はてなキーワード: マウンティングとは
今日、化粧品に関する議論がTwitterで盛んで、それで私はなんだかつらくて泣いた。
(今から書くことは、なんだか無性に悲しくて、しんどくて、そういう気持ちを吐き出したかっただけで、「ここが正しくない」とか「こうすればいいだけじゃん」っていうのは、もうどうでもいいです。)
内容は安いコスメ使ってる人間を下に見たようなツイートと、それに同調、または反論するたくさんのツイート群。
私は元ツイートにマウンティングされる側にすら入らない1人だ。
大学生で、顔面偏差値低いのに化粧はしない。安いコスメ以前の問題。化粧をしない。お金を使うのはもっぱら漫画やアニメ関係。友達は少ない。サークルは飲み会文化に馴染めなくて辞めた。そんな絵に描いたようなカースト底辺の人間。
なぜ化粧をしないのか。
そもそも、女は高い化粧品使って化粧してるのが当たり前で、それが社会に対する礼儀、常識なんだ、という社会規範が嫌いだった。
女にだけ見た目の商品的価値をつけられているように感じ不快感すら感じた。
化粧自体も嫌いだった。公立校に通っていた中学時代、女子の間ではすっぴんでサイゼリヤに集まって、食事をするテーブルに持ち寄った化粧品を広げみんなで化粧をするのが常識だった。頻繁にあることなのでサイゼリヤの店員も注意を諦めていた。
普通に、馬鹿なんじゃないか、と思った。でもそこでの"普通"はサイゼで化粧することだった。"馬鹿"はそこに馴染めない私の方だった。そんな空気に絶対に同調したくはない。けれど注意はできなかった。空気の読めないことを言う奴は無視されていじめに発展する、ということを理解していたから。「私はブスだし化粧しても変わんないからやらなくていいや〜笑」なんて言ってごまかして切り抜けていた。
化粧なんて低脳なダメなやつのすることで私は化粧なんてしないいい子でいたいって思っていた。親もそういう私を求めていて、そういう考えだった。
大学に入ってから急に化粧を要請されるようになった。化粧の仕方なんて分からない。私は元々ひどく不器用であるということも手伝い全然うまくいかなかった。小学校のとき公園の遊具で下手くそな化粧してた先輩や、サイゼリヤで似合わないつけまつげをつけていた同級生は、もう化粧がうまくなっていた。
なんだ、それ、必要なプロセスだったのか。化粧に憧れて、みっともない姿を晒して。そうやって失敗して、100均の化粧品でサイゼで化粧してた子たちは、シャネルでかわいいメイクをしていて。"そっち側"の人間を、社会は求めていたんだ。最悪。
自分の顔が好きではなくて鏡を見るのすら苦痛ということもあり、化粧なんてしたいはずもなかった。でも社会は最低限化粧のできる人間を求めていた。そんな社会規範に縛られずに自由に生きていけばいいだけだと思って、大学でも化粧せずに普通に過ごしていた。髪のセットの仕方なんかも分からないままだった。
化粧したいと思うこともあった。
大学では友達が1人だけできた。その友人はお化粧もちゃんとしていて、良識もあって、大変真面目でいい子で、そしてかわいかった。
自分が恥ずかしくなった。自分が社会に後ろ指さされようが、社会規範の方が間違ってるんだよ!で生きてきたけど、今この社会の中でその友人が私のことを「化粧しない常識のないブス」ととらえていたら。怖い。すでにむこうにとっては数多くの友人の中の1人の、冴えないオタク女にすぎないかもしれないけど。嫌われたくない。友人はそう思ってなかったとても、周りの人間からの私の評価が低いせいで、友人の評価も低くなるということはあってはならない。
化粧をしなければ。
私は実家暮らしで、家庭環境が別段悪いというわけでもなく、母親との関係も良好だ。
母親は私のことを中学時代のこともあり「化粧に興味を示さない娘」と認識していた。
なぜか、化粧したいなんて親の前で絶対に言えなかった。家での「母親の中での私のイメージ像」に沿わない行動をすることができなかった。
親に化粧を禁止されてるなんてことは一切ない。しかし、「化粧なんてめんどくさいと思ってるタイプ」という親のレッテルから逸脱することは難しい。本当に、なぜかは私もよくわからないけど。でもそれには本当に勇気がいることで、私はその勇気を持っていなかった。化粧したいなんて絶対に言えない。絶対に親に逆らえない。親に笑われたくない。自意識がクソでかいだけなんだけど。つらい。美容に興味のある態度なんて、見せれるわけない。親からの目が怖い。「この行動は私のキャラじゃない」という考えに縛られて、何もできない。ファッションメイクに関する相談をできる友人もいない。もうどうしたらいいんだ。わからない。
本当は、親の目関係なく家で安かろうが高かろうが化粧品使って身なり整えたいですよ。メイクしたい。メイク文化にコミットしたい。
もっと本当は、女子の化粧なんて必要ない世の中になってください。社会規範は最悪。メイクしたくない。メイク文化はダメ。
追記:
