はてなキーワード: 一所懸命とは
まだ気が早いかも知れないけど、自分が思い付いたときに書いておく。
みんな今のクラスメートや担任との付き合いは卒業式までだと思ってるかも知れない。(小学生だと同じ中学に進む同級生とかある程度いるだろうけど。)が、案外大人になっても付き合いが復活したりするから怖いぞ。
特に実家もしくは実家のそばに住んでいて、一人でも二人でも昔の友達と連絡を取り合っているとヤバい。就職したり結婚したりして忙しいうちはみんな自分のことに一所懸命で、昔の友達のことなんか忘れてるんだが、職場である程度偉くなってあくせく働かなくても良い立場になったり、子どもが大きくなって手がかからなくなったりすると突然昔のことを思い出してしまうのだ。
先日小学生時代のクラスメートや担任との飲み会があって、卒業後30年以上経ってからそんなメンバーと飲んでいることにびっくりしたんだが、自分が小学校6年生のときにこんな将来予想してなかった。
大人になったら職場なり何なりその歳相応の人々と交流して、飲みに行ったり食事に行ったりするものだと思っていた。が、うちの会社は異動がやたらと多いので、意識して職場の人とのつながりを維持しないと異動と同時にさようならになってしまうことが多い。
私は人と仲良くなるのが苦手なので、クールでプライベートを大事にする人たちと働いていたりするとほとんど飲み会とか食事会とかがない。たまに歓送迎会とかに義理で参加しても、日頃の交流を怠っているとろくに話題もなく、居心地の悪い思いをするだけである。
私は特に出世したいとは思わないが、人脈が豊富で、その気になれば飲みや食事に誘う相手が何人でもいる人が羨ましくてしょうがない。コミュ障でいろいろな人と連絡を取りつづけるマメさも持ち合わせない自分が悪いのだろうけど、人生損してる感が半端ない。
そんなときに昔の友達から連絡が来て飲み会の話などになると、昔大して仲良くなかった相手でもなぜか嬉しくなって出かけてしまう。差し向かいだと会話に困ると思うけど、ある程度人数がいると誰かしら座もちの良い人がいて何とかなる。
時々「無職だから」「結婚してないから」同窓会に出たくないという人もいるようだけど、私の知ってる範囲では無職だろうがバツイチ独身だろうが、会費が払える状況の人は出てくるぞ。
…ということで、忙しいときは年賀状だけでもいいから、古い友達との人間関係を維持しておくのは大事だと思う。毎年「たまには会おうね」と年賀状に書いておきながら結局全然会わない人も多々いるけど、仕事を引退して暇になったときに会いたくなるかも知れない。
最近は人間関係も断捨離が流行っているようだけど、よっぽど相手の人格に問題があってもう付き合いたくないというのでない限り、切りすぎない方が良いと思う。これから何年生きるか分からないけど、もう必要ないと思っていたつながりが突然復活することもあるのだ。
私はあまり同僚とかと出勤するのは苦手なんだが、一人だけこっちの気持ちなんかお構いなしに「お早うございま~す」と話しかけてきて一緒に行くことになる女がいる。
まぁ雑談下手な私としては彼女みたいに勝手に喋りたいことを喋ってくれる方がありがたいんだが、それにしても彼女はあまりにも自分のことしか考えてないので、呆れるのを通り越して笑ってしまう。
今日は楽しい予定があるらしく、非常にご機嫌で、お気に入りの洋服の自慢をされた。確かに色白の彼女によく似合う服だが、「これ1,000円ですよ!」と安さばかり強調するのはいかがなものかと。私もその店は知っているが正直品質はお値段相応だと思う。普段は着ないような色やデザインの服をダメ元で買うには良いけど、きちんとした場所に着ていく感じではない。
そして私に説教する。「女はいくつになってもお洒落を忘れちゃダメですよ!」悪かったなぁ…。若いときから地味な色の服ばかり着ているし、化粧はいちおうするけど、夕方になる頃にはほとんど落ちてすっぴん状態になっている。汗をかく季節ならともかく、秋冬でもそうなるのが不思議。一時期一所懸命フルメイクにはげんだこともあったけど、恐ろしく時間がかかるので、仕事の日の朝にそんなものやってられない。
