はてなキーワード: ベターとは
「そんなの、当たり前じゃん」「いやいや、自分次第だよ人生」などと一蹴りされてしまいそうな内容ではあるけど、
ふと自分の人生を振り返ってみたときに「やっぱり生まれがほぼ全てだよなぁ…」などと耽ってしまったので、
思いの丈を晒してみる。
"この世に生を受けた時点"で確定していることは何だろうか。何と言っても、まず挙がるのは
生物学的なスペックだろう。具体的にはDNAにおける塩基の配列だ。この配列に骨格やら筋肉やら脳味噌やらの
情報がギッシリと詰まっている。「蛙の子は蛙」などということわざもある通り、このことが後の人生を
決定的に左右する要因であることは誰もが認めるだろう。
「何?遺伝子が全てだって言いたいの?」いや、そうじゃあない。第二の確定事項、というのは言い過ぎかもしれないけど、
第二の重要な人生決定要因は"育ちの環境"だ。言わずもがな、虐待されて育った子は生涯に渡る精神的な後遺症を抱え、
親に十分愛されて育った子は大らかな大人になり、甘やかされて育った子は高慢な人間になる、このような傾向もまた
多くの人が認めることだと思う。
ただ、ここで「でも物心がつけば自分で考えて行動するようになるんだから、生育過程については不定性・自由度が
あるんじゃないの?自己責任的な面もあると思うんだけど」というツッコミが予想される。
今回力説したいのはこの点についてだ。"生育過程"とは具体的にどのあたりまでを指すのだろうか。
自分が思うに、長く見積もっても18歳あたりまでが限度である。これはちょうど大学受験/就職という人生の岐路が
訪れる節目の年齢でもあるし、頭の柔らかさや身体の成長を考えても、この時期までに大抵の(頭脳的・身体的)スペックが
決定するだろう。ただし、だ、18歳とは言っても、その年齢に到達するには17歳、16歳、15歳、…と、17年間もの
歳月を既に過ごしてきている。この17年間もの人生経験が、18歳を迎えてからの1年間に一切影響を与えないということは
あるだろうか?答えは(ほとんどのケースにおいて)NOだ。となると、17歳の1年間は過去16年間からの影響を、16歳の1年間は
過去15年間からの影響を、…というようになって、結局、「人生は積み重ねだ」ということになる。つまるところ、
幼ければ幼いほど、その頃の生育過程というのは重要になってくる。3歳かそこらの園児が、その後の人生を考えた
妥当な決断を下し、それに従って行動することが果たしてできるであろうか。その程度の年齢の子には、信念やこだわりはあるとしても、
将来のことを考えて行動するなどまず不可能である(ごく一部の例外を除いて)。さらには、仮に将来を的確に見据えることの
できる天才児であったとしても、その行動が彼/彼女の親が要求することと食い違っていれば、何の意味もない。
つまり、「決定的な生育期間は幼少期 そしてその頃の子供は無能かつ無力 だから自己責任は問えない」ということだ。
さっき挙げたのとは対照的に、「氏より育ち」ということわざもあるけど、自分に言わせれば「氏が決まれば育ちも決まるんだよ!」だ。
ちなみに、幼少期が人格形成にとって重要な時期であるというのは学術的にも認められている。
まぁ、そんなこんなで、やっぱり生まれって大事だよなぁ…と。。。
※「言い訳はいいからニートはとっととハロワ行けよ」などという煽りが入りそうなので一応断っておきますが、
自分はニートではありませんし、(比較的)劣悪な生育過程に潰されて堪るものかと努力したので今はそれなりです。
また、人生をベターにするために努力することを否定しているわけではありません。ただ、自分の意志や努力じゃ
どうにもならない、既に決まっちゃってることが多いよなぁ、ってことです。
とか言ってしまっても、落ち込まずに
「まあ、国連の分科会で言ったわけではなし。あんなにエライ人だってついついああいうふうにいってしまうことだってあるわけだし」
