はてなキーワード: イイネ!とは
シャコってこんな字書くんか…!イイネ!
今だに紙の年賀状を出しているが、もはや親しい相手に出しているというより真面目に返事をくれる人に出している状態になっている。
気がつけば20年以上前の元同僚とか、大学を卒業してから一度も会っていない元クラスメイトとか、リアルで全然会っていない人が多い。昔は職場で住所録が配られたので、同僚とかに出せたのだが、今は緊急連絡網などでお互いの携帯番号を知るのみとなっている。義理で出したくもない上司に年賀状を出したりしなくて良いのはいいんだけど、人事異動とともに切れてしまうつながりが多すぎて、過去の知り合いだけに出している状態になっている。
中には私がしつこく毎年出すから仕方なく印刷したままで手書きメッセージなしの賀状を寄越す人もいる。そういう人は無理に出してくれなくても良いのだが、全然年賀状が来ないのも寂しいのでそのままになっている。私は家庭持ちの人が子どもと一緒の写真入りの年賀状を送って来るのがわりと好きで、「〇〇さんの家の子どもはこんなに大きくなったんだなぁ…」といつも感心する。自分に子どもがいないので、子どもがいる人と歳月の認識がかなりずれているんだろうとは思う。
リアルで会う機会の多い人は何かしらSNSでつながっていることが多いので、そこに新年の挨拶を投稿して、お互いに「イイネ!」を押して新春の挨拶に替えてしまう方が早い。そこでも義理で「イイネ!」を押してくれる人や、私が「イイネ!」を押したからお返ししてくれる人が多い気はするが、年賀状に比べると手間も金もあまりかからないのでその点は良いと思う。
…ということで私の何となくそれなりに友だちがいそうな環境は几帳面に年賀状を送ってくれる人と何となくSNSで「イイネ!」を押してくれる人々に支えられている。特段の理由もなく、サシで「会おうよ」とか「遊びに行こうよ」と誘える人は全然思いつかないのは私の不徳の致すところなんだろうか。
ここ数年、スマホとタブレットを持ち歩き、家に帰ればデスクトップパソコンという環境でネットやら何やらを楽しんできた。
正直スマホでも出来ることを他のガジェットでもやっていることが多く、ただ単に老眼でスマホの小さい画面を見るのが疲れるという理由でタブレットを使っている感じだ。入っているアプリもほぼ一緒だが、電子書籍リーダーなどはタブレットだけに入れている。
それなのにさらにchromebookまで買ってしまった。ただ単にノートパソコンっぽくてカフェとかで広げたときにカッコ良く、キーボード付きなので文章が打ちやすいという、それだけの理由である。
タブレットのバッテリーの持ちが悪くなってきたので、あわよくば後継機に…と思ったが、二回りぐらい画面が大きく、キーボードまで付いているそいつはそれなりに重い。SIMカードも内蔵できないので、使える場所があるところに行くときしか持ち歩く気がしない。
結局休日のカフェで仕事してる風にしたいときしか持ち歩かない予感がする。ほとんどSNSのチェックして、イイネ!を押して、こういうところに駄文を書くぐらいしか使い道がないんだよね。
昼間仕事が暇なときや昼休みにスマホでちょっとしたSNSチェックぐらいはできてしまうので、家で毎晩パソコンにかじりついてSNSチェックや自分の欲しいものについて調べものをしていたあの時間は何だったんだろうかと思う。
自由な時間が増えたなら増えたなりに趣味を広げるとかすれば良いんだけど、中途半端に横になって寝落ちしてしまい、変な時間に目を覚ましてお風呂に入ったりしている。