だいたい50歳近くて、ダイエットしてもすぐにリバウンドする女にそんなこと言うなよ。その偉そうな態度が気に入らないんだが、「私って○○さん(私)からどう見えますか?」とか直接聞かれても困る。あんたが思ってるほど私はあんたに関心ないから。それに「その上から目線の態度どうにかしろ」とか直接言えないし。
なんでこの人はこんなに自信満々で、自分を中心に世界がまわってると思えるのか謎。けっこう仕事上のつながりであまり冷たくできないのがまた面倒くさい。
その朝、ぼくは学校に行くのがひどく遅くなってしまい、それに高森先生がぼくらに連体詞について質問すると言ったのに、まだ一言も覚えていなかっただけに、叱られるのがすごく怖かった。いっそのこと授業をさぼって、野原を駆け回ってやろうかという考えが頭をかすめた。
すごく暖かくて、よい天気だった! 森の外れではツグミが鳴き、原っぱでは、製材所の向こうで、アメリカ兵たちが教練をしているのが聞こえた。どれもこれも連体詞の規則よりはずっと面白そうなことばかりだった。だが、ぼくは誘惑に打ち勝つことができて、大急ぎで学校に走って行った。役場の前を通りかかると、金網を張った小さな掲示板のそばに大勢の人が立ち止まっているのが見えた。二年このかた、敗戦だの、徴発だの、アメリカ軍政庁の命令だの、悪いニュースは全部そこから出て来るのだった。で、ぼくは止まらずに考えた。
「今度は何かな?」 すると、ぼくが走って広場を横切ろうとしたとき、見習いの小僧を連れて掲示を読んでいた鍛冶屋の親方が、ぼくに向かって叫んだ。
「そんなに急がなくてもいいぞ、ちび。学校なんて、いつ行っても遅れはしないからな!」
ぼくはからかわれているんだと思った。で、はあはあ息を切らせながら高森先生の小さな学校の中庭に入って行った。ふだんだと、授業の始まるときは大騒ぎで、勉強机を開けたり閉めたりする音や、よく覚えるため耳をふさいで、みんながいっしょにその日の授業を大声で練習するのや、それからまた先生が大きな定規で机をひっぱたいて、「ちょっと静かに!」と怒鳴るのが、道まで聞こえてくるのだった。
ぼくはその騒ぎを利用してこっそり席にもぐり込むつもりだった。ところがちょうどその日は、まるで日曜の朝みたいに、すべてがひっそりしていた。開いた窓から、仲間がもうきちんと席に並び、高森先生が恐ろしい鉄の定規を小脇にかかえて、行ったり来たりしているのが見えた。戸を開けて、それほどしんと静かな真ん中に入って行かなきゃならなかった。ぼくがどんなに赤くなり、びくついていたか、分かるでしょう!
ところが、そうじゃない! 高森先生は怒りもせずにぼくを見て、とても優しく言った。
「さあ、早く席について、ジソン君。君がいないけれども、始めようとしていたんだ」
ぼくは腰掛けをまたいで、すぐに自分の勉強机に坐った。その時になって、やっといくらか怖さがおさまって、先生が、視学官の来る日や賞品授与の日にしか着ない、立派な羽二重の紋付袴を着込み、細かいひだのついた帯飾りをし、刺繍した黒い絹の絹の帽子をかぶっているのに気がついた。その上、教室全体が何かふだんと違って、厳かな感じだった。
けれども一番驚いたのは、教室の奥の、ふだんは空いている腰掛けに、村の人たちがぼくらと同じように、黙って坐っていることだった。三角帽子をかぶったスニル老人、元村長、元郵便配達人、それからまだ多くの人たちも。その人たちはみんな悲しそうだった。そしてスニルさんは縁がいたんだ古い初等読本を持って来ていて、それを膝の上にいっぱい開き、大きな眼鏡を両ページの上にまたがって置いていた。
ぼくがそうしたことにびっくりしているうちに、高森先生は教壇に上がり、さっきぼくを迎えてくれたのと同じ重々しい声で、ぼくらに言った。
「みなさん、私がみなさんに授業するのは、これが最後です。朝鮮の学校では、これからは朝鮮語だけを教えることという命令が、アメリカ軍政庁から来ました……。新しい先生が明日来ます。今日はみなさんの最後の日本語の授業です。熱心に聞いて下さい」
その言葉を聞いて、ぼくは強いショックを受けた。ああ!ひどい奴らだ、さっき役場に掲示してあったのはそれなんだ。ぼくの最後の日本語の授業だって!…… ぼくときたら、やっと日本語を書ける程度なのに! このままの状態でいなくちゃならないわけだ!……
今になってぼくは無駄に過ごした時間のこと、鳥の巣を探して歩いたり、川で氷遊びをするため、欠席した授業のことを、どんなに悔やんだことだろう!