なんかこう前兆アリゲに徐々に盛り上がるのではなく、突如、「シャラップ」と言えばその場は確実に誰も何も言わなくなる
高校生とか若い頃にあの動画を見れば「あー、シャラップって間違っても使うとまずいな。フォーマルな場では」
となって,ビー・クワイエット・プリーズ。とか後進のものどもの語彙が豊かになる
それはそれでハッピー
まあそんな感じでとらえましょうよ、われわれしもじもは
俺の経歴。
大阪のど真ん中で生まれ育ち、ロンドンに住み、福岡に住み、今かなりの田舎へきている。
大阪では、車はなくてよかった。
通学や通勤に車を使うとわずらわしいだけで、電車のほうが圧倒的に便利だった。
しかし、大阪のど真ん中過ぎたため、デパートはあるものの、スーパーがない。
デパートには歩いて行けるけど、スーパーには電車に乗らなきゃいけなかった。
普通の家族が生活していくには、やっぱスーパーでの買いだめは必要。
というわけで、母はダイエーまで車で買い物にいっていた。
電車じゃ無理か、と言われりゃ無理じゃないけど、電車より車での買い物のほうが便利だったのは間違いない。
チャリで気軽にいける距離にスーパーがあれば、チャリでよかったろうけど。
バスは、こんなに必要なのか悩むくらいあふれていて、バスだけで渋滞ができていた。
深夜も、ナイトバスが24時間走っていて、バスの路線図の見方、乗り方さえ覚えれば何も不満はなかった。
スーパーは歩いて行ける距離だったし、ソーホーにもチャリでいけていた。
でもバス使えば超便利だった。
福岡になると、そもそも電車やバスで充分、という前提がまず覆った。
大阪やロンドンなら、駅と駅の間がそもそも徒歩10分から15分なわけで、てことはどこに住んでいたって駅から10分以内なわけ。
しかし福岡は、最寄りの駅まで20分以上、というエリアは結構普通にある。
都会の路線沿いがもちろん人口は多いのだけど、そこから5キロ離れたエリアだって、変わらず人はたくさん住んでいる。
ここの人らは、まあ、車持ってるよね。
電車で補えない部分を、西鉄バスが頑張ってくれていたけど、それでも1時間に2本とかで精一杯。
中心部の電車があるエリアに住んでいる人ならもちろん車はいらないけど、ノーストレスで生きるなら、やっぱり車があったほうがベターと言わざるを得ない地域だった。
で、今の田舎。
これまで田舎の車いるかいらないか論争は、買い物するにも車ないと困る!がおおかったけども。
俺のいま住んでいるエリアは、車がないとまともに通勤できない。
というか、この町から出入りするための電車であって、この町での生活に使うものではない。
で、田舎だけど、その市の中心部にすんでいるからかろうじてバスはたくさんある。
始発が7時15分発。
次が8時20分発なのでこれはもう間に合わない。
帰りが、17時代はなし。
18時は02分の1本
これを逃すと帰れない。
つまり始発と終バスで通勤して、7時15分発19時13分帰りのほぼ1択しかなくて、会議が長引けばもう帰れない。
これじゃあ、ちょっとイレギュラーが起きたらもう対応できない。
車なくてもスーパーには行けるけど、町で唯一のカフェにいくには、1時間に1本のバスに乗ってショッピングセンターに行かなきゃいけない。
ショッピングセンターは10時までやってるけど、終バスは20時過ぎ。
いや、まあ、イレギュラーな事態が起きず、つつましく時刻表を常に持ちながら生活をすれば、確かに車なくても生活はできる。
しかし、毎日同じ時間のバスで行き帰りして、毎日同じ人が乗っているこの通勤スタイルは正直しんどかった。
車を買った今は通勤も快適。
行きたいところもすぐ行ける。
お嫁さんも喜ぶ。
圧倒的に快適になったのは事実。
ま、そんなかんじ。
じゃあお前は、ネオナチの連中がナチスの旗をなびかせて恍惚とデモやってたら非難しないのか? ヨーロッパで、それが非難されないと思うのか?
