はてなキーワード: 在日朝鮮人とは
一見左派の方が常識的な反応だ、しかし良く考えて見よう、本当にそうだろうか?
右派はCMが「自分達に向けられたもの」だと解釈し、その上で怒っている
一方左派はどこか他人事だ、「日本には差別がある」は「私も差別をしている」ではなく「私ではないアイツラが差別をしている」という意味だ、彼らには自身が差別の加害者である自覚がない
加害者として名指されている自覚のある右派と、自覚の無い左派、果たしてどちらがマシだろうか?
場合に分けて考えよう、右派と左派、それぞれ差別の加害者である場合とそうでない場合に彼らの言っている事はどういう事に成るのか、
差別加害者でない場合(つまり下段)、マシなのは明らかに左派だろう
しかし差別加害者である場合は難しい、右派は差別を否認する一方、左派はそもそも自分が加害者だと言われている自覚すら無い
加害者が、あのCMを見て「自分も加害者かも知れない・・・・」ではなく「加害者許せん!」と憤っているのだ、これは酷い
右派は加害者だと言われている自覚があり、それ故にそのメッセージの強烈さに拒否反応を示してしまって居る
一方左派は、加害者だと言われている自覚が無い為に、右派の様な拒否反応も回避出来てしまって居る
左派に拒否反応が無いのは彼らの良心故と言うよりは、自らの加害性の自覚の無さ、というドス黒い理由であるとも言えてしまうなら、
これは、果たしてどちらがマシなのか?
ほぼYESだと言える
まずCMに登場する3人の内、恐らく最も議論の俎上に上げられている在日朝鮮人の少女について
誤解している人が多いが、CMの中でいじめを受けているのは彼女ではない、いじめを受けているのは(恐らく)日本人の少女で、
在日朝鮮人の彼女の苦悩は自身の出自が周囲にどう受け止められるのかという不安、周囲の視線、浮いていないか、という不安だ
つまり彼女のケースにおいて加害行為とは「彼女を奇異の目で見る事」に他ならない
仮にあなたがチマチョゴリを着る彼女を他意の無い目で見ていたとしても、それは彼女に不安を与え得る以上、加害になり得る、つまりあなたは加害者なのだ
外国人と日本人のハーフ(恐らく)の少女についても同様だ、明らかないじめを受けているのは日本人の少女のみの為、直接的な加害をしていなくてもあなたは加害者になり得る
また、右派と左派で排外主義的な傾向の偏りは有るかも知れないが、日本人同士のいじめであれば加害者である確率は変わるようには思えない(むしろもし、あなたが「右派は学校ではイケてないグループだったに違いない」という偏見を持つなら、右派がいじめる側に回れる確率が少なくなり、相対的に左派のいじめ加害者率を高く見積もる理由も出来てしまう)
あなたは日本人に対していじめをした事が有るだろうか?もし有るなら、あのCMで糾弾されていた加害者はあなたである
在日外国人やハーフへの視線と日本人に対するいじめ、あのCMで加害者だと言われているのはあなたである
その加害者が、あのCMを見て自分の事を言われていると自覚すらせず、「これだから差別主義者は」と憤っていたとしたら、非常に悲しい事だ
その場合、あなたの反差別意識は自身の加害性を見つめる為ではなく、自身の加害性を見ない様にする為に役立ったと言わざるを得ない、最悪だ
あなたはあのCMを見て「自分も加害者かも知れない」と思っただろうか?
それとも「加害者許せない」と他者を責める事ばかり考えただろうか?
・あのCM、途中で唐突に出てくる大人の女性サッカー選手(サッカーに詳しくないので名前は存じ上げない)の「ありえないって」が物凄くカッコイイと思うのだけど、誰か共感してくれる人は居ないだろうか?
