はてなキーワード: ナスとは
見ても読んでもいない奴の雑多な愚痴と自分語りなので
お好きな方と良識的な方はそっ閉じしてください。
縄と蟹の次に出たあれの周りの話をする。戦車でもなく。
まず原作者の話をする。それから反応と原爆の話。
一応こうの史代は読んだんだよ。「夕凪の町 桜の国」って本だけ。
良いには良いんだろうけど、あれ言うほどすごいか?
俺マンガ全然読まない人生だったから正直わからん。
あれなんで登場人物を上から写すコマが多いの?
「町の中で生きている一個人」であることを強調するため?
だとしてもあれほど多用されるとかえって作品世界に入りづらかった。
一度同一化させた上で俯瞰を使うと逆に受け手が引き込まれる、というのは分かる。
でも同一化できないまま俯瞰連打だと本当に他人事にしか見えない。
「桜の国」の回想で字や細く薄くなる部分も、
回想であることを視覚的に表現しているんだとしても
描写の細かさが普段のコマと変わらないから単に見づらくしただけに見える。
トイカメラとトイカメラ風加工アプリの違いっていうのかな。
それぐらい回想が鮮明な記憶だったから?だとしてもギャップは付けないと伝わらなくない?
すごいがんばって勉強して書いたんだなあとは思うけど
マンガとしてあれがめちゃくちゃすごいとは思えなかった。
もっと手塚治虫とか読めばすごさが分かるのかな。
別のコマで伏線がどうとか時代考証がどうとか言われてもだからどうしたとしか思えない。
何が描かれてるかじゃなくて、どう描かれているかの話が俺には大事だ。
つか、同時に借りた高野文子「絶対安全剃刀」の方がすごかった。
バカな俺でもすごさが分かった。観音様のやつヤバい。なにあの出だし。
おばあちゃん閉じこめたシーンとかも実に恐ろしかった。
こういうこと書くと高野文子ファンに迷惑だろうけど。
んで、こういうこと書くと
「感性の違いなのかな^^;」
「歳を取ったらわかってくることもありますよ(笑)」
みたいなマウンティングゴリラズが出てくるわけじゃないですか。
そりゃあ信者死ねになるでしょう。
説明する気もなく「わかってる俺たちすごいな!」「流石だな兄者!」の内輪ネタの踏み台にするだけなんですから。
この構図を作られると作者が一番不憫でしょう。
でだ。
こないだクラウドファイティングがどうとかいう記事あがってたわけだ。
公開前の「宣伝が少ないのは情報操作だ!!!」もバカじゃねえのと思ってたけど。
「まるで理解できない感性。」
「増田はもう見なくてもいい。その分俺がいくから。」
「繊細チンピラって無敵だよね」
「現実感がテーマでもある作品で現実感を否定するって何見てたのよ」
「自分もエンドロールに載せてほしかったのかな」
こういう「すばらしい作品は骨の髄まで全肯定して崇め奉れ」とわめくボケナスどもは
作品それ自体に対しても有害だって気づかないもんかね?
そもそもクラウドファンディングなんて内輪ネタの延長線上だから気持ち悪いに決まってんだよ。
誰がどんな作品でそれをやろうと乗っかれなければ「くっさ」としか思えない。
それでも名作だったら、つまり運良く内輪に入れた人たちなら、それはとても気持ちいいだろう。
上にあげたクソボケブコメ群は「内輪ネタへの抵抗感」自体を全否定している。
この作品が良いと思った人は出資者や出資者への感謝を込めたスタッフロールの内輪ネタまでかみしめなければならない、
というファシズムじみた押しつけが発生している。
「映画は名作だった、でもクラウドファウンディングのノリにはついていけなかった」
こういう感想があっても良いだろ。
というか、そうでなきゃ作品それ自体を評価できたことにならないだろうが!
つーかこのクラウドファンディングで作るって手法、
作品と制作者をきちんと切り分けて読解するのには向いてないと思うんだよ。
作る前から情をかきあつめたり、作品の外側でストーリーを作ったり。
監督の渡航費だってファンディスクというかボーナスステージみたいなもんじゃね?
