はてなキーワード: 内輪ネタとは
ネットで言論的な事、ソーシャルメディアでの短文コメントなどでTV局、アパレル、マーケティング、広告、電通などに関する議題で変なマウントじみた上から目線を感じることがないだろうか?例えば広告出稿の実務や電通の業務範囲などの解説に「電通を判ってない」と漠然としたコメントが付いたりする事だ。
亦は例えば脚本家と原作者のトラブルに端を発した自殺に関して「己の近いところに着弾」などと書いて自殺クリエータのナイーブを嗤うような文章だ。
実はこれらには「ギョーカイ」という30年前の知的スノビズムが関係しており、現在のその全ての発言者はただのワナビーだ。故に無視するか嘲笑するのがいい。
だがギョーカイがどういうのか判らない人には判別が出来ないであろうから、ギョーカイに就いてざっと解説したい。
1980年代の大学生というのはまるで勉強しなかった。これは60年代に反権威主義の全共闘世代が大学の知の権威を攻撃して教授や講義の尊敬を解体してしまった事に由来する。その後反体制という態度も流行らなくなり、更には嘲笑、嫌悪さえされるようになっていった。
だが大学の権威は復活しなかった。この為に80年代になると大学はレジャーランドとなり、特に文系学生は教科書さえ買っていないという風になっていた。
更にここにプラザ合意という政治状況が追い打ちをかける。日本は復興を遂げて70年代には経済規模が異常なほど膨れ上がっていた。アメリカがベトナム戦争で、欧州の旧連合国諸国が植民地独立による経済構造変化で苦しんでいた(除西独)のと対照的だ。
だが国民の生活は然程裕福にはなっていなかった。また戦後の窮乏状態から贅沢を忌避する経済道徳があった。
プラザ合意でこれが一変する。これは円高を誘導し日本の対米貿易黒字を削減する政策なので経済構造がそれまでの輸出産業優先のままだと立ち行かなくなってしまう。
そこでそれまで禁止されていた贅沢がお上のお墨付きで推奨されるようになったのだ。国民の経済道徳なんて政策で左右されるのである。文化は決定因子ではない。
また円高によってそれまで贅沢品だった輸入品の価格が下がる。当然購買意欲は刺激される。
この浮ついた好景気が加熱してストックバブルとなり、やがて弾けて失われた30年になったのは皆の知る通り。
この景気加熱はレジャーランド化していた大学生にも影響を与えた。それまで国内アパレルメーカーが若者向けブランドを展開してそれらが人気を博していたが、海外ブランド志向が進み、遊びの高級化が進んだのだ。有名なのがディスコのマハラジャやジュリアナ東京であろう。マハラジャの運営会社はそれまで「並」のディスコを経営していたが、マハラジャで極端な高級志向とドレスコードチェック(アメカジとかは入場禁止で上から下までブランド服必須)にしたところ大盛況となった。
だが大学生が高級志向になったのは自然な出来事ではなく、当時のファッションカルチャー誌が誘導したのであった。
こういう大学生に影響の大きかった雑誌にマガジンハウス社のPOPEYE(以下ポパイ)と講談社のホットドックプレスが挙げられるが、この二つは性格が違った。ポパイが先行、ホットドックプレスが追走、イノベーター理論で言えばポパイがアーリーアダプター志向、ホットドックプレスがマジョリティ志向という感じだ。
マガジンハウスはファッションカルチャー専業だけあってイノベーター人脈があるから未来への提案という形で誌面が作れる。
一方、ホットドックプレスは大出版社なのでもっと安牌志向だ。あまり冒険すると滑る危険がある。
そして流行に於いてマジョリティを相手にするという事は、アーリーマジョリティになれとけしかける事であり、故に強迫観念的になるのである。大学デビューした若者にファッションや遊びを勉強しろと迫る性格を帯びる。
山田五郎氏はyoutubeの「オトナの教養講座」を運営して大変引き出しが多くて教養がある人物だ。同氏は同誌の80年代の編集長であった。
教養人だが編集長時代はマガジンハウスの後追いで背伸びしたい若者に楽しいライフスタイルの提供というよりも「これぐらいマスターしないとモテないぞ」とオブセッションを刺激して走らせる誌面を作っていた訳で、正直そこについては評価できない。
これはホットドックプレスが悪いというのではなくて、トレンドの後追いする方は強迫観念に訴えるようになるという例だ。
