はてなキーワード: 頭が悪いとは
俺はもうヤバイと思う。
カルト宗教の洗脳を解く方法について勉強したことがあるなら「その言い方をすることによるメリットはない」と分かるでしょ。
完全に終わってる。
頭が悪い人たちがプンスカプンスカしてるだけのバカなインターネットになってきた。
この状況を改善する手段としてヤフー熊方式が導入されたのも仕方ない。
あまりにも下品なブコメが増えすぎた今のはてなで人気ブコメから単なる暴言が削除されるのは当然の流れ。
10年遅かったと言ってもいい。
はてなーは口では「過激な暴言でスカッと爽やかいいねじゃぶじゃぶなツイッターはゴミ。棘はゴミの集合体」というくせに自分たちは同じことを平気でやるクズの集まり。
この状況を改善しないでいると住民は少しずつ雑な思想をするのが癖になり、最後にはカルトにまるごと乗っ取られる。
反ワクチンやコロナ陰謀論を「プゲラッチョ頭ゴミすぎ。これだから自民党支持者は。ウンコ製造機はウンコと一緒に東京湾に沈んでろ」みたいなに言って煽るだけの集団は、自分たちがそうなるかも知れない未来を想像できない。
カルトの巣窟になる前に熊の巣窟になる道を選んだのは正解だった。
間違いなく、まだマシな未来へと進路を変更しつつある。
自分が言ったことを親が覚えていないのだ。適当に聞き流して相槌だけ打っていたのならまだしも、しっかりと会話として成立し「じゃあお母さんがやっておくね」と言ったことが為されていない。行動を起こしていないことではなく、「やる」と言ったことを覚えていない、ましてや「そんな約束した覚えはない、自分に都合のいい嘘をついてるんでしょ」と責任転嫁してくるそのことがとにかく腹立たしかった。私たちは確かに2001年1月16日にその話をしたというのに!!!(約束の内容は実に子供らしい取り留めのない話なので割愛する)
あまりいい親ではなかったのでそういうものなのだろうかとも思うが、家庭から出ても「自分が何度も言ったことを相手は覚えていない」という事態に遭遇する。流石に幼少期よりは歳を重ねていたので地団駄踏んで怒ることこそなかったが、「この話5回したよ」「もう4回聞いた」「2回も言わないでもわかる」というような台詞は何度吐いたかわからない。その言葉を投げかけられた友人たちが不快になっていたであろうことは大人になってから理解し、反省した。
中学以降は自分が小動物的容姿なのも相俟って、わざと抜けたことを言ってはいじられ、ペットのように可愛がられるというそこそこの立場で過ごしていた。
どうせ理解してもらえないのなら、自分から話題を振るよりも他人の話にカービィみたいに相槌を打っていればいいのだ。「ほょ〜?」とか言えるのは若さゆえの特権。
だから大学で一番楽しかったことは、「バカのふりをしないでいい」ということだったな、と最近思い出す。
大学でできた友達はみんな外山滋比古もクィア理論も御館の乱も当然の教養として知っていた。全員が全員その道のオタクや研究者ほどの知識があるわけではないけれど、受験勉強で触る程度の知識は当然みんな持っていた。喋る前にいちいち前知識の説明をしないで済むということがこんなに楽だなんて知らなかった。
専攻は本当に楽しかったし、充実した4年間だった。
当時バイトは知り合いの紹介で事務をやっていたけれど、その知り合いを含めほとんどの人が高卒で、大学に進学した同世代よりも先に社会に出ていることを誇りに思っているような人たちばかりだった。
実際、自分が大学でのんべんだらりと『西瓜糖の日々』なんか読んでる間にも実務経験を積んで自力でお金を稼いでいた人たちのことをすごいと思う。
初めて任された業務について先輩に質問をしていたら、「大学行ってまで何学んでんだかw」と笑われたことがある。
「少なくともこの会社の顧客リストのコピーの方法ではないですし、他人にそういうことを言わないような教養ですかね」と口に出すのはなんとか堪えた。
自分には確かに中卒・高卒の人たちが築いてきたキャリアも考えもわからないけれど、彼らも大学生・大卒の人間の学んでいることを知らないのに何故こうも馬鹿にして下に見るのだろうか。