本来作れなかった作品がこうして生まれるのは良いことだけど、
作品それ自体がきちんと読解しにくくなるっていうのは善し悪しなんじゃないかな。
まぁネタが原爆だったり元プリンスさんみたいなことになってる人だったりで
最初から作品の外側にストーリーを盛る気マンマンだった恐れもあるけど。ねえか。ないと信じたい。
そういえば、原爆関連の小説を書いた林京子に関して中上健次が「原爆ファシズム」という言葉を出していた。
あれはどうも中上と林が同人関係だかで知り合いだったからこそ言えた話らしくて
身内でのゆるいツッコミだったらしいけど。
今回のアレもそのパターンに見えて仕方がないんだよ。
悪いけど俺ボンクラでこうの史代の良さがわからないから。
ここで一段落自分語りを挟むから流してくれ。
関東住みだけど原爆祈念館には数年前行ってきたんだ。
思ったのは、恐怖の力で反戦を訴えても別の恐怖に上書きされるだけだってこと。
なんでわざわざ部屋暗くしてお化け屋敷みたいなライトアップする必要あるの?
正しいことを伝えるためなら手段は選ばなくてもいいってことか?違うだろ。
沖縄のひめゆり?防空壕の語り部も同じ理由で反吐が出る。
大事なものこそ恐怖を使って教えるなよ。地道な理屈を通すべきなんだ。
もちろん「夕凪〜」はそうではなかったし、きっと「この世界〜」もそうなのだろう。
そういうスタンスは応援したい。原作者も監督も主演女優も。
でもそれを受け取る側が「正しいことを正しく言っているからすごい」だと
結局原爆ファシズム作ったのと同じ消費形態になっちゃうんじゃねえの?
何にしてもそうだけど「感動リテラシー」ってやつを身につけなきゃダメなんだよ。
強く感情を動かす何かが本当はどうであるかを見極める能力、っていうのかな。
ゲーセン少女のSS覚えてるか?
ああいうものをネタとして楽しみつつ深入りしない距離感、
あるいはああいうものに蹴りを入れてもかまわない、
とにかく内容や思想と技術を切り分けて考えるリテラシーが一番必要なんだ。
というわけで、誰かマンガとして、映画として評価してくれ。
いい感じの解説あったらよろしく。ネタバレはむしろ大歓迎です。
しかしまあ、作品を作るって大変だよね。
こうやって見てもいない奴にウンコぶつけられたりするんだから。
そこはごめんなさい。
一眼バリバリ使ってる人でも、出来上がった写真はスマホと大して変わらんとか言いはじめて頭痛がしてくる。
そういう人は意味もわからず一眼買って、市場活性化に貢献してくれたらいいと思います。
所有欲を満たすことも大切なこと。どうぞどうぞ。レンズ沼はこちらです。
一番に言われるのは画質の違い。
で、これをわからんと言っている人ははっきり言って一眼レフを使う必要がない人です。
言い換えると、写真を撮るということイコールシャッターを切ることと思っている人。
そういわれてピンとこない人はカメラ向いてない。スマホで撮ってSNSにアップして狭い世界で駄サイクルを楽しんで下さい。
カメラというのは、基本的に全て絵作りがされています。これは例外なく全てのカメラがそう。
細かい話は端折るけど、理由は単純。今の技術では現実に存在する全ての要素をカメラで写しきれるわけがないから。
わかりやすいのはダイナミックレンジや色空間。それでわからんて人は勉強してこい。
さらに、ただでさえ絵作りされている中でデジカメが画像データを作成する上で現像という避けて通れない過程がある。
それをカメラ内でしている人は、さらにカメラメーカーの意図による絵作りがされた写真を撮っていること。
もう少し言えば、RAWデータ撮影、現像という行為をしたことがない人。
つまり、画質の違いがわからんという人はこのあたりにいる人たちと置き換えて支障がない。
メーカーは、撮影された写真を少しでも綺麗と感じてほしくてあの手この手で元の写真をカメラ内でいじり倒します。
その傾向の違いによってメーカーの好き嫌いが別れたりするわけです。
そうして作られた写真を見て、画質の良し悪しを議論しようとしても、それはカメラそのものの画質について議論しているのではなく、処理ソフトの性能について議論しているに過ぎません。
