はてなキーワード: セロニアス・モンクとは
ウーバーが委託料値下げするなんて報道されてギグワーカーの生活が不安視されてるけど、ワークをGIGにしちまう現実の厄介正規労働者も大概なんだよな…。
経理部長から顧客A社からの売掛金が数億円滞留してるから調べろって言われて、見てみたら五年位掛かって増えてる増えてる訳よ。で、中身を精査すると工事進行基準に伴う未請求売掛金。
この工事進行基準に伴う未請求売掛金ってのは…細かい誤りを恐れずに言うと、取引規模がデカい案件の場合には案件完了して売掛金ドカンと入ると会計上困るから、形式上案件の進捗に応じて売上が計上された事にしろって制度ね。で、案件が終わってないから未請求だけど、案件終了時には請求して本物の売掛金になり消える事になる訳だ。まあデカい案件が取れれば発生しててもおかしくない。
おかしくないんだけど、それが5年も連続で増え続けるってのは、どっかの桜田ファミリアでも造営してるんじゃないと不自然なのよ。しかも大体の場合、当社の顧客って長くても3年位でプロジェクトはひと段落する訳で。
更に帰社した同期のA社担当に話を聞いてみると、「A社の案件は細かな改修が多いし原則直ぐ締めて払うから、売掛金の滞留はない。あと大規模プロジェクトとか聞いた事がない」って言う訳よ。
で、A社担当してる部を統括してる本部の本部長に、「未回収売掛金は過去5年分あります、大半は工事進行基準の未請求売掛金です」と証憑を送ったら流石に青い顔してたな。
そっからはA社担当の部長と部長代理を呼び出して事情聴取なんだけど、「NDAで詳しくは言えませんが大規模システムの引合があり工事進行基準での受注となっていますが回収できます」の一点張り。埒が開かないからA社システム部長へのアポ取りを頼むと「居ません」「空いてません」となしのつぶて。
でも、直接A社と契約してた部長代理の方が、「これ部長の指示で伝票入れてたんで自分は知らないですね」と部長に押し付ける物言いをし始めたのが決定打。部長が全部ゲロって事は露見し、俺らの悲劇は始まった。
お察しの通り、未請求売掛金は架空の請求だった訳だ。動機は原価率の悪い案件をすると社内で詰め詰めされるからで、何とか回避したかったと。でもコストオーバーした原価を他案件に振り向けるだけだと、本部単位の成績は悪くなるしいずれ露見する。
そこで件の部長と部長代理が何をしたかと言うと、コストオーバーした分の原価を架空の案件に付け替える。そして付け替えた原価を、平たく言えば工事進行基準の未請求売掛金に付随させる事によって事実上飛ばした訳だ。
とんだギグもあったもんだぜ、例えセロニアス・モンクでも付いてけねえわ。
結果どうなると思う? 『飛ばされた』原価は『過去に戻る』。当然、過去に遡って売上は消え、原価はのしかかる。おまけに有価証券報告書とか、その他諸々過去5年間に亘って作り直し、計算し直し。しかも東証にごめんなさいして、第三者委員会にあれ出してこれ出して言われて、まあ連日タクシー帰りよ。
第三者委員会報告書の提出が終わった後、ソープで久々にお気にの子を指名したら「そうなんだ、私大学で会社法勉強してるから大変さ分かるなー」と思わぬ告白とともに「えいっ♡」って声と共に奇襲。あっ、後ろは俺も経験ないってのに…
あっあっそれギグゥ゙🥺
和田誠と村上春樹のジャズ名鑑『ポートレート・イン・ジャズ』で取り上げられているアルバムをApple Musicで探してみたところ、ほとんどのアルバムが見つかった。見つからなかったものは、アーティストページにリンクしてある。アルバム単位では見つからないものでも、アーティストページに移動すればわかる通りかなりの音源が聴ける。ジャズに限って言えばApple Music最強ではないだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20150214223556
これからジャズ聴きたいっていう人に俺がオススメできるアーティストを10人選ぶならこんな感じ。
マイルスがジャズの歴史の中心にいたことは間違いないのだが、彼のサウンドは案外ジャズ初心者にはとっつきにくい。マイルスがジャズの最先端を切り開いて、偉大なフォロワーたちがそれをうまく消化&昇華してスタイルを定式化させていったのであって、そうして洗練されていったものを聞いたほうが入りやすいと思う。俺は今プロでやってるが、若い頃マイルスを聞いてもピンとこなかった。「マイルスを理解できなきゃ本物じゃない」という雰囲気があったから、マイルス分かってるフリしてたけどな。リズムセクションの凄さだけは強烈だった。さんざんジャズをやってきた今マイルスを聞いて初めて彼の音楽の時代性が分かり、当時いかにインパクトがあったのか、そして彼がどれだけ偉大なバンドリーダーだったのかが分かる。まあ、こういうリストでマイルスを入れるのはお決まりなので、10位に入れておく。
50年代 https://www.youtube.com/watch?v=OcIiu1kQMx0
60年代 https://www.youtube.com/watch?v=x_whk6m67VE
70年代 https://www.youtube.com/watch?v=ryiPO1jQdaw
80年代 https://www.youtube.com/watch?v=4qoNZnWcb7M
風変わりなアーティストだが、その独特なサウンドは好きな人もいると思う。不協和音のようでもあり、全体としては調性に収まっている絶妙のバランス感覚。変てこりんな曲もあれば、ものすごく美しい曲もあって、頭の中を見てみたいと思う一方、まあ感覚が爆発してるアーティストってのはこんな感じだよなとも思う。挙動不審系のパフォーマンスを見ているような面白さもあり、演技なのか本気なのか分からないところがある。モンクはそれを形のある一つのスタイルとして定義できたところがすごい。ジャズミュージシャンの間では別格扱いというか、特別な地位を占めている。
https://www.youtube.com/watch?v=KshrtLXBdl8
この人はすごいよ。メロディーを紡ぎ出す感覚、その一瞬にしか生まれないサウンドを追求する即興へのこだわり、小節をまたがってフレーズを自由自在に展開させるオープンなタイム感、これらを曲の枠組みが明確なスタンダード曲上で展開することで分かりやすさを担保するバランス感覚、それらの全てを可能にする素晴らしいゲイリー・ピーコック(ベース)とジャック・ディジョネット(ドラム)の存在。ただ、彼のもう一つの特徴である「うめき声」には最初戸惑う人も多いと思われるので8位としてみた。ちなみに慣れるとそのうめき声が彼の粘っこい右手のメロディと絶妙に絡み合って彼の音楽の一部に聞こえてくる。マイルスから「天才であるってのはどんな気分だ?」とからかわれたってエピソードがある。すげーレベルの話だ。
https://www.youtube.com/watch?v=io1o1Hwpo8Y
ジャズがエレクトリック系やフリー系に進化していった中で、「ジャズのルーツ」であるニューオリンズ音楽に立ち返り、それをベースにモダンなハーモニーや複雑なポリリズムを取り入れて新たなジャンルを切り拓いた人。ジャズとクラシックの両方でグラミー賞を取ったというとんでもないトランペットの名手でもある。美しい音色と安定したテクニックは卓越している。彼が確立した、「トランペットが張り詰めたソロを吹く背後でピアノとドラムが複雑なポリリズムで組んずほぐれつのインタープレイを展開する」というスタイルは初心者にも迫力があるはず。ちょっと難解な印象も受けるかも知れないが、その場合は彼の率いているリンカーン・センター・ジャズ・オーケストラのニューオリンズ風サウンドを楽しむと良いよ。
https://www.youtube.com/watch?v=poZWg-pVboE
https://www.youtube.com/watch?v=ZBJ-MmTA-eU
