地の文が少なく、会話が紙面の多くを占める「ライトノベル的な文章」が嫌、という意味ではない。
拙文の「ライトノベル的な文章」のように、キーワードをことさらに囲って強調するために使う「」が性に合わない。
はてなーの中だと、fujipon氏のブログの中でよく目にする。たとえば今日の、
>http://fujipon.hatenablog.com/entry/2016/12/30/131356>
その「最初の一瞬」のために、観光というのはあるのかもしれないけれど。
それも含めての「いろんな人が集まる場所」なのかな、って。
この2つのカギ括弧、どちらも別に付けなくても文法的に成立しているし、意味が取れなくなることはない。私的にはノイズに見える。
大学のレポートなんかでは、出てくる単語をその文章の中だけのルールで用いるときにカギ括弧をつける場合がある(以下、このサンプルを「A」とする、みたいな)けれども、「最初の一瞬」も「いろんな場所が集まる場所」も、その必要は認められない。読みくだす中でいちいち喉に引っかかる。いやなら読むなという話なのだけれど。
氏だけではなく、結構ネットの文章、特に感性の豊かさでマウンティングしてくる人の文章にこのカギ括弧はよくあらわれる。「何でそんなことするんだろう?」っていつも思ってた。
カギ括弧をあえて用いることで特別さを演出しているの?私が使う「最初の一瞬」は一般的な最初の一瞬とは違う、特別な人だけが感じ取って言語化できる特別な「最初の一瞬」である、ということ?
気持ちよく読める文章と誤解なく読める文章というものは別物。 マウンティングして論破するには誤解なく読める文章が必要。 読み手の気分で文節区切れるようにするとわざと誤読した...
「最初の一瞬」は強調と引用が相半ばという感じかな。 その前の文で述べている「驚くかもしれないし拍子抜けするかもしれない第一印象」のことを、 あらためて「最初の一瞬」と言い...