はてなキーワード: スイッチとは
自分は情報収集のために動画見たり、音声だけ聞いたりすることが多いんだけど、この再生速度の設定作業、現状だと工数が多く煩わしい。
変更したい速度が表示されるまでにいちいち設定→再生速度と進まないといけなくて、設定の歯車ボタンは小さいしスマホだと誤タップも多い。
ずっと同じ速度で固定するなら動画を完全に閉じなければ設定は保持されるが、自分としては内容と今やってる作業に合わせて再生速度はこまめに変更したい。
再生速度の変更ボタンを画面上部の自動再生スイッチの左横に◀▶と2つ設置してほしい。それぞれタップするごとに一段階ずつ再生速度が早く / 遅くなる。
これがあることで一つの動画の再生時間が短縮され、結果的により多くの動画が視聴されるようになるので、視聴者とYouTube双方にメリットがあると考える。
今はショート動画の占める割合もかなり多く、以前より短時間で多くの動画をサクサク視聴するスタイルに変わってきている。
再生速度を直感的に1タップで調整できれば、クリエイターにとっても長尺の動画を最後まで視聴してもらえる確率が上がるので、収益向上にも貢献するはず。
人を好きになろうと思ってもなかなかなれない。
曰く、人を恋愛的に好きになるためには自分からいいところを探したり「うれしい」「楽しい」「好きだよ」と自己暗示めいたことをしていわゆる『好きスイッチ』を押す必要があるらしい。
たぶん恋愛体質の人はこのスイッチが自動的に発動するのであろう。
私はというとめっぽうこのスイッチがガチガチなので自分から押さないといけないのだが、どうにもこれを意識的にやろうとシュミレーションするだけで吐き気を催す程度には厳しい。
今まで同性の友人たちなどは何となくウマが合うなという『流れ』で好いたりしてきた。その流れを自発的に生み出させる行為自体になんでか反発を覚えてしまう。
恋愛嫌悪かと思ったが、好きになったあとのイチャイチャ妄想などは問題がないのでちょっと違うかもしれない。
色々な自己肯定感の勉強をしてる中では『無理に否定せず、克服しようと躍起になるより好きになれない己を許す』というアプローチがいいのかなと思うが、いいのだろうかそれで?という葛藤もある。
だって、好きになった人に好かれる保証はないが、好きになってくれた人に向き合える方が建設的だろう。
もう腹を括って好きになった人しか好きになれん!好きになるのは3年かかるがな!と割り切るがいいのか……はて。悩みは尽きない。
俺は職場に持ってく弁当には毎日卵を入れている。 卵料理で1番好きなのは目玉焼きだ。しかしコイツはつくづく弁当の具に向かない。 仕方なくスクランブルエッグを詰める事が多い。だが俺は食べたい。朝ではなく、昼に、目玉焼きが。
まずは普通に焼いてみた。
フライパンを出し油をひき加熱。卵を割り入れ、水を注ぎ、3分蒸し焼き。見事な完熟に仕上がったが、半分に切って詰める際、白身が広がりすぎて弁当箱に収めにくかった。 ステンレスの型を使う と具合が良かったが、洗うのがめんどくさかった。白身がこびりつくのだ。そしてフライパンを出してから弁当に詰めるまでのの工程に5分を要した。毎日作るには手間がかかりすぎる。
そこでレンジ調理を思いついた。皿にに卵を割り、フォークで全体的に穴を開け、ラップを被せ、600WでスイッチON。50秒が過ぎたところで大爆発した。箱型のジップロックを被せていたので被害は最小限で済んだが、黄身白身共々粉々になった。穴をあける意味よ。
困ったのでネットで調べることにした。いかがでしたかブログによると、解凍モードで温めると綺麗に仕上がるらしい。早速実践。皿に卵を割り入れラップをせずに自動モー ドでスイッチON。5分が過ぎたところでアラームが鳴った。取り出 してみると、全く固まっていない。もう一度加熱したところ固まった。破裂もしなかった。しかし、仕上がりを見てみると白身がビニールのような固い透明な膜のようになっており、食感も最悪だった。やはりいかがでしたかブログはクソだ。ドメインごとブロックした。
今度はyoutubeを探した。すると、海苔や大葉でサンドしてレンチンするレシピが見つかった。動画を見ても破裂はしていない模様。早速真似してみた。小鉢にラップを敷き、その中に1/4に切った海苔→大葉→卵→海苔の順で投入してレンジで50秒。無事に黄身も白身も飛び散ることなく仕上がった。これはすごい、と思ったら5回に1回くらいの頻度で白身の部分が破裂する。破裂時間も40秒 だったり50秒だったりとまちまちだ。もうすこし安定して製造できるようにしたい。ということで別の手段を探すことにした。
海苔や大葉より厚みがあって、卵に合う食材と言うと、ハムが思いつく。小鉢にラップを敷き、ハム→卵→ハムと入れて50秒チン。これが具合よく、破裂音はするのだが飛び散らずに熱を通すことができた。かれこれ20回作成しているが、飛び散らずにできている。本当はハムを1枚にしたいのだが、折りたたむようにセットするのは想像以上に時間のロスになるるし、また5回に1回で破裂しそうな予感がするので2枚でいくことにした。
13時頃 電話で起こされる
父関連の件で心臓がキュッとなる。
電話の内容を父に伝達しなければいけない。と思ったら血圧と脈があがっていくのを感じる。緊張とムカつきのような、父のことを考えると後ろから突然谷に突き飛ばされような感覚になる。
まず、この件に関して電話しなきゃと思う。
そこまでの緊急性はないが、即日伝えた方がいいか? 件についての対策をねってから簡潔に伝えられるようにしてからの方がいいか?
