はてなキーワード: 江戸っ子とは
3)2に加えて吉祥寺などは都会に含む――上京者。過去を振り切るように田舎者弾圧をする。
4)2に加えて銀座有楽町からお台場あたりのウォーターフロントは都会――トレンディドラマの亡霊。月9好き。
6)5に加えて浅草中心史観――急進的江戸教徒。隅田川文化を喧伝して上京者に優しくすることで優越感を得る。
7)環八の内側は都心部――マイホーム購入族及びその末裔。いいようのない不安感にさいなまれている。
8)山手線に1時間で接続できるのは首都圏――大宮や赤羽、我孫子などをふくむ。若年層は地元アイデンティティが薄く自分を首都圏民という奇妙な生き物だとみなす。
9)帝都北方の武――具体的には北区と足立区の住民。武力と都会度の区別がついていない。
a)地方の大都会で疲弊してる人お疲れやす――京都民。東京方面に住んでいるやつはみんな坂東の田舎侍。馬でも育ててるんだっけ?
かつて江戸と呼ばれていた地は明治維新と呼ばれる革命によってTOxKYOに改名された。
一般に明治維新は無血開城とされ、極めて平和的に遷移したと言われてきたが、近年の調査によって、これは新政府による隠蔽工作である疑いが強くなった。
当時の江戸は人口が100万人を超える世界に類を見ない超過密都市であった。
狭い路地を傘をさした人同士が行う傘かしげなど、微に入り細に入り生活を規定することで、余計な争いを避け、超効率的な生活を維持するために発展したと考えられている。その規定数は定かではないが、精力的な研究によって発掘が続けられ、年々数を増やしている。
(日本橋のたもとには公開処刑場があり、重篤な違反者は首を切られ晒し者にされた)
竹鋸引きという江戸しぐさは、犯罪者の腹を竹でできた(故になまくらな)鋸で切り、通行人がこれを引くことで、犯罪に対する抑制と反省を促した。
また、えすかれーたー両側のりという江戸しぐさは、エスカレーターの本来の仕様である、両側乗りをしために、後から駆け上がってきたサラリーマンに舌打ちされながら押しのけられるトラブルを避けるために決められた。
なぜなら、江戸しぐさを生み出し、守り伝えてきた江戸っ子は、明治維新後の政府によって虐殺されたからである。
明治政府は古いしきたりが明治政府の支配に悪影響を及ぼすと考え、これを棄てることを迫った。反対する者は尽く虐殺して海に投棄したと言われている。その数は正確には判っていないが、文化を破壊するほどの大規模な虐殺であったことは想像に難くない。明治政府によって地方部から新しい住民が移住させられ、表面上は無血開城という体裁がとられたと考えられる。
ここで、いま一度、江戸がなぜTOxKYOとなったのか思い起こして欲しい。
江戸っ子が見栄っ張りというのはあるが、江戸っ子なんて江戸時代においてもマイノリティにすぎないし、現代にその精神を受け継いでいる人間もいない。江戸しぐさじゃあるまいし。
翻って日本だが、日本では少なくとも江戸時代くらいから「仕方ないから助けてやった」「へへーありがたやー」「礼はいらねぇよ」が様式美としてある。助ける方は恩着せがましく礼を要求しつつ、礼はいらねぇと強がる。たぶんこれは江戸っ子のいう粋なのではないかとおもうが非常にめんどくさい。しかし残念ながら我々はその影響をモロに受けており、ゆえに席を譲るにしてもハードルが高いし、譲られる方も断りがちだし、かつ礼はいらねぇというには礼を言われないとならないので、それがないと猛烈に腹が立つのだ。
これって本当にあったの?
時代劇の見すぎじゃないの?