「もうどうでもいいです」って書いたとおり、解決策を求めたわけではなくもやもやした気持ちの行き場がなくどこかに書いて終わりにしよう、と思って書いたのですが…起きてみれば想像以上にレスポンスをいただいてびっくりしました。少しだけ書きます。
いろいろ書きましたが、なにもかもご指摘の通りです。私はただの自意識が巨大な病人です。化粧だけじゃなくて結局就職も親の求める方に行こうとしているし、元々そういうこじらせた性格なんですね。親が、友人が、社会が、と言っていますが、結局自意識と感情の塊なので、親の目が、友人の目が、社会の目が気になって仕方ないだけです。きっと友人にメイク教えてって言えば教えてくれますし、親にメイクしてみたいなって言えば多分協力してくれますし、社会はそれほど私を気にかけてはいません。わかっています。でもそうできない。その勇気がないまま今まで生きてきました。これからもその勇気を出せる気はしません。早く自意識小さくなりたいな。はい。そういうことです。化粧しなくても許容される世界を求める気持ちは本当ですが、私に世界を変えられる力なんてありませんしね。
ったく上の世代の奴らは「恋愛しないヤツは人として~」とかマウンティングかましやがるからムカつくですぅ腹立つですぅギリギリギリギリギリ
(どうでもいいけど「ったく」とタイプるとき「たっく」って打ってしまうの俺だけ?)
しかもこの人らそもそも自分が「マウンティングしてる」とすら思ってないんだから激おこムカチャックノリスですぅ!んぁぁぁぁぁ!
あなたたち「恋愛」について連想するのが「改革」「反抑圧」「反体制」と連想してるんでしょ?ねえそうなんでしょ?
それふっるーいでっすから!ふるふっるぅぅぅっぅぅぅぅぅぅぅぅ!
一体いつまでロミジュリカンイチオミヤのごとく大迷惑気分だってーのよ!
ほんっと未だに恋愛を「抑圧からの解放」と思ってヒロイックに酔ってんじゃねーよベロベロ野郎!
あのねぇ、恋愛は今や「恋愛」は「抑圧」側になってしまったんだよ!(な、なんだってー!?
恋愛はむしろ「保守」「体制」となってしまったんだよ!(ななななんだってー!?
id:aukusoeのブコメを見て実録レズセックス音声を探しにDLsiteまで赴いた我々は
トップページに表示されるゲイ向けカテゴリーのイメージがマッチョな熊さんであることを発見した
前々から思ってたけど何故にゲイにはケモ好きが多いんですかね?あるいはケモ好きにゲイが多いというのか
かの細田守監督もショタとオスケモ大好きですし、テディベアやら野獣やらゲイとケモノのイメージは一般的にも隣接していますね
これは野生動物におけるホモセックスが動物としての能力の高さを示すマウンティングであることに由来するのでしょうか?皆さんはどう思いますか?
件のものは見つかりました。
現在ハイレゾ対応のスマートフォンへの買い替えを検討していますがauの冬モデルは魅力的なものが少ないですね。
では、ごきげんよう。
2016年って「マウントを取る」が流行ってたような気がする(ネット上の話ね)。
あるエントリにコメントが付いてたら違う視点から自らの優位さを誇示するようなコメントを付け、
マウンティングに勝利した者が全部を掠め取っていく「勝者全取り」みたいなムーヴが気にかかった。
わたしからすれば思いもよらない鋭いマウンティングを成功させる人もいて、
頭の回転が速い人がいるもんだと感心することもしばしばだった。
こうした行為を「マウントを取る」という概念として認識出来たのが2016年だったし、
そもそもエントリそのものが、被マウンティングの餌食にならないように留意していたりして、
その読み合い一挙一足に緊張感が走っていた気がする。
それは批判されることを過度に恐れているようにも見えたし、
慎重で誤解されないような物言いに気をつけているようにも見えた。
大学の同期の一人が、地方から東京に出てくるというので、じゃあこっちにいる同期も呼んで忘年会するかということになった。
当初の幹事は私じゃなかったが、予定日の直前になっても幹事からなんの連絡もないのでこちらから念のための確認の連絡を取ってみる。
するとまだ何にも決めてないとのことだったので、じゃあ私が決めるかという流れになった。
まぁ仕事も年末で忙しいだろうし、この時は特に何も感じていなかった。
なんやかんやで当日、駅近のお店を取れたのでまぁいいかなと思ってたが、甘かった。
会場に着くなり狭いだのもうちょっとなんとかならなかったのかだのを元幹事が言い出した。
こっちだってそんなにいいとこ選んだつもりでもなかったけど、お前が言うかと思い少しイライラ。。
その後も楽しめるかと思ったが、彼女とはどうなのかをしつこく聞かれたり、ボーナスはいくらだったのかをうるさく追求されたり。
まるで女子会のマウンティングのようだった(かは女子会に出たことないので想像ですが、、)。
あげく、私は大学の時と少し進路変更して今の職についているのだが、そのことを取りざたして「なんで夢を諦めたんだ」的なお小言をいただく始末。
なんかもう後半はもう帰りたくてしょうがなかった。
しかも人のことはしつこく聞くくせに、自分のことは全然話さないってどうなのよ?