正しいかどうか、ではなくて、オレが言ってるのは、日本人が日の丸に諸手挙げて万歳やってりゃ「そう見られる」という話なんだよ。敗戦時、ナチスに罪をしょっかぶせることができたドイツと違って(それだって壮大な嘘なわけだが)、日本はその戦争責任を、日の丸背負って戦争やってた「軍」にしょっかぶせるしかなかったんだ。そうやって、『軍部に欺された』天皇と国民を免責させたんだよ。つまり、「天皇制」を維持するために日本は、「永遠に反省を忘れない平和国家」という壮大なフィクションを生きざるを得なくなった。サンフランシスコ講和条約、そして東京裁判、平和憲法、全てがそのためのフィクションであり、それが戦後日本の骨格なんだ。
そのことに文句あんなら戦争に負けた連中と戦後処理を担当した連中を恨め。オレは、彼らは当時としてそれなりに(少なくとも)ベターなチョイスをしたと思っているし、その努力には敬意を表するがな。
そういう過去の経緯や努力を全然知らず、勉強もせず、ぎゃあぎゃあ日本万歳とか叫んでる脳天気な連中を見てると、腹が立つな。敗戦国の戦後処理の苦労を無にする行為だ、と。一体戦後処理の担当者たちがどれほど「耐え難きを耐え忍び難きを忍」んできたか、お前らは想像すらできないだろう。お前らが一体何を、どれほど我慢してるというんだ?
なあ、なんで天皇が、A級戦犯が合祀されて以来、靖国に行くのをやめたか、分かるか?
お前らにも頭があるなら、その意味を少しは考えてみろ。
元増田ですよ。
>努力を評価する
「まったく努力がみられない」(課した宿題はなんだかんだ理由を付けてやってこない)(次までにやってこいというこちらの譲歩も無視する=やっぱりやらない)(そんで、そのことを謝罪もしない)で、もはや人間としての評価もできない相手も褒めなきゃいけないのか?という純然たる疑問なわけでして。
そのへんを「ほめればのびる子」な人達にお伺いしたいのです。
>カテキョか何か?
そんなもんw
>「そいつの鼻っ面をへし折っちまえよ」という反応を暗に期待しているように見えたので。
あーきっとそれはあります。が、絶対にやらない、という自負もあります。そこまでして他人に関わりたくない。
ですね、目的を見失わないようにしないと。
【急募】レイシストの俺を、レイシストじゃなくする方法 - http://anond.hatelabo.jp/20130501200747
とそれにまつわるトラバ、ブクマ、の一部を読んで、問題を私なりに整理してみようと考えたこと。
元記事のレイシスト俺さんについては、
・大元に何かを攻撃したい欲求がある。
・その攻撃対象として丁度よく嫌いな中韓に、欲求を(内心や内輪との会話で楽しむ範囲であれ)ぶつけている。
・レイシスト俺さんは、心の中に民族差別感情を持つ人間をレイシストと定義しているので、自分をレイシストだと思っている。
・レイシズムが道徳的によくないし、経済などの面でも己に損をもたらすとはある程度理解しているが、攻撃欲求を発散する気持ち良さを優先させてしまう。
・なので、将来状況が変わればもっと明確なレイシスト的行動をとるかもしれない。
・こんな俺を変える方法はあるのか。
という風に読みました。
1.攻撃欲求が強くなるのは生活に不満があるからなので、人生を充実させる。
2.相手のことをよく知らないのにイメージに嵌ってるから差別したくなるので、実際の韓国人と知り合いになる。
3.2と似ているが、色んな事を学んで、よく考えると、単純な差別をする気はなくなる。
4.お前の性格が悪いんだよだのその程度でスカっと出来るなんて安易ですねだのの罵倒。
みたいな意見が多いように感じました。
個人的に一番頷けるのは1(と、白目で見た意味での4)なのですが、実現は難しいと思います。
充実した人生を送る方法、幸せになる方法が確立されてるなら、誰だって幸せになれるはずでしょう。
現実では、方法が確立されていない、もしくはその方法をとるにはある程度の能力がいる。
経済がよくなれば少しはマシになる、ってのはその通りなんですが、
