はてなキーワード: フィルターとは
喧嘩しちゃった。
というか、イジメて来た奴に、仕返しをした。
俺は、元々、ある程度の勉強とスポーツは出来るのだが、コミュニケーションも上手くないし、不器用だし、あわて者だし。
真面目系クズだよな。
どうも、6回程度のカウンセリングを受けるうちに。
「幼少期の話を聞かせて下さい」
「あなたのお父さんも、口下手だったの?」
などと、聞かれるうちに、
とても、怖い印象を持っていたことを思い出した。
当たり前過ぎで、ついぞ、忘れていた。
毒親が、どう毒親でと言うことが、分からなかった。
父親も、どもり症で、どうも、職場での人間関係は、上手く出来ない人だった。
アルコールに逃げるような人だった。
どういうわけか、父親を助けて上げたいと思っていた。
小さなころには、休みの日には、騒げないし、静かないい子でないと、いけなかった。
そういう父親の目線、フィルターを通して世の中を観ていたことに気がついた。
そんな人でも、働ける世の中で、あって欲しいと、子供時代におぼろげながら、考えていたかもしれない、と感じた。
妙な正義感が、あった。
コミュニケーションのスキルと言うよりは、コミュニケーションとは、何か?
ということが、自分は学べていなかったのかもしれない。
そもそものコミュニケーションの定義というか、どこから始まり、いつ終わるのか?
みたいな基本的な事柄が、分かっていなくて、
コミュニケーションが怖いと、思っていたのかも。
自分は、能力がないから、コミュニケーションが下手だと思っていたが、そうでもなかったのかも。
家では、俺は父とのプライドを傷つけないようにして、生きていた。
それでも、父親から、認めて貰えている感じがないので、なんか、ひねくれたな。
俺は、怖がりな性格だが、ちょっとしたことでも、キレちゃうと言うか。
カウンセリングというか、第三者との会話で、救いの糸口が見つかりつつ、あるように感じる。
だが、しかし、
同時に、俺は、今まで、40年近く生きて来たのに、自分の意思ではなくて、
父親に気に入れるために、
むしろ、父親を守ってあげるぐらいの気持ちでいたことに気がついた。
余りにも、本人には、当たり前過ぎで、自分が何者かが分からなかった。
弱い人には、優しくするべきだって考え方が、変なふうに解釈しちゃって来たような。
DV嫁とかが簡単に抜け出せないのが、なんか、分かった気がする。
どっぷりとハマり込んでいる人間には、たとえ、それが、変であっても、慣れ親しんでいるが故に、簡単には抜けれないんだな。
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これは、水です、の話のようにみたいだよな。
http://j.ktamura.com/this-is-water
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気がついたら、自分が何者かが分かって来たら、涙が出てきた。
泣けてきた。
あんな人達に好かれるような努力なんてしてこなくても、良かったのに。
自分のことを、認めてくれる人も世の中には、いるのに、なぜか素直に受け取れないまま、時を過ごしてきた。
ブログやSNSを使って気軽に自分の気分を他人とシェア出来るようになった。
色んな人の見識や近況に触れることで多くの刺激を得られるようになったけれど、
ポジティブな刺激もネガティブな刺激もあって、10年も20年もネットに浸ってきた僕に対しての影響は少なくない。
それは当たり前のことだけど自分の性格や気分で自然と閲覧するモノの内容が偏るということだ。
ポジティブな時はポジティブなモノを選び、ネガティブな時はネガティブなモノを選ぶ。
そうした経験から自分自身が作った像に過ぎず、本当は全て幻想なのではないか?
将来はハッピーでバラ色で、満員電車も座れるぐらいまですっきりして、定時に帰れる社会は本当はすぐそこなんじゃないか?