この間洪水でナショナルレイルが一部区間運休になって、バスに乗り換えろと言われた駅に行っても違う駅からバスがでているから電車に乗ってそこまでいけということを言われた。
日常生活に困らない程度の英語はできるが、現地の人も右往左往しているような状況で、しかも別の国から電車を乗り継いで帰って来たところでかなり終電の時間も近く、正直半泣きになってたところで助けてくれたのはイギリス人男性だった。
こういうとき、イギリス人女性はだいたい見て見ぬふりをする。英語があまり自由でないらしい外国人にたいして親切なのは中年以降のイギリス人男性だ。
そういえば昨日も土曜市でバスの予定が狂っていたが、それを教えてくれたのは地元のおじいさんだった。
若い人は乳母車や車いすを乗せたりおろしたりするときには活躍するが、それ以外では基本的に女性と同じくまわりを無視している。
ちなみにヨーロッパの大陸に移動すると中年以降の男性・女性ともに困ってたらなにかと声をかけてくれるが、若い人の場合は詐欺を目論んでいる場合がほとんどなので応対をしてはいけない。特に中東系・インド系には注意しなければならない。
閑話休題。
しかし親切にするイギリス人男性が礼を言われているところはあまり見かけない。
基本的にベビーカー・車いすに乗っている人は当然という顔をしている(まあ子供は仕方がない)し、その介助者も当然という顔をしていることはよくある。一応目があうとにっこりする国なのでおなざりな礼はいうが、感謝して話しかけまくるというのはあまり見かけない。そもそも手伝った男性自身が礼を言われる前にさっさとどっかに行ってしまう(若い子らの場合後で仲間内で「俺かっこいいだろ?」みたいなことを言ってたりはするが)。
彼らにとって困っている人間を助けるのは当然のことで、礼を言われるまでもないことなのだろうとおもう。助けるという行為自体はかっこいいという認識があるようだが、それは自分がそういう行為をしたということが誇らしいのであって、礼を言われるためではないようだ。
翻って日本だが、日本では少なくとも江戸時代くらいから「仕方ないから助けてやった」「へへーありがたやー」「礼はいらねぇよ」が様式美としてある。助ける方は恩着せがましく礼を要求しつつ、礼はいらねぇと強がる。たぶんこれは江戸っ子のいう粋なのではないかとおもうが非常にめんどくさい。しかし残念ながら我々はその影響をモロに受けており、ゆえに席を譲るにしてもハードルが高いし、譲られる方も断りがちだし、かつ礼はいらねぇというには礼を言われないとならないので、それがないと猛烈に腹が立つのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20141130043309
ちなみにイギリス人というか欧州の人々が礼を言うかどうかは人によりけりだが、アメリカ人の場合感情表現が非常にはっきりとしているので感謝感激してくれるだろうと思う。この人の場合、多分アメリカに行ったほうが馬が合うんじゃなかろうか、などと思った。
徐々に何人か職場から人がいなくなるのはちょっと寂しいなあという話。
でもその中の一人が職場で一年ぐらい前から明らかにトレインスポってて、
それにかかわりたくないから、
彼の自社のリーダーも偽装請負元の現場監督も見て見ぬふりだったよな。
明らかに進捗上がってないからわかっただろ。異変に気付いたはずだ。
かれは健康な時は性格もとてもはっきりしていて江戸っ子チャキチャキ。
ほかの彼の会社のゴミどもと比べると仕事もできていいやつだったんだ。
だが彼はいつからか、目の焦点あわなくなり、しゃべりの呂律がまわらなくなった。
仕事中急にいなくなって社内のいろんなところでStoned状態で発見されていた。
かと思うと会社の前の道路の真ん中でふらふらしながら音楽聞いて頭を振ったりしてるのを目撃されたりした。
そんなこともあり彼はさすがに作業ができなくなり、
どうしようもなくなって
自社をやめて檻のついた病院か更生施設でしばらくリハブらしい。
