はてなキーワード: インスピレーションとは
今ネットの蛸壺でおなじみはてなブックマークでも話題騒然のストーカー御用達サービス「カレログ」
(http://b.hatena.ne.jp/entry/karelog.jp/)
と言うサービスがありますね!
はてなは今すぐはてなココ等と言う誰が使ってるんだか分からない中途半端なサービスは捨て、このサービス をパクって からインスピレーションを得て、もう少しまじめなロギングサービスを始めるべきだと思った。
と増田の流儀に従って(?)煽り気味にスタートしてみたが実は中身はわりとまじめなつもり。
サービス名「ライフはてな」とかどうよ
以下に考えた内容を書いていく。
スマートフォン向け ライフロギングサービス。自分の端末にインストールしてもよし、誰かの端末にインストールしてもよし。
記録されるのは以下の情報。
これを基本とし、オプションで
なども記録できるようにしておく。
もちろん簡単な操作で(ウィジットなどで)ON/OFFができる。(当然パスワードも設定することはできるようにしておく)
以上は自動的に記録されていくが、明示的に
も可能なようにしておく。
このほかに、
といった機能があればなおよい。
その他、はてなグループ的な家族内グループウエアサービスのようなものも同時に提供したらどうか。
普通にライフログ的な使い方も考えられるが、一番は「みまもり」需要である。
子供はもちろん、離れて暮らす両親などといった人の端末にインストールして、生存確認や行動確認ができるようにしておくと言うものだ。
そんなのラクラクホンとか専用の装置でいいじゃない、と思われるかも知れないが、そういったサービスは普通に高いし使いにくい。またそれ以外の需要は満たせない。
また、うちの両親だけかも知れないが、スマートフォンは画面が非常に大きく、カスタマイズさえすれば普通の携帯電話よりも使い易いと言う意見もある。
子供も、子供用の端末だけで満足してくれるうちはいいが、だんだん成長してきてスマートフォンが欲しくなる子も出てくるだろう。
今後、スマフォの普及により、そういった需要は増えていくのではないか。
それを警備会社通報サービスを除き、一人月額300円くらいで提供できないか。
俺としてはこれができれば月額2000円でもってもよい気がしている。
就活戦士となっていたのは、もう5年前のこと。
あの頃は、学生特有の無敵状態で、何でもできると思ってた。
自分は見えているんだけど、悪いところは成長すれば改善するでしょう、という楽観思想。
すでに成熟しきった分野であることと、全く車に興味がなかったこと、目立つことをしたかったこと、
ぐらいの動機で、だけど、マスコミとか広告代理店という華やかでハードルが高い業界へは、
そんなん興味ねえし、ほどよく一目置かれるぐらいで満足だし、
とにかく、若い会社がよかった。
取り繕って捻出した動機では、本気でそこを目指している人には勝てなかった。
面接官は、よく見ている。
結局、受かった会社は、県外のIT系のベンチャーで、社長のカリスマ性に惹かれての選択だった。
こんな風にブログを書くと、
どうせブラックでこき使われたんでしょう?
みたいなオチがありがちだけど、
そんなことはなかった。
そこは私は、石橋を叩いて渡るタチなので、見極めができていたようだ。
会社は、新人研修もしっかりしていて、社員の面倒見もよかった。
怒号や罵声が飛び交うなんてこともなく、ドライの中にも情がある、という感じだった。
そんな中、私は、自分に合ったペースで成長することができた。
ベンチャーと謳ってはいたけど、実に堅実な会社だったように思える。
客先に出始めたのも、1年目を終えるあたりから。
遅すぎず早すぎず。
ただ、次第に、入社当初に抱いていた、
「この会社すげー!」
という感情が薄れていくのがわかった。
中に入ると、色んなものが当然見えてくる。
私は、何のためにこの会社を選んだのか。
学生時代のかけがえのない友人や彼女と別れてまで捧げる会社なのだろうか。
過去の自分を否定しないために、今一度、別の世界へ飛び立ってみたくなった。
有名な会社を受けてみて、駄目だったら地元に帰ろう、という安全牌を選択した。
「賭けている」という熱さも気概もなかったのだろう。
そして、身に付いている技術も未熟だった。
結局、地元に帰ってきた。
新しい会社は、前の会社と同じ職種だけど、前よりももっとベンチャー気質な感じ。
前の会社に比べたら組織化もまだまだで、上下関係をそんなに意識しなくてもいい。
そして、若い。
そんなベンチャーに身を置いてわかったのは、
私は、常にアンテナを張り、流れに置いてけぼりにならないようにしなければいけなかった。
また、一つの技術を掘り下げるより、幅広い技術を身につけないといけない。
いや、どっちでもいいんだろうけど、やるからには、どっちかなのだ。
ある一つの分野のエキスパートになるか、幅広く何でもできますよというスタンスでいくか。
どっちかでないと、今後、食っていけないと思う。
そういう業界に身を置いて、
心がこもっていないというか、上の空というか。
モーションだけは、「やりまっせ!」というのを出しているけど、心がついていってないというか。
ホントはこんなこと、やりたくないと、心が言っているのかもしれない。
だから、振り返ってみて思うことは、私は、実にベンチャーに向かない、ということだ。
ある実績のあることに対して安心をした上で、その道を突き進む。
新規開拓より、メンテナンスが好きなのかな。
評判を先に気にする。
就活で冒険することなく、堅実な会社に入って、気の置けない仲間と遊んだり、慣れ親しんだ街でデートしたり、
そういう生活を想像すると、はかなくて虚しいけど、心安らぐ。
過去の自分を否定したくなくて、こんな風な考えは否定してきたけど、
やはり、これが自分だと思う。
疲れたね。
・1990年刊。直訳すれば「豊かさのてこ」だが、内容を勘案して邦訳するなら「技術革新の文明史」かな。日本にはあまり紹介されていないが、著者は経済史分野では世界的に著名な研究者。「THE LEVER OF RICHES」はその代表作で、世界経済史に対する独自の解釈と、包括的なサーベイとしてのまとまりのよさを両立させている名著だ。
・「なぜ近代の技術革新が西洋(特にイギリス)で起こって、他の国々ではなかったのか」がテーマ。この問題を解明するためにまずは過去2500年分の人類の文明史を振り返って検討する。次に、このテーマについて検討する。
・西洋世界の勃興に関しては、様々な人が様々な観点から評論しているが、本書では技術革新というファクターを重視する。なぜならば経済学の研究がしめすように、技術革新こそが経済成長の主たる要因であったからだ。イノベーションは、労働や資本などの具体的な資源制約とは無関係に人々の富を拡大させる「フリーランチ」なのである。
・古代(B.C.500~A.D.500)。ローマ、ギリシャ、ヘレニズム文化の時には革新的な発明はあった。たとえば紀元前に活躍したアレクサンドリアのヘロンは今でいう蒸気機関や自動ドア、自動販売機に近い装置を発明して、オーパーツとすら言われている。しかし、そうした発明の多くは未発達のままにとどまったか、破壊されたか、忘れられた。ローマ人は高度な文明をもっていたと言われるが、その技術はかなり未発達で、革新速度も遅かった。
・中世(A.D.500~1150)。農業面での革新は、農業効率を向上させる重すきと三圃制。エネルギー利用も多様化し、水車や風車も工具の研磨やビール醸造や皮のなめし用などいろんな分野で使われた。11世紀の南イギリスには、50世帯にだいたい1つは水車があったというから驚きだ。馬や船はそれまで戦争の道具としてつかわれていたが、商業目的にも利用されるようになった。そのため蹄などの馬具の改良や積載能力の向上が図られた。
・紙は西暦100年頃に中国で生み出され、イスラム社会には8世紀頃に到来し、西洋にはそのあとに伝わった。時計や冶金などの金属加工技術も、東洋→西洋への技術移転の流れだった。この頃は自らがあみ出した技術というよりも、ローマ期の技術の遺産か、東洋の技術を拝借したもも多かった。ヨーロッパ世界はそうして先進技術を異文明から柔軟に吸収し、それを自己流に応用していた。ヨーロッパの中世は停滞といわれるが、実はその後の技術発展に向けた種まきがされていた時代でもあった。
・近世(1500~1750)。ヨーロッパの技術レベルはだいたい1500年頃に中国など東洋文明圏に追いついた。その後、中国などとの差を徐々に広げていった。この時期のヨーロッパは、若干の航海術の発展と、トマトやポテトなど新たな作物の導入などぐらいで大きな技術革新はなかったが、人々の間で技術進歩の可能性を信じ始めた時代でもあった。(※言っておくとグーテンベルクの活版印刷(1450年)なんかは世界史的にみると革新的ではないから。紙への印刷(木版)は7世紀には中国で始まっていた)
・近世期は技術的ブレークスルーというよりも国民国家の発達が、その後の近代技術革新を準備したことの方が大きかったかもしれない。たとえば今でも有名なリヨンにおけるシルク産業の発展はもともと、ルイ11世がイタリアの専門職をそこに住まわせたことに端を発する。このように各国のトップは次々と、産業振興策を打ち出した。他国から有能な専門職人材を呼び寄せるだけでなく、新しい技術を奨励するため補助金を与えて開発を促し、寡占を奨励した。また特許権の制定もこのころなされた。たとえばイタリアのベニスでは16世紀には特許権がある程度は普及していたと言われる。もちろん、こんな”民間活力”をいかした技術進歩の奨励なんかは、イスラム社会や中国社会では到底考えられないことだった。
・近代(1750~1830)。そんな下敷きをすでにひいていたから、この頃、次々と新たな技術が実用化されたのは自然な流れだった。むしろ、この頃には、まったくのゼロから生まれた技術なんて何一つなかったと言っても言い過ぎではないかもしれない。たとえば、ワットが蒸気機関の発明にはたした役割はせいぜいコスト低減や耐久性向上などの実用的な貢献であって、蒸気機関の元アイデア自体は17世紀ヨーロッパにすでに存在していた。ただ、そうした数々の新技術の卵が社会全体に広まったことに大きな違いがあった。繊維産業で言えば、教科書でも取り上げられているような数々の綿加工技術の機械化による生産性向上はめざましく、イギリスにおける綿布の値段は1780~1850年の間になんと85%もダウンしたという。
・蒸気機関の発展・普及によってその後から熱力学が生まれたようにその頃の技術とは、科学的知見を基礎としたものではなくて、もっぱら経験的にもとづいて進められたものであった。1850年より前は、科学と技術は別の存在だったと言ってよい。1850年以降、科学や数学、物理学が技術分野に本格的に応用され始めた。
・技術革新自体はランダムとも言える現象で、特定の新技術がなぜ他でもない西欧でおこったかを具体的に説明するのは難しいが、どんな条件が西洋近代の飛躍的革新を可能にしたかを検討するのは意味のあることだろう。もちろん「必要は発明の母」なんて諺を持ち出す気はない。当然、革新的技術のニーズはいつでもどこでもあるのであって、要はそのニーズを発明によって掬い上げ、実用技術として広めるのに、何が効いていたのか、である。
・「化石燃料資源の豊富さや、地理的要因」に西欧世界の勃興を求める「環境決定論」はナンセンスだ。たとえば北ヨーロッパはよく雨がふるから水車の技術が発達したという意見がある。しかし、これではなぜ水車がイギリスでよく普及したのにアイルランドではまったく普及しなかったかを説明することはできない。同じようにイギリス国内にあった豊富な石炭資源が産業革命を可能にしたという意見がある。しかし、そもそも石炭資源を上手に利用出来るようになったこと自体が技術革新の果実ではなかったか。この説明は物事の原因と結果を取り違えている。木炭資源の枯渇による価格上昇がイギリスでの石炭利用の革新をもたらしたという議論もある。しかし、木炭から石炭への代替自体は16世紀からすでに模索されており、部分的に成功をおさめていた事実を無視している。第一、その頃の中国だって森林資源は枯渇していたのに石炭利用は19世紀になっても進まなかったではないか。
・「産業革命前の科学技術の発展」を求める意見もある。しかし、前もいった通り(真理や総合的把握を求める)サイエンスと(実用を求める)技術は1850年以前にはほとんど別々のものだった。たとえば製鉄法や食料保存法などの技術は人々がその仕組みを把握するずっと前から使用されていた。発明家に科学の知識はなく、科学者は実用の世界に降りてこなかった。両者の融合が始まったのは1850年ごろからだ。たとえばトマスエジソンは科学的知識がなかったため、自己のインスピレーションを補強するために数学者を雇った。
・むしろ重要なのは、新技術にたいする政治や社会の寛容さ。人々が技術進歩に向けて継続的に取り組めることを社会が担保できているかどうかにある。この意味において、専政的政治制度よりも多元主義的なものの方が好ましい。ダグラスノースの言う所有権の制定も、この意味では一面の真理がある。
・中国と西欧を比較した場合、その差は際立つ。それは、中世まで技術リーダーだった中国が近世になって急速に停滞した理由を説明する。中国はもともと”one-party state”で、技術進歩は漢の時代からほとんど”お上”主導で行われていた。宗の頃は農民の創意工夫活動を促すための金融インセンティブも行われていた。しかしこうした活動は近世頃から弱まっていき、清の時代になってからは中国政府は技術の進歩につながるような政策(度量衡の基準化、商業法、警察、道路)をとりやめてしまった。一方で社会的にも明(14c~17c)代からとくに中央集権的要素を強めていき、多様な民の活力はますます脇に追いやられた。このために中国の歴史には、新たな技術が十分に伝播しなかった例で溢れている。たとえば複数の車輪を搭載した紡ぎ車はカラムシ繊維産業では見られても、それが綿産業に伝播することはなかった。社会構造の上部に官僚があり続けたこともまずかった。成功して裕福になった実業家はだいたい子供を官僚機構に入れたがり、天才やエリートが(一般的にコンサバな立場を好む)官僚機構に吸い込まれていった。
・これに対して欧州はちがった。前述のとおりヨーロッパの技術開発は民間が主であって、政府は従であった。第一、(言語や宗教、生活様式や歴史などいろんな意味で共通点があるにも関わらず)複数の国家が乱立し中国のような中央集権ではなかった。それぞれの国が富を張り合っていたから、結果的に技術の世界でも競争が促された。人の移動も頻繁だった。だから技術の才ある人は、彼の国で抑圧的な政策が取られたら、別の国に移るだけでよく、西欧全体で見たら一つの技術は断絶せずに繋がりを維持することができた。こうした好条件にある社会は西欧を除いて他はなかった。まさしく、世界の技術リーダーになるべくしてなったと言えよう。
http://twitter.com/#!/zaway/status/66580272551968769
Vocaloidismという英語のVocaloid関連サイトで、英語圏では結構人気のあるボカロP「Doofus-P」のインタビューが載っていた。
海外でのVocaloid人気の高まりを受け、初音ミクの英語版発売など海外展開の動きが広がっている。だが、本当の意味でVocaloidが国外で根付くには「日本語以外を母国語としている作曲者」がVocaloidのオリジナル曲を作り、それが広く受け入れられる必要があるだろう。日本のように幅広いDTM層が元々ある国ならば、その上にVocaloid文化が花開くことも難しくはない。でも、国外のようにあまりDTM層が厚くない地域ではそれだけハードルが高くなる。
中でも英語を母国語とするボカロP、それも才能のあるボカロPがどれほど増えるかは、今後のVocaloid海外展開を考えるうえで重要だ。そうしたボカロPが多数のオリジナル曲を作れば、その中から傑作が生まれる可能性が高まる。その時こそ本当の意味でVocaloid文化が海外に浸透したと言えるだろう。
私が注目している海外ボカロPがDoofus-Pだ。少なくともYoutube上で、海外Vocaloid製品を使って彼ほど高い再生数を得ている人は他にほとんどいない。そのDoofus-Pがニコニコ動画の週刊Vocaloidランキング入りを達成した。インタビューはそれをきっかけに行われたもの。海外Pへの注目がこれを機にもっと増えればうれしい。
なお勝手翻訳なので匿名で。引用元のサイトアドレスは以下の通り。
http://www.vocaloidism.com/2011/01/28/an-interview-with-doofusp/
最近のVocaloid関連ニュースにおいて、matt9fiveという名で知られるPの「サーカス・モンスター」がVocaloidランキングに登場した。英語圏のVocaloidコミュニティーにとってこれは驚きの成果だ。私は最近、matt9fiveとメッセージをやり取りする機会を得た。彼自身はDoofusPと呼ばれる方が好みだそうだ。DoofusPは長年にわたり、Youtube上でVocaloid関連のほとんどあらゆるジャンルについて、カバーからオリジナル曲からMMD作品にいたるまで投稿してきた。最近では彼のオリジナル作品「サーカス・モンスター」が週刊VOCALOIDランキングに登場し、第169週には110位に、170週には14位に、171週には31位になった[初音ミクみくによれば14位になったのは週刊VOCALOIDランキング #171]。この画期的な出来事についてVocaloidismが行った彼への独占インタビューを以下に紹介しよう。
http://www.youtube.com/watch?v=Uef7F01tju4
Red2[Vocaloidism主催者]:まず、インタビューに応じてくれてありがとう。
Doof:いつでも歓迎だよ。
Red2:早速始めるけど、最初にVocaloidを見つけたきっかけと、そのファン活動に捧げる情熱の源が何なのかを教えてくれないかな。
Doof:うん、確かVocaloidを最初に見つけたのは、「涼宮ハルヒの憂鬱」の「晴れ晴れユカイ」をミクが歌って踊っているファンの作ったビデオだったな。ミクって誰なんだと思って少しばかりググったらVocaloidプログラムを見つけたんだ! 僕がこれまで見た中でまさに最もクールなものだと思ったよ。なにせそれまで「ヴァーチャル・アイドル」なんて聞いたことがなかったからね。なかでも一番凄いと思ったのは、Vocaloidが完全に利用者に基礎を置いているとこだね。公式なものは何もないし、制限も全くない。Vocaloidは誰のものでもあり得るし、望むどのようなものにもなり得るんだ!
