はてなキーワード: 職能とは
土建しばらく齧ってたからこれに突っ込んどくと、日本人がこないのは過去のリストラのせいね。
特に手当削り。
土建の職人達・職人候補のキャリアコースを業界が率先して自ら潰した。
基本給と違って手当は削りやすいからだろうが、そういうことをやって腕のいい職人でもボンクラ並に買い叩くというのを不況期に見せつけたので日本の若いのは寄らない。
日本人はそんな短期だったら「苦労しないですむ」ほうに流れる。
苦労して職能磨いていけばリターンが大きくなる、っていうキャリアコースを自ら破壊したツケでしかないよなぁ
そういうご家庭のご子息が、他の人間が持ってない資格自慢のお父さんがいとも簡単に買い叩かれるのを見て「うわぁ俺も頑張ろう」ってなるわけないじゃん。
導け愛の星よ
21:25
予定より30分程早いが、空港に向かうことにして、エレベーターを降りる。
タクシーに乗る前にトイレに行こうとして、ホテルパーソンのお兄ちゃんに笑顔で行き先を訊かれる。
「Restroom.」
と答えると、先導してくれたが、Reception (フロント)に連れていかれた。
「No, No, Restroom!」
ちょっとした行き違いもこの旅ではよくある。
用を足して Ground floor に降りると、中国人観光客の一団に続き、またしても白い制服の日本人学生達とすれ違った。
よくよく思い出してみると、行きの成田エクスプレスからこっち、さんざん行き違った今回の旅だが、ここで空港に行き違ってしまうと本気でヤバい。
ホテルの車止めで捕まえたタクシーのおじさんにはメモを見せた。
これなら間違いようがない。
ぼうっと車窓越しの風景をながめていると、「さくら日本語学校」の文字が目に飛び込んできた。
そうだ、この旅で一番の大きな目的は「急増する来日ベトナム人がどこから来るのか、この目で見てみたい」だった。
昼間に気になった、ベトナムの若者の失業率だが、諸外国と比べ飛び抜けて最悪というわけでもないものの、全失業者中の割合で言えばその55%を15歳から24歳の若者でしめるという。
やはりというか、新卒一括採用のないベトナムでは、職能を持たない若者は給料の高い仕事にはなかなか就けないらしい。
そういった若者が、語学留学生となって日本に来るのかもしれない。
コンビニのベトナム人の多くを占める留学生だが、彼ら彼女らを巡る環境が明るい話題ばかりでないのも物の本で知っている。
願わくば、彼らが前に進む道が困難でも愛が星の様に輝き導いて、めいめいが夢見る行きたいところに辿り着いて欲しい。
タクシーは行違いなくタンソンニャット国際空港に到着し、おじさんが荷物を降ろしてくれる。
笑顔で去ろうとするおじさんに、今朝ホテルに残したパッドのメモの写メを見せた。
英語があまり理解できないようで、一瞬怪訝な顔をされたが、わかりやすいフレーズは伝わった様だ。
おじさんとは笑顔で別れた。
現実離れしているからでは?つまり、人間社会では適用出来ないのでは。
人間社会では職業選択の自由があり、高校や大学で勉強し国家資格を取得し、実務でも職能を上げていく。
そのように後天的に努力で成長していくので、優生思想が入る隙間がないのでは。
優生思想が正しいのであれば、代々仕事を受け継いでいるような家系などは職能がドラゴンボールよろしくインフレしても良さそうなんだけど。
学歴も、東大ばかり入っている家系なら、学力が(学歴じゃなくて学力ね)がインフレしても良さそう。
あと、自然の摂理だったら人間が阻止しようがしまいがなるようになるので、「優生思想の何が悪いんだろう?」なんて心配する必要がないと思う。
人間が自然の摂理を止めようとしても進んでいくはずなので、自然のままに任せておけばいい。
私は詳しくないので誤っているのかもしれないけど。
元増田を読むと、役職を与えること自体はポジティブな意味合いが強そうなので、上層部は「職能給で還元しよう」とでも思ったのだろう。
ところが、役職を与えたことにより、同時に決済権も与えてしまったことになる。
問題の社員の場合は、能力が伴わないくせに自分の判断で仕事をしてしまうので、直属の上司である増田が困っている。
ってことじゃないかな。
もちろん、学歴はいらないという案はあり得る。学歴が人間や職能の本質ってことはないよな。
一方で、日本の社会には「学歴が人間/職能の本質を表す」と思っている人間は沢山いる。半分無意識な人を含めると、かなり多い印象がある。
また、イラついてる人が多い空間では、よく学歴が差別に利用されるのは、同意してもらえるだろう。
そんな価値観がしょうもないのは言うまでもないけど、元増田はそういう価値観の人間と少なくともしばらくは関わる機会があるだろうと判断した。
・学歴にコンプレックスがあって、高卒の肩書きがあった方がなんか楽
・取った方が区切りをつけられそうな気がする
などなど、合理的でなくても、取ってしまった方が良いだろうと感じるのだ(文面から、そういう意思を勝手に汲み取ったのだ)。
繰り返すが取らないという選択もあり得る。
ほらね
自分の期待通りの答えじゃないと不機嫌になるし
問いに真面目に答えようとしない三分の二超の議席を抱えた与党に
多勢に無勢の正道をやって何の意味があるの?