・長くなってしまったが、短く纏めると右派は「差別は日本にとって他人事」だと思っているのに対し、左派は「(日本にとって他人事だとは思っていないが)差別は自分にとって他人事」だと思っている、と言う事だろう
■該当のCM
■「捏造だ!」と騒いでいる人たちの一例
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/2004732.html
(参考までにブクマも→https://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/2004732.html)
・NIKEは当該CMについて「現代の多くの若者と同様、ありのままの自分を受け入れられないことに悩む、実在のアスリートの証言をもとに作られています。」(公式より)と説明。
・CMのメインキャラクターは同じ女子サッカーチームに所属する「在日朝鮮人の少女」「クラスでいじめに遭っている少女(出自は不明だが家庭描写を見るとおそらく日本人)」「外国人と日本人のハーフの少女」の3名
・それぞれ「在日朝鮮人である自身のアイデンティティと周囲の目線」「いじめの事実と親に理解してもらえないこと」「ほかの友人たちと自分の見た目や家庭環境が大きく違うこと」に悩む描写がある。
・「証言した実在のアスリート=CMに出演している少女自身」という設定や発表はない(※捏造だと主張している側はこれを理解していない人が多いと思われる)
・上記のメインキャラクター3名のうち「在日朝鮮人の少女」として出演したのは朝鮮学校の現役学生。NIKEの要請を受けて出演することになった経緯を朝鮮総連の関係者が説明している。
事実関係を簡単にまとめてみましたが、これで何故「NIKEは事実を元にしたとか言っているが実際は捏造だった」という話になるのかさっぱりわからんのですよ…。
まず、CMで描かれたエピソードを体験した「実在のアスリート」と「CMに出演している少女たち」が同一人物であるという公式な設定や説明はありません。故にCMで描かれた体験をしたアスリートが誰であるかは不明なままであり、現時点でその事実性を否定することもできませんから「捏造」と判断することは不可能です。また「一人のアスリートのエピソードをそのまま再現している」という説明もありません。上にまとめた通りメインキャラクターはそれぞれ個別の事情と悩みを抱えた3人の少女です。当然複数人の「実在のアスリート」の体験をまとめたものだと考えるべきであり、そうである場合でも事実性は否定できず「捏造」だと断定することはできないでしょう。
さらに、3人のメインキャラクターとして出演した少女のうちその経歴がはっきりしているのは「在日朝鮮人の少女」の1名のみで、「クラスでいじめに遭っている少女」を含めたほか2名については不明のままです。残り2名の出演者が朝鮮学校の学生だという情報もありません。上記のまとめやブクマでは何故か「いじめは朝鮮学校で起こったこと」とか「朝鮮学校での出来事を、日本の学校での出来事、と書き換えた」みたいなことを言っている人がいますが、そもそもCM内では「在日朝鮮人の少女」と「クラスでいじめに遭っている少女」は別の人物であり、さらに「在日朝鮮人の少女」が学校内でいじめられる描写は存在しないのです。上にも書いたとおり3名のメインキャラクターは個別の事情や悩みを抱えていることから「在日朝鮮人の少女」と「クラスでいじめに遭っている少女」もそれぞれ別のアスリートの体験をモデルにしていることは簡単にわかることだと思いますが、こういう主張をしている人たちはたった3名のキャラクターとそれぞれの体験・描写の区別がつかないか、あるいはCM内容の正確な把握すらしていないのでしょう。
②「CMの元となった体験をしたアスリート」は存在するが、NIKEはその証言を聞いていない
③「NIKEにエピソードの提供をしたアスリート」は存在するが、そのアスリートが証言した体験・事象は存在しない
④「NIKEにエピソードの提供をしたアスリート」は存在するが、CMで描かれた内容はその体験内容と大きく異なる
以上のような事実が必要ですが、今回はそのいずれにも該当しないのです。
このように、メインキャラクター3名のうち「在日朝鮮人の少女」として出演したのが朝鮮学校の現役学生であったという事実を根拠に当該CMが「事実を捏造している」と判断することはできず、現時点で「実在のアスリートの証言をもとに作られた」というNIKEのCMが捏造であるという根拠・論拠は存在しません。故に今回の事実をもって当該CMを捏造だと主張することは論理的にできないはずです。