そもそも父のいまの機嫌はどうだ?冷静に話せるタイミングか?電話の前にメッセージを1報するか…?
まぁ、どのタイミングで話しても、私が最善だと考える結論にはいたらないだろうし、話が通じるわけもないか。とバババッと考えたあと、(父とは時差があるので時計を見て)冷静になり一旦、このことは寝かせて、対策を考えてから電話することにした。
脳のフル回転、胸と喉のしめつけ感、呼吸が浅くなるのと動悸、脱力に貧血のようなふらつきを感じて安定剤を飲む
頭はなぜか冷静だったので
この件について関わりたくないし、父とも話したくないのに、窓口が私になっている件だから関わらなければいけないことにストレスを感じているのがよくわかる。
そもそもなぜこの件に関して、私が窓口にならなければいけないのか。
さっさと対処してしまえばいいのに、父の執着心かなんかしらんがいつまでもいつまでも引き伸ばしてホント理解できん。
自分で管理できないものをいつまでも所有するなよ。という気持ちで怒り感情が増幅していき、そこから今回の件についてを中心に父への恨みつらみが湧いてくる。
情緒や体調とは裏ハラハラに頭は冴えたままなので、あれよあれよと具合が悪くなっていく自分がおもしろい。
頭にダメージがないので、「家族に対してこれ程の拒絶反応がでるの我ながら可哀想だな」などと巻き起こってる不調を客観視したりした。
あー。自分は可哀想なんだ。と思ったら音速でネガティブスイッチがはいってしまい、死にたくなった。死にたいというか消えたい…
全ての繋がりを切って、誰も自分のことを知らない、誰とも繋がらない世界にいきたくなった。
家族のことで精神を追い詰められてること、そんな自分が可哀想と思ってしまう事がつらすぎて、涙が溢れてきた。
感情はネガティブなのに、頭では泣いちゃってるよ。と失笑していた。
感情も冷静さも脳の機能のひとつなのに、同時に動かすことができるのおもしろいなと思って、増田にまとめることにした。
胃が刺激を感じぐにゅぐにゅと動くのがわかる。
なにも食べていない、かつ横になっているので食道に逆流してくる感覚をつかむ。
泣いたせいか瞼が腫れぼったくて手にしてるスマホの画面のキーボードが見えるぐらいにあけるのがやっと。唇が異様に乾いてる気がするけど、これは関係ないかな。
なにか飲みたいけど、口元にもってきてくれれば飲めるぐらいの動きしかできない、したくないぐらい体が重い… 安定剤の効果かな。
せっかく天気がよくて、昼に起きれてるのに… なにもできないのは残念だけど
増田の勤務校では、ここ最近インフルエンザによる急な学級閉鎖が相次いでいるのだが、その中でコロナ禍で起こった変化の恩恵を強く感じることが多い。
でも露骨にコロナで良くなったとか書くと怒られそうなので増田に書く。
コロナ以前は、電話を順番にかけ続ける恐ろしい作業が必要だった。
しかも学校の回線は一つしかないので一斉にはかけられないし、問い合わせがあっても受けられない。
それがいまや、メッセージを送るだけ。
もちろん全ての保護者に伝わることはないが、一部の伝わらない保護者にだけ対応すればいいので、負担は比べものにならない。
これも劇的な変化。
これまでは学級閉鎖だと完全に授業が止まって何もできなかった。
この場合、子どもたちのスイッチが完全にオフになっているので、再開した後には中断直前ではなく、かなり前からの復習が必要になってしまう。
要するに、結構な手戻りが発生するのだ。
もちろんオンライン授業は当初偉い人たちが夢見たような、対面と同じことができるものではなく、対面の半分もできない。
それでも子どもたちの生活リズムを乱さず、スイッチをオンにし続けることができる。
予定通り授業を進めることはできないが、大きな手戻りは防げるのでとても助かっている。
子どもたちもすっかり慣れて、急な対応でもトラブルはほぼ発生しない。
たぶんご家庭では苦労をさせているのだろうけど。
学級閉鎖中の子どもたちの様子を知る方法も、コロナ以前は電話しかなかった。
今はフォームで送ってもらって、届いてないところだけ電話をすれば済む。
労力はどれくらい減っただろう?
