はてなキーワード: 隠蔽とは
アルセウスがSwitchのポケモンで最高の売り上げを記録するらしい
しかし自分はバサギリを倒すところで一旦やめて、そのあともドレディア討伐までは進むことができたが、やはり没入できなくて積みつつある
Twitterで友達のクリア報告や、RTで回ってくるプレイ動画やスクショの盛り上がりに対して、自分の冷めた目がなんだか置いてかれているようで悔しい
あくまで子供向けゲームなので30を過ぎた自分がハマらないのは実はもう自然なのかもしれないが、評価されているなりに楽しみたかったという思いが残る
以下自分なりにハマらなかった原因をまとめようと思う
今作はプロモーションの映像の段階から、BotWっぽい雰囲気が見てとれたのは誰しも感じたことだと思うし、その要素を期待する人も多かったのではと思う
実際にプレイしてみるとモーションのシステムなども流用しているのを感じる
しかし、BotWっぽさ?だけを比べると演出や探索要素の密度で大きく開きができてしまっているので初見で肩透かしを食らった
BotWはローンチながら上手いことハードの限界をこだわった演出などでカバーしていたのに対して、アルセウスのフィールドの見せ方にはお世辞にも上手いとはいえない
拠点となる街が一つで、ゲームがほぼ自然フィールドの中で行われるというデザインに対してこれは致命的だと思った
Switchというハードの限界はわかるが、アクションRPGという世界に飛び出すなら、ローンチのゲームに負けないほどには世界の見せ方にはもっとこだわってほしかったと思う
第二に、バトルがつまらない
今作の捕獲システムは以前のポケモンから一線を画すステルスアクションとなったが、肝心のバトルはほぼ変わらないポチポチバトルだ
フィールドやポケモンの捕獲がシームレスになったのに、バトルを挟むことでテンポが悪くなっている
ストーリーでのバトルがある程度つまらないゲームなのはずっと変わらないことなのだが、剣盾は大幅に進化してカメラワークなどで臨場感をうまく伝えていた
今作はバトルへの移行を中途半端にシームレスにしてプレイヤーを操作できるようにしたが故に、カメラワークがフリーになり、棒立ちのポケモンが技を繰り出しあうのをただ見るだけに劣化したと言わざるを得ない
ポケモンに対する捕獲orバトルというオペレーションの選び方が、バトルが相対的につまらな過ぎるので頑張ってステルス捕獲するという一辺倒なパターンになってしまい、結果的に捕獲のアクションにもすぐ飽きてしまうというシステムへの注力のバランスの悪さを感じた
ことに集約されている(しまっている)と思うのだが、肝心のポケモンたちには、生きているというより「配置」されているという印象を受けた
レンダリング負荷かからか、ポケモンのグラフィックも剣盾から落ちてなんだかのっぺりしているように感じる
残された観察・捕獲の楽しみの可能性についても、こだわって作り込まれているようには感じられず、最終的にはどこに没入すればいいのかわからないゲームになってしまった
まとめると
これらの要素をうまく隠蔽できてなかったのがハマらない要因なのかなと思った
今までのポケモンもポケモンであることに依存してたのはそうなのだが、圧倒的なポケモン本編の伝統を保っていたために、思い出もあってそれを感じることはなかった
今作はシステムやゲームデザインを大幅に変えて、新しい要素を追加したものの、それらの土俵ではゲーム全体として大きく遅れをとっている
ポケモンとしての進化以上に、ただのゲームとして見た時の粗やつまらなさが、ポケモンでは隠蔽できないほどに自分には目立ってしまった
この点で、自分にとってはポケモンらしさで全てをごまかせていた剣盾のほうがストレスなくプレイできたと感じる
ただ、やはり作品として圧倒的に評価されていて、SNSや YouTubeが盛り上がっているのを見ると、ポケモンの新作としては傑作であり、俺が新しいものを受け入れられなかったり他のゲームと比べてしまうのが良くないのだと思う(対象年齢もあってはない)
とはいえ次回作では、ただただポケモンというキャラを愛する人たちだけでなく、単純にゲームがしたい冒険がしたい人にもやりごたえを感じられるように改善して欲しいものである
https://news.yahoo.co.jp/byline/mochizukihiroki/20220204-00280443
判決後のリンさんの言葉。「私は、子どもの遺体を捨てたり、隠したりしていません。」「もし裁判官が、苦しんでいるお母さんが出産したり死産になったりしたら、技能実習生が苦しんで、社長さんや会社や監理団体が帰国させたり、圧迫したり、そんな気持ちがわかったら、多分結果が違うと思います。」
