はてなキーワード: 落ち着けとは
とりあえず第一志望だけどろくろく業界研究もしてないし職種が合ってるかも分からん
あちこちにある適職診断みたいなやつやっておけば良かったなって思う どうせクリエイター向きって出そうだけど
今は内定ブルーってやつに陥ってると思う 今更新しくエントリーなんて出来ない(時期的にも気持ち的にも)けど職種にも勤務地にも自信がなくなってきている
さて就活の話
SPI系は一切対策しなかったけど試験落ちはゼロ そこまで成績が良い方でもないので職種か?
しかし性格診断は答えに困る質問たまにある 友達にどう言われるとか そんな話せんわみたいな
説明会は結構参加したけどそのままエントリー忘れてることが多すぎて実際エントリーできたの10もないと思う 愚か!
履歴書は手書き ユーキャンのボールペン字講座やってて良かったとこれほど思ったことはない 実際手書きの書類落ちはゼロ
アホなので送付状を便箋ではなくただの白い紙で送ってしまったが特に問題はなかったと思う 封筒も茶封筒で問題ないのでは
大したエピソードが捻り出せる人生でもなかったが趣味はまあまあ長いこと続けてたのでそれを書いた 微妙に希望職種と擦ってて良かった というより無理やりこういうところが活かせると思います!って近づけた
志望度が高い企業は当然早く申し込むが、すると面接慣れゼロで立ち向かう羽目になる これは罠 一次面接で通るようになったのは3回目以降(特に受け答えの内容は変化してない) この辺からあんまり緊張しなくなる
目を大きく開き口角を上げハキハキ喋る これは本当に訓練で誰でも出来る ただし数ヶ月を要することもある 昔齧ってて良かった
ジェスチャーもあるといいと言われるが元々ジェスチャー過剰なタイプだったのでむしろ手を落ち着けておくのに苦労した
相手の相槌は期待せずに質問されたら用意した答えを丸ごとぶつけること 相槌前提で話してると言いたいこと言いそびれる
「大丈夫ですか?」「はい!」ではなくはいで答えられる質問でも何かしら付け足す
逆質問が本当に困る 本当に聞きたいことは聞いてはいけないって何?
企業のホームページを死ぬほど読み、書かれていないことの粗捜し
よく言われる役員になるには~ご活躍のコツは~みたいな質問は心底興味なかったのでしなかった
実際余裕のある人はここで企業の様子を探るべきなんだろうけど前述の通り持ち駒が極端に少なかったのであまり踏み込めず
オンライン面接って本当に楽 出向かなくていいから時間も交通費もお得
その分対面マナーが疎かになってて初の対面の時は焦った でもまあ一般常識の範囲で対応して問題なし
対面の時の10分前に来社みたいなマナーどうやって時間潰せばいいんだろうな 一般道で佇む不審就活生になってしまったんだが トイレとかも困るし
圧迫っぽいのは1回だけあった クソムカついた
結論から言うと、note筆者の「88cmと8kg」氏は、小さい頃から学校や街中など、あらゆる場面で女性に「キモい」と言われ続けたそうです。
フェミニストのみなさん、「キモい」は本当に本当に強烈な抑圧の言葉なんです|88cmと8kg|note
弱者男性だけどもうフェミニストをやめたい|88cmと8kg|note
仕方なく街を歩けば「キモい」「あいつはナシ」だの定期的に言われた。みんなこれが妄想に聞こえるそうだけど事実だ。男性だってそういうことを言われる。言ってきたのはすべて女性で、男性からは一言もない。今でも。
そして中学を出る頃には、こういう一部の男性は、「キモい」という言葉に強烈な苦手意識を持ちます。自分の名前が呼ばれる10倍以上「キモい」という言葉が飛んでくるような環境では、自分の名前よりもすぐに反応する言葉になります。
ゼミでも、学部でも少し喋れば「異様な雰囲気の怖いキモ男」だった。基本、女性にモテたい男性は、キモ男を、一緒にいると「格が落ちる」から無視するか、マウンティングの道具として利用しはじめる。結局俺はここでは男性からも孤立した。ホモソーシャルは最悪だ。でも知ってる。ああいうことをするのはモテるためで、一部の女性はそういう人を喜んで持ち上げてきた。ドラマやゲームで人気の男性キャラの特徴を思い出してみればわかる。