にもかかわらず、最初にリンクを貼ったまとめやそのブックマークコメントでもNIKEのCMを「捏造だ」と騒いでいる人が多数います。彼らは上にまとめたような基本事実や理路の整理をしたうえで物事を判断することができなかったり、事実関係や理路を無視してとにかく当該CMで描かれた差別やいじめといった事象を否定することが目的になっていたり、あるいは事実関係など端からすっ飛ばして炎上騒ぎに便乗している愉快犯だったりするのでしょう。いずれにせよ彼らにまともな思考や判断ができているとは言えません。ただ、厄介なことにこのような人たちは無駄にアクティブだったりもするので、自身の主張や同調者の主張を必死に拡散し、いつの間にかそれを自分たちのコミュニティにおける規制事実にしてしまうわけです。
しかしながら、より広い視点で見れば、批判側が上記のような事実関係や論理を無視した難癖をつけ続ければ「差別やいじめといった自分たちに都合の悪い事実を無理やり否定する日本社会の異常さ」が誇張され、逆説的にCMで描かれた事象の事実性とNIKEの正当性(あくまで本件CMの描写に限り、ですが)が補強されることになるでしょう。そして彼らがそのような行為を繰り返せば繰り返すほど、NIKEが仕掛けた今回のマーケティングの効果が高まることになります。
「日本を貶めるな!と主張している人たちが自覚のないまま日本を貶める言動をしている」という光景は歴史修正主義界隈で何度も見ていますが、本件はそれとまったく同じものだと思います。いつか、彼らが自分たちのおかしさに気がつく日はやって来るのでしょうか。
安倍総理が病気を原因に辞意表明してから明らかにアベ批判がトーンダウンしている
そりゃそうである
持病、それも結構な難病持ちの人間をブッ叩くというのは「反アベ」の人たちの思想的にかなりマズい
だから普段なら「アベ政治を許さない」「アベ辞めろ」「アベ死ね」みたいな勢いだった人らが「まあ病気はともかくとして…」みたいな感じになってる
「病気持ちが総理のような責任のある仕事をするのはいかがなものか」という方向の批判も無理だ
何故ならそういった身体的リスクを持つ人、例えば生理、妊娠、出産のある女性を医者や管理職にするのはいかがなものかという批判と地続きだからな
結局支持者も反対者も99.99%は雰囲気だから厄介なアンチを黙らせるには「ポリコレ力(りょく)」を上げるのが一番いいんだよ
今回「金持ちの成人男性」というポリコレ力最弱だった安倍総理が難病持ち(再発)になることで、ポリコレ力一気に上がり、厄介アンチを黙らせる、(あるいはダブスタを炙り出す)ことに成功した
黒人やLGBTなどの性的少数者、障害者など何でもいいんだけど、いつの時代も弱者は政治利用されるのではないか。
なのでアメリカの黒人の人種差別問題のニュースを見ていても、政治的意図があるものだと思っている。
より正確には、最初は純粋な人種差別解消運動だったが、世間から注目されるにつれて「リベラル勢力」と呼ばれている政治集団に目を付けられて接近される。
気が付いたら、そのリベラル集団の「広告塔」のようなものに祭り上げられて本来の運動の趣旨を失ってしまう。
そして人種問題や性的少数者問題は再び解決されること無くウヤムヤにされるのがいつもの流れ。
大体リベラル集団が、本当に弱者の人権を本当に考えているのかどうか怪しいものだよね。
2009年に在日朝鮮人差別、部落差別、精神疾患者差別をネットに書きこんでいたIPを調べたら朝日新聞社内の書き込みだった、なんて事件があった。
本当は弱者の人権なんかどうでもよくて、権力側(はっきり言わせてもらえば自民党政権)を批判するために弱者を利用しているだけ。仮にリベラルが権力を手に入れたら、手のひらを返すようにして弱者の人権なんか無視するようになるよ。
人種弱者であることを最大限にアピールして大統領になったオバマさんが、大統領就任後は富裕層を優遇する政策ばかりやるようになったなんて笑い話を忘れたわけじゃあないよね。
今問題になっている黒人やLGBTの人達も、内心は「人権問題に注目してくれるのはうれしいが、必要以上に騒ぎ立てないで放っておいてほしい」というのが本音ではないか。
