はてなキーワード: ドラッグストアとは
今年の夏は、意識低い系コーヒー愛好家として実売価格200円前後のリキッドコーヒーを何種類か飲み比べてみた。
100円以下のペットボトル入りのコーヒーはあまり美味しくなかったのだが、200円前後から味が変わるようだ。
300円以上のリキッドコーヒーにも興味はあるのだが、家計的に常飲するには高いので、あえて手を出さないように努めている。
色々と飲んだ結果、現時点ではスジャータめいらく ブラジルブレンドコーヒー 無糖 1000mlが安い割にバランスのとれた味で常飲向き、という結論に達している。
以下、飲んだコーヒーの講評:
一方で味は、薄い割に強烈に後を引く苦味が……個人的にブラックで飲むのはNGで、要牛乳だと思う。
近所の別のドラッグストアで税抜き89円と、100円前後の価格。
味は、200円前後のコーヒーと比べればやや薄めだが、バランスが取れている範囲で適度な苦味あり。100円前後でこの味は結構良い。
氷たっぷりのアイスコーヒーや、カフェオレのベースにしても大丈夫なように、全体的に濃いめになっている。真夏に氷をたっぷり入れたアイスコーヒーにして飲むと美味しい。氷なしでブラックで飲みたいなら、少しだけミネラルウォーターで割るとよい。
全体的な傾向として、スジャータめいらくのリキッドコーヒーは、しっかりとした苦味が感じられる味だと思う。
概ね税抜き198円で売っている。
そのままブラックで飲んでもちょうど良い濃さで、苦味控えめでやや酸味あり。
偶然にも、限定製造品の売れ残りを税抜き198円で購入できた。
同じキーコーヒーの198円のリキッドコーヒーと比較すると、少し味が濃いめ?
キーコーヒーのリキッドコーヒーは、傾向として少し酸味が強めな気がする。
スジャータめいらくのリキッドコーヒーと比較すると、苦味控えめ。キーコーヒーのリキッドコーヒーと比較すると、酸味は強くない。苦味と酸味は抑えめだが、味は薄くなくて、バランスが取れていて飲みやすいと思う。
なぜか成城石井とは無関係のはずのドラッグストアで税抜き298円で売っていた。
苦味と酸味のバランスが取れていて飲みやすい。UCC COLD BREWよりはコーヒー感が強めだと思う。
美味しいけど増田的にはお値段高めで、常飲は厳しい。
かかりつけの診療所は、ワクチン入荷の見込みがないとのことだったので、近いけど院長がドS過ぎることで有名な個人病院で受けることになった。
接種室はすごく最適化されていて、流れ作業でパッパと注射を済ませられるようになっていた。そして接種担当者は案の定院長で、予想通り
「お待たせしましたぁ」
と、すごいいい笑顔。この人、患者が苦しむ顔を見るのが大好きなんだ……。自分も経験あるけど、ちょっと大きめの怪我で受診すると院長すごく楽しそうに応対してくれる。「ほら、ここが痛いんでしょ、ほらほらほら痛いよね?」と笑いながら捻挫した足首にグリグリ親指を捩じ込ませてきたりとか。
そういう人なので、予防接種なんかもう飽きるほどやっただろうに、全然飽きが来てない顔で笑っていらっしゃる。
接種はシステマチックにすぱすぱと進んでいった。院長は楽しそう。今回の患者の中にはかつてこの病院に何かで通っていたらしい若者が二人いたらしく、院長は「そうだよねーみんな成長するんだ」と声を弾ませながら、注射針をぶっすー射していた。懐かしがられた青年二人は二人ともノーリアクション。いつかはお世話になりました! 的なテンションの上がりかたはしないらしい。
注射は思ったよりは痛くなかったが、針の刺さるところを見たら肩の皮膚に対して垂直に針が刺さっていて、なんかインフルの予防接種とはちがって、なんか心にくるものがあった。あと、昔、手術後に麻酔が切れたときに打たれたちっとも効かない痛み止めの筋注を思い出してトラウマがちょこっと刺激された。
15分その場で待機してから病院を出た。帰りにドラッグストアとスーパーに寄ったが、1回目だし何か対策をするほどの困難には見舞われないんじゃないかなという気がしたので、生活品と食料だけ買って帰宅。