Red2:君はVocaloidでいろんなことをしているね。MMD、英語曲のカバー、そしてもちろんオリジナル曲。今まで君のYoutubeページを見たことがない人のために、それぞれのジャンルでどれがお勧めなのか教えてくれないか。
Doof:わかった(笑)。僕がアップしたのはあらゆるものがあるんだけど…そうだね、英語のカバー曲としてはケイト・ペリーの「Firework」をルカがカバーしたものが現時点でのベストかな。実はやたらと歌詞を間違えまくっているんだけどね(笑)。
http://www.youtube.com/watch?v=nRVPKOTbhYg
でも実のところ、僕のベストカバー曲は日本語曲だね! アイドルマスターの「プリコグ」をミクがカバーしたやつさ!
http://www.youtube.com/watch?v=DrnHzlVrQUQ
自分でも理由はわかんないけど、本当にいい仕事をしたと感じているんだ! MMDについてはあまり作っていないけど、自分で一番好きなのはポータル[洋ゲー]に基づいているミクの「Who are you?」だね。
http://www.youtube.com/watch?v=WjFFlSXz1Pg
ポータル2が盛り上がっている時に作ったんだけど、今でもポータル2には興奮しまくっているよ(笑)。それと、僕のオリジナルで是非とも「必見」なのは「Finale」だね。
http://www.youtube.com/watch?v=r7pvTRi_GGs
僕の曲の中でも一番短くて簡単なやつだけど、書いていてその歌詞に完璧に満足した数少ない曲の一つなんだ(笑)。
Red2:VocaloidとUTAU、それとVocaloidに関連した製品の中で持っているものと普段使っているものは何だい?
Doof:実際にはかなりの数のVocaloidを持っているよ。でも本当に使っているのは初音ミク、巡音ルカ、SONiKA、そしてSF-A2 mikiだ。僕はこれらのヴォーカルの表現方法が本当に好きだし、それにこれらはどれも凄く使い易いと思うよ!
Red2:それって少ないとは言えないんじゃないの。
Doof:(笑)いえーい。
Red2:じゃあ「サーカス・モンスター」の話をしよう。緑の角を持ったルカは、君の作品の大半に繰り返し出てくるテーマだよね。君の作り出したこの存在について話してくれるかな?
Doof:ああ、緑の角のルカ! 彼女が緑の角を持った化け物である理由は「サーカス・モンスター」のストーリー展開にとってそれがとても重要だからだよ。ルカが演じているサーカスでは、女性歌手たちはある種の「再生」過程を経なければならないんだ。もしこの過程に失敗すると、彼女らはゆっくりと時間をかけて化け物になってしまう。でもその過程に再挑戦すれば、それを解除することができるんだ。しかしながらもう一度失敗すると彼女らは永遠に化け物となり、死の呪いにかかって永遠に他の存在へと生まれ変わることになる。ルカはそうなってしまったんだ! ルカが最後に「死んで」しまうように見える歌は全て彼女の前世を描いたもので、だから僕の多くの曲で彼女は角を持っているんだ!
Red2:そりゃまた随分重い話だね。「サーカス・モンスター」を作る際に特にインスピレーションとなったものは何だい?
Doof:うーん…特にサーカス・モンスターに関してインスピレーションがあったかどうかはわらかないな。でも、できれば人々に考えさせるような曲を作ろうとはしていたよ。英語のVocaloidコミュニティーにはそれほど多くの「深遠な」曲がないことに気づいていたし。あるいは単に僕がその分野の曲をたくさん聞いていなかっただけかもしれないけど(笑)。ただ、「サーカス・モンスター」は僕にとってどっちかというと練習曲だったね。期待したほど深遠でも思考を誘発するものでもなかったし…
Red2:Youtubeに投稿した時の最初の反応はどうだったの、そしてそれはニコニコ動画の反応と比べてどうだったんだい?
Doof:うん、随分と違っていたよ。Youtubeでは最初からかなりの再生数とコメントを稼いだんだ! でもニコ動ではほとんど再生されなかったね。1ヶ月から3ヶ月経ってもまだ400再生かそこいらしかなかった。同時期のYoutubeと比べたらほんの端数でしかなかったよ(笑)。
Red2:腹話によるカバーと、Vocaloidランキング14位、どっちを先に知った?
http://www.youtube.com/watch?v=5LKM3xn6goc
Doof:腹話のカバーが先だったね。凄いと思ったよ! 彼がカバーしてくれて本当に光栄に思う。
Red2:興奮しただろうね。Vocaloidランキングについて知ったのはいつで、どうやって知ったのかな?
Doof:(笑)もちろんとても興奮したさ! 最初に知ったのは「Vocaloidランキング入りおめでとう!」というたくさんのコメントをもらったからさ。みんなが何を言っているのか調べなくちゃならなかったよ! そんで見つけた時にはランキングの高さに衝撃を受けたね! 多分30位前後か、実際にはそもそもVocaloidランキングに入っていないと思っていたから(笑)。
Red2:1週前は110位で、それから14位に急上昇。そして先週はほんの1つだけランク外の31位だったね。これからしばらく「サーカス・モンスター」に何を期待しているかい? もっとたくさんのカバーが出てくると思う?
Doof:うーん、正直これ以上「サーカス・モンスター」にはあまり期待していないね。間違いなく1週間のうちに、もしかしたら多分数日のうちに忘れ去られるだろう。もしかしたらもっと多くのカバーを楽しめるかもしれないけど、本当にそうなるとは思っていないよ(笑)。
http://www.youtube.com/watch?v=o4QDUtHOjZM
Doof:日本語版に何が起きると思っているかってこと? そうだね、いくらか海外のファンの間で人気になって、Youtubeにもう少し多くのカバーが出てくるかもしれない。でも、悲しいことにニコ動で大人気になるとは思っていないよ。どちらも歌詞が理解できなくてもその意味を取れる歌の方が好きだと思う。そのことを責められはしないけどね(笑)。
Red2:このシリーズについて続編を公開する予定は? MMDにするつもりは?
Doof:もちろん! でもすぐには無理かな。シリーズを続ける前にもっと歌詞を書く練習をしたいしね。僕は自分の歌詞に誇りを持っているよ。聞くたびに身の縮む思いがするんだけどね(笑)。
Red2:じゃあサーカス・モンスターについてはここまで。Vocaloidに関して将来なにをするつもりなのか、そろそろ出来上がりそうなものがあるか教えてくれないかな? ランキングのトップを目指すのかい? CDを出すつもりは? 他にそうした予定は?
Doof:うーん…練習を続けるのは当然として、それ以外に次に何をするかはまだわからないな。もっと自分の作品に自信が持てるようになったらトップを狙えるだろうけど、それまでは単なる夢でしかないし。でも、「サーカス・モンスター」の全シリーズが完結したらCDは出したいな! もっとも「生気のない物体にランダムに生命が宿り人々を気味悪がらせる」CDの方が先にリリースできると思うけどね(笑)。[DoofusPの曲の中にはCreepy ToastとかCreepy Songなどがある]
Doof:考えたことはあるけど多分しないね。やるとしたらスペイン語のコツを掴んだ後になるだろう。多分そんな時は絶対に来ないだろうけど(笑)。
Red2:話をする時間をくれてありがとう。とても参考になったよ。Vocaloidコミュニティーや君のファン、潜在的な作曲者たち、あるいはみんなに何か言いたいことはあるかな?
Doof:どういたしまして! うーん…何を言うべきなのかわかんないや(笑)。そうだな、VocaloidであれUTAUであれMMDであれ他のプログラムであれ、何かやるときには少なくとも楽しむこと! 嫌いなことをずっとやりたいとは思わないだろうからね!
以上。先月Vocaloidランキングに入ったDoofusPのVocaloidism独占インタビューだ。もし追加の質問があるなら、下のコメント欄に書き残してほしい。DoofusPに返答するよう頼んでみるから。
おそらく名目上は独立を保つのだろうが、経済的、社会的、政治的、そして、もしかしたら軍事的に、
具体的な内容は、こんな感じ。大きな五星紅旗をそれぞれ手に持ち行進する中国人らしき集団が見える。
ここで場面が変わり、東アジアの地図が眼前に表れた。中国の領土が真っ赤に染められている。
左上のほうには金の星が見える。どうやら、国旗の五星紅旗が中国の領土の形に描かれているらしい。
すると、中国領の赤い色が下方に染みてゆき、ラオスの縦長の領土を完全に赤く染めてしまった。
地図は好きなほうだが、ラオスが中国と国境を接していることは、このときまで不覚にも忘れていた。
でも、その赤くなった国がラオスだということは、どういう訳かインスピレーションで分かった。
晴れてラオスは中国の一部となり、この小さな国の出来事をきっかけとして、国際社会は衝撃を受け、
これまでの中国への見方を改めざるを得なくなる。そうした事が全てテレパシーのように伝わってきた。
かつての大日本帝国ほどではないにしても、現在の中国の本質は帝国主義であり、ファシズムなのだ。
「行って警告しなさい」
声のような思念のようなメッセージで、そう訴えかけられるのを感じた。
最後に、「ラオスがなぜか中国に併合される」と、自分がPCに向かって打ち込んでいるところで、
その奇妙な夢は終わった。
これは、いわゆる予知夢なのだろうか。東南アジアで中国の影響力が急速に強まっていることは、
あの地域の事情に疎い自分でも知っていた。今年の初めにも、ラオスの地デジ放送が中国政府や
資本の協力で始まったという話を、WBSで見たばかりだ。これが潜在意識に影響したのだろうか。
それでも、まさか国の併合にまで話が飛ぶとは…。
自分は、右翼のような中国脅威論者ではなく、中国との関係はどちらかと言えば楽観的に見ていた。
とくに、中国の諸々の問題は体制によるものだと思っていた。けれども、そう単純ではないらしい。
体制という「上」からの影響だけでなく、大衆心理という「下」からの作用もあるのかもしれない。
つまり、大衆の即物的な欲望であり、愛国心教育、民族主義教育で植え付けられた自民族中心主義だ。
冒頭の五星紅旗を掲げた中国人と思われる群衆は、そうした大衆心理のメタファーのように感じられた。
中国との交流が進むことは善いことだ。中国を変えられるものは、隣の日本との交流以外に無いだろう。
排斥は、より強い憎悪として返ってくるだけだ。そもそも、もはや中国なしで日本の経済は成立しない。
でも、目先の利益だけを考えて中国依存を進めていけば、夢で見たラオスのようになるのかもしれない。
日本は、もっと色々な国と深く付き合うべきという事なのか。例えば、他の新興国であり、EUであり、
隣の韓国やロシアだ。ちょうどこの夢を見た25日、思いがけず、ASEANの外相らが陸路でラオスを通って
中国詣でに出掛けたらしい。とくに、ラオスは、資源があり、ここ数年、中国の援助や投資が凄いようだ。
ちなみに、自分としては、ラオスの夢よりも、この夢が終わった後の神秘体験のほうが印象に残っている。
目が覚めていて、意識はあるのだが、身体が動かない。部屋はほぼ閉めきっているはずなのに、
何か風のようなものを四方から強く身体に吹き付けられている感覚がする。これが暫く続いた。
科学的に説明できる錯覚なのかもしれないが、自分にとっては恐怖体験としか言いようがなかった。
「○○の良さ(面白さ)がわかんねーんだけど、これって何が良い(面白い)の?」って聞いてくる奴以上にウザい奴っていないよな
少なからず良い(面白い)って言ってる奴がいるんだから、お前にはわかんねー良さ(面白さ)があるんじゃねーの?知らんけどさ以外のことは言えねーんだよな。
正直そういうのって、インスピレーション感じた人間は最初から良い(面白い)と思うし、感じなかった奴はいくらやっても良い(面白い)とは思わない訳で。まぁ環境やらが変わるとそういうのも変わるかも知れんけど。
ていうか、ただそれだけの事なのに、「やったけど全然良さ(面白さ)がわかんなかったわー」とか言いつつ、よくわかんねー理屈こねて面白いと思ってやってる人をディスってくるんだけどなんなの?