昔はもっと楽しく飲めて話せたと思うんだけど。。
むかつくような悲しいような、久々になんともいえない気分になってしまった。
今年一年、優秀な後輩とそうでない後輩に挟まれながら仕事してて気付いたこと。
優秀な後輩は、
デバッグ中に「今何しているの?」と聞くと今の仮説とその検証方法をスラスラと述べれる。
優秀でない後輩は今何しているか聞かれてもしどろもどろであったり仮説と検証方法がズレていたりする。
必要な動作が最小限。git bisectを使うなどツールにも精通している。
優秀でない後輩は「よく分からないけど念のためもう一回同じことを試してみた」といったことを平気でやっている。
優秀でない後輩はよくわからないブログの古い不正確な情報に振り回されてる。
それらを鵜呑みにしてコピペする。何も考えてないからそれで解決しない場合また振り出しに戻る。
優秀でない後輩は、今自分は問題が定義出来ておらずイライラしているだけなのか、単に知識がないだけで調べれば良いだけなのか、
検証が必要な問題で仮説を立てるべき段階にいるのか、などがごっちゃになっている。
恥ずかしがらず知らない事は知らないという。
地の文が少なく、会話が紙面の多くを占める「ライトノベル的な文章」が嫌、という意味ではない。
拙文の「ライトノベル的な文章」のように、キーワードをことさらに囲って強調するために使う「」が性に合わない。
はてなーの中だと、fujipon氏のブログの中でよく目にする。たとえば今日の、
>http://fujipon.hatenablog.com/entry/2016/12/30/131356>
その「最初の一瞬」のために、観光というのはあるのかもしれないけれど。
それも含めての「いろんな人が集まる場所」なのかな、って。
この2つのカギ括弧、どちらも別に付けなくても文法的に成立しているし、意味が取れなくなることはない。私的にはノイズに見える。
大学のレポートなんかでは、出てくる単語をその文章の中だけのルールで用いるときにカギ括弧をつける場合がある(以下、このサンプルを「A」とする、みたいな)けれども、「最初の一瞬」も「いろんな場所が集まる場所」も、その必要は認められない。読みくだす中でいちいち喉に引っかかる。いやなら読むなという話なのだけれど。
氏だけではなく、結構ネットの文章、特に感性の豊かさでマウンティングしてくる人の文章にこのカギ括弧はよくあらわれる。「何でそんなことするんだろう?」っていつも思ってた。
カギ括弧をあえて用いることで特別さを演出しているの?私が使う「最初の一瞬」は一般的な最初の一瞬とは違う、特別な人だけが感じ取って言語化できる特別な「最初の一瞬」である、ということ?
ここの文章での若手俳優って、「2.5での活動がメインで、テレビほとんど出てない俳優」という意味です。
①「よく知らないけど○○くん叩くのかわいそう」
よく知らないなら黙っててください。
②「カノバレとか別によくない~?つきあえるとか思ってたの?」
長年いたマウンティングやめろ。個人の偏見だけどこういう人が善意ぶって「○○くん燃えてる~!やばいね~。私は平気だし変わらず応援するけど★」ってこいつが黙っておけば炎上してるの知らなかったんだ、ってこと多いから一番厄介。平気なら黙っとけ。マウンティングやめろ
④「カノバレの何が悪いのかよくわからない。彼女がいて当然だよ」
恋人がいるのは当然です。いなくてもいいけどいるのも当たり前だと思ってる。でもたいがいの人は黙ってるし、インターネットでも匂わせしないし、結婚のときとかにちゃんと報告してくれるから、ファンとしても普通にお祝いできる。
俳優(だけじゃなくてアイドルでも芸能人全般)がやってるSNSって、一般人のとは大きく違う。
「自分はこういう人間で、こういう交流があって、こういう興味があります。今はこういう現場にいて、過去はこういうことをしていました」っていうポートフォリオだと思う。
履歴書に彼女とのチュープリつけてる人いたら非常識って思うし、就活で採用されなくても当然って思うでしょ?
