はてなキーワード: 権力とは
https://twitter.com/copywriter___/status/1510993311259312129
「園子温の悪行は有名」だの「今更すぎる」だの映画関係者がわらわらツイートし出してるけど、お前らがこれまでその悪行を知っていながら何もしていなかったから代わりに週刊誌が告発したんじゃないのか
この場末のコピーライターのツイートがバズっていて、はてブでも「報道されてからドヤ顔で有名な話とか言ってる連中はホントに恥を知るべきよな」がトップコメントになってるけど、お前ら本当にバカだな。
こういう噂話は映画界や芸能界なんて山のようにある。時にはものすごく具体的な話も流れてくる。信憑性はとても高く感じられる。
だけどそれを何の証拠もなく公開すればどうなるか、ってそりゃ訴えられるに決まってる。
事実、性的暴行の「証拠」は当事者の証言だけでは結構難しい。 そして証言はだいたい一方的なので、それがどれほど真実なのか分からない。それを業界関係者が、マスコミのように調査して告発することは現実的には不可能だ。噂が出回ってる被害者の事務所に「性的被害を受けたのが本当かどうか確かめたいから女優の連絡先教えてくれ」と連絡したら、事務所が教えてくれるか?なわけねーだろ。
だからみんな何も言わなかったんだよ。
今回は「週刊女性」が告発したけど、それは被害者の証言だけ。内容が非常に具体的だから信憑性があるように見えるが、それ以上の証拠はない。 しかも見出しにはまるで過去の映画出演者に対して「主演にはだいたい手を出した」と書かれている。 2次被害を与えるこの書き方はよくない。
性的被害は事実認定が成立しにくいため、一方の証言だけに依存して話を書くのは危険だ。 他の証拠が必要だ。
今日は、「週刊文春」がプロデューサーの梅川治男を告発した。こっちはメールのスクショがある。 榊英雄もそうだった。ここまでやって初めて公開できる。
だから、園子温に対して場末のコピーライターとやらが正義気分で書いたことに「そうだ! そうだ!」と賛同するやつらとか、最悪まとめて訴えられるのを覚悟しておけよ。
一方で「前からその話は知っていた」とそれとなく話す業界関係者は、「俺はそういう噂を耳にすることがあるくらい業界に食い込んでます」とアピールしているだけ。「業界ゴロ」ってああいう奴らだよ。
そもそも映画や演劇の飲み会で俳優、脚本家、スタッフになりたいと願う若い男女は常に多くいる。 彼らのうち99%は20代だ。
女優志望で事務所にも入ってない子なんかには、演出家やスタッフを寝歩いてお金もらってるようなのもいる。お小遣いもらえるのと、「あの監督や俳優とセックスした」って周囲に言いふらしている。自分より偉い人と関係を持ってそれをステータスにするしか能がない連中って実際に大量にいるんだよ。時には無名のAV女優とかもいた。演出家とかプロデューサーのおっさんはそれを食いものにしてるだけ。8ミリから叩き上げの園子温なんかはそういう気分が続いていただけなんだろうな。
性的加害/被害は権力関係を使ったハラスメントじゃないかぎり立証は難しい。園のケースはそこが微妙。本人が恋愛感情もってると豪語すれば(不倫だけどな)合意って話にもなる。でも、仕事あげるってちらつかせてるのが事実ならアウト。だけど園が法的措置をちらつかせてるのは、ハラスメントにならないなんらかの根拠がある可能性がある。
ほかは、梅川はスクショの証拠があるからアウト。写真撮ってこいとかつくづく恥ずかしいおっさんだ。
榊はスクショも出てるしレイプ行為を複数やっているのが事実だとしたら、完全にアウト。刑事事件で起訴されたら、懲役15年以上の実刑くらうよ。おそらく今被害者と示談しようとしているはず。
あとな、こういうのってほとんどは独立系の映画や演劇の話。榊も園も木下ほうかも梅川もみんなそうだろ。東宝とかの大手やテレビでそれやると、一瞬でクビか左遷。
セクハラは権力を使った性的な嫌がらせであって、飲み会で口説いたってレベルだとなかなかセクハラにはならない。たとえ口説かれたほうが嫌だったとしても。
だからこういうmetoo案件見て、「私も!」って調子に乗って口説かれたことをべらべらTwitterで書くようなことしたら、単に訴えられて50万円くらい取られて人生詰むだけ。それがたとえ事実であっても、「口説かれてふった」ってプライベートを公にしたら訴えられて負けるよ。そういう奴も出てくるんだろうな。
運営本部が来たときは全力で媚びつつ私の悪口(根も葉もない)を言うのに余念がない
↑これは偶然聞いてたバイトの大学生が教えてくれたしそもそもパートのおばさん含めみんな大体私に同情してくれていたけど店長権力で全部黙らせる(表立って私と仲良くしてくれた子のことシフト入れないようにして辞めさせてた)
多分、視野が凄く狭くなってる。フェミ嫌い過ぎてむしろ好きなんじゃないかってぐらいフェミのことしか見てない。
一般的なこの事件への反応ってどっちかって言うと権力勾配の話してるよ?