ギターが入ってねえなと思ったので、メセニーを入れておく。怒るジャズファンもいるだろう。入れるならウェス・モンゴメリーだ、ジョー・パスだ、ジム・ホールだ、と。まあ確かに、メセニーはフュージョンっぽいサウンドだし、ジャズを構成する重要な要素のうち「ビバップ」や「ブルース」があまり感じられないとも言える。しかし彼の音楽には、聞いていて映画のワンシーンあるいは夢でみたどこかの草原が思い浮かぶような、ビジュアルな美しさがある。その辺は彼の音楽を支えてきたキーボードのライル・メイズの空間的サウンドによるところが大きいが、それがメセニー自身の音楽観、独特なソロフレージングと音色と相まって、ジャズを次のステージに進化させたクレジットはあげていいと思う。音楽理論的には結構複雑なこともやっているのだが、あまり感じさせない。特に変拍子へのアプローチは素晴らしく、「口ずさめる変拍子」「心地よい変拍子」を確立している。その辺の聞きやすさでオススメしておく。
https://www.youtube.com/watch?v=ApI-zA6suXE
https://www.youtube.com/watch?v=gDLcttSAVS0
エレクトリック・ベースの弾き方に革命を起こした人。管楽器並みのソロフレージング、ハーモニクスを使ったカラフルなコード演奏などでベースの役割を大きく変えた。細かい音符を自在に刻む指弾きのグルーヴ感は圧倒的。作曲家としても素晴らしい名曲を多く残している。途中からクスリ漬けになってしまって最期は悪態をついていたところを警備員に殴られて死ぬという劇的な人生だったが、ジャコが好きな人はそういう破滅的な「危ない」ところも愛していると思う。俺はそうなる前にシンガーソングライターのジョニ・ミッチェルと共演している頃の演奏が一番好きだが。
https://www.youtube.com/watch?v=Hbr0hXkArWg
https://www.youtube.com/watch?v=TgntkGc5iBo
ディーク・エリントンでもいい。ビッグバンドを一つ入れておこうと思ってな。本当はサド&メル(現在のヴァンガード・ジャズ・オーケストラ)と言いたいところだが、やっぱり若い頃にサド&メルのビッグバンドを聞いて最初はピンとこなかったから、初心者には勧めないでおこう。ベイシーとか、まあ当時のビッグバンドは、やっぱりグルーヴ感がすごい。当時のダンスミュージックだからね。彼らは四六時中ああいう音楽に専念できてギャラもがっぽり稼いでたから、現代の我々が付け焼刃でビッグバンドやってもそうそう敵わないのが辛い。アレンジ良し、テクニック良し、アンサンブル良し。逆にいうと、そういう時代性もあるから、少し古臭く感じるところはある。俺は好きだけどね。
https://www.youtube.com/watch?v=TYLbrZAko7E
https://www.youtube.com/watch?v=4ZLvqXFddu0
現代ピアノジャズのサウンドを確立したと言っていい人。彼がコードを弾くときの和音の積み上げ方はマジで音楽大学の教科書に載ってるんじゃないかと思う。そういう理論の部分以外でも、彼のやや哀愁を帯びた内省的な音楽性や、ピアノ・ベース・ドラムと対話するように自由に展開する演奏スタイルはとても理知的で面白く、それで多くのファンを惹きつけてると思う。まあ、小説とかにも登場するし、あまり多くを語る必要もない。聞け。
https://www.youtube.com/watch?v=GQwhHdXGFwA
https://www.youtube.com/watch?v=Jl5GDXb2fwQ
https://www.youtube.com/watch?v=FTlKzkdtW9I
やはりジャズに入りやすいところとして一番無難なのは女性ヴォーカルだが、問題は誰を入れるかだ。本当はカーメン・マクレエ、サラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルドといった鉄板の定番を入れたい気もするが、今日現在聞くジャズヴォーカルとしては、ちょっと粋でオシャレな、それでいて正統派のスウィング感をもっていて、テクニックも表現力もあり、ルックスも良く、きっちりセールスも出しているダイアナ・クラールを押す。ただ、このリストの中ではやや異色と言えるかも知れないので、サラ・ヴォーンなどのリンクも貼っておこう。こう言っておきながら、俺は「ダイアナ・クラールが好き」と言うジャズファンには警戒の念を持って、本当に彼女の実力を分かっているのか、うわべだけのシャレオツさで聞いているのかを探ることにしている。
https://www.youtube.com/watch?v=dJHXQAs9vlk
https://www.youtube.com/watch?v=5cZG2WnXPgk
https://www.youtube.com/watch?v=4VHWw9G6_UU
現代テナーサックスのサウンドを確立した人。コードの細分化と再構成、次から次へと繰り出される音の洪水が特徴の一つで、マイルスからは「お前、全部の音をいっぺんには吹けないぞ」とからかわれたとか。まあ、俺としてはそういう音の洪水の部分よりも、ややかすれたような彼のサックスの音色が特徴的で、ひたすら高みを目指す修行者のような人柄を連想させて、聞く人の心に引っかかるんじゃないかと思ってる。「コードの細分化を究極まで突き詰めた先にあったのはコードの制約を取っ払うことだった」という彼のサウンドの進化も悟りの境地に達した聖者を思わせるというところもある。マッコイ・タイナー(ピアノ)とエルヴィン・ジョーンズ(ドラム)もコルトレーンのサウンドをともに作り出す中で新たなスタイルを確立した。この全体のサウンドが俺は大好きなので1位押し。
https://www.youtube.com/watch?v=Lr1r9_9VxQA
https://www.youtube.com/watch?v=xr0Tfng9SP0
https://www.youtube.com/watch?v=YHVarQbNAwU
https://www.youtube.com/watch?v=-mZ54FJ6h-k
以上。
(承前)
http://anond.hatelabo.jp/20150214223556
――スティーヴ・レイシーは独立独歩のソプラノ・サックス奏者です。サックスといえばアルトかテナーだった50年代からソプラノを吹いていました。
Evidence (1961) http://youtu.be/X9SBzQw2IJY?t=5m42s
( ・3・) 面白いテーマの曲だな。真面目な顔で冗談を言っているような。
――セロニアス・モンクが書いた曲です。レイシーはモンクの曲をたくさん演奏しています。一方、ハリウッドやブロードウェイの曲はとりあげない。レパートリーに関しては人文系の古本屋の主人みたいなところがあります。
( ・3・) みすず書房とか白水社とか、そういう本ばかり並んでいるわけだ。
――白水社といえば、レイシーはサミュエル・ベケットと面識があって、ベケットのテクストに基づいた作品も発表しています。
( ・3・) 「真夜中だ。雨が窓に打ちつけている」
――「真夜中ではなかった。雨は降っていなかった」――と、ベケットごっこはともかく、演奏はどうでしょう?
( ・3・) まっすぐな音だな。あまりヴィブラートをかけない。アタックの瞬間から音程の中心を目指している。必ずしも正確な音程というわけではないけれど。ソロのとり方としては、テーマとの関連性を保って、構成を考えながら吹いているように聴こえる。言うべきことだけを言って余計なことはしゃべらない。
――そういう点では、プレイヤーの資質としてはマイルス・デイヴィスに近いのかもしれません。マイルスとも少しだけ共演したことがあるのですが、もし正式にバンドに加わっていたら歴史が変わったかも。 [6]
Reincarnation of a Lovebird (1987) http://youtu.be/FbaKNB4cIlc
――こちらは後年の録音。ギル・エヴァンスという編曲の仕事で有名な人がエレピを弾いています。この人も指だけ達者に動くのとは対極にいるタイプで、柔らかい音色で中和されていますが、ずいぶん込み入った和声です。
( ・3・) そこらじゅうで半音がぶつかってるな。
――でも美しい。
――昔、レコードを扱う仕事をしていたので確信をもって言えるのですが、日本でいちばん人気のあるジャズ・ミュージシャンはビル・エヴァンスです。マイルス・デイヴィスよりもリスナーの裾野は広いかもしれません。
( ・3・) 俺でも『ワルツ・フォー・デビー』を持ってるくらいだからな。でもどうして「とりあえずエヴァンスを聴け」みたいな風潮になってるんだ?
