はてなキーワード: 傷つける性とは
これみんな分かってないよね。
罪を犯す者は例外なく傷つけられ、自分を傷つける社会を信頼できなくなる。
社会なんてどうでもいいと思えば、社会に害悪をばら撒いてもいいって思うわな。
だから、社会が罪人やその予備軍を一方的に傷つけるだけでは、そいつらに社会を信頼するなと言ってるようなもの。
犯罪を誘発してるだけ。
社会から制裁を受けて反省の言葉を述べてる奴らも、反省してる「フリ」してるだけだよ。
私もフェミ臭さがある方だし増田と同世代だけど、この内容は増田の「性」に対する志向が出すぎていると感じる。大原則については私個人は同意できるし、その後もある程度は同意できる面もあるが、全然同意できないところもある。
そもそも性(ジェンダー)に対する認識は、それこそ性自認やLGBT etc.というタームも含め、個別性がきわめて強い。
「性をこういう風に捉え、このような原則に基づいて取り扱うのがよろしいのです」などと受け取られかねない「方法」に向かいやすいのはダメだと思う。性(ジェンダー)の取扱いについての原則を立てるということは、やってはダメなことだと思うのだ。「アタクシが考える良きセックスを、ワークショップでさぁ教えてあげるわよ」という上から目線な雰囲気を感じてしまう。発信側がそういうつもりはなくとも、そう受け取られる可能性がある。発信者と受信者で性志向が異なっている場合、かつ発信者がマジョリティ寄りの場合、その発信はより強く悪意をもって糾弾されると思う。それはとっても危険なことだと感じる。
更に、肉体の成長スピードも個体差がある。もっと見えにくいジェンダーへの意識も性癖も性欲の成長スピードも、その人が持つ性欲の絶対量も人によって違うのに。
セックスファンタジーのくだりあたりは特に、気持ちは分からないでもないが、正直、全然ダメだろう。
性行為を理解していない可能性が高い子供に「セックスファンタジー」と現実の線引きを理解させるのは簡単ではない。それ以前に、子供だろうが大人だろうが、性(というか他者)に関するファンタジーと現実との線引きの位置はその人によって、そして他者(相手)によって、更には二者間(または一人(オナニーのケース)あるいはそれ以上(スワッピングのケース)もありうる)の相性や関係性によって、すべて異なる。
極端な例だが、痛めつけられることを求める人と痛めつけずにはいられない人が双方合意していたら、一般的なレンジからは外れてはいるかもしれないが、双方合意のもとに行われる素晴らしいセックスだとも言える。一方が抱いているセックスファンタジーにあまり気が進まないけまぁ良いかと他方が乗ってみたらハマったというケースだってある。増田から見たら精神的な疾患や犯罪的な問題をうかがわせるような愚かな行動に見えたとしても、それがその時点でのその人の最善の選択であるケースもある、それが人間の欲望やセックスの恐ろしく、難しく、そしてとても面白いところだ。
私が、元記事のブコメを見てて確かにそうだなと思ったのは、「男はそもそも自分の性について教えてもらえず放置される」という視点だった。男性の性器が外形的に明示されやすいことと、乱暴に大っぴらにしても元気がよくて宜しいと言われやすいジェンダーを背負っていることなどもあって、結果的に男子は「自分の中に眠っているかもしれない性への感情(繊細だったり乱暴だったり内向的だったり)」を発見できていない可能性があるのでは、ということだ。そしてこれはもちろん女子にとっても同じだ。
そもそも自分と向き合うことができてない人が、どうも多いみたいなのだ。
自分が持っている肉体と向き合うこと、自分の性自認と向き合うこと。自分の体や自分の性への感情をどうやって尊重するか、同じように他人をどのように尊重するか、そういうプロセスを踏んでいく必要があるんだろうと思う。
「こういうセックスは危険なセックス」「こういうセックスは犯罪」ということを理解するためには、社会的な合意形成を理解できなくてはいけないが、この社会的合意に従えない人はいるだろう。少数派の性志向を持っているほどしんどいと思う。もちろん法律では決まってて法律違反はしちゃいかん訳だが、法律を守れない人は必ず存在するしそういう人も、法律違反した後でも生きていかなきゃいけないわけですよ、性欲の飼い慣らしかたも教えてもらえないままに。本当に簡単ではないし、簡単ではない性向の人ほど、問題や性犯罪に近くなる。それをハナから排除する可能性がある性教育の意味はゼロだろう。