ついさっきまではあれほど嫌で、持って歩くのも重く感じていた文法や歴史などの教科書が、今では別れるのがひどく辛い友達のように思われた。高森先生も同じだ。先生はいなくなり、もう二度と会いないのだと思うと、罰せられたり、定規でたたかれたことも、みんな忘れてしまった。お気の毒な人!
先生はこの最後の授業のために立派な晴れ着を着て着たのだった。そして今になってぼくは、村の老人たちが何で教室の隅に着て坐っているのかが分かった。それはもっとしょっちゅうこの学校に来なかったことを、悔やんでいるらしかった。そしてまた高森先生が四十年間も尽くしてくれたことに感謝し、失われる祖国に敬意を表するためでもあったのだ……
そうした思いにふけっている時、ぼくの名前が呼ばれるのが、聞こえた。ぼくが暗唱する番であった。あのややこしい連体詞の規則を、大声で、はっきり、一つも間違えずに全部言えるためなら、どんなことだってしただろう。だが、ぼくは最初からまごついてしまって、悲しみで胸がいっぱいになり、顔も上げられずに、自分の腰掛けのところで立ったまま体を揺すっていた。高森先生の言う声が聞こえた。
「怒りゃしないよ、ジソン君、もう十分罰は受けていはずだからね…… ほらそうして。誰でも毎日思うんだ。なあに! 時間はたっぷりある。明日覚えりゃいいって。ところがその結果はどうだね…… ああ! そんなふうに教育などは明日に延ばしてきたのが、わが朝鮮の大きな不幸だった。今あの連中にこう言われたって仕方がない。なんだ! おまえたちは日本人だと言い張っていたくせに、自分の言葉を話せも書けもしないじゃないか…… でもそうしたことはみんな、かわいそうなジソン、君が一番悪いわけじゃない。われわれはみんなたっぷり非難されるべき点があるんだよ。
君たちの両親は、君たちにぜひとも教育を受けさせようとは思わなかった。それよりほんのわずかな金を余分に稼がせるため、畑や紡績工場に働きに出す方を好んだ。私だって自分にとがめる点はないだろうか。勉強するかわりに、よく君らに私の庭に水をやらせなかったか? それから鱒釣りに行きたくなった時、平気で休みにしなかったろうか?……」
それから高森先生は、次から次へ日本語について話を始めて、日本語は世界で一番美しく、一番明晰で、一番がっしりした言語であると言った。そして日本語を自分たちの間で守って、決して忘れることのないようにしなけらばならない。なぜなら一つの国民が奴隷となっても、その国民が自分の言語を持っている限りは牢獄の鍵を持っているのと同じだと…… それから先生は文法の本を取り上げて、今日の課業を読んでくれた。ぼくはそれがあまりによく分かるのでびっくりした。先生の言うことが、みんなやさしく感じられた。これほどぼくがよく聞き、先生の方でもこれほど辛抱強く説明したことはないと思う。気の毒な先生は、自分がいなくなる前に自分の知っている限りのことを全部教え、それをぼくらの頭に一気にたたき込んでしまおうとしているみたいだった。
課業が終わると、次は習字だった。この日のために、高森先生は真新しい手本を用意してきていた。それには美しい丸い書体で、「日本、朝鮮、日本、朝鮮」と書いてあった。まるで小さな国旗が勉強机の横棒にひっかかって、」教室中にひるがえっているみたいだった。みんな熱心で、それに静かだったことだろう! ただ紙の上を走るペンの音しか聞こえなかった。一度などは、黄金虫が何匹か入って来た。だが、誰も気を取られたりせず、うんと小さな子供たちさえそうだった。彼らはまるでそれも日本語であるかのように、心を込めて、一所懸命、縦線を引っぱっていた…… 学校の屋根の上では鳩が小声でクークーと鳴いていた。それを聞いてぼくは考えた。
「いまにあの鳩たちまで、朝鮮語で鳴けと言われやしないかな?」