インスタなどで高度な手づくり作品を披露している人々を見ると「あ〜私もああいうのやりたい…」と思うが、面倒くさがりなのでなかなかそういうのは進まない。
SNSのために恐ろしく時間を無駄にしているのは前から分かっているが、ガジェットを増やしても全然解決しないし、むしろ時間の無駄遣い加減は激しくなっている気がする。
友だちが少なく、ぼっち行動が多い私としてはこのような暇つぶしグッズのお陰で寂しい思いをしなくて済んでいるが、それにしてもこの時間の使い方は間違っていると思う。
この増田に限ったはなしではないのだが、アイマス界隈のこの陰鬱さは何なんだろう、と思っている。
しかしながらデレで新イベのアンドロメダが発表された後の、主にTwitterの反応を見ていてそうではないと気づいた。
あれが操作しやすいものだというのを脇においても、この後ろ向きが固まって投下されるのはえぐい。
イイネ!とRTの圧倒的な多さを見ればユーザーの多くはイベントを楽しみにしているのが分かる。
それだけにネガティブな個々のtweet、八つ当たりにしか見えない支離滅裂なものが多くて悪目立ちする。
⒐18(トラバの古参ならわかるだろう)の頃を引きずっているのか、ネガティブな表現力だけが研ぎ澄まされていくように見えて、近寄りたくない。
ジャニ関連の後ろ向きのお気持ちもそうだが、増田で吐いても昇華せず、むしろ呪いにしかなってないように見える。
婚活レポ漫画で読むくらいしか知識なかった所謂マッチングアプリ、今日ふと入れてみた。
30代前半男性。
自分のこの情報を入力する段階になって、怖気付いたのかもしれない。
「異性として一度市場を調査してみよう」という、逃げとも取れる大義名分を思いつく。
写真は、流石にフリー素材を使うのは気が引けたので、ちょっと前に流行ったAI変換アプリで自前のものを準備。(少しでも可愛く見えるように盛ったけど、マッチングアプリ側での再加工ターン?で目線とかボカしたら結局意味なかった。)
とにかくこうして俺は、23歳女性ステータス「暇つぶし」となった。
登録5分もしない内に山のように足跡やらイイネがつくので驚いたが、これは想定の範囲内だった。
イイネ!してきた男のプロフィールを一つ一つ見る。結構みんなツマラナイやつばっかかと思ってたが、まれに話してみたい奴も居る。
でも基本なんかつらいな。
自分も人の事言えないが、自撮りが下手な男多くないか。表情ポーズがカッコよく撮れてないとかいう次元じゃなくて、とにかく暗い。
あとはバーなの?居酒屋なのか?店内で他人に撮られた写真を切り抜いたやつも暗いわ画質が悪いわでまあ酷い。
思ったよ、そりゃアウトドアしてるやつはモテる。だって自然光で写真撮ってる。その機会が多い。
お日様の下だと美形でなくとも生き生きして見える、顔が。
とにかく言いたい事はこれだ。
以上。
SNSというのは本来お気楽に「今日こんなことがあったんだ。」とか「ランチでこんなものを食べた」みたいな投稿をするところだと思っていた。
が、年々SNSに投稿される写真のレベルが上がり、他に趣味としてやっているペーパークラフトもやたら手の込んだ作品を投稿する人が多く、気楽に深く考えずに投稿するとスルーされてしまうことが多い。
「頑張ってインフルエンサーになりたい」「自分の写真を沢山の人に見てもらってその道で認められたい」「仕事の宣伝のためにSNSをやっているのでフォロワーとイイネ!を稼ぐ必要がある」という人々にとってSNSは自己PRのための重要なツールなので、練りに練ったうえで投稿しているのだろうとは思う。