日本・世界の経済をよくするために即効性のある、一個人ができることってほとんどないです。
即効性がないと手ごたえが得られないので、実際に経済がよくなるまで攻撃欲求を持てあますことになります。
また、もし生活が充実してもやっぱり攻撃欲求の強い人はいるのではないでしょうか。
2は、実際に効果があるかどうかも少し疑問だし、実現するのもそれなりにハードルが高いと思いました。
知り合いになった韓国人がたまたま気の合わない奴だった、という可能性があり、
うまく仲良くなったところで、個人は好きだが集団へのレッテルは変わらないので叩き続ける場合もよくあり
そもそも新しく他人、それも外人と知人になるのはそれなりに面倒なことであり(面倒でない人もいるでしょうが)、
まして、現状馬鹿にして喜んでいる相手とわざわざ友好的に付き合おうとするのは酷く心理的に抵抗があるわけで、
それができれば苦労しない、気がします。
で、3についてがこの記事のメインなんですけど。
互いの国や文化や歴史、その他知見を広めてよく考えなさい、というのは、まあ、理想的だなあとは思います。
思うのですが、やはり実現は難しく感じるのです。
要するにこれは、理性を使いなさい、ということでしょう。
でも、理性って、普段自分がやってる以上に使うの、凄く難しいし大変じゃありませんか?
最初に書きましたが、レイシスト俺さんが特定の国を馬鹿にして喜ぶのは、
「他人を攻撃するのはよくないとは理性ではある程度分かるけど、
嫌いなものを攻撃すると感情的に気持ちいいので、その気持ちよさを優先してしまう」
ということのようです。
「嫌いなものを攻撃すると感情的に気持ちいい」のは、誰しもが秘めているものだと思います。私もモリモリあります。
(一部ブコメやトラバを見ると、この時点で「いや気持ちよくないよ」という人もいるようですが、
攻撃欲求が全然ないのでしょうか、そんな人いるのかしらん)
そのような人に、積極的に知見を広める(それも恐らく嫌いな中韓にプラスな情報を多く)、という理性を沢山必要とする行為を望むのは、
ちょっと無茶な気がするのです。
それでも「(思考で)殴ると気持ちいい」という感情的快楽は消えないわけで、
「中韓にも事情はあるんだろうけどテメーら嫌いだよ苦しめざまぁww」という風にならないでしょうか。
そう言えば、2の嫌いな国の人とわざわざ仲良くなるというのも、理性を必要としますね。
結局、何度も繰り返しになりますが
「嫌いな奴を殴ると気持ちいい! それが駄目なことと理性は言うが俺は目の前の快楽を優先するぜ!」ということに核心があり、
それを解消するにはどうしたらいいか、というのがレイシスト俺さんの問いかけだと思います
(そして暗に「無理じゃないの?」と言ってる気がします)。
この、感情的快楽を理性より優先させる姿というのは、世の中に往々にして見受けられます。
雑な例示なのは許してほしいのですが、
様々な差別、いじめの一部、暴行、薬物使用、日常でひたすら感情的になる人、などなど。
全くの無知からそれらをする人もいますが、悪いと知っていても目先の快楽に溺れる人も沢山いるでしょう。
こういう人たちに対して何ができるか、が、この一連の話題では問われているのだと思います。
解決法はある意味ではシンプルで、彼ら彼女らが、感情より理性を優先させるようになればよいのです。
上の方では敢えて省きましたが、「知見を広めろ、よく考えろ」という助言には、
「足りない理性を鍛えろ」という意味も含まれていることでしょう。
でも、それって現実的に可能なんでしょうか。
自分の普段よりも多く理性を働かせようとするのは、凄くストレスだと思います。
理性を使う気持ち良さというのもあるので、それに高いレベルで馴染んでいる人からすると、
もっと理性的になろう、と望むことはごく当然だと思われるかもしれません。
(攻撃欲求に身に覚えがない人というのも、もしかしたら理性が凄く強いので、
そのような荒っぽい欲求は存在を感知できないくらいに抑制しているのが常態化しているのかも?)