はてなID:ykkjhrk
はてなキーワードに投稿しましたが、編集合戦を避けるため、こちらに転載します。
エホバの証人とは
● http://www.watchtower.org/j/ 雑誌のバックナンバーや聖書研究の手引き書などがいくらか読める。
● http://www.jw.org 機関誌のポッドキャストフィードの受診、書籍、電子雑誌などがダウンロードできる。
● http://www.jw-media.org 広報室の公式サイト
名称の由来は旧約聖書のメシア預言のひとつであるイザヤ43章10~12節に基づく。
エホバの証人についての解説(公式サイト): http://watchtower.org/j/jt/article_02.htm
(個人サイト): http://biblia.milkcafe.to/thesis009.html
「ものみの塔聖書冊子協会」は、彼らが用いる代表的な法人の名称である。世界本部はニューヨーク法人ものみの塔聖書冊子協会にあり、出版物の著作権表示はペンシルバニアのものみの塔聖書冊子協会となっている。(ただし、「わたしたちの王国宣教」は、2009年4月以後、著作権表示がエホバの証人のクリスチャン会衆"Christian Congregation of Jehovah's Witnesses"となっている。)
なお、ものみの塔とは1879年に創刊された雑誌の名称であり、ジェームズ王欽定訳のイザヤ21章8節などを由来としている。聖書預言と照らし合わせながら世界情勢を見張っている、という意味がこめられている。さらに、1884年、この雑誌の出版社として現在のものみの塔聖書冊子協会が米国ペンシルバニア州の非営利法人法に則って登録された。したがって、彼らは自分たちを「ものみの塔の信者」とは言わない。ものみの塔協会は法人名に過ぎないからである。
また、「エホバの証人」という語は彼らが構成する集団社会と、信者各個人の両方を指す。(英語などの場合、複数形と単数形で区別する。)したがって彼らは、「エホバの証人の信者」という表現は使わない。ちょうど、「クリスチャンの信者」とか「ムスリムの信者」などと言わないのと同様である。
1870年米国にて、チャールズ・テイズ・ラッセルらが聖書研究会を結成したことに始まり、1931年、米国オハイオ州コロンバスの大会で、「エホバの証人」という名称を採択する決議が可決された。この大会は短波放送で中継されており、日本にいた数名の信者も決議に加わった。(なお、戦前・戦中の大日本帝国下では、「灯台社」という名称で活動しており、天皇は被造物であるなどと主張し、本土および台湾・朝鮮において、治安維持法違反で検挙されている。―参考: 灯台社または燈台社または燈臺社を調べるぺえじ http://www.geocities.jp/todai_sha/)
聖句と聖句を比較しながら論題別に掘り下げてゆくという19世紀の聖書研究者ヘンリー・グルーの聖書研究のポリシーが、現在でも一貫して守られており、エホバの証人出版物の特色となっている。聖書は文字通り神の霊感(インスピレーション)を受けた神の言葉であり、普遍、無謬であって、絶対に矛盾していない、という前提で聖書を調べ、矛盾と思われる箇所がある場合には、ほかの聖句を持ってきて説明しようとする。聖書で聖書を説明するのである。(ものみの塔2006年8月15日号12~15ページを参照。)
((聖書は矛盾している、との主張に対するエホバの証人の反論については、「ものみの塔出版物索引」の「聖書の信ぴょう性」の項の「聖句間に見られる調和」という見出し以下から資料を探せる。))
信者数は日本で21万人ないし30万あるいは40万とも言われ、2009年現在全世界で731万余の伝道者が活動している。
全世界の統計(公式): http://www.watchtower.org/e/statistics/worldwide_report.htm
エホバの証人の実勢信徒数の数え方: http://jwpc.milkcafe.to/media03.html
機関誌「ものみの塔」や「目ざめよ」などを配っている。最近は雑誌の朗読版(mp3およびaac(m4b))やオーディオブックのポッドキャスト配信、アメリカ手話(ASL)や日本手話(JSL)をはじめとする手話版のビデオキャスト配信、オーディオドラマやPDFによる電子書籍のRSS配信も行っている。
「目ざめよ!」は2006年以後月刊誌となり、「ものみの塔」は2008年から一般大衆向けと研究用(信者向け)とに分かれた。
出版物のダウンロードサイト(公式): http://www.jw.org
モルモン教、統一教会と並び、カトリックの総本山であるバチカンの法王庁(教皇庁)からキリスト教系三大カルト(または異端)の一つとされている。
また、カトリックと対立関係にあるが、プロテスタントではない。プロテスタント諸派もエホバの証人との教理上の相違が大きく、エホバの証人自信も自分たちをプロテスタントであるとは主張しない。
http://www.watchtower.org/j/20091101a/article_01.htm
エホバの証人のスポークスマンによると、ときおり、日本基督教団の牧師が「保護説得」などと称してエホバの証人を拉致、監禁して強制棄教を試みるといった事例が生じており、アメリカ大使館は日本の警察当局に、これを事件として取り締まるよう勧告している。((なお、宗教監禁の実態(統一協会の信者)に関する情報は、こちらの月刊現代の記事を参照。))
参考:2003年 国別人権報告書 http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-j20050601-50.html
ただし、SDA―セブンスデー・アドベンチスト教会―はエホバの証人に比較的好意的であり、国によってはセブンスデー・アドベンチスト系の病院がエホバの証人の望む無輸血医療を積極的に提供していることもある。
神の名はエホバであり、敬意を込めてその名を積極的に用いるべきである。
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_01.htm
なお、「エホバ」であるか「ヤハウェ」あるいは「ヤーウェ」であるかは彼らにとって大きな問題ではない。マタイ福音書の主の祈りの冒頭にあるように、神の固有名を用い、それが神聖にされることが重要である、とする。(マタイ 6:9)
さらに、聖書を翻訳する際、神聖四字(YHWH(JHVH)テトラグラマトン)を「神」や「主」といった称号に置き換えると、読者は一般名詞としての神と固有名であるエホバとの意味の相違が識別できないという弊害が生じる。「神」(エローヒーム)と「エホバ」の違いについて、インペリアル聖書辞典(P・フェアベアン編、ロンドン、1874年、第1巻、856ページ)は次のように例証している。
「それ[エホバ]はどんな箇所でも固有の名であり、人格的な神を、そしてただその方だけを表わしている。一方、エローヒームはどちらかと言えば普通名詞の特徴を帯びており、確かに普通は至上者を表わすが、必ずしも、またいつも一様に至上者のことを指しているわけではない。……ヘブライ人はあらゆる偽りの神々に対立する方のことをthe Elohim、つまりまことの神と言う場合があるが、決してthe Jehovahとは言わない。なぜなら、エホバとはまことの神だけの名だからである。また、わたしの神とは再三言うが……決してわたしのエホバとは言わない。というのは、わたしの神と言う場合、エホバのことを意味しているからである。また、イスラエルの神について語りはするが、決してイスラエルのエホバについて語ることはしない。それ以外のエホバはいないからである。さらに、生ける神について語りはするが、決して生けるエホバについて語ることはしない。生きている方ではないエホバなど考えられないからである」。(訳文は、聖書に対する洞察、第一巻、「エホバ」の項より。)
ヘブライ語聖書中に「サタン」が登場するすべての箇所において、定冠詞が使われており、悪魔は固有の実在者であって、人の心に内在する抽象的な概念などではない。(ヨブ 1:6 脚注)
http://watchtower.org/j/20091001a/article_01.htm
神は愛の動機からすべての良いものを創造された。生きる喜びを分かち合うため、み使い(天使)や人間を、倫理的に自由な行為者、つまり神に仕えるか仕えないか、どのように仕えるかを能動的に選択できるものとして創造された。
やがて天使のある者が自由意志を誤用・悪用して神に反逆し、神の主権の正当性、妥当性、義にかなっているか否かに疑念を差し挟むようになった。その天使は、ヘビを使ってエデンの園にいた最初の男女アダムとエバ(イブ)を罪へといざなった。こうして、完全だった人間は不完全になり、原罪を受け継いで死ぬようになった。
悪魔となったその天子が投げかけた問いは、もっぱら倫理的な論争であった。つまり、悪魔は神の力を否認していたのではなく、宇宙の主権者としてエホバがふさわしいか否かを問題にした。したがって、悪魔と叛逆した人間を即座に滅ぼしても、この種の問題の解決とはならなかった。
神からの独立を望む人類社会には、神から倫理的に独立してやっていけるかどうかを試す時間が与えられた。そして、数千年の歴史の中で、君主政治、軍国主義、全体主義、共産主義、自由民主主義などあらゆる政治形態を試みることが許された。
神を愛する人には人間の政治に希望を寄せるのではなく、エホバによる神権政治を支持する機会が差し伸べられている。人間一人一人は、エホバの側につくか悪魔の側につくかを選ばなければならず、エホバの主権を受け入れることによって神の心を喜ばせることができる。―箴言 27:11。(←この側面は「忠誠の論争」とも呼ばれる。)
http://watchtower.org/j/bh/article_11.htm#q10_src
http://watchtower.org/j/bh/article_12.htm#q6_src
なお、悪魔の投げかけたこの論争は、当初から矛盾(論理破綻)していた。悪魔は、自分が論争に勝つなら、エホバは自分を生き続けさせる義務を感じるであろうと考えていたからである。神の公正に疑念を差し挟む一方で、神の公正をあてにしていたのである。(聖書に対する洞察、第一巻、「主権」の項を参照。)
イエスは、人類を罪と死から救済するために天から地に遣わされた。イエスの贖罪死と流した血によって、罪の許しの法的根拠が据えられ、人類には永遠に生きるみこみが差し伸べられた。
http://www.watchtower.org/j/bh/article_05.htm
http://watchtower.org/j/bh/appendix_04.htm
http://www.watchtower.org/j/20091101/article_05.htm
http://www.watchtower.org/j/20090401a/article_01.htm
http://www.watchtower.org/j/20091101/article_02.htm
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_07.htm
http://biblia.milkcafe.to/21-ec-12-07.html
クリスチャンは天に設立された神の王国の国民であるゆえ、地上の政治論争には一切「内政干渉」せず、神の王国の大使また公使として振舞うことが期待される。―ヨハネ 17:16。
http://www.watchtower.org/j/bh/article_15.htm#q12_src
神を愛する者は暴虐を憎まなければならない。―詩編 11:5。
http://www.watchtower.org/j/kn37/article_01.htm
(誤解されがちな点だが、彼らはいかなる戦いをも否定する絶対的平和主義者ではない。旧約聖書(ヘブライ語聖書)にある数々の戦いの記録は、将来神があらゆる悪に報復されることを表しており、「復しゅうは神のもの」と聖書にもある。また、クリスチャンは各自「信仰の戦い」をしなければならない。なお、戦争には不参加となるが、政治的な中立の観点から、戦争反対のデモなどの活動に加わることもしない。)
http://www.watchtower.org/j/hb/index.htm
地抜きされていない肉を食べてはならないという聖書の禁止事項は、イエスの流した贖罪の血に敬意を示すべきであるという考えを根底にしている。したがって、これはもっぱら宗教的な性質のものであり、物理的な意味で1ミクロンも血を摂取してはならないという意味ではなく、血抜きのための合理的な努力が払われていればそれでよしと彼らは考える。
日本臨床麻酔学会誌Vol. 26 http://www.jstage.jst.go.jp/browse/jjsca/26/3/_contents/
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_10.htm
エホバの証人はユダ王国の滅亡を西暦全607年に起きたと考えている。考古学の主流の学説とは意を異にしているが、この点は、「聖書に対する洞察」というものみの塔協会発行の聖書百科事典の「年代計算、年代学、年代記述」の項で、かなりのページを割いて論じられている。
http://www.watchtower.org/j/20051115/article_02.htm
http://www.watchtower.org/j/20051201/article_02.htm
裁くのはイエスであり、誰が救われ、誰が救われないかを決めることに、エホバの証人は関与しない。―ヨハネ 5:22。
http://watchtower.org/j/jt/article_08.htm#saved
週に2回ある集会への参加および非信者への証言活動が求められる。(ヘブライ 10:24-25; マタイ 28:19-20。)また、年に1回、地域大会、巡回大会、特別一日大会という、より規模の大きな集まりがある。(詩編 35:18。)
http://watchtower.org/j/rq/article_14.htm
唯一の式典として、年に1回、キリストの死の記念(主の記念式)が行われる。これは、いわゆる最後の晩餐(最後の晩さん)を記念するもので、カトリックのミサ(聖体祭儀)に当たる。―ルカ 22:19。
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_06.htm
彼らは「新世界訳聖書」という独自に翻訳した聖書を用いている。
オンラインバイブル(インターネット聖書)新世界訳: http://www.watchtower.org/j/bible/
「恣意的な翻訳だ」「自分たちに都合の良い内容に改竄している」という批判もある。
また、エホバの証人側はこれに反論している。
公式: http://www.watchtower.org/j/20080501a/article_01.htm
個人サイト: http://biblia.milkcafe.to/
機関誌・書籍などで、しばしば古今の有名人の発言・著作を引用するが、前後の文脈を無視して極めて恣意的な引用をする傾向にある。(例えば、有名な古生物学者であるスティーブン・J・グールドの著作を、あたかも彼が進化論を否定しているかのような形で引用する)
しかし、この点は近年改善されてきており、2010年に発表された創造を指示する小冊子では、相当の配慮が示されている。
近年では全人類の平等を謳っているが、同協会に批判的な主張によれば、ローマカトリックを始め、他のキリスト教諸派よりもずっと後(1970年代)まで「黒人は神に呪われた種族であり、知的にも劣っており、終わりの日に遂に彼らが救済される時、彼らの肌は白くなるだろう」と主張してきたという。(下部の参考リンク「エホバの証人情報センター」の記述による。同センターは論証的な立場に立っているが、エホバの証人に対する論調は全般に批判的。1970年代およびそれ以前の、エホバの証人における有色人種の扱いについて、より信頼性の高い情報源があればご教示ください。)
世界各国に支部があり、信者のうち白人は1/3程度と推測される。「統治体」と呼ばれる最高指導部は、設立以来多年にわたり白人男性のみで構成されてきたが、1999年にメンバーにサミュエル・F・ハードが加わったことにより、統治体にも有色人種が加わることとなった。
1933年、ドイツで政権を握ったナチスがエホバの証人の弾圧を始めると、協会のドイツ支部は大会を開催して(ベルリン大会)、ナチスの政策を支持し、自分たちとユダヤ人は無関係だと主張する「事実に関する宣言」を全会一致で採択した。この大会には、当時のものみの塔協会の会長ラザフォードも出席している。しかし、世界各国に支部があり、本部がアメリカにあるエホバの証人は、この「宣言」以後もナチスの弾圧の対象となり続けた。
しかし、エホバの証人側は、ナチスを政治的に支持していたわけではないと反論する。
公式: http://www.watchtower.org/j/19980708/article_01.htm
個人サイト: http://biblia.milkcafe.to/07-jg-11-40.html
1985年、ダンプカーに轢かれたエホバの証人の子供大ちゃんが、両親の輸血拒否にあい、死亡。輸血をしても助からなかったとの見解もあるが、マスコミに大々的に取り上げられた。大泉実成著「ASIN:4768455646」に事件の様子が描かれている。
1994年、過剰な体罰、虐待によりエホバの証人の信者の子供が死亡した。
参考:http://www.jwic.com/abuse.htm
エホバの証人である高専生が宗教上の理由で剣道実技を許否した結果、退学処分を受けたが、1996年3月8日、最高裁判所は、この退学処分は違法であるとの判決を下した。
判決文(PDF): http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319123008290359.pdf
なお、これは教育と信教の自由に関する日本国憲法下における重要な憲法判断である。
エホバの証人の婦人が、事前にいかなる場合においても輸血を施さないでほしい、なおかつ輸血しないことによって障害を負っても医師に責任を問うことは一切しないとの合意書に署名していたにもかかわらず、医師たちはひそかに、事前に示し合わせて、当初から輸血を断行することにしていた。手術後、内部告発によってこのことが明らかになり、裁判となった。2000年2月29日、最高裁判所は患者の人格権を侵害したと判決した。
ここでの問題は、強制的に輸血を施したことの是非ではなく、また緊急事態には輸血を施すというその病院の方針が裁かれたのでもない。むしろ、病院はそのような方針をもっているならば、密約をしたりダブルスタンダードをとったりするのではなく、誠実に病院の方針を説明し、患者の信条に沿う別の医療機関を紹介すべきであった、ということである。
エホバの証人のプレスリリース(英語): http://www.jw-media.org/jpn/20000229.htm
判決文(PDF): http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319120604218580.pdf
このほかにも、エホバの証人は国内外で、後に重要な判例となる裁判を起こしている。
参考:衆議院議事録―第159回国会 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 第2号(平成16年3月11日(木曜日)) http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/010715920040311002.htm?
まず先に結論を述べます
「過去の最適化をしたからって未来が最適化されるわけではない」
僕らはよく「あのときああしていればよか」って思うのだけれど
じゃあ「過去を変えることはできるのか?」と考えたとき、まあ最初に過去に行くにはどうするのっていう技術的な話になると思う。ワームホールを使うとかドラえもんに頼むとか。
で、まあそこの議論はめんどくさいからやらない.だからとりあえず今は過去を変えることは出来るとなったと仮定します。
また、過去を変えたことで自分の今の未来へも影響を与えることができるとして(過去を変えた時点で宇宙がもうひとつ生まれてしまうので現在の宇宙に影響を与えるわけではない、とかいう人がいるわけですから)。
「よっしゃ!いっちょ過去いって今まで起こったすべてのいやなことをなかったことにしてくるわ!」
このようにしてタイムマシンに乗った僕は過去の最適化を行うわけです.