ここまで書いて、パソコンが必要なオンライン授業以外は、コロナ以前にもやろうと思えばできてたということに気付いた。
教育委員会の怠慢なのか、頭の固い校長の反対があったのか、理由はわからないが、これだけ効果のある改善がコロナ禍でなければできなかったというのが情けない。
これはマジで効く。騙されたと思ってこんまりの本を読んでから思いっきり断捨離してほしい。
(なぜ先にこんまりの本を読むかというと、物が多いやつが自分のそれまでの考え方を引き継いで断捨離したところで捨てられないままだからだ。外部からマインドに介入する必要がある)
物の多さに専有されてた脳内メモリーが解放されかなり頭がスッキリする。
何があるか、どの場所にあるか、いくつあるか、普段は意識してなくても無意識に脳が使われていた諸々の情報が一気にクリアされるのだから当然だ。
ADHDだから物に溢れるのではなく、物にあふれているからADHD傾向が高まるという側面も大いにあると思っている。
我々の脳は以前として原始のままで、現代に適応しきれていない。だから原始脳ベースで考える必要がある。
次の食べ物にいつありつけるかわからない時代の原始のままの脳は、食べ物を見ると自動的に脳の報酬系にスイッチを入れ食べたくなる。
我々は原始脳の「自動的に行われること」から逃れられない。ならばそれは環境でコントロールするしかない。
物が雑然と溢れている状態は敵がどこに隠れているかわからないような状態だ。
常に無意識的に周囲の状況を把握し気を配りマルチタスクが行われている。
物が多いとそれだけで注意散漫になるのだ。(※1)
(※1 参考1・https://wired.jp/2016/04/22/clutter-and-creativity/ )
(※1 参考2・https://studyhacker.net/what-is-dmn)
物を減らす
朝起きたらベッドメイキングする
これだけでかなり効果がある
これも効く。脳の灰白質が物理的に増加するので効くに決まっている。
ただしこちらは即効性はない。根気よく続けることで徐々に効いていく。
最初は1分やるだけでも落ち着いていられないが、徐々に長い時間できるようになる。
20分以上が良いと言われているが、忙しさとの兼ね合いもあるので自分は毎日10分やるようにしている。
先延ばししている事を片付ける
先延ばしにしている事があると、常に脳の中にその出来事がキープされていて、マルチタスクをしてるのと同じ状態になる。
これはワーキングメモリーを圧迫する一因となる。
これを処理するだけでもかなりワーキングメモリーが解放される。
郵便物や書類、未処理のまま溜まってませんか?こいつらの有害性はすごいよ
すぐ処理するか、いらん書類は捨てよう。経費と関係ないレシートとっててもWM圧迫するだけで意味ないよ?(かつての自分へ)
全部一旦紙に書き出す
心配事や先延ばしにしていること、何でもいいので頭の中でわちゃわちゃしている事を一旦紙に書き出そう。
脳内だけで処理していたものを外部に書き出すことで、頭の中のごちゃごちゃが鮮明になりスッキリする。
厳密なやり方にこだわる必要はない。とにかく書き出して「全部見えるように」する。
ブラウザのタブを減らそう
ポイ活はほどほどにして、財布の中身をスッキリさせよう。できればキャッシュレスに統一して現金を持つにしても10円以下の小銭は全部寄附しよう
とにかく選択肢を減らす事。
数十円のお得のためにワーキングメモリーを台無しにするのはもっと大きな損失を被っている。小を捨て大に就こう
まとめ
普段スイッチのドックに繋いでるプロコン充電用のUSBケーブルにスマホを刺して充電しているが
7年の度重なる使用によってとうとうコネクタがいかれて充電しなくなった
PCとQuestをつなぐときのケーブル使ってみたらじわじわ電池が減っていくので
いろいろ試した結果スイッチドックへ給電するところを引っこ抜いてスマホに挿したらどうにかなった
どうにかなってんのかな
どう考えても無理な最新の高画質3Dゲームに対してこういうコメントつくの見るたびに毎回笑っちゃうんだけど、本人はマジで言ってるの?