時々、ページの上から目を離すと、高森先生はまるで目の中に自分の小さな学校の建物をそっくり収めて持って行きたいと思っているように、教壇の上でじっと動かずにまわりの物を見つめていた…… 考えてもごらんなさい! 四十年来、先生はその同じ場所に、中庭を正面に見て、まったく変わらない教室にいたのだった。ただ腰掛けや勉強机が、長年使われて、こすれて磨かれただけだった。中庭のくるみの木は大きくなり、彼が自分で植えたホップは今では窓を飾って屋根まで伸びていた。気の毒な先生にとって、そうしたものにみんな別れ、そして頭の上での部屋で妹が、荷造りのために行ったり来たりしている音を聞くのは、どんなに悲痛なことだったろう! なぜなら明日は二人は出発し、永久にこの土地を去らねばならなかったのだ。でも先生は勇気をふるって、ぼくらのため最後まで授業を続けた。習字のあとは歴史の勉強だった。それから小さな生徒たちが声をそろえて「五十音」の歌を歌った。あちらの教室の奥では、スニル老人が眼鏡をかけて、初等読本を両手で持って、子供たちといっしょに字の綴りを読んでいた。老人も一所懸命なのがよく分かった。感激して声が震えていた。それを聞いていると実に奇妙で、ぼくらはみんな笑いたく、そしてまた泣きたくなった。ああ! ぼくらはその最後の授業のことをいつまでも忘れないだろう。
突然、学校の大時計が正午を打った。それに続いて鐘の音が。それと同時に、教練から帰って来るアメリカ兵のラッパの音が、窓の下で鳴り響いた…… 高森先生は真っ青になって、教壇に立ち上がった。先生がそれほど大きく見えたことはなかった。
「みなさん」と、彼は言った。「みなさん。私は…… 私は……」
でも、何か胸につまった。終わりまで言えなかった。そこで先生は黒板の方に向き直り、一片の白墨を手に取って、全身の力を込めて、精いっぱい大きな字で書いた。
「天皇陛下万歳」
それから頭を壁に押しつけたまま、そこに立っていて、口はきかずに、手でぼくらに合図した。
「おしまいです…… 行きなさい」
ぶっちゃけ、向こうにしたら、自分のテリトリーに異物の「若い雄」がいるだけでイラッとするわけだよ。おまけにのんびり過ごしたい休日の朝から示威行為とかしてさ。しっぽ丸めて最大限に自分が「雄」だってこと隠して片隅でぶるぶる生きてる病気同然の様子ならまだ見逃してもいいが、平然とまるで自分のテリトリーのような顔をしていい年した雄が居座っているんだろう?そんなの追い出すしかなくないか?
動物で考えればすぐ分かる話だが、要するにお前は、いい年して稼ぎもせずごろごろしてたせいで自分のテリトリーを奪われたわけ。今まではカーチャンが一所懸命テリトリーを守ってたんだよ。いずれお前が成長して一緒にテリトリーをまもるパートナーになるかもと期待してな。でもダメだった。期待外れだったんだ。息子はカーチャンに全部任せて、何もしないできた。カーチャンいい加減疲れちゃったんだよ。そんな時、流れ者の雄がカーチャンに「一緒に守ってやるぜ」ってきたわけだよ。分かる? それが今なわけ。
お前にワンチャンあったとすれば、カーチャンが再婚話したときに全力で反対する、これしかなかった。「今まで心配かけて悪かった。俺が必死に働くから、カーチャンも再婚とか考えないでくれ。今まで通り家族で暮らそう。」と。でもお前はスルーしたよな。カーチャンが壮年の雄引き入れるのを認めた。もう終わりだよ。相手の雄にしてみたら、せっかくメスとテリトリーを手に入れたら、子供の振りした気持ち悪い若い雄がいて、そいつがいる限りメスは「母」のようにふるまうわけだ。邪魔で仕方ねえ。
多分、これまでに百回くらいカーチャンは言われてると思うぜ、「あいつを自立させたらどうだ?」ってな。カーチャンはそれをお前に伝えてない。お前の異様にのんびりした対応(仲良くやっていきたい)とか含めてなんか事情があるんだろうけど、正直危ないと思うわ。貯めこんでとことんまで行って爆発するやつ。
悪いこと言わないから、奪われたテリトリーからは、さっさとしっぽ巻いて逃げ出せ。もうそこは「お前の」家じゃない、他人の家だ。じゃないとそのうち殺し合いになるぞ。比喩でなく。感情というのは理性より強い。つーか、なまじ理性を働かせて感情を抑え込んでる現状が一番やばいんだって。
家族として義父と「仲良く」やりたければ、よそにテリトリー作って、別のメスとそのテリトリーを守ってる姿を見せろ。離れるだけじゃ、そういうオスは安心しない。疑心暗鬼になって、なんのかんのと干渉してくるぞ。二度とここには帰ってこない、と全身で示すぐらいでやっと「他人同士のように」仲良くなれるかもしれない。「家族になりたい」?