テストで満点を取って,憧れのあの子と付き合って,ほしかったゲームを買って,誰からも怒られず,みんなからは賞賛を送られ…
最高の人生をやり直せてるわけですが,いつかはまたタイムマシンに乗り込んだ時点,つまり今に帰ってきます.
そこからが問題です.僕は今の時点においてこれからなにが起こるか何もわかりません.それまで最高の人生を送ってこれたのはこれから起こることを知っていて修正することが出来たからです.
僕は未来が自分に押し寄せてきたときに結局またいつもどおりに”あてずっぽ”で進むべき方向の選択をすることになります.もちろん一番いいことが起こるであろう方向を選ぼうとすることはできます.でも解空間が単峰性とは限りません!!結局はローカルミニマムに陥ることになるんです(ここらへん最適化の専門用語です,すいません).
だからベストの状態への最短ルートを過去から取得できない以上過去の最適化にはなんの意味もないことになります.
「過去を最適化したからといって未来を最適化できるわけではない」
そしてここで付け足しです.数学的帰納法の考えを導入します.上の命題が成立つと仮定すると両辺に「+未来」して(?
「未来を最適化したからといってさらに先の未来を最適化できるわけではない」
つまり
「過去の最適化から最適化された未来を得ることは金輪際ない!」
じゃあどおすればいいんだって思うわけですが,そもそも人間にはきっと後悔しない人生なんて送る権利がはじめからないんだと思うわけです.
失敗したという情報から離れるように進むことしか出来ない.つまり失敗しなければ今よりよい場所へ向かうことはできない.
できるだけ良い思われる今を過ごすこと.人間に出来るのはそれくらいなのだと思います.
なんで自分がこんなことを考えているのかというと、昨日TEDで見た物理学者のせいです.
http://www.ted.com/talks/lang/jpn/clifford_stoll_on_everything.html
僕が一番この人を魅力的だろ感じた一言.
「ワオ! タイムマシンだ! なんてことだろう,昔に引き戻されました」
このひとは写真を見てそれをタイムマシンといった(比喩表現を用いたとは思えない本気の口調で,まるで今本当にタイムマシンを発明したかのように).
このインスピレーションは自分にとってとても印象的でした.感動的ですらありました.
なんてこった思ったのはこっちなんです.そんな発想今までしたことなかった.
もし過去へいって人生をやり直すことのできるタイムマシンが見つかったとしても,僕はそんなものは絶対に使いません.
下手したら過去に戻ってやりなおしたい瞬間が過ぎた後未来に戻るのにまた全ての自分の人生をやり直さなければならないからです.
そんなタイムマシンは絶対嫌です.
でもこのへんてこな頭の物理学者が発明したタイムマシンなら僕はいつでも乗っていいと思う.
過去はやり直すものではなく,懐かしむものなんです.
「ハーァ、なんだか最近、力が入ってこない...。」
どんなに人生経験を積んで成長したとしても、私たちは大失敗をしたり、飽きてしまったり、急にすべてが無意味に思えてしまうことがあります。
そんな時、あなたはどうしていますか?
私は、「ここであきらめるのは、もったいない!」と歯を食いしばってがんばるのですが、クタクタに打ちひしがれて、結果的に逃げるように撤退してしまった経験が多々あります。
まるで、ハエが外を目指して見えないガラスの窓に何度もぶつかり、命を使い切ってしまう、そんな状態です。
このように人生について行き止まりのように感じる時、どうすれば良いのでしょうか?
そんな時は、こう考えてみましょう。
神様が「一旦気持ちをゼロにリフレッシュしてから再スタートしたほうがいいよ」というサインがあなたに送っているのです。
今日は、また走りだすための上手なリセット方法をいくつかお伝えいたします。
1.潔く変化を受け入れよう
「気持ちのやり直し」を自分自身に迫られる。
それはどんな状態なのでしょうか。
あなたはもう、昔のあなたじゃない、ということです。
もう、あなたは同じものや人に惹かれてはいないし、あの時立てたゴールだって今や魅力のないものに変わってしまっているのです。
それは仕方のないことです。人は毎日、成長し変化するからです。
一貫性がないだとか、熱しやすく冷めやすいだとか、自分を責めてはいけません。
昔の気持ちを忘れて(捨てて)、今の気持ちを感じなおしてみましょう。、
はじめは難しいかもしれません。昔ほど、モチベーションが湧いてこない!と焦ることだってあるかもしれません。
潔く変化を受け入れよう。
そうすれば、元の場所に新しい自分がカチッとはまる素早さに驚くことでしょう。
2.思いきって、新しい人の輪に入る
私たちは、無意識のうちに見知らぬ人を避けていることがあります。
それがまさに、あなたを退屈や失望、失敗に陥れているのです。
会う人 会う人を少し見たり話したりしただけで「こういう人だろう」と予想してはいけません。あなた自身が奥深いように、他の人だって数分みただけでどんな人かわかるわけがないのです。
変な気負いや遠慮は思いきって捨て、いつもの自分を出して、流れに委ねてみましょう。
新しく出会う人を、フレッシュな気持ちで受け入れて続けていけば、人生は本当に変化していくはずです。
3.しょうがないけど、負けを受け入れる
仕方がないのです。負けを受け入れましょう。
そして、進みつづけるのです。何かを失ったかも知れないし、大切な人ともう二度と会えなくなったかもしれません。
それを受け入れましょう。その現実、そのデータは紛れなく正しいのです。
はい、だからそこで 自分との戦いはそこで終わりです。
思考の空回りはしっかりストップさせましょう。
その空回りをつづけている内は、同じ場所をグルグルまわっているネズミと同じです。時間の無駄、体力の無駄、お金の無駄です。
戦いが終われば、新しい勝利を手にするチャンスがやってくるのです。
腹をきめて、受け入れましょう。
4.まとまってなくても、誰かに話す。
友達じゃなくても構いません、あなたの話を聞いてくれる人ならば。
自分の今の気持ちを、言葉に変えて 外に出してみるのが目的です。
話しているうちに気分が良くなるかも知れないし、リアルタイムで整理しているうちに出てきた矛盾から新しいアイデアが生まれるかも知れません。
5.思いきって、リスクをとってしまう
自分がオロオロしてしまうような、新しいチャレンジをしてみましょう。
何かを踏み出すのが怖いなら、バンジージャンプをしてみたり、恥ずかしくてできないことがあるならば、人前でのスピーチを買って出るのもひとつの手です。
人は、「安全な場所から出たくない!」という思いがあります。だからといって、安全な場所からでなければいつまでも、その中で過ごさなくてはいけなくなってしまいます。
安全な場所を広げるには、安全な場所から思いきって出てみるのが効果的なのです。自分の怖がっていること以上の場所にいってしまえば、その場所はもう安全地帯になるのです。
6.それまでの事を、ワーッと書き出してみる
小説にしようだとか、あわよくば出版しようだなんて、思わないでください。ただ、飾らずに思いついたままを、あなたの言葉で書き綴っていくのです。そして、「どうして今ここに自分がいるのか」を描いてみましょう。
はしょらなくても大丈夫です。急ぐ必要もありません。
あなたは、ひとつひとつ言葉を書いていくごとに、今の現実を認識していくことでしょう。
何が起きているかがわかれば、問題はほぼ解決したも同然です。
あとはスマートな解法を見つけるのみです。
7.勝ち負けはコインの裏表であると知る
勝つ時もあれば、負ける時もある。ずっと勝ち続けることはできない。
反対に、負ける時もあれば、勝つときもある。
勝ち負けをコインの裏表なのです。次はわからない。
だから、勝ち負けに過剰に反応しつづけている内は、幸せにはなれないのです。
勝ち負けの牢獄を出よう。
積み上げてきたものを、楽しんで、次に進めばいいのです。
8.今ここを生きる
今、生きているこの一瞬を受け入れよう。
なぜなら、その瞬間はもう、二度と訪れないから。
過去にはいけない。
もう過ぎ去ってしまった。
「過去」というのは人間のこしらえた一つの考え方。「未来」も同じ。
今にしか生きれない。
だから、それを受け入れよう。
人は、今をがんばることしか、できない。
その過去につながっているものを、全部 捨ててしまおう。
それが目に付くたびに、あなたは憂鬱な気分を思い出す。
それを思い出すたびに、あなたはグッタリとやる気を失ってしまう。
「捨てる」という行為は、自分自身でない物事を認識する作業です。
つまり、「自分は誰か」という認識の強化につながる大事な作業なのです。
不要なものを捨てれば捨てるほど、あなたは軽くなったり明るくなったりする気分を感じることでしょう。
自分自身でない部分を捨てれば、努力はヒィヒィ言うものではなく、もっと自然に熱中するようなものに変化していくはずです。
10.道具をまっさらに一新する
たとえば、コンピューターを再インストールして、真っさらにしてみましょ。iPhoneを復元して、買った時と同じ状態に戻してみましょう。同じ真っ白の手帳を買い換えてみましょう。
いらないもの・必要なかったものは、そのまま忘れ去られるはずです。
(きっと、いらないものがほとんどのはずです。)
反対に、必要なものは必要にかられて、より適切であなたに調和した形で、再構築されるでしょう。一新する前後で、違ったものになったのだとしたら、あなたはそれが必要だったということです。
そんな思い切ったリセットが必要だったということです。
より身軽になって、スピードもあがるはずです。
11.再設計する
そういう部分は廃止してしまいましょう。
12.「小さな」新しいパターンを取りいれる
大きな変化を起こすというのは、小さないくつかのパターンを変えるということです。
理想の自分が取りうる「小さなパターン」を洗い出してみましょう。
それをどんどん部分的に、取りれていくのです。
やがて古いパターンを断ち切られ、新しい自分をつくる着実な一歩が刻まれていくでしょう。変化とはその積み重ねでしか無いのです。
13.昔の友人に連絡してみる
10年以上 連絡をとっていない友達を探しましょう。そして、連絡をとってみるのです。話を聞いて、その友達がどのように人生を歩んできたか理解しましょう。
あなたとその友人は、途中まで同じ道を歩んでいました。
しかし、あるタイミングやきっかけで別々になっていったのです。
そういった共通点もあり異なる生活を送っている友人の話は、新しい視点をあたえてくれるかもしれません。
14.引っ越す
違う場所へ引っ越してみましょう。自分を取り巻く環境というのは、記憶そのものなのです。環境を変えることで、古い記憶は薄れていくことでしょう。
それが難しいなら、毎日訪れている場所をかえる、道をかえる、それでも効果があるはずです。
はじめは不慣れなことや大変なこともありますが、変化を促してくれることでしょう。
15.熱中しているゲームを変える
「キャリアアップ」というゲーム、「家族」というゲーム、「収入アップ」というゲーム。「恋愛」というゲーム。
あなたは今、どんなゲームに熱中していますか?
あなたのゲームの得点は何で、100点満点中 何点を稼いでいますか?
よくよく考えたら無意味なゲーム、退屈なゲーム、自分が死んでいるように感じるゲームは、考えなおしてみましょう。そのゲームであなたが稼ごうとしているスコアは意味がありますか?本当は、どのスコアが欲しいですか?
16.よく笑う・笑いを見つける・笑いを作る
厳しい現実や、退屈な毎日を目の当たりにしているときでも、あなたは毎日の生活の中に「笑い」を取りいれるようにしていますか?
「あんなつまらないことで笑うなんて」と他人をさげすむのはやめましょう。笑っている人はエライのです。
日々の生活に、笑いを見つけるようにする。笑いを作るようにする。
そして、声に出して顔や体全体で笑うようにする。
これだけでも、毎日に大きな違いがでてきます。
それを持つのも大事ですが、行き過ぎると逆効果になることがあります。もしかすると、今の状態も 真面目すぎた逆効果かもしれません。
心から笑えば、心は解き放たれるし、笑いを通して 凝り固まっていた考え方が溶け出すことだってあります。
きっと、周りの人もこわばったあなたより、笑顔のあなたに手を差し伸べるに違いありません。
よく笑うように心がけましょう。
17.他の誰かに、教えてみる
誰にでも才能があります。特別な能力や、面白い考え方、モノの見え方があるのです。それを、友人や家族に教えてあげましょう。
必ずしもそれが、ずば抜けたレベルである必要はありません。
他人に教えるという行為は、自分に教えることに直結しますし、知識の整理や強化、体系化に大きな役割を果たすのです。
そんな時間を共有する中で、あなたは反応や発見を得ることができます。
相互作用こそ、インスピレーションを生み出すカギなのです。
18.「Yes」を言いに行く
新しいことへの抵抗をしている限り、新しい変化は訪れることがありません。
本質的な変化というのは、Yesをいう余裕によって 創りだされていきます。Yesと言いたいのに、Yesが口から出てこない。Yesを言いに行きたいのに、足が動かない。
それはきっと、能力以上のことをやる恐ろしさがあるからだと思います。
世の中には、何の保証もないことが溢れています。保証のないところからスタートして物事を成し遂げる事が求められているし、保証があると思っていても、刻一刻と変化する状況の中で、その保証が無意味になってしまうことだってあるのです。
やりたいのならYesと言って、今 この瞬間にベストを尽くすしかないのです。
19.キッパリと「No」を言う
注力すると決めたもの以外は、キッパリとNoを言いましょう。
不必要なものにYesを言えば、あなたの中に、また「自分ではない部分」が作られていきます。それが足枷となり、あなたのフットワークを奪い、気持ちを暗くし、時間を浪費させるのです。
また、そういった無責任でベストでない状態で、物事を受け入れても頼んだ相手はガッカリ失望するだけでしょう。
責任の質を向上させましょう。けして量を増やしてはいけません。
上手なNo、合理的なNo、思いやりのあるNoをいえるようになりましょう。
20.「バカ」になってみる
失敗の恐怖。これこそが、私たちが新しいチャレンジを阻害する大敵です。笑われたらどうしよう、他人の目が気になる、そんなことが頭の中をグルグル回り始めてしまうのです。
振り返ると、「無知だからこそできた」バカなチャレンジと成功はありませんでしたか?それも今の自分を形作っている大事なチャレンジが。
当たり前の話ですが、はじめる前に全ての道すじや結果を知ることは、できません。
普段、私たちはバカにならないことに意識を集中していますが、もし 新鮮な気持ちで再スタートを切るのならば、「バカ」になってみるのも大事なことなのです。
あなたは、みんながその人気の秘密を知りたがるスターだったとしましょう。この世界を光で照らす、英雄なのです。
栄光をふりかえって、心を開いて 本当のことを正直に、話してみるのです。そして、それを読み返してみましょう。きっと、発見があるはずです。
22.レンズの焦点を調節する
人生を正しく見るためのレンズが曇っていると、大切なことを見過ごしがちです。それは、何を撮ったらいいのか、はたまたどこに焦点をあてたらいいのかがわからないカメラに似ています。
少し焦点をひいてみたり、近づけてみたりして、何を見るべきかしっかりと調整しましょう。
23.一日を「反応 < 行動」にする。
私たちの日々の生活は、何かへの「反応」がほとんどです。
仕事に反応したり、上司やお客さんに反応したり、自分の役割に反応したり、家族に反応したり、広告に反応したり。
何か起きたことに反応をつづけている限り、人生への意識の感度はどんどん鈍っていき、フレッシュな気持ちで再スタートをきることはとてもむずかしくなってしまいます。
反応がメインになると、何かに追われるだけの しんどくて退屈な毎日に飲み込まれてしまうからです。
けして恐怖や拒絶にまけることなく。
一日の時間が、反応 < 行動に変わったら、新しい道が開けるに違いありません。
24.意味のない問題を解きつづけるのをやめる
本当に、本当に、大事で意味があることに集中しましょう。
誰かに言われたことや、対抗心、意地の張り合い、そういうものに囚われるのは無意味です。
目の前に はまりやすい問題が転がっていると、私たちはそれを解きたくなってしまいますが、それが「本当に、本当に、大事で意味があるのか?」しっかりと再考しましょう。
25.「できること」よりも「やること(意志)」を言い聞かせる
それが私たちを形作り、ひいては現在の人生を構成していくのです。
「できること」を言い聞かせ続けていても、変化はありません。
それよりも、自分のやりたい事、そしてやること(意志)を自分自身に言い聞かせましょう。
変化とは、自己との対話です。
生産的な対話が、素晴らしい結果を生み出すのです。
26.完璧主義をやめて、肩の荷を下ろして取りくむ
不完全を避けて、ものごとをやり切ることができなかったり、世に発表できなかったとしたら、それは不完全以下の「無意味」です。
ゼロです。
世界は全体として、助け合って成り立っています。
不完全さを表に出すことで、あなたを補完してくれる何かが集まってくることを信頼しましょう。
周りの人間がうらやましかったり,今やっていることが正しいような正しくないようなよくわからない不安があったり,今のことを頑張れば先は良くなることはわかっているんだけどすごくフラストレーションがたまる。そういうときは,たいてい、頑張った結果を本心では望んでいない場合が多い。
自分を騙して努力した副作用としてフラストレーションがたまる。結果は頑張った割にはうまくいかない。
そこで,気付く。「自分は何が本当にしたいのだろうかと」
大人になると自分を騙すのがうまくなる。自分を騙すことがうまい人はどこかで大きな失敗をする。イライラは「君のやりたいことは本当はそうじゃないよ」と教えてくれる。
しかし,目の前の目標が与えられている状態で本心を知ることは、妨害に過ぎない。それは失敗したときに気付くパターンがほとんどだ。
よく絶望のどん底に突き落とされて、そこでのインスピレーションをたよりに成功する人がいる。
本当に望んでいることと,やっていることが合致すれば成功は難しいことじゃない。人生が苦しいのはそれがわからないから。自分が何を望んでいるか、どこに立っていたいのかがわからないから苦しい。妥協の中で幸せを見つける人もいるけれども。
不快な心持ちのままでいれば成功は遠い。それと迷いがあるとき人間の能力は大幅に落ちる。それが意識に登らないような迷いであってもだ。自分を知っている人間は、自分がどこに向かうかまっすぐに見据えている。だから迷いがないため,思考がスムーズになる。結果うまくいく。
人生うまくいかなと思っている人は,自分が「本当にしたいこと」を知ればいい。しかしそれはとても難しいことでもある。
ではどうするか,全力で目の前の壁にぶち当たるしかない。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1436797534
に対する回答です。
もはや数年前のことですが、120点満点で100点に届かなかったくらいのレベルでよければお読みください。
あなたが何年生なのか分からないので、現在高校2年生であるという前提で話をします。
当面は、英語に全力を費やすという理解でよいですね?