でも、そうじゃない人もいる。私は多分、そうじゃない人が凄く多いと思う。
私自身が、非理性的で、感情的な快楽に弱いので、理性的になれ、よく考えろ、大人になれ、としょっちゅう言われるのですが、
理性が身に馴染んでいないのに理性的になろうとするのは、とっても大変、です。
理性を働かせることは、特に馴染んでいない人には快楽をもたらさない。
モチベーションが湧かなきゃ、そりゃ、やらないよなあ。
果たして、理性より感情を優先させる人に、理性を重視させる方法はあるのでしょうか?
レイシスト(元記事作者さんについては反中・反韓感情の持ち主、レベルの気もしますが)に、
薬物使用者に、暴力をふるう人に、過剰な感情論を振りあげる人に、何かできるのでしょうか?
もし、実現可能なレベルでの対策があるのならば、凄いなあと思います。
私は、ないような気がしています。
ないよ、で終わってもなんなので、私の考える、何かできること。
感情の衝動を弱めて理性の方を相対的に大きくしようという取り組みですね。
これはもし実現できれば効果があるような気がしたので一番好きなのです。
人生が充実しても全ての負の感情衝動が弱まるかは分かりませんが、ベターではあるかなあ、とか。
けれどやはり、充実した人生ってどうすれば手に入るんだよ、という問題が。
物事を十分理性的に考えるような教育を施されれば、ある程度理性的になるでしょう。
しかしこれも問題は沢山あって、
まず、既に義務教育期間を終えた人間を教育するシステムがないということ。
現在の教育者側が理性的な人間揃いではないのでは難しい……かも?
それに、今だってかなり児童を理性的に育てようという教育はあるのでしょうが、
ついてこない子たちが沢山いて現状になっている、というのは、何かしら問題があるせいな気がします。
また、教育については、
「学がない人間は学のある人間を逆に軽蔑する場合がある。親世代にもその傾向があると子供は当然学びづらい」
みたいな低学歴の再生産みたいな話も絡んできちゃいますね、とか。
やっぱり、難しいですね。
これぞという、いや、これぞじゃなく漸近的にでも、
以上。
感情だの欲求だの快楽だの理性だのレイシストだの、他にも様々な用語の使い方は雑だと思います。
すいません。
用語以外も雑だと思うのですが、元記事さんに用語の使い方で突っ込んでる人が多かったので予防線。
一応ロシアとは、
超長期間振りの交渉再開&平和条約締結かっていう状況なんだよ?今回。
そういう相手に最初の一回は友好的姿勢を見せておいて悪くないと思うけど。
「友好したくないのか」って言いながら恫喝やユスリタカリをしてくる国だと、残念ながら結論が出てる。
彼等に対してはもう、向こうが1回小突いてきたらこちらも1回激しくひっぱたき返すような対応がベター。
ロシアにはまだそういう残念な結論は出てない。
付き合いの上で、相手によって態度を変えるのは当たり前のことだよ。
仕事術って、「こう考えよう」とか「クリエイティブを意識しよう」とか、精神論というか抽象的な心構えみたいなのを語るものが多い気がします。
しかし、ビジネスっていうのは基本的に、具体的な成果をいかに効率よく出せるかが勝負です。「仕事を楽しもう」なんて生暖かいこと言うのもいいですが、子どもがいるような家庭では特にそんなこと言ってられないのが普通なんじゃないでしょうか。
実際、べつに特別なことでもなんでもありませんし、自己啓発書とかビジネス書に書いてあるようなことかもしれませんが、生産性上げるために私が意識してることを書きます。
「これができたら達成。できなかったら失敗」というように、具体的な達成条件を決めて仕事をしよう。勿論、そのためには具体的な目標も必要。
仕事の達成条件を決めるとき、成果を評価するのは誰なのかを考えよう。顧客なのか、取引先なのか、上司なのか、市場なのか。誰からも高い評価を得られるような仕事は素晴らしいけど、基本的にリーチを広げ過ぎると収集がつかなくなる。絞ったほうがいい。