けれど、今もなお僕が見る記事や投稿の内容は僕のフィルターを通すことで今も偏り続ける。
閲覧したサイトの内容のネガティブ・ポジティブの偏りを検出して、
偏りを修正するように他の記事をamazon式にオススメしてくれるプラグインがあればいいのにと思う。
デフォルトのフィルターはあまり使えないから、abp_jp.txt( https://raw.githubusercontent.com/k2jp/abp-japanese-filters/master/abp_jp.txt )とabp_jp_element_hiding.txt( https://raw.githubusercontent.com/k2jp/abp-japanese-filters/master/abp_jp_element_hiding.txt )を追加するのをおすすめする。
トラッキング、ウェジェット、広告をある程度抑止できるChrome拡張。
Twitter、はてな関係のウィジェットだけブロックリストから外し、FBの(・∀・)イイネ!!だけブチ殺せる粋なアドオン。
パソコンの広告は比較的簡単にブロックできるけど、モバイルは難しい。
率直に言えば、これから書く対処法は気休め程度にしかならない。
だから、僕らを操っている広告への"聖戦"にそれほど興味がない人は、ここから先のエントリーは読まなくていい。
広告、トラッキング、ウェジェットをブロックするiPhoneアプリ。脱獄不要。
前出の『Adblock Plus』のAndroid版。
以前はGoogle PlayにあったのだけどBANされてしまった。
今は有志が野良アプリをアップデートして聖戦を続けている( https://adblockplus.org/en/android-install )
無数に存在するWeb広告ブローカー一社一社に「Cookie勝手に見んなボケ氏ね」とリクエストすることもできる( http://matome.naver.jp/odai/2136295595828806701 )
大変。でも現状ではどうにもならない。電博が支配するマスとは違う。ステークホルダーがあまりにも多い。
実は私、無料Webメディアで食ってる。だからこんなエントリー書くのは自分の首しめることになる。
構わない。
もう疲れたんだよ。ユーザーの属性、トラフィックの解析、ページをどこまでスクロールしたかまで分析する。
FBがパラメータいじってユーザーもてあそんだことニュースになったけど、似たようなことはどこでもやってる。
広告と大量消費社会のワンセットは、資本主義社会にとって必要悪なのだと思う。システムを維持するには仕方がないことなのだろう。
でも、だからと言って唯々諾々と広告が命令する通り消費にふけこんで良いのだろうか。僕らは消費者である前に人間だ。なんとしても人間性だけは護持しなければならないと思うのは僕だけだろうか。
三十路を過ぎてから焦ってお見合いパーティや出会い系SNSで恋活・婚活をしている。
お見合いパーティは一度に10~20人前後、SNSは登録者数百人~数千人以上と、確かに知り合いになり得る機会は転がっている。
しかし、かわいい上に教養レベルと趣味が合う子となると、なかなか見つからない。
年齢が行き過ぎていたり、見た目が恋愛対象にならない子を外していく。
若くてかわいくても、高卒無職なんて子もいて戸惑ったり、趣味に「ヨガ・カフェ巡り」とある子はいったい何を話していいのか分からない。
そんな自己選考をくぐり抜けた子が見つかったとしても、大抵ライバルの男が多く、激戦のためマッチングしない。
自分の今あるステータスを棚卸しして人気の子に必死にアピールするもなかなか振り向いてもらえず、空しさばかりが増長していく。
「お見合いパーティや出会い系SNSは出会いの効率がいい」なんてことを聞いたが、やっていくうちに本当に効率がいいのか疑問に思えてきたとき、
http://anond.hatelabo.jp/20140720013419
という記事を思い出した。
同じ大学という時点で教養レベルフィルターをくぐり抜け、さらに同じサークルとなると、同じ趣味条件で検索に引っかかってきたのに等しい。
同じサークルの人はどうも馬が合うと思っていたが、世の中いろんな人がいると思い知らされた今、よく考えてみれば当たり前のことで、恵まれた環境だった。
婚活市場でこういった子を見つけるのすら大変なのに、自動的に希望条件をくぐり抜けたたくさんの若い子が毎年入学してくる訳だ。
いったい当時の俺は何をやっていたのか。タイムマシンがあったらしかりつけたい。