英語は、「語彙力」「文法力」「読解力」だと言われますが、
「単語のイメージをつかみ、相性が良い前置詞がわかるだけの語彙力」
「英語を頭から素早く読みこなせ、間違いは間違いと指摘できる文法力」
「英語の構造的な特徴を理解しており、話の続きが自然にわかるだけの読解力」
が必要です。
まず、とてもよい「英語辞典」を用意してください。単語、文法で疑問があったときに常に立ち返ってください。
(おすすめは紙のジーニアスです。語義・関連・コラム・絵が全て載っているという点で紙の辞典がベストです。もしかしたら、最近の電子辞書はフルに載っているのかもしれませんが。。。)
【英語辞典の使い方】 辞典は引いたら「読む」ものです。一度引いたら、その単語のイメージや周辺の単語ごと丸ごと覚えてしまってください。例えば、こんな使い方です。
「inspire」の単語がわからない→「意味:ひらめきを与える」がわかる。→「inspire him to do」という使い方で「彼に~する気を起させる」という意味になる。→名詞形を調べる。「inspiration」なるほど、インスピレーションか!ちなみにアクセントは、"a"だな→inspireの語源を知る「(in)中に」「(spire)息吹を与える」→「spire」を使った他の単語は?expire, aspire, perspire ...→expire「ex(外に)-spire(息が出る)」で「死ぬ→失効する」ふーん、無理やりだなw、aspire「a(~へ)+spire(息を吹きつける)」で「熱望する」、perspire「per(~を通って)+spire(息をする)」で「汗をかく」って液体と気体じゃ違うやんw→アスピリンってaspireと関係するのかな?…、へーエジソンの「1%のひらめきと99%の努力」って1% of inspiration and 99% perspiration って言葉だったのか。英語だとセンスいいなw…
といった感じで、どんどん「読んで」いきます。こうした使い方ができる辞書を選んでください。
こうしたことをしばらく続けていると、しらない単語に出会っても意味が分かるようになります。よく、意味は文脈で判断すればよいという人がいますが、親戚の単語から推測するからこそ文脈でそれを補完できるのです。でなければ、ただの辻褄合わせ、山カンになってしまいます。
【単語帳】
現在、速読英単語必修編を使っているとのことですので、むやみに他の単語帳に手を出す前に、その本を完璧にしてください。
完璧にするというのは、単語帳に書いてあることを余すところなく吸収するということです。
例えば、「glance(ひと目見る)」といった単語を一つ覚えるにしても、glance=ひと目見る と覚えてはダメです。
"glance at the ball"でボールを見る。"at"はlook at と同じ"at"だな。名詞でも使えるのか、"take a glance at him"で彼のほうをちらりと見る。なるほど、a を忘れちゃいけないな。a glance of him でなくて a glance at him だから、「彼の姿をみる」ではなくて「彼のほうへ、ひと目ちらりと目をやる」ってのが正しいイメージだな、と覚えていくのです。(多分、こうした関連・派生的な使い方は単語帳に書いてあるはずです。)
また、単語帳でなかなか覚えられない単語や、2つめの意味が1つめの意味と異なっているように思える単語(例えば、correspond 1.一致する 2.文通する)などは、辞典を引いてどうしてそういう単語なのかを理解しましょう。思わぬ発見があるはずです。
こうして覚えるのは非常に非効率に思えますが、実はこうして単語を丸ごと覚えることで「イディオム」の暗鬼や「語法」の暗鬼に費やす時間が圧倒的に減ることになります。というのは、ほとんどのイディオム・語法のうちの7割程度が「既知」の知識から導けるようになるからです。
【文法・語法】
1冊薄いものでよいので、高校英文法の参考書を用意してください。あなたの質問から察するに、まだ文法の基礎が固まっていないようだからです。これを一通りやりきります。
やりきるというのは、説明に使われている例文を「まるごと覚えつつ」、例題とか章末問題を真正面から取り組むということです。(だから分厚いのを用意して挫折するのだけは避けてください。全部で100ページくらいのもので十分です。)さて、この英文法の基礎的な一冊をやる中で分からないものは、(1)辞典を引く、(2)必ず学校の先生に聞くなりして「完全に理解してください」。
わかったふりをすると結局受験の後半で「なんとなく5割くらいは取れるんだけど、頑張ってもそれ以上に伸びない」という感じになってボロが出ます。そんな友人を沢山見てきました。
さて、薄い基礎が固まったら、それを得点力に変換する番です。おすすめは以下の一冊です。これを、文字通りやりきってください。間違ったところは文章と解説を丸ごと覚えてください。それを3回は繰り返します。
これを全て覚えてしまえば、世の中の文法問題は全て見たことがある問題になって、典型的な問題ならほぼノータイムで解けるようになります。しかも所謂「語法」や「イディオム」についても主要なものは覚えられます。結局、イディオムなんてものは、他の学習をしている最中に“自然に”覚えてしまって、最後に足りないところを「へぇ~」といいながら覚えていくものなのです。
さて、こういった“基礎的な”文法力が身に付いたら「英文解釈」と呼ばれる参考書を買ってください。(自分は買ってないのでおすすめの本が分かりません><)
英文解釈とは、一文~複数の分を的確に読みこなすコツみたいなものです。よく、英文解釈は「読解力」だと思われていますが違います。「英文を頭からどんどん読むための文法力」を養成する本です。
【読解・把握力】
さて、これらと並行して読解も始めてください。最初は簡単なレベルからスタートしてよいので毎日継続してください。(毎日はいいすぎでも、一週間に3回くらい。計画的にこなせるのであれば、高校1年生向けからスタートしても十分なくらいです。)
問題が簡単そうなときは、「早く読む」ことをこころがけ(「500word+問題」を5分でこなす程度)、ちょっと込み入っていたら正確に読みこなすようにしてください。
ただし、「適当に回答する」ことはやめてください。
ちゃんと勉強していると、適当に回答していても結構な頻度で当たりますが、そんなことをする意味はありません。妥協せずに、ある英文が伝えようとしている意味を正確にとらえてください。(それでもわからなければ諦めて、回答を見る・辞典を引く→でもわからなかったら学校の先生に聞いてください。付き合ってくれる先生を仲間にしてください。結局、大学受験は「読めなければ」話にならないのですから、ここだけは絶対に妥協してはいけないのです。)
※なお、読解は単語力養成のチャンスでもあります!簡単なレベルの読解で出合った知らない単語はどんどん調べてください。下手に2冊目の単語帳に手を出すよりも効果があります。(固有名詞とか、そういうマニアックそうなのはやめてもよいです。)
さて、「英語の構造」がわかるようになる方法ですが、いわゆる「パラグラフ・リーディング」「ロジカル・リーディング」とか呼ばれる技法です。
自分は、3年の冬になって初めて実況中継シリーズのロジカルリーディングとかを読んでました。読んでみると大したことは言っていないのですが、知っているか知っていないかで、英文の先読みをする力に大きな差が出ます。ある程度のレベルまでだと、英文をちゃんと読めていないのに、パラグラフ・リーディングの技術のみで問題が解けるようになってしまいます。しかし、勘違いしないで欲しいのは、それはあなたの英語力うんぬんよりも、「問題の質が悪い」ことに起因することがほとんどです。
東大レベルの英文問題においては、知っていると早く読めるけれど、そもそも基礎力が無いと話になりません。というわけで、予備校に通ってからでも十分間に合います。
とのことですので、勉強法について。東京大学新聞社が毎年刊行している「東大20XX」シリーズという本をおすすめします。この中には、東大の説明やキャンパスライフの紹介のほか、東大合格者の勉強法や、教授がすすめる勉強法が掲載されています。これを読むと、先人たちの知恵とか東大受験法が自然に頭の中に形成されます。そして、何よりもモチベーションがあがることが、一番よいところでしょう。
余談ですが、英文法が完成した段階で、一度TOEICを受けてみると面白いです。
私は高校二年の冬に一度受けましたが、2時間半もの間ずっと集中して英語につかるというのが、こんなにつらいことかというのを実感しました(汗) 正直、東大入試よりもつかれます。
僕のまわりにも20代後半〜30代の魅力的な独身女性がたくさんいるのに増田が書いているような「責任」のことを考えると恐くて告白できない。
実際に付き合ってみなければ結婚する結婚しないなんて判断できるわけがない。
たとえば2年間付き合ってみたけど「やっぱりこの人とは一緒にはいられない、結婚できないから別れる」というのは普通にあると思うのだけど若い女性の2年と、ある年齢を過ぎた女性の2年では重みが違ってくるよね。
それならば彼女の人生から奪ってしまう時間を少なくする方向で、とりあえず半年付き合ってみて判断するのはどうか?それも難しい話だ。少なくとも僕のスタイルには反する。
もちろん付き合い始めてすぐに結婚というパターンもあるだろう。しかし今問題にしているのはそうでは無い可能性の方だ。
たったの半年付き合っただけで「別れましょう」なんて僕には言えない。恋愛ってそういうものではないのだ、ファーストインスピレーションで決められるものではないのだ。時間をかけてお互いの価値観をすりあわせたり、お互いの良いところをみつけていく作業を継続的に続けることにこそ価値があるのだ。
そうやって散々努力した結果として、やっぱり無理だねとお互いに納得の上で「別れよう」と判断できるのではないだろうか?まだ可能性があるうちに別れようなんて判断はしたくない。
では、あまり気がのらないけど彼女の年齢を考慮して仕方なしに「結婚」という判断を下す?それこそ二人にとって不幸でしかないだろう。時間をかけて自分達はどうにも相性が悪いことが判明したのに、そこで結婚というのはおかしいだろ。
実は同じ職場の30+α歳の岡田さん(仮名)に片思い中なのだが、上記のようなことをウジウジと考えて「責任」のプレッシャーで告白できないまま3年くらい経過してしまった。彼女は3年前も現在もフリーのままだ。
あーあ…
http://anond.hatelabo.jp/20090519230327
とりあえず演出担当が作りたい芝居を語る。酒の席だったりする。
それを何となく脚本担当に伝えてミーティング用資料を作る。この過程で何度も何度もあーでもないこーいうつもりでもないと言いながらもできあがる資料は抽象的でなんとなくそれっぽいプロットとどこかで見たような演出プランに独自っぽい名前を付けてるだけのすっからかんなペラい物になる。本音を言うと「大人計画を演る」と言われる方が楽だ。「作りたい本人が説明できない、今までにないような独自の芝居」を作る事になると脚本とか演出とか以前に完成しない。
そのペラい資料をもってミーティングを行うがすんなりは決まらない。この間はいい感じだねって言ってたじゃんって展開も。そのまま下にも同じ事を言われる。
決まらないがとりあえず作り始めてと役者と裏方に投げられる。とりあえず公演タイトルくらいしか決まっていないので色々聞きながら作ってみる。もちろん面白いとかつまらない以前の内容になる。
稽古が始まると政治的なパワーバランスなどの都合により今まで作っていた何物かはゴミ箱に行くことに。でも「もう半分くらい作ったんだから簡単にできるハズ」等と言われる。80年代の小劇場だったハズが90年代の静かな演劇になったのに。(極端だけど劇場変更はザラ。あまり大きな問題はない)
脚本担当はまた初めと同じように内容を伺う。日を跨ぐと違うことを言うので出来るだけ素早く箇条書きにしてる。なかなかまとまらないが役者と裏方はまた何かを作り出す。何を作るかは分からないが何となく配役とか場面転換の枚数を妄想して分担表とかをつくる。裏方も仮想舞台装置を作る。
放っておくと大量の配役、大量の大道具、大量の小道具、仕様の演出、労力の割に効果があまりないような話、壮大な計画がブチ上がってくるので必死で止める。
(仕様演出は仕様見ただけで分かるような無茶な物のこと。例えば100人の登場人物から3人を合成してすべて違う登場人物が錬成されて全部に名前と設定と配役が付くとか。16万通りもある事を理解できていない)
脚本担当はこの段階で死にそうになっている。一応存在する脚本担当の締め切りが迫ってくると当然毎日徹夜して脚本を作成していくのだが、なんど書き直しても「つまらない」「ここはこういうつもりじゃなかった」「字にすると面白そうに見えないから演技プランを考えて」「(仮の)名前が気にくわないからインスピレーションが~」「やっぱこうの方がいい」「昨日いいこと思いついた」等の必殺技に返り討ちにされる。仮脚本を演出に見て貰っている場合は演出に頭を何度も下げに行く。脚本担当の締め切りはもちろん守れられない。その分のしわ寄せは役者と裏方がかぶることになる。毎日毎日両部門に目に隈を作った脚本担当が「間に合わなくて済みません」と謝っている。ただし役者も裏方も怒らない。脚本担当が遊んで遅れてる訳じゃないし。一緒に仕様固めを手伝う。演出担当は怒る。
何となくあがってきた脚本担当の脚本を眺めながら稽古する。ただし細かいことは何にも書いてない。ト書きに一言だけ書かれているならましで、ト書きの存在が伝えられていない事もザラ。その当りは必要そうな設定を裏方が洗い出して役者が全体の空気を読んだ場面設定を構築して己のインスピレーションを信じて勝手に演技する。とりあえず作った物を見せると、演出に「俺の指示と違う」等と言われることが多い。指示なんかないのに。ただしこれがそのまま使われることも良くある。
稽古が中盤に入る頃には脚本がしっかり上がって……いない。絶対。時間だけが無情にもすぎるが未だ路線が定まらない。分からないところは逐一聞きながら作る。聞かないでも作る。運が悪いと何故聞かなかったと言われる。役者はひたすらリテイクを食らう。世界観と合わないとかこのキャラだけ浮いているとか。世界観なんて脚本の1ページ辺りに描かれてる程度にしかなかったりするし。脚本のセリフが気が付くと増えている。演技プランが破られている。稽古時間が足りなくなる。各自で時間を何とかしろと言われる。もうたっぷり圧縮してる。
稽古終盤。本番に間に合わない事が確定的になってから設定をとりあえず削ってみる。最初からそれはいらないと言い続けた場所を削るが演出担当は不満顔。最初から入れなければもっと早かったのにと毎度毎度言い続けてるが変わらない。リハ期間は短くてもいいとか言い出す。それで前も本番でミスしただろうに。やっぱりあそこが気に入らないから変えてとかこの期に及んで言う。役者は本人当たりセリフ量が割とはっきりしているのでギリギリまでリテイクされる。脚本担当は脚本を必死で打ち込む。演出に「演技のバランスが悪い。調整してないのか」とか言われる。その時間はお前が削ったんだ。裏方は頻繁な小道具の差し替えをしながらミスを潰していく。何度言っても脚本の差し替えはすぐ出来ると思われている。そろそろ劇団内の恋愛はやめて欲しい。役者も脳みそが足りないので勝手にセリフを削る。劇団内の恋愛は無理矢理潰す。みんな死にそうな顔をしているが激太りもしてる。
