はてなキーワード: 権力とは
なぜなら「場で受け入れられている(ように見える)1人を標的にしたからかい」に個人が対応するのは決して簡単ではないから。壇上で話して観客をつかんでいる人は一種の「権力」の座にいるのであって、1人の観客、中でもターゲットにされた人間との間にはすでに大きな力の差があるのだ。それはそもそもFairな状況ではない。たとえば「いじめ」を思い起こしてみれば簡単に分かるだろう。すべての「いじめ」に対し、「一人前の人間なら自力救済できるのだから、口を出すのはその人を一人前扱いしないことだ」などと唱えてすましているやつがいたとしたら、そいつは単なるクソだ。見て見ぬふりよりも悪質な、いじめの共犯者ですらある。
だから、とりわけターゲットにされた人間の内心に共感でき、行動できる第三者がいれば、その人が行動するのは「義」によるものであり、方法はともかくとしてその行動原理に批判される点はない。それは、もちろんターゲットが男性であっても同じことだ。たとえば、今回ウィル・スミスが腹を立てたのがたとえば友人の男性のためであったとしても、私の意見は全然変わらない。ウィル・スミスの行動は「義」によるものであり、否定されたり男女問題などに矮小化されるような話ではない。むしろ、この増田のようなことを考えるせいで「義」なる行動がとれなくなるのだとしたら、それこそポリコレ棒の弊害だ。
ぶっちゃけアメリカと日本での反応の違いは、平手打ちしたあとのウィル・スミスの罵詈雑言のニュアンスの受け取りによるのではないかと思っている。あそこでウィル・スミスはあきらかにキレ散らかしており、”良識派”の人たちとしてはかばいづらい様子ではあった。だがその前の、親しい知人が侮辱され、その人に代わって怒る、という行動自体には何ら不適切な部分はない、というのが穏当な見解というものだと思う。
余談だが、なんでもジェンダーの問題にしたがる人は、聞きかじった知識を振り回して「啓蒙ごっこ」をやってると、こうやって、別の人権侵害に加担していることになることすらある、ということに気付くべき。棒を手にするなら「棒を振り回すと危ない」という最低限の認識くらいはもつ必要がある。
https://anond.hatelabo.jp/20220120120358
「女性差別反対に賛同しますよね!」と署名を強いられた学生は多数いると思うし、
「あの人も賛同してると思う!」と名前を勝手に使われた研究者も多数いると思うけど
勝手に名前を使われているのに気づいたところで「自分は署名してません!」なんて人文系の空気の中で言える訳ないよね。
法的手続きによらず人民裁判でテニュアを奪われた様を見た人文系の学者や学生たちがこのカルチャーにNoと言えるわけがない。
「お前は女性差別反対に賛同しないのか!」と言われたら従うしかないのが現在の人文系の有様なのだ。
自分たちは被害者であるというスタンスを取りつつ攻撃を止めないのが現代における最強の権力者なのだが、
こんだけ外部からオープンレターの運用や活動のあり方が批判されてるのに、内部から全く声が上がらないのはそのためである。
彼女たちにおかしいと思っても声を上げられない男性ばかりなのだ。
30歳を過ぎて人文系の研究しかしておらず、この先人文系学者の仲間うちの評判を買うことで飯を食うしかない。
ちょっとでも批判をすれば二次加害と認定され、呉座氏のように追放されるかもしれない。
地方の社長の娘として生まれていれば職も気にせず発言も出来るだろうが、哀しいかな、大半の研究者は貧乏である。
それでも理系のような真実や事実が科学的に実証・反証される分野であれば学者たちは自分たちの意見を自由にぶつけ合えるが、
昨今の人文系はあらかじめ「真実」や「正義」はジェンダー学者たちによって定められているだけなのだ。
この権力構造に気づいたときにはもう引き返せないところまで来てしまっている研究者、博士課程の学生が大半である。
彼らは自分の名前をオープンレターに使われているのを見つけても「呉座にならないように」と自分に言い聞かせて口をつぐむだけである。
大阪って昔は政治に関することはメディアで殆ど報道されなかった。
今じゃ、それわざわざメディアで毎日取り上げる必要あるか?ってことまで取り上げている。
メディアにずっと取り上げていると、段々おかしくなったという感想を持つ。
人も金も体制も足りてないにも関わらず、国政やら東京やらと張り合おうとしてしまってスベっている。
「ウィル・スミスの好感度がますます上がる」というコメントを見て笑ってしまったんだが、あいつの好感度が高いのなんて日本だけでは?
そもそもウィル・スミスって俺様的な自分大好き野郎でいけすかないけど権力持ってて、アメリカでは海老蔵とかそういうのに近い扱いじゃないの?
ウィル・スミスは自分の出番増やすように圧力かけて、大作映画を潰すとか平気でやってることで有名な「大物俳優」ですよ。
何よりも「権力」「パワハラ」のイメージと結びついた俳優だから、むしろ暴力を振るったウィル・スミスがアメリカでは批判されて、最低のジョークを言ったクリス・ロックの方が称賛されてるのはあると思う。
ビンタにしても、ウィル・スミスはジョークを言われたときに笑ってるし、「ビンタしてる時ですらも」笑い顔を消せないままだよね?