画質落とせばそりゃ実装できるだろうけどスイッチの強みって任天堂の独占コンテンツだからPS/XBOX/PCを主戦場とするような3Dゲームを劣化させて移植して意味あんのか?
モンハンみたいに寝転びながら友達と遊ぶ目的であればスイッチのほうが手軽さはあるけどさ
格ゲーやRPGみたいに集中して取り組みたいとか長時間やりそうなものをスイッチに劣化移植するメリットないのにスイッチ版出せっておかしくねーか
先日までセールをしてたので息子のスイッチを貸してもらって、スターオーシャン1 -First Departure R-を買った
もうセールは終わってるのでステマではなく、自分語りをさせてほしい
スターオーシャンが発売されたのはSFC末期の1996年7月、既にプレステやセガサターン、ニンテンドー64といった次世代機も発売されている時期だった
うちは貧乏だったので、次世代機を買うことを親にお願いできず、そんな気配を察知した父が秋葉原に連れて行ってくれて買ってくれたのがスターオーシャンだった
当時小学生だった自分はその時までスターオーシャンを知らず、秋葉原のゲーム屋ではずっと64やプレステのデモ画面を眺めていた
最後にスーファミのソフトなら1個買ってあげると言われて、店内をうろつき、あのドラクエのエニックスのRPGということで選んだのである
もちろん子供なのでエニックスがまさか販売元であり、開発元がソフトごとに異なるなんてことは当然知らない
前から欲しいゲームではなかったけど、父親の思いつきとやさしさで新しいゲームを買ってもらえてラッキーと、電車の中でほくほくしながら家に帰ったことを覚えている
自宅で早速やり始めてドラクエというよりはFFのような綺麗なビジュアル、ドラクエのような正面ではなくFFのような横から見た戦闘システム、
戦闘中に縦横無尽に走り回るキャラクター、スーファミなのにキャラが喋ること、綺麗な音楽に感動した
何よりも感動したのは、ゲーム冒頭1時間がほぼイベントシーンであり、ほぼ操作できないずに会話を見るだけ(世界観の説明)だったことだ
今なら批判されるだろうが、ゲームを始めたらとりあえず戦闘してスライムのような雑魚を倒してレベル上げて、ではなく
世界観の説明に冒頭1時間費やすのが子供ながらに新しく感じたのだ
そして世界観がいわゆる中世RPGだと思ったら、現代社会も出てくるSFだったこと(もちろんゲームの大半は中世RPG的な星の過去に行くという流れで中世RPGっぽくなる)
みんなプレステ、64、セガサターンで話題は持ちきりであり、今更スーファミ?という空気だった
一度友人を家に呼んでスターオーシャンの凄さを力説したものの、この戦闘テイルズと一緒じゃんと一蹴された
攻略本もあったのだろうが、ハード末期なので近くの本屋には売っておらず、自力でラスボスを倒してクリアした
おそらく大量の分岐や仲間にしていない仲間がいたと思われるが、自分としては満足だった
父には買ってもらったゲームめっちゃ面白かったよと伝えると笑っていた
そんな父も今年の夏に亡くなった
正直に言ってまだ喪失感が続いている
そんな時に息子のスイッチのニュース画面でスターオーシャンのセールを見てプレイする時間もないのに買ってしまった
買ったのは1週間以上前だけど、まだ起動すらしていない
自分の記憶で美化されているだけならどうしよう、リメイクって言ってるけど昔の雰囲気はあるんだろうか(そもそもよく調べたらPSP版の再リメイクのようだ)
などと不安が募る
今夜にでも勇気を出してやってみようと思う
あの冒頭の1時間は同じなんだろうか
沙東すずさん(旧名:メレ山メレ子さん)の新刊「奇貨」を読んで、自分の頭の中でぐるぐるしていることを、感想としてしたためます。
ご本人に長文DMを送り付けるのは怖がらせるのではという懸念から、慣れ親しんだはてな匿名ダイアリーを利用します。ご本人にURLを知らせるかどうかは、、、悩み中です。
https://mereco.hatenadiary.com/entry/20231105/1699185014
まえがきを「錆びた灯台に灯を入れて、自分にしかできない痛みの話をする」で締めるのすごすぎませんか。