私自身で言えば、キャスティング力のある女性監督とその監督の作品に出たい若手男性俳優の図だとしても、同じように糾弾されるべきだと思うし、同じように思う人が多いと思うけど。
いや、だから男も「理不尽を承知で仕事受けたんだろ」なんて言われちゃ駄目じゃん。
そういう社会にしていくためには、一歩ずつ「権力を笠に着た理不尽を許さない」って風にならなきゃ駄目じゃん。
何で現状に甘んじようとしてんのよ、バカじゃないの?
キャスティング力のある監督と、キャスティングされるかどうかで金が稼げるか決まる女優って図式の、
これで女さん側を悪し様に言ったら、今後パワハラの話で「弱者男性だって頑張ってるんだぞ」って言っても
何の説得力も無くなりそうなんだけどな。
これって別に男女の話じゃなくて、権力者からやりたくないことを強要されるとなかなか断れませんよって話であって、一般社会ではかなり淘汰された権力者によるハラスメントが芸能業界ではまだ全然生きてるって問題なのに、男女論として捉えるのはよくないよ。男性性被害者に対する風当たりの強さって完全にそれに起因してるよね。
結局、男から女への被害ばかりが取り沙汰されるのは、現時点で男のほうが女より権力を持ってるパターンが多いからでしょ。権力は人を腐らせがちだから、社会的に強い立場の女が増えたら女だって同じようなことやると思う、というか、現在進行形でやってる女や被害にあってる男も絶対いるのに、あまり告発する事例が出てこないのは、世間に増田みたいな思い込みがあるからだと思うんだけど。
警察がドーナツ食べてるとかアメリカンジョークとか学園モノなら必ずと言っていいほどあるキツすぎるいじめとか、あとはチア部やアメフト部が異常に権力持ってたりとか、なにかあればすぐカウンセリング受けてたりとか…?
日本の警察のカツ丼やアンパンって現実はほぼないって聞くからドーナツもフィクションか?って思うし、アメリカンジョークもぶぶ漬けいかがどすなんて言ってくる京都人がほぼいねえみたいなもんで誇張表現なのかもしれない
何ら強制力の無い一個人による「発達障害で生きづらいと言いながら何故子供を産むのか理解出来ない」という発言に
政府によるガチの差別で優生思想である強制不妊手術問題に対しては、特に関心を持っている様子が見受けられないのが不思議
https://www.sankei.com/article/20220222-X55S7OZBNZNWRFKHZ5DGTUOLAM/
https://www.tokyo-np.co.jp/article/38975
https://www.asahi.com/articles/ASPD26CRYPD2IIPE020.html
https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/16/
ベビーカーに冷たいから少子化になるんだとかいう意味不明な認定といい、
政府や大企業には特に反抗する事なくおとなしく従うくせに何ら権力を有しない一個人の意見は必死に叩き潰そうとする弱い者苛め根性が凄いね
元増田じゃないんだけど、この話について当の本人たちの表現よりブクマで「挙式だけなら誰でもできるんだからおかしいことはない、一人でも友達同士とでもできるんだし」って言ってるブクマカの方が気になっちゃったよ。
そりゃそうなんだけど、現状同性同士については「挙式しかできない」わけじゃん。シスヘテロが法的拘束力のある婚姻というか、入籍に加えて他の選択肢として楽しみや決意や他の動機からの挙式を当然に選択できる自由がある状態と
婚姻や入籍ができなくて区切りとしての「挙式しかできない」不自由な状態とは全然イコールじゃなくて、そのうえでそれ言うのか…と思って「入籍」の話でない方がすげえ残酷だなと思っちゃったよ。
(その人たちがその意見のまま普段なにか同性婚賛成についてアクションをしてるなら別に文句はないんだけどさ…。でも実際はただ話を聞きたくないだけの人がすごく多い気がしない?)