そんな雑誌群でやたらと持ち上げられていたのがTV局、アパレル業、広告代理店という業種だ。
ホイチョイプロはこれらのブームが起きる前から広告代理店漫画を書いていたが、このブームに乗って多角展開するに至った。広告業の業務中で電通だけが特別視されたり、変なマウント取る奴が現れたりするのはこのホイチョイプロの影響である。
またとんねるずはパワハラ芸とTV局の内輪ネタで若者の歓心を得て売れるようになった。
特に初期のパワハラ芸が有名だがこのパワハラは芸人同士のそれではなくてTV局での上下関係に限られるのがポイントだ。TV局内とスポンサーなどの上下関係はギョーカイなので売り物になったのである。
故にギョーカイというのは単にがTV局、アパレル業、広告代理店という業種を指すのではなくて、当時の風俗上の序列に裏打ちされたそれら業界という事が出来る。広告代理店業務を特別視してマウントするという態度の背景には、輸入ブランド志向、高級ディスコ、VIPルーム、見せる為の彼/彼女、ポストモダン思想という今では時代遅れの事物の文脈がある。
一方、家庭を築いて建売とかと言った一般的な価値観は外部化されていて入っていない。
先に述べたように流行の浸透期には強迫観念に訴える形の言説が商売になる。面白いものがあるよ、じゃなくて時代に遅れるな、だ。
これらはもう時代遅れだが、この強迫観念に訴える扇動の効果は残っていて、広告やTV局に関する事が話題になると、今でも「電通の本質は違う」などという謎マウントが湧き出すという原因になっている。
特に地方在住者に顕著だ。広告への関係の仕方は様々あり、出稿する立場、印刷を受注する立場、看板屋など様々な立場の人間がネットに書き込む。また電通の業務のうち広告ではない部門、人材派遣やイベントプランニングなどに関する議題で書き込む人も居る。
それらに対して謎マウンティングしでいないではいられない人が現れるというのもネットの常だ。
これらの人は自分が参画しえない場所の話だったホイチョイプロなどのギョーカイ話を実業務での経験(他者の含む)で上書き具体化するのに失敗し続け、レイトマジョリティ転落の強迫観念で駆動され続けているのである。
彼等の言い方は、「電通とは」など目前の具体的解説よりなどまるでその評価軸が高級だったり知的であるかのようで、事情を知らない人は騙されてしまうが、その実は時代遅れの流行追っかけの知ったかぶりでしかないので、騙されないようにして貰いたい。
「インターネット下さい」やソーカルにコテンパンにされたポストモダンの亜種である。
この辺の事情を知っていれば、「己の近い場所に着弾」とか原作者の自殺をそのナイーブさ故と揶揄するAI画像を投稿してTV局の事情通風を吹かす者が現れたとしても、その破廉恥さに憤るよりも前に、その者がオピニオンバラエティに数回出ただけでドラマには関係してない事、職域が権利者との折衝と重ならないであろう事、出演回数的に業界風吹かしたい欲が最大化される地点である事、年齢的にギョーカイ特別視のレイトアダプター層である事、とんねるず世代などに着目し、地方のバーで「業界出身の人」ってこういう感じだよなぁなど感慨に耽り、祇園精舎の鐘の音が胸中に去来するはずである。
またマナの力に長ける者であれば、AIに向かって「政権のブレーンとして官邸に出入していた事がある事は履歴的に自慢したくなりますよね?という建前を押し出した笑顔の発言者の前で、現在相手にしている読者層がその政権へのドグマ的批判を共有するので炎上と評価低下を恐れて答えに窮し発言者が善意の天然なのか悪意があるのかはかり兼ねて引きつった笑いを浮かべる男性」という詠唱により画像を得る事が出来る筈である。
「TVに出るようになった切っ掛けってそのブレーン抜擢ですよね」と発言を重ね掛けする画像でもう一枚行けそうである。
いずれにしてもTVや広告業などの話で具体性も無いのにウエメセマウンティングが発生したら、その実は以上のような事情で背伸びしたい「追いかける人」であるので、良く知らんけど高級な知識っぽさに騙されないようにして欲しいものである。
西田敏行から松本人志に局長が替わって、探偵!ナイトスクープは格段に面白くなった。
西田敏行時代は、お涙頂戴なんでもOK の空気が流れ、くらやんの内輪ネタなど、放送するに値しないVTRが制作されていた。
松本人志に交代してからは、現場の空気もピリッとして、探偵たちもお叱りを受けないようにクオリティ向上に努めていたように感じられる。