「大学に行ける」という選択肢を持てた立場の傲慢なのかな、とは思いつつ、それでもやっぱり自分が愛した学問を理解もせず見下していた彼らのことは苦手だ。
ちなみに上司にセクハラとパワハラとモラハラをされたので勤務時間内に「今からバイト辞めます」と宣言して辞めた。時給はちゃんとその時間までで出ていた。
『勉強できる子卑屈化社会』という本があるそうで、まだ機会がなくて読めてはいないのだけれど、タイトルや書評だけで深く頷いてしまった。
自分が同年代の平均より知能指数が高いであろうことは自覚しているけれど、それがあたかも嫌味なことであるかのように扱われ、出身大学を尋ねられたら「あ、一応○大です」と「一応」をつけなければいけない気がする。
スポーツ得意とか、料理が上手とか、そういうノリで言っちゃダメなの?「僕は頭がいいです」って。
あと一つ言っておくけど、「本当に頭の良い人なら頭が悪い人にもわかりやすい話ができる」っていう論調やめてくれねーか。
あれわざわざお前のレベルに合わせて話の知能指数下げてるから情報取りこぼしてるんだよ。
そもそもその「本当に頭の良い人」とやらに一方的に負担を強いて喜んでるのマジで何なの?お前もちゃんと原文で理解する努力をしてくれ
ルックバック感動したけどTLの雰囲気があんなものに安易に感動するやつは俗物、
頭が悪いがそれに気づけないハッピーなやつという雰囲気になっており、
単に感動したってだけじゃなく批判できる人は偉い!取り敢えず一言何か批判しなきゃ!って雰囲気になってて辛いわ〜。
公開直後に感動した〜って呟いちゃったので肩身が狭いよ〜、みんな意識高いな〜。
大学進学率50%を超えてるこのご時世に高卒なのはめっちゃコスパ悪い(一部の優秀な人を除いて)
というか、高卒に比べて大卒のコスパよすぎ。タイトルこっちにした方がよかったかも()
この記事は公務員試験とセンター試験の両方を受験した、ガチガチ文系の24歳高卒税務職員が書いてます。そのことを踏まえて読み進めてください。途中自分語りや愚痴がでてきます。
早速ですが、大卒に比べて高卒のコスパが悪いと思った理由をざっくり箇条書きでまとめて、それについての解説と自分の考えや疑問を書いていきます。
それでは1から
大学進学率が50%以上のこのご時世に高卒だと、かなりの確率で頭が悪いと思われます。これ住んでる世界や関わる人のレベルによりますが、自分の周りは結構思ってる人多いです。
おそらくは、進学率が50%以上なのに高卒なのは、その中に入れなかった人、というレッテルを貼られるのかなと。
学ぶことに意欲的な人は基本的に大学進学→つまり進学してない人は勉強嫌いor勉強できない人
みたいな感じ。
とか
って面と向かって言われました。
なんでって…このご時世に高卒は頭悪いだろ
って返答だったので、このご時世ってどういうことだ???と色々調べると、どうやら大学進学率50%以上指しているのだとわかりました。
ネットでもこのご時世に高卒なのは…といった意見を目にすることがあるので間違いないとおもいます。
これが最初に書いてある大学進学率が50%以上の〜と思った理由です。
ただ、個人的な意見を言うと、私立大学の偏差値45ってかなり頭がわるい人達が集まらないと出ない数値だとおもうんですよね。
なぜそう思うかと言うと、自分は勉強が苦手で頭が悪く、大学には行かずに高卒で就職しよう。出来れば公務員がいいなー、って高校生の時考えてました。
そんな人間でも、学校で強制受験させられる模試で高3夏以降の3教科偏差値は55〜60、センター試験は3教科75%でセンター利用で近畿大学法学部に合格できました(近畿大学法学部は偏差値55)
だから自分が受かった大学より偏差値が下の大学行く人ってめちゃくちゃ頭がわるいか勉強サボった人がいくイメージなんですよね。家庭の事情で仕方なくとかを除いて。
つまりそのレベルの大学って言わば高卒以下、下手すると未満の学力の人達が集まってる可能性が十分にあると。
でも高卒で就職をすると、そんな自分よりも学力がない努力しなかった人達にレッテルを貼られて見下されるなんて事が起こります。これっておかしくね???
