はてなキーワード: 感染とは
そもそもマスクをするしないは個人の自由だったはずではあるが、多くの大企業や学校がマスクの強制をしなくなり、また店舗における客へのマスクへの強制も(ヤバい奴らに絡まれやすくなるという意味で)しづらくなった。
これで少しずつマスクをしなくなる人が増えていくのは間違いなく、花粉の季節が終わり暑くなる夏場には外でのマスクはどちらかというと笑われる側になっていく気がしている。
そもそもマスクの効果はなんだったのかというと、 他者への感染率を大きく下げるのが特に大きいというのは周知の事実。
最大の感染リスクの場である飲食店ではそもそもマスクをしていなかったわけなので、マスクをしないことによる影響を受けるのは、職場・学校での近距離での会話による感染、飲食店以外の接客業の方の感染、ライブ等での感染が増える点くらいである。
接客業での感染については店員が犠牲になるが、店員側がマスクを続けることでスプレッダーとなることは防げるため、全体で見た時の感染状況への影響としては大きなものではないだろう。
音楽系のライブでの感染もスポットでのクラスターはあるかもしれないが、今後も毎日数万を超えるであろう感染者数において大きな割合を占めることは考えづらい。
そうなると職場や学校での感染増が大きな違いとなるが、職場や学校というのは政府の一声でどうにでもできるので制御しやすいとも言え、今後も感染状況に応じて臨機応変に対応していくことは可能だろう。
ワクチンを打ち切って残りの打ち手は特にないことと今現在感染状況が落ち着いていることを考えると、このタイミングでの政府の推奨の解除というのは悪手ではないと思える。(5歳未満のワクチンがほぼ間に合っていないことを除けば、であるが。)
このマスク社会の期間、日本人の多くにとっては些細と思える事柄であっても、それが強制されることで自己の尊厳を奪われたように感じる人もいるという事実がわかったことは、プラスに捉えるべきだろう。
また、政府としての姿勢を示すことなく最後まで空気を読み、読ませることだけで乗り越えた日本という国の問題も十分に可視化された。
1年前より毒性は変わらず、感染力は上がっているぞ?
同じ基礎疾患持ちなら、わかっておけ。フェイスシールドは無意味だし、どれだけ良いマスクをつけていても、相手が感染者なら、「マスクをしていても、50センチ以内の距離で15分会話すると20~30%の確率」で感染することが1年も前に報道されている。
在宅勤務は全員にできるわけじゃないだろ。だいたい、大学や学校の生徒は「対面」にさせられて、同じ基礎疾患持った学生の教育の権利が奪われようとしているんだぞ。同じ基礎疾患持ちなら、少しは仲間を助けようと協力しろよ。
これからは、基礎疾患持ってない奴と基礎疾患持ちの間の、生存をかけた闘争の時代なんだよ。基礎疾患持ってなくてマスクを外すのは自由だけど、外した奴のことを基礎疾患持ちがどう思うか、どう論評するかは基礎疾患持ちの自由なんだから、堂々と「あなたは我々を殺そうとした!人に死んでほしいと心の奥底で思っている悪人だ!」と言い続けて、我々の生存権を確保しないとだめなんだよ。
https://www.sankei.com/article/20220202-5NUB7XGLYJKKNEIPO2OUDSQ6SM/
1年前の時点で、「マスクをしていても、50センチ以内の距離で20~30%の確率」で相手を感染させると書いてあるぞ?
混雑した電車内でマスク外して、もし自分が感染してたら、周りの3人のうちの1人には感染させるってことだ。自衛すればいいっていう問題じゃないってわかる?相手がマスクしてても感染させるんだよ。たくさん報道されてるのに何で見てないの?基礎疾患持つ人間が生きようが死のうが関係ない、東日本大震災みたいな大量に人が死ぬ事件があるときに、ゲラゲラ笑って「運が悪いやつが悪い!人の不幸は蜜の味!」みたいな悪意に満ちた考えが心の奥底にあるから、マスク外そうとするんじゃないの?
