2014-07-19

集団幻想

アメリカはともかくとして近代国家(という幻想)というのが血筋(という幻想)の問題リンクして作られたっていう生い立ちがあるからね。

から中国なんかだと「中華民族」という民族があるんだっていうことにしようとしている。これはちゃんと歴史を調べた奴が、近代国家として成立させるにはどうすればいいかってのを計算してやってる。

やっぱり中国はその辺ちゃんと調べてやってるよ。ピンイン表記とか簡体字とかも、書き文字の簡易化という近代国家の基本をちゃんと調べて、先進国より少し遅れたけどちゃんとやろうとしてる。

英語だと国家ネーションステートと言って、ネーション民族からね。でも民族というのも幻想だけどね。家族とかも含めて「族」という結びつきは全て幻想

分類上の切り口の1つという程度の意味はある。まあ切り口なんてどういう切り口でも作れるからね。世界の全ての人を身長175センチ以上と以下に分類する、とかでも可能だし。その分類をわざわざする必要性はないが。

戦後戦勝国植民地独立運動をするわけだけど、そのときも「民族自決」という幻想性が必要だったからね。

まり幻想ってパソコンにおけるOSみたいなもの。そのOSパソコンって別にセットじゃなくてもいいんだけど、OSがないと動かないっていう。

人間幻想がないと存続できない、というか世界認識できない。なぜなら全ての幻想を剥ぎ取ったとき生命の存続しなければならない理由などどこにもないからだ。絶滅しても問題ないのだ。人間地球上の生命も全て。人間もの認識するとき重要ものだけ見えて、重要でないものフィルターにかかってあまり見えない、聞こえないようにできている。この区別がなくなるのだ。

ただ絶滅は「しなければならない」というものではなく「別にしてもいいよ」程度のものなので、絶滅しなくても問題ない。この世にこうでならないといけないことなど何もない。

から別に幻想でもいいのだ。幻想でなくてもいいのだ。どうでもいいのだ。したいようにすればいい。なるようにしかならない。

だったら俺はこの世界でこうする!

  • 中国のその辺の政策はむしろ血筋の違う多民族を、一つの文化でまとめようという発想なような。 ヨーロッパもそうだけど、大陸で平地地方の彼らは、民族移動が多いし、いくつかの民...

    • という増田が書いたような事実を、隠蔽しようというようなやり方が近代国家の創世記にはあったってこと。 もちろん現代では新しいステージが来てるのか、変わりつつあるんだけど。 ...

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