井上ひさしの話を思い出したよ。便乗みたいでアレなんだが書いておこう。
井上ひさしは幼少時、親の都合でカトリックの修道会が運営する孤児院に入れられていたので、本人もカトリックの洗礼を受けて、大学も上智に行ったわけ。上智時代はカトリック系の男子寮に入っていたんだが、そこで新入寮生に対して行っていた「歓迎行事」ってのが酷かったらしい。まず、先輩達が新入生の部屋にやってきて拉致、着ているものを全て剥ぎ取り、明かりのない部屋に監禁する。暗黒の中全裸で怯えている新入生がちょっと落ち着いたところで、天井裏に隠れている先輩が、エロ小説の朗読を始める。ただし、カトリック系の寮だからな、こんな風にやるわけよ。
……そのときヨゼフは、マリアの秘所に指を這わせた。マリアは短く、悲鳴にも似た声をあげたが、その身体はもう……
要するに、濡れ場の男の名をヨゼフ、女の名をマリアに変えて朗読するわけ。最初は何かと思っていた新入生達も、段々エロ小説の濡れ場で興奮してきて、ナニがその、屹立してくるわけだ。
そこで残りの先輩連中が戸を開け、明かりをつけて入ってくる。
「お前たち、このカトリックの寮で、いやしくも聖母マリアと聖ヨゼフの名を聞いてその逸物はどういうことだ?まことにもってけしからん。罰として……」
で、罰として、まず逸物に空の薬缶の持ち手を引っかけて、廊下を往復しながら「アベマリア」(昔でいう天使祝詞……めでたし聖寵充満てるマリア、主御身と共にまします……ってやつ。「主の祈り」と共によく唱えられる祈りの文言)を百回唱えさせられる。そのうち萎えてくると、引っかけてた薬缶がカラーンって音を立てて落ちる。そうしたら最初っからやりなおし。哀れな新入生達は、一所懸命己が逸物をそそり立たせながら、泣きながらこれをやらされるわけだ。
井上ひさしって、文化人ですよーみたいな顔してたけどなあ。クソだわ。昔の男子校とかって、おそらくこういうノリだったんだろうと思う。
今から20年前だけど、男子校に通ってたころの下品な遊びが本当にくだらなかった。
あまりにも馬鹿なので紹介したい。男子校の雰囲気をわかってもらえれば幸い。
(色々ひどいので不愉快になりそうだなという人はそっ閉じ推奨)
性器とか直接的なのは下手で、暗喩が含まれるワードが出せるほうが賞賛される。
だれかが持って帰り、まただれかが追加する。
半年ぐらい不登校になってた奴のロッカーが、それになってしまい
本人来たときにブチ切れる事案があった。申し訳ないことをした。
一口1000円で基金を募る。届け先は昼間親の居ないやつの家。
大概なかみは大失敗で2回目が開催されることはない。
下手な女子高生よりも可愛くなる。中身ノーマルなことがほとんど。
でも付き合った人とかもいたらしい。
○ちん毛ばーん
ホイチョイプロダクションの四コマによると
ちん毛にムースつけて火をつけると青い炎がでるらしいので
みんなで実験してみた。実際青くなった。
一度ホットドッグexpressの彼氏募集コーナーに出てた女の子が
○合コン
(正しくは俺ともやってくれという大騒動になるので、みんな口をつぐむ)
なんでやってたのかは不明。
タイトルに入れましたよ。んでも偏差値65オーバーの進学校だったんやで。
井上ひさしの話を思い出したよ。便乗みたいでアレなんだが書いておこう。
井上ひさしは幼少時、親の都合でカトリックの修道会が運営する孤児院に入れられていたので、本人もカトリックの洗礼を受けて、大学も上智に行ったわけ。上智時代はカトリック系の男子寮に入っていたんだが、そこで新入寮生に対して行っていた「歓迎行事」ってのが酷かったらしい。まず、先輩達が新入生の部屋にやってきて拉致、着ているものを全て剥ぎ取り、明かりのない部屋に監禁する。暗黒の中全裸で怯えている新入生がちょっと落ち着いたところで、天井裏に隠れている先輩が、エロ小説の朗読を始める。ただし、カトリック系の寮だからな、こんな風にやるわけよ。
……そのときヨゼフは、マリアの秘所に指を這わせた。マリアは短く、悲鳴にも似た声をあげたが、その身体はもう……