公演して糞芝居と言われる。世間一般的にミスれば役者と裏方のせいにされて(稽古しなかったから、裏方がミスをしたからと思われている)つまらなければ脚本担当や演出担当が批判される。(世間の(俺の)面白いと思っていることを理解できていない!とか)このために軸のぶれている演出担当や脚本担当は上がってきた物が面白くないと感じると仕様変更をガンガン入れてくる。たとえ本番でミスっても内容が悪くなければ叩かれるのは自分じゃないもんね。時間と金をもって来ないのにこれをする人が時間を無駄遣いさせる。裏方は本番でミスをしたくないので仕様変更が出ないよう出ないよう事前に釘を刺しに行きたがる。
http://anond.hatelabo.jp/20090519230327
それを何となくプロデューサーに伝えて企画用資料を作る。この過程で何度も何度もあーでもないこーいうつもりでもないと言いながらもできあがる企画書は抽象的でなんとなくそれっぽい絵とどこかで見たような話に独自っぽい名前を付けてるだけのすっからかんなペラい物になる。本音を言うと「ポケモンのアニメを作る」と言われる方が楽だ。「作りたい本人が説明できない、今までにないような独自のアニメ」を作る事になると作画崩壊とか糞脚本とか以前に完成しない。
そのペラい企画書をもってスポンサー集め、スタッフ集めに行くがすんなりは決まらない。この間はいい感じだねって言ってたじゃんって展開も。そのまま下の制作進行にも同じ事を言われる。
決まらないがとりあえず作り始めてと脚本家と制作スタッフに投げられる。とりあえず仮タイトルくらいしか決まっていないので色々聞きながら作ってみる。もちろん面白いとかつまらない以前の内容になる。(素人ギャルゲーをアニメ絵で動くだけレベルとかなにかを、作画オタ受けが良い人を一人だけ拘束掛けてそれっぽくしてるとか)
制作が始まるとスポンサー(製作会社・音楽・版権管理・原作者)と制作会社の政治的なパワーバランスなどの都合により今まで作っていた何物かはゴミ箱に行くことに。でも「もう半分くらい脚本作ったんだから簡単にできるハズ」等と言われる。原作付きのギャルゲアニメだったハズが監督の個人的な思い入れの詰まった鬱アニメになったり。(極端だけど放送開始時期変更はザラ。あまり大きな問題はない。逆に放送開始日が決まってる方が制作工程は回りやすい)
プロデューサーはまた初めと同じように監督に内容を伺う。日を跨ぐと違うことを言うので出来るだけ素早く箇条書きにしてる。なかなかまとまらないがキャラデザイン・美術設定・色彩設定と3D班は作画ガイド用の何かを作り出す。何を作るかは分からないが何となくキャラ人数とか背景の枚数を妄想して分担表とかをつくってグロスに出せそうな作画会社や、背景美術会社・仕上げ会社に相談する。プロデューサー・制作デスクも仮想工数表を作る。
放っておくと大量の単発話数使い捨てキャラ、大量の新規デザイン・美術設定、大量の3Dとセル合わせのカット、仕上げの大変な塗りの主要キャラ、労力の割に効果があまりないような重い撮影処理、壮大な計画がブチ上がってくるので必死で止める。
(どう考えても無茶な物は例えばクラス30人の美少女が個別のメカに乗るとして。制服と私服とスーツのバリエーションをすべて違うキャラデザインを出すとそれだけで、90以上のデザイン。メカで30、変形分は随時出す。昼色・夜色・夕景で360の色彩設計が必要になる。もちろんサブキャラ・モブの分も作らなければならない。その後の作画・仕上げミス地獄を想像できていない。3Dが絡むと更に地獄)
資金集めとアニメフェアやコミケ合わせのPV制作で制作進行はこの段階で死にそうになっている。一応存在するスポンサーへの納品日が迫ってくると当然毎日徹夜してカット袋をフリーのアニメーターから回収していくのだが、なんど描き直しても「つまらない」「ここはこういうつもりじゃなかった」「撮影まですると面白そうに見えないからキャラデザからやり直して」「声が気にくわないからインスピレーションが~」「やっぱこうの方がいい」「昨日いいこと思いついた」等の必殺技に返り討ちにされる。演出は反対のことを言う。原作者や版権持っている会社はこのあたりで勘づいて条件を大量につけ始める。ひどい上がりのカットを無理なスケジュールに呼んだ演出・作画監督に描いて直して貰っては頭を何度も下げに行く。プロデューサー・制作デスクの締め切りはもちろん守れられない。その分のしわ寄せは作画と以下続く3D・仕上げ・撮影がかぶることになる。毎日毎日その部門に目に隈を作ったデスクや制作進行が「間に合わなくて済みません」と謝っている。ただし3Dチーフや作画監督、色彩設定、撮影監督も怒らない。制作進行が遊んで遅れてる訳じゃないし。一緒に設定固めを手伝う。 動画はスケジュールも単価も悪くて国内は使えず、海外しか使えない。土壇場で半日電送を使って、注意事項を守らない動画検査・仕上げ検査や撮影が逃げ出したくなるような上がりがくる。その後に納品日が延びる。
(この部分は制作進行・デスクが優秀な場合に限る。要領悪い足を引っ張る進行の場合はフロア中に響く声で怒鳴られることは日常茶飯事。制作部屋の机の下に寝袋か汚い布団が置かれる。そしてたまに逃げ出す。)
何となくあがってきたデスクの工程スケジュール表を眺めながら作る。ただし細かいことは何にも書いてない。アフレコ・ダビング差し・納品日と一言だけ書かれているならましで、納品日の存在が伝えられていない事もザラ。その当りは必要そうな設定項目を主要メンバーにいつの間にかなってしまった作画監督や演出が洗い出してキャラデと美監と色彩設計と撮影監督が全体の空気を読んだ画面を構築して己のインスピレーションを信じて勝手にレンダリングをかける。編集日は決まってるのに監督が明日上がり見たいからと編集は休日に呼び出される。ラッシュでとりあえず作った物を見せると「俺の指示と違う」等と言われることが多い。指示なんかないのに。ただしこれがそのまま使われることも良くある。
無事にPVでスポンサーから予算がまあまあ出て(それでも1話数百万円分くらい)、本編制作に入る頃には設定がしっかり上がって……いない。絶対。時間だけが無情にもすぎるが未だ路線が定まらない。分からないところは逐一聞きながら作る。聞かないでも作る。運が悪いと何故聞かなかったと言われる。設定制作が原作側と監督の板挟みになってシリーズ途中で逃げ出す。キャラデはひたすらリテイクを食らう。総作監・演出はひたすら丁寧な説明をつけたリテイクを出す。監督は世界観と合わないとかこのキャラだけ浮いているとか。世界観なんて原作ゲームの説明書の2ページ辺りに描かれてる物語程度にしかなかったりするし。動画枚数が気が付くと増えている。動画と色指定の注意事項が破られている。大量のリテイクでサーバー容量が足りなくなる。納品終わった分からバックアップを取って容量を何とかしろ・TPやBGはサーバーに置くなと言われる。もうたっぷり圧縮してる。そして自前のPCにTPやBGを保存していた制作進行のPCが直前に壊れる。
放送開始日直前。1・2話の放送1週間前納品に間に合わない事が確定的になってからキャラの作画をとりあえず削ってみる。最初からそれはいらないと言い続けた場所を削るが監督は不満顔。最初から入れなければもっと早かったのにと毎度毎度言い続けてるが変わらない。リテイク期間は短くてもいいとか言い出す。それで前も大量のDVDリテイクを出しただろうに。予算がないからDVDリテイクすら無理だとまだ気づかない。やっぱりあそこが気に入らないから変えてとかこの期に及んで言う。作画は1カット当たり作業時間が割とコンテから推測してはっきりしているのでギリギリまでリテイクされる。検査はあがってきた素材を必死で見られる物に直す。「色が悪い。調整してないのか」とか言われる。その時間はお前が削ったんだ。撮影は頻繁なデータの差し替えをしながらテクニカルミスを潰していく。何度言ってもデータの差し替えはすぐ出来ると思われている。そろそろアフターエフェクト6.5はやめて欲しい。3Dもメモリが足りないので勝手に増やしている。作画に戻す時間がないリテイクは仕上げや撮影で無理矢理潰す。みんな死にそうな顔をしているが激太りもしてる。
…出来ればいい方で、話題にもならずアニメ雑誌には放映日が一覧リストで載るだけで、特集や記事で扱われることは全くなかったりする。ブログも更新が全くされない。
放映が始まって糞アニメと言われる。世間一般的に糞アニメは作画と脚本のせいにされて(やる気を出さなかったから、作画・脚本が適当に描いたと思われている)つまらなければ脚本家やシリーズ構成が批判される。(世間の(俺の)面白いと思っていることを理解できていない!とか)このために軸のぶれている監督や演出は上がってきた物が面白くないと感じると既にあがっているコンテ・脚本変更をガンガン入れてくる。たとえアフレコ終わってて、しゃべってる内容と演技がちぐはぐでも内容が悪くなければ叩かれるのは自分じゃないもんね。時間と金をもって来ないのにこれをする人が時間を無駄遣いさせる。動画検査、色彩設計や撮影監督は過度のリテイクを出したくないので無茶な変更が出ないよう出ないよう事前に釘を刺しに行きたがる。
終わった頃には人数が減っている。というか制作途中にがんがん減っていく。
とりあえず行きたい会社とかを語る。酒の席だったりする。
そこで何となくリクナビ登録してエントリーする企業を考える。この過程で何度も何度もあーでもないこーいうつもりでもないと思いながらもできあがるエントリーシートは抽象的でなんとなくそれっぽい志望動機とどこかで見たような自己PRに独自っぽい研究内容を付けてるだけのすっからかんなペラい物になる。本音を言うと「テンプレ通り書け」と言われる方が楽だ。「本人が動機も何も説明できない、今までにしたことのないバイトでのリーダー経験」をでっち上げると就職とか以前に説明会にもたどり着けない。
そのペラいエントリーシートを提出するがすんなりは通らない。貴方の今後をお祈りしますって言われる。
決まらないがとりあえずスーツは必要。とりあえずこれはみんな青山。
説明会が始まるとこれまでの自分の怠惰な生活バランスの都合は無視して朝から起きて電車の乗ることに。でも「エントリーシートが通ったんだから就職は目の前のハズ」等と親に言われる。東証一部の商社だったハズが地方のスーパーの営業になったのに。(極端だけど職種変更はザラ。あまり大きな問題はない)
面接にこぎ着けると今度は履歴書が必要なのでまたエントリーシートと同じように内容を違う言葉で考える。日を跨ぐと別の予定があるので素早く書く。なかなかまとまらないが自己PRと志望動機は新しく追加する。何を作るかは分からない会社だが何となくテレビやネットで見た感じに妄想して夢とかをつくる。
放っておくと少量の自己PR、少量の志望動機、大嘘な経験値、リーダーの経験、学歴のバグ、労力の割に効果があまりないような話、壮大な資格取得計画がブチ上がってきた所を就職課に思いっきり怒られる。
(学歴バグは年齢を見ただけで分かるような無茶な物のこと。例える必要性がない)
自分はこの段階で死にそうになっている。一応存在する前期の試験が迫ってくると当然毎日徹夜して履歴書を作成していくのだが、なんど書き直しても「(君の人生は)つまらない」「ここはこういうつもりじゃなかった」「文にすると面白そうに見えないから書き直して」「志望動機が気にくわないから質問をされな~」「やっぱこうの方がいい」「昨日の奴の方がよかった」等の必殺技に返り討ちにされる。単位が足りていない場合は教授に頭を何度も下げに行く。前期中には当然決まらない。その分のしわ寄せは後期に行く。毎日毎日よく知らない企業に頭を下げに行く。
何となくあがってきたプランナの仕様を眺めながら作る。ただし細かいことは何にも書いてない。オプション画面と一言だけ書かれているならましで、オプション画面の存在が伝えられていない事もザラ。その当りは必要そうな設定項目をプログラマが洗い出してデザイナが全体の空気を読んだ画面デザインを構築して己のインスピレーションを信じて勝手にプログラミングする。とりあえず作った物を見せると「俺の指示と違う」等と言われることが多い。指示なんかないのに。ただしこれがそのまま使われることも良くある。
開発が中盤に入る頃には履歴書がしっかり上がって……いない。絶対。時間だけが無情にもすぎるが未だ業界が定まらない。分からないところは逐一聞きながら説明会を受ける。聞かないでも受ける。運が悪いと自主性がなかったと言われる。ひたすらお祈りを食らう。社風と合わないとか君は浮いているとか。社風なんて風通しが良いくらいしかなかったりするし。履歴書の写真が気が付くと病んでいる。絵の枚数が気が付くと増えている。端っこが破れている。単位が足りなくなる。後期で何とかしろと言われる。もう後期だ。
4年生終盤。無職が確定的になってからマイナス思考を削ってみる。最初からそれはいらないと言われ続けた場所を削る。最初から入れなければもっと早かったのにと毎度毎度言われ続けていたがブサメンは変わらない。雇用形態は派遣でもいいとか言い出す。それで支社をだしただろうに。やっぱり正社員がいいとかこの期に及んで言う。残りの日数は割とはっきりしているのでギリギリまで活動する。リクナビにデータを必死で打ち込む。「完璧だね。挫折とかしてないの?」とか言われる。それは俺が削ったんだ。頻繁な会社訪問をしながら最後の望みにかけていく。何度行っても残り物だと思われている。そろそろ来年の採用とかぶるのはやめたい。求人足りないので勝手に落ち込んでる。無理矢理笑顔を作る。死にそうな顔をしているが激太りもしてる。
卒業前に学長が偉そうな顔して我が校の就職率は高いと雑誌やブログにコメント。
卒業してニートと言われる。世間一般的に無職ならば学歴と本人のせいにされて(頭が悪かったから、本人が活動しなかったからと思われている)場合によっては社会が悪いことにもなる。(不況とか)このためどんな企業も採用しないくせに求人だけは出す。たとえ採用しないでも求人実績があれば叩かれるのは自分じゃないもんね。時間と電車代を出さないのにこれをする企業が時間を無駄遣いさせる。ニートは就職したいかどうか分からない。
http://anond.hatelabo.jp/20090519230327
とりあえずプロジェクトマネージャが作りたいシステムを語る。酒の席だったりする。
それを何となくSEに伝えて営業用資料を作る。この過程で何度も何度もあーでもないこーいうつもりでもないと言いながらもできあがる資料は抽象的でなんとなくそれっぽい絵とどこかで見たようなシステムに独自っぽい名前を付けてるだけのすっからかんなペラい物になる。本音を言うと「Amazonを作る」と言われる方が楽だ。「作りたい本人が説明できない、今までにないような独自のシステム」を作る事になるとバグとか糞とか以前に完成しない。
そのペラい資料をもって営業に行くがすんなりは決まらない。この間はいい感じだねって言ってたじゃんって展開も。そのまま下にも同じ事を言われる。
決まらないがとりあえず作り始めてとデザイナとプログラマに投げられる。とりあえずジャンル名くらいしか決まっていないので色々聞きながら作ってみる。もちろん面白いとかつまらない以前の内容になる。(十字キーでリストが動くだけレベルとかシステムを一個だけそれっぽくしてるとか)
開発が始まると政治的なパワーバランスなどの都合により今まで作っていた何物かはゴミ箱に行くことに。でも「もう半分くらい作ったんだから簡単にできるハズ」等と言われる。ウィンドウズアプリだったハズが携帯のWEBアプリになったのに。(極端だけどハード変更はザラ。あまり大きな問題はない)