――まず、彼がピアニストだということ。もしベース奏者だったらここまでの人気は得られません。それから、ロマン派や印象派に慣れた耳で聴いても違和感がないこと。ジャズに関心がなくてもエヴァンスは聴く、というケースは大いにありうるでしょう。最後に、みもふたもない言い方ですが、彼が白人で、細身で、眼鏡をかけていたこと。
( ・3・) 知的で繊細に見えるのな。
――知的で繊細なジャンキーでした。もっとも、最後の要素はなかったことにされがちなのですが……。
――はい。エヴァンスやチェット・ベイカーに深く共感してしまう人は、モルヒネの代用として聴いているのではないかと思います。「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」という有名な曲をとりあげたいのですが、エヴァンスの前に、まず歌の入ったものから。フランク・シナトラのヴァージョンです。
My Funny Valentine (Sinatra, 1953) http://youtu.be/z9lXbgD01e4
( ・3・) 金の力に満ちた声だな。His voice is full of money.
――マフィアを怒らせるようなことを言わないでください。折り目の正しい編曲で、ポップスとしては非の打ちどころがありません。ボブ・ディランの新譜はシナトラのカヴァー集らしいのですが、ディランが子供のころにラジオで流れていたのはこういう音楽です。当時のアメリカ人にとっては、ほとんど無意識に刷り込まれた声と言っていいでしょう。
My Funny Valentine (Baker, 1954) http://youtu.be/jvXywhJpOKs
( ・3・) 出た、いけすかないイケメン。
――チェット・ベイカー。午前三時の音楽です。もう夜が明けることはないんじゃないかという気がしてくる。どんな曲か覚えたところで、エヴァンスを聴いてみましょう。
My Funny Valentine (Evans and Hall, 1962) http://youtu.be/ReOms_FY7EU
( ・3・) 速い。
――速い。そしてちょっと信じられないクオリティの演奏です。ジャズではいつでも誰でもこれくらいできて当然かというと、そんなことはないので安心してください。
――別のテイクではちがうことをしているので、ほとんど即興だと思います。決まっているのはコード進行だけ。
( ・3・) コードの構成音をぱらぱら弾いてもこうはならんわな。自分の頭の中にあるモチーフを発展させるのと、相手の音を聴いて反応するのと――そういう意味ではチェスに似ている。
――この演奏は一対一ですからね。集中力は同じくらい必要かもしれません。しかも持ち時間はゼロという。互いに相手の出方を読んでいるうちに一種のテレパシーが起こって、3分50秒あたりにはふたりの脳がつながっているような瞬間があります。
( ・3・) このギターを弾いてるのは?
――ああ、忘れていました。ジム・ホール。偉大なギタリストです。悪魔に魂を売って人並み外れた演奏技術を手に入れるというブルースの伝説がありますが、ジム・ホールの場合は魂ではなく頭髪を犠牲にしました。
( ・3・) また好き勝手な話をつくって……。
――いえ、本人がそう語っています。ジミー・ジューフリーのバンドにいたころ、どう演奏すればいいのか悩んで髪が薄くなったと。 [7] でも、髪なんていくらでもくれてやればいいんですよ。肉体は滅びますが芸術は永遠です。
( ・3・) ジミー・ジューフリーって、あのドラムのいない現代音楽みたいなジャズをやってた人か。そりゃ大変だったろうな。
持参したCDを一通りかけて、そろそろ日が傾いてきた。彼はライナーノーツをめくりながら「はーん」「ふーん」などとつぶやいていたが、夕食の邪魔にならないうちにおいとましたほうがよさそうだ。
「もう帰るのか?」
「そうか。わざわざ悪かったな。よし、ちーちゃん、お客様にご挨拶だ」
彼はそう言って猫を抱き上げたが、ちーちゃんは腕をまっすぐにつっぱって、できるだけ彼から離れたがっているようだった。
「きょう持ってきてくれたCDは、うちに置いていっていいからな」
「置いていっていい?」
「だってほら、いちど聴いただけじゃよく分からんだろ。そのかわりと言ってはなんだが、シュニトケの弦楽四重奏曲集を貸してやろう。何番が優れていると思うか感想を聞かせてくれ」
まだCDは返ってこない。「返してほしけりゃ取りに来い」と彼は笑うが、その目はハシビロコウのように鋭い。ただ来いというだけではなくて、また別のCDを持って来させる魂胆なのだ。わたしはどうすればいいのだろう? ただひとつの慰めは、彼の娘さん――父親との血のつながりが疑われるかわいらしさの娘さん――の耳に、エリック・ドルフィーやオーネット・コールマンが届いているかもしれないということだ。サックスを始めた彼女の頭にたくさんのはてなが浮かばんことを。
http://www.nicovideo.jp/mylist/34787975
[2] http://www.nytimes.com/2009/10/18/books/excerpt-thelonious-monk.html
[3] http://nprmusic.tumblr.com/post/80268731045/
[4] Frederick J. Spencer. Jazz and Death: Medical Profiles of Jazz Greats. University Press of Mississippi, 2002. p. 36. "A diet of honey is not recommended for anyone, and especially not for a diabetic, or prediabetic, patient."
[5] http://www.furious.com/perfect/ericdolphy2.html "'Eric Dolphy died from an overdose of honey,' arranger/band leader Gil Evans believed. 'Everybody thinks that he died from an overdose of dope but he was on a health kick. He got instant diabetes. He didn't know he had it.'"