💡 この文章の主語はわたしです。例えば「怒っている」と書いたときの主語はわたしであり、作者ではありません。
恋人だろうが夫婦だろうが心変わりすることはあるだろう。なにも「好きって言ったのに!ひどい!裏切者!」と詰りたいわけではない。
別れ際に関係を終わらせることへの謝罪をろくにせず、「この状況を演じている自分に酔い」「恋人を泣かせている自分に酔い」「別れ話のあと飲みに誘ったあげく、頭のてっぺんにキスして出ていった」ことに怒っている。とんだ三文芝居。
おそらくだけど、最初は連絡せずにいられなくて。そのうち恋人に考え直して欲しくて。そのあとは、悪意を持って自分を傷つけようとする元恋人と決裂するために。
元恋人との闘いの記録では、作者の「自分の気持ちを文章にする力」にぐいぐい引き込まれた。過去の自分の失恋を思い返しても、感情に流されてとてもあんな風に言語化できなかった。
作者の元恋人は「すずさんの自信というか、自己愛の根拠がこんなにもおれになってたことは気づいてなかったし、いたましいし、申し訳ないと思う」とメッセージを送ってきたそうだ。
あなたが今落ち込んでいるのは、おれに依存していたからですね、気づかなくてごめんね、ということか。バカにしやがって。
自立した人間同士、信頼関係を築く努力を続けてきた(と思っていた)のに、最後にお前がぶち壊したんじゃないか。
よくもまあ他人の失恋話でこんなに怒れますねと言われそうだが、元恋人に対しては知らない人なのでとくに何の感情もない。
わたしは5年前くらいから「信頼できるパートナー」と定義している人がいる。今後の人生もできるだけ一緒にいられるように努力しよう、と話し合った相手だ。
そのパートナーはおよそ半年に一回の頻度で、感情的になる。わたしの何らかの行動や言動に、自分への敵意を見出し、スイッチが入る。わたしにはそれが予測できない。
スイッチが入ると「わたしからの電話は出ない」「DMなどでわたしへ感情的なメッセージを投げつける」「話し合おうとしても取り合わない」といった行動に出る。
そうしているうちにわたしは心身がやられてしまい、落ち込んで、寝込んでしまう寸前にSOSを出して、ようやくパートナーが話を聞いてくれるようになる。そうして仲直りをする。
わたしはいつ爆発するかわからない爆弾をかかえているような気分だった。
このサイクルを繰り返して分かったことは、パートナーは「感情的なメッセージを投げつけること」はコミュニケーションの一種であり、「言い過ぎてごめん」で許し合うものと考えているらしかった。
自分の口から出た言葉は相手に受け取られるものなので、「言い過ぎた」という意味が分からなかったが、それはわたしが言葉というものを神聖視しすぎているのかもしれない。
わたしは、もし相手の行動や言動に違和感があったら、まず対話が必要だと思っている。対話をしないでいきなり感情をぶつけることは、すごく傲慢なことだと思う。
これまで何度も「対話をしないで感情をぶつけるのは止めてほしい」と伝えてきたが、相手を変えることはできないとつくづく感じた。
他人に相談したら「それモラハラじゃないの」と言われそうな気もする。
彼はわたしの「信頼できるパートナー」では無かった。そう認めるのにすごく時間がかかった。5年もかかったのだ。
すずさんの文章を読んで、はからずも自分の思考も整理することができた。
今気づいたけど、わたしの元パートナーも絵を描く人だったな。言葉よりも感情を優先することが、芸術において大事なことなのかしらと想像してみたり。知らんけど。
わたしが「信頼できるパートナー」を持つことは本当に可能なのだろうか、と最近考える。
友達は少ない。死にたい気持ちのときに「死にたい」と言える友達はひとりだけ。そのひとりに対しても、本来の死にたさを十分の一に薄めて愚痴っぽいオブラートにくるんでいる。
それだけで十分だという気持ちもある。
40年以上、内向的で自己と対話をしてきた人間なのだ。他人と深い関係を築くのは難しいのかもしれない。
余談だが、わたしの父が亡くなって10年以上経つが、父がキャッチャーとして甲子園に出場していたことを最近知った。普通そういうの子供に100回は自慢するやつじゃないの???