ここからは個人的な話になりますが、自分は今でも道を歩いていると女性に「キモい」と笑われることがあります。2か月に1度くらいの頻度です
「キモい」は、身近な人間から直接、何千回も投げかけられる言葉です。もう一度言いますが、多くの場合は自分の名前よりも多く投げかけられます
こういう経緯から、88cmと8kg氏は「キモい」という言葉に対して、極度の恐怖心と抑圧を感じています。
なので例えば、駅のホームで待っている時、女子高生たちが「キモい」という言葉を使って笑っている時は動悸がしますし、レストランで女性の友人と話している時相手が「キモい」という言葉で同級生を笑うとき、それが延々と続く場合は笑顔を作って席を外して心を落ち着けます
そして、一部男性に対する抑圧を象徴する端的な表現として「キモい」という言葉がある、という認識に到っています。
今の社会では女性は抑圧され、社会のあらゆるところに抑圧を象徴するものが転がっていますが、一部の男性にも似たような構造があります。そして数あるそれの中で、最も一般的で、最も象徴的な言葉が「キモい」なんです。
ここまではOKでしょうか。88cmと8kg氏は、主に女性に「キモい」と言われ続けてきて、そのことを強い抑圧と感じて苦しんできました。ここまでの話では、フェミニズム/フェミニストは出てきません。88cmと8kg氏の主張がフェミニズムとつながるのは、以下の文脈です。
フェミニストのみなさん、「キモい」は本当に本当に強烈な抑圧の言葉なんです|88cmと8kg|note
「女子高校生に「きもい」言われ立腹 傷害容疑で県立中央病院職員を逮捕|事件・事故|徳島ニュース|徳島新聞」
記事タイトルではまるで女子高生が見ず知らずの人にキモいと言って殴られたのように見えますが実際は全然違います。この記事によれば、
・突然あらわれた男が「家に来ないか」と声をかけ、
・「キモい」と言われ逆上し、逃げたところをしつこく追跡してきて、
という本当に酷い事件です。女性であるというだけで声をかけられ、断ると逆上され暴行されるという、ヘイトクライムそのものの事件です。 そして、こういった事件は現代では見逃されないし、勇気ある人たちは沈黙しません。「夜未成年がうろついてたから悪い」だとか、「キモいと言ったから暴力されても仕方ない」だとかいうセカンドレイプそのものの意見も、現代では正当化されず批判されます。自分はこの空気が救いです。強盗が起きて、強盗された側が悪いなんてことは決して絶対にありません。しかし、たくさんリツイートされたフェミニストのみなさんの意見の中にこういうものもあります。
として、以下の「フェミニストのみなさん」のツイートが挙げられます。
これに対して、88cmと8kg氏は、こう言います。
私はフェミニストでありたいと思っている男性です。弱者男性といったほうが多分すぐわかると思います。なので言いたいです。
今回の件は100%加害者の男性が悪いと言い切れます。しかし、「キモい」という言葉の致命的な力を絶対に忘れないでください。本当に強烈な抑圧の言葉なんです。汚い言葉を引用しますが、「ブス」とか「クソマンコ」や、「ニガー」などよりも強いかもしれません。なぜなら、一部の男性は、小学生くらいの幼少期から、女性の集団に1日何十回もその言葉をかけられ続けて尊厳を奪われているからです。それは一般的なことなんです。しかも、誰も真剣にそれをとらえません。こういったいじめが記事になったことが何度ありましたか?男性から女性はシャレになりませんが、逆は男性が「みっともない」からなんです。もしくは、自分が「キモい」から悪いんです。告発しても女性は無罪放免、怒った自分が先生に怒られるなんてことはよくあることです。席替えで「キモい」生徒の横に来た女子生徒が泣く行為が怒られた現場を見たことがありますか?
