はてなキーワード: 富の再分配とは
割れ窓理論とは、1982年にアメリカの心理学者、ジョージ・ケリングが考案した理論である。「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」との考え方からこの名がある。
日本における様々な社会問題は、いじめ問題や貧困による問題などを見ていく限り、小さな問題が大きな問題につながっているケースが多い。例えば貧困の問題は、福祉システムや税金システムの不備という小さな問題が平均所得の下落を引き起こし、最終的に絶対的貧困者の生活苦や体感的貧困率の増加に繋がっている。
例えば日本の三大疾病のひとつである癌は、初期の段階で放置しているとやがて少しずつ悪化し、最終的には生命の危険に至る。だから、どこの保健機関も「癌は早期発見し早期に治療せよ」というのがスローガンになっている。
では、割れ窓理論が実際にどのように活用されてきたのか?一番有名なものはニューヨーク市の治安改善である。1980年代に治安の危機を感じた当時のニューヨーク市は軽犯罪を徹底的に取り締まることを徹底した。最初は強い反発もあったが、次第に軽犯罪の取締りの強化に伴い中規模犯罪や大規模犯罪の発生件数が減少し、現在ではニューヨーク市はアメリカでもっとも治安のよい都市に位置付けられるようになった。ニューヨーク市の成功事例を受けて、日本でも7大都市圏を中心に軽犯罪減少キャンペーンが展開され、現在は犯罪件数は毎年のように過去最少を記録するようになっている。
ブラック企業や貧困がまかり通るようになったのは、富や労働力の再分配が不十分であることが原因である。富の再分配とは、税制の改造や富裕層の自助努力によって富の一部を貧困層や中流に分け与えることを指す。すなわち、消費税のシステムを日用品や公共インフラには非課税にし、贅沢品にはなるべく高い消費税(10%程度が望ましい)を課すように改善することや、脱税の取締りの強化を行わなければならない。もちろんこれは政治家や官僚のモラルが善良であることを前提としている。
ブラック企業に関しては、人事が体力・メンタル的に仕事面で合わない人間を採用しないようにする、労働力を最適化する、長時間労働を抑制する賃金システムにするといった複雑な改善が必要になってくるだろう。それ以前にゆとり世代やさとり世代といったメンタルやモラルに欠陥のある人間に対する啓発や再教育なども必要となるが…
現在ホットな話題になっているのがまさにこれだろう。人種差別や歴史修正主義や反知性主義の台頭を野放しにしてきた結果が現在の安倍政権であり、欧米における右傾化がある。これに対しては人種差別や歴史修正主義や反知性主義に対して知識層が批判・非難し続けることで鎮圧させることが重要だ。
2017年9月8日に東京京橋のtwitter本社前におけるデモが話題になったが、まさにこれも割れ窓理論に基づく運動である。SNSにおけるヘイトスピーチに対する粛清行為は、ニューヨークの場合における軽犯罪の取り締まりに相当する。これを政治の場面でも活用すべきではないかと思う。
現在の日本人には鉄道=迷惑施設というイメージが定着しており、そのためか鉄道趣味も1990年代や2000年代に比べてかなり下火になっている。鉄道利用者のモラルの低下も叫ばれているが、この大元の問題はインフラの老朽化などにあるのではないか。
地震対策や鉄道の故障やトラブルによる定時率低下が叫ばれるようになってから、人身事故(鉄道自殺)や痴漢犯罪が社会問題化されるようになった。解りやすくいえば、安全対策や防災対策が不十分の、老朽化した鉄道車両や鉄道施設が野放しにされることにより、鉄道会社が注意を払っていないと認識した悪徳利用者が鉄道自殺や痴漢行為を引き起こしている。
この問題については、完全な結果を出すことは難しいのかもしれない。何せ日本は世界的に見ても珍しい、鉄道会社が都市企業化かつ多様化している国だ。しかし、大幅な改善は可能であろう。きちんとホームドアを設置する、監視カメラを設置する、鉄道インフラを更新する…こういった地道な努力をすればよい。
氷河期世代やゆとり世代やさとり世代の台頭以降、日本人の低能ぶりが露見する自体が多発している。学力の低下、政治意識の低下、娯楽中毒…挙げていけばきりがない。
彼らに対する対策は学力、政治意識、適度に娯楽と向き合うことの大切さや大変さを学校等で学ばせることにある。日本人は学習能力の高い人種であるといわれているので、人種性に合わせた教育を行えばよい。もちろん、違う人種に対してはその人種に合った教育法で教えさせるべきだ。
自分だけエエカッコ、というよりも、神の目線的に俯瞰的にみりゃ、生物としての人間が増えすぎて調整局面、みたいな面もあるのかなと思うけど。
「神の見えざる手」が、市場調整のために人間を間引いているというか。
拡大再生産優先の(言葉としてはジェンダー的に正しくない使い方ではあるが)男性的な方法自体が、200年ぐらいやってきて制度疲労してることに絶望しているという言い方もできるか。
議論としては少し違う軸におかれがちだが、今の貧困極右vs富めるリベラル、みたいな構図も「制度疲労」前提で考えると上手く配置できるんだ。言葉遊びみたいなもんではあるが。
拡大再生産は効率性を求めるが、制度が成熟していけばいくほど、多様性がないものには価値がなくなる。プロダクトの価値差異で儲けにくくなる。
そういう過剰成熟した資本主義社会は、労働賃金差異のみでしか価値を生み出せない貧困層にとっては、全体主義的なマスプロダクツが無くなり生産効率が落ちて自分たちの懐にまで金が回らないから都合が悪い。
