はてなキーワード: 栽培とは
現代では、国の経済の規模はお金で表し、給料も税金もお金で支払われますが、江戸時代にはお米がその役割を担っていました。
「加賀百万石」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。領地の経済規模はお米の単位「1石(こく)」(≒150kg)の価値に換算して表されていました。1石は、当時1人が1年間に食べるお米の量とされていました。
また、お米1石が収穫できる田んぼの面積が「1反(たん)」(≒10a(アール))とされていました。1反の田んぼがあれば1人が1年間に食べるお米が確保できるということで、どれだけの田んぼが領地にあれば何人養えるかが大体わかるということになります。自給率の考えに似ているところがありますね。
江戸時代は、外国との貿易が限られていたのでお米の自給率はほぼ100%だったと考えられます。大規模な新田開発によって耕地面積は1600年頃から1720年頃にかけて1.3~1.8倍に増えたと言われており、耕地が増加した分、多くの人口を養えるようになりました。1600年頃に1,000~2,000万人だった人口が1720年頃には3,000万人程度まで増えたと言われています(*1)。
一方で、災害や異常気象によるお米の不作が原因となって幾度にわたり大飢饉が起きた時代でもありました。大飢饉の経験を踏まえてお米の備蓄やかんしょ(サツマイモ)の栽培が奨励されたことは、現代の食料安全保障に通じるものがあります。
明治時代に入り、新政府は、外貨獲得のため殖産興業と貿易促進に力を入れていましたが、生糸やお茶に並んで重要輸出品に位置付けられていたのが実はお米です。お米が最も盛んに輸出されていたのは神戸港で、明治11(1878)年と明治21(1888)年にお茶を抜いてお米が輸出額第1位になっています(*2)。
どのくらいのお米が輸出されていたのでしょうか。当時の政府文書によれば、明治12(1879)年~明治21(1888)年の十年間の平均で、酒造用を除いた国内消費量3,129万石(約470万トン)に対して34万石(約5万トン)が輸出されていました(*3)。
輸出先は、主に英国、ドイツ、フランス、イタリアなどの欧州で、日本産米は品質が高く評価されていました。欧州でもイタリアやスペインを中心にお米が生産されており米料理を食べる文化があったのです。
明治時代に入って海外に輸出するようになったきっかけは、連年の豊作で米価が暴落したことでしたが、やがて外貨獲得の手段としても政府が自ら欧州での販売状況を情報収集し、産地でも輸出向けの品質改善に取り組みました(*4)。
このように、明治時代前期はお米を海外に輸出して自給率が100%を超えていたのです。
(図1)明治時代のお米の需給と輸出
お米の輸出国から輸入国への転換はあるとき突然やってきました。
お米の輸出量が過去最大となった年の翌年、明治22(1889)年に暴風雨による水害で収穫量が前三か年平均の85%まで落ち込むと、米価が暴騰し、翌年には不足分を賄うため193万石(約29万トン)のお米を輸入することになりました(*5)。米価高騰は簡単には収まらず、富山を始め各地で米騒動が起こり都市部では餓死者が出ました(*6)。
(図2)お米の輸入量の推移
(図2)お米の輸入量の推移
明治の初年からお米の輸入は行われていましたが、このときを境に大量の輸入がだんだんと恒常化し、盛んだった輸出は縮小していきました。
いったい何が起こったのでしょうか。原因は、人口の増加と1人当たり米消費量の増加でした。明治前期(1876~1885年)に比べて20年後(1896~1905年)には人口が1.21倍、1人当たり米消費量も1.21倍に増えたと推計されています(*7)。それまで、農村では米だけを主食とする(できる)人は少なく、米に麦・雑穀・いも等を混ぜるのが一般的で、実質の米食率は5割程度でした。好景気によって、農村の米食率が上昇するとともに米食中心だった都市の人口が増大したことで、お米の消費量はわずか20年で約1.5倍に増えたのです。