一方、サークル内恋愛を行うにおいては、「活動との折り合い」や「サークル内の目」と戦う必要があり、独特な別の難しさがあるだろう。
当時の私もその葛藤に悩んでいたが、サークル内で次々とカップルが誕生し、いいなと思った子も他の男に取られていく中、
嫉妬もしていたのか、最終的に「俺はここにサークル活動をしに来ている訳であって、恋愛をしに来ている訳ではない(キリッ!)」と硬派を貫き通すことにし、
どんな醜男でも彼女ができているという異常な状態だったそのサークルから、最後まで彼女を作らずに卒業した。何人か、自分のことを好きだったっぽい後輩もスルーしてしまった。
数年後、そのうちのいくつかのカップルは既に結婚し、子どもも生まれ、幸せな家庭を築いている。
一方の俺は、状況に絶望を覚えながら帰宅後や休日にパーティスケジュールや女性プロフィールの検索に余念がない。
「活動」や「サークル内の目」は4年で終わる。気を遣うのが間違いだった。サークル内で生まれた愛のいくつかは、これからも一生続くのだろう。
お見合いパーティや出会い系SNSを利用して、さらに気づいたことがある。
たまたまいい人が見つかってマッチングしたとしても、そこからこまめに連絡を取って仲良くなっていくというのも大変な労力で、至難の業だということだ。
所詮は赤の他人同士に過ぎず弱い結びつきのため、気を抜くとあっという間に疎遠となってしまう。
反面、「同級生」「同じ学校」「同じサークル」という動かせない事実の、なんという結びつきの強さか。
何年も会わなくても、会ったときにはブランクを感じさせないほどすぐ意気投合し、盛り上がる。
婚活サービス利用疲れをしていたある日、街中のとある場所で働いているサークルの後輩と偶然再会した。
相手も自分のことを覚えてくれていた。仕事中だったため、卒業後何をしていたのだろうとあれやこれや話したいことをいったん飲み込み、すぐ別れた。
某口市の某めタウンそばにある、某屋書店隣のガソリンスタンド。
利用するのは二度目くらいだったが、車を預け、ちょっと時間のかかる作業をいくつか依頼した。といっても、ただの洗車作業を複数。
計一時間ほどかかるという事なので先に某めタウンで用件を五件ほど済ませておいた。
で、一時間後くらいに戻ってきたところ、そこには依頼した作業の完了した車と、そして何やら黒い部品を持った職員の姿が。
「ありがとうございました」と告げて普通に料金を支払おうとしたところ、近寄ってきた職員からその部品を見せられる。
ここでまず、ハァ!?となる。
作業依頼の中には、「エアコンの調子見てくれ」なんて一言も含まれてなかったんだが…。
というか、もう出発しようと思って急いで戻ってきたワケなんだが、なんでこいつエアコンのフィルター取り外して見せに来てんだよ。
そのフィルターどうするんだよ。
取り付けるのに時間かかるよな。
という苛立ちを抑えつつ話を聞いてみると、「エアコンのフィルターがこの通り目詰まりを起こしているので替えた方がいい、三千円です」との事。
頼んでもいない作業を勝手にされた挙句部品を勝手に外されて、その上で営業かけてくるとはな、と呆れたため、即拒否。
すると「じゃあ、このフィルターはもうまともに外気を吸い込めていない状態なので、このまま廃棄しても宜しいですか?」などと抜かす。
無論、即再拒否。
ふざけんなお前頼んでもいないのに勝手に人の車の部品外しておいてコレ捨てていいですかとはどういう了見だ、と激昂しそうになるが我慢。
あくまでも冷静に「元に戻して下さい」と依頼する。
何やら不満そうな様子だったが作業を始め、10分から15分ほどかけてフィルターの取り付けを終わらせていた。
時間かかりすぎ。
そんな時間かかる作業をあくまでもテメエの勝手な判断で挟む結果になって、客の時間を普通に奪うとは一体、客商売としてどういう神経してんだろうかこいつは。
車載荷物の整理をしつつずっと見守っていたのだが、何やら掃除機を取り出してシートの掃除を始め、終わらせたので、作業終了かと判断する。
そして無言。返事もなしなのかよ。
呆れたがここはあくまでも大人にと思い、「ありがとうございました」と告げてさっさと車に乗り込み、発車。
その後しばらくして、走行中にクーラーがまったく効いていない事に気付く。また送風位置も変だった。
改めて確認してみたら、送風位置の指定も変えられており、またクーラー用のスイッチ(A/C)まで切られていた。
おい、何でこのスイッチ切った? 今はどう考えても暖房って時期じゃないよな?
それに車内いじったんだったらなぜ原状回復しない? 普通するだろ?