皆さんもそう思わないですか?
あなたよりも偏差値が上の大学に合格した人に頭が悪いといわれたとします。悔しかったり嫌な思いをするかもしれません。
でもその人は自分よりも偏差値が上なので自分よりも頭が良かったか、もしくは努力してその結果を手に入れたわけですよね。
だから見下して良いと言うわけではありませんが、自分よりも優れた結果の人が見下してるといった状況です。
逆の場合だとどうですか?
自分よりも偏差値が下の大学に合格した人が、偏差値が上の大学に合格した自分にむかって頭が悪いと言ってきました。
おそらく自分よりも頭が悪かったか努力をしてこなかった人に見下されてる状況です。
いやいや、どの口が言うてんの?ってなりませんか?笑
かなーり話が脱線しましたすみません。今回は1例のみですが、どうやら世間には
みたいな風に考えてる人多いなーと感じる体験をすることが度々あります。
そういう考え方になる人ってどんな経歴なのか自分はめっちゃ気になるんですよね。
皆さんは気になりませんか?
東大京大などの旧帝大や早慶の人が言ってるかもしれないし、地方国立marchの人かもしれませんよね。
なんなら日東駒専の人かもしれないし、Fランかもしくは高卒の自虐ネタの可能性だってありえます笑
受験した人なら分かると思いますがこの人達って、難易度や卒業したら享受できるメリットとか違いますよね。
旧帝大や早慶に進学できるなら、高卒で就職するよりも進学した方がメリット大きいと考える人が9割だと思います。
日東駒専だとどうなんだろう…自分の場合は大学に求めているものと家庭の事情で高卒就職を選びま
したが、進学8〜9割だとおもいます。
皆さんに聞きたいんですがこれって不思議だと思いませんか?
国立私立はあれど、全部「大学」という同じ括りなんですよね。東大もFランも大学なんですよ。
大学、大卒という言葉は日本だと上は東大、下はFランと凄ーく含みをもった言葉になるわけですね。
大卒という言葉を使えば、東大卒もFラン卒も同じ扱いなんて自分はおかしいというか違和感感じるんですよね。
例えば、堀江貴文さんとか東大中退だったはずで、彼は高卒の扱いになるはずです。同じ高卒という括りになるんですね。
でも高卒という言葉は基本的にそんな堀江さんみたいな極端な例を指すのではなく、自分のような底辺を指す言葉だとおもいます。
大卒という言葉は基本的にどの程度のレベルを指して言っているのか、ということですね。
確かに傾向としては間違いないと思います。平均なら絶対に大卒>高卒です。
で、この大卒というのはどのレベルの大学を指して言ってるんですか?って話なんですよね。
それをわかってないと、親が身を粉にして働いて貯めたお金で大学にいって遊び呆けて、無条件で高卒よりもいい人生がおくれると勘違いする馬鹿が出来上がります。
1年前に、Fランで遊びすぎて就職できなかったから国立の大学院に通っている、高校の同級生とたまたま再会しました。
なんでお前は高卒で働こうと思ったの?人生損してると思うな〜。親の金でタダで大学いって遊ぶのめっちゃ楽しいのに!
と、言いました。
この時高卒という肩書きはほんとーーーにゴミでコスパが悪いなと心底思いました。
なぜか?