トレインスポッた原因はいわゆるBraking Badな薬か、はたまた処方箋でもらった向精神薬か・・・
いったいどちらだったのか?今となってはわからない。
こんなになるまでほっといていた彼の会社の連中もひどいとおもった。
職場で彼のこんな醜態をさらさせずに、やんわりと休職を促せばよかったんだ。
おそらく助けてくれる人や優しく声をかけてくれる人を待っていただけだったんだ。
そしたら、寛かいしたら、またここに戻ってこれただろうに。
自社側リーダーのあいつも、彼があんな状態になってることにも全く気にかけていないようだった。
本当に冷たかった。
あれは絶対に積極的に介入すべきだったとおもう。
彼が本当にかわいそうだよ。
プライドだけ高いアスペでサイコパス気質なやつはまだ会社にいる。
あいつも全然彼のこと気にかけないでずっと糞みたいなしごとしてたよな
自分の作業を作る作業みたいな糞作業。
彼は華麗に自分の無駄なお仕事をクリエイトする能力がある「お仕事クリエイター」
それが原因で周りにどれだけ迷惑かけてるのやっぱりアスペだからわかんねーんだろうな。
そして、その上サイコパス気質なやつだから損得だけで行動してて、
責任をすべて人に擦り付けるような大陸の人の仕事の仕方なんだよな。
そういうのもうやめようよ。
あれは、やられる方の身になるとむかつくよな。あいつはやっぱり糞だよ。
でもそういう少し異常な人間じゃないと長く仕事できない環境なのかな。
てなことをいう俺、みたいな。
幕末ともなれば穀潰しを遊ばせる余裕も世情も無く、結局のところ彼は糊口を凌ぐ為に己の才能を切り売りした。
どうやら武に纏わる技芸はさほど優れたものではなかったようだ。さりとて彼には商売の才能はなかった。
しかし彼には類まれなる発想と、稀有な才能があった。
それは、勘定をし、その勘定結果がどのような未来を描くか、どうすれば違う未来を描けるかを、説明する才能だった。
今で言う、ファイナンシャル・プランナーである。
彼が歴史に名を残したのは単なる偶然でしか無く、江戸の醤油売から東北の豪商に至るまでそこここの日記や書付にその偽名が残るのみである。
幅広い人脈を築いた結果得られたものが何だったのかも、どこの誰だったのかも結局判らない。
しかし、大店の影にその人ありと実しやかに囁かれた風聞は、今も色褪せることのない伝説として語り継がれている。
分を弁えよ、ではない。
人が贅沢を夢見たり、買えなかったものが買えるようになるのは良いことだとした。
一定の石高を常に保証される武士にとっては、倹約を旨とすればその分貯まる。
武士にとっては、勤めを果たすことが上向く方法だからだ。後は倹約しか無い。
しかし、町人や商人は異なる。己の才覚で事業を行う必要があるからだ。
ケチケチと貯めるばかりでは、生活は全く変わらず何のための商いか分からぬ
しかし、稼いだ分を使ってしまってばかりでは、商いを大きくすることは出来ぬ。
こう、説いたのである。
すると、分相応な使い方は出来ないが、使え、と言っていることになる。
これはどういうことか。
貯めてばかりでなく使え、使ってばかりでは貯まらぬ。
そして、その加減は余人にも当人にも図りがたし。
だから、そもそも無いものとして考え、ある分を使えば良いと、こう伝えられている。
これは意外なことに好評だったようだ。
元々宵越しの銭は持たない気っ風の良さを心情とする江戸っ子以外にも、粋や趣味には金がかかる。
これを抑えるのではなく、存分に使えと言うわけである。
大圓朝の芝浜と偶然にも結果は同じことを言っているわけであるが、後世の創作を加味すると、村田の方が時代を先んじていたと言えよう。
使うと言ってもここでは、無かったものとした貯めた分のことである。
そもそも無いものとして生活せよ、とする場合、言ってみれば稼ぎよりも貧乏になれ、と言っているのと同じである。
誰しも貧乏よりは裕福が良い。
程度はあれど銭金があって困ることは少ない。
だから、如何に使うかを考え、決してあるものとして勘定してはならぬ、それは無いものだ。