これだけ報道されてて、見てないってことは大人だったらあり得ない。マスクを外すという事は、「基礎疾患者が死んでも構わない、周りの人間が死んでも構わない、迷惑な人間に生まれてきたやつが悪い、そいつらを抹殺できる自分はえらい」というような、いつかあった障碍者施設の連続殺人の植松聖みたいな精神を心の奥底に持っている人間だから、電車の中で外しても構わないと思えるんだと思うよ。
https://www.sankei.com/article/20220202-5NUB7XGLYJKKNEIPO2OUDSQ6SM/
マジレスすると、ちゃんと、全然確率違うって書いてあるぞ?携帯の電波でペースメーカーが誤作動した事例は、確認されていない。
一方、基礎疾患側がマスクなしで防衛してても、感染者がマスクしていなくて声を上げれば、相手を30%の確率で感染させる。つまり、電車の中でマスク外して、目の前の人がマスクで防衛している基礎疾患者だったら、自分が感染していたら30%の確率で相手を感染させるかもしれない。
科学的な思考ができないお前は、昨日の東日本大震災から12年の慰霊みたいな場面で「人が死んでザマァ!津波が起こるようなところに生まれ育ったのが悪い!」みたいにゲラゲラあざけわらうんだろうな。「基礎疾患持って生まれたやつが悪い!」って思って生きているんだから。
人の心を持っているとは到底思えないね。
あっ!基礎疾患者が全員死んでも構わないと思っているマスク外す人間のクズだ!自衛しても、マスクしてない感染者が1名大声でしゃべったら終わりだっていろんなところに書いてあるよ。
お前みたいな奴は、きっと、昨日の東日本大震災の慰霊祭でも「人が死んで楽し――――!!!」ってゲラゲラ笑っていたんだろうな、ヒトデナシめ。
明日からマスクが個人の判断になる。マスクを外すと、万一自分が感染者だった時に、「周りの人に感染させる確率がグンと上がる」と書いてある。
つまり、基礎疾患を持つ人が周りにいるかもしれない場(公共交通機関、大学などの講義、などなど)でマスクを外す人は、「万一、周りに基礎疾患者がいて、基礎疾患者に感染させて重症化してしまっても構わない」と思っているという事だ。
社会に対する迷惑度で言ったら、醤油ペロペロ男と同じか、それ以上であるようにしか自分には見えない。醤油ペロペロ男が、万一、何かの感染症にかかっていたら、同じ醤油さしを使った人間に感染するかもしれない。が、まぁ、多分、死にはしないだろう。
一方、マスクはどうだ?「基礎疾患のある人間がいるかもしれないところでマスクを外した人間が、万一、コロナに感染していたら、基礎疾患のある人に感染させてしまうかもしれない」同じじゃないか?醤油ペロペロ男とどう違うんだ?しかも、それで重症化させて殺すことがあるかもしれないんだろ?マスク外す奴は醤油ペロペロ男より酷い人間のクズじゃないのか?
マスクの着脱は個人の判断だが、「マスクを外した人を見てどう思うか」も基礎疾患持つ人の判断であるはずだ。自分は、基礎疾患があるので、自分の前でマスクを外す人間は、自分が死んでも構わないという考えを持っている人間とみなすことにした。
仕事についてはそれで付き合いを変えることはしないが、個人的な付き合いはやめさせてもらう事にして、さらに、「〇〇さんは自分に死んでほしいらしい」という話を裏で流すことにしたいと思う。実際、嘘は言っていないしな。
せやな。
昔、墓地が必要だった理由は、死体とは感染症の発生源そのものだったことと、土葬であったためだ。
その方面から考えると、従来の形の墓である必要性はないよな。
死亡した人が感染症にかかって死んだとなると、その近くにいるだけで感染してしまうこともある。また、死体は腐る。人間を腐らせる菌とは、人間を好んで腐らせる菌であると考えられるから、隔離しておくことが必要だ。
そして土葬である。土葬は非常に広い面積が必要だ。そして、その中で死体は腐らせるわけだが、上記の通りそれが感染症の原因になったりする。そして昔はそれが、手厚く葬らないと、腐敗した体液が漏れたりして、感染症の原因になり、祟りとして伝ったのであろう。
ただ、増田が望のように焼却ゴミと一緒に処分せよ、と言うことは現代でも難しいと思われる。それは何故かというと、現代では設備が整ったから墓は簡易であれば良いと言うだけであって、本質的に放置してしまっては、感染症などへの危険は依然として残るからだ。
さらに、社会的な要求もある。つまり、好きに遺体を処分できるようになってしまうと、殺人などの重大な犯罪の防止や摘発、人権と結びついている各種制度(年金など)との兼ね合いなどが難しくなるからだ。
また、そもそも100kg近い人体のようなものは、焼却場ではきちんと焼けないと思われる。ちゃんとした設備が必要だ。