…っていうけれど、いくら何でも裁判官がそこまで無知な訳ないでしょ
『苦しんでいるお母さんが出産したり死産になったりしたら、技能実習生が苦しんで、社長さんや会社や監理団体が帰国させたり、圧迫したり』っていう状況が十分に分かっているからこそ
ああこの被告人は妊娠を実習先にも相手の男にも隠して殺す気だったし運良く死産したら隠す気だったのだという推定が働き、多分それは正しい訳で。
いやマジで『苦しんでいるお母さんが出産したり死産になったりしたら、技能実習生が苦しんで、社長さんや会社や監理団体が帰国させたり、圧迫したり』というする事が
遺体遺棄の事実を否定する事にどう繋がるの?バレたら不味いと思うから隠蔽したんだよね?どう考えても補強しているじゃん
このベトナム人技能実習生の女性ってどう見ても主観面は殺人で、実際には死体遺棄という軽い罪で済んでありがたいと思うべきだろうに
これも読み間違えている可能性がかなり高い
今の事務方トップ連中は監督責任を問って訓告(どまり)。減給処分は受けてないので、事実誤認
処分対象が狭い、処分が甘いは分かるが、今までやってたやつらは「放置」はちょっと違和感ある
〜〜〜〜〜
で、「改竄報告したのに減俸」て事実誤認コメに⭐︎つけた、とあるブクマカが
「報告した人は報われて、今まで隠蔽や黙認してた人が責任を問われるべき」ってこれまた事実誤認に基づいて正義気取ってて、スター人気上位
ちなみに
Yahoo!ニュースで件の処分のニュースを探すと
「対象の10人のうち、8人は 当 時 の 統計部門の室長以上の管理職。7人は減給1~3か月や戒告の懲戒処分、1人を訓告とした。」
「山田次官と石田優国土交通審議官の2人は 組 織 の 監 督 責 任 を問い、 訓 告 とした」と詳しく報じられている
>報告した人は報われて、今まで隠蔽や黙認してた人が責任を問われるべきだよね
否定側「怖い;;」
否定側「じゃあ私に何かあったらあんた責任取ってくれるんですか;;」
肯定側「じゃあ打たずに社会に迷惑かけたらどう責任取るんですか」
否定側「どうして盗みも殺しもしてないのに反社会的人間だと言えるんですか;;」
肯定側「あなたがやっていることは間接的に『殺し』なんですよ」
否定側「何でそんなにワクチンに全信頼を置いてるんですか、ワクチンを打ったところで『殺し』になることはあるかもしれないし、それは病気なんだから仕方の無いことです。どうしてそれで自分の身を案じてはいけないんですか;;」
肯定側「あなたはワクチンを全然信用してないんですね。多分デマとか信じてるんでしょう。どうしてあなたはデマを信じるんですか」
否定側「逆に疑問です、どうして隠蔽ばかりしてきた政府や偏向報道ばかりしているマスコミの言うことを全て信じるんですか、もっと反対意見や様々な意見を集めてみようとは思わないんですか、まず本当にデマかどうか調べて言ってるんですか;;」
「大体コロナワクチンの治験なんてろくにしてないんだから後遺症も何も分かってないんですよ。それなのによくも何回も打てますね;;」
「打ちたきゃ打てばいいですよ。ただ打たせないでください;;」
https://twitter.com/kayuumaatsui/status/1480342841734070274
表自連中って、「犯罪に繋がるという数値やデータを出してくれ、出してくれれば規制に従う」という、全然、「表現の自由」でも何でもない事をよく言うようになったけれど、それってPSYCHO-PASSのシビュラシステムみたいなのが出来たら無批判に従うって事を意味するんだけどいいのか。いいんだろうね。
「データや数値さえ出してくれれば唯唯諾諾と従う、その数字の確実性や真実性は問わない」っていうのは、「表現の自由」を求める人の発言ではない、「思考停止」を欲する人の発言だよ。
右翼連中が、原発の汚染水の海洋放出に無批判なのとまるで同じ。
大元のデータに誤魔化しや隠蔽があるのではないか、まで思考が届かない。
民主党政権だったら批判できても、与党自民党だと鎖のついた犬のように従う。
それは、【思考停止】の【口実】が欲しいだけで、科学的態度ではないね。
コロナ禍での東京五輪強行の際に、与党自民党がスパコン富嶽に「開催に都合が良いデータ」を出させたように、数値やデータってのは誠実でない人が扱えば簡単に歪められるってわからないかな。わからないんだろうね。こうした諸々を無視して、数値やデータに盲目的に従うのは、要はマチズモの一種だよ。
何度も指摘している事ですけれど、彼らは表現の自由の1丁目一番地が権力批判である事を理解したがらない。
理解すると、彼らの大好きな与党自民党と戦う必要性が出て来てしまうからです。
なんで英語版Wikiでは【言論の自由】の項目に【表現の自由】が含まれるのか、など、考えた事もないのでしょう。