教条的なのはダメだと思う。すべからく具体的で、参加する人が主体的であれるように。カリキュラム以前ではあるが…
生理と出産にまつわること、性病や望まない妊娠についての知識など、生物的な肉体としての性(sex)への理解。
ワークショップ・・・主に社会的性(gender)について、および「sex×gender」について。「人によって違う」ことを理解し尊重しあえるか
WSのシナリオは年齢とか開催主体によって考えなきゃいけない、全く持って適当だが。
LGBTやニッチな性癖や、性関係なくそもそも自尊心の欠如した子や、もちろん一般レンジに収まってるマジョリティも含めて、それぞれ全員が自分の自尊心パーセンテージを高められるようにカリキュラム設計できたら100点なんだけどね…。まぁ大変簡単なことじゃない。相手を傷つける性行為や犯罪は、根本的なところでは多分、加害者自身に自尊心が満たされていないから犯すんだろうと思うのだ。
男友達が居た。
仲良かった、一緒に帰ったりご飯行ったり電話したり。性別は違ったけど趣味が一緒だった事もあって話は尽きなかったし、男友達は多い方では無いけど特段に仲が良かった。周りから誤解される事も少なく無かったけど、その都度お互いに誤解を解いて笑ってた。
彼は結構クズだな…と思うところはあったけど、下手な女友達より気が楽で私はこの関係を気に入っていた。
昨日も一緒に帰った帰り道、彼から「怒らない?」と言われながらLINEを見せられた。彼の1番仲のいい友達とのLINEだった。
まー、簡単に言うと私に頼めば乳くらい揉ませてくれるんじゃね?的な会話で、まじで最悪だと思った。
正直そのLINEを見なければ私は何も知らず傷つかなかったわけだし、冗談として彼にとっても取るに足りない雑談の1つだとして終わっていただろう。それを、私に見せた。
正直意味が分からないし、意図するところも、私が取るべきリアクションもどんな反応を期待してるのかも分かんない。
最悪だと思ったから最悪だと言った。なんか、血の通った人間として扱われて無いような気がして悲しくなった。
携帯壊していい?ほんと死んで…みたいな感じ、本気とも冗談とも取れるような怒り方をしてその日は帰った。
まず私が疑問に思ったのはその会話を見て私が傷つかないと思ったのか、だ。
仲いい異性の友達が出来たとして、相手をそういう目線で見る事は男性にとって失礼だ、控えるべき、まして女性に知られるべきでないという感覚は無いのか。
正直、性欲に対して私は怒りは感じてないしむしろあって当然だと思う。どんなエロサイトを見ようが彼女(居たとして)とどんなセックスをしようが、何回シコろうがどこを開発しようが知ったことではないし、男性同士でその話題で盛り上がるのは大いに結構。
上記の事については誰も傷つかないから。
性欲が駄目なのではなくて、人を傷つける性欲の発散の仕方が駄目なだけであって、乳が揉みたいならお金を払うか彼女を探すかすればいい。
よって、フェミニズムを標榜する人達全般に対して、という話ではない。
いや、一部のフェミニズム風味な方達に言わせれば弱者男性(笑)であろうか。
男性として生まれた自分自身に自信が無く、自分が男性であることを突きつけられた経験に数多いトラウマを持っている。
常に汚いものとして扱われたこと、普段、「あなたを男なんて思っていない」と言いながら、
ある場面では突然「男なのに何で出来ないのか」と執拗に責められたこと、たくさんあった。
たくさんあったが故に、私はフェミニズムにシンパシーを感じた。
生まれ持った性別で私の中身の性質がどうして決められてしまうのか、そんな思いに応えてくれる部分があるように思えた。
知るほどに、フェミニズムは女性による女性のためのもので、自分に適用できるものでは無いことを思い知らされた。
彼女達の言葉は同じように苦しむ女性を、すぐに助けなくてはいけないものだった。
私のようにうっかり受け取ってしまった男性のことなど、考慮に入れたものでないのは当然だった。
彼女達は今苦しむ人たちのために「悪いのは男性社会です」と言う必要があった。
おそらく正しい。彼女達は正しい事を言っているし、やっている。
世の中がマシになるためには、意見を届けられない立場に追いやられている人々の声を拡張して、知らしめる必要がある。