だいたい、「エアコンの調子見てくれ」なんて頼んですらいないんだぞ?
ガソリンスタンドでの営業ってのは何度か目にしたけど、今回のは本当に最悪だった。
「それじゃ親からバレずにエロサイト見まくれんじゃん!最高の環境だな!」と思ったのだが、
どうやら最近は結構フィルタリングソフトとかも頑張っているらしいとか何とか。
まあこんだけエロスに溢れたネット社会、目の毒になるものすべてを弾きれるとは到底思えはしないが。
それでも子供が使うような端末に(倫理的には子供が使うからこそだろと言いたいだろうけど今回してるのはスペック的な話だ)、
そこそこちゃんとしたフィルターが付いてるってのは自分の世代からするとちょっと感心してしまう。
あの頃のネット社会はリスクとリターンが混在した今よりもずっと良く分からない何かであった。
Serial experiments lainや.hackのような作品もそういった「ネット怖い」というイメージの強さから生まれた作品であることが世界観から分かる。
今のネットは安全だしセキュリティソフトもかなり良くなってきてる。
重たくて口やかましいノートン先生に定期的にお金を貢いでいたのがたまに懐かしくなる。
鬱陶しいセキュリティソフトで思い出したのが、スマホのフィルターはどこまで鬱陶しいのだろうか。
キレイ事を並べて便利便利と作り手はいうが、実際の所は使い勝手なんて全部二の次で何でもかんでも規制しておけばいいというセキュリティソフトは少なくない。
スマホでそれをやったら最悪電話がかろうじて使えるだけのスベスベした板切れになってしまうんじゃないだろうか?
有害サイトを見せない最も手っ取り早い方法が「ネットへの接続を完全に禁止すること」であるのはわかるが、
せっかく若い内に「自分でググる」という習慣を身につけられる機会をすべてドブに捨てているのではないかと少し気になった。
ネットリテラシーを知るにはネットにある程度深く触れているのが一番だ。
どこまで言っても危険は襲い来る。
アメリカはともかくとして近代国家(という幻想)というのが血筋(という幻想)の問題とリンクして作られたっていう生い立ちがあるからね。
だから中国なんかだと「中華民族」という民族があるんだっていうことにしようとしている。これはちゃんと歴史を調べた奴が、近代国家として成立させるにはどうすればいいかってのを計算してやってる。
やっぱり中国はその辺ちゃんと調べてやってるよ。ピンイン表記とか簡体字とかも、書き文字の簡易化という近代国家の基本をちゃんと調べて、先進国より少し遅れたけどちゃんとやろうとしてる。
英語だと国家はネーションステートと言って、ネーションは民族だからね。でも民族というのも幻想だけどね。家族とかも含めて「族」という結びつきは全て幻想。
分類上の切り口の1つという程度の意味はある。まあ切り口なんてどういう切り口でも作れるからね。世界の全ての人を身長175センチ以上と以下に分類する、とかでも可能だし。その分類をわざわざする必要性はないが。
戦後、戦勝国の植民地は独立運動をするわけだけど、そのときも「民族自決」という幻想性が必要だったからね。
つまり幻想ってパソコンにおけるOSみたいなもの。そのOSとパソコンって別にセットじゃなくてもいいんだけど、OSがないと動かないっていう。
人間も幻想がないと存続できない、というか世界が認識できない。なぜなら全ての幻想を剥ぎ取ったとき、生命の存続しなければならない理由などどこにもないからだ。絶滅しても問題ないのだ。人間も地球上の生命も全て。人間はものを認識するとき、重要なものだけ見えて、重要でないものはフィルターにかかってあまり見えない、聞こえないようにできている。この区別がなくなるのだ。
ただ絶滅は「しなければならない」というものではなく「別にしてもいいよ」程度のものなので、絶滅しなくても問題ない。この世にこうでならないといけないことなど何もない。
だから別に幻想でもいいのだ。幻想でなくてもいいのだ。どうでもいいのだ。したいようにすればいい。なるようにしかならない。
だったら俺はこの世界でこうする!
ただ単に、小学校のクラスに10人に一人は屑が居ます、っていうだけの話だろ?