と言うことで、
と言うことでどうだろうか。
これまで、競争に勝って経済成長するためにはとにかく規制緩和をして、市場で競争させて、市場でいい商品が出てくるのを待つというのは基本戦略として正しかった。
なぜなら政府にはどの産業が今後伸びるのか、消費者はどんな商品を欲しがっているのかを予想する能力はないから。
民間企業が自由に商品を作り合って、競争して、最終的に消費者に選ばれるようなものを作った企業が勝つ。これが今までの資本主義。
しかし、今後は違う。SDGsの時代。国家資本主義が始まる。計画経済が始まる。消費者がガソリン車に乗りたい、牛肉が食べたい、牛乳が飲みたいと言っても、自由に買わせない。制限をかける。
国が地球環境にとっていいのはどの商品なのかを決めて、その商品を作っている会社を育てていく。産業を育てていく。
省エネ、昆虫食、原発、太陽光、水素、風力、半導体、EV・・・。
もう市場競争の時代は終わり。国が主導する計画経済の時代になる。日本はそういうやり方が得意。
これまでの民間に任せるやり方は全く得意ではなかった。任せようとしても抵抗勢力が必ずあらわれて、頓挫。もしくは中途半端な形で実行し失敗。
今後は日本の得意分野である国と企業が一体となってやる事業がメインとなる。戦後の、世界から恐れられた時代の通商産業省が戻ってくる
日本は自由に任せるからなんかやれ!と言ってもなにもできないが、国が○○をやれ!と命令すると一気に欧米各国には真似できないレベルのパフォーマンスを発揮する。ついこの間コロナ対応でも見せた力だ。
2020年は感染者も死亡者も少なく、GDPへの影響も小さかった。何をすればいいのかが明確だったからだ。
2021-2022年は感染者は少ないが、GDPが欧米ほどは回復しなかった。コロナ対策をやめてもいいかどうか不確定な状況。日本にとって苦手な状況。こういう時期はうまくいかない。
今後の世界経済はかなり予測しやすく、国が主導してどの産業を育てるのかを事前に決めていく社会になるので、日本人は無心でその流れに乗っかっていきましょう!
https://www.yomiuri.co.jp/economy/20230306-OYT1T50152/
エアロゾルなので、ウイルスはマスクを余裕でスリ抜け、あなたに感染します。
絶対に感染したくない人は、マスクをしても地下鉄やスーパー、飲食店には入るべきではありません。
家に引きこもり、買い物はAmazonかUber Eatsで済ませるべきでしょう。
RCTの結果を見れば、マスクに防御力がないのは明らかです。今、ほとんどの人の体内にはコロナウイルスは存在しているでしょう。発病してないだけでウイルスは確かに存在しているのです。
それくらい、みなさんの自己免疫力が強いのであり、ウイルスは弱毒化しているのです。
「マスクはノーリスクだから」といった声が聞こえてきそうですが、それも否定しておきます。マスクはウイルスや二酸化炭素を再吸引して体を蝕みます。長時間のマスクはむしろ免疫を下げることも良く知られた話です。
https://twitter.com/80syaku/status/1632649369106391040
なぜなら、IgG4は貪食細胞による貪食作用が低下してしまうからだ。
例えるなら、血液中に掃除人がいない状態になることを意味する。掃除人がいなければ、どんどん血管内でゴミはたまり、血管は詰まってしまう。
最悪なことに、mRNAワクチンは自然感染と違い、LNP(脂質ナノ粒子)に包まれて全身に運ばれる。副腎や卵巣、脳にまでmRNAは運ばれ、巨大血栓ができる可能性がある。
ノーベル医学章学者のリュック・モンタニエ博士は死の前に「mRNAワクチンの接種者は2年後に死ぬ」といった言葉を残している。
当時は反ワクチン界隈でも「いくらなんでも盛りすぎだろう」といった話が出ていた。
しかし、時間が経過して多くの研究データが揃った今となっては、モンタニエ博士の言葉も「陰謀論」とは言い切れなくなった。
これから私達は「多くの突然死」を見ることになるかもしれない。
2019年の暮れ、中国武漢市で発見され、翌年客船経由で日本にて蔓延が始まり、2月より世界的大流行となった新型コロナウィルス感染症。
政府や医療系の有識者などからはマスク着用や自粛の要請がなされた。
一方で私は、ノーマスクandノー自粛で暮らしてきたが、まったく体調は崩していないし、他人に害を加えられたこともない。
そんな私が3年間で続けてきたことを3つピックアップして書いていきたい。
外に出てみると、誰も周りにいないというのにマスクをしている人ばかりだ。
本来マスクは感染対策として着用するものだが、そういうところでつけていても意味がない。