そういう人と張り合っても勝負にならないということは頭では分かるけど、もう少し緩い気分で投稿したらいけないんだろうかという疑問を感じる。始めからリアルの知り合いに見てもらえれば良いと割り切るか、何となく言いたいことを吐き出せれば良しとするしかないのかな。
とある写真の上手い若者が、「写真を承認欲求を満たすための道具にしたらいけないんですよ!」と吐き捨てるように言っていたことがあって、SNSの投稿にあたってもその心構えは必需品なんだなと思う今日この頃。それにしても彼の写真を世に広めないのは惜しい気がするけど。タグ付けとか公開設定でいかようにも「イイネ!」は増やせると思うんだが、実力者はそういうところにこだわらないんだろうか。
私は小心者の凡人なので、それほど手間をかけた投稿もしていないのに、それが誰からも相手にされないと小さく傷付いている。そしてやたらと「イイネ!」が集まる人気者を羨ましく思っている。
今まさに某SNSでそれをやっちゃってるとこだが、そこでは私生活とか自分の考えを一切書かずに自分の手作り作品の写真をアップするだけにしている。
いろいろな人の投稿に「イイネ!」を押してあげると律儀に「イイネ!」を返してくれたりフォローしたりしてくれる人の多いこと。そうはいっても今ようやく50を超えたところなのでたぶん100まで行かないと思う。
だいたい20ぐらい「イイネ!」をもらえると満足するのでこのぐらいで良いかなと思っている。あまりフォロワーばかり増やしても、こっちが「イイネ!」を押す手間が増えるのでほどほどにしようと思う。
同人誌の感想が貰えるとか貰えないとか仲良くなりたいとか送ったら筆折られたとかみんな本当に色々考えているんだなと思う。特に最近は、あっちを見てもこっちを見ても感想感想ねこも杓子もバナナも感想の話をしている。すごい。みんな感想についてそれだけ思うところがあるということなのだ。思う方向性はバラバラかもしれないが、とにかくみんな感想の話をしている。しかしその中に自分と同じような意見を見かけることが少ないので、せっかくだから匿名ブログで書いてみようかなと思った。読んで気分が悪くなっても何もしてあげられないので、繊細な人は読まないでほしい。感想欲しさが原動力で作品を作っている人もできればやめておいた方がいい。あと胃腸が弱い人もやめておいた方がいい、胃腸はメンタルにかなり引きずられると病院で聞いたことがある。お体を大切にしてほしい。
ちなみに筆者は最近巷で話題の「二次創作を中心に活動している女オタク」というやつなので、そこだけご了承いただきたい。
はじめに:感想ほしい?
「ほしい!」と即答できる人は元気でよろしいと思う。「貰えたら嬉しいけど色々あるよね」と言える人は大人で素晴らしいと思う。「ほしくない」と言える人はこれを読んでもあまり面白くないだろうと思うので、やめておいた方がいい。
さて、感想が欲しい、もしくは貰えたら嬉しい人は、「感想をもらうためにやった方がいいこと!」みたいなweb記事とかをまあ一度くらいは見たことがあると思う。しかしそういう記事は、その記事の執筆者が「本当に実際感想をしこたま貰っているのか」ということには言及しない。そらそうだ、そんなこと書いたら普通は叩かれるだろうから。というわけで、あくまで「周囲と比べて」沢山感想を貰っているらしい自分がやっていることを書こうと思ったのだ。ちなみに友人がみんな謙遜してウソをついていた場合は友人全員足の小指をぶつけて一週間くらい地味に痛い思いをしてほしいと思う。
その1:どのくらい感想来る?