つまり、このnoteで88cmと8kg氏がフェミニストのみなさんに対して批判的なのは、
からです。だから、88cmと8kg氏はそうした「フェミニストのみなさん」に対して「「キモい」は、身近な人間から直接、何千回も投げかけられる言葉です。もう一度言いますが、多くの場合は自分の名前よりも多く投げかけられます。そして、多くのフェミニストはそれを正当化してしまうんです」「お願いなので、「キモい」という言葉を過度に正当化することはやめてください」と訴えています。「過度に正当化する」というところに含みがありますが、つまり、この言葉を何か/誰かを批判するときに普通に使うこと自体が、「キモい」という言葉とそれがもたらす差別を正当化しているんだ、という主張だと思います。
そして、このことが敷衍されて、弱者男性差別は存在するから知ってください、フェミニストはこれ以上差別しないでください|88cmと8kg|noteでの主張につながっていきます。
例えば「女は黙って朝飯作って帰りは正座で待ってくれてないと」のような差別的な言葉と「無職の男とか絶対無理キモい」のような差別的な言葉は同じくらい重い、そう言えます。特に後者の言葉は実際に人を殺せるヘイトスピーチなんです。
実際問題、自分はフェミニストのみなさんが入っているTLを見ると、自分に「有害な男性らしさ」が激しく発生していることに気づきます。それは「彼女も作れない人間はセクシストで、そのような人間の悲鳴はすべてミソジニー」というような意見をフェミニストが多くするのが原因です。男らしくならなければジェンダー平等を訴える人たちの間でさえ人間扱いされないどころか、セクシスト扱いされるのです。自分はミソジニストになるのを避けるために定期的に表アカウントからは離れています。だからインセルのようなろくでもない連中が、フェミニストが増えた後増える理由も正直わかります。いかれた差別主義者がわめくのは無視できますが、社会的正義の名のもとに差別を正当化される苦しみは無視できないのです。
嘘だと思うのなら、最も弱者男性が差別的なことを言っていて、かんたんに論破できるような「女をあてがえ理論」に対するフェミニストたちの反応を見てください。「弱者男性とかキモい無理。女性の人権を侵害している。」、「その考えが差別的。特権意識から降りろ。」、その他諸々。なぜ、「女性が誰と結婚するかは個人の自由なので社会や国家が介入するな。」とだけ言えないんですか??なぜ、弱者男性をトランス女性とかアジア人のゲイとか入れ替えた時に、極めてグロテスクな差別発言になってしまうことぐらい差別を訴える人ならわかってくださいよ!「トランス女性とかキモい無理。男性の人権を侵害している。」「アジア人のゲイが他の人種と同程度に愛されたいと思うのは差別的」。そういう言葉なんですよ??「非処女とか汚い無理」とか森元総理でも言いませんよ?障害や貧困や差別で苦しんでいる中で、誰か一人にでも愛されたくても無理で絶望して今も首をを吊っていってる人たちに、無理とかキモいとかお前の孤独感さえ差別の証だだとか、それはもう加害欲求が暴走している、差別が楽しくてやめられない、としか言えないじゃないですか。おそらくは相手を人の言葉の通じないゴブリンか何かだと思っているのでしょう。ミソジニスト、ネトウヨ、白人至上主義者、その横に並ぶのが上の発言をした人たちです。最近も一緒になって車椅子の人の人権を訴えた人たちだったのに!!差別主義者の気持ちがわかった良い授業だったと思いますよ?
そもそも、ゲイも、トランスジェンダーも、在日コリアンも、ハーフも、黒人も、障害者も、相手を「キモい」と言って正義の名のもとに糾弾する光景をあまり見ないですが、フェミニストだけは例外です。先程もその光景を見ました。「キモい」なんて感情にしかよらない侮蔑語は、マジョリティの規範に依存する言葉です。上記の属性の人々を攻撃する最悪の矛として常用されているし、だからこそ理性による人権という盾で身を守ってきたのです。実際キモいからしょうがない、口をふさぐなと言うかもしれません。しかし、上記の人達は人権を訴える場所でその言葉は使いません。マジョリティにその言葉を使われる苦しみを知っているからです。性犯罪について裁判などで男性が同情されやすい特権があるのように、女性には差別しても批判されにくい特権があると言わざるを得ません。そして悲しいことに、差別と戦う人たちでさえそれを濫用してしまっているのです。
88cmと8kg氏にとっての弱者男性論の根幹は、長年にわたって女性から自分に投げかけられ、自分を傷つけてきた「キモい」という言葉への被抑圧感情と問題意識と、彼の観測するフェミニストのみなさん達が、女子高生暴行事件の犯人を批判するときや、その他の文脈(これについては直接の引用がないので、「弱者男性とかキモい無理。女性の人権を侵害している」という発言が実際にあったかどうかはわかりませんが)で、「キモい」という言葉を普通に使っている、という認識にあります。その文脈で読めば、88cmと8kg氏の訴えがなぜ「女性とフェミニスト」に向かっているのか、より具体的に理解できると思います。