一方で、人と人との距離がどうしても近くなり、マスクの着用が効果的といわれる場面もある。
その最たる例が公共交通機関だ。
航空機(日系航空会社に限る)はマスク着用が強制で、未着用の場合客室乗務員に注意され、(その他指示含め)従わない場合搭乗拒否となる。奥野淳也(マスパセ)氏の一件が有名だ。
ちなみにあるTwitterユーザーによると、全日空はその理由を「不安がる客に配慮するため」としており、感染対策がおざなりになっている印象を受けた。
バスは会社による。筆者は西東京バス(八王子駅~サマーランド線)にノーマスクで乗車したとき、乗務員に注意されたことがある。
一方未着用者を追い出して行政処分を食らったところもある。
鉄道はほとんど強制してこない。一応マスク着用の呼びかけはしているが、「国土交通省からのお願い」とどこか他人事のようだ。
改札口をノーマスクで通過しても、すぐ目の前にいる駅員は何も言わない。こちらをしっかりと見ているはずなのに。
ホームに降りる。監視カメラで見えるし、なんなら構内放送で注意できるのに、やはり何も言わない。
そのまま電車に乗ったが、注意されることもない。
Twitterを見ると「ノーマスクを殴りたい」「控えめに言って死ね」などと物騒なことを言ってはいるが現実はそうでもない。
周りはこちらのことなど気にしないし、なんなら隣に座ってくる。
目立とうと思い、その場でデレステのMASTER+(かなり手を動かす)をプレイしてみたが一瞥だにされず。
もし殴りたいなら殴ればいい。穏便なやり方で済ませたいなら口で注意するなり、通話装置で乗務員にチクればいいはずなのに。
乗務員に通報すれば施設管理権で追い出すことができ、運が良ければ警察行きにすることもできます。
(車内の通話装置は非常停止ボタンではありません。乗務員と通話できるだけで運転見合わせにはなりません)
「ヤバい奴と分かっているから何もしないんだ」と言われるだろうが、これも怪しい。
ヤバい奴だと思うなら、それを避けることだってできる。別の車両に移ればいい。
乗務員へチクりるにしても、離れたところでやればこちらに知られることがないからリスクはさらに低い。
それすらもできないならできないでそっと離れればいいのに、なぜかそうしない。
いやホント、Twitterで愚痴を言うくらいなら勇気を出した方がいいですよ。
中には「顔に自信がないからマスクする」「マスクはマナー」と頓珍漢なことを言う人も出てきた。
当然法で定義されたものではない。調べても色々な人が全く異なること、下手すると正反対のことを言う。
どこを探しても各論的なものしか出ず、誰かが言うたびにその種類は無限に増えていく。
(最近は「マナー講師」とかいう、嘘をでっちあげるビジネスが横行しているそうだが)
「人を不快にしないのがマナー」としても、その基準は人によって大きく異なる。
その論理でいえば、無感情な人の前ではマナーは存在しないし、自分を嫌っている人の前ではどう策を講じてもマナーを履行できない。
結局のところ、「マナーを守れ」というのは「自分が気に入らない」ということなのだろうか。
しかし今ではその目的を見失い、マスクすることそのものが目的と化している。
おそらく周りの乗客もマスクの意義についてはよく理解していないか、薄々疑問を感じているのだろう。
しかし日本の文化上権威の申すことや周りと同じことをしないのは社会的デメリットが大きい。
だから嫌々ながらも、あるいは何にも考えずにマスクをしているのだろう。
…と思ってTwitterを見てみると、「私だって苦しいのに」「みんなやってるのに」という、仮説ドンピシャな投稿多数。
要は小学生が学校でよく言う「みんな苦しいけど頑張っているんだよ」「障害持ってるあの子もやってるんだよ」的な代物だ。
(後者は障害者を見下したうえで無理やりやらせている気がする点人権的にいただけないが、ここでは論じない)
大人になるとなまじ知識があるからこれをカムフラージュする言説を組み立てられるが、これは非常にわかりやすい。
それに匿名を前提としたインターネットのことだ、案外リアルでは影響がないのかもしれない。
過激な意見は目につきやすい(閲覧回数が増え、拡散されやすくなる)からどうしても検索上位に来る。
それはインターネットでは目立つが、実生活では無視できるくらい小さな意見なのだろう。
そういえば、インフルエンザのときはマスク着用者や感染者を見下していたくせに今となっては手のひらを返した小説家の医者がいたっけ。
世界的パンデミックとなった当初は世界各国が都市封鎖及び外国人渡航者の受け入れ停止をしていたため、海外旅行へは行けず。
日本国内でも外出や旅行の自粛要請、それを踏まえた各種イベントの中止などがなされた。