注射後三時間までは、何ともなかった。針なんか刺したかしらん? というくらい、何ともなかった。だが、三時間を過ぎた頃に、急速にテンションが下がっていった。それが悪いというよりはむしろ、自分にとっては朝からのテンションの高さが異常だったのではないだろうか? 待ちに待った予防接種に、遠足前の小学生くらいに浮かれていた。
それが、スンッと一気に元の万年ダウナー系に戻った。と同時に、肩の注射をした周辺がじわじわ痛くなってきた。だが、痛さレベルは、点滴の、金属で出来た針に蝶々の羽みたいな黒いののついたやつで、盛大に失敗こかれて皮下にパンパンに点滴液が溜まったくらいだった。全然耐えられる気がした。数年前の手術後に試される二週間の入院生活を送った、あのときの点滴地獄よりはまだマシ。
夕方、気分がすっとんとんに低まったあとでチビッ子達の遊び相手をし、神経衰弱やハイ&ローで気分があげぽよになった頃、ちょっと肩の痛みが増す。そしてまた万年ダウナー系に戻る。
夕飯後にネットニュースを見ていたら気になるトピックに脆くもハートをへし折られ、人生の先行きが心配になってこの世の終わりを感じ恐怖に襲われる。いっそ、チビッ子達とトランプ遊びに興じたときのメンタル最高点でポックリ死んでいれば幸せだったのでは? という気がしてくる。今日は予防接種を打ったこと以外は特に珍しいことは何もしていないのに、ハード過ぎる8連夜勤残業ありで死にそうになった時くらいメンタルが堕ちてしまった。
気分を持ちなおせず、チビッ子達の前では空元気を出し、震える声と指をなんとか抑えつつ、絵本を読み聞かせる。
こう、メンタル激落ちした時にはよくあることだが、お腹がゴロゴロと嫌な音をたてはじめる。トイレに行くと緩くて臭いウンコが出た。なんならオナラも激くさい。メンタル激落ちのときのいつものパターンにすっかりはまり込んでいることを悟る。
メンタルが落ちているから腹が下るのか、腹が下るからメンタルが落ちるのか、びみょう。と、このパターンのときに必ず思うことをまた思ってしまっている。なんでこう律儀に、定石をなぞってしまうのか。
家族が寝静まった。チビッ子達に両サイドを挟まれているから、というだけでは説明のつかない、地味な体温の上がりっぷり。検温したら、36.9℃だった。同じ体温計で測る平熱は36℃にギリ届かないのを思えば、微微微熱かなあ? というところ。
誰かと不安を共有したい気分になって、スマホで愛用のSNSを複数訪れてみたが、こういう時に限ってタイムラインやスレッドの動きがとても鈍い。
そんななかで、Twitterで好きな絵師さんがたまたま、以下のようなツイートをしていた。
「注射後に接種箇所が少しだけ痛んで、なんか少し熱があるかな? と思って検温すると平熱よりも少し高いくらい。それから微熱の数時間が少しあるというのが、ファイザーを接種した人にありがち」
そういえば、自分の接種されたワクチンもファイザーのだった。予防接種を予約するとき、ワクチンの種類は選べない状態で、しかもどこ製のものを射たれるのかは知らされていなかったので、ワクチンの特性とか何も事前情報を仕入れていなかったので、へぇ……と思った。
今は足の裏と喉の奥がなんかほかほかする。たまに臭いオナラが出る。お腹は若干ゴロついている。注射あとは、点滴失敗よりも痛くなった。ちょっと寝返り打とうとするだけで痛い。手を真上に挙げるとかなり痛いが、「腕を挙げられない」というほどではない。激落ちメンタルは、こうして文字をポチポチ打っている間にやや平静になってきた。だが、もしも独居生活をしていたら、文豪でもないのに「漠然とした不安」に死なされそうなくらいには、ヤバい所をさ迷った。家族の誰にも激落ちぶりを悟られなくてよかったけど。
さて、好きな漫画でも読んで寝るか。
ドイツの事例
・スーパー、ドラッグストア、薬局、ガソリンスタンドなど生活に必要な店以外すべて営業禁止。散髪屋すら✖。