明治時代に入ってから近代的な土地改良や栽培技術の導入でお米の生産量は増加していましたが、明治25(1892)年の大蔵省主計局『米価ヲ平準二スル方案』は、生産増加だけでは人口増加に追いつかないと結論づけ、不作時の米価高騰を抑えるためにも外国からお米を輸入しやすくすべきと述べています。
人口はその後も増え続け、明治前期に3,700万人だった人口は、明治44(1911)年には5,000万人、大正15(1926)年には6,000万人を超え、昭和15(1940)年には7,200万人にまで達したのです(*1)。
5. 輸入に頼らざるを得なかった時代 ~大正時代・昭和初期~
お米の自給率は、1890年代には100%を下回り、大正時代には94%、昭和初頭には85%まで下がりました(*1)。ただし、この頃、朝鮮半島・台湾のお米は、輸入ではなく「移入」とされ、当時の日本政府は、日本本土に朝鮮半島・台湾を含めた圏内での自給を目指していくことになります(前掲の自給率は、移入も輸入に含めて計算されたもの)。大正6(1917)年の輸移入は、朝鮮半島のお米が48%、台湾のお米が31%、外米(英領インド(ビルマ)、仏領インドシナ、タイ)が21%となっていました(*8)。
大正7(1918)年には、二年連続の不作によって長期的に米価が高騰し、再び富山を始め各地で米騒動が起こりました。政府は、不足分を賄うため大規模な外米輸入を図ろうとしました。しかし、外米産地でも洪水や干ばつで不作が起こったことや、国内の米価高騰を抑制するため外米産地の政府が輸出制限や輸出禁止を行ったため、円滑に輸入が進まず厳しい外交交渉を強いられました(*8)。
また、昭和16(1941)年に始まった太平洋戦争では、戦況の悪化とともに外米輸入のための商船が確保できなくなり、昭和18(1943)年にはお米の輸入が半減、翌年にはほぼ途絶し、日本国内の食糧不足が深刻になりました(*9)。
6. 約70年ぶりの自給の達成 ~昭和中期~
昭和20(1945)年に終戦を迎えた日本は、戦争による耕地の荒廃、農業労働力不足に加え、朝鮮半島・台湾等からの輸移入に頼っていた需給構造が崩壊したため、深刻な食糧危機に直面しました。しかし、本格的にお米の輸入ができるようになったのは昭和25(1950)年以降でした。タイ、ビルマ(ミャンマー)、米国、エジプト等からお米を輸入することで国内の米不足を賄いました。
昭和27(1952)年には、10年後までに米麦の国内自給の達成を目標とする「食糧増産5ヵ年計画」を立てて生産量の増大に取り組み、昭和25(1950)年の938万トンから昭和47(1962)年の1,445万トンへと約20年で1.5倍になりました(*5)。約70年ぶりにお米の自給が達成されることとなったのです。
増産によりお米の自給が達成された一方で、高度経済成長によって食生活が多様化したことで、お米の一人当たり年間消費量は、昭和37(1962)年度の118.3kgをピークに減少に転じていました。
生産が需要を上回り大量の過剰在庫が発生するようになったため、昭和46(1961)年からは生産調整が本格実施されるようになり、1,200万トン前後だった生産量は、約50年で約800万トンにまで減少しました。一人当たり年間消費量も約50kgまで減りました。自給率の高いお米の消費が減ることで食料自給率(カロリーベース)は昭和40(1965)年度の73%から40%程度まで低下することとなったのです。
短期の派遣を数ヶ月だけやって20万くらい貯めては3ヶ月位ニート、という一人暮らし生活をこの4年位続けてるんだが、コロナ禍に入ってからのニート期はますます籠城戦という感じになっていて、兵糧をどう確保するかにいつも頭を悩ませている。