それが誤った常識を変えていくことだ。
でも、私は男性なので彼女達の言葉をもう直視できない、と思ってしまった。
私の観測範囲のフェミニズム的な人々は過激な言葉で言えば、「男性性は傷つける性である」という原則を持って主張する。
男性は傷つける立場にいる優位な多数派であることを弁えろ、と。
現状を変えていくための政治的に正しい言葉であることを理解しつつも、それは私にとって「あなたは男性です」という事実を突きつけ続ける言葉だ。
男性であれ、という社会的要請を拒否したい自分に、男性である事実を受け止めろ、と私の中身を私の性別で決定してくるような。
おそらく、言っている人たちに、そこまでの意図は無いかもしれない。
(フェミニズムに対してやたら攻撃的な連中も、その辺りを刺激されているからではないかと、
Twitterやら見てるとたまに思うのだが、、まあ、これは自分の経験則からの邪推である)
このような話にしても、取るに足らない多数派内の少数派の戯言であり、安全圏から苦しいとか甘える被害者的妄想、
男性で男性優位社会の恩恵を受けてきたくせに何が弱者であるのか、と言われるであろう。
それに対して私は、そうでしょうね、と言うしかない。
彼女達は男性優位社会を批判する必要があるので、私の性別が重要なのだ。
私は私がどう考え、どう思い、どう自由になりたいかに関わらず男性性を保持してしまっている。
そうやって性別を突きつけられたら、そうでしょうね、以外に言える言葉は無い。
そして、彼女達の言葉を見るたびに私が想起するのは、性別が存在することへの怨嗟であり、
だから、正しくない私があなたたちの言葉を直視をするのは無理なのです。
申し訳ない。
※追記
被害妄想的になるほど余裕が無いので、直視できませんという話です。
まともに知らない、のは直視できていないのですから、良く知っている方達からすれば
そうなのでしょう、と言う以外にありません。
(文中において、あるいは私が言葉を受け止める時に、ジェンダーとセックスの切り分けもできていないのが分かる拙い文章だと思います)
男性学についても以前、調べましたが、私が私を肯定できるようになるヒントを得られるほどの文献は、まだ無いように感じました。
私の被害妄想的な思考と変換を止めてくれるだけの説得力は、その分野にはまだありませんでした。
これは私個人の経験に寄り添う考え方を私が見つけられていないのが問題であって、現状の問題を訴える人々の声をかき消すための根拠にはなり得ません。
(そのように使いたがる人もいるかもしれませんが、、)
思いつくまま書いていったらかなり長くなってしまった…
まず指摘の大かった『女子は「ほんと男子って馬鹿よねー」って言いながら実際興味しんしん』の部分についての言い訳。これについては非常に申し訳ない気持ちでいっぱいです。「女性の性に対する抑圧」「処女厨となにが違うの」の指摘は、自分でも書きながら意識していた部分であり、痛いところを突かれたなと感じています。
最後の段落の意図については、自分のいいたかったことは『いっそみんなで開き直りましょうよ』の前までで言い切っているので、あとは極論を言って『落ち』を付けようかな、という感じで書いた文章です。
当初ここでは、指摘されたような「男性はニッチなポルノでオナニー、女性はBLで楽しくオナニー」みたいな文章を書いていました。しかしすぐ「女性の性のはけ口としてBLを扱うべきか」「そもそも女性の性について、軽く冗談めかして極論を言うだけのバックボーンとしての知識があるか」という考えに至り、段落丸ごと全部削るかどうか悩んだ結果『男性』を『男子』、『女性』を『女子』にし、さらに女子の台詞を「ほんと男子って馬鹿よねー」という小学校の学級会を連想させるようなより冗談っぽい表現に変えました。書いた当初は「興味しんしん」で女性の性欲について多少触れたつもりだったんですが、不適切であるという指摘はもっともです。
また、表現を変えた、ではなく、逃げた、のほうがより正確かもしれません。