ネットで記事やアンケートを見てみると、「感想は1%未満」とか「3桁頒布したのに1件も来ない」とかざらに見かける。とても悲しいと思う。
自分は、50部頒布した作品に15件ほど感想が来たことがある。知り合いや友人はノーカウントだ。pixivで閲覧数1万程度、ブクマ数1000程度の小説作品に大体80件くらい感想を貰っている。80件の内半分くらいはそれなりに長文だった。インターネット引きこもりクソオタクなのであんまり知らなかったが、これは多い方なのだと友人たちに言われて初めて知った。勿論こんな弱小キモオタサークルよりいっぱい感想を貰っている人もおられることと思う。そういう方の参考になることは書けそうにない、すまない。自分のような若輩者でこれだから、壁やシャッター作家なんてのはもっともっと感想を貰っているものだと思っていたが、実はそうでもないらしい。世の中には毎日50000通くらいファンレターの来る神作家もいるのかもしれないが、自分は出会ったことはない。
「感想こじき」というスラングがある。大声で言えない悪い言葉を使っているが、インターネットスラングなのでそういうものなのだろう。ではこの言葉の対義語、つまり感想をびっくりするほど貰っている人は何だろう? という話をしていて「感想富豪」という対義語が出来た。周囲と比べてみると、自分は感想富豪なのだと思う。ありがたいことだ。自分はインターネット上ですらクソ引きこもりオタクなので、交流とか新刊読みました〜(読んでない)とかお世辞合戦とかそういうのはしていない。pixivメッセージやメールやぷらいべったーのメッセージボックスやマシュマロ、時には同人誌即売会でのお手紙やTwitterのリプライなど。色々なものを利用して、読んだ人が感想を送ってくださる。羨ましいと言われたこともあれば、友人だと思っていた人に「あなたはいいよね、有名作家に擦り寄ってコネで感想もらってるんでしょ」と即売会の会場で面と向かって罵られたこともある。しかし、特別なことをした覚えはあんまりない。ちなみにその友人だった人とはもう連絡もしていない。
自分がしていることは他人とは違うんだろうか? 自分の同人誌は何かおかしいんだろうか? 自分ではよく分からないが、みんなが感想富豪になったら感想が来なくて発狂する人を減らせるかもしれない。あともう友達だと思ってた人に罵られなくて済むかもしれない。そんな感じである。
その3:一に中身、二に中身、三、四がなくて五が中身
感想を沢山貰う作品というのは、大体どれも「中身」がちゃんとすごい作品だと思う。雑でテキトーだったり、やる気も技術も印象深いところもない作品は、やっぱりあまり感想が来ないと思う。だから作品の中身、クオリティをまず上げなくてはならない。絵ならデッサンや色彩、小説なら文章表現や構成、キャラクターの魅力を的確に捉える努力、それを自分なりの形で表現する情熱。そういうものの具体的な鍛え方はたぶん詳しい人が色々書いていると思うので、そういう記事を探してほしい。
ちなみに個人的な印象としては、ストーリーがきちんとあり、起承転結、盛り上がり、カタルシスなどが備わっているものが、同人作品としては「感想を貰いやすい」ものだと思う。送る側の心理として考えると当たり前のことだ。SNSのいわゆる1p漫画でも、起承転結のある(あるいは感じさせる)作品には何かを言いやすいし、ストーリーを感じられないものには感想を言いにくいからだ。
その4:どんな感想ほしい?
「好き」だけでもいい、とか「良かった」の一言でもいいとか、そういう人もいる。気持ちはわかる。
お前らが欲しいのは感想じゃなくてファンレターだろwwみたいな言説もよく見る。同人活動は趣味で赤字出しまくったりして仕事の合間にやってることなので、真面目に批評を頂いてもまあ困る人もいる。同人屋全員がプロを目指している訳ではない。向上心とは素晴らしいものだが、基本的には趣味でやっていることだ。同じものを好きな人が作品を気に入った時にそう言ってくれれば良いのではないかと思う。なので欲しいのは感想じゃなくてファンレターだろと草を生やすような人はちょっと論旨がずれている。そういうのはプロ志望の人に言ってあげてほしい「感想」であって、趣味の世界で見知らぬ人に向かって言ったら空気読めてないだけのキモいウエメセになる可能性が高い。