[6] http://www.pointofdeparture.org/archives/PoD-17/PoD17WhatsNew.html
[7] http://downbeat.com/default.asp?sect=stories&subsect=story_detail&sid=1111
わたしの職場に、自他ともに認めるクラシック・マニアがいる。近・現代の作曲家は一通り聴いているというが、中でもお気に入りはスクリャービンで、携帯の着信音とアラームには「神秘和音」が設定してあるくらいだ。
その彼が、最近、急にジャズに興味を持つようになった。なんでも娘さんが部活でサックスを始めたのがきっかけらしい。彼の机には娘さんの小さいころの写真が立てかけてあるが、父親と血がつながっているとは思えないかわいらしさだ。パパだってジャズくらい分かるんだぞ、ということにしたいのかもしれない。
彼はわたしがジャズ・ギターを弾くことを知っている。音楽に関して(だけ)は寛容なので、各種イヴェントの際には有給を消化しても嫌な顔ひとつしない。
「ちょっと私用なんだが」と彼は言った。「こんどの休みは空いてるか? お前の好きなジャズのCDを10枚くらい持ってきてくれ。うちのオーディオで聴こう」
「CDならお貸ししますよ」とわたしは答えた。特に予定はないが、できれば休日はゆっくり寝ていたい。
「まあそう言うなよ」と彼はつづけた。「プレゼンの訓練だと思えばいい。ジャズの聴きどころを存分に語ってくれ。昼はうなぎを食わせてやるぞ。それとも――」
「それとも?」
「もう有給は当分いらないということか?」
こうして、わたしは休日をつぶして彼の家を訪ねることになった。どのCDを持っていくかはなかなか決められなかったが、一日でジャズの百年の歴史を追いかけるのは無理だと割り切って、わたし自身がジャズを聴き始めた高校生のころ――もう15年も前の話だ――に感銘を受けたものを選ぶことにした。マイルス・デイヴィス『カインド・オブ・ブルー』、ビル・エヴァンス『ワルツ・フォー・デビー』、ジョン・コルトレーン『ジャイアント・ステップス』はもうコレクション済みだということだったので、それら以外で。
手土産の菓子と20枚ほどのCDを抱えて最寄駅に着くと――結局10枚には絞り込めなかった――彼の車が目に留まった。
「きょうは夕方まで家に誰もいないからな。気兼ねしなくていい」
「そうでしたか」
「いるのは猫だけだ」
「猫? 以前お邪魔したときには見かけませんでしたが」
「公園で拾ってきたんだ」
「娘さんが?」
「いや俺が。子供のころに飼っていた猫とよく似ていたものだから」
ノラ猫を拾う人間と、ショスタコーヴィチの交響曲全集を部下に聴かせて感想を求める人間が、ひとりの男の中に同居している。この世界は分からないことだらけだ。
「ちーちゃん、お客様にご挨拶だ」と彼は居間の扉を開けながら言った。ちーちゃんと呼ばれた白い猫は、こちらを一瞬だけ見るとソファのかげに隠れてしまった。そそくさと。
「ご機嫌ななめだな。まあいい。そっちに掛けてくれ。座ったままでディスクを交換できるから。いまコーヒーを淹れてくる」
――これ以降は対話形式で進めていきます。
( ・3・) さっそく始めよう。
――マイルスについてはご存じだと思いますが、次々に作風を変化させながらジャズを牽引していった、アメリカの文化的ヒーローです。デューク・エリントンはマイルスについて「ジャズのピカソだ」と述べました。
――はい。その作品の後に注目したいんですが、60年代の半ばに、ウェイン・ショーターというサックス奏者がマイルスのバンドに加わります。この時期の録音はひときわ優れた内容で、ジャズのリスナーやプレイヤーからはヒマラヤ山脈のように見なされています。
Prince of Darkness (1967) http://youtu.be/-wckZlb-KYY
( ・3・) ヒマラヤ山脈か。空気が薄いというか、調性の感覚が希薄だな。テーマの部分だけでも不思議なところに臨時記号のフラットがついている。
――主音を軸にして、ひとつのフレーズごとに旋法を変えています。コードが「進行」するというよりは、コードが「変化」するといったほうが近いかもしれません。
( ・3・) ピアノがコードを弾かないから、なおさら調性が見えにくいのかもしれないな。
――はい。余計な音をそぎ落とした、ストイックな演奏です。
( ・3・) 体脂肪率ゼロ。
――マイルスのバンドには一流のプレイヤーでなければ居られませんから、各々が緊張の張りつめた演奏をしています。
Nefertiti (1967) http://youtu.be/JtQLolwNByw
――これはとても有名な曲。ウェイン・ショーターの作曲です。
( ・3・) テーマで12音をぜんぶ使ってるな。
――覚めそうで覚めない夢のような旋律です。このテーマがずっと反復される。
――ボレロではスネア・ドラムが単一のリズムを繰り返しますが、こちらはもっと自由奔放ですよ。ドラムが主役に躍り出ます。
( ・3・) おお、加速していく。
――テンポ自体は速くなるわけではありません。ドラムは元のテンポを体で保ったまま、「そこだけ時間の流れ方がちがう」ような叩き方をしています。
( ・3・) ドラムが暴れている間も管楽器は淡々としたものだな。
――はい。超然とした態度で、高度なことを難なくやってみせるのが、このクインテットの魅力ではないかと思います。
Emphasis (1961) http://youtu.be/QRyNUxMJ18s
( ・3・) また調性があるような無いような曲を持って来よって。
――はい。この曲は基本的にはブルースだと思うのですが、テーマでは12音が使われています。ジミー・ジューフリーというクラリネット奏者のバンドです。アメリカのルーツ音楽と、クラシックとの両方が背景にあって、実際に演奏するのはジャズという一風変わった人です。
――ドラム抜きの三人のアンサンブルというアイディアは、ドビュッシーの「フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ」に由来するそうです。
( ・3・) いいのかそれで。ジャズといえば「スウィングしなけりゃ意味がない」んじゃなかったのか?
――スウィングしたくない人だっているんですよ。といっても、ベースはフォー・ビートで弾いていますが。
( ・3・) これが録音されたのは……ええと、1961年か。ジャズもずいぶん進んでいたんだな。
――いえ、この人たちが異常なだけで、当時の主流というわけではありません。さっぱり売れませんでした。表現自体は抑制・洗練されていて、いかにも前衛というわけではないのに。同じ年のライヴ録音も聴いてみましょうか。
Stretching Out (1961) http://youtu.be/2bZy3amAZkE
( ・3・) おい、ピアノの中に手を突っ込んでるぞ。(3分16秒にて)
――まあ、それくらいはするでしょう。
( ・3・) おい、トーン・クラスターが出てきたぞ。(4分16秒にて)
――それでも全体としては熱くならない、ひんやりした演奏です。
――さて、次はエリック・ドルフィー。作曲の才能だったり、バンドを統率する才能だったり、音楽の才能にもいろいろありますが、この人はひとりの即興プレイヤーとして群を抜いていました。同じコード進行を与えられても、ほかのプレイヤーとは出てくる音の幅がちがう。さらに楽器の持ち替えもできるという万能ぶり。順番に聴いていきましょう。まずアルト・サックスから。
Miss Ann (1960) http://youtu.be/7adgnSKgZ7Q
( ・3・) なんだか迷子になりそうな曲だな。
――14小節で1コーラスだと思います。きちんとしたフォームはあるのですが、ドルフィーはフォームに収まらないようなフレーズの区切り方でソロをとっています。1小節ずつ意識して数えながらソロを追ってみてください。ああ、いま一巡してコーラスの最初に戻ったな、とついていけたら、耳の良さを誇ってもいいと思いますよ。
Left Alone (1960) http://youtu.be/S1JIcn5W_9o
――次はフルート。
( ・3・) ソロに入ると、コード進行に対して付かず離れず、絶妙なラインを狙っていくな。鳥の鳴き声というか、メシアンの「クロウタドリ」に似ている。
――鳥の歌に合わせて練習していたといいますから、まさにメシアンです。あるいはアッシジのフランチェスコか。ほかにもヴァレーズの「密度21.5」を演奏したり、イタリアのフルートの名手であるガッゼローニの名前を自作曲のタイトルにしたり、意外なところで現代音楽とのつながりがあります。
参考 Le Merle Noir (Messiaen, 1952) https://youtu.be/IhEHsGrRfyY
It’s Magic (1960) http://youtu.be/QxKVa8kTYPI
――最後にバスクラ。吹奏楽でバスクラ担当だったけど、主旋律で活躍する場面がなくて泣いてばかりいた方々に朗報です。
――いえ、当時、長いソロを吹いた人はあまりいませんでした。
( ・3・) バスクラ自体がめずらしいという点を措いても、独特な音色だな。
――村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』にこんなくだりがあります。「死の床にあるダライ・ラマに向かって、エリック・ドルフィーがバス・クラリネットの音色の変化によって、自動車のエンジン・オイルの選択の重要性を説いている……」
( ・3・) どういう意味?