改憲されたら、【公共の福祉】が【公益及び公の秩序】になるわけで、比較にならないほど危険ですね…【公共の福祉】ですら散々悪用されてきて、【一元的内在制約説】に現在は落ち着いているのに。ちなみに日本版Wikiは与党自民党の改憲が正しいかのようにミスリードしています。前はもっと露骨でした。
その後輩、入社して数ヶ月。1ヶ月目くらいで直属の上司が変わり、すぐ私の直属の部下になったんだけど全く使い物にならない。
例えば「Aという作業をやってね?」というけれど、Aはその作業のやり方がわかんないんだよ。でも私に聞かない。
「なんだ、聞かないってことは他の人が教えてくれてたんだな」と思ってたら他の人に「これはどのようにしたらいいですか」と聞いていた。知らなかったんなら聞けよと思ったけど、私には聞いてこなかった。
後、営業なんで契約を結ぶのも仕事のうちだけど、契約後の動きについても向こうから何も聞いてこなかったので「わかってるんだな」と何もせずにおいたら「私さん、なんで何も教えてないの?あの子あちこちに電話かけ
てやり方聞き回ってるよ。教えてあげて」と他所の関連部署から私が叱られ、何も知らなかったことが判明。
てっきり他の人に教えて貰ってるんだと思ってたのに、なんで何も言わないの?言わなかったらどこまでわかってるかわかんないよね?と叱った。
昨日上司に呼び出され、部下が辞めたがってると聞いた。
私の下でやりづらいって。
「聞いてきたら教えますよ」と言うと、「お前に聞きに行くと『○○さんに聞いて!』ってぶん投げるだろ。不親切だ」と言われた。
意識してた訳では無いんだけど、私が「○○さんに聞いて」と言う→後輩が○○さんに聞く→私「○○さん、1文の得にもならないのに君のために教えてくれたね。良かったね」と言う
という流れをしょっちゅう目にして、そんなんじゃ誰も聞きたがらないだろうと。
あと、「嘘をつくな」「隠蔽するな」という言葉を1日何回も彼女に言い聞かせていたのもやりづらさの原因だと言われた。
単純に、役所に出す書類について1度だけ指導したことがあり、書式も渡したのに、今までのやり方とまるで違う書式を揃えてきたので、彼女が嘘をついてるとまでいかないがヒアリング不足だろうと思って、ほかの部下に確かめさせたことがあった。
結果私の書式はかなり古くて、それだと受け付けて貰えないみたいだった。
それについては彼女が正しかったんだけど、彼女を嘘だと責めた後、「○○さんが言うなら間違いないか」と言ったのが傷ついたと。
「でも報告くれないんですから仕方ないでしょう」と食ってかかると、「後輩が話しかける時明らかにだるそうになって、何か報告しても『あー、あー、あー、あっ、そう』って返してたし、それはやりづらいって。他の人にはにこやかなのに」
だけど後輩は要領も悪くてちゃんと受け答え出来ないし、そういう扱いも仕方ないだろということを話したけど、
「俺も話したけど他の人にはちゃんと報告出来てる、お前の問題。もし嫌なら後輩を他の部署にやるがお前の評価にも関わる」
というので、まあ面倒みなかった私もいけないと思った。
だからその日以降彼女に話しかける時「今よろしいですか?」「報告を聞かせてくださいますか?」とゆっくり話しかけて、報告してくれたら「事実ですね?」と言うようにしたら、上司からまた「そうじゃねえんだよ」と言われた。
とはいえどうしたらいいのか。
いじめが何故起き、そして何故黙認されるのか、それは学校という空間が異常だからだ。
個人的背景も経済的背景も違えば勉学に対する意欲も成長の度合いも違う人間を集めて管理するなどそもそも無理がある。
その無理をどうにかするために行われているのが学校の治外法権化である。
治外法権となれば当然「外の世界」の法律は適用されなくなり、中の都合によって法は定められていく。
多くの教師が考えているのは生徒を管理下に置くことであり、分かりやすいヒエラルキー構造が教室に広がるのは管理するのには都合がいいのだ。
端的に言えば教師にとってはいじめは程度さえ大きくなければ歓迎してもいい状況である。
個人が個人の感情で暴力を奮っても、力関係が強いものがやったのであれば黙認されるべきであるという風潮は、教師が体罰をするにあたっても都合がいい。
クラスのリーダー的な存在が生まれれば、教師が機嫌を取るべきはそのリーダーと取り巻きであり、下位層にいる生徒は卒業までの間に壊れないかだけを注意しておけば良くなる。
社会が教職者に押し付けた無理を、教職者は学校という空間の法とモラルを歪めることで解決しているのだ。
もし、その歪んだ法を正そうとすれば何が起きるか?
「いじめ問題だけを隠蔽することを辞めさせれば良い」なんて簡単に考えているのだろうか?