つまり、君たちはカメラの話をしているようでソフトウェアの話をしていたというわけ。
そんなものは同世代のカメラ並べて大差があるわけがないし、スマホがその性能を上回ることがあるのも当然といえば当然。
そうやって作られた写真をさらにレタッチしておりじなりてぃとか言ってしまうのよね。うぇーい。
以上。コレで納得できた人は帰ってよし。
でももし、写真を撮るということイコールシャッターを切ることとから脱したい人は、これから先に目を通しておくことをお勧めする。
頑張ってまとめてもこの長さだから無理強いはしない。早く帰れ。
中級機以上のカメラに備わっている機能で、最近ではスマホでも撮影できるようになった。
それこそカメラの素子(フィルムにあたるもの)の性能と、レンズの性能、絞り、シャッタースピードだけで作られた色すら決まってないデータです。
写真にするのに現像という作業が必要で、その差によっては出来上がりの違いに大きな差ができてしまうもの。
カメラの仕組みを理解していないと結局カメラ任せの現像と同じものかそれ以下になってしまうという、まさに初心者お断りながら基礎的な仕組み。フィルムのままでは写真にならないように、これをしないとそもそも写真は出来上がることはない。
でも写真なんて綺麗ならいいんじゃね?って思った?
おめでとう!その通り!それこそが消費者の本音!クライアントも同じこと言う!言うよねー!
だから最初から言ってる通り、そういう人には一眼レフは必要ありません。
スマホで撮って、あとでぼかしエフェクト入れるのが一番安いし綺麗で簡単。
だけど、表現したい人は違う。
メーカーが作った絵作りに乗って、それが自分の作品だなんて口が裂けても言わない。
最後まで人の作ったものの上に乗っかることしかできない世界だけど、少しでも多くの要素を自分でコントロールしておきたい。
そんな人のためにあるのが一眼レフであり、RAW撮影という機能のついたカメラ。
それで、その基本となるRAWデータの画質は、カメラの性能=価格に基本的に比例する。
それが分かる人のために、高いカメラは存在するし、それがわからない人がどれだけいらないと言ってもなくなることはない。
これはレンズにも言えること。
交換レンズもものによって同等のスペックでも価格が全然違ったりする。
違いがわかる人、そういう性能を求めている人がいる以上存在するもので、それがわからない人には不要なもの。それがわからない人は沼に落ちる。それが分かる人の養分になるために。感謝。
まとめると、出来上がった画質はそれほど大差ないということ。
だけど、そこに至るまでに通る道筋や目的が全然違うのだから、そもそも議論が不毛だという結論。
それがわからない人間だけがとやかく言っている問題で、プロが見分けられなかったからって、それはそれで優れた性能ですねって言うだけの話。
もちろんダイナミックレンジやノイズ量、ボケ味などカメラの価格に比例して有利になるものはある。さらにこれは光学的な問題なので物理的に解決することはできない。
ただ、それだからといって写真的に優劣が生まれるかどうかは別。
特に写真には撮影者と被写体の関係性が色濃く現れるもので、写真の評価はどちらかというとそちらに重点を置かれる場合が多い。
そうなればそもそも画質に対する議論なんて不毛そのものでしかなくて、つまりは撮りたい写真に応じた機材を選べばよいということになる。
ただし、そうしたコンパクトで安価なカメラやスマホに比べて、基本的に高級なカメラには圧倒的な違いがある。
決定的瞬間とはまさに瞬間である。
その瞬間を逃さないためには、カメラに高い信頼性が必要となる。
起動の速さ、ピントの精度と速度、連射速度、バッファ枚数、カメラにおけるシーン判断力、あらゆる要求に答えるシャッター速度、暗所における感度とノイズ量、長時間露光に対するカメラの安定性、カメラの操作性、要求に応じたカスタマイズ性、過酷な環境下で耐えられる堅牢性、、、数え上げればまさにキリがないほどの機能がカメラには集約されている。