アメリカの黒人差別問題は基本的にアメリカの歴史背景から起きたアメリカ独自のもの。アメリカに「在日朝鮮人差別」や「部落差別」がないのと同じように日本に「黒人差別」はない。
アメリカでは奴隷解放宣言後にも有名なタルサの黒人虐殺事件を含め、欧州系人がアフリカ系人を多く殺してきた。アフリカ系人は怒り抗議し人権運動をし、権利は向上しているが、今も警官による殺害は多い。だから差別に対する抗議運動が続いている。
アメリカは現代世界を支配する唯一最大の帝国だから、アメリカの抗議デモの怒りの声はあっという間に世界に波及する。黒人デモを腐す人がよく「こっちはどうなんだ」と例に出す香港デモの怒りの声が波及するよりそりゃ早い。
【IWJブログ】ネット上で「朝鮮人を殺す」「虐殺する」と差別・脅迫の書き込みをしていた「ヨーゲン」の正体 〜詐欺容疑で逮捕された57歳の「ネトウヨ」男は10代の子供を持つ父親
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/151383
と
NHK武田真一アナ 木村花さんへの誹謗中傷「やりきれない」 リアリティー番組「私たちも考えないと」
https://news.yahoo.co.jp/articles/ac76b1f9097c15515aa3aad99c80ad44a864c040
は
そしてチー牛と常に一緒に同列に語っていいはずだ
まさか誹謗中傷がだめだとおっしゃる方々は、黒人と木村花と在日朝鮮人とチー牛で尊厳が違うといわないよな
そんな俺が当時なんでネトウヨになったのか自分なりに振り返ってみようと思う。
普段、夕食後にナイター中継見ながら「吉本隆明がどうたら」「西部邁がどうたら」そんなことばかり雑談してる父親と兄が、「ゴーマニズム宣言はあれヤベえよ……」と苦笑いしているのが耳に入ってその存在を知った。
なぜか興味を抱いた俺はそれがどんな本なのか訊いてみたら、二人ともしまったとでも言いたげな顔で言葉を濁し、「いや、お前が読んだら絶対に訳も分からずハマるから教えたくない」と逃げられた。
そんなふうに言われたらむしろ興味が強くなる。
早速、学校の帰りに大型書店に立ち寄った。残念ながらゴーマニズム宣言は置いてなくて(記憶が確かならとっくに絶版になってたからだったと思う)、仕方なく「戦争論」のほうを購入した。
一応、書いておくと俺はそこらへんのアホ高校に通う勉強なんてしたことないバカ学生だったから、歴史・公民ともに全く知識がなかった。
戦争論に書かれている刺激的な言論にやられて、人が変わったように昭和史の勉強を始めたとかいう事実も一切ない。
それにもかかわらず俺が戦争論にハマったのは、悪役として据えられてるキャラ(アメリカ?護憲論者?)を主人公(日本?小林よしのり?)がボッコボッコにやっつけて、徹底的にディスるのが気持ちよかったから。スカッとジャパン見て留飲下げてる人と全く同じ心理。
正直言って、本の内容は全然理解できてなかった。大人になった今ですら戦争論で何をどういう論点で掘り下げていたのか全く思い出せない。そして、今もう一回読んでも無学ゆえに理解できないだろう。
で、なんで当時の俺にそういうスカッとポルノ的物語が響いたのか?もうこれは俺が嫌われ者だったからとしか言えない。
見た目はオタクのくせに不良ぶりたがる、一周回った可愛げもなくとにかく協調性がなく、からかい半分に相手を挑発することをニヤニヤ言う。
そんな俺はまあとにかくクラス中から嫌われていた。男女問わず嫌われていた。
疎外されるのも自業自得なんだけど、そのくせ俺は周りに嫌われてる事実に傷つき、挙句、「人生初彼女ができない。童貞捨てられない」的悩みも同時に抱えてとにかくイライラしていた。
そんな人間がスカッとジャパンに出会ったらそりゃハマるよなあと今となっては思う。
逆恨み由来で膨れ上がったはち切れんばかりの攻撃性をあの本が代わりに解消してくれたような感じだ。
兄が俺をゴー宣に触れさせないよう慌てていたのは、俺の人間性に大問題があってなおかつクラスの嫌われ者であることを察していたからな気がする。
「(あの本にハマるのはまさにこういう奴だろう)」、そんな危機意識があったのではないかと。
俺は韓国、韓国人、在日朝鮮人、戦後民主主義、左翼を忌み嫌うようになった。
「お前そんなこと言っていいわけないだろう。理屈もなにもねえよ」というような蔑称やヘイトにキャッキャキャッキャと歓喜し、瀬戸弘幸や桜井誠を天才思想家として崇め奉った。