一応パートナーシップ制度のある市区町村や養子縁組はあるわけだけど、これって結局は「法が同性婚を認めない」上でとれる対症療法のような抜け道のような方法にすぎないわけで、
生来の権利と言われるとちょっと違うし、婚姻ができるならこちらを選ばない人がきっと多いよね。(事実婚については話がブレちゃうんで措くけど)
というか異性で、恋愛的、あるいは親愛的了解のある二人がなにか関係を結ぼうとして、婚姻を選べる状態の上でさらにこういう方法が一般的にとられていない以上、
やっぱり両者には権利の上での格差があると思うんだよね…婚姻ができない状態において法的、金銭的な不利益を被っている現在がある以上、誰でも「挙式」はできるでしょ、それなら問題ないと思うよ!と言われても、
当事者としてはやっぱりひっかかるものがあるのはあると思うんだよね…。立っているラインが全然違っているんだから、なんかそこについてはもう少し耳を傾けてもいいし、
変わってない現在とそれに対する彼らの行動が現在進行形である以上は今回あがったような声自体は別に不当でないし「性的少数者としてなにかを解決しようとしてる態度とは思えない!」みたいに
大上段から複数で言われるほどおかしな意見でもないなって思うんだよね。言い方は強かったかもしれないけど、あの写真を出した側の考えなさと商業主義の姿勢に比べて
(個人的には今回のような表現をやめろとは言わないけど、世間的に嘘をついていい日っていう了解のある日にあれを出すことについてデリカシーがないというのは全然否定はできないとこだと思ったし、
それに対する批判だって同じように表現の自由で守られていいと思ったよ)それ以上に予断や思い込みのあるものとも思えないし、
未だに同性婚が法的にできないことを知らない人もいる、それを気にしなくていい人の多い社会構造の中の現状を生きてる人間にとって
ああいう発言をすることにおいて「逡巡がない」と受け取られるのもそりゃあ違うだろって感じたよ(これはこう言っているブクマカの人がいたので)、
そもそもこういう何か言えば猛烈な反応の返ってくる状況をずっと見ていてカミングアウトできてない人だっていっぱいいるのだろうし、マジョリティ側が持ってる発言することの気楽さのある世界とはかなり違う世界を生きてると思う。
我々が特に気にすることなくブクマで見られるような発言をしているとき、もうすでに黙って何度も何度もそれに耐えて頷いているかもしれない当事者はいっぱいいて、隣の席の同僚とかクラスメイトとか家族だってそうかもしれないわけでしょ。
そのことについてちょっと考えてもいいし、元ツイート主のああいう意見を見て、じゃあこの先どうしたらいいかなって両方で歩み寄っていけないものかなって思った。別にそんなに損することなくない?