とにかく褒めてほしいという人もいる。なんでもいいし嘘でもいいから褒めまくってモチベ維持に協力してほしい、という気持ちもまあわからなくはない。
だが、そういった人たちも含めて大勢の作家が「こういう感想が欲しい」と憧れるようなヤツ、というものが世の中にはある。
もう何年も前に見たあなたの作品をずっと探していました、とか。
ジャンルが変わった作家を追いかけて、あなたの二次創作が読みたいから原作を読みました、とか。
即売会に参加したことは今までなかったけど、あなたの新刊が欲しくて今日は勇気を出して来ました、とか。
色々ある。どれも、送る側はお世辞では言いにくいデカめの感情のこもった感想だと思う。だからこそみんなそういう感想が欲しいと思うし、貰った人を羨むし、自分もそうなりたいと思うのだろう。ちなみにこれらは自分が貰ったことのある感想の一部だ。とても嬉しかったし、ありがたいことだと思っている。
しかしネットを見ていると、とりあえず即薬物(感想)を注射しないと死ぬ! みたいな意見もけっこう見かけるので、まずは一つでも感想を貰うためにできることを書いておこうと思う。
語彙力喪失エッチダネイイネ! 絵文字大乱闘! みたいな感想が欲しければ、アホエロに特化すればいい。長文で解釈や説明をしながら感想を言ってほしいなら、ストーリーものの重たい話を作ればいい。出来れば長い作品だと感想も長くなりがちだ。とにかく褒め言葉だけ聞いていたいので今すぐベタ褒めしてくれ! というなら、とにかく短いスパンでどんどん短編を出すことだ。なおどんな作品でもクオリティを上げるのは前述の通り最低条件である。クオリティはこつこつ努力するしかない。
どういう感想が欲しいかで、どんな人に見てもらいたいかは変わる。見てもらいたい人が違えば、作品も変わる。だからまずはどういう感想が欲しいのか、自分によく質問してみるといいと思う。その次はマーケティングだ。読んでほしいと思う層に的確にヒットするように、傾向を探る。そしてマーケティングに合わせて作品に味付けしてやればいい。
装丁は本の化粧である。人間だってメイクで別人のようになれる人がいるので、本も装丁ですごくよさそうな感じに見せることは出来る。中身が伴わなければ顔面詐欺とか言われるかもしれないが、まず即売会の会場やSNSのサンプル画像などで「おっ」と思ってもらうためにも装丁は大切だ。
装丁というとすぐに特殊紙! ニス盛り! 変形本! とか言い出す人もいるが、はしゃぐなはしゃぐな。まずは「目で見て分かる平面のデザイン」からだ。どんなに特殊紙キラキラ金かかり装丁にしても、デザインがクソだと台無しになる。特にサンプル画像だと紙の質感とかはわからないので台無しになる。同人誌のデザインについてはその手の本もあれば親切な講座サイトからフリー素材配布者さんまでいろんな専門家がいる。周囲に目を引くデザインの同人誌を出している人がいるなら、本人がデザインしてるのか、外部に頼んでいるなら誰に・どんなサービスに頼んでいるのか、聞いてみてもいいだろう。
良い装丁の本になれば、それをきっかけにして手に取ってくれる人が増えるかもしれない。中身と装丁が釣り合っていて噛み合った本なら、装丁も含めて「一つの作品」として感想を貰えることだろう。
即売会ならポスター、サンプル。SNSなら他人の紹介記事やRT。宣伝になることはたくさんある。一次創作か二次創作か、それにジャンルによってもどこで宣伝するのが効果的かは違う。自分の出したい作品に合わせて宣伝方法や場所も選ぶといい。宣伝することで作品を見てもらう機会が増やせるなら、その分感想を貰える確率も上がるかもしれない。当然これらの宣伝もクオリティに気を使った方がいい。ただし、宣伝は他人任せになる部分が多い要素だ。自分で宣伝しても限界があるので、その分の労力を作品の中身に使った方がいい場合も多い。初心者は特に。