男と女の教育内容を帰るのはそもそも生物学的にも違うからだろ。
それにアメリカでやってるような別学が成果を挙げてる、ってのも一方的な見方で、一方ではその様な教育で弾かれてる奴も居るんだから。
何か特殊なことやって良いことだけ取り出したってどうしようもないだろ。
いいように書くな。お前は何かに全力で集中して成果をあげたのか?
単に人の話を聞かないで他の事が出来ないだけだろ。
注意力が散漫 ← 人の話を聞いててもすぐあきる。
ただのくずじゃねーか。
人の話を聞いて飽きてもそれでも聞かなきゃいけない時は聞くし、
集中力が過剰なんじゃねーのか?
嘘をつくな。そういった病気だとか自分を勝手なカテゴライズしてるやつ程偏見を持ったクズはいねーわ。
人をADHDと判定したり定型とかふざけたカテゴライズしたり。
こんな感じ。
ちなみに、こどもの内なら薬で治る。
注意が低くてクッソ字が汚い子供が、薬できれいな字をいきなりかけるようになるの見ると。「ああ、本当に病気なんだな」て理解できるぞ。
思わねーよ。
普通にガキの頃に1年も特別な訓練受ければこのくらいになるわ。
アホか
薬飲まないでも1年でこれくらい変化する普通の人間はいくらでもいるだろ?
どういうことだ?
むしろこいつがたまたま薬飲んでる中でここまで成長したかもしれないが、
薬飲まない群での成長率と比べれば割合として成長できる奴はすくないんじゃねーのか?
特殊な例だけ持ってくればなんとでも言えるんだよ、アホか
イケメンが仕事やるとちやほやされて、俺が同じ仕事しても特にかんがみられないとか。
イケメンの話は興味もって聞くが、俺が建設的なこと言ってもイケメンの話が優遇されたり。
一番嫌なのは、露骨にイケメンであることを理由にイケメンでない男を奴隷にしたがるやつ。
単にイケメンがモテルというだけならいいんだけど、なぜ差別的な扱いが生じるのかが理解できない。
確かに、男だって不細工な女には当たり障り無い反応をして(決して罵ったりとかはしない、表面上普通に接する)、美女とかは思いっきり優遇する。
がしかし、差別が生じるのはいかんだろ。いうなれば、正面から不細工女に対して「お前の仕事とか発言どうでもいいし~」なんて言わないように。(思っても言わないだけだから、ネット上では思いっきり本音が書かれまくるわけだが)
なぜ女がそういう態度を取るのが許されるのかが理解できない。
もっと不可解なのは、女でも、結婚して子供ができると話が通じだすことが多いことだ。30代後半くらいから男の常識人みたいな発言ができるようになってくる。はっきりいって10代、20代の女の思考や発言はほとんどはキチガイ男のそれだと思う。つまり恋愛フィルターが外れたら女もマトモに男の顔関係ない判断をしたりしだすのだ。
一種の防衛反応だということなのか?ブサメンに割く時間を減らしてイケメンを持ち上げる時間が増えればいい恋愛、結婚ができる、という女の本能がイケメン優遇、ブサメン差別。みたいなの産むんだろうか?
そもそも、イケメンに女が反応する事自体はほとんどの男も了承していると思う。だって、少女マンガなりドラマなりで少女達があこがれる恋愛像ってのは、「かがやいてる私」「イケメンたちが性的でなくクールに愛を提供してくる」「女は尽くされて気を使われ続けてお姫さま状態で普通にしてれば普通に恋愛向ける」みたいな、乙女ゲームみたいなやつでしょ?ジャニーズみたいな。(つーか、俺自体乙女ゲーム好きだしよくわかるわw)
そういう恋愛像を望むなら、俺とかは眼中にないな、恋愛対象になる現実というのは女にとってむしずが走るんだろうなというのも理解できる。
大抵の女が、「初体験は中高であこがれてた人に遊ばれて」というのが多いのを見るにそういうのがとりあえず基本なんだろう。
がしかし、男も美女やかわいいのを求めながらも差別しないのと違い、女は思いっきり差別する。あれなんとかならんのかな。それはそれ、これはこれと、脳みそがクリアカットに論理だけで割り切るみたいな風にならないのがムカツク。