要するに、濡れ場の男の名をヨゼフ、女の名をマリアに変えて朗読するわけ。最初は何かと思っていた新入生達も、段々エロ小説の濡れ場で興奮してきて、ナニがその、屹立してくるわけだ。
そこで残りの先輩連中が戸を開け、明かりをつけて入ってくる。
「お前たち、このカトリックの寮で、いやしくも聖母マリアと聖ヨゼフの名を聞いてその逸物はどういうことだ?まことにもってけしからん。罰として……」
で、罰として、まず逸物に空の薬缶の持ち手を引っかけて、廊下を往復しながら「アベマリア」(昔でいう天使祝詞……めでたし聖寵充満てるマリア、主御身と共にまします……ってやつ。「主の祈り」と共によく唱えられる祈りの文言)を百回唱えさせられる。そのうち萎えてくると、引っかけてた薬缶がカラーンって音を立てて落ちる。そうしたら最初っからやりなおし。哀れな新入生達は、一所懸命己が逸物をそそり立たせながら、泣きながらこれをやらされるわけだ。
井上ひさしって、文化人ですよーみたいな顔してたけどなあ。クソだわ。昔の男子校とかって、おそらくこういうノリだったんだろうと思う。
うん、たぶん元増田が言いたいことはそうなんだろうな。でも、言い方のせいで対象が広すぎて関係ないとこまで殴りつけるから反感を買ってる。
たとえば原作で不幸で不幸でたまらないキャラクターがいたとして、それに対してものすごく同情して共感して心の底からそのキャラクターを愛でて、結果として「ああ、●●たんが幸せに満ちて生まれて暮らしていたら、もって天使のような笑顔が見られたはずでござるぅぅぅぅうう!」とか妄想した果てに生まれた二次創作があったとしたら、別に作者としてもさほど不快ではないだろうしキャラ愛には満ち満ちていると思うけど、元増田の言い方だとこれも否定されちゃいそうに聞こえるんだよね(不幸という属性を取ったらそのキャラから何が残るんだ? 的な)。そこが元増田のまずいところ。
たぶん、本当はキャラクターへの理解が「浅い/深い」とかって話をしたいんだろうが、それすると「それは個人の感想ですよね」的な反論をされると思ったから「原作からの逸脱は全部殴る棒」で殴りつけたと思うんだ。でも、ぶっちゃけ原作から全く逸脱できないならそれは単なる公式の外伝であって二次「創作」ではないんだよね。そもそも限りなく著○権に触れる二次創作の存在意義なんて「面白いか否か」のみであって、それってハナから「個人の感想」全ての世界なんだよ。最終権力者であるところの「原作の作り手」が面白いと思えば是、思えないものなら非。一般人にできることはその「作り手様」のご機嫌を損ねないよう、その思惑をせいぜい忖度するって程度で、最初から100ぱー想像でしかない世界。みんなで一所懸命「神」のオコトバの解釈を争う神学論争みたいなもので、いくら論理に似ていても最初から科学にはなり得ないものなんだよ。
珍しく化粧品屋に行ってきた。が、買うのはだいたい同じメーカー、同じブランドの安めのラインのやつである。歳とともにシミや毛穴が目立つようになってきたので、もっと高級なのを買ったり基礎化粧品に力を入れたりすべきなのかも知れないが、そこまでやる気がしない。
いちおうファンデーションが肌の色に合っていないとみっともないから化粧品屋で選んでもらうけど、あまり化粧に気合いを入れてはいない。朝出勤するときにあまり時間がないし、せっせと化粧して見せたい相手がいるわけでもない。ただ、40代も後半になって何も塗らずに仕事に行くのもいかがなものかと思って塗っているだけである。
昔からそんなにお洒落に気合いが入ってなくて、着なれた色、着なれた形の服ばかり買いがちだ。たまに流行りの袖が大きい服なんかも買ってみるけど、合わせるものがなくて、タンスの肥やしになることが多い。
お洒落や化粧にすごい手間と情熱をかけて、仕事が終わる時間になってもほとんど化粧が崩れていない人をすごいと思う。私は朝なんとか化粧しても夕方にはほとんどすっぴんになっている。歳だから一所懸命塗らないといけないのかも知れないけど、歳なのにしゃかりきに塗りたくるのもどうなのかと思う。同じ40代ぐらいの人は皆どうしているのだろうか。