知った父親の仕事の繋がりの人から、できるだけ良い待遇での斡旋があったはずなので何一つ援助やコネ的なものがなかったというとウソになると思います。
・あとは給料の他に教育ローンとか奨学金とかをフル活用して(おかげで今メッチャ返してます;)、あと生命保険とかを積み立てては崩して、のアクロバット財政でどうにか切り抜けていたようです。あと俺が中一の頃から新聞配っててその給料も小遣い分だけ差っ引いてほぼ家計に回ってたし。「ウチは金がない」はよく言ってました。ブコメで言われているような「貧乏の苦労を見せなかったのが素晴らしい」という事は。。。ありません。w
でも言う割に貧乏で苦労した記憶がないのも確かなんですよ。別にご飯に醤油かけて生き延びてたわけでもないし。みんなの前で貧乏で恥かいた経験もさほどないし。まあ車もないし外食とかレジャーや旅行の記憶もないけど、別にそれは無いと死ぬものでもないしっていう。そこの絶妙さはあったと思います。削れるものは徹底的にそぎ落としてたような。で、そこの部分を今頃俺が大人になって、ときどき何かの機会に味わって「これ贅沢だなー」って思ってるような。
っと、この辺の情報もさりげに盛り込めれば、前のエントリももうちょっとディテールあるものになってたんだろうけど、やっぱり自分でいちいちこの辺を書いてると、どんどん不幸自慢乙の方向にしか行かないような気がして。
で、どんどん要らないと思った情報を切り落としていったのがアレだったりします。でもそれでずいぶん誤解もされてるみたいだけど、まあそれは仕方がない!だってここ増田だし!みたいな方向で、ひとつ。