・学校はすべて登校不可
これを半年くらいやってた。それでも減らなかった。陰性証明提出のための抗原検査が週に一回まで無料なので、これが日本が真似できる「全員PCR」に近い事だと思うけど、効果があった/あるのかは疑問。ワクチン接種進んでやっと感染者減った。最近また増えてきてるけど・・・。日本のクラスター戦略真似して濃厚接触者のPCRも追える範囲でやってたけどそれで陽性出た人も普通にスーパーとか行ってたし。
日本在住者全員同時にPCR検査できてなおかつその精度が100%だったと仮定して、見つけた感染者をどうするの?強制入院させたら人権ガー言われるし、そもそも感染者全員入院させるキャパシティーもない。PCRで陽性出た人も結局野放しで普通に買い物行ったり、なんなら陽性だったのを隠して出社・飲み会する人もいるだろう。
結局1人1人が三密を避ける、手洗いうがいしっかりする、サージカルマスクかせめて布マスクをするという基本的な事を守るしかない。そしてこれを医療関係者が口を酸っぱくして言ってるにも関わらず守らない人が多いせいで感染が広まる。有識者とやらは検査したから解決する問題じゃないと分かってるから今さら言わないだけでしょ
東京は国や都や区がやってる接種センターもあるし職域接種も地方に比べればあちこちで実施されている。それなのに何で行列ができて大騒ぎしてるのか理由を考えたら、日本の若者が劣化しているとしか思えなくて暗澹とした気分になった。
身の回りに未接種の人がいたら何で打たないのか聞いてみてほしいのだが、「どこで打てるか分からない」「予約の仕方が分からない」と言う答えが返ってくることも多いだろう。ネット予約ができないのは老人だけでなく、若者も同じである。
現地に足を運ぶ、列に並ぶ、ならなんとかできる。でも調べる、入力することはできない。残念だ。
「めんどくさい」という人もかなりいるだろう。自分や周りの人が感染するリスクがあるにも関わらず、怠惰を優先する。残念だ。
行列に並ぶことがエンターテイメントだと思っている若者はかなり多い。iPhoneの新機種発売日やタピオカはそれそのものが目的でなく、親しい人と行列に並ぶ体験を買っているようなものだ。
若者と書いたが、マスクを求めてドラッグストアに列を成していた老人も同じだろう。命がかかっているワクチン接種ですらエンターテイメントと同列に扱う。残念だ。
ドラッグストアにて。
レジは1つだけ開いていて、自分の前にはやや高齢の女性が会計を行おうとしていた。
レジ係が女性の買い物カゴにあるバーコードをすべて読み取り、「お会計〇〇円です」と言った後、
女性は「ところで『増田印の洗剤』って置いてないのかしら?前ここで買ったんですけど」と言い始めた。
レジが終わった後に言うなよ。そもそも、レジ係に聞くなよ。洗剤売り場の担当者に聞けよ。
店内放送が鳴り、もう一つのレジが開かれて自分はそちらのレジで会計を行った。
背後ではババアが「棚を見たけどなかったのよ、『増田印の洗剤』。前ここで買ったんですけど」などと押し問答をしており、
別の店員を呼んで、『増田印の洗剤』の有無を調べてくる流れになったようだ。
自分が会計を済ませてサッカー台で荷物を詰め終えようとしたとき、調べ終わった店員が戻ってきたようだ。
店員が言うには『増田印の洗剤』はメーカーがすでに生産終了していて、取り寄せもできないとのことだった。
で、それを聞いたババアは「あら、『増田印の洗剤』ってとてもよく落ちて重宝してたのに。前ここで買ったんですけど」
いや、生産終了って言ってるだろ。
このババア「前ここで買ったんですけど」と何度も言う。
静かな夜だった。
幼い娘が電気を消して欲しいと言うから、わたしは寝室の常夜灯を消して、ベッドに横たわる彼女の隣に寄り添った。
「ママ、苦しくない?」
娘はそう言うと、チューブを自分の鼻から外して差し出した。わたしはそれを受け取らず、代わりに小さな手を握り返した。
「お母さんは大丈夫、もう少し吸っていなさい」