持ち込みの原稿とか資料に、「私が今ほしいカバンはこれです」「彼女とおそろいのブレスレット」とかつけてたら「こいつはバカか?」って思うでしょ。
カノバレも別に一枚だけでわかるわけじゃない(一枚で分かるような写真とか載せるのは論外)。
だいたい何回も似たようなことあって、ファンも不自然かな?って思いつつも水に流したりとかして。
でも何回もあって、重ねるとだいたい分かるんだよね。
そういうのを長くズルズルと相手にさせていたり、自分もやったりしているっていうのは、本当にファンをバカにしてる行為だ。
だから匂わせとか彼女の痕跡をそのままにしている若手俳優は、とってもとっても意識が低いな、って思う。
2.5じゃなくて、テレビとかに出て、誰もが知っている俳優さんと共演することはない。
カノバレってだからいけないことだと思う。
あと一番いやなのは、「一人で遊んでました~~」とか言ってて彼女と一緒でした、とかだと、その人の言ってること全部信じられなくなる。
本人の信頼とか、メディア力を一気に減らすんだよね。だから、がんばってる!とかファンが大事!って言っても信じられるわけない。
いちいち「一人で遊んでました」って言うくらいなら言わなくていい。
⑤炎上を知らない人にわざわざ伝えて「○○君応援するのやめた方がいいよ」というやつ。
これはマジでテロ行為。応援やめるのはあんたの勝手だけど人に押しつけるな
●
自分も俳優がカノバレ炎上見る度に「どうでもいいな~~」とか思ってたけど、今年自分の推しが出てよくわかった。
本当に、興味ないとか、お金払ってなかったら、本当にどうでもいいし、許してやりなよ^~~~~みたいなこと言えるんだけど、
自分が多少なりとも時間やお金の都合つけて、最優先したものが燃えるととてもつらかった。
「ファンならすべてを許すのがファン」とかいう人がいるけど、それは違う。
「すべてを許す」のは友人とか家族の仕事であって、ファンのやるべきことではない。
「あなた」がすべてを許すのはあなたの自由だけど、「ファンのあるべき姿」として押しつけるものじゃない。
彼女が私はややこしい女だけどそれに誇りを持っている、という自意識を持っているのはいい。
なんかさ、辛いだろうなー、って憐れみマウンティングしてしまう。
なんで辛いだろうなーとか思うのかっていうと、私も自分を攻撃してくる厄介な自意識を抱えてたからなんだけど。
自意識ってさ、メタ認知できる賢さがあるから生まれたりするものなんだと思うけど、本当に声を大にして言いたい。
どうしてかというと、メタ認知って果てがないから。どこまでも自分の心の中に潜れてしまう。
それで自分のことしか考えられないモンスターになってからじゃ遅いよ。これ、単純に自己中って意味じゃなくて、自分の中で常に自分の考えを評価する存在がモンスターだってこと。
自意識から逃げたかったら、メタ認知による自己評価をまず止めることが先決。
まぁ、他人まで攻撃し出すくらいにまで自意識が育ってしまっているなら、メタ認知を捨てるという『愚かな』行動はとれないかもしれないけどね。
だけど、逃げるは恥だが役に立つ、とはけだし名言ですよ。
絶版だらけだけど今は電子書籍があるから全部読める。素晴らしいね。
とにかくオムニバスを活かしたムズキュンオンパレードになっており、
これをきっかけに作者は隔月誌読み切り→隔月誌連載→本誌掲載と出世したのも頷ける。
一番最初の姉弟の恋愛話がダメな人は本当にダメだと個人的には思うので、最初が微妙でも我慢して読んで欲しい。
1~4巻あたりまでが非常に面白い。
パート主婦・バリキャリ・フリーランス・未経験職への転職 と全く立場が異なる4人とそれらを取り巻く環境の話。
これだけ立場が異なる4人が集まればマウンティングも凄そうだけど、そういうものは一切無い。
主役はみくりと同様に「飛び抜けて容姿が可愛い訳でもない、特に優れている所もない、選ばれない女の子」で、
告白に「クーリング・オフ制度」を取り入れるなど、既に逃げ恥の片鱗が。
個人的に主人公がしょっちゅう髪型変えるのが可愛いけど分かりにくいだろうなあと思いながら読んでた。
読み切りなら
この手の手合いに反論していっても余計な知識をつけてより達の悪い嘘つきが出来上がるだけ
なぜならこいつらが自分より上の人間と接触する方法って感情くらいしかない
だから怒りをトレード材料にしてマウンティングさせることで知識をこぼれさせようとする
見え見えなんだよなあ、残念ながら
本当に実体験からしか得られない情報を、悪用するつもりなのにタダでやる訳がない
怒らせて情報を引き出すっていうのはリアルをお互い知らない同士だからこそ使える手だけど
これでコミュニケーションが上手くなれるわけもなく、
でも欲しい情報はある程度手に入るから煽り方だけはどんどん上手くなっていく
自尊心もいっしょにぐんぐん上がる
それで最終的に動くゴミ袋が出来上がる