我々に話を聞いてもらいたいならそういう態度をとるんじゃないよっていうのも、「理想の〇〇」(この間橋下さんが理想の戦争被害当事者を規定して燃えてたね)をやすやす規定できる側の考え方に見えるし、
現状特に何かを変える必要にない側にいる人間だから言えることだなって思ったよ。今性的に多数派の側にいることそれ自体で被る法的な不利益が自分にはないし、
他のいろんなものを対象にしたコンテンツや表現を楽しめる状態に水を差されることの方が自分たちが持ってる権利を持ってない人がいる社会が変わらないことより重いなって思うのも結構傲慢だなって感じるし、
よっぽど他の人間の表現の自由どころか得られていない権利の自由を侵害しといてそれはないよ…と思う感情自体は否定されなくていいんじゃないのかなって思ったよ。
何か言いたい人の話をもうちょっとばっさり切り落とさずに聞いたってそんなに損なことある?って思ってしまった。とにかく多数派は多数派の論理でそうでない他者を規定しすぎている反省はあってもいいのではないかな…って少し感じた。
一連の紛糾を見ていて、そもそも戦い続けてもまだ同性婚を法制化できてないくらい全然強い力を持ってない側にいる人たちの批判を表現の自由を規制する側=権力としてとらえてるところから変だし、
とにかくもうちょっと「なんでそんな風に思ったんだろう?」って聞いたっていいじゃんってなった、「お前の態度が気に入らない」「論理が破綻している(こっちもたいてい破綻しているのに向こうにばかり完璧を求めるのヘンだよな)」で切り捨てるんじゃなくて。
社会を動かす力も現状の社会構造を温存するのもどっちに対する力もむしろ多数派の方にこそあるんだから、それでとっとと同性婚成立させて好きなような冗談好きに言いあえる世の中になるのが一番いいよ。
(続き)なんでこんな馬鹿に人権与えてるの社会に貢献できなさそうなのにって思うこの義憤。
感情の方向が違うだけで激しい感情ってものはカタルシスを与えるものなんだろう。
別に本気で人権否定してるとかじゃなくて義憤ごっこなんだよね。あと人の権利を否定するようなでかい口は叩いてみるだけでも優越感が味わえる(これを空しいという人もいるが人それぞれだろう。)
んでもって(なんとなく/ごっこのつもりで)言ったことが仮に権力者によって実現したらそれはそれでフィクサー願望的なものが満たされる。誰がか自分の言に従うということはその誰かを裏で操ってるのと同等であり、従った相手の権力が高いほど自分の権力が高いことになるとみなせる。これも悦だよね。
結局さ、「コイツ程度の名声なら俺の名声パンチで黙らせられる」って前提があってはじめてのビンタでしょ。
それどころか「お前ごときコメディアンが超一流俳優である俺の名誉を傷つけるとか許されるわけねえだろ」っていう見下し意識でしょ。
日本人はそのへんがよく分かってないからウィル・スミスを称賛してるんだと思うわ。
たとえばテレビ局の若手アナウンサーがビートたけしに同じような喧嘩売ってビートたけしに同じようにビンタされたら「権力があれば何しても許されると思ってるんだろうね」って叩かれてたと思うよ。
なぜなら「場で受け入れられている(ように見える)1人を標的にしたからかい」に個人が対応するのは決して簡単ではないから。壇上で話して観客をつかんでいる人は一種の「権力」の座にいるのであって、1人の観客、中でもターゲットにされた人間との間にはすでに大きな力の差があるのだ。それはそもそもFairな状況ではない。たとえば「いじめ」を思い起こしてみれば簡単に分かるだろう。すべての「いじめ」に対し、「一人前の人間なら自力救済できるのだから、口を出すのはその人を一人前扱いしないことだ」などと唱えてすましているやつがいたとしたら、そいつは単なるクソだ。見て見ぬふりよりも悪質な、いじめの共犯者ですらある。
だから、とりわけターゲットにされた人間の内心に共感でき、行動できる第三者がいれば、その人が行動するのは「義」によるものであり、方法はともかくとしてその行動原理に批判される点はない。それは、もちろんターゲットが男性であっても同じことだ。たとえば、今回ウィル・スミスが腹を立てたのがたとえば友人の男性のためであったとしても、私の意見は全然変わらない。ウィル・スミスの行動は「義」によるものであり、否定されたり男女問題などに矮小化されるような話ではない。むしろ、この増田のようなことを考えるせいで「義」なる行動がとれなくなるのだとしたら、それこそポリコレ棒の弊害だ。
ぶっちゃけアメリカと日本での反応の違いは、平手打ちしたあとのウィル・スミスの罵詈雑言のニュアンスの受け取りによるのではないかと思っている。あそこでウィル・スミスはあきらかにキレ散らかしており、”良識派”の人たちとしてはかばいづらい様子ではあった。だがその前の、親しい知人が侮辱され、その人に代わって怒る、という行動自体には何ら不適切な部分はない、というのが穏当な見解というものだと思う。
余談だが、なんでもジェンダーの問題にしたがる人は、聞きかじった知識を振り回して「啓蒙ごっこ」をやってると、こうやって、別の人権侵害に加担していることになることすらある、ということに気付くべき。棒を手にするなら「棒を振り回すと危ない」という最低限の認識くらいはもつ必要がある。