SEはまた初めと同じように内容を伺う。日を跨ぐと違うことを言うので出来るだけ素早く箇条書きにしてる。なかなかまとまらないがデザイナとプログラマはまた何かを作り出す。何を作るかは分からないが何となくキャラとか背景の枚数を妄想して分担表とかをつくる。プログラマも仮想工数表を作る。
放っておくと大量のデータ、大量の画面、大量の帳票、仕様のバグ、労力の割に効果があまりないような操作、壮大な計画がブチ上がってくるので必死で止める。
(仕様バグは仕様見ただけで分かるような無茶な物のこと。例えば100個のレコードから3つを合成してすべて違うテーブルが生成されて全部に名前と効果と属性が付くとか。16万通りもある事を理解できていない)
SEはこの段階で死にそうになっている。一応存在するSEの締め切りが迫ってくると当然毎日徹夜して仕様書を作成していくのだが、なんど書き直しても「つかえない」「ここはこういうつもりじゃなかった」「字にすると便利そうに見えないから名前を考えて」「(仮の)絵が気にくわないからインスピレーションが~」「やっぱこうの方がいい」「昨日いいこと思いついた」等の必殺技に返り討ちにされる。仮絵をデザイナに描いて貰っている場合はデザイナに頭を何度も下げに行く。SEの締め切りはもちろん守れられない。その分のしわ寄せはデザイナとプログラマがかぶることになる。毎日毎日両部門に目に隈を作ったSE勢が「間に合わなくて済みません」と謝っている。ただしデザイナもプログラマも怒らない。SEが遊んで遅れてる訳じゃないし。一緒に仕様固めを手伝う。
何となくあがってきたSEの仕様を眺めながら作る。ただし細かいことは何にも書いてない。オプション画面と一言だけ書かれているならましで、オプション画面の存在が伝えられていない事もザラ。その当りは必要そうな設定項目をプログラマが洗い出してデザイナが全体の空気を読んだ画面デザインを構築して己のインスピレーションを信じて勝手にプログラミングする。とりあえず作った物を見せると「俺の指示と違う」等と言われることが多い。指示なんかないのに。ただしこれがそのまま使われることも良くある。
開発が中盤に入る頃には仕様がしっかり上がって……いない。絶対。時間だけが無情にもすぎるが未だ路線が定まらない。分からないところは逐一聞きながら作る。聞かないでも作る。運が悪いと何故聞かなかったと言われる。デザイナはひたすらリテイクを食らう。コーポレートカラーと合わないとかこのボタンだけ浮いているとか。そもそもおれ孫請けだからリリースする会社がどこか知らないし。絵の枚数が気が付くと増えている。色数指定が破られている。容量が足りなくなる。プログラムで容量を何とかしろと言われる。もうたっぷり圧縮してる。
開発終盤。締め切りに間に合わない事が確定的になってから仕様をとりあえず削ってみる。最初からそれはいらないと言い続けた場所を削るがプロジェクトマネージャは不満顔。最初から入れなければもっと早かったのにと毎度毎度言い続けてるが変わらない。デバッグ期間は短くてもいいとか言い出す。それで前もバグを出しただろうに。やっぱりあそこが気に入らないから変えてとかこの期に及んで言う。デザイナは絵1枚当たり作業時間が割とはっきりしているのでギリギリまでリテイクされる。SEはテストデータを必死で打ち込む。「レスポンスが悪い。調整してないのか」とか言われる。その時間はお前が削ったんだ。プログラマは頻繁なデータの差し替えをしながらバグを潰していく。何度言ってもデータの差し替えはすぐ出来ると思われている。そろそろセレロンはやめて欲しい。デザイナもメモリが足りないので勝手に増やしている。バグは無理矢理潰す。みんな死にそうな顔をしているが激太りもしてる。
リリース前にプロジェクトマネージャが偉そうな顔して雑誌やブログにコメント。
リリースして失敗プロジェクトと言われる。世間一般的にバグれば販売元とプログラマのせいにされて(予算を出さなかったから、プログラマがミスをしたからと思われている)つかえなければディレクタやプロジェクトマネージャが批判される。(世間の(俺の)便利だと思っていることを理解できていない!とか)このために軸のぶれているプロジェクトマネージャやディレクタは上がってきた物が便利でないと感じると仕様変更をガンガン入れてくる。たとえバグっても内容が悪くなければ叩かれるのは自分じゃないもんね。時間と金をもって来ないのにこれをする人が時間を無駄遣いさせる。プログラマはバグを出したくないので仕様変更が出ないよう出ないよう事前に釘を刺しに行きたがる。
終わった頃には人数が減っている。そして募集が掛かっているw
とりあえずプロデューサが作りたいゲームを語る。酒の席だったりする。
それを何となくプランナに伝えて営業用資料を作る。この過程で何度も何度もあーでもないこーいうつもりでもないと言いながらもできあがる資料は抽象的でなんとなくそれっぽい絵とどこかで見たようなシステムに独自っぽい名前を付けてるだけのすっからかんなペラい物になる。本音を言うと「ポケモンを作る」と言われる方が楽だ。「作りたい本人が説明できない、今までにないような独自のゲーム」を作る事になるとバグとか糞とか以前に完成しない。
そのペラい資料をもって営業に行くがすんなりは決まらない。この間はいい感じだねって言ってたじゃんって展開も。そのまま下にも同じ事を言われる。
決まらないがとりあえず作り始めてとデザイナとプログラマに投げられる。とりあえずジャンル名くらいしか決まっていないので色々聞きながら作ってみる。もちろん面白いとかつまらない以前の内容になる。(十字キーで絵が動くだけレベルとかシステムを一個だけそれっぽくしてるとか)
開発が始まると政治的なパワーバランスなどの都合により今まで作っていた何物かはゴミ箱に行くことに。でも「もう半分くらい作ったんだから簡単にできるハズ」等と言われる。DSのARPGだったハズがPSPのSRPGになったのに。(極端だけどハード変更はザラ。あまり大きな問題はない)
プランナはまた初めと同じように内容を伺う。日を跨ぐと違うことを言うので出来るだけ素早く箇条書きにしてる。なかなかまとまらないがデザイナとプログラマはまた何かを作り出す。何を作るかは分からないが何となくキャラとか背景の枚数を妄想して分担表とかをつくる。プログラマも仮想工数表を作る。
放っておくと大量のアイテム、大量のイベント、大量のモンスター、仕様のバグ、労力の割に効果があまりないような話、壮大な計画がブチ上がってくるので必死で止める。
(仕様バグは仕様見ただけで分かるような無茶な物のこと。例えば100個の素材アイテムから3つを合成してすべて違うアイテムが錬成されて全部に名前と効果と絵が付くとか。16万通りもある事を理解できていない)
プランナはこの段階で死にそうになっている。一応存在するプランナの締め切りが迫ってくると当然毎日徹夜して仕様書を作成していくのだが、なんど書き直しても「つまらない」「ここはこういうつもりじゃなかった」「字にすると面白そうに見えないから名前を考えて」「(仮の)絵が気にくわないからインスピレーションが~」「やっぱこうの方がいい」「昨日いいこと思いついた」等の必殺技に返り討ちにされる。仮絵をデザイナに描いて貰っている場合はデザイナに頭を何度も下げに行く。プランナの締め切りはもちろん守れられない。その分のしわ寄せはデザイナとプログラマがかぶることになる。毎日毎日両部門に目に隈を作ったプランナ勢が「間に合わなくて済みません」と謝っている。ただしデザイナもプログラマも怒らない。プランナが遊んで遅れてる訳じゃないし。一緒に仕様固めを手伝う。
何となくあがってきたプランナの仕様を眺めながら作る。ただし細かいことは何にも書いてない。オプション画面と一言だけ書かれているならましで、オプション画面の存在が伝えられていない事もザラ。その当りは必要そうな設定項目をプログラマが洗い出してデザイナが全体の空気を読んだ画面デザインを構築して己のインスピレーションを信じて勝手にプログラミングする。とりあえず作った物を見せると「俺の指示と違う」等と言われることが多い。指示なんかないのに。ただしこれがそのまま使われることも良くある。
開発が中盤に入る頃には仕様がしっかり上がって……いない。絶対。時間だけが無情にもすぎるが未だ路線が定まらない。分からないところは逐一聞きながら作る。聞かないでも作る。運が悪いと何故聞かなかったと言われる。デザイナはひたすらリテイクを食らう。世界観と合わないとかこのキャラだけ浮いているとか。世界観なんて説明書の2ページ辺りに描かれてる物語程度にしかなかったりするし。絵の枚数が気が付くと増えている。色数指定が破られている。容量が足りなくなる。プログラムで容量を何とかしろと言われる。もうたっぷり圧縮してる。
開発終盤。締め切りに間に合わない事が確定的になってから仕様をとりあえず削ってみる。最初からそれはいらないと言い続けた場所を削るがプロデューサは不満顔。最初から入れなければもっと早かったのにと毎度毎度言い続けてるが変わらない。デバッグ期間は短くてもいいとか言い出す。それで前もバグを出しただろうに。やっぱりあそこが気に入らないから変えてとかこの期に及んで言う。デザイナは絵1枚当たり作業時間が割とはっきりしているのでギリギリまでリテイクされる。プランナはデータを必死で打ち込む。「戦闘バランスが悪い。調整してないのか」とか言われる。その時間はお前が削ったんだ。プログラマは頻繁なデータの差し替えをしながらバグを潰していく。何度言ってもデータの差し替えはすぐ出来ると思われている。そろそろセレロンはやめて欲しい。デザイナもメモリが足りないので勝手に増やしている。バグは無理矢理潰す。みんな死にそうな顔をしているが激太りもしてる。
発売前にプロデューサが偉そうな顔して雑誌やブログにコメント。
発売して糞ゲーと言われる。世間一般的にバグれば販売元とプログラマのせいにされて(予算を出さなかったから、プログラマがミスをしたからと思われている)つまらなければディレクタやプロデューサが批判される。(世間の(俺の)面白いと思っていることを理解できていない!とか)このために軸のぶれているプロデューサやディレクタは上がってきた物が面白くないと感じると仕様変更をガンガン入れてくる。たとえバグっても内容が悪くなければ叩かれるのは自分じゃないもんね。時間と金をもって来ないのにこれをする人が時間を無駄遣いさせる。プログラマはバグを出したくないので仕様変更が出ないよう出ないよう事前に釘を刺しに行きたがる。
終わった頃には人数が減っている。そして募集が掛かっているw
たくさんのコメントありがとうございます。まさかこんなにと驚いています。某氏からの反応も合ってとても嬉しいです。せっかくなのでいくらか追記してみたいと思います。
仕様バグの話はネタではありません。頻繁にあることで実際に一度や二度ではなくそれがありました。私の経験では数億通りのパターンが生まれる仕様バグでした。なんでこんな事になるのかというと、仕様を考えている人が数学が不得意だから……ではなく数字を計算する癖がないからだと思われます。どんな仕様でも数字が出てくれば相応の計算を一応するといった癖がないので平然とこのような仕様が出てくるのです。
この日記は上が悪いように書いてます。私はお察しの方も多いようにプログラマです。プログラマの悪いところももちろんいっぱいあります。都合の悪いことは直接上に言わないでプランナに押しつける、データ入力時の細かい事項をプランナに教えない。遅れたのはプランナのせいだと後になって愚痴る。デザイナが指示したとおりの仕様でデータをくれない!……とプランナに愚痴る。基本プランナさんごめんなさいなのが多いですね。デザイナはデザイナで上のチェックをせずに提出したり仕事してる振りして同人描いてたりしてます。他にも色々あるそうですが細かいことは知らないです。プランナは上からの変更を周りに伝えない資料に必要事項を書かない等など。
>これでも採算撮れるなら仕方ないなー。
細かいことは上の人間じゃないので知りませんが、赤いのは赤いです。根拠はいろいろですが、わかりやすいのは給料遅配とか。
良作はどうなるかというと本筋の流れは大して変わりません。先にお断りさせて頂きますと私は良作の制作にほとんど関われたことがありません。本当にちょっとちょっとちょっとちょびっとした良作程度の経験でお話しします。
予算や行程にゆとりがあってもより良い物をと仕様変更はガンガン入ります。むしろ入らない作品はつまらない物になります。(某氏らが言うように普通に作っていればだいたい糞ゲーです。)というのも一番最初に上がってきた構想がそのまま「誰が聞いてももの凄く面白い! これは売れる!」なんて事はないと思うからです。(思うというのは知らないと言うことです。そういうすごい構想を語れる人もいるのかもしれませんが)なので仕様書を作るときも実際に制作を開始してても、例えバグフィクスをしながらでもいろいろな変更が入ります。「入ります」という言い方では語弊すらあります。入れるのです。現場から積極的に変更をかけていきます。自分の納期が迫る中でも良い物を作りたいのなら自分の担当分に変更を打診します。嫌な目で見られるかもしれなくても、その人の睡眠時間がなくなろうとも、より面白くなるアイデアがあるのなら他人の担当分に変更を促します。そのアイデアが入れてみたらつまらなくて元に戻して欲しい場合は、相手が死にそうな面をしていても戻そうと言います。最初から最高の物を構想できれば必要がないことなのですが、現場も上もそろって天才なんてことはないので、以上のようにするのです。そのようにして出来たゲームが余裕で糞だったりしますが。
糞ゲーは現場からの仕様変更がない、上の言うことを聞かない下が悪いのか、下にそっぽを向かれる上が悪いのかわかりませんが下が上に何も言わなくなってしまう状態だと非常に良く起こりえると言えます。何故こうなるのかというのは普通の会社と一緒です。評価してくれない。給料が上がらない。手柄を横取りされる。売れれば俺のおかげ売れなければお前らのせい。そんなことですね。「糞ゲーだろうとバグゲーだろうと俺の給料変わらないし」のようになるんですね。これを職務放棄だと言われる方がいると思いますが、まさにその通りです。ダメダメです。
ちなみに知らないですが、上から下に何も言わないような場所は最初からダメでしょうね。そんなにトップから末端まですべての人が自己管理完璧のスーパーマンなわけないですから。なので厳しいプロデューサやディレクタは絶対必要条件です。この日記のプロデューサやディレクタは気まぐれだったり本当に適当だったりもありますが良い物を作ろうと変更をしている……と思います。問題は厳しくても他でフォローできる、もしくはその役割を担当できる人がいること、もしくはそれに耐えうる強い精神力および目標とか夢がある事じゃないかなと思っています。徹夜してる人にコーヒー買ってくるくらいのなんでもない気遣いでもいいんですけどね。あんまりやるとつけ上がりますがw まぁ、どれもないから辞めるんですね。
最後に私も上からの視点で書いた記事を読んでみたいです。分かって欲しいとか言っても無駄とかそういう気持ちみたいなのはどうでも良くて、ただの事実として。
※※追記※※
「悪いアフィリエイトサイトを、具体的にたくさん見せます。」を書きました。
http://anond.hatelabo.jp/20101030222916