その後のやたら言葉を区切ったFワードにしても、パフォーマンス臭が半端ないんだよなあ。
むしろクリス・ロックは、「映画界の大物」ウィル・俺様・スミスからビンタされても動揺せずにジョークを続け、アップになったときですらも目が全然泳いでない。
「パフォーマンスで暴力を振るう大物」と、「それに動じないコメディアン」という構図になってると思う。
(それもどうかと思うが)
あのジョークはカスみたいだとは思うけどそれなら言葉で応酬しろって話だし(たとえば橋下徹がボコボコに殴られたとして、暴力振るった側を擁護するか???)、ウィル・スミスの暴力を擁護するのはあり得ないよ。常識を疑う。
一浪の末にセンター試験で20点しかとれなかった日本史を、中年になってから改めて勉強することになってさ。
全9巻の日本史の本を中心に、予備校講師の講義本を副読本にしながら勉強してるんだけど、平安時代に入ったところで頭が動かなくなった。
複雑な親族関係や常用外の読みが続出して話が全然頭に入ってこない上に、そもそも権力組織の変遷の物語自体が全然面白くない。
英米の歴史や文化のほうは見所が随所にあって、ゆるいペースながらも関連の読書を何年も続けているが、日本史はどうやら無理っぽい。
ならまだ分かる。
「本日より貴様らの労働力、財産の一部を公共のものとして借りパクする!感謝しろよ」
あとたまにあるのが
「赤字になるだろうけどウチからの仕事を受けないか?お前の会社のHPに「取引先:公共団体」と書けるという絶大なメリットがはした金で手に入るんだぞ?こんな幸運が向こうから来るなんてお前は本当に幸せだなあ。よっし!早速だけど見積もりをくれないか。大体でいいぞ。どうせ原価計算して赤字になるような金額まで最終的に落とすからな」
は?キチガイの集まりか?と思ってしまうが相手が背景に巨大な権力みたいのを滲ませてくるので表向きは「へへーお役人様ー」って謙って相手してるけどマジで馬鹿馬鹿しいわ。
公務員は雇い主が国家や地方自治体であるヤクザってのはマジだと思うね。
ほんま脳みそが
「われぇウチらの観葉植物買わんか?コレ置いたらうちらのシマやゆうことになるんやぞ。こんな名誉なことはないのう。ワシも自分の家に欲しいもんじゃが身内には売らんてオジキが言うけえ。ほんま羨ましい脳」
なんだわ。
ほんま舐めとるやろ。
「でも……国民が望んだんですよ?」
じゃねーんだよ。
人殺しの血を引いている顔をしてる反戦教育者っていないんだよな。
特攻賛成派も特攻反対も同じように「米軍が攻めてくるから、天皇が変な命令を出すから『仕方なく』戦争に巻き込まれた」って発想をしている。
自分たちが醸成した「ガンガン鬼畜米英や中国人をぶっ殺しまくっていい暮らししようぜ?」っていう発想が間違っていたと認められる人って本当にも限りなく0に近いブルーひいては永遠のニアリー0。
ロシアぶっ潰したときに最前線とあんま関係ない場所では「いやー戦争っていいよねー。なんか国が元気になってさ―」って雰囲気があった。
これは間違いなく歴史書や当時の新聞にも描かれている事実であり、この辺の感覚から「戦争≒勝つと幸せ」っていう図式が存在してたんだよ日本人の脳内に。
そもそも日本人って昔から戦国武将とか大好きでさ、信長の快進撃や太閤立志伝とかそういうので興奮する性質だったのよね。
もっといえば忠臣蔵みたいな逆ギレ自分のご都合押し付け気に食わないやつぶっ殺し精神にも共感しがち。
兎にも角にも利己的な暴力行為を愛する心根の民族だったわけだよ。
それをあろうことか表面上取り繕って「僕タチ……暴力大嫌いヨ……ヨヨヨ……」みたいな事を戦争教育のときだけ口にするの。
でも実際は大好きなままなんだよね。
戦争教育で体育館にずらーっと並べた生徒が、話に来た爺さんのボソボソ声に「すみませーーーん。マイク大きくしてくださ―ーーい」って叫んだ瞬間にさ、
体躯教師が「コラー!!(# ゚Д゚) お年寄りには経緯を払わんか―い!!!ヽ(`Д´)ノ」と竹刀をバシーンって地面に叩きつけて脅したときは驚いたさ。
「暴力は良くないですよ。話し合いましょう」って内容の講義を受けている最中に、教師が暴力で人を従わせるのを最適解であるかのごとく振る舞うのだから。
表向きは暴力の嫌いな大人しい奴隷のふりをして、いざ権力を持ったらブンブン暴力で人を従わせたがる凶暴な奴隷監督であろうとする。
それは結局の所、GHQに表面上従っていても内心は不満たらたらでいつかアメリカをぶっ殺し直しにいこうって精神が胸の一番奥にはあるってことなんじゃろうねえ。
まあ仕方ないよ。
それは満州で日本人がやったようなことだろうし、韓国が未だに「なんとかもうちょい賠償金貰えねえかな」と未練を持たせるような何かがあったわけだよ。
まずはそこが事実なのさ。
日本人は未だに米軍を恨んでいるってことをまずは認めないといけない。