野菜は大好きなので、あればたくさん食べるのだが、これこそが問題で、野菜(あるいは果物)は備蓄しにくいのである。
炭水化物やタンパク質は1回の買い出しで1クール分まとめて買えるのだが、野菜はもって2週間だ。
根菜以外の生野菜はすぐに痛むし、根菜だってそんなにはもたない。長期間もつのはかぼちゃくらいだろうか(かぼちゃは根菜ではないな)。また、安定して同じものを買い続けるのも難しいし、1回の買い物で目当ての品に出会える確率も低い。さらにいうと、我が家は天井裏で頻繁にネズミとイタチが喧嘩するような建物なので、ネズミが来うる場所に食糧を置いておきたくないというのもある(米は琺瑯の容器に入れている)。
現状は業務スーパーの冷凍野菜を大量に買って冷凍庫いっぱいに詰めている。gあたりの値段でいうとほうれん草とかが優秀なのだがシュウ酸が怖いので、少しだけ上位のオクラ、菜の花、そら豆あたりが主戦力だ。しかし冷凍庫もそんなに広くないし、先述の通り野菜は好きなので、調子に乗って1日に350gどころか500gとか食べているとすぐに無くなってしまう。
1kg入のキムチを2本冷蔵庫に入れているが、これは食べすぎると塩分がすごいし、唐辛子で喉が痛む。漬かりすぎても問題なく食べるので良いのだが、要冷蔵なので冷蔵庫の場所を食う。
砂糖食塩無添加の100%野菜ジュースも箱買いして少しずつ飲んでいるが、1ダースで1ヶ月もてばいいほうだろう。ふつうは2日で1本空けるのでやはり2週間だ3週半やんけ計算もでけんのかアホ(するってえと何かい、2週間で無くなるってのは、開けた日のうちには飲みきらないもののほとんど1日1本ってことかい)。これは未開封時に常温保管できるし、めちゃくちゃ急いでいるときでも摂取できるというメリットがある。
同じく常温保管できるのが乾物で、今は干し椎茸を大量に買っている。しかし先述のネズミ問題があるので、開けたら冷蔵庫にしまうようにしている。乾燥バジルも買ってあるが、これを野菜と呼ぶのは無理があろう。乾燥そら豆は試しに買ってみたが、調理にかなり時間がかかるし、(青い豆と違い)野菜感が希薄なので微妙。入手も困難。最近は切干大根を導入しようか迷っている。ドライフルーツは高い。
缶詰も常温保管できるが、開封後の管理が面倒だし、缶を開けたり捨てたりするのにいちいち手間がかかる。野菜ジュースより少し高いし。
ほかには梅干やフライドオニオンがあるが、野菜扱いするものでは無かろう。
マルチビタミン&ミネラルで栄養を確保し食物繊維はおからで補うという手段もあるし買ってはあるが、これは最終手段にしたい。
何か良い案ある?
車も自転車も持っていない。たまの買い出しはでかいスーツケースを引いて行く。ネット購入は全体的に高い。
備蓄が枯渇してきたのに動く気力が無かったから書いた増田が思ってたより反応されてる
ネズミのくだりは、ネズミもだけど、もちろん各種虫たちやカビの被害を避けるためでもある(そしてこっちは過去に実例がある)以前気合を入れて買った出汁用の乾物をまとめて保管してたら全部カビにやられたことがあるのと、学生時代に飼ってたマウスの餌にこれでもかといたシバンムシ(多分)のトラウマがある
たしかに冬瓜も長期間もつな 売られてる時期と場所がまあまあ限定的だけど、(見栄えや食感を気にしないなら)雑な調理でも皮もワタも全部食えるのは良い
他の漬物でなくキムチなのは一番安く高密度(のものが業務スーパー等で売られている)という理由
大豆ミートも気にはなっているが手を出せずにいる タンパク質はそんなに減らないし不足している感じも無いのであまり考えたことがない 納豆が冷凍できることに気づいてからはQOLが上がった
切干大根の導入は野菜枯渇の度に検討されて、いざ商品棚の前に来るとためらって買わずに帰ってくるというのを繰り返してる 確かに野菜感は無い
自分で野菜を干すとか漬けるということを思いつきもしていなかったのでなるほどねと思った(小並感)幸運にも我が家には(共用の)屋上があるので、干すのはできそう