思うに、松本人志が局長に就任したことは、探偵!ナイトスクープにとって神の采配であった。
性行為目的の合コンが開催されようがされまいが、私の感知するところではないが、探偵!ナイトスクープのクオリティが下がることは看過できない。
何が「事実無根なので闘いまーす」だ。ふざけるな。
芸人が乱癡気騒ぎを起こしても、番組のクオリティとは関係ないだろ。
その後も悪手を重ねて、ワイドナショーにすら出演できず、松本人志の評判に傷がついてしまった。
松本人志の番組は、松本人志の実績や信用があるからこそのポジションで成り立っているのに、軽率な発言で台無しにしてしまった。
なぜ、黙っていられなかったのか。松本人志に対する怒りが込み上げてくる。
次候補の条件は、つまらないVTRにつまらないと言えるかどうかである。
・たけし…高齢
・さんま…うるさい
・所…賢すぎる
・浜田…愛がない
・有吉…薄い
・マツコ…太り過ぎ
・川島…忙しい
・中居…ありかも
AMラジオが好きでよく聴くんだけど、軽く苦痛なのは、芸人の世界の内輪ネタがちょくちょく入ってくること。
この10数年のラジオの大きな変化の一つは、お笑い芸人がMCのラジオが飛躍的に増えたことだろう。ナイツやパンサー向井が代表的なラジオMCになっていることが象徴的だ。
ナイツも向井も別に嫌いではなく、お笑い芸人界以外の話題をしている時は普通に面白く聴いているが、ここ数日は「M-1すごかったですね!」をあらゆる番組でしつこく聞かされ続けて、正直うんざりしている。
もともとM-1でやっているような漫才が大の苦手で、ラジオであまりに話題にしているので我慢して観てみたが、案の定さっぱり面白さがわからなかった。ただただひたすら喧しいだけで、結局チャンネルを変えてしまった。M-1の話題が消え去るまで、ラジオを聴くのが苦痛な日々が続く。
情報番組から紅白の司会に至るまで、お笑い芸人出身の人間が担うことが普通になり、既にお笑い芸人は日本社会の権力的な地位にあると言える。だからM-1で、若手芸人たちがあんなに必死で真剣になるのだろうけど、そう考えると余計に笑えない。
遊び要素は全部やりきったと思う
強くてニューゲームがあるので残りのちょっとした実績は取る予定
ザコ敵がプレイヤー見つけたら寄ってきて戦闘になるうえ、逃げられないのが原因かな?
いちいちコマンド戦闘する必要があるのは後半テンポがよくない原因かも
プレイヤーが強かったら逃げていくとか一瞬で戦闘終わるとか欲しかった
まあそれはともかくシナリオはボリュームがあっていろんなたらい回しとかもあるんだけど
ただ中盤から敵の目的がよくわかんなくなって説明が減って無関係の前作知識で内輪ネタされて
(The Messengerプレイ済みだけどあんま覚えてねーんだわ)
ラスボスがクソクソクソだったのは終盤にかけてゲームの評価がちょっと下がったかな
難易度下げる秘宝なかったらクソゲーって投げてたかもしんないな
ホイールズはクソ運ゲーだけどハマった時は楽しいからもう少し遊びたかった
そんくらい
規模は常時300人前後。自分はいわゆる古参メンバーというやつで、コミュニティの事情はある程度は知っている。
いわゆる「コミュニティの一生」でいう、コミュニティ終末期にあたるのかもしれない。
まぁ知らんが、整理の意味も込めて振り返る。
・楽しい。わくわく。
・わあ、知らない世界の人がいっぱいいる(特に、自分と関わりの無い世界の人と知り合えるのはとても楽しかった)
・いろいろな考え方を知ることが出来た。
・いろんな境遇の人とも知合うことが出来て、とても心が楽になれた。
・コミュニティに入り浸るようになる
・徐々に身の回りでトラブルが多くなっていく(誰と誰がケンカしたみたいな)
・外の世界よりも、オンラインコミュニティの世界にいる方が楽しいし有用なのでは?と思えてくる。
・実際この時期に、コミュニティの考え方に心酔した結果、複数の友人を失いました。
・コミュニティに参加するメンバーが徐々に減っていく(メンバー間のトラブルだったり、内輪のノリに合わなかったりいろいろ)
・新人メンバーが参加しなくなるので、中身は同じことの繰り返し。
・でもメンバー間で、会話をして慣れあうには楽しくなくは無いので、限界集落化していく
・違う派閥の人とは会話しない、などが発生する。
・オフ会に出られる人と、出られない人にの間に親密度の差が生まれてくる。