一方で、資本主義が求める価値=今まで最も大きいウェイトを占めていた賃金差異を生み出せる場所は、もう地球上にほとんど残っていない。マスプロダクツの生産拠点は、中国→東南アジア→中央アジアとどんどん「秘境の奥地」へ開拓されていく、それももう限界で一昔前の秘境もいまや一大消費地となり、また価値差異は小さくなっていく。要するに世界中のほとんどの場所で、燃費が悪くなった状態。
で、異なる社会間での賃金差はもう期待できないからプアホワイト的な貧困労働者が更に苦境に立たされる、そして同一社会において相対的により低い労働力としてカウントされがちな移民や女などの社会的弱者への排斥圧力が高まってくるんだろう。トカゲが自分のしっぽ食う感覚。
この1年ちょっとでもう誰も言及すらしなくなってるが、ピケティが21世紀型の富の再分配方法を考えなければ、という命題を提示したのも、象徴的に考えられるような。
http://anond.hatelabo.jp/20170511170337
書く場所が間違い
2、はてなーは金持ちになりたいが、金持ちは嫌いだし、働きたくはない
金を求め、頑張って働くのを論じるのが間違い
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20170511170337
上記記事のコメント欄を見て何度めかわからないけれど「左翼的な言説の限界と言うか気持ち悪さというかなんかもやもやするもの」についてのメモ。
初めに断っておくと、自分個人は穏健な左翼的な人間だと思ってる。この辺曖昧なのは「それそのものの人」に「お前なんかニセモノだ、死ね!」と棍棒で叩かれるのが怖いからであって、内心ではちゃんと穏当左翼だよ悪いスライムじゃないよぷるぷる、と思ってる。再配分はした方がいいと思うし、生活保護の捕捉率は上げたほうがいいと思ってるし、戦争はしないほうがいいと思ってるし、言論や思想の自由は大事だと思ってる。
でも、一方で、それは「俺という個人がそう願ってる」であるとも思っている。
ただ単純に「俺という個人がそういう政治的思想で、つまりは、そういう好みで、そうなればいいなあ、そうしたいなあ」と思っているという意味だ。
でも、政治的な記事へのはてブのコメントを見たり、世の左翼的な言説をするひとの発言を読んだりしていると、割と頻繁にどうしようもない違和感を感じる。
たとえば「再分配しないと社会が歪むでしょ」「再分配しないと治安が悪化するでしょ」「再分配しないと経済が伸びないでしょ」みたいな種類のコメントだ。
それらって、まず第一に、本当に本当なんだろうか?
例えば、社会が歪んだ結果、カタスロフ的なことが起きて世界が滅亡する――というような想定がなされているのであるならば、全人類が私欲を捨てて力を結集するというのにはインセンティブがあるのは明らかだ。しかし、想像だけど「社会が歪むでしょ」といったときの「歪む」って、そういうレベルの大災害を想定していない気がする。
そして第二に、だとすると、それって主観マターなんじゃないだろうか? つまり、歪んでいると感じない人(例えば富裕層)が存在する程度の「歪み」なんではないだろうか?
「治安が悪化するでしょ」「経済が伸びないでしょ」もそうだ。程度の問題で主観マターになってしまう気がする。
ここ2000年くらいの歴史を見ても、相対的に評価すれば、いまは全地球的に豊かで幸福な時代だと思う。歴史上最も格差が広がっているこの時代に、最も幸福なのだとすれば、格差が人を不幸にしているというのは、どういう説得力をもっているんだろう?
最初に言ったように、俺個人は再配分政策に賛成だ。もう少し弱者のケアをしたい。だから、そういう歪みや経済悪化を感じる主観があるってことそのものは、別に問題だとは思わない。ただ、でもそれは「俺はそう感じているんだよ!」でしかないので、他者を説得するに足るものではない。
違和感を感じるのはそこで、はてサであるいは左翼言説でよく見られる「~(は自明)でしょ」「そうすべきなのは明らかでしょ」「それが正解でしょ」という態度だ。
その発言を行った時点で「説得できた」と思っているような態度と言い換えてもよい。
左翼の人たちは、なんだか、「正しさ」に過剰な自信を抱いているようにみえる。「正しい(と自分自身で思っている)結論」を呟けば、それで話は終わるというような、その発言にあるような未来がやってこないのは、政府の/権力者の/資産家の陰謀であるとか、衆愚が正しさを理解しないからであるとか、なんだかそういうニュアンスを感じる。
俺個人は、どうしてもそこで安心して話が終わったという気持ちになれない。
俺が左翼っぽい、福祉とか再分配をもうちょっといい感じにしたいと思っているのは、純然に俺の好みでしか無いと思うし、そんな好み程度の発言で誰かを説得できるとも思わない。
日本の社会の歪みについては、歴史的に見ても、今ある歪みを直せば別の種類の歪みが出てくると思う。それは福祉をケアするという変更ですらそうだと思っている。この歪みとあの歪みのどっちがいいかっていうのは、まだそれを実行してないので選べないけれど、「歪みのない完璧社会が来る」なんて思えない。「いまよりましなのはこっちなんじゃないかなあ、好み的な判断だけど」くらいしかいえない。
治安の悪化については、うん、格差が広がると治安は悪化すると思う。でもそれを前提とすると、日本は世界的に見て治安がトップクラスに高いので、まだまだ格差はちいさくて、この先格差をどかーんと広げる余地があるっていう結論になってしまうんじゃなかろうか?