そしてその憎しみと内面にある暴力性は深い所で今でも結びついていて、いざ何かあったら米英の輩を滅ぼして世界をアジアン、いや日本人の一色で埋められないかと今でも虎視眈々と狙っているんだわ。
その象徴として天皇を掲げられれば自分たちの正当性は立証できると今でも信じている。
でなきゃなんでこんなにこの国の人間は令和の世で帝だ帝だわっしょいわっしょいなんだといのかね。
結局ね、自分たちの民族こそが正当なるこの世界の支配種族であるべきであり、暴力によってそれを証明するべきだって思想は全ての人類の根底にあるんだよ。
いや全ての人類は言いすぎだったかも知れないが少なくとも多くの日本人は心根の根っこでそう思っているのさ。
でもね、今の戦争教育はそれを認めるところからスタートすることが出来ずに上っ面しかなぞらないのさ。
なんでかっていえばね、それによってGHQは満足して引き上げたっていう成功体験があるからだね。
反省しているふりだけしておけばいいんだ反省している演技を教えるために、暴力で子どもたちを調教すればいいんだって、ずーっとずーっと繰り返してんだよね。
https://www.nhk.jp/p/bs1sp/ts/YMKV7LM62W/episode/te/XLJ547N44X/
こちらを見て、正直いって、25%ぐらいはいいこといっていたが75%が酷すぎたと思う。
【前提となる自分の背景】
===(Nスペ目次)=====
===(Nスペ目次)=====
もう、10年何をしてきたのかという諦めの気分。いま目次を書いてみると、たしかに1時間で
まとめるとこうなるのもやむ無しという気がしてきたが。結局 so whatが無いんよ。
自分が思うso whatは個人単位の戦争をすればいいので「日本で勝負するのは辞めよう」
未だに海外に行かない日本人研究者層が歯石のように積もり積もって自分の首を締めていると思う。
特にドン引きしたのが、ネパールの人材の青田買い。何をしているかというと、「早めに内定を出して日本語教育をしている」
ということ。インド人エンジニアには見向きもされないから、更に安い国としてネパールを選択し、その安物エンジニアを供給
しようとしているようだが、はっきりってその見向きをされていないインド人にどれだけお金を払うかの方が大事。
安いエンジニアは誰も要らない。
わざわざ日本語を勉強してこようみたいなモチベーションのネパール人が使えるわけがない。SIerの下請けにしかこない。
私はカンボジア人のエンジニアと仕事をしていたが、当然英語だし、たしかにコストは安いし、その割に国のトップみたいな
人材だが、その人がわざわざ日本語しかできない人と働くとは思えない。
そういう楽をした内向きの戦い方が全ての元凶だろう。
自分さえどうとでもなればよいという考え方の方が実は日本を救うと思う。いま一時帰国して、この番組を見て
理系人材の扱いが自分の卒業した12年前時点と1bitも変化していないことにショック。
日本の若者がむしろ自分の内向き志向をコロナ等で深めている気がしていることを憂慮する。
松尾豊さんが言っていた「兵站がない」っていう言葉、日本人はとても好きなんだけど、兵站って無限にないんすよ。
僕は国力を上げるにはもう中国化するしか無いと思う。権力への批判機構みたいなのが多少弱まろうが、兵站がない以上
ただし、理系においてはITのような【今トレンドである】ようなものやAIのようなチャラチャラした学問ではなく
、生命科学、物性、宇宙、ITのすべての学問に戦力的集中を行う。
その代わり文系人材、F欄大学などは廃止する。申し訳ないが、これをやらない限り、日本全体が沈下する。
しかし、そしておそらくみんなそれでいいと思っている。なので、そりゃ無理よ。
阪大生命科学の人がオートファジーみたいな研究は芽が出ないから選択と集中を行われては困るというような
言い方をしていた、それは本当にそのとおり。しかし、選択と集中を行わないために選択と集中を行う必要がある。
シャープが選択と集中を進めた結果潰れたのではなくて、選択と集中をしても潰れる流れをせき止めれなかった。
文系の教授のウクライナ情勢での解析の体たらくを見ていてもドン引きする。置きにいったコメント。自分は専門外だからと
小泉特任講師のように画像解析など普通にするべき理系的アプローチも解析もできず、歴史というわかりにくい概念でけむにまくだけで、
この千載一遇の研究結果を元にissueを提言するべきところで何もできていない。
はっきりいって文系という学問がそういう性質があるのはやむをえないがそういう置きに行くことをしていると、当然
なりふり構わない、中国などに勝てるわけがない。日本人全体が苦手なので、玉虫色にしたがって、その結果兵站が
尽きる。当たり前のことである。