せっかく時間と労力をかけて、達成条件を満たした仕事を仕上げても、駄目出しを食らってやり直さないといけなくなるときがある。予め駄目を出しそうな人を見つけて、簡単な大枠を伝えて確認をとるほうが、無駄な差し戻しがなくなってベター。
作業の進捗具合をチェックするのは重要。具体的な目標と、それに関する具体的な達成条件が決まっているなら、そこにたどり着くまでにあと、なにが、どれくらい足りないのか、埋めるためにはどうすればいいのかを把握するのは簡単だ。30分とか1時間ごとに、作業の進捗具合をチェックする癖をつけよう。
時間と労力をかけて車輪の再発明をするくらいなら、余所から車輪をパクってきたほうが速くて効果的なことのほうが多い。似たような先例を探すなり、過去に自分がやったもので流用できそうなものがないか調べよう。
ぜんぶを完璧にしようとすれば、キリがない。「まだ完成じゃない」「なんか違う気がする」と言い続けてると仕事が終わらない。時には「ここは捨てよう」という諦めも肝心。100点の答案を追求して提出期限が切れるより、75点の答案を期限内に提出するほうが絶対にいい。
難しい課題はなかなかやる気が起きない。軽い仕事をこなしてやる気が降りてくるのを待つくらいなら、「30秒だけ」と決めて少しでもいいから手をつけよう。30秒の間にちょっとでも仕事が進んじゃうと「中途半端だから最後までやっちゃおう」という気が起きるので、それを利用して一気に片付ける。
人以外が作り出す価値はたくさんあるんだ。
だからそういうモノを持っている企業は人なんて最低限しかいらない。
し、内心、社員に対しての重要度が低い。だって利益の源泉の方が重要だもん。
それから、そもそも正社員とか派遣とかそういう切り分け自体が無意味。
大体、普通の経営者の感覚だと、粗利の3分の1は本人に渡してもいい。
1500万円粗利を創り出す力がある人には、500万円くらい渡してもいい。
だから、利益をバシバシ作る人は、当然居て欲しいし、採用したいわけだ。
ただ、それが出来ないヤツは、それこそ即刻いらない。
企業は資本主義のルールで勝負してるのに、労働者はココが社会主義だと思ってる。
(正確にいうと資本主義も社会主義も理解せず、エゴを主張してるだけなんだけど。)
社会主義的発想は国のシステムでも、それから教育機関でも後押しされてるから、
極めて歪んでるんだ。
でも、今の処これ以上ベターなシステムは無いんだ。企業も生き残るの必死。わかって。
勝ち組と負け組が常にいて、国の再分配システムが負け組をサポートするってのが、
有るべき姿なんだけど、国家システムがまだそこに追いついてなくて、資本主義と
社会主義が混在してるんだよ日本は。だから、その歪を、企業も労働者も担ってるんだ。
でもね、皆で不幸になる必要はないよ。
日本は社会主義教育が重度だから、社員になるのが普通だと思いこまされるけど、
それこそ、その辺の発展途上国にいけば、仕事がないから自分でレストラン始めました。
ビジネスってのはね、人の役にたって、その対価を受け取る事だ。
肩もみでもいいし、パンを焼いてもいいだろう。人の役に立って金を受け取るんだ。
でね、そのうち上手くいき出したら人を雇ってみればいい。
そうやって世界はまわってるんだ。
いわゆる「男女の考え方の差」、というのを最近付き合った彼女との間によく感じます。
物事を感情で語られることが多く、こちらが理路整然とベターな展開を示したとしても、
相手がそれを快か不快かで判断をされている場面が多々あります。
本来であれば、程度にもよりますが相手が不快なことをしないことが上手に付き合っていくうえで大事なことと思いますが、
小さなことでもこちらが納得できないことが重なるとなんとも言えない気持ちになります。
相手のことが本当に好きだとしても、「別れることがお互いにとっていいよね」って話は、
これの延長上にあるんじゃないかなと思いました。
私達にとっての落とし所が"別れ"にならないことを願います。
住宅購入って、一生に一度の買い物なので、第三者的アドバイザーが(有料であっても)有用だと思うが、