結果、多くの人に不快な思いをさせてしまったようで、本当に申し訳ないです。女性の性欲について踏み込むのを躊躇したあげく適当にお茶にごそうとして自爆するぐらいならやめときゃよかったかもしれません。最後の段落については、ちょっとどうするか考えます。(削除するか、変更するか)(でも個人的にやっぱなんか適当な落ちは欲しいんですよね。)なお、BLに関しては「女性の性欲のはけぐちとしての部分もあるものの、男性は男性らしく、女性は女性らしくといった性差の抑圧を取っ払ったうえで、恋愛を含む人間同士の関係性を描くための手段としての側面が強い」と考えており、また、女性の性欲に対しての知識は恥ずかしながら「あるのは知ってるけど、どんぐらいのもんなのかは想像することしかできない。訊くのもむずかしい」程度のものです。
「この増田のような人が腐女子を叩いているんだろうと思った 」という指摘について。
BLにはほとんど聞きかじった知識しかないものの、強く興味を抱いており、たたくなんて。そんな。そこは強く「違います」と言いたい。
食わず嫌いしていた少女マンガを「すげーおもしれー!」と目を開かせてくれた『ポーの一族』でした。女性作家の漫画で最高傑作だと思うのは『日出処の天子』。よしながふみは漫画はもちろん対談集も購入しており、羽海野チカは短編読みたさにコミックキューも買いました。そんでハチクロの最終巻みてちょっと後悔。男性の漫画好きとしては典型的すぎるラインナップですが、それでもこれらの名作を生みだしたBLという文化について、たたくことなんて考えられません。あといちおう、最初から最後までエロいだけのBLも読んだ経験が何度かあります。あれ、比喩表現の一部とか男性向けエロ小説と共通してるから、普通に勃起するんですよね。めちゃくちゃびっくりした。すごく面白かった。
ただ「未発達な蕾」っていう表現が出てきたときには、笑っちゃいまいた。「蕾」って、女性器を花弁に例えることが前提として比喩表現だと思っていたので。結構普通にBLであるわけ?菊の蕾?普段は聞きたくても聞けないのですごく気になります。
…とまあこんな感じなので、叩くような思想は持ち合わせていないつもりです。ただ、自分自身誤解している部分もは多くあるだろうし、文章からいやな感じがにおいたってきてるところもきっともあはずなので、もしよければ簡単にでも指摘もあえるとすごくありがたいです。おれ、ふじょしにきらわれたくない。
「秘めることを悪いことだと勘違いしている。日本だけがポルノの国ではない。ポンペイの遺跡や欧米のポルノショップやエグイAV等も観た方が良いと思われ。」という指摘について。秘めることは別に悪いことではないと考えています。いちおう秘めることを悪いというのではなくて、元エントリは「なかったことにしようとするのは無理筋じゃね?」という感じのニュアンスで書いたつもりでいるのですが、誤解を与えるような表現だったなら申し訳ない。本意ではないと弁解させてください。あとポンペイの遺跡についての知識はないですが、欧米のえぐいやつについては、昔某マニアックAV専門店(邦洋問わず)の倉庫整理のバイトをしたことがあるので、いかに世界が広いかということについては認識しているつもりです(遠い目)。
最後に、特殊性癖(性嗜好)うんぬんについて。例に挙がっているような、他人を物理的に強く傷つける性嗜好はもちろん倫理的にアウトだと思います。ただまあ、現実に実行しないかぎりその人の人間性が否定されるわけじゃないし、想像するのは自由だと思うので「たいへんだとは思うけど、うまくおりあいつけてください。吉良吉影がかっこいいのはジョジョの中だけです」って感じでしょうか。なお、倫理判断はケースバイケースで。
これは「私女だけど」ならぬ「俺男だけど」メソッドですな。
どうも、「痴漢冤罪め!!!」って思いの発生というのが、「女叩き」「ミソジニー」辺りから始まっているようで、俺としてはそれが非常に気がかりなんだよな。
ほらでた、なんちゃってフェミニズム。万物はミソジニーなりですか。こりゃまた宗教ですな。
真面目な話、男の頭の中にあるのは攻撃じゃなくて恐怖ですよ。自分が「好感度の高いさわやか男」よりは「暑苦しいオヤジ」「キモいオタク」の方に近いと思う男は、「キモい」と言われた過去の悪夢と痴漢冤罪の話が直結して実存的な恐怖を覚えるわけですな。
ま、過剰反応といえばそれまでですが、おなご様の痴漢恐怖、セクハラ恐怖、レイプ恐怖も男視線から見れば度が過ぎているとも言えるわけで。以前増田に「痴漢する男と痴漢しない男はどちらが多いのか」なんて真面目に書いてたおなご様がいらっしゃいましたが、「男は傷つける性」なんてお題目が広まっている世の中、男は加害者扱いされることを恐れるのは非常に自然と言えましょう。