なぜならば、使い処が別にあるからだと、こう言っていたようだ。
この使い方指南こそが村田の真骨頂であったようだが、商売の正に秘伝とも言うべき部分の事で、手に入る資料の中にはさほど面白い事由は残されていない。
さて、よほど複雑なものでもない限り、商売の基本は数を数えることになる。
いくらのものを、いくつ仕入れ、手間賃をいくら払って、いくらで売る。
この管理ができなければ店の維持も難しいが、といって、数を数えてピッタリに合わせるだけではそれこそ丁稚にも出来る仕事である。
まず数を数え、その数を増やすのか減らすのか、増やせばいくら儲かり、減らせばいくら損するのか。
安く仕入れ高く売れればそれが一番良いが、なかなかそうはいかない。
小さな損に怯えず、最後に儲かる為には使うことを恐れるなと、指南していたようである。
どうやら、村田は積み上げて説明するのが好きだったようである。
これは、昨今の結論から話せという風潮からすれば迂遠に聞こえるが、相手には伝わりやすかったようだ。
無いとはいえ実はある、だから理由をしっかり考えて手をつけるな。
使い処を考えるのであれば、損することを恐れず最後に儲かるようにせよ。
こう話していけば、ではどうすれば儲かるのか、と、儲かるためには貯めねばならぬということが前提として相手に伝わっている。
先に述べたように、実際の使い方指南は、秘伝として秘されてしまい、伝わっていない。
しかし、その大本の考え方自体はどうやらこういうことのようだ。
大風呂敷を広げるだけ広げてしまい、その穴だらけでボロボロの風呂敷の穴を、繕って埋めていけ、
小さく着実に繕っていけば、いずれ大きな風呂敷が完成すると、こういうことのようだ。
商売の形態は大きく変わり、今となっては古臭い考え方でもある。
しかし、こと家計に関しては、今も村田の教えを活かす部分は大いにある。
ボーナスでご褒美を買っても良いだろう、
偶には飲みに行くのも構うまいと、
人は自分がどれだけ使っても良いかを客観的に知り、それを見極めるのが酷く難しい。
高収入でも貯められないのは、その人が自堕落であるというよりも、使い方を知らないからだと言える。
余ったぶんを貯金しようという考え方では、貯められないというのは良く聞く話である。
勤労者に対して天引きで貯蓄を促すというのは、財形等で政府が主導した手法でもある。
結局、分相応が難しいのであれば、元々給与が少ないものとして考えるのが良いわけだ。
貯めるのが目的なのではなく、使い処を考えろということなのだ。
そして、しっかりと考えた使い処があれば、今月の呑み代に窮して手を付けることは無い。
逆に言えば、手をつける程度の使い処は、余りしっかり考えたとは言えないのだ。
ここが、昨今の風潮とは一線を画すると言える。
村田は、まずは数えよとは言わなかった。どうやらどんぶり勘定の相手もしていたようである。
家計簿をつけて家計を見直すのは、もっとずっと後のことだと、つまりはこう言っているわけである。
家計簿をつけるのが目的ではない、無駄を見つけて節約することだ、というのは良く言われることである。
村田は、手順としてそれは後のことだと言っているのだ。
無駄を見つけて節約するのは、無いものとして考えた残りで自由にやりくりすれば良い。
最初に、何に使うかをしっかり考え、それは最初から無いものとして意識から外せと、繰り返し言っているのだ。
そして、単純に今欲しい物を考えよとも言わなかった。
大風呂敷を広げよと、こう言っている。
欲しい物のために我慢するのは馬鹿げていると手を付ければ元の木阿弥なのだ。
これは、大風呂敷を広げるだけの甲斐性がなければ、貯める必要がないという突き放した目線でもある。
日々の生活に事欠く人間に、夢を描け無いものとして貯めよと言っても虚しく聞こえるのは重々承知の上だろう。
享楽に行き、明日路傍に倒れるとも已む無しという無宿人も多かった時代だ。
これは現代でも変わらない。
小さくとも庭付きの一軒家で犬と子供に囲まれた幸せな家庭を築きたい、今は何もかも欠けている。