かと言って、「知恵袋」なんかは、質問者数と回答者数のバランスが非常に悪く、
質問に回答が付かないまま、奥の方に埋もれて・・・ということが、ママある。
知恵袋とか、マンション掲示板(マンションコミュニティ)とかでも、
「Bというマンションは割高ですか?」という質問が消費者から結構なされたりしてるが、
ある程度は、的確に回答する自信はある。
(それなりに客観的に答えるつもりではある)
しかし、会社員に属している立場では、表立って回答することは出来ない。
~~~~
ところで、ネット系質問サイトには、一般人(=素人)が回答する「知恵袋」「OkWave」系以外に、
無料だと「オールアバウトプロファイル」、有料だと「アスクドクター」が代表例。
健康相談のアスクドクターは、まあ有料にしても、納得な内容である。
(多分、医師法の関係で、回答者を医師限定にしないとマズイんだと思う)
一方、オールアバウトプロファイル、あれは無料で回答する、という建て付けだが、
カネ取ってもいいんじゃないか、カネ取れるニーズはあるんじゃないか?という気がする。
「これ有料質問の建て付けにすれば、もっと具体的な質問が来て、マネタライズできるのに」と思わなくもない。
「プラ●ド淵野辺はどうですか?」とか「ファイン●ート新三郷はどうですか?」のような、
思い切って、有料質問コースを設けて、しかも「回答内容を限定公開」風な感じにすれば、
そうすると質問のマネタライズもできるし、「大手不動産会社社員」も片手間に回答して小遣い稼ぎ・・・
というのもありえる。
「プラ●ド淵野辺はどうですか?」のような質問は、実は、「他の検討者も、質問したがっている項目」なので、
「質問料を、多少は払っても、いいかな」と思っている人は、結構存在したりしている。
つまり、最初の質問者が回答を得たら、それを2回目以降の閲覧者は「少しカネ出してでも、この回答見たいなあ」と
思う可能性がある。
(アスクドクターは、閲覧者からもカネを取ってる。上手い商売。)
~~~~
ということで、比較的利用しやすい価格体系(万円単位)で、有料質問サイトを設計してみた。
【このサイトの特徴】
1.「以前誰かが行なった質問に、似ている質問を行う質問者は、多いはず」ということで、
続いて似たような質問を行おう、という人からも、(若干安い料金で)利用料を徴収する
2.一方、アスクドクターと違って、回答を2つ以上にしていること。
医師と違って、マンション業界の見立ては、結構回答者によって真逆なこともある。
有名なコメンテーターでは、櫻井幸雄氏と榊淳司氏じゃ、いってることが正反対だ。
なので、セカンドオピニオン、サードオピニオンを取れるような設計にした。
マンション系だと、榊氏、桜井氏、沖有人氏、坂根氏、中山氏などが思いつく。
★相談者は2万円を払う。
★先着2名に回答権あり。
最初に桜井氏が回答し、2番目が沖氏、3番目が坂根氏だったら、
坂根氏以降は回答権なし。
★上記ケースだと、質問者は桜井氏の回答と沖氏の回答を見比べ、
これによって、回答の質が確保される。
残り5千円は運営手数料
★イメージとしては、プロの専門家が1時間程度かけ、下調べ&回答するような手間暇イメージ。
★1年間は、回答をフルオープンにせず、
「200円払った人だけ、回答が見れます」というブラインドを施す。
(アスクドクターは1年以降経過してもブラインドにしているが、
マンションの話だと、1年以上経過すると、市況も変化して、回答が陳腐化するため、
賞味期限を1年としてみた)
★200円払って回答閲覧された場合、うち100円はベスト回答者へ支払われ、
うち50円はセカンド回答者に支払われ、残り50円は質問者に支払われる。
つまり、「多くの人に有料閲覧されそうな、万人が興味持ちそうな質問」を質問者が仕立てれば、
その分、質問者は(一旦2万円支払うが、)後から閲覧する閲覧者からの閲覧手数料収入で
儲かる、ということになる。