こんなふざけた発言を、申し訳なさも悪びれもなく平気でできる人間性の終わったクズにすら見下されるのが高卒という肩書きだからです。
勉強のできない高卒とかたや真面目で勉学に励んでいる国立大学院生
こんな感じでしょうね(諦め)
圧倒的不遇、圧倒的理不尽
奨学金は借金だから借りるな。(そもそも世帯年収の上限超えてて借りれない)
生活費は家賃込で月8万欲しいので4年で約400万。そこに利子がつくわけで、大学卒業後に1000万近い借金が確定。
そんなリスク取るなら高卒で公務員なろ!なんて安易な考えだった自分への罰ですか?
このご時世、大学くらい出ておかないとね。
自分の周りではよく聞く言葉です。こう思ってる親御さん多いと思います。
大学進学率が50%を超えてるこのご時世、大学くらい出ておかないといい人生を送れない、といったニュアンスでしょうか。
この意見、半分正解で半分間違いだとおもうんですよね。個人的には
大学くらい出ておかないとね、ではなく
ではないのかなと思います。
この行く価値というのは、正直わかりませんwその人の求めてるものによると思うので。例えば
学歴を求めて
学歴求めるなら東大や医学部であったり、就職なら早慶やmarchの人もいるかもしれません。
4年間のモラトリアムと人の出会いを求めるなら都会のFランでもいいですよね笑
学問を修めに行くなら本人のやる気があるなら地方のFランでもいいですよね。
自分の場合、大学は就職予備校で大手企業に就職できないなら行く意味がないとおもっていました。
大手に就職が現実的になるのはmarchから上のクラスかなーとおもってます。
いやいや、大卒なら高卒と違って応募資格があるからどの大学でも大手に採用されるチャンスはある!って反論もあるかもしれません。
そんな人に聞きたいのですが、
と聞いてどう思いますか?確かにそうだな!高卒も立派!なんて思いますか?
何を一部の極端な例を持ち出してるんだ
こう思う人が多いと思います。
大卒なら大手企業にも応募できるから採用されるチャンスがある!
確かにそうかもしれません。でもそれってごく一部の人ですよね。
仮に1000人いて1人がたまたま大手に採用されたとして、それを大卒ならチャンスがある!のはどうなのかなと。高卒で堀江貴文みたいな有名人になれる確率よりは高いと思いますけどね笑
自分はその1割に入れる自信がなかったのもあり高卒で税務職員になりました。
世間では4年間頑張って働いた高卒よりも遊び呆けたFラン大卒の方が社会地位は上。
だれも中身なんて気にしてない。肩書きなど上辺ばかりを気にしてる。
親のスネかじりした無能と、親孝行した無能、世間はスネかじりの方を評価するので積極的にスネをかじりつくそう!
まとめようと思ったけど文章力的に無理だった。やっぱ高卒はゴミ
2.3はまた今度書きます。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mmkanimm.hatenablog.com/entry/2021/07/19/235630
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210719195613
端的に言って頭が悪いよね
私について、はじめに書かなければならないといけことは統合失調症の当事者であること。
はじめてのアノニマスダイアリーであるし、ワードサラダで読みにくかったらごめんなさい。
ルックバックについては、何回も読み返していないけれども藤野さんの悲しさに共感できる話であったと思いました。
それ以上のことは、頭が悪いのであまりうまく感想は書けません。
この作品を読んだときに加害者が出てきましたが、京都アニメーションの事件を想起させたのと統合失調症の特徴だなと思いました。
加害者の描画と作品についてそれ以上の印象はあまりありませんでした。
なぜかというと、私のひねくれた性格によりなぜ絶賛されるのかというのをずっと考えていたからでした。
ところが、この作品のコメントに統合失調症という言葉を用いた酷いものがあり憤りを感じました。
私は気質には易怒性がありますが、落ち着いて、簡単に統合失調症という言葉を使うのは悲しいとコメントしました。
昨日はそれ以上のことは、この作品について考えていませんでした。
