はてなキーワード: 汚名とは
一文目と二分目が矛盾してますね。一文目の内容こそ「シコウを持って差別」の形ではないですか。
将来的に15歳くらいになれば、身体的なリスクが無い、判断力があると認められる可能性はあるのではと思いますが、
それ以下の幼女等の低年齢層に関しては無理でしょう。
つまりこれは「ロリコンは永久に差別され続けろ」という意味ですね。
あなたはロリコンの人権を踏みにじって子供の人権を尊重する。ご立派な人道主義者ですね。
またLGBTは、単に本人がゲイなのかレズなのかといった話ですし、
社会への影響や、周囲への配慮の必要性など反対する理由などいくらでもありますし作れます。
その理屈はロリコンの人権を奪うことを正当化するための言い訳にすぎません。
「可能性」などと言い出したら何もできないようにすることができます。
それを同姓婚主張のLGBTや女湯に入りたいトランスジェンダーにも言ったらいかがですか?
いやね、別にいいんですよ。ロリコンの人権を踏みにじって子供を選ぶのも。
お前が背負わないと言ったらいずれそうなるだろ
此上お前達が飽くまでも義父の面倒を見ないと見捨てたならば、それは
ない。
居ったと知ったならば、徒らに今迄の行がゝりや、義理
永久に受ける樣なことがあってはならない。
せよ。
そうしたら今迄の罪も許されるのである。
http://www.gakuji.keio.ac.jp/hiyoshi/hou/fukusenkou/3946mc00000274t2-att/lin_zemi.pdf
中華民国との間ではサンフランシスコ平和条約締結の直前に日華平和条約を結び、戦後保障請求権に関してサンフランシスコ平和条約の枠組みに随い放棄すると決められた。
「日中両国民の友好のために、日本に対する戦争賠償の請求を放棄する」事を明言している為に、国家間の戦後賠償は正式に終わっている。サンフランシスコ平和条約に従って、中国に残してきた2000億円以上の在外資産や中間賠償を中国は受け取っている。余談だが、長年にわたり継続されてきたODAも放棄した戦後賠償の代わりと言われている。個人賠償について明文化されてはなかったことが仇となる。
中国は戦後、日本への賠償請求を放棄したが「実際には中国人の想像を上回るものを得ていた」=中国メディア
日本国内では、「日本の最高裁は2007年、日中共同声明により国家間だけでなく個人の賠償請求権も放棄されたとの初判断」が示されている。日本の立場としては、政府としても、法的にも正式に終了しているものであった。
しかしながら、中国政府はこれに強く反発し、2014年に、「中国政府が1972年の日中共同声明で放棄した戦争賠償の請求について「民間・個人の請求権は含まない」と明言」したことを受けて、三菱マテリアルと日本コークス工業が訴訟され個人賠償に応じた。現在、中国では、同様の訴訟は政治的背景から、事実上の凍結状態となっている。
中国「戦後賠償の請求権放棄、民間は含まず」 新華社が論評 :日本経済新聞
「強制連行」中国人37人が提訴 三菱マテリアルなど2社に賠償請求 - 産経ニュース
交戦国の中国との賠償は上記のような経緯だが、他方、併合された日本の一部だった韓国は戦勝国ではないため戦後賠償とは厳密にはみなされない。しかし、補償については、日韓請求権協定によって、最終的かつ完全に終了している。個人請求権は失われていないものの、個人補償も含む補償は日韓基本条約に従い韓国政府に支払い済みであり、その請求先は韓国政府である事は動かしようがない。
財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定 - Wikipedia
慰安婦問題においても、日本政府は度々「反省の気持ち」を表明はしているが、補償は完了しているとの立場は一貫して崩していない。韓国政府も、これまでは同様の立場であり「日本による朝鮮半島統治時代の補償については、韓国政府が韓国民への補償義務を負うと確約していたこと」を確認している。
韓国の事情で複雑化した徴用工問題 外交合意すら曖昧に(1/2ページ) - 産経ニュース