それに価値を見いだせない人間にしてみれば、高級カメラを買うということはまさに無駄遣いでしかない。
しかし、様々な環境下で失敗の許されないプロが機材を選ぶとするならば、どちらを選ぶかは言うまでもないことだ。
様々なプロがいる中で一眼レフを選ばないプロも当然存在する。それはつまり自らのニーズを正確に判断できているからの選択であって、だからといってプロすら一眼レフを必要としないという結論にはなるわけもないのだ。
カメラメーカーもその辺を曖昧にすることで素人に高級機を売ろうとするのもわかるが、そろそろこんなつまらない議論には終止符を打って頂きたい。
結局はこの辺のことを理解できない層が虚栄心やら妬みなんかの薄汚い感情で、目を輝かせる初心者立ちを追い払っているのが現状ではないか。
そもそも機材は自由だ。
自分がいちばん使いやすいもの、愛着を持ったものを使うのが一番だ。
それでもし、進んでいく先に不満や問題を抱えたのであれば、具体的な悩みを持って色々なお店や信頼できる経験者に相談してみるといい。
もしかしたらそれはカメラではないかもしれない。でもとにかく探すことが大切だ。
カメラ店以外にも、色々な思いつく限りの売り場を回ってみよう。
そうしてはじめて、自分の表現を自分でコントロールしていると言えるようになる。
それは、どんな高級なカメラを使って表現者を気取ることよりも大切なことだ。
はじめに、写真を撮るということイコールシャッターを切ることではないといったのはそういうことだからだ。
表現とは道具の選び方から始まっているし、被写体との関係の築き方、撮影状況に合わせた機材の選択、そのための下見や事前準備、現場に合わせた状況判断、一瞬を逃さないための機材の習熟度、撮影後の現像による仕上げ、人の目に見せる瞬間の演出、運など、数え切れないほどの目に見えない労力を投じてはじめて完成に近づけるものなのだ。
あとの言いたいことは前回とおんなじだ!
「ナスビ」を差別用語とし続けることで、「ナスビ」ひいてはそれが指し示す「茄子ヶ原一族」自体を永遠に侮蔑の文脈と結び続けているから、そういう日は来ないだろうね。
さらに言うと、茄子ヶ原一族自体に、「ナスビ」を自称する人が少なくなくて、「いや俺ナスビだけどミカンじゃねえよ」「ミカンって言われる方がイヤ、普通にナスビって言え」なんて層がいるんだよ。
そりゃあそうだ。単なる名字の省略の方が本人たちもわかりやすいし、そのシンプルな省略形じゃなくて全く関係ない「ミカン」という用語を使わされること自体が、
だから、この部分に一切意味がないどころかむしろ有害であると言っているんだよ。
「ナスビは茄子ヶ原一族に対する侮蔑語だから使ってはいけない」という決まりにしたら、この決まりは未来永劫に亘って周知し続けなきゃいけないね?
だって、周知し続けなきゃ「茄子ヶ原」なんてのは長いから、誰かが不意に「ナスビさん」って言っちゃうもんね。
そうして、「茄子ヶ原一族は『ナスビ』という呼称で差別されうる存在である」と子孫代々伝承し続けることになるの。
そういうふうに伝承され続けている以上、個人的な怨恨や喧嘩などをきっかけにわざと侮辱的に「ナスビ」を使う人間も出続けるだろうね。
文脈としてそれに侮蔑がくっついているんだから切り離すしかないだろう。
別に「文脈から切り離せば侮蔑が消え失せる」という話じゃないんだぜ。
それはそれとして侮蔑の文脈とつながった呼称を使うのはやめろ、ということだよ。
誰もがまず「差別をやめろ」と言ってるだろ?
http://b.hatena.ne.jp/entry/zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160919-00000024-sasahi-soci
盛り上がってるね
見てると医療制度に対する誤解が蔓延していて、それが難民が増える理由にもなってるんでつっこんでおくことにした。
タイトルの話なんだけど、お前らさ、「どうでもいい」っていったらどういう治療されると思う?放置されると思う?テキトーな治療されると思う?