その7:感想への反応
これは本当に人によって様々だし、ジャンルや界隈の人たちの暗黙の了解みたいなものも関係してくる。なのでここには自分のやっていることを書いておくが、あまり参考にはならないかもしれない。
自分は前述の通り、長文の感想や熱意の高い感想を貰うことが多い。そうした感想に対して、「わ〜ありがとうございます〜!」一言だけで済ませてしまうのは、自分は嫌だと思っている。一生懸命に書いてくれたと伝わる感想なら一生懸命に心を返す。好きなところをたくさん抜粋して書いてくれた感想なら、その抜粋部分に対する作者側からの話をする。クソデカ感情ぽい感想なら、その感情受け止めたぜ! という心意気を目一杯返す。そういう感じで返事をしている。感想を送った人は、何も「コイツにすり寄ってウマイ汁すすってやるぜ」とか思っている人ばかりではないと思う。作品を読んではちゃめちゃ楽しんで、その気持ちをくれた人に喜んでもらいたいと思って送る人もいると思う。だから自分も、そう思ってくれた人に喜んでもらえたらいいなと思って返事をしている。どうせ同じ穴のオタク、お互いを尊重していきたい。
もし相手が喜んでくれなかったらそれは残念だが、喜んでくれれば次の作品にもまた感想を送ってくれるかもしれない。感想が貰えたら自分もやる気が出てどんどん作品を出せるかもしれない。win-winの関係、幸せのスパイラルというやつである。
同人活動は趣味でやっていることだから、「感想こねーからやめるわ!」も自由だし「感想ほしいから他人にお世辞を言ってでもお返しを貰う」のも自由だ。全員が本当に欲しい感想を貰うことは難しいだろうし、感想が来るかどうかには運やタイミングも関係する時があると思う。でもやっぱり、少しでも多くの人がハッピー創作活動できた方がいいと思う。
まずは一に中身、二に中身、三、四がなくて五が中身。マーケティングして、装丁頑張って、宣伝して、感想が届いたら頑張って返事をするといい。それでもうまくいかない時もあると思うけど、それはたぶん神作家と呼ばれるような人にもある悩みなんだろう。がんばれ同人屋。無理するなよ同人屋。体大事にしてね同人屋。自分もこれからもその辺のネットの端っことか即売会の島でがんばるので。
私は10年ぐらい前から写真を趣味とし、デジカメもセンサーサイズが大きめでいろいろマニュアル設定もできるカメラやデジタル一眼レフをゲットし、撮影に励んできた。理論書も読んだし、初心者向けのスクールにも通った。
たぶん写真の理論編についてはアマチュアの中では強い方ではないかと思う。が、いかんせんセンスがない。よくカメラ女子がSNSにアップするようなお洒落な写真はどうすれば撮れるのかさっぱり分からない。あと、光を上手く使うことができない。たとえ普通の公園でも良い感じの光が差しているときに、可愛い子どもでもモデルにして撮ればそれなりに良い写真になると思うが、そんな場面にとんとお目にかからない。
それでも昔はケータイで撮ったまんまの写真を無防備にアップする輩がおり、彼らはピンボケしていようが多少ブレていようが気にしていなかったので、いかにも失敗写真みたいなのは絶対にアップしない私は意識高い系だったと思う。が、今はありがちで工夫のない撮っただけ感満載の写真はバカにされる気がする。少なくとも「イイネ!」がいっぱいつくことはない。
むしろSNSには、良い撮影スポットを探し、絶妙なタイミングや光を狙って撮影し、レタッチにも手を抜かない写真が次々アップされるようになってきた。たぶんアマチュアで他の仕事をしながら写真を撮っていると思われる人々が、次々にアップされては流れていくSNS上の写真に恐るべき時間と情熱を注ぎ込んでいる。