その為、1974年に法律を制定し、77年6月まで8万4千人余に約92億ウォン、更に、2007年に特別法を制定し、総額6200億ウォンを支給するなどした。韓国民への補償は韓国政府が負うことは明らかである。
日本の最高裁が2007年に下した判決と政府の立場が同一でない事は、三権分立である以上は当然のことだ。しかし、韓国の場合は異なる。韓国大法院は30日、個人の請求権を認めた控訴審判決を支持し、1人あたり1億ウォン(約1千万円)を支払うよう命じた判決が確定した。この際、判決の理路は大した問題ではない。協定によって個人に保証するのは韓国政府であることは事実であり、判決を日本政府が取り合う必要性は皆無だからだ。肝心な事は、韓国政府の動向で、韓国政府は、判決を尊重する意思を発表しており、大法院の判決を支持するものと考えられていることが、今回、大きなインパクトをもって伝えられた。韓国政府が認定するだけで20万人、民間団体が主張するのが100万人であるので、最大で10兆円の個人補償に応じる責務を韓国政府は負うが、これを日本企業に要求した場合、日韓関係は破綻するだろう。
三権分立していない中国では、中国政府が政治的判断で凍結状態にしている個人賠償の訴訟を再開する可能性は、依然としてある。いわば日本のアキレス腱であり、その為、日中の外交関係は極めて重要である。
韓国との間では、戦後補償の問題は解決している、との立場は、徴用工問題によって改めて、強く確認された形になった。個人の請求権は失われていないが、その請求先は韓国政府であることは明らかである。日本政府としては韓国の司法の判決を受けた韓国政府の行動を待っている状態だが、韓国政府がなんらかの譲歩を求めたとしても、その必要性が全くない日本政府が譲歩をすることは考えられず、徴用工問題が第二の慰安婦問題に発展する可能性は極めて小さいと思われるが、韓国人の性質を考えれば引き続き注意を要するだろう。韓国政府は、今回の大法院の判決によって巨額の補償を自国民に行う必要に迫られることとなった。韓国が日本企業の資産の差し抑えを試みる場合、請求権協定に従って、日本政府は即時にICJへの提訴を行うことにだろう。最悪、事実上の国交断絶もありうる。
今回、面白かったのは朝日新聞の反応だった。慰安婦問題の再来を目指して反政府の立場で運動するのかと思っていたら、その反対だった。慰安婦問題で執拗に叩かれてきたことが薬にはなっているのかもしれない。
韓国が日本企業の資産を差し押さえた場合 → 請求権協定破棄と同義で日韓関係は完全に破綻 → 経済悪化で文政権終了
韓国が請求権協定に従って日本企業に対する差し押さえを赦さず、国民へ補償を行う → 判決無視で韓国人がファビョ → ろうそくで文政権終了
文政権終了から韓国が逃れるには、日本政府に基金の様なものを共同設立することを要求して、補償は韓国政府が拠出した金で行うが、謝罪してくれと泣きつくしかないんだけど、そんなものを受け入れるはずがないでしょう。慰安婦問題では、その手で散々に煮え湯を飲まされてきたのですし、論理的に考えれば1㎜も日本側に譲るべき余地のない問題ですら、こうして無茶苦茶をしてくるのが韓国という国。請求権協定を守れと、棒で叩いて躾けるしかないのでは。
el-condor ベタに政府の立場をなぞっているだけ。当該判決は条約の議論過程のメモまで参照して「議論されていないことは条約内容の対象外」としている。難しい法解釈でその立法過程を参照するのは日本でもごく普通の手法ですよ
既に本文で書いたように、個人請求権は消えてないが、その請求先は韓国政府であることは、日韓両政府が1965年から同意してきていること。既に南北朝鮮に必要な個人補償分も含めた補償は一括して支払われており、最終的かつ完全に解決していること。これら政府の立場をなぞる以前に、これが合理的な唯一の解でしょう。韓国とは国家間の約束は交わせない国の事であるとの汚名を事実として定着させてまで、日本企業に補償を要求させるほど韓国政府は愚かだと思いたくないですがねw 韓国政府が個人補償する同義的責任(韓国政府自身の表現です)を放棄する正当性はありませんよ。
いい加減、中身のない詭弁で何かを言った気になる頭の悪い癖はおやめになられては?