⇒万人が興味持ちそうな質問にしよう、と工夫するインセンティブが生じる
因みに、2万円÷50円=400だから、400人の有料閲覧者が現れたら、「モトが取れる」ことになる。
★上記レギュラーコースは、専門家が実名で回答するイメージだが、
ライトコースの場合は、専門知識はあるが、実名じゃなく匿名で回答したい、という回答者を想定している。
具体的には、三井不動産レジデンシャルの社員が匿名で回答する、野村不動産の社員が匿名で回答する、のようなイメージ。
彼らは実名専門家(榊氏とか桜井氏とか)に引けを取らない専門家であるが、
いかんせん、「会社の社員」という立場があり、実名では回答しづらい。
そういう社員であっても、一般消費者からの不動産質問に回答したい、という
欲求は、結構あったりする。
(何を隠そう、自分がそうだ)
そして、「どうせなら、少し小遣い稼ぎしたい」というスケベ心も併せ持っている。
なので、彼らの回答欲求、そして多少のスケベ心に答えるべく、
で、先着2名まで回答を受け付け、質問者がベストアンサーを選択するのは一緒。
謝礼はベストアンサーには1、000円、セカンドアンサーには500円の支払い、
サイト運営者は500円貰う。
回答者は
「大手不動産会社社員 宅建主任者」のような肩書きで回答を行う。
サイト運営者は、彼らが不動産会社社員であることや、宅建主任者であることを、
従業者証明書や宅建主任者証のコピーを提出してもらって、確認する。
「三井の社員なら、三井不に有利にしか回答しないだろう」と思われるかもしれないが、
あまりに露骨な三井誘導だと、ベストアンサーに選ばれなくなるだろうから、それなりに自浄作用が働くのでは?
【回答者数増員】
★基本は「レギュラーコース2万円、ライトコース2千円」だが、
中には「回答者が2人じゃ不安だ、3人は欲しい」という慎重派がいるかもしれない。
そういう場合は、2万円じゃなく2.5万円を支払うことで、回答者を増やすことができる。
この場合は、ベストアンサー者1人に1万円、それ以外の2人に各5千円、計1万円、
運営者に5千円が渡るイメージになる。
セカンドオピニオン、サードオピニオン、・・・と増えるにつれ、
回答の確度は上がる。
ライトコースの場合も考え方は一緒。回答数3名を希望する場合は2,500円を支払う。
(なお、この場合、閲覧者の閲覧料は250円に引き上げず、200円のままとする)
【他ジャンルへの応用】
★アスクドクターのような、理系的分野なら、回答の幅はあまりないから、シングルオピニオンでいいのかもしれないが、
ということで、他のジャンルについて、このスキーム(有料回答&一定期間有料閲覧&セカンドオピニオン制)
が有用かどうか、少し考えてみる。
・注文住宅新築、リフォーム=「マンション」と似たような性質。このスキームをそのまま流用可
ライトコースの回答者も、たっぷり存在する。(ハウスメーカー社員が匿名回答する)
・法律、税金、会計、マネー=有料回答&セカンドオピニオン制がマッチしている。
また、税金などは特に、年によって税制が変わってしまうので、「賞味期限」がある。
その意味では「一定期間有料閲覧」(一定期間経過後無料閲覧)の意味がある。
ただ、法律、税金、会計はいずれも「士業」なので、有資格者以外が相談に乗ると法律違反になる。
ライトコースは、法的にアウトかもしれない。
・旅行、グルメ案内=そんなにカネ払って相談する人は多くないかもしれませんが、一応は成立します。
・人生相談、恋愛、子育て=成立しますが、こういう場合の「専門家」って?
むしろ「知恵袋マスター20人」を回答者に仕立てた方が、いいのかな?
あと、相談内容が経年劣化しないので、「一定期間有料閲覧、一定期間終了後無料閲覧」とはミスマッチな気はする。
・受験=高校生相手に、報酬取って相談受ける、というスタイルに、良心の呵責が・・
・ネット・パソコン・翻訳=この場合、セカンドオピニオンの必要性は少ない気がする・・
ほかにどういうジャンルがあるでしょうね?