――楽器の音が肉声のようにきこえる。でも何をしゃべっているのかはよく分からないという意味だと思います。あと、ミニマリズムの作曲家のスティーヴ・ライヒはバスクラを効果的に使いますが……
( ・3・) 「18人の音楽家のための音楽」とか、「ニューヨーク・カウンターポイント」とか。
――はい。彼はドルフィーの演奏を聴いてバスクラに開眼したと語っています。 [1]
――真打登場です。サックス奏者のオーネット・コールマン。50年代の末に現れて、前衛ジャズの象徴的な存在になった人です。といっても、難しい音楽ではありません。子供が笑いだすような音楽です。ちょっと変化球で、70年代の録音から聴いてみましょう。
Theme from Captain Black (1978) http://youtu.be/0P39dklV76o
――ギターのリフで始まります。
( ・3・) あれ、ベースがおかしなことやってるな。キーがずれていくぞ。
――はい、各パートが同時に異なるキーで演奏してもいいというアイディアです。イントロのギターが床に立っている状態だとすると、ベースは重力を無視して、ふらふらと壁や天井を歩きだす。
( ・3・) 複調を即興でやるのか?
――どのていど即興なのかはわかりません。コンサートに行ったことがあるのですが、譜面を立てて演奏していましたよ。でも、別にダリウス・ミヨーに作曲を教わったというわけではなくて、アイディアを得たきっかけは些細なことだったんじゃないでしょうか。たとえばサックスが移調楽器であることを知らなかったとか。「なんかずれてるな、でもまあいいか」みたいな。
( ・3・) それはいくらなんでも。もし本当だったら天才だな。
Peace (1959) http://youtu.be/bJULMOw69EI
――これは初期の歴史的名盤から。当時、レナード・バーンスタインがオーネットを絶賛して、自分がいちばんでなければ気のすまないマイルス・デイヴィスがたいそう機嫌を損ねました。
( ・3・) さっきのに比べると普通にきこえるが……
――1分40秒あたりからサックスのソロが始まります。集中してください。
( ・3・) (4分12秒にて)ん? いま、俺の辞書には載っていないことが起きた気がするな。
――ここはいつ聴いても笑ってしまいます。そのタイミングで転調するのか、脈絡なさすぎだろうって。ソロをとりながら、いつでも自分の好きな調に転調していいというアイディアです。
( ・3・) 言うは易しだが、真似できそうにはないな。
――どの調に跳んだら気持ちよく響くか、という個人的な経験則はあるはずです。突飛な転調でも、「これでいいのだ」といわれれば、たしかにその通り、すばらしい歌ですと認めざるを得ません。
――お昼はうなぎだと聞いておりましたが。
( ・3・) そのつもりだったんだが、いつの間にか値段が高騰していてな。「梅」のうなぎよりも、うまい天ぷら蕎麦のほうがいいじゃないか。
――この人も、オーネット・コールマンと同じくらい重要なミュージシャンです。テキサス出身のオーネットに対して、セシル・テイラーはニューヨーク出身。都市と芸術の世界の住人です。ピアノを弾くだけではなくて、舞踊や詩の朗読もします。これは1973年に来日したときの録音。
Cecil Taylor Solo (1973) http://youtu.be/X7evuMwqjQQ
( ・3・) バルトークとシュトックハウゼンの楽譜を細かく切って、よくかき混ぜて、コンタルスキーが弾きましたという感じだな。70年代にはずいぶん手ごわいジャズも出てきたんだ。
――いえ、テイラーは50年代から活動しています。チャック・ベリーやリトル・リチャードと同じ世代。この人が異常なだけで、当時の主流ではありませんが。さっきも似たようなことを言いましたね。
( ・3・) このスタイルでよく続けてこられたな。
――継続は力なり。2013年には京都賞を受賞して、東京でもコンサートがありました。
( ・3・) どうだった?
――会場で野菜を売っていたので、買って切って食った。
――文字通りの意味なのですが、それについては別の機会にしましょう。演奏の話に戻ると、混沌と一定の秩序とがせめぎあって、台風のさなかに家を建てている大工のような趣があります。「壊す人」というよりは「組み立てる人」です。また、あるフレーズを弾いて、復唱するようにもういちど同じフレーズを弾く箇所が多いのも特徴です。
( ・3・) いちどしか起こらないことは偶然に過ぎないが、もういちど起こるなら、そこには何らかの構造が見えてくるということか。
参考 Klavierstücke (Stockhausen, rec. 1965) http://youtu.be/mmimSOOry7s
――きょう紹介するのは北米の人ばかりなのですが、デレク・ベイリーは唯一の例外で、イギリス人です。さっそく聴いてみましょう。これも日本に来たときの録音。
New Sights, Old Sounds (1978) http://youtu.be/nQEGQT5VPFE
( ・3・) とりつくしまがない……。
――そうですか? クラシック好きな方には思い当たる文脈があるはずですが。
( ・3・) 無調で点描的なところはヴェーベルン。でも対位法的に作曲されたものではないみたいだ。あと、初期の電子音楽。ミルトン・バビットとか……。
――模範解答です。
( ・3・) でも即興でヴェーベルンをやるというのは正気の沙汰とは思えんな。
――即興の12音技法ではありません。それは千年後の人類に任せましょう。ベイリーがやっているのは、調性的な旋律や和音を避けながら演奏することです。最初に聴いたマイルス・デイヴィスも緊張の張りつめた音楽でしたが、こちらも負けず劣らずです。文法に則った言葉を発してはいけないわけですから。
( ・3・) 「どてどてとてたてててたてた/たてとて/てれてれたとことこと/ららんぴぴぴぴ ぴ/とつてんととのぷ/ん/んんんん ん」
――ちょっと意味が分かりませんが。
( ・3・) 尾形亀之助の詩だ。お前も少しは本を読んだらどうだ。それはともかく、こういう人が観念的な作曲に向かわずに、即興の道に進んだのは不思議な気がするな。
――いちプレイヤーとして生涯を全うしたというのは重要で、ベイリーの音楽はベイリーの体から切り離せないと思います。彼の遺作は、病気で手が動かなくなってからのリハビリを記録したものでした。
( ・3・) プレイヤーとしての凄みが音楽の凄みに直結しているということか?
――はい。技術的にも高い水準のギタリストでした。無駄な動きのない、きれいなフォームで弾いています。気が向いたら動画を探してみてください。
( ・3・) まあ、ギター弾きのお前がそう言うなら上手いんだろうな。
――楽器の経験の有無で受け止め方は変わってくるかもしれません。ジャズ一般について言えることですが、鑑賞者としてではなく、その演奏に参加するような気持ちで聴くと楽しみも増すと思いますよ。
ベイリーの即興演奏(動画) http://youtu.be/H5EMuO5P174
参考 Ensembles for Synthesizer (Babbitt, 1964) http://youtu.be/W5n1pZn4izI
――セロニアス・モンクは、存在自体が貴重なピアニストです。生まれてきてくれてありがとう、とお母さんみたいなことを言いたくなる。
( ・3・) 初めて聴く者にとっては何のこっちゃの説明だな。
――とてもユニークなスタイルで、代わりになる人が思いつかない、くらいの意味です。まあ聴いてみましょう。
Everything Happens to Me (Monk, 1959) http://youtu.be/YW4gTg3MrrQ
( ・3・) これは彼の代表曲?