最近、フェミのオタク叩き案件が続いている関係か、増田でもオタクヘイターを多く見るようになった。
連中は言う。「世間が受け入れない」「俺たちは押し付けられている」「常識で考えろ」「キモい」
俺は思う。「知ったこっちゃない」。
それって結局、「オタクは日陰でこそこそやってろ」ってことでしょ。やなこった。
オタクのカルチャーを、お気持ちを尊重してこなかった、これからも尊重する気すらない連中のお気持ちを尊重してあげる理由がどこにある?
嘗てオタクがもっとアングラだったころ、オタクは犯罪者予備軍として散々叩きと嘲笑の的にされてきた。
今だってそれは変わってない。しかも今度は「女性差別」の汚名すら着せられる。
ふざけんな。オタクが2次元絵に何してもお前らには関係ない。第一、オタクを嘲笑し尊重することのなかった女の気持ちなんか尊重する理由がねーよ。
お前らがオタクを「キモい」と叩くのは勝手だが、相応の反撃は覚悟してもらおう。
オタクはもう充分叩かれてきた。いつまでも黙って叩かれてると思うなよ。
ゾーニング?知るか。お前らもしょーもない他人いじめしかできない芸人やゴボウみたいな女優、鋳型で作ったみたいな俳優をゾーニングしてないだろ。
見たくもないものを見せられてるのはオタクも一緒。ちょっとくらいオタクカルチャーが出てきたからって大げさに痛がりやがって。
日本-ポーランド戦の後半最後の6分間の、日本のパス回しがフェアではない、という論調のニュースを聞いていて、表題のことを思いついた。
松井秀喜5打席連続敬遠とは、1992年8月の甲子園本戦において起きた出来事のこと。
30代~40代の人はリアルタイムで見ていただろうけど、若い人は知らないかもしれないね。
本戦2回戦の明徳義塾高校(高知)対星稜高校(石川)戦において、明徳義塾が当時の3年の松井を五打席連続敬遠でバットを振らせず、結果として星陵が敗退した。
当時も、今回の日本-ポーランド戦と同じくらいの批判と議論が巻き起こった記憶がある。
wikiで調べてみると、試合後に明徳義塾高校の生徒たちに殺人予告まで送られてきたらしい。
当時、テレビで見ていた私自身も明徳義塾の敬遠のやり方を快く思っていなかったけど、それは私自身が「傍観者」だったから言えたことだったのだ。
高校野球・甲子園は県別対抗トーナメントなので、高知県民ではない私は明徳義塾には何の思い入れもない。
しかし、もし私が高知県民で明徳義塾を応援していたら、五打席連続敬遠の手法も受け入れていた可能性が高い。
高校野球は日本国内のローカルなのに対して、ワールドカップは国別対抗であり、私を含めた全ての日本人は傍観者ではなく「当事者」に引き上げられる。
当事者の私としては、ワールドカップの予選突破のためなら、汚名を受け入れてでもやってほしいと考えている。
日本人の一人としてワールドカップに熱くなれるのは、やはり過去20年間の日本代表チームの苦労を見てきているから。
1994年のドーハの悲劇、2002年の日韓ワールドカップの史上初めての決勝トーナメント進出、2010年の8年ぶりの決勝トーナメント進出、2014年の予選敗退・・・。
「幸色のワンルーム」は許されるのか~誰が彼女を監禁しているのか? - レインボーフラッグは誰のもの
「漫画の内容は実際の誘拐事件とぜんぜん違うし、むしろ誘拐ですらないし、事件と作品の発表時期もズレてるけど、誘拐犯は私たちひとりひとりの心の中にいるから恐ろしいね」みたいな主張をしていて、最初に読んだときは漫画を擁護しているのかと思ったくらいだが、どうやらこれで批判をしているつもりらしい。
一つ。
悪く言えば紋切型であり、ラフ画に近い素人の作品がこれほどまでに話題となったのは、実際の事件と人々の無責任な憶測が追い風になったと言われている。
どこで言われているのだろうか。
この漫画はTwitterに投稿されたあとの数日で1.7万RTされるほどの話題になっている。
https://twitter.com/koukakunopandor/status/778664647121448960
その最初期(2016年9月中)に作者へ寄せられた300件以上のリプライのなかで「実際の事件をモチーフにしているのでは?」という点に触れているのは数名(自分が数えたかぎりでは4名)だけで、もちろんそれは「作品から事件を想起する人がいる」ことの傍証ではあるけれども、「事件を想起させるから話題になった」とは言い難い。
作家・瀬川深が「実在の事件を元ネタにしている」と批判をし(たけど反論されて下手な言い訳をして逃げ)てバズったのは年が明けて2017年1月。
https://togetter.com/li/1070377
瀬川深のツイートを受けて書かれたこちらの批判記事も1月である(はてブでバズったのは3月だが)。
http://blog.livedoor.jp/kudan9/archives/50445222.html
二つ。
さて漫画の内容は、「事件を揶揄した無責任な発言」に、「寺内被告の責任逃れ」に、本当に似ているのだろうか?
当時、寺内被告に同情的な言説で圧倒的に多かったのは、「家出少女が寺内被告の家に転がり込んだが喧嘩別れして誘拐犯の汚名を擦りつけた」という邪推であった。
https://wadainews.hatenablog.com/entry/2016/03/31/230041
要するに「ストレス解消で痴漢冤罪を被せるクソ女」に似た妄想であって、幸色のワンルームで描かれる「誘拐犯と被害者は本当は愛し合っていたんだ」というラブロマンスとは随分と毛色が違う。
被害者に「君は家族から見放されている」と言い聞かせたのは、両親に助けを求めないように仕向ける洗脳であると同時に、両親から「隔離」させるための処置だったと見るべきで、寺内被告が被害者に共感していたり、被害者を助け出したと思っていたというようなものではない。
「自分と同じく社会から隔離された人間を観察したかった」といった供述は、「誘拐して社会から隔離した女性がどうなるかを観察したかった」というサイコな文脈であり、「誘拐前から被害者が社会から隔離されていた」と思っていたわけではない。
「女子中学生か女子高校生を誘拐、監禁して社会から隔離し、その変化を観察したい」
冒頭陳述などによると、寺内被告は遅くとも平成24年2月ごろからそう考えるようになり、過去の誘拐、監禁事件や洗脳に関する記事や書籍を読み、犯行のイメージを膨らませていった。
https://www.sankei.com/affairs/news/160927/afr1609270019-n2.html
「昔から誘拐願望があった」と素直に認めているし、「被害者と面識があったわけではない」とも言っている。
「寺内被告の脳内では誘拐ではなく自己再生のドラマだったかもしれない」などというのは明らかに邪推のたぐいだ。
事件後に寄せられた被害者バッシングのコメントや身勝手な人々の妄想、寺内被告の弁明を寄せ集めれば、確実に「幸色のワンルーム」的なドラマがひとつ出来上がるということである。
つまり、事件への揶揄や寺内被告の供述を繋ぎ合わせても、「女性を拉致監禁したいと思っている危ない男の部屋に家出娘が転がり込んでさんざん世話になった挙句に犯罪者として通報する」という殺伐とした話になるだけで、幸色のワンルームは決して出来上がらないのだ。