中学生の時にバイブルのように読み漁っていた小説家がいたんだけど、高校受験のシーズンに入ってからと高校時代は勉強で心に余裕がなくて小説自体あまり読まなかった。大学生になって溜まった未読本を読もうと思って手を出したら作風とか、あとおそらく作家のメンタリティが結構変わっていた。解釈が変わったらなんだか中学時代に読んだ分まで遡って好きでなくなってしまいそうで、それがあまりにも寂しく感じ、自分の中学時代とその作家の蜜月を密封するために新作は一切読むのをやめた。
大人になってからは、すでに読んでいたものに対してさえ卑屈な感情を抱くようになった。知識が増えた目でその人の作風やエッセイを捉え直すと、あっ なかなか上流階級ですね…ということが見て取れるようになったからだ。そして本人はあるあるネタとして書いているものも、結果的にそういう階層内での内輪ネタにしかなっていないように感じるものが増えた。卑屈な気持ちになるし、それをいつか自分も体験するんだと無邪気に信じていた中学生の自分が馬鹿みたいで情けなくなった。
自分の感性や考え方の土台は明らかにその作家に追随し、模倣する形で作られたのに、それを基礎にした思考体系の1番上にいる現在の自分は、彼の書くものをテーマからしてしゃらくさいとしか思えない。不相応な世界観をそうと気付かずに取り入れた自分が恥ずかしい。そう考えている今の自分の思考はそこから生まれていることも苦しい。彼のことを考えると自己否定に繋がる。
まあだからあまり考えないようになって10年は経ってたんだけど、さっき彼とは関係ないラジオ番組を聞いてたら作家名がでて少し触れられていて思い出した。
作り話なんで、あまり本気にせずに聞いてくれ。
元々自分もそのスレの住人だったが、長寿スレになって内輪ネタが多くなってきたり、匿名掲示板なのに住人が個性を出し始めたりと閉じコン特有の現象が起きてて不快感があった。
とはいえなんだかんだスレにいたのだが、ある時俺の書き込みを住人の半コテが自分の功績のように言い出した事でついに限界を迎えた。増田も自分のエントリを「これ、俺が書いたんすよw」ってXで言われたらキレるだろう。
そのことを指摘するもそいつは色々とスレに貢献してる(ほとんど他人の褌だったんじゃないかな)ので住人総出でそいつの擁護に回り、最終的になぜか俺が叩かれる流れになった。悪いのはそいつだけかと思ってたが、結局スレの住人も全員バカなのが分かってしまってスレが嫌いになったし壊してやろうとすら思うようになった。反転アンチの誕生である。
まずは外部からのヘイトを集めるため住人のフリをして他のスレに内輪ネタを書き込む、という所から始めた。ゲーム関係はもちろん、可愛い二次元の女の子が出てくる系のスレ、単純に勢いのあるスレなんかも対象にした。長寿スレだけあって一度は見た事がある人が多いのでそこのネタであることは皆知っていて、自浄作用もない腐った連中という悪評を得ることに成功した。
当然、スレ外で内輪ネタを使ってはいけないという暗黙知はあったので他所に持ち出したことはスレ内で論争になる。そこで適当な半コテになりすまして対立するように煽りスレの雰囲気をギスギスにした。幸い語尾や顔文字といった手段でコテハンをやっていたため他人のフリをするのは容易だった。良くも悪くも奴の書き込みはいつも見ていたしな。
こうして内職に励んでいたところついにスレ内に荒らしが出現するようになった。知っての通り荒らしはスルー、が一番の対抗策なのでスレ住民としてひたすら反応した。構ってもらえて嬉しいのか、はたまた正義棒を手にしたと思っているのか荒らしはヒートアップ、いつの間にか数も増え徐々にスレは荒廃していった。
荒らしの恐ろしいところは一度目的を与えた後の執拗さである。スレが立つたびに待ってましたとばかりにコピペや罵声で溢れかえるようになり、元の住人は先のギスギスもあって愛想を尽かし離れていき、スレが立つ頻度がだんだんと減り、最終的には誰もいなくなった。
こうして数年続いた長寿スレとそれに乗っかるクソ共は一掃され、ゲーム総合スレでも例のあの人の如く口にするのを恐れる存在となった。事実忘れた頃にそのスレがポツンとたったが、秒で荒らしのターゲットにされて滅びてた。荒らしの執着性怖い。
俺は今でも件のゲームは続けていて、別のコミュニティで楽しくやっているが、あの頃開催していたイベントが復刻してたのでふと懐かしくなって書き込んでみた。