――いえ、そういうわけではありません。モンクの場合、どの演奏にも見逃しようのない「モンクの署名」が刻まれているようなものなので、わたしの好きな曲を選びました。有名なスタンダードです。最初に歌ったのは若いころのフランク・シナトラ。
Everything Happens to Me (Sinatra, 1941) http://youtu.be/ZWw-b6peFAU
――1941年の録音ですが、信じがたい音質の良さ。さすがスター。さすが大資本。これがヒットして、多くのジャズ・ミュージシャンのレパートリーになりました。ちなみに曲名は「僕には悪いことばかり降りかかる」というニュアンスです。恋人に手紙を送ったらさよならの返事が返ってきた。しかも郵便料金はこちらもちで、みたいな。もうひとつだけ聴いてみましょう。
Everything Happens to Me (Baker, 1955) http://youtu.be/UI61fb4C9Sw
( ・3・) このいけすかないイケメンは?
――チェット・ベイカー。50年代の西海岸を代表するジャンキーです。シナトラに比べると、ショウビズっぽさがなくなって、一気に退廃の世界に引きずりこまれる。で、モンクの話に戻りますが――
( ・3・) ショウビズではないし、退廃でもない。
――もっと抽象的な次元で音楽を考えている人だと思います。
( ・3・) 素材はポピュラー・チューンなのに、ずいぶん鋭い和音が出てくるな。
――調性の枠内で本来なら聴こえないはずの音が聴こえてくると、デレク・ベイリーのような無重力の音楽とはまた別種の怖さがあります。幻聴の怖さとでもいうべきか。さいごにぽつんと置かれる減5度の音には、「聴いてはいけないものを聴いてしまった」という感じがよく出ています。
( ・3・) 減5度はジャズでは珍しくないんじゃないのか?
――はい。でも、その音をどう響かせるか、その音にどういう意味を持たせるかというのは全く別の問題です。そういう音の配置に関してモンクは天才的でした。
( ・3・) カキーン、コキーンと石に楔を打ちこむようなタッチで、ピアノの先生が卒倒しそうだが。
――意図的に選択されたスタイルだと思います。プライヴェートではショパンを弾いたりもしていたそうですよ。 [2]
( ・3・) 見かけによらないものだな。
――小さいころから必死に練習すれば、いつかはマウリツィオ・ポリーニの水準に達するかもしれません。しかし、ピアニストとしてモンクを超えるというのは、端的に不可能です。それがどういう事態を意味するのか想像できませんから。
( ・3・) 四角い三角形を想像できないように、か。
――アンドリュー・ヒルは作曲・編曲に秀でたピアニストです。『ポイント・オブ・ディパーチャー』というアルバムが有名ですが、録音から半世紀を経たいまでも新鮮にきこえます。ペンギンブックスのジャズ・ガイド(なぜか翻訳されない)では、初版からずっと王冠の印が与えられていました。
( ・3・) 英語圏では別格扱いということか。
――ヒルは若いころ、ヒンデミットの下で学んだという話もあるのですが……
――誇張も混ざっているかもしれません。ヒルの経歴は、生年や出身地も事実とは異なる情報が流れていたので。
Refuge (1964) http://youtu.be/zquk2Tb-D6I
( ・3・) 何かひっかかるような弾き方のピアノだな。
――ヒルには吃音がありました。 [3] 言いたいことの手前でつっかえて、解決を先延ばしにするような演奏は、しばしばそのことに結びつけられます。
――ヒテーシンガク?
( ・3・) ほら、メルヴィルの『モービー・ディック』で、神秘的な白鯨の本質については語れないから、迂回してクジラにまつわる雑学的な記述が延々とつづくだろ?
――どうでしょう。アナロジーとしては分からなくもないですが。
( ・3・) 形而下の世界に戻るか。あれ、このサックス奏者、さっきも出てきたんじゃないか? (2分58秒にて)
――エリック・ドルフィー。共演者の共演者を辿っていくと、きょう紹介する人たちはみんなつながっています。
( ・3・) デレク・ベイリーも?
――はい。セシル・テイラーと共演していますし、この次に紹介する人ともアルバムを出しています。
( ・3・) なんだかドルフィーに耳を持っていかれてしまうな。
――圧倒的です。ねずみ花火のような軌道と瞬発力。数か月後に死ぬ人間の演奏とは思えません。
( ・3・) すぐ死んでしまうん?
――はい。ドラッグでもアルコールでもなく、ハチミツのオーバードーズで。正式な診断ではありませんが、糖尿病だったといいます。 [4][5]
( ・3・) ハチミツって、くまのプーさんみたいなやつだな。――ん? いまミスしなかったか? (6分36秒にて)
( ・3・) やり直しになるんじゃないの?
――ジャズは減点方式ではなく加点方式ですから。ミスがあっても、総合的にはこのテイクが最良という判断だと思います。
2009/08/01(土)
みんな、泣いてる。とても静かに泣いてるみんなの姿を
僕ははっきりと感じることが出来るよ。
僕は暗闇の中に逃げ込むことで沢山の安息を得たし、
みんなは僕の暗闇を覗き込むことで、あるいは
僕の暗闇にしんしんと降り積もる雪のような悲しみを眺めることで
すこしだけ人を信じたでしょう。
だけどそれももうすぐ終わるんです。終わります。大丈夫。
2009/08/01(土)
僕はいつのまにか逃げることが人生みたいに思って
ずいぶん遠くの暗くて静かなところまでやってきたような気がしていたけど
本当はすこしもあの故郷の匂いから離れることは出来なかったと思う。
僕は今も遠いあの故郷にいて、夏の夜にふく風の心地とか
夕暮れが町を包み込むときの空気の触れ合いを少しも忘れていないし
むしろそれをいつも心の綺麗で優しい場所に暖めていた気がする。
2009/08/14(金)
こんばんは。僕です。
みんなには随分不憫な思いをさせてしまってとても僕は反省しています。
殺せ。俺も殺す。
そんな気分でしたから、僕がここにスレを立てるのはすこし大変でした。
人が人として生きることはそんなに難しいことではありません。
でも誰がそうしていますか?あなたですか?では僕もです!