いちおう記録写真としてはありだと思うが平凡な私の写真は、さほど発表に値しないものになった。…というか前からそれほどレベルは高くなかったかも知れないけど、基本的なピントや露出が適正ならOK だったアマチュア写真が、常にフォトコンに入賞を狙うようなレベルのものになってしまって自分は写真をネットにアップするのがつらくなった。
今でも写真は撮っているし、時々SNSにもアップするけど、いつからアマチュアの写真はこんなになっちゃったのかなぁと思う。むしろプロカメラマンのアカウントをフォローすると売り物になる写真はSNSにアップできないので、意外と平凡な飲み会の写真とか、仲間の写真展に行ったときの記念写真だったりする。
昔は何も考えずに撮ったまんまの写真をアップする輩をバカにしていたのに、気がつけば自分がろくに工夫のない平凡な写真を量産するだけの女になっている。気軽に撮っただけの写真をアップして、ひとこと日記みたいなのか書けるSNSがあると良いなと思う。既存のSNSでもそれはできるんだけど、周りの写真のレベルが高過ぎると何だかつらい。
写真は飯の種ではなくて、むしろ金食い虫の趣味なので、止めたかったら止めればいいんだけど、それなりの歳月をかけてきただけに無駄にはしたくない。これからどういうふうに写真とつきあっていけば良いのか悩む。
昨日家に帰って、愛用していたタブレットがないことに気付いたときには真っ青になった。たぶん職場の引き出しに入れっぱなしなんだろうとは思ったけど、最近は仕事からプライベートまでこれなしには生きられないぐらい依存しているので、手元にないと寂しくなる。
職場のパソコンはインターネットにつなぐ手続きが面倒で、仕事用の画面を開いたまま、ネットで調べもの…という初歩的な芸当もできない。ネット用の画面に切り替えるよりスマホやタブレットで調べてしまう方が楽だ。
昼休みとかの時間つぶしもタブレットでSNSとかをチェックしたりして何となく過ごしてしまう。スマホでもできなくはないが、老眼がはじまっているので、タブレットの大画面で見る方が良い。
家に帰っても、パソコンの電源を入れるよりタブレットでさくっとメールとSNSをチェックしがちだ。そしてそれで友達の投稿をチェックして適宜「イイネ!」など押しておけば義理を果たした気分になる。
投稿するのも嫌いではないのだが、いかにもネタを作るためにわざわざ出かけた感が伝わりがちなのと、無駄に長い文章を書いてしまいやすいので、あまり頻繁に投稿しない方が世のため人のためだと悟った。が、時々投稿してしまって「イイネ!」の数に一喜一憂してしまう自分が情けない。
今回は99%職場に置き忘れたことが分かっていたので比較的冷静でいられたけど、一度紛失したかと思ったときは発狂しそうになった。結局自分のリュックの奥深くに入っていたんだけど、スマホの小さい画面ですべての用を足すのは耐えられないので本当に困った。
代わりに最近はパソコンを立ち上げて夜遅くまでだらだらとネットサーフィンをする時間が減った。晩ごはんを食べると眠くなり、一眠りしてから風呂に入って今度はちゃんと布団で寝るというのが生活パターンになりつつある。
だらだらパソコンでネットを見ているぐらいなら早く寝る方が健康的だとは思うが、どうせなら早く風呂に入って、ちゃんと布団で寝る時間を長くしたい。どっちにしても自分の友達がタブレットとパソコンだけで、ネット以外の娯楽がほとんどないのが悲しい。
有名SNSのIDを一通り持っているんだが、それをチェックするのが面倒くさい。
特に複数のSNSで同じ人をフォローしている場合なんか、同じネタをあちこちで使い回している人と、特定のSNSにだけ投稿する人がいるので、どこを見てどこで「イイネ!」を押せば良いのか分からない。
私としてはその人がメインとしていると思われるSNSで「イイネ!」とかコメントとかしたいんだが、全部をせっせと見て歩くのも時間の無駄だなぁ…と。