経済の発展については、最低賃金は上げたほうがいいと思う。でも、資産家からお金没収してそれをやるなんてやったら、それこそ経済ぶっ壊れると思う。私有財産権という、民主主義が旺盛や封建制から血みどろで奪った権利を「俺の好み」程度で犯すのは、到底「正義」だとは思わない。
何度も言うけれど、俺個人は福祉とか再分配をもうちょっといい感じにしたいと思っている。けれど、それはただ単に俺の政治思想的な好みの問題であって、「俺が正義で唯一正しい結論を言えるから」ではない。当然他の好みの人もたくさんいるのだ。自由主義とグローバリズムは、地球規模で見れば多くの人を救ったと言われれば、そうなんだと思う。俺個人は、そっちの思想の人を「お前は不正解」と断罪できるほどの「正しさ」をもっていない。
さまざまな政治信条の人が暮らす社会で自分の願いの方向に動かすのは、粘り強い議論とか、空気の醸成とか、そして選挙とかを経なければならないのだ考える。
仮にそっち方向に社会が進み始めたとしても、その後やってくるのは、プロジェクトを立ち上げた時に出てくるような、うんざりするほどの運営トラブルと制度バグと、それを一個一個デバッグしてアップデートしていくクソ長い時間だと思っている。
なので、「左翼的な決断が正義でしょ/当たり前でしょ/そうしないと社会滅びるでしょ」みたいな「正解を言ったんだからわかれよ」みたいなコメントを読むとものすごい違和感を感じるし、日本の左翼的な思想の限界ってここ――つまり「俺たちは正しいのでそうならないお前らが悪い」という、政治的対話や妥協を拒否する、傲慢な怠惰さなんじゃないかと思う。
今よりもっと良い社会がほしいのなら、今よりもっと対話のテーブルで汗をかく必要があるんじゃなかろうか。多くの人たちに自分たちの主張を「好き」になってもらえるように。
http://anond.hatelabo.jp/20170511170337
自分の背景とか前提みたいなもんなんだけど、今自分外資で働いてて、同僚に日本を案内とかしたりして結果仲良くなって外国の友達できてんだよ。アメリカ人とか、インド人とか、中国人とか、韓国人とかね。タイ人には自分の仕事分野の大家がいて、その人師匠だと思ってる。大事な友達、知り合い。だからかわからないけど日本って国にこだわりすぎるのは良くないって感じている。ピンキリあるけど、世界のいろんなところに自分より優秀な人がいたり、優しくしたい人がいっぱいいるっつうことに気付けた。
一方、日本で暮らす自分の子々孫々の繁栄を考えるんであれば、日本が国として成り立つために必要な教養レベルを保ちつつ、かつオリジナリティがある程度必要だとも感じていて、それを保ち続ける仕組みがないと、国として弱ってきて他国の後塵を拝することになるって感じている。学力で言えば東大に入るより難しい大学がタイにあるし、東南アジアの秀才たちがロボコンなんかの大会の上位にグイグイ食い込んでる。こいつらに勝たないと、子供達の財産ってどんどんなくなっていっちゃうと思うんだ。
思うんだけど、自分の係累だけ裕福になってこういう基礎教養やオリジナリティが創出し続けられる環境を作れるかっつうとそうではないんじゃないかな。ある程度日本の多くの人が教養を持ち、かつ多様な価値観を自由に持って、様々な行動を起こす環境には、ある程度、富の再分配を行う仕組みが必要なんだと思う。多様な価値観をもとに、多くの人が様々な行動を起こして、いくつかは目がでないけど、そのなかでいくつかは目が出てる。それを連綿と続けられるっつうのが大事で、その先に繁栄とか、裕福な未来っつうのがあるんじゃないかな。重ねていうけど、そういう土壌がないところは、どんどん衰退していって、結局貧しくなるんだと思う。
自分も、自分の子供大事だから財産残してやりたいって思う。そしてその子供の子供や、さらにその子供達へもね。でも、係累だけに継承させていったら、結局ジリ貧になるので、再分配になるような税金とかは積極的に払うし、払っていきたいと思う。
どうっすかね。