いつも自分に何かが足りないような気がしている。
高校入試のときも、終わってすぐに、もっと勉強しなければと思っていた。
大学に入ってからも、トップの学校に入れなかったことで、自分には何かが足りないと感じていた。
その一方で、努力をしてこなかった。
頑張らなければと思うわりに、適切な努力をしてこなかった。
高すぎる目標をかかげ、目標を達成するための計画を立てても実行はしなかった。
図書館で本を借りても、読まずにそのまま返していた。
計画を立てるだけで満足し、本を借りるだけで満足してしまっていた。
実際の行動に移すのをさぼっていたし、本を読みとおす努力をする根気もなかった。
何も積み上げられないし、努力が足りていないのを誰よりも自分でわかっていて、だから自分に何かが足りないという感覚は増すばかりだった。
学生時代に抱いていた夢や目標に近づくにはあまりにも辛いいばらの道を歩かなければならないと知り、断念した。
もともと何かを達成するために、すべてを投げうって努力できる性質ではないらしい。
医者になりたいとか、建築家になりたいとか、小説家になりたいとか、身の程知らずの憧ればかりが心に浮かんでは消えた。
ただ、まったく努力をしなかったわけではなく、ちょっとした挫折ですぐに諦めてばかりというほうが正確かもしれない。
成功した人たちは多分、挫折を知らないのではなく、挫折したとしても、少なくとも諦めなかった人たちなのだろう。
とはいえ、成功したと思われている人たちの中にも、何かが欠けているような感覚に呪われている人もいるのかもしれないが。
自分は社会に出てからこれまで二回、大きなキャリアチェンジをしている。氷河期世代ということもあるかもしれないが、あまり恵まれた職業人生とはいえない。それでも正社員として働けた時期もあったし、なんとか食うに困らず生きてこられたのは運が良かった部分もあったのだろう。
だが、仕事があることに感謝し、多少嫌なことがあろうと耐えて同じ仕事を続けるということが自分にはできなかった。家庭の事情で辞めたこともあるが、それも、必死になって続けようと思えば続けられないこともなかったかもしれない。ただ、目の前の仕事に対する執着が足りなかったように思う。
自分にとっては、どの仕事も、いつかたどり着く最高の仕事への踏み台に過ぎないという感覚が続いていた。今でもその感覚がなくならない。いつか、今よりももっといい職場でいい仕事に就けるんじゃないかと期待してばかりいる。
仕事を見つけるにしても、自分が就職できる先がいつも限られていて、妥協するしかないからこんなことばかり考えるのかもしれない。新卒のころから、未経験はお断りと言われ続けてきて、最近では年齢で切られることが多い。そんな自分でも雇ってくれるところがあるのはありがたいが、そういう職場はそれなりに難ありだ。
フリーランスになるとか、起業するとかにも憧れるが、自分には手に職もないし、アイデアもない。どこかに雇ってもらって時間を売る以外に、生活の糧を得る方法はない。健康で働けるうちはそうやって仕事を続けるしかない。
それなのにいつも夢を見てしまう。
実は最近もまた大きな夢を見始めてしまっている。いい年なので、これはミッドライフクライシスなのだろうか。いや、自分はずっとクライシスだからこれは違うのか。
それはさておき、その夢とは何かというと、博士課程に進学したくなってしまったことだ。
いい加減に落ち着けばいいのに、諦めがつかない。
自分の人生はこんなもんだと、得られたものに感謝して生きることができない。
あれはこんな感じなんだろうか。
あの話がミッドライフクライシスの話だなんて先生は教えてくれなかった。
研究したい内容はある。といって学者になりたいわけではない。もともとは進学が目標だったわけじゃなくて、やりたい仕事に必要な専門知識がまったくないことから進学を考えたんだが、これもまた、なんでこの年で、と自分で激しく突っ込みを入れているところだ。
なんでこんなに年寄りになってから、専門外の分野に手を出そうとしてるんだ。
頭も若くないし、体力も落ちる一方だろう。さらに言えば、大して頭脳明晰でもないだろう、自分。
そう思うと不安で胸がいっぱいになって動けなくなる。もう何もできないような気がしてくる。
後悔だらけの人生で、後にも引けない、前にも進めない。
どうすりゃいいんだ。
こんなこと、親には言えない。誰にも相談できない。こんな話をまともに聞いてくれる友達もいない。占い師にでも相談するしかないか。
もし運よく入試がうまくいって、新たに学業をおさめられたとしても、進学を志すきっかけになった仕事に就けるかはわからない。その仕事に就けたとしても、そのとき自分はそれを本当にやりたい仕事と思えるのかもわからない。
なんなんだ自分。
本当に馬鹿だな。
