はてなキーワード: 文字とは
十代でも何様案件だけど、既に成人してたんだよなぁ。恥の多い人生云々どころでは無い
2023-02-20
これワイ過去に3回ほどやったことあるのよね。絶交よプンプン!ってな
振り返ってみるとマジで大したことなかったのでほんとごめんやでというお気持ち
まぁ当時は王様気取りで基地レベルが今よりもさらに高かったからな
なんならそれ以上のやらかしもしている
2022-05-16 ともだち関係でいちばんのやらかし
12時間待たせるとか、絶交だもんプンプンとか、魂が拒否して文字に起こすことすら出来ない恥ずかしいやらかしとか無限にあるのだが、
いちばんやべーなって思ったやらかしは友達の職業の否定である。しかも1人じゃなくて2人にそれぞれ違う時期にやってるんだ
なんで友人たちは自分に付き合ってくれてるのかなぁと思う
万物への憐れみ・慈悲の心なのか知らんけども、よくぞそういう人とたまたま出会ったなって思う
ちなみに友人たちは学生時代金がなかった自分におやつとか弁当とかいろいろ奢ってくれた
けどなんか社会人になって職業の否定とかカマしたんだよなぁ。ストレートに基地外ですわ
でもどっかでお仕事が絡むといいなぁとはやはり思う
心の負債は見せないほうがいいね。付き合いの長い友人であっても。
「それ、どうしたら解消できるの?」
そんなのこっちが知りたいよー。
屈託なくぬくぬく育ったお嬢さんが見てない景色がたくさんあるんだよー。
玄関のドアを開ける時の心臓が縮む気持ち、夜に家から出された時の寒さ、街灯の明かりで読む英単語帳の文字、リビングで刃物持って叫んでるきょうだい
正直今となっては記憶が薄すぎるけどなんか色々あった気がする。
今、普通に働いて穏やかに生活してるのが夢みたい。家庭に比べたら学校や職場ってルールが明快だからイージーゲーム。
背幅にして6cmとか、ページ数にして1,000pとか、そういう規模の本だ。
私自身、同人誌を作り続けて10年以上であることもあり、それだけの本を作るのがいかに大変かはよくよく理解している。
文字数は10万字を軽く超えるのだし、装丁や校正にだって労力がかかる。
だけど私は印刷所や、作った本人が自慢げにTwitter(X)で鈍器本の紹介をしていると、どうしてももやもやしてしまう。
理由は主に2点だ。
・背割れについて
・重さについて
本はもちろん、手に取って読むのである。
重くないだろうか。
読むのに疲れる以前に、手が疲れるのは本末転倒だ。
総合すると、『読む人のこと、考えてる?』と言いたい。
手に持って、何分読めるだろうか。
重さを気にせず、物語に没頭して楽しめるだろうか。
確かに厚い本は映える。
見た目からして迫力がある。
でも本はあくまでも、人に読まれることで価値が生まれるのではないだろうか。
上記2点の問題から、私は鈍器本が本として優れているかをだいぶ疑問に思っている。
鈍器本を買った人の何割が読破しているかどうか、統計を知りたいくらいだ。
すごく個人的な意見を述べれば、鈍器本1冊分の文字量は、300pの文庫本3冊という形で出してほしい。
読むのも保存も、格段に楽になると思う。
私はただページ数と厚みが増えるよりも、手に取ってくれた人が、その本の中にある物語を心から楽しんでくれるほうが、ずっと嬉しい。
最近大手のメディアでも暴力的と思われるワードを自主規制したりするのを見かける。
誰も言わないのに勝手にマスコミが天皇を敬称つけたりするのに感じるような、同調圧力のような気持ち悪さだ。
でも一個人が勝手に何かを察して自主規制したりすることに自意識過剰さと、過度な察しによるどうでもいい事象の蔓延の兆しを感じて気持ち悪くなる。
ただでさえ遠回りな表現を好む日本で察し察しのこういう謎文化を広めてほしくない。ただの一個人が。
一般人が何も考えず誰かがやってるのを見て、勝手に何かを察して
SEOでいうなら平仮名にして文字を開こうがそんな小細工まったく意味がない。
こずるい真似をしてこそこそやっているのも、小市民みたいでむかつくんだよ。
国語力だの言語能力だのさかしらに言及したがる二次増田いるけど、なにかを書きたい人は「言語能力」があるからとかそれを見せたいから書くんじゃないと思うよ
文系のことは知らんけど、自分のいた研究室は毎日来るのが当たり前の情報系だったので、そことは大いに違うな。
個人的感覚だと、研