その夢を描くには、何が足りないのか、何を足してどうなればそこに辿り着けるのか。
無いものとして考え、ある中で使ってやりくりをする。
まずは夢こそが大切であるのだ。
村田惣右衛門という商人は、夢を描く手助けをし、それを現実に落としこむ手腕が鮮やかだったのだろう。
現代にも通づるそのファイナンシャルの考え方は、まず夢ありきであった。
夢を見つけ、具体的な道筋を立て、その手段として帳簿を使う。
帳簿を使って無駄を探るノウハウを伝授しても、無駄に使ってしまっては何にもならない。
最後までお付き合いいただいた読者諸兄におかれては、
http://anond.hatelabo.jp/20140203144937
このエリアに5年ほど賃貸で住んでいる俺の実感では、売れていない。
景色や方向が良く間取りも住みやすい適度な価格帯の部屋と最上階が売れているというのは同意。
ただ、良い部屋というのは売れて当然だし、最上階は先のコメントの人が書いているように相続税対策で人気なんだろう。
そこ以外はがら空きなマンションもある。しかしどんどん新規工事に着工している。
飽和状態どころか、値下がりの一方だろう。
>購入者像-②郊外庭付き一戸建てに魅力を一切感じないエリートサラリーマン
>購入者像-③空中移動族
これも概ね同感だが、
①は、仕事で地方の中小企業社長などにお会いすると、この辺りにマンションを買っている人もいるので、相続税対策で購入しているのであろうが、「地元を見捨てた」と言い切れるものかはわからない。
②は、エリートサラリーマンというより、正しくは、世帯年収が1000万を超えている夫婦などで、勤務地が汐留、丸の内、赤坂、六本木等のため、多少家賃が高くなろうと通勤ストレスを軽くするほうが良いと考えている社畜層、だ。夫婦共働きで合わせて1000万なら手が届かない範囲ではない。住宅補助が出ている人も多かろう。俺もそうだ。
③は、最も疑問なところだ。一つ前に住んでいたマンションは半分が分譲エリアだったので、よくポストに分譲物件売りのDMが入っていた。年数が経てば経つほど値段は下がっていった。最初に建てられた三井不の物件が最も豪華で高く、その後に建てられているのはそれより安めだから、その三井不のを買った人は、もしかしたら乗り換えれば乗り換えるほど利益が出ているのかもしれないが、新築のほうがいいって人もいるだろうし、そんなに利益がでるものかは疑問だ。
飽和状態にもかかわらず、この地域にはこれからもタワマンがどんどん建つ。
なんでかはわからないが、何か建設中止できない業界的な理由があるんだろう。
ブコメに
>古くからの東京民としては佃島から江東東雲、有明台場だのはもともと野っ原で人の住むところではないという固定観念がある。
ひいじいさんも江戸っ子だった東京出身者としては、この埋立地エリアがなんでそんなに素敵に見えるのかわからないのだ。郊外じゃないかと。
ここに住んでいるのは、勤務地に近いのと、夜景がとても美しいことだ。この夜景に関してだけは、日本の中で一番であると断言できる。
築地・月島・勝どきあたりは、下町の良い雰囲気が残っていて、自然も多く、川辺の遊歩道はとても気持ちいい。聖路加の周りは外国のようだし、そこから銀座まで続く道も風情がある。
そこ以外はまだ閑散としているが、業者が素敵なエリアだと印象づけて売り続けるならば、俺の孫の時代には正真正銘のステキエリアになってるかもしれない。
さて、書きたかったのは、元記事で書いていなかった災害リスクのことだ。
■■■
発生は金曜の17時すぎくらいで定時間近だったから、すぐに帰宅させてもらえた。
この日ほど、職場から歩いて帰れる距離に家があるのを感謝したことはない。
エレベーターが止まっていたのだ。それで、上階のほうの住人や、足腰の弱いご年配の方、赤ん坊を抱えた方は登れなかった。
これがタワマンの弱点だと気づいた。
俺の部屋はそこまで上階ではなかったので、階段で登った。
免震設計が機能しているのか、大きく倒れたり割れたものはなかったが、壁にヒビが入っていた。