こんなに先が読めないやつ、ほかにいるんだろうか。そのときは一生懸命考えて将来を見据えて動いたつもりでも、結局は暗闇で手探りをしていただけだと、あとからわかる。
どうして自分のことなのに、こんなにわからないことばかりなんだよ。
これでも、昔に比べると自分のことがわかるようにはなってきた。学生時代なんて、本当に悲惨な自己認識で、現実が少しも見えてなかった。理想と自分が本当に求めてるものがずれているのに気がついてなかった。失敗を繰り返して、やっと少しずつ自分の価値観みたいなものがわかってきたときにはもう遅かった。もう20年ぐらい前に自分のことをわかっていたかった。
人生100年という説もあるが、実際のところ人生って期限がわからないのが辛いところよね。わかればもう少し計画的に生きられたかな。
どうだろうな。
何かを成し遂げた人が羨ましい。自分は何もかも中途半端で何も成し遂げられないまま人生を終えそうな気がしている。
だけど、やりたくない仕事をずっと続けるのは耐えられないんだ。
今の自分に足りないものを補えば、いつか満足のいく職場で幸せに働けるって思っていたいんだ。
適切な努力はしなかったものの、それなりに頑張ってきた自分が、こんな職場で腐っていくなんて思いたくない。全然共感できない経営者のもとで、都合よく使われるだけなんて嫌だと思ってしまう。
どこかに自分の理想の職場があって、理想の仕事がある。自分の天職がある。いつかそういう仕事に就ける。そう思っていたいんだ。
仕事に多くを求めすぎているんだろうな。そうそう理想の仕事なんてないんだから、仕事は仕事と割り切って、私生活を充実させるようにするのがいいのかもしれない。
でも、なんで自分の人生の時間をやりたくない仕事にとられないといけないんだと思ってしまう。幼稚でナイーブでどうしようもない。いつまでたっても大人になれない。自分で自分を不幸にしている。
頭ではわかっているのに、現実を受け入れられないまま、この漂流人生は続くんだろうな。
いい加減、落ち着かないと、もうどこも雇ってくれなくなりそうだ。そうなったらどうしようか。迷惑かけないようにひっそり死のうか。
3年ほど前からいわゆる抑うつっぽい症状が出始め、心療内科に行くかどうか悩んで、でもどの程度なら行くべきかわからなかったのと電話が怖いのと対人恐怖があったので行けなかった。
自分は大学に通っていて、順当に行けばあと1年で修了する(然るべきものを期限内に提出できればだが)。しかし、ここ数ヶ月で症状が悪化し、全然眠れないし、やる気が全く出ないし、集中力がないし、涙腺がぶっ壊れたように涙が止まらないしで、ほぼ寝たきりになり、いよいよやばいと思った。そこで、勇気を出して行くことにした。
素人なので、とりあえずネットのクチコミとGoogleのレビューを調べて、明らかにやばそうなところ(薬漬けにしてくる・医者がサイコパス等)・待ち時間が数時間のところ・予約が何ヶ月も先のところは省いた。少しでもマシそうで、予約制で待ち時間が少なそうなところを選んだ。
病院のホームページに問診票のpdfがあったので、あらかじめ書いておいた。詳しい症状と、今後どうなりたいかについても、口で説明するのが下手なのと、話すと泣いてしまいそうなのでA42枚にまとめた。そのほかに、受付で10-20問くらいの質問が書かれた紙を渡されて、それに記入した。待ち時間は30分くらい。
血圧を測ってから、診察室で色々聞かれた。せっかく紙にまとめていったのにざっとしか目を通しておらず(本人も「ちらっと見ました」と言っていた)、書いてあることをまた聞かれたりして意味ないなと思って不信感があった。
何がきっかけでこういう状態になったのか・人間関係はどうか・どんな風に食欲がなくてどんな風に眠れないのか・生育環境について・親の職業は何か など結構細かく聞かれた。話しているうちに涙が出てくるので恥ずかしかった。
中程度の抑うつ状態なので、足りていないセロトニンを補う必要があるとのことだった。依存性の少ない抗うつ剤と、胃薬と、睡眠薬が処方された。また2週間後に来てくださいと言われて終了。
病院を出てすぐは、書いた紙をあまり見ていないことへの不信感がすごくて、頑張って病院にいったのに気持ちが悲しいままなのが嫌になって、その場で次の予約を取り消す電話をかけようかと思った。が、これまで衝動的に何かをしてうまくいった試しがないので、少し時間をおくことにした。
気持ちが少し落ち着いてからは、ちょっと様子を見てみようという気になった。
ただ、これまでどうしてもできなかった大学のカウンセリングルームへのWeb予約を行なった。というのは、心療内科医ではなくカウンセラーにも相談してみたいと感じたからだ。これについても今度メモを残したいと思う。
それにしても、薬局で処方の時に「これは気持ちを落ち着ける薬で〜、これは眠れるようになる薬で〜、」などと、他の客にも聞かれてしまうオープンなスペースで言われたので嫌な気持ちになった(今回はさすがに「今日はどんな症状ですか」とかは聞かれなかったが)。