今日の朝に、ブログ名蟹の話さんが話題になっていました。内容は当事者としての憤りを感じる文章でした。
私としても共感はできる内容だと思います。コメント欄を見てみようと思って見るとやはり酷いと思えるようなコメントがいくつかありました。
私は、はてぶコメントにもう一度悲しいと書きたいと思いましたが、こうしてこのアノニマスダイアリーに書くことにしました・
ここから話が変わりますが、最近、特に怖く感じることがあります。それはネット上で沢山みられる攻撃性です。
最近はインターネットテレビを見ますが、そのコメント欄は酷く攻撃的です。
その他にも、ここ数日著しく攻撃性が強くなっていると思います。
それが特に怖いです。
今では私の気質に若干の問題があるのかもしれないと感じていますが、
統合失調症発症後に、その症状を知っているひとからキ〇ガイやら頭がおかしいと言われることもありました。
その後もうまくいっているその人物に、正直呪いたいと思うことはごくまれにあります。
だがほとんどそのようなことを考えることはありません。とくに有名な人物ではありませんし。
また、少しだけ話が変わります。
数年前に隣に住む男性が刃物をもって街にでたことがあり事件になりました。
その男性の通勤する姿を見る方はいなく街で見かけることはなく、ずっと家にいた人物だったようです。
なにかを起こしてしまいそうだということに今恐怖を感じています。
社会との断絶がないように、なにかをしていただけたらと思います。
また、重い症状の方々には、
どうか社会から断絶しないような援助がなされることを望みます。
うまく書けなかったけど。まだ書きたいと思うことありそうだけど。
終わります。
で終わってしまう。
展開について疑問にも思わない。
時系列がどうなってるとかタイムパラドックスとか一切思いつかない。
第1世界→(時空を超える愛の力)→第2世界→(時空を超える愛の力)→第1世界再び
となっているだけに思える。
この手の作品でよくあるのが無数の並行世界がただの失敗セーブデータとして扱われることだ。
たとえばマリオが99体いて、98体の残機が消えてクッパが倒されたとする。
そのとき98体のマリオは平行世界においては実際に死んでおり、その世界はクッパに支配されたままとなってしまう。
だがこの作品は一方の並行世界における救済がもう一つの並行世界を救済する形にしている。
それによって両方の並行世界が救われる。
これが何を意味するかと言うと「無数に強いメッセージ性を宿らせることが出来る」である。
第2世界からの4コマが届いたことで二人がずっと仲良く生きていける世界が生まれたら、他の並行世界はまるで失敗のようになってしまう。
俺は頭が悪いからよくわからないけど、「たらやればはあるけど、自分が今生きている平行世界で幸せになることに対して前向きに生きていくことしか、私達には出来ない」とかなんじゃないだろうか?
「自分が関わったことで最悪になってしまったものがあるかも知れないけれど、もしかしたら最高になったものもあるかも知れない」とかなのかも知れない。
どうにしろこの作品が描くのは「自分が必死に生きるのならどんな並行世界でも、その並行世界なりの幸せが築けるはずだ」という人間讃歌なのだろうか?
わからん。
むずいな。
暗い話であるかのように捉える人は頭が良すぎるんだと思う。
不幸だ。
でも頭が良いから物事の暗い所までよく見えるというのは、俺からすると羨ましい。
それは「解像度が良すぎるテレビだと芸能人が厚化粧のブスに見えるぜ!」と同じようなものだろう。
でもその芸能人がブスに映るテレビでみる自然はブラウン管のしょぼしょぼ画質よりもクリアで雄大なのだろう。
俺は知らないけど。
だがそれぞれのボトルネックによる掛け算によって見える世界が、個々人の見ることが出来る世界の個性になる。
なんにでもマヨネーズをかければ美味しくなるというだけの世界で生きるものは、高級食材以外を不味い不味いと怒り散らす人より幸福かも知れないし、本当の美食を知らない不幸なものなのかも知れない。
本当の友情を知らない人生は寂しいのかも知れないが、本当の別れを知らないことが幸福なのかも知れない。
だが、どんな世界にもその世界の幸福があるのだと、そういう漫画だと俺は思って読んだ。
馬鹿って、羨ましいだろ?