答は同意書のいらない範囲で全力を出されちゃうなんだなこれが。はっきりと治療を拒否されればそれで終わるんだ。でも「どうでもいい」って治療拒否じゃないんだよ。同意でもない。
だから困る。
老人は死にたい死にたいとよくいうじゃん?それで看取りのための書類を揃えようとするじゃん?でいざ本人の同意とろうとすると
「どうでもいい」
今の医療は医者のいうがままなすがまま秋ナスはおいしいですねじゃなくて、患者の自己決定権を尊重するから場面場面で患者の同意の記録がいるんですよ。
だからリビングウィル(事前指示書)を作って、それに同意をですね
「どうでもいい」
どうせっつーの
よく批判のタネになるいわゆる特濃医療は、本人や家族の希望ではなくて、意志決定できないから特濃医療をせざるを得なくなってるケースがたくさんあるというのは意識されるべきであろう。
ナスといったら中華を思い浮かべてしまうのだが、油を吸わせないと硬くて結果的にカロリーを摂り過ぎてしまうからあまり好きではない。
そう思って調べてみると、蒸しなすが美味しいらしい。しかもレンジで簡単とのこと。
この辺をあわせて何とかヘルシーにできないものか考える。
・・・イケる!
鶏胸肉300g
ナス中4本
お酢大さじ3
ごま油大さじ1
これで約3~4人前
手順
ナスのヘタをとり、縦に半分にカット。やや細長目に乱切りする。
カットしたナスをボール移して全体が浸かるくらい水を張り、塩を小さじ1落として5分程度なじませる。(むらなく浸かるようにたまに混ぜる)
その間、手鍋にお湯を沸かしておき(臭いが気になる人はネギの青い部分を入れる)、鶏胸肉を厚さ1cm程度の一口大にカットする。(カロリーが気になるので、余計な脂分と皮は取り除きます。)
塩小さじ1、片栗粉大さじ1をかけ、全体に馴染むように手でもみこむ。
お湯が沸騰したら一旦鍋の火を止め、揉み込んだ鶏肉を入れ再度火をつける。
菜箸で鶏同士がくっつかないように軽く切りつつ、20秒ほどでまた火を止め5分放置。
大きめの皿に水につけておいたナスを軽く水を切りつつ移し、ラップをふわりとかけて電子レンジで6分間あたためをする。
そのまま食べてもいいし、一晩冷やしてから食べてるのもオススメです。
油で炒めないのでヘルシーだし、なにより汗をかかずに料理ができる!
鶏肉は余熱と片栗粉で作るので胸なのにプルっとしっとりな食感を楽しめます。
夜は温かいまま晩酌に、朝は味の染み込んだ冷えたものをご飯のお供に。
火加減気にせず男でも簡単につくれる手軽さ。
嫁さん大助かり。第二ラウンドでもナス大活躍!ごめんなさい童貞です。自分じゃ役立てない少子化の歯止めに役立ちたかったんです。
まさに今晩おすすめです。
この時期の天皇陛下のお食事には、高野豆腐とかオクラのお浸しとか出るのだろうか?
さすがに煮込みハンバーグやとんこつラーメンは出ないと思うが、
ナスの煮浸し、宮崎の冷汁、そうめん。夏バテで食が細くなるこの時期はとにかく
食べることが大事。しかしお年を考えると二郎のニンニクマシマシなんて食べられないし
体にいいはずがない。
そうめんが出るとして、一番好きな薬味を知りたい。
でも正直、みょうがだけはやめてほしい。
自分が嫌いなので真似できない。
とにかく、陛下は国賓が来れば晩餐会で胸焼けがするような豪華料理を主賓とともに楽しまねばならない。
我が家ではタイの高級香り米こそ至高のコメということでよく買っているが、外国産のコメを無視する人が多いのは当然だと思うよ。どこでも売ってるわけじゃないし、割高だからね。
というコメントに影響されてコストコでジャスミン米を5キロ買った。2500円くらいだったかな。ちょっと高い。
が、超便利。軽くすすぐだけ、浸水時間なしで炊ける。炊飯器でも美味しく炊ける。炊けてくると香りが部屋中に広がって幸せになれる。
お腹すいたら炊飯器でジャスミン米を炊いてイナバの缶詰のタイカレーをかけるだけで本格タイカレー。
あ、もちろん海南鶏飯とかチャーハンとかナシゴレンとか豚肉とナスのガパオとか自分で作るために買ったんだけど、買ってから気づいたのさ。
最高だわ。ありがとう。