そう言うや否や、自分の肺の底から咳が込み上げてきた。身体を反転させ、娘に背を向けて咳き込んだ。
同じ病気にかかっているから、こうすることにたいした意味はないのに。
わたしは枕元のチェストに置いたティッシュペーパーをとって痰を吐き出した。
薄闇の中で、それはどす黒い血のようにも見えたが、さすがに気のせいだろう。
娘は健気にわたしの背中をさすり続けた。その柔らかな皮膚と荒いスウェットの生地が擦れる音は、世界で一番優しい音だと思った。
幼な子の咳は軽やかで愛らしいけれど、自分が重たい咳を吐き出すときよりもよほど強くわたしの胸をしめつけた。
......あのとき帰省しなければこんなことにはなっていなかったかもしれない。ワクチンだってまだ打ってなかった。
そのことを娘に詫びると、彼女はこう言ったのだ。
「そうだね、流れ星も見れたね」
あの夜、星が天球の上を一筋に流れたとき、とっさに願ったのはこの子の幸せだった。
「ねえ、ママ、お水が飲みたい」
「待ってて」と言って、わたしは橙色のルームランプをつけ、スリッパを履き、ベッドから立ち上がった。
足元には、フローリングを埋め尽くすほどたくさんの観葉植物が並べられていた。
わたしたちの感染がクリニックの外来で証明されて、だけれども入院できる施設がどこにもないと知ったとき、帰りに立ち寄ったドラッグストアで買ったものだ。
髪の薄い男性店員が、眉を八の字にして申し訳なさそうに宣告した。
だったらどうしたらいいのよ! といつものわたしだったら食い下がっていた場面だろう。
もうそんな元気がなかったのもあるし、何より社会全体が何かを諦めてしまったかのようなムードに包まれていたから、わたしは何も言えなかった。
調剤室の前のベンチにはたくさんの人が座っていた。
みんな、まるで負けることを知った試合を消化するチームメイトのように、うつむいて、冴えない顔つきをしていた。
結局、わたしたちは酸素ボンベの代わりに、たくさんの鉢植えを買ってきた。
植物が光合成をしてくれたら、部屋の酸素濃度が上がるかもしれないという、浅はかな考えだった。
ドラッグストアからの帰路、緑を満載した赤いコンパクトカーの後部座席で娘は咳き込みながら笑った。
「また行きたい、フラワーパーク」
「うん、行こうね、必ず連れていくよ」
返事はなかった。
白いマスクと、冷えピタシートに挟まれた可愛い目を細めて、彼女はそのまま寝てしまったのだ。すーすーと穏やかな寝息を立てながら。
わたしは安堵して、赤信号が青に変わったのにしばらく気がつかなかった。発進を急かすクラクションがやけに遠くから聞こえた。
あれからまだ三日しか経っていない。いや、二日だったか? すでに、寝室とダイニングキッチンを往復するだけでも身体が重く、息苦しい。
洗っていないコップに水を注いで、一口飲む。
水はもとより味がないから助かる。
昼間に食べた卵がゆは、まるで湿地帯から採取した粘土のようだった。まだ喉の奥にひっかかっている気がする。
味が濃いはずのものを口にして、その風味を感じられないことがあんなに不愉快なこととは知らなかった。
昼間に洗って水切りかごに伏せておいた子ども用のプラスチックのコップに水を注いで、寝室に戻った。
ルームランプに照らされた黄色いコップには、アニメのキャラクターがプリントされていて、屈託のない笑顔を永久に固定していた。
娘はマットレスに手をついて起き上がると、壁にもたれかかって、コップの水をゆっくり飲んだ。
枕元に転がっている酸素ボンベをちらりと見る。これが最後のボンベだった。
フリマアプリで、とんでもない高額で取引されていたものだ(たぶん違法だ)。だから何本も買えなかった。
配送を待っていられなかったから、車で片道二時間かけて取りに行った。古い戸建てに住む、中年の男性だった。
まいどあり、と言ったあの笑顔が、がたがたした歯が、家の臭いが、忘れられない。
......彼は一体どうやってあんなにたくさんのボンベを手に入れたのだろう……どうだっていい!