その一ヶ月後、すでに決まっていた同じ地域の別マンションに入居した。
こちらは新築だったので、ヒビは入っていなかった。
また、千葉のベイエリアだが浦安の地盤沈下と液状化は激しく、マンション価値が一気に半分以下に下がったらしい。
先の大地震で東京に起こったくらいの規模であれば、ベイエリアのタワマンが崩壊する可能性は低い。
東北地方でも高いマンションが崩壊した例はなかったと記憶している(あったらすまない)。
もちろん絶対ということはない。崩壊するかもしれない。自分で考えて、崩壊しないだろうと思った人が住めばいい。
仮に崩壊しないのであれば、むしろ高いマンションに住んでいるほうが、津波からは助かる。
遠くへ逃げるより、咄嗟に校舎の屋上に登った児童たちが助かった、という報道もあった。
東京23区は内陸のほうであっても海抜はそれほど高くない。さらに住宅が密集しているため、相当酷い火災被害が予想される。
東京23区に住む限り、地震被害からリスクフリーではいられないのだ。
大震災が起きた場合、タワマンのエレベーターは機能しなくなる。幼い子がいたり、ご年配だった場合は、ご自分が津波を逃れるために階段を登る脚力があるかどうか考える必要がある。
そして運良く助かっても、地盤沈下する危険性がある。地盤沈下すれば資産価値は下がる。
それでも俺はまだここに住んでいるし、オリンピックが終わってマンション価値が下落したら、分譲を購入しようと思っている。
以上だ。長くなってしまってすまない。読んでくれた人には感謝する。
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ホッテントリ入りして驚いた
申し訳ない。あの日は「週末だったのだけは救いだったな」と同僚と言葉を交わしたおぼえがあったから、金曜だったというのは確かな気がして、会社を出たとき日がとっぷり暮れるまではいっていなかった記憶があるので、発生が定時近かったような気がしていた(この場合の定時は定時と定められている時間であって略)。
正確には15時前か。
ここの部分は本筋と離れるから詳しく書かなかったが、正確に書くと、即帰れたわけではない。東京湾に津波警報が出たので、しばし待機していた。それもあって発生や帰宅時間は曖昧な記憶だった。
うん、だから雑な議論でいいんだね?
君がいいならいいんだよ。
俺が困るんじゃねえもの。
そんなら雑な「武士道」の援用にキーキー異議申し立てる理屈も立たなくなるだけだよ。
「高給」と「無給」しか考えつかないわけじゃあるまい。
「食うわねど」「食えない」という文字を無視して頑張るのはやめなよ。
おお、武士について無知などころか江戸っ子の見栄の文化すら知らないと。
まあお前はそれでいいや。
改易で無職になった浅野家の浪人達が死んだ主君の仇討ちを命懸けでやった。
見ようによっては全くナンセンスなあれは
武士からだけ賞賛されたわけではなく、庶民にも大人気になった。
武士だけが「いい忠義だ」って言ってそれ以外の階級がしらけて「アホじゃね」と反応してきたわけじゃない。
江戸時代以降、武士道っていうのは既に武士以外の階級にもある程度知られてて
部分的に好ましく受け止められたり内面化されたりもしてたわけ。これに限らないよ。
武士道が狭い身分階層の限定的な道徳だったって言うお前の話の前提から間違い。
お前は無知で間違ったたとえ話ばっかりするアホタレなわけだよな。
お前がそういう方向の話をしてるんだよ。
そうですね。
で、「同じ公務員だ」と喚きながら江戸の世と平成の世を同一視したがる馬鹿にも何とか言ってください。
意味がわかりません。
「論拠を添えてね」ってもう一回教えないと駄目か?
1回で覚えろよ。
意味がわかりません。
「論拠を添えてね」ってもう一回教えないと駄目か?
差異部分については色々と論じつけてあげたよね。
そこに異論があるならキリキリ反論しなさい。
反論に窮して「ボクの主張は定説です」とか言い出すのは単なる知能障害の発作です。