だが交通機関は普通に動いていた。航空路線は大幅減便があったが、それでも移動には影響しない。
従って旅行も自粛しなくてよいと判断し、感染拡大前と同様の行動をとった。
とはいえ1年目は、入国関係で支障をきたすことへの不安から海外旅行はできなかった。
そこで沖縄旅行にとどめることにした。当然ながら全行程ノーマスクである。
沖縄本島は高校の修学旅行で行ったので、ここは簡単に回る程度にし、主として離島を回ることにした。
初日、羽田を出てまずは沖縄本島へ向かった。ここを経由し粟国村で一泊。
次いで本島に戻り渡名喜村、その後は北大東村、最後に与那国島を観光。
航空機・船舶路線がないところ(ナガンヌ島、黒島、水納島など)に行けなかったのは残念だったが。
その後各国が入国者受け入れに寛容になったので、海外旅行もスタートした。
すでに5回渡航しているが、最近だと、数日かけてシチリア島からコペンハーゲンまで列車で縦断した。
成田からシンガポールを経由(ついでに空港のシャワーでひとっ風呂)し、早朝にミラノに到着。そのまま午前の便でパレルモへ飛んだ。
列車でパレルモ中央駅に出て、正午過ぎの寝台特急で24時間以上。今の日本にはない列車の船舶積載も体験した。
ミラノからは特急でヴェネツィアへ。これだけで1日が過ぎてしまったのでまた寝台特急。初めての国際寝台列車でシュトゥットガルトへ。
ハンブルクへ向かい、ミニチュア・ワンダーランド(模型遊園地)へ。
さすがに疲れたので、その日はここでホテルを取り、翌日電車でコペンハーゲンに到着。
で、SASの直行便にて2月半ばの金曜日に帰国した。そのまま土日で東京ドームにコンサートへも行った。
このときから政府の指針により声出しOKとなったうえ思いっきり「密」だったが、やはり健康そのものだ。
感染拡大当初はともかく、自分以外にも自粛などしなくてよいと考える仲間がいたのが心強い。
普通に外出をし、飲み会をし、と人生を楽しんでいるようで何よりだ。
ある日のサンシャイン通りは人でごった返す中、外出自粛を呼びかける豊島区役所職員の声がむなしく響いていたのが印象的だった。
(ちょっとかわいそうと思ったが、本人は職務上やらされているだけで本心はバカバカしいと思っていたりして)
ここでは、行動というより気の持ちようについて話したい。
タイトルの通り、「お願い」「要請」と「義務」「命令」は異なるものだ。
後者は守らない場合に何らかのペナルティが科せられるが、前者は無視しても問題ない。
日本政府は「自粛『要請』」「休業『要請』」などと、「要請」しかしておらず、受けるかどうかはこちらで決められる。
一応「強い要請」もあるが、「お願いします」が「しなさい」になった程度でやはり無視することができる点は変わらない。
言い換えると法的根拠がない以上ペナルティを持った法的拘束力はなく、すなわち自由にできるわけだ。
そもそも自粛したところで何の見返りがあるのか。ないのであればする意味はない。
「自粛と保障はセットだろ」といわれたが、国が何もしない以上こちらが義理を尽くす必要もない。
「お願い」=「義務」という言説があるが、きちんと文字と国語辞典を読めと言いたい。
どこをどう解釈したら「お願い」が「義務」に飛ぶのか。そんなことが書いてある辞書がどこにあるのか。論理を飛躍させるな。
お隣さんが言おうが政府が言おうがお願いはお願い以上ではない。守る義務はない。
いったいいつから「発熱外来は真面目に要請を守っている人だけのもの」になったんですか?なってませんよね?
どこにも「外出自粛していない人は当院の受診をお断りします」なんて貼り紙はないし、ましてやそういう法律もない。
よって、どうしていようが体調を崩したら病院を受診する権利は誰にでもある。
そもそも、政府の「お願い」レベルのことを聞かないだけでだ。いつまでたっても権利が来ない義務を守り続けないだけでだ。
そんなことで壊れる社会なのですか?
その程度で壊れる社会だったら壊れてしまった方が、そして各個人がもっと自由にふるまっても壊れない社会にした方がいいのでは?
ここまで私のノーマスクandノー自粛暮らしをつらつらと書いてきた。
当然ウィルスは見えないので、こちらが感染したかどうかはわからない。
しかし1つだけ言えるのは、感染して発症するかだとか、それでどうなるかは結局のところ運でしかないということだ。
家の中でもマスクして趣味をいくら我慢しようとも感染するときはする。体調が悪いときは悪い。死ぬときは死ぬ。
どちらも確実ではない。神のみぞ知る確率でどれかに行きつくだけだ。
(素人が適当に確率を言おうとしているものもあるが、大概不正確だ)
ちなみに、私はこれでも3年間一切体調を崩しておらず、毎月PCR検査を受けているが陽性判定が出たことはない。