帰りの高速では意識が朦朧として、事故を起こしそうになったっけ。
黒光りする筒の頭の部分におもちゃみたいなメーターが付けられていた。針は、かなり傾いていた。
パルスオキシメーターで測定したわたしたちの酸素飽和度は、故郷の山の、空気の薄い山頂にいるくらい低い。
どうりで頭がぼおっとするわけだ。
N-95マスクをつけた医師に、少なくとも一分間に五リットル以上の酸素は必要と言われたが、もったいないからもっと絞って使っている。
酸素に味はないけれど、吸えば少し楽になるのがわかる。
「美味しかった」
娘がコップを差し出した。まだ水は半分も残っていた。
もういいの? うん、もういい。
チェストにコップを置くと、ランプを消して二人で横になった。それから娘の体を抱きしめて、小さくて丸い頭を撫でた。
髪の毛は柔らかく、少し湿っていて、甘い匂いがするような気がした。
「ママ、それ、ほっとする」
腕の中で彼女はそう言った。子守唄を歌ってあげたかったが、もう声を出すのもしんどくなっていた。
確かに、わたしの身体は震えていた。でもそれは寒さから来るものではなかった。
「大丈夫、咳を、こらえて、いる、だけ」
声がなるべく震えないように、切れ切れに言って(あるいは本当に息が続かなかったのかもしれない)、わたしは頬を伝う一筋の涙が彼女に落ちないように頭を上の方に向けた。
それにつられて、娘も顔を上げた。
ベッドサイドのチェストの上に窓があった。正方形の小さな窓だ。
ただ今が真っ暗な夜ということだけがわかる。
娘が、ママ、とささやいた。
どうしたの? と尋ねると、彼女は目をつむってこう答えた。
「星が、きれいだね」
わたしは頷いて、
「ねえ、あのとき、流れ星を見て、何をお願いした?」と聞いてみた。
返事はなかった。
小売り店でアルバイト初日に初めて「お店の店員さんも人間だったんだ!」という大発見をしたのがもう何年前か?
その時に感じた衝撃と、店員さんも人間なんだったら優しく親切にしてあげないと・・・という感情を最近忘れかけてしまっている。
最近コロナの影響もあって洋服を買っても着てくところがないので適当に通販で買って済ませたり、さらに東京にも遊びに行けないので通販で買い物したりするので日常生活で接する「お店の店員さん」がコンビニかスーパー、あとはドラッグストアの店員さんくらいしかいなくなってしまった。
スーパー、コンビニ、ドラッグストアの店員さんは忙しいのでいちいち客と雑談なんかしてる暇ないから、人間であることを忘れかけている。
いらっしゃいませ~ポイントカードお持ちですか。
袋はご入用ですか、ありがとうございました。
TSUTAYAとかファミマは完全にセルフレジで店員さんと一言も口を利かずにお会計できるし、セブンもスーパーも最近お金を自分で入れる半分セルフみたいになってるので店員さんがさらにロボットになっていく。
例えば見た目、性別、年齢、収入や立場、国籍、宗教、思想などで差別をしてはいけない、とは思っている。
どちらかというと、差別的な思想を持つことそのものを止めることはできなくても、それを言葉や行動に表してはならない、という感じ。
でも、このところうまく折り合いをつけられないことがある。
例えば、自分は過去にスーパーのレジで高校生バイトっぽい女の子に、カゴからカゴに通した商品を移すときに桃の上にものを乗せられたことや、肉のパックの上に硬いものを乗せられてラップを破られたことがある。
だから、それ以降は高校生バイトの子のレジはできるだけ避けている。
家電量販店で商品説明を聞きたいとき、3,40代くらいの男性店員に聞くととても詳しい説明が返ってくることが多かった。
だから、詳しく説明をしてほしいときは3,40代くらいの男性店員を探してしまう。
両方とも経験則とも言えるだろうけど、本質的には「男性保育士を拒否する」(※これは自分は差別だと感じる)と変わらないような気がしている。
見た目や年齢や性別で能力などを勝手に推定して、機会を偏らせたり損失させたりしているから。
自宅近くの住宅街で、ここ6年で5回は夜道で男性に声をかけられ付いて来られたり、行く道を立ち塞がれたりと、怖い思いをした。
一人暮らしなので家についてこられるのではと恐ろしくて、そういう日は毎回、家を通り過ぎて大きなドラッグストアの中を一時間近くうろうろして外を確かめてから怯えながら家に帰る。
だから、夜にコンビニを出たところで親切に落とし物を拾って声をかけてくれた男性にも、最初ビクッとして身構えてしまう。
これは経験則と言っていいんだろうか。それとも、夜に男性というだけで警戒する、差別?
経験則があるから防げる事故や事件やマイナスの事態は、ものすごく多い。
線引きはなんだろう。人間に対する経験則は、偏見で差別なのだろうか。
「あの人は対面会議より事前に意見をメールで出してもらった方がいいものが出る」みたいなのは違うから、それも違う気がする。
なるべく差別的な行動をしたくはない。無自覚にしてしまっているものがあるとしても、できればそれを直して生きたい。
でも、自分はもう桃を潰されたくない。