干すまでならできそうだが栽培は心休まらなそう 第一次産業従事者の皆様方には頭が上がらない
ネットスーパーはたしかにあるのだが、あれはもっとそれを必要としている人を優先したい 自宅待機になったり足腰が終わりになったりしたら検討する
(同じような環境で)働きつづけてると価値観やら良心やらが蝕まれてくるのでこんな生活に落ち着いたが、いずれでかい病気(それこそコロナとか)か事件事故なんかで詰むことになりそうだし、そうでなくても20年後30年後とかのことを考えると厳しいので、こういう暮らしかたもあるという紹介はできても、おすすめはしかねる
違う。民主主義社会では、すべての国民が賢くなっていこうとしないと、温室栽培のパターナリズムによって国民も白痴化するし、国も腐敗するんだ。
国民各自が過剰に自主規制しようとしてしまうほどにお利口で体制に寄りすぎると、国はそれに甘え、恣意的な運用をしはじめ、法のアップデートもされず、腐敗が起こる。国民による自発的パターナリズムがそれを誘発してしまう。太平洋戦争を開戦に向かわせたのもそれが一因だ。
国民を裁くのはあくまで法であるべきで、国民による自警団であってはならないんだよ。本来は、法的に曖昧なラインを攻めていくくらいの態度の方が、アップデートが促され、民と官の綱引き関係が保たれる。より明瞭で怯え隠れる必要のない秩序に繋がる。
風営法だとか、パチンコだとか、技適だとか、アップデートされない時代遅れなまま恣意的な運用をされている法は多々あるが、ここでは関連深いわいせつ物頒布等の罪で考えてみよう。
まあ面倒だからwikipediaとブコメ、ニコニコ大百科を見てほしい。
このへんを読んで俺の言っている問題意識が伝わればいいが。
俺は腐女子文化に興味はないが、最大限尊重され守られるべき文化の一つだとは思っている。こそこそしていてほしくはない。ゾーニングどうするか問題のようなものも、隠れているうちは表現者各自の裁量に委ねられてしまい、不要な負担が表現者にかかってしまうだろう。そういうのは良くない。やり方を洗練させ、法を時代に追いつかせ、社会をより風通しよくしていくには、隠れずに前に出していかないと。
「長ネギ食べてーーーーーー!!!」ってヤフーニュースで言ってるけど、
これって供給側の問題なので、食ってもらっても何も変わらない。
食べてもらえる量を100とすると、欲しいひと全てが買うためにはスーパーでは110とか置いてないとダメで、
秀品率70%くらいとすれば、160くらい作付しないといけない。
でも気候で収穫時期が偏ってしまったりするので、200くらい出荷されたりする。
ネギの経費なんだけど、ネギは5kg箱が標準で、荷造り運賃手数料で480円、栽培経費で400円くらいかかる。
ここに収穫・箱詰めの人件費が1人1日25ケースくらいなので、350円くらいか。
あと燃料代とか機械代を考えると
1300円あたりが再生産価格(経費を回収できてなんとか経営を維持するライン)となると思う。
うまくやれば1100円くらいまで落とせるかもしれない。
現在のネギの価格は1ケース1250円。これは経営的に厳しい。
それでも1000円つくなら出荷するだろう。
ネギが収穫できるところまで行った時点ではもう生産費400円と燃料代などは埋没コスト、使ってしまったお金だ。
ここから収穫箱詰め出荷で800円くらいと思うと、1000円で売れれば一応手取りとしては残る。
こうして再生産価格以下で野菜は出荷されていく。そして終わってみれば赤字。
800円割ってたら本当に出荷するほど現金が減っていくので、パート辞めてもらうとかそういう手段を取り始めることになる。
経営環境が不安定なところで固定費を上げることは、とてもハイリスクだ。しかもリターンがあまりない。
何千万円・何億円もする機械があれば経営規模を維持することは大切だけど、ネギの機械なんて数百万円だ。