2009/09/12(土)
こんばんは。僕です。僕は夢をみていました。
絶望だけの夢です。
太陽が死んで、明日のまた次の日も
そこに新しい一日が二度と訪れない世界にいて
僕は死んでいったジョニーや麻井、それからJのことを想っていました。
そうしている僕は、しかし何も感じず何も見ず、ただ世界が終ったあとのこの
風景にやっと時間だけが流れていることをかすかに意識することが出来るだけだったとも思います。
僕は過去と現在においてただそこにある時間だけが流れさったということを自覚することができたから、
今ここにいない彼らの過去にあった現在もまた確かに現在の過去として存在することを認めることができました。
夢の中にいた僕にはだからそこに彼らの生があることを認めることができたけれど、
その夢が醒めた今となって、かえって僕はまだ自分が世界の終ったあの日にいて、
それからすこしの時間にも流されず、ただあの突然の巨大な破壊の前に
焼け爛れた人々の死の壁の前に立ち尽くしたままなのかもしれないと思うようになりました。
みんな死んだのだ。そして僕だけがまだここにいて、こうしてただ振り返ることにおいてのみ生きているのだ。
僕はこうして過去の存在の、失ったものすべてを一つ一つ認めることにおいて現在の生と時間を生きているのだ。
僕は死んでいないのだ。だからこそ僕は死を認めるのだ。
麻井の死を、ジョニーやJのその死を。そしてあの破壊。彼らの生を、魂を簡単に粉砕したあの破壊を。
そして彼らの破壊された時間だけがそこに留まり、僕だけに新しい時が訪れたのだ。
だが本当にそうだろうか。彼らは死に、僕だけが生きている。そんなことが本当にあるだろうか。
あの恐ろしい破壊が僕の時間だけをさらい忘れるというようなことが。否、そんなことはないだろう。
僕はまだ、夢を見ていてこうしてここに過ぎていく時間も全て本当には存在しないのではないだろうか。
時間が止まった後そこに夢だけが、死の数だけの夢がそこにのこされているのではないだろうか。
僕も死に、彼らも死んだ。あるいは彼らが生き、僕だけが死んだということもできよう。
だが僕の夢がまだこうして続くのなら僕はただその夢を、夢の中の生に流されていようと思うのです。
2009/09/12(土)
みなさんこんばんは。僕です。おひさしぶりですね。
この頃は元気ですか、僕は元気です。
雨は降ったり止んだりといった感じで、
せっかくの休日なのにと言う人もあるかもしれませんが、
僕のほうは休日に降る雨のことが好きだし、その雨にしてもどうもこちらに気があるらしいから、
この静かな午後の雰囲気をいっそう穏やかなものにしてくれるし、
僕はそのなかでずいぶん落ち着いた時間を過ごしています。
それで今、パーラメントを聴いています。マザーシップ・コネクションです。
1976年、地球征服を企む宇宙人ジョージ・クリントン(本名不明)が
この音楽を人々の脳に直接流し込むことで
街を一瞬のうちにP-FUNKと呼ばれる興奮状態に陥れたという話ですが、
その威力は本当に凄まじく、
いまこうしてスピーカーから流れるボリュームを極力抑えた旋律ですら
僕の下腹部の奥に熱を与えそこからごりごりとした欲望が膨らむのを感じます。
アンニュイな休日の午後にはすこし強すぎるスパイスでありました。
2009/09/27(日)
痛みがある。随分苦しい気分でいる僕です。恥かしい気持ちだけが脳を満たしていて
独りでいないとどうしようもない気がするので僕は今日もそうしています。もしもそばに誰かいたら
やっぱり駄目になりそうです。気付いたら誰もいない生活が当たり前なので、人の声がうるさくて仕方ないし
それで怒りみたいな感情がどんどん溢れてきたときには、それがもしもこぼれ出したりしたらと思うと
やっぱり恐ろしくて仕方ないです。わからない間にとんでもないことをしていたりするんじゃないかといった不安が
あることと、もうイロイロなことが前とは違う風に見え始めていること。
良くなることが有るような気もしますが、それは記憶が褪せるのと同じように
ただ痛みを忘れているだけの気もします。忘れているのは自分だけでそれは決して許されること
ではないのかもしない。最初からわからないことが多すぎるし、
僕の知らないところで僕が撒き散らした破壊によって今おびえる僕はもうとても苦しい気分でいるのです。
2009/10/06(火)
すいぶん時間の進み方が変わっている。と俺は考える。
朝、と思っていたらもうすっかり夜になっているし、
秋だ、と感じたそばから冬だったりする。
そもそも俺は、過去と未来がこの瞬間とどういう具合に組み合わさっていくのだか知らんが、
こうやって生きていくにつれ、過去というのが次第にその体積を増加させ、
そして過去は、いずれ俺の現在と未来に与えられた全ての時間を少しも残らずに覆い尽くしてしまうのだろう。
それは始め、とてもゆっくりだったのに、今ではもう決して追いつけない速度になっているし、
そのせいでこの現在は、この瞬間はただ過ぎ去っていき、そこに自分が生きたという実感も無く
ただ過去という巨大な闇に飲み込まれていく。
とても速い。と俺は思う。それから、もう遅すぎる。と思う。
俺が歪んでいるのか、時間の方がそうなのか、
どちらにしても俺の精神は既にこの時間の速度を認めることが出来ないでいる。
2009/10/07(水)
精神の悪化が著しい。
このところずっと俺の背後に立っている男が俺の精神の自発的な破壊をもって
俺の完全な抹殺を開始する算段を企んでいることなどもあって、
俺はすこしも心を落ち着ける時がなく、
何者かがこちらの精神の崩壊の瞬間を窺っている様子もある。
そして俺は今日もこうして睡眠などに身を任せるような危険な状態を避け、
俺の抹殺を企てるもの、現在も俺の後ろに立っている男などを筆頭に
俺の精神を一刻も早く破壊せしめ、俺の存在と俺の時間の完全な抹殺を遂行しようとする輩から、
すくなくともまだ、こうしてかろうじて日常生活をぎりぎりで保てる段階に留まっている限りは
その手に安易に落ちることを拒否し続けることにしている。
しかしそれももう長くは続かないだろうことは、俺もそして俺を抹殺しようとする奴らにも
既に大方は了解されていることではある。
問題は、俺がその瞬間においてどの程度人間であるかという点にあり、
そのことが今の俺の最大の関心事となっているのである。
2009/10/07(水)
たしかいつだったかに俺は雨が好きだ好きだというようなことを言った覚えがある。
そのことは今も変わらない。俺は今も雨が好きで好きでそうしてその雨量は多ければ多いだけ好きで、
その時間は長ければ長く降り続くだけ俺の精神を安らかな状態に満たしてくれるから
俺は一層に雨を好きになるという按配なわけだ。
そしたらさっき、台風なんぞが来たる。なんつう声が耳に入ってきよったもんで俺、にたにたしたっきり外を眺めとった。
俺は雨が好きで好きだというようなことが、そのまま台風にも通じるんであって、
俺はベランダに静かに立って、そこから見える景色、家の前を流れる小さな川とその川の向こうにある小さな公園と
その向こうにある人家とマンションとそれから小学校の校庭と、もっとむこうの山々とに、
今も降り続く雨をこのベランダにも降りかかる雨にしとしととこの身を濡れそぼらせながら見とるわけだ。
そうして俺が恍惚とした表情で見とれておる間にもその雨は、次第に風を増し
雨量を増し、その一粒一粒の重量は益々に肥え、
俺のこの目の前に広がる人の気配のない空間に降り続ける雨の質感が
より重厚によりドラマティックに揺れるのを俺はもう、俺はもうここに俺の時間がただこの瞬間にだけはっきりと
流れその流れが雨の時間と混ざり合っていくのを感じているということなんよ。
つまり今夜だけは俺もこの精神に静かな安らぎを与えられるということなんよ。誰も俺を抹殺にかかるようなことはないんよ。
今日だけは、深く沈む闇の中から俺を監視する視線は消えるんよ。目を閉じてそして狂ったように振りつける雨の呻きも
ふいに静かになる雨の押し引きにもそのどこにも俺の精神に痛みを与える気配はないということなんよ。
2009/10/08(木)
休日のこと
朝、目が覚めて
たしか9時くらいだったと思います。
まず洗濯機を回して、
そのあいだとりとめもない空想に浸りながらストレッチをして、
部屋の電球を交換して、セロニアス・モンクを聴きなが小説を読みました。
しばらくして眠くなったので、本を閉じて眠りました。
目が覚めて、夜ご飯を食べにいって、戻ってきてお風呂に入ってから眠りました。
一体人生とはなんでしょうか。
2009/10/09(金)
Jっちこんばんは。
僕はニンテンドーじゃなくて時給780円の弁当工場に勤務していますけど、
高収入?なんすかそれ。幕の内とどっちが美味いの?みたいな世界ですね。
なんつって、来る日も来る日も目の前を過ぎ去っていく焼肉と筑前煮見てて
ああ、もうこんなに筑前煮ばっかりで人生うんざりだなってこともある俺だけど、
そこは俺、プロなわけで、なんだかんだ、すんげえ良い感じに盛り付けちゃったりするわけですわ。
だからこその焼肉弁当ラインなわけです。そこは俺の領域なわけね。俺の場所。超クール。
とかなんとか、この俺の人生だけど、まあそれ以外にも楽しみはいっぱいあるよ。
一体何に喜べばいいの?