偏見でもなんでもなくこうなんだよ。
野党が力を付ける、魅力的になる、
っていう正道王道を提案しただけでこういう不貞腐れた態度になって真面目に聞かない
「経理とか簡単でどこでも使える職能の資格を勉強して取る、そこからステップアップ」って話したら凄い不機嫌にする。
宝くじみたいな一発逆転じゃないのがお気に召さなかったみたい。
その時25歳だったからコツコツ努力すれば全然どうにでもなる状況だったのに
フワフワした一発逆転を夢見て何もせずにいまもう30超えてる。
岩波ブックレット『ひきこもりのライフプラン 「親亡き後」をどうするか』の斎藤環氏が書いた部分に、
ひきこもりの子供に対して父親は上から目線で権威的に話し、母親はストレートな批判はしないものの皮肉や嫌味が自然に出てくる傾向があるとあった。
ではどのように話しかければ良いのかというと、個人的に素朴にまっすぐ伝えることだと。
そのやり方が分かって実行できれば何の苦労もないわと、さらっとした書き方に対して一通り僻んで苛立ったあと、
自分は心の能力が低い、未成熟で貧しいんだという感覚に飲み込まれて悲しくなってしまった。
新庄耕『ニューカルマ』に、主人公と先輩社員の会話が出てくる。
子供が出来たのでエロ本の編集を辞めて今の会社に来たという先輩社員の話を聞きながら、主人公のモノローグがある。
「まだ知り合って間もないにもかかわらず、自身の過去を明け透けに伝えられる素直な態度と、それを足下で支えているだろう潔白さに、引け目を感じてしまう。」
「思わず頷きたくなる共感と、同じくらいの反発がない交ぜになって胸に去来する。」
主人公に対して、架空の人物への距離感を失い、お前は俺かとなるモノローグだった。
「素直な態度に対する共感と引け目と反発」。自分の中にある感情の言語化を代行してもらったみたいだ。
それが自分の中に起きているときは、とてもメタ視や冷静な言語化ができない。
胸の中に渦が生まれて息が詰まる。相対的剥奪感や被害者意識、暗くて攻撃的な気持ちに飲み込まれる。
同僚が「人に気持ちを聞いてもらうだけで違うようなところあるから」と自然に言っただけで、
気分が異様にざわついて喉がこわばって言葉が出てこなくなる、ということもあった。
同僚は職能の持ち主である前に人であり、私も人である、話を聞いて欲しいものだ、という一般的なはずのことにざわつく。
ここで書くと「腐かよ」と吊るされそうだけど、中村明日美子『同級生』の草壁くんがとても好きだ。
支配的でも厭味ったらしくもない、私の欲しい素朴のイデアみたいなところが草壁くんにはある。
生きるために衣食住のほかに何が必要かといったら「草壁くんの素朴の概念」だ。
欲しく、取り込みたく、千尋に執着するカオナシのような情動があり、読んでいて泣いてしまった。
でも欲しいというのは支配に近くて、コントロールされた時点で私の欲しい素朴を失っている。
カオナシ×千尋のような、片方が片方をコントロールしようとする関係はカップリングとしても推せない。
でも千尋に執着して、偽物を差し出して釣ろうとして、飢えてヤケクソになってなんでもかんでも食べようとするカオナシにはかなり自己投影しやすい。
自己投影しやすいキャラクターはどこか、カップリングになって欲しくないと思う。
人とかかわるのに必要なものが足りてないから、人間関係において害を生み出す。
自分の気持ち悪さや欠損感を問題視し『アサーション入門――自分も相手も大切にする自己表現法 (講談社現代新書)』を読んだ。
物語を伴わない、私の思う「素朴」の「技法」のようなものがそこにはあった。
長年のコミュニケーションの手癖を矯正していく作業は地道なもので、ショック療法一発で治るようなものではない。