そんなことを生徒や親が許すはずがない。
生徒が法によって裁かれるなら教師も同じでなければならない。
逆を言えば、生徒が法で裁かれることを免れているという後ろめたさが学校の治外法権化を支えているのである。
鎖はどれか一つの輪が断ち切られれば全体が意味を為さなくなるという話である。
学校とはそもそも教育施設を兼ねた監獄であり、現代の社会が抱える無理難題を無理矢理に押し込めた地獄の釜である。
この状況を生み出しているのは教育の現場であり、そこに子供を預ける両親たちであり、子供というものを無知な獣としか思っていないこの社会全体である。
そもそもをして全く違う背景を40人の人間に対して1人の人間が監視を行って管理するということ自体が容易ではないのだ。
これはなにも相手が子供だからではなく、大人であっても同じだ。
免許の更新、職場における集合教育、失業保険目当てで通う職業訓練センター、そういった所で後ろ側に席をとって周りを見渡せば話を聞いているフリをして寝ている大人やバレないようにスマホを弄っている大人が如何に多いかを目にできるだろう。
大人か子供かではなく、意欲もないのに教育の場に参加させれば自然とそうなるのである。
だが多くの大人たちはそういった場面で見かけ上はマジメに聞いている。
彼らには、免許を更新したいとか、教育を受け直しになりたくないとか、失業保険が欲しいとか、そういった極めて直接的な理由がある。
だが、小学校や中学校においてはこういった要素が薄く、それこそ出席をしなくても卒業をして次のステージに進むことが出来てしまう。
学校という空間は如何にして1人につき40人を真っ当な報酬系統も存在しない状況で監視するという異形をなしているのだろうか?
答えはシンプルだ。
教師と生徒という関係に超巨大な傾斜を設けて、教師が白を黒といえば生徒はそれに従うほどの力関係を用意するのだ。
これにより教師が与える体罰、精神的苦痛、各種のハラスメントは教育という概念として昇華され、一生傷が残る行為と物理的な接触を伴うセクハラ以外はあらゆる行為が黙認されることになる。
そもそもをして、強制的に集められた40人を1人が管理するなど、こういった異常な環境下でなければ容易には実現し得ないのだ。
もちろんキチンと環境を構築するという容易でない道を選ぶことも出来るが、それを実行しようとしたものもゆくゆくは燃え尽きていく。
25歳で教職についたとして定年までは40年、個々人の意欲のみを報酬とするには長すぎる時間なのである。
かくして学校という空間は独自の法によって運営される出島、監獄となる。
ではこの監獄島に外の世界をルールを真っ当に適用したらどうなるだろうか?
教師と生徒が平等になれば、暴走する生徒を止める手段は通報のみとなる。
教室において教師が出来るのはハラスメントにならない範囲までの注意、いわば善良な管理者の注意義務までである。
その範囲は決して広くはなく、今までであれば先立って体罰によって躾けることで無理やり予防できた数多くの人災に対処が及ばなくなるだろう。
教師は超人ではないので、人間としての限界を超えることは出来ないが、法の縛りを逸脱することを許可することで擬似的に半超人化していたものがなくなるのである。
授業や生徒の管理を妨害された時、今まであれば超法規的措置によって体罰をして解決していた。
だがそれが不可能になったらどうなるか?
証拠を集め、公務執行妨害を適用し、少年院に送られてもらうことを選ぶしかない。
他の生徒のことを考えればそうならざるを得ない。
生まれついての犯罪者として真っ当な職業に付く機会は、少なくともテレビで名前を聞くような企業に入る機会は場末のアルバイト以外では望めないだろう。
今までであれば鉄拳制裁を受け、顔の腫れが3日後に引けば終わったものが、これからは一生消えること無い履歴書の傷を引きずって生きることになるのだ。
そしてこれは何も極めて救いがたい悪童に対してのみ行われるのではなく、多動性を持つ生徒、注意力散漫な生徒、偶然虫の居所が悪かった生徒、いわばほぼ全ての生徒がそう言ったリスクを背負って通学するようになるのである。
元からそうだったと言いたい人にはこう言おう、もし治外法権がなくなれば通報されるリスクが10000000倍になった学校に通うことになる、と。
我々が声高に「いじめをなくせ。隠蔽を辞めさせろ」というのは簡単だ。
だがそれは「学校への治外法権の適用をやめろ。これからは学校で起きたありとあらゆる犯罪行為が法的措置の対象となるべきだ」ということなのだ。
さて、貴方の家の子供は悪戯の一つもしないで今日まで生きてきただろうか?
悪戯とは、相手が許さなければ犯罪になる行為であり、犯罪歴がつけば人生の可能性が半分以上消えるということを理解できているだろうか?
そんな自信は自分にはないなあ