ってそんなもん自分で見つけないといけねえにきまっとるだろが。
生きるっていうことは考えることだし、学び続けることだろが。
昨日より明日、明日より明後日の焼肉弁当がもっと美味い。それが人生だし、
今日の筑前煮、その煮汁が完璧な旨みを含むまで何回でも煮込む。
それが生きるってことなんちゃうかなあ。と思うけど、
たまにはやっぱり人生ってなんですか。って思う俺です。
2009/10/12(月)
昨日も、朝起きて、やっぱり、何かむなしいような気持ちでいた僕は、
お昼ごろになってご飯を食べて、
静かに流れていく川。それを眺めている間だけ、このむなしさも僕から離れていく。
と、そんな風に思いながら僕は歩きました。
しばらくしてベンチを見つけて、そこに座って本を読みはじめました。
堀辰雄の風立ちぬでした。ずいぶん綺麗な言葉たちが鴨川の水面に浮かび僕の心をさらさらと流れました。
原っぱには白人の家族がいて楽しそうにボール遊びをしていました。
その向こうのベンチには若いカップルが、そんな家族の様子を眺めて幸せそうに笑いあっていました。
空は気持ちよく晴れ、そこにうすい雲が流れています。ゆるい風の中には秋のぴりとする冷気を認めますが、
ふりそそぐ陽光の暖かさがそれを心地よい肌触りに感じさせます。
僕はベンチに寝転がって、本を読みながら、ときどき空を見上げ、うすい雲のそばに淡い空想をゆらしたりもしました。
そんな風にしている僕はいつのまにか眠ってしまったのだと思います。
ふと気付くと、すっかり陽は傾き、辺りは秋の気配に包まれ、周りにはもう誰もいませんでした。
ふらと起き上がった僕は、帰ろうと思いました。そしてまた歩き始めました。
途中のうどん屋さんで夜ご飯を食べました。そうしてまた電車に乗って帰っていきました。
家について、お風呂に入ってからからチューハイを飲みました。やっぱりいろいろ恥かしい気がして、
まだ誰にも会えない、と思いました。それはすっかり冷たくなった夜の風のせいかもしれません。
いろんなことが、駄目になり始めてから、もうずいぶんの時間が過ぎたようです。
2009/10/13(火)
告白します。
8月、私は毎夜モンスターハンター3ばかりやっておりました。
それは真夏の世の夢、日暮れを待っては無法残虐の限りを尽くす暴君と化した私、
気が付いた時にはカーテンの向こうが白々と輝き、
すっかり日が昇っていたというようなことも何度かあったほどです。
そんな風にして過ぎた9月のある日に、私はふと思い立ち
コントローラーを静かに床において、普通のサラリーマンに戻りました。
そして今、なにかがふいに私の内を過ぎたのです。
ああ、我が燃ゆる夏、灼熱の鉄槌を再びこの腕に。
誰か、一緒に狩りに行きませんか?HRはたしか30か40くらいだったと思います。
ハンマーを背負っております。テクニックはございません。ただ破壊を
振りかぶったハンマーが獣の脳髄を揺らします。
よろしくおねがいいたします。
2009/10/14(水)
僕にはさっぱりわかりません。
僕は日々その間を、あっちこっちに振れている人間です。
2009/10/14(水)
昨夜、私はこの苦しみから逃れるため酒に溺れ、そして苦しみの底でこの世界を強く呪いました。
バーモンド・キッス。いかにも私は、是をパクったことを認めます。
しかし今になって、私はその事実に対してただ一片の後悔もこの心に認めてはいません。
それは相対性理論という楽団こそが、
言わずもがな「地獄先生ぬ~べ~」の周到なパロディに過ぎないという事実を私が知るからです。
その楽曲の全ては、「鬼の手」を持つ小学校教師「ぬ~べ~」こと鵺野鳴介が生徒を守る為に、
妖怪や悪霊を退治する学園コメディーを、一話一話、楽譜の上に置き変えただけのものなのです。
であれば今、私がこうして、相対性理論をパクったという一つの現象は
はたして私をこうまで苦しめる理由になるでしょうか。
あなた達がいかに厳しく私を断罪したところで、私の心には今も清涼な風が吹き抜けるばかりなのです。
2009/10/14(水)
言わずもがな私は今夜、言わずもがなという言葉を多様しています。
繰り返す時間が私を言わずもがなの罠に誘います。
言わずもがな、私はこの罠を、罠と認めることなく、一度、そしてもう一度、
言わずもがな二度三度とその失態を繰り返します。
私はこの痛みをもったまま言わずもがな次の言わずもがなへと進みます。
すこし度が過ぎたようでう。今夜はすこし酔いすぎたでしょうか。
秋の風が頬の熱を奪い、私は風の王に嫉妬します。
これは現実の時間です。そして私の精神は今、確実にその強度を失っています。
2009/10/15(木)
本当のことを言うと、僕は文通がしたいのです。
こうして、誰とも無く世界の果てに向けて自分の精神を拡散させるのではなく、
確とした誰かに、己が胸のうちをひっそりと告白したい。
そうして僕は彼方にあるその存在に思いを馳せ、
ただじっと待ちたい。私はその時間を愛し、その距離を空想したい。
文はその遥かなる旅路の内に芳醇な感動を携えて私の心を狂おしく酔わすであろう。
2009/10/15(木)
わし今から自分の住所と名前を念じるから感じ取ったら着払いで送ってください。
替わりに高校のときに使ってた数Bの教科書送ります。
もし数Ⅲの方がいいとかだったら相談に乗ります。念じてください。
よろしくおねがいいたします。
しかしモンハンやろ言うても誰も乗ってくれへんし、
わしも寂しい男やなあ実際。
まあ、こうやって毎晩、部屋で独りビールのんで、絶命しかけた肝臓に毒の油塗り込むような人間なんぞ
そりゃ誰も相手にせんやろってなもんやけど、せやかてまだわしも人間の姿はしとるで。
徐々にやけどまあ顔は獣じみとるけどな。実際狂うように美しいで今のわし。
鏡にもずいぶんはっきりと狂気が写りこんできとるしな。そやしそもそも人の美しさなんつうもんは
ひっくり返してみたらこんなもんや。やっぱり腐りかけがうまいんやな。健康的なもんの美しさには
わしなんぞも興味ないわい。それはしかし生きとらんわな。なんの歪みもない美からは
人を狂わす色気はでえへんで。わし自分の妖気に酔いそうや。そやからまだ誰にも会うわけにはいかん。
人がおったらたまらんで、会うたら畢竟まぐわうことになるのはわかりきっとるからの。くわばらくわばら。
恐ろしいのう。生きることはずいぶん辛いことやのう。
徐々に言葉が離れていくようになった。
元通りにしなくちゃ。生きるんだもの私。
無理だ。もう本当に無理だよ。
駄目になるのがはっきりとわかる。
もうすぐだよ。一度は超えたヒューマンの境界線。
もう2度と見たくないあの地獄。いやだ。助けてよ。
酔ってしまったような気もするし、
かといって時間が歪むのを確かに判別できる程の理性は
確保されているような気もする。
すこしの間忘れていたことを思い出す瞬間が訪れる。
それは、最もおそろしい闇を見るのが溺れていく私だけではないからです。
私の周りにある人々をも同様に捉えて離さない深く濃い闇がそこにあります。
必死で手を伸ばすもの、私を捉えてその暗黒から救い出そうととするものそれら全て飲み込む
闇がそこにはあるのです。今、その闇の中に沈んでいく私にできることは限られています。
選択肢は、そこにある結末は。