従業員がいるから多少赤字でも出荷し続けた方が赤字幅が減る、そしてさらに値段が下がるなんてバカなことになる。
家族だけならベテラン揃いなので最高に生産性が高められるし、赤字幅も小さいからどうにかもたせられる。
国や県は規模拡大を推進しているけど、なかなか進まないのはこういう構造的な問題だと思うよ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c27a74f51fa606c46562365cc4bed5746601a70c
結論として、コメ不足はさほど問題にならないだろうと思っている。
米の不作というのは、いろいろな原因で起きるが、
飢饉が何度も起きていた江戸時代とは違うので、虫や病気の被害はまだ農薬である程度なんとかなる。
日本で蝗害(バッタ)というのは、ほとんど聞いたことがない。ウンカは何度かあったと思われる。
現在起きる食糧不足を招くような不作というのは、俗にいう梅雨寒からの冷害が一番だと思う。
1993年の米不足もそれが原因だ。
全然関係ないけど、なぜバッタが同一方向に移動するかというと、後ろのバッタに食われないようにするためという説を知り驚いた。恐ろしい。
減数分裂期と呼ばれる、イネが花粉(精細胞)と胚珠(卵細胞)を作る時期のことで、
コシヒカリの場合は17度に2時間当たるとで不稔(実ができない)が発生し始めて、10度ではほぼ全滅すると言われている。
9月中旬の収穫であれば、減数分裂期は7月中旬ごろになるだろう。
ちょうど梅雨の終わりくらいの時期にあたるけれど、梅雨前線の北側が冷たい空気で、南側が暖かい空気だ。
梅雨前線がしっかり北上してくれないと寒くなりやすく、特に東北地方は奥羽山脈の西側で低温なうえ霧が出やすくなる。
米の国内生産ランキングは新潟-北海道-秋田-山形-宮城と続き、東北で約30%が栽培されている。
また、低温多湿になると、コメの最大の病害であるイモチ病が発生しやすくなる。
火山灰などのチリが日光を遮り低温になること、雲が発生しやすくなることなどが原因としてあるようなのだけど、
しかし、93年冷夏の原因とされるフィリピンの噴火は北半球で、今回は南半球だ。果たして影響があるのか?
軽く調べた感じでは、1600年のペルーの噴火が同じ緯度で起こっていて、ゆるーくまとめられたのがこの記事。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/24/
何かの手がかりにするにはあまりに情報量が少ないけど、北半球でも大きな影響があったようだ。
ワインが壊滅的というのは、おそらくブドウが壊滅したということで、
果樹が致命的なダメージを負うのは開花期の降霜、多雨・日照不足による病気の多発なんかではないだろうか。
低温・多雨というのは十分に起こりうると思う。
それでも、コメについて93年ほどひどい状況にはならないと思う。
93年は需要1000万トンに対し生産740万t。当時の備蓄米は1,2年前のの軽い不作もあって20万t程度だったとwikipediaには書かれていた。
現在の米の需要量は700万t程度。生産量が720万tくらい。備蓄量は100万tとされている。
93年よりはるかに凶作に備えられていると言っていいだろう。
飼料のほとんどはアメリカからの輸入だし、小麦はアメリカ・カナダで80%だ。
多雨・日照不足で収穫量が減るのはどんな作物でも同じだ。収量も減るし、病気も出る。
93年当時より食糧事情はグローバル化し複雑になっているけれど
自国で不足したら輸出が減るというのは今も昔も変わらない。
コメが足りないより、小麦・飼料が足りないの方が問題になる気がしていて、
結果的にコメの需要が伸びで値段が上がる程度であれば、最近低価格が続いて困っていた農家としては大助かり。
そんなシナリオ、期待しない方がいいのはわかってるのだけど。