そういうことでここしばらくはインスタを無視して生きていたのだけど、先日インスタのいろいろな機能を教えてもらったので、ちょっと再開したい気分になってきた。インスタはセンスの良い写真をアップする人が多いし、写真好きな人が他のSNSを使わずにインスタだけに写真をアップしていることも多々あるので無視するのはもったいない。が、私のもらえる「イイネ!」は義理とお返しで成り立っているので、人さまの写真をマメにチェックして「イイネ!」を押さないと、自分の投稿に「イイネ!」はつかない。他人からは詳しい「イイネ!」の数は見えない仕様になったらしいけど、やはり投稿するなら全然「イイネ!」がつかないのは悲しい。
一番気楽に見られるのはtwitterで、有名人だとちょっとした発言で炎上したりして大変らしいが、私のようにフォロワーの少ない人が鍵アカでぶつくさ呟いている分には華麗にスルーしていただける。全然知らない人のつぶやきでも気の利いたことを140文字以内でコンパクトにまとめてあると感心する。twitterでの面白投稿をいろいろまとめたサイトを眺めるのも好きだ。
前はSNSで美しい写真を見るのが好きだったけど、最近はコンパクトで面白い文章を読むのが好きだ。写真を撮るのも好きだけど、あまり撮るネタがなかったり、明らかに他の人よりショボかったりすると投稿を躊躇してしまう。
「ROMに徹する」「遡らずにその時流れている投稿だけをチェックする」「『イイネ!』の数を気にしない」など対応策は多々あるが、人並みもしくはそれ以上の承認欲求を持ち、「イイネ!」を押してくれる人にはお返ししたくなるのでやっぱりそれは難しい。自分の性格の問題を棚に上げて、何でこんな面倒なものが出来てしまったんだろうかと思う。
え~と、私も写真を趣味にしてそれなりの年数経つけど、元増田の意見に賛成の部分と反対の部分と両方ある。
今しゃかりきに写真を撮っている人々は、「上手い写真や完成度の高い写真を撮りたい」のではないと思う。自分が誰とどこに行って何をしたかを残すために写真を撮っているのだと思う。
元増田的価値観だと、プロかハイアマチュア以外は写真を撮る意味がないということになってしまう。が、SNSなどで絶景写真や美味しそうな食べ物写真を見たら私もそこに行ってみたい、同じものを食べてみたいと思う。そしてそれを証拠として自分のカメラやスマホに残したいと思う。
誰も彼もがSNSで自分の生活をさらけ出せる時代、どうしても写真は自己顕示欲を満たす手段になりやすい。「○○ちゃんと△△に行きました」「××を食べに行きました」と投稿するからには証拠写真は必須だ。
「プロが撮った方が上手い」「スマホより一眼レフの方が画質が良い」というのは皆分かっている。が、自分で撮って自分でアップすることに意義がある。本格的な機材を持っていて、それなりの腕の持ち主なら、自分の腕前を見せびらかしつつ、「イイネ!」を集めて自己顕示欲を満たすことも可能だ。
私は皆が立派なカメラを持ってきて三脚をずらっと並べているような場所は嫌いだが、それでもテレビなりネットなりで絶景スポットや美味しそうなお店を見ると「行ってみて写真を撮りたい!」と思ってしまう。そんなのプロの方が上手く撮れるに決まってるとか、食べ物を作ってくれた人に失礼だから撮影はほどほどにして早く食べろという理屈は分かる。現に食べ物を撮るときは納得いくものが撮れなくても2~3枚に止めている。
でも後でそれらのデータをパソコンに取り込んで眺めると、自分がすごい充実した生活を送っている気分になれて幸せである。写真の出来がまあまあだと思えばSNSにアップして、「イイネ!」が集まれば満足する。そういう人間を軽蔑する人々がいることは分かっているけど、そう簡単に足抜けできるものではない。
元増田の意見を見ていると、プロ志望のハイアマチュアカメラマンがSNSのない時代(コンテストなどに入賞する腕前でないと自分の作品を発表できない)に書いたもののように見える。そういう理屈もあるだろうし、撮影マナーとして、素人の写真なんかたかが知れてるんだから、皆が写真を撮りたい場所では撮影にこだわるのはほどほどにして早く他の人に譲れというのはありだと思うけど、時代を逆戻りすることはできないんじゃないかな。