※※上記が本命と言っても過言ではないので、よければブクマしてください※※
去年9月の1ヵ月の間に、ふと思いついて100個のブログを作った。
丁度、2年半付き合った彼女に振られた時期で、大学での単位もほぼ
取り終わり、暇を持て余していたころだ。今までブログを作ったことは、
2,3度あれど、3ヶ月も続いたことはなかった。
振られたあとショックが続いて、バイトにも出たくなくなった。
だから、ネットで稼いでみよう、ブログを100個作って、広告を載せまくって、
全てのブログを相互リンクしていったら、人が来てお金になるんじゃないかな、と思ったのだ。
広告の配置がOKなところを探してどんどん作っていった。
タイトルとかは適当に書いていった。とにかく、ブログの開設自体を優先した。
100個作るにあたって、それぞれのブログではあまり関連性をもたせたくなかった。
同一人物と思われたくはないからだ。それに、話題に困った。100個のブログで
同じ話題を書いても、来る人の輪は広がらない。出来るだけ多岐のジャンルに渡った
ブログ群にしたかった。そんなとき「あ、巷で微妙な噂のはてぶがあるか」ってことに気がついて、
はてぶを見てみた。あるある、色んな話題が。話題がなくても、話題に困らないのが
「はてぶ」の価値の1つだ(と、今思う)。
ふだん料理なんてしないんだけれど、料理の話題があったから料理ブログを作ってみた。
他人やネット上のレシピを見てそのまま書いたら怒られるので、材料を変えて適当に
レシピを公開したりしてみた。ふつうは完成写真を載せたりするんだろうけれど、
中身に価値をもたらす気が毛頭ないので、文章だけである。
とりあえず、他人が来て、「間違えて広告をクリックしてしまう」ことだけを
考えて、文章を書いた。話題は、どれも適当だけれど、「勉強ブログ」には「勉強のことだけ」
「ライフハック」には「ライフハックの話題だけ」、というのは心がけた。幸い、
はてぶはジャンル別に分かれているので、インスピレーションは得やすい。
人がたくさん来ると良いな、と思っていたので、人がやってきそうなブログパーツは、
どんどん追加した。「合わせて読みたい」「trackward」「ザッピング」その他、
ping送信のあれこれとか、セルクマとか、とにかく他人の目に触れるチャンスがあるのは
全部やっていったと思う。アクセスアップの知識に強いわけじゃなかったんだけれど
、はてぶを読みまくっていたら、まとめサイトとかあって、自然と頭の片隅に入っていったから
面白いものだ。
ブログが100個っていうと、更新が大変のように思えるかもしれないけれど、
そんなことはない。1つのブログ更新を10分でしたとして、1時間で6個。
10時間あれば60個。途中からは、「慣れ」という部分も大きくなり、
効率性は、アップしていったと思う。上にも書いたけれど、内容が重要なんじゃなくて、
検索にひっかかった人が来て、タイトル下に設置してある広告を「間違えてクリック」
してしまえば良いので、中身なんてないようなものでOK。中身がない、とはいっても、
文章自体は、たくさんあるけどね。
ブログの広告って噂には聞いていたけれど、クリック率が1%くらいなんだね。
しかも、1クリックが8円とか、20円とか。60円とかだとうれしい感じ。
最初は、来る人もあんまりいなかったんだけれど、2ヶ月くらい経つと、かなり検索で
ひっかかるようになった。いわゆるログが溜まるってやつなのかな。過去の記事で
ひっかかるのって、便利だ。過去記事でひっかかるようになってくると、今度は
更新の頻度をひかえても人が来るようになった。まー、そもそも相互リンクが鬼の
ようにあるので、放っておいても人が来るしね。
そんなこんなで、1個のブログにつき1日500人くらいの人が、
間違えてくるようになった。5回のクリック。
1個のブログで、1日100-150円くらい。
100個のブログだから、1日10000円から15000円くらい。
月だと、300000円ー450000円くらい。
1日1時間くらいの作業だから、楽なもんだなと思う。
たぶん、似たようなことやっている人ってたくさんいるんだろうし、
思いついた人もいるだろうけれど、要は、やるかやらないかなんだなーっと思った。
「おいおい、自慢かよ」って思う人がいるかもしれないけれど、「自慢だよ」。
私は作品づくりの末席を汚させていただいている者ですが、
「作品の作り手に対して、敬意を示したり、賛辞を送りたい」という
あなたの考え方はとても素晴らしいと思いますし、とても嬉しく感じます。
ここから書くことは、私個人の考えであり、
作者の意見として一般化できるようなものではないでしょうが、
私自身このエントリーで色々考えることがあったので書かせていただきます。
まず前提としてお話しておきたいのが、どのような形であれ、
作品に対してのリスペクトを受けるということは作者としてこの上ない喜びだということです。
「自分の作品を世の中の人に認めてもらいたい」「作品を見た人から褒めてもらいたい」という思いからです。
もちろん、「どれだけ認められたか」という要素の一部分として
売上げがモチベーションの一部になっていることは否定できませんが。
特にそういう人たち(お金儲けではなく、認められることを目標にしている人たち)が多いような気がします。
同人で大金稼げる人たちなんて本当に一握りですし。
私の周りの作家さんたちも、毎回赤字になりながらいろいろなところで細々と販売してます。
前置きが長くなりました。
私はそのような心理状態で製作に当たっているため、
ファンレターや、コミケでの購入時に一声かけていただくこと、サイトでの応援書き込みなど、
作品を見てくださったすべての方々の応援の声が本当に嬉しく、力になっています。
これらに優劣などありません。すべての言葉が心に染み入る思いです。
元増田さんは、「賞賛の声を投げかけるだけではダメなのでは?」とお考えのようです。
そこまで考えていただけるサークルさんは本当に幸せだと思います。
きっとその声は確かに届き、作家さんの力となっているはずです。
もちろん、「あなたの絵を見て、絵を描き始めました」と言われたら、
それは本当に嬉しいことだと思います。
しかし、もしも書かれているように、
>いつまでも俺も視聴者のままじゃいけないような罪悪感
ということが絵を始めるきっかけであるならば、
決してそのような罪悪感を感じることはないということを伝えたかったのです。
しかし、純粋にそれらの作品にインスピレーションを受け、絵を描きたいと思うのであれば、
ぜひ絵を始めてみてください。そして、そのサークルさんにそれを伝えてあげてください。
きっとまた次の作品への力になると思います。
いろんな人と友達になったり遊んだり会話してるといろんな人が居る。
その中には、誰にも理解できないような
口を開けば開くほど「日本語でおk」と言われる人も居るわけだが
この類に入る人達は何故周りに理解されないし、日本語でおkなんて言われるのだろうか。
それはきっと
ただたんに思考が特殊なだけだったり、単純にバカなだけであったり、周りに嫌われていて"理解しよう"とも思われなかったりするだけだったり
いろんな理由があるけど、だいたいバカって一言で終わらせられる事が多い気がする。
実際それであってる事もあるだろうけど、日本語能力が欠けてる可能性もあるよねって思う。
話たい事・考えている事・伝えたい事を話そうとするけど、頭の中で考えがまとまらなかったり
どんな感じに言えばいいのかわからなかったり、そもそも自分が何を考えてるかまとめようとしないでインスピレーションだけで話そうとする人も居るんじゃないかと。
もちろん本当に頭悪いやつだったり、キチガイなヤツもいるだろうけどw
実は考えれば考えるほど自分はこれに当てはまり、伝えたい事がつたえにくかったり 話した所で相手に曲解されてしまったりする。
今まで生きてきた中で自分は会話はできてると思っていた。
ただ考えれば考えるほど、思った事がまとまらなかったり 上手く伝わってなかった事が多かった。
って事でちょっとテストしてみようと思った。
前に悩みをとある場所に書いてみたのだ。
できるだけ具体的な相談にしたかったので本当の事にアレコレ嘘もつけながら書いてみた。
(レスくれた人たちには本当に申し訳ないですけどね。)
今回はできるだけ考えて書いてみたのだが、
俺が求めていた返事(励まし・アドバイスとかではなく)がきたのは2〓3割程度だったのだ!
もちろんこういう場合読み手のほうの日本語能力も関係してくるのだろうけども、きっと自分の日本語能力のせいじゃないかなと思ってみる。
昔から「なんで日本語なんて勉強する必要あんだよwwwww」だとか思ってたし
今までまったく理解できなかった。
おまけに本なんてまったく読まない。
理由や原因はこれだけに限るわけでもないが、やはり日本語の勉強は必要であり大切であると今更理解した。
となるとやはり自分も「その話はもうさっき終わってるんだけども…」みたいな事を思われててもおかしくないなー…
もはやこの日記すらもしっかり理解してもらえてるかも不安である。
とりあえず本を読む事から始めてみよう。
「野豚をプロデュース」ってドラマのタイトルを聞いてインスピレーションを受けたらしい彼は
聞いたその足で校舎裏にすっとんで行って
畜産部で飼ってる子豚を借りてきて、ああだこうだと子豚をいじりだした
またあいつの馬鹿が始まったよと僕達は笑っていたんだけど
泥まみれだった豚はブラッシングされた真っ白な毛並みで
血色良いピンク色になっていて
芸も出来るようになっていて
たどたどしい足取りで彼の回りを回ったり、ボールを鼻でつついて持ってきたり、すごく愛らしくて可愛かった
なにより彼に抱かれてる子豚は幸せそうだった
全校生徒が拍手喝采で
子豚は学校公認のペットとして女の子にキャーキャー言って世話される事になったんだけど
その後彼から「あの子豚でフランクフルトを作って(文化祭で売って)プロデュースの締めくくりにするつもりだった」
と聞いた時は驚いた。
なるほど。数日の議論を読んでみて、水村本の目次を確認してみると、否定派および肯定派がそれぞれの立場に別れた理由が少しわかっってきた。
目次・水村美苗『日本語が亡びるとき』http://books.yahoo.co.jp/book_detail/32157995/
2章 パリでの話
なるほど。本で第4章以降を読んだ人からは、もう知ってるよという反応や具体的提案についての否定的コメントが出てくるのも頷ける。日本語とか英語とかあるいは語学教育とかについて何か語りたくなる人も現れるだろうし、反対に、多文化主義的な観点からのコメントも出てくるだろう。
わたしなどは、8月に読んだからでもあるが、むしろ第1章がとてもおもしく感じられた(そりゃあだって、理論的な解決がこの本にあると思って読む人なんているだろうか。水村さん作品に親しんでいる人はもちろんそんなこと思わないだろうし、煽った人たちの力点もそこにないだろう)。
おそらく、
柄谷周辺の論者の問題意識に沿って書いた議論の向かう先・解決策を期待してこの本を手に取るか、あるいは、「アイオワの青い空の下で「自分たちの言葉」で書く人々」と交流しながら問題の所在を発見するというその出発点に着目するか、これにより、この本の評価はかなり分かれるのではないか。
多分、梅田さんがこの本について語りたくなったのも、水村さんがアイオワで様々な国からやってきた文学者と触れあう内に、日本や日本語についての問題に近づいていったというプロセスを、梅田さんの場合であればシリコンバレーでの経験になるかと思うが、この本を読みながら追体験し共感したからのではないか、とわたしは思った。
第1章のところだが、アイオワに各国の作家とともに招かれて出会った内の一人が、若いころロシア娘と恋に落ちたりもしたことがありその頃学んだロシア語を用いて盆栽に詳しいリトアニアの青年と会話のできるモンゴルの老詩人で、何かの時に水村が老詩人に向かって“You are an important person”といったときに、英語が苦手なのでたどたどしいながらもゆっくりと静かに“Everbody is important”と答える場面やそのほかの場面は、外のものに触れることでいくつかのばらばらの点が繋がり問題が自分のものとして感じられるプロセスとして見ることができ、さすがにマドル・スルーというようなものではないが、問題を自分のものとして受け止める過程はそれなりに緊張し疲れるのだが充実した読書だった。
そういうことが問題となってるのはずっと昔から知っているよ、何この話、古くさい、というのは十分あり得る反応だろう。ただ、問題の所在を個々人がそれぞれ理解するというのはそれとは独立に重要なことだろう。もちろん、この本とは別の入り口でも全然かまわないのだが。
そういう意味では、今回の騒ぎをきっかけに、こういう問題があるんだあ、と思った人にとっては水村さんの本は一つの入り口として悪いものではないと思う。
別の話。
http://d.hatena.ne.jp/Thsc/20081109/p2
話は少しそれるが、これを読んで、まず、「あたし彼女」読もうと思った。
もうひとつ思ったのは、
『新潮』9月号に載った前半部読んだ感想としちゃ、読めたもんじゃないよ。
何の説明もなく日本の文学は一人で幼稚なものになっていっていたと断じている作家が、この『ひとり』をひらがなに開く言語センスすら持ち合わせない作家が、<叡智を求める人>は今の日本文学など読まないなどとぬかしているのだよ。
という記述について。この方の水村本の理解からはそのように読めるし、きっと正しいだろうと思う。
ただ、もうひとつの可能性もあるのではないかとわたしは考えた。(いま新潮および本が手元にないので原文を確認することができない。「一人で」あるいは「ひとりで」が本のどのような箇所でどれくらい用いられれているか確認しないままではあるが、Thscさんの指摘にインスピレーションを受けてわたしの理解を書いてみることにする。)
Thscさんの主張はおそらくこうだろう。
という文の「一人で」は、「おのずから(自ずから)」あるいは「ひとりで勝手に」というニュアンスで用いられていると理解できる。そうであれば、「ひとりで」とひらがなで表記するべきであろう、と。
しかし、もしかすると別の考え方もあるのではないか。
「一人で」と漢字で表記するという点に固有の意味を見ようとするならば、日本語が「ひとりで勝手に」幼稚なものとなっていった、という理解とは別の理解でこの文を読まなければならない。その理解とはこうだ。
水村の議論全体をふまえると、水村は「言語というものは孤立すると衰退する」と考えているのではないだろうか。言語は「一人」になると衰退する。
このようなニュアンスを込めて、ひらがなにせず、あえて漢字を用いて「一人で」と表記したと考えることはできないだろうか。ここではそのような理解の可能性を指摘してみよう(もちろんこれはまだ単なる思いつきの段階であり、実際には、本文で語が使用されている箇所を逐一チェックしていく必要がある)。
ただし、このように考えたとしても、それならば違った書き方をするはずだ、等の疑問は当然に出てくるだろうし、結局のところは、Thscさんの理解が穏当なところだろうとわたしも思う。
別の可能性を指摘しただけでは水村さんが確信犯で「一人で」を用いたことの立証にはならないし、ひらがなか漢字かの選択だけでこのような微細な部分をオミットするのは文章家として正しい態度ではないのだから、いずれにせよ批判されても仕方のないところだろう。