アサーティブでないコミュニケーションをしてくる上司の持つ、強烈な巻き戻し力に抗えないときもある。
子供の頃からうつ状態の再発を数年おきに繰り返している身でもある。未だに父親には脅迫まがいの言い方で人生をコントロールしようとされる。
しかし筋トレのように地道に自分を改良していくことを決めた。支配欲は本当に気持ち悪いものだからだ。
無防備な素朴さに対する、引け目と反発と愛おしさと憎しみと、足下に「自分で自分を許しているかのような」支えがあることへの僻み妬み、
そういう感情にかき乱されるのなら、もう自分自身がそうならない限り、技法として身に着けてそれが一時的な演技でなく本質・血肉にまでならない限り、
新卒カードなんて自分にはなく今の仕事に就き、思ったより自分に合ってて楽しくてその後転職も経て今に至る。
特にスキルも学歴もなく、何も考えずに応募したのが地元のホテルだった。
勤め始めた頃、この仕事は大いに魅力的だった。コミュ障でありながら仮面を被れば客とにこやかに接することが出来て、そんな自分が自分じゃないみたいですごくたのしかった。
フリーターだった自分は、これを活かすしかないと別のホテルに正社員として就職した。
そこで待っていたのは、20時間連続勤務に、客からの人を人と思わない物言い、それでいて月の手取りは15万。
「人にできないことをできる」ことが金になるのだという意識は当時22歳の頃からあって、極端な話サービス業は「人が我慢出来ないことを我慢できる」ことが職能なのか、と思って耐えてきた。
それでも、普段仕事で取引先とのやり取りをこなしてるようなサラリーマンが平然とNoShowしたり、あまつさえ「予約メールなんて見てねえよ」と逆ギレされ、結局キャンセルチャージなんて払ってもらえない。本当にもう疲れた。
パッと見では標準的サラリーマンであり、誰かの夫であり、誰かの父である。そんな人間がとても道理の通らないことを言ってる日本人の人間性に疲れた。
ホテルは維持費がかかる。建てるのは一瞬だが、築30年の不動産賃貸を誰もが忌避するように、内装は新しく、清潔感あるようにしなければ客はつかない。
そのためには会社は稼働や客室単価が良くてもそれが給与に反映されることはなく、来る東京五輪で最大のパフォーマンスを出すことしか考えない。
サービス業(ましてやホテル業なんて)の本質って人なのに、それをおろそかにして容れ物だけきれいにしてもまるで意味はないよね(ハハッワロス)
結局、所謂「ホテルマン」なんてのは、専門学校生や大学生(大学生ならもっとほかの道があるだろう)を惑わすための魔法のワードで、そこに夢なんか存在しない。
いわゆる御三家勤めの知り合いも、給与や休日は高卒クズの自分と五十歩百歩だ。
その割に「日本ならではのおもてなし」とか「ホスピタリティ」とか言って奴隷のように使役されるだけ。
送別会だから出たく無いのはその人を送別したくありませんという意思表示だよ。
またその職場も全体として送別する事はできず1名知ったこっちゃ有りませんな人がいますという事になる。
職務は毎日が個々が能力を試される熾烈なコンペティションでありサバイバルな職場とかは送別会なんか無いよ。
馴れ合わないし業務に支障をきたす原因なら無能として即座に排除されるパワーゲームであら自浄作用が有るから。
保育園の先生ならお互い補っていかないといけないだろうし和を乱す人は業務の支障だから是正しようとするよね管理者なら。
そういうのが嫌なら苛烈な競争のあるチームにいくか連携の必要無い職場にするか、個人でやるかで一般のチームワークが必要な職場では働けないよ。
甘んじて迎合するか連携を必要としない職能を身につけるか家から出ないか死ぬか。
みんな選択してるんだよ。