そして俺にとってスターといえばイチローでもダルビッシュでもなく、自民党のタカ派議員だった。
2chに差別書き込みをした回数は1000じゃまったくきかないと思う。
夕食後、父親と兄との雑談に俺が混ざるようになったのもちょうどこのころだった。
学校で起こった楽しい話なんてないもんだから、なんの脈略もなく「韓国がさあ~w」「中国がさあ~w」という調子で読んだばかりのヘイト本の内容を面白おかしくニヤニヤと披露する。
そのたびに父親は決まってウンザリしたような顔で「お前、そんな差別的な話を俺は家で聞きたくないよ。もっと楽しい話してくれよ」と露骨に眉をひそめ、軽蔑したような冷めた顔でそのやり取りを見守っていた兄が痺れを切らして「おめえいい加減にしろよ、黙れよ」と一喝する。
そんな流れが毎日だった。
それは「愛国心を盾にした差別はよくない」という至極まっとうな意見が世間の常識となることだった。
厳密に言うと、当時も今もそういう社会常識は当然みんなに共有されているということになっている。
学校や会社でネトウヨ的言論をかまそうものなら普通に窘められ、あいつは頭がおかしいということになるだろう。
ただ、当時はネトウヨもネトウヨ的言論もまだまだ隠れた存在で(ネトウヨというスラング自体は耳にしたことある人はもう多かったと思うが)、「変な人のことだとは思うけど、実際になにがどうなってんのかは知らない」程度にしか一般的に認知されていなかったと思う。だから、2chで俺を含む差別的な連中がどんだけ跋扈しようが見つからなかった。
世間には「差別は許されない」という当然の常識が共有されている一方で、ネットのアングラ部分ではネトウヨ的思想がすごい勢いで盛り上がるという対照的な状態が続いていた。
「もしもネットのネトウヨブームが世間の人に気付かれたら彼らの良心によって潰されるだろう。そしたら俺のフラストレーションの解消の場がなくなってしまう」
そんなふうに俺は恐れていた。
俺の嫌な予感は当たった。
やがて、ネトウヨ的存在が一般的に認知され始め、密教から顕教に変わっていった。
ただ、予想外だったこともある。
ネトウヨはやっぱり「あいつらとんでもねえ」とバッシングされはしたんだけど、それと同時に「あんなのはごく一部。差別者なんて実際はほぼいない。広まってもいないネトウヨ思想に危機感を抱くのは未熟者だから。はい、この話終わり」とでも言いたげな耳を塞ぐ態度を頑なに守り続ける勢力も相当いたことだった。
これに俺は凄く救われた。こういう逆張りというか、冷めたポーズを取ってくれる連中がいてくれれば俺の、俺たちネトウヨの居場所は守られる!と安堵した。
「ネトウヨ思想が広まりかねない。危険だ」という意見がネトウヨでもないネット民から「そんな奴みたことないんだけど?よっぽどレベルの低いコミュニティにいるんだね~」みたいなレトリックでよく小馬鹿にされていたのを覚えている。
ネトウヨ本が書店で平積みされ飛ぶように売れ、ヘイトスピーチなんてのが社会問題になって、身元隠してないTwitterアカウントで主婦や社会人がネトウヨ思想を全開にしている、そんな現在を考えると、ネトウヨ思想の流行という当時の懸念は正しく、そして、冷めた態度で小馬鹿にする勢力がネトウヨの追い風になったのは当たってたなあと思う。
ネトウヨ時代の俺も日本がここまでなるとは当時想像だにしなかったから。
政治とか右翼だとか左翼だとか韓国とかそういうの一切合切に俺が興味なくなったのは大学入学とほぼ同時だった。
大学合格後に兄に部屋まで呼び出され相当真剣に将来を案じることを言われ続けたからだ。
要約すると、「偏見を捨てろ。周りに親切にしろ。心を入れ替えろ。ていうか今の人間性のままだとお前人生終わるよ」、そんなことをマジのマジのマジのテンションでこんこんと聞かされた。
「親父もお袋も相当心配してるぞ。お前結局友達いなかったろ」、特にこれが半べそかくほど効いた。
自分が好かれるわけがない、擁護しようのない人間だという自覚は深いところで抱いていたので、大学では心を入れ替えて普通に友達作って楽しく過ごそうと思って大学生活をスタートさせた。
まもなく、普通に友達が何人かできて、一緒に遊ぶようになって、まるで憑き物が落ちたかのように俺のなかから世の中や人に対する攻撃性が萎んでいった。
気付いたら政治とかどうでもよくなっていた。ていうか在学中に在日の友達もできた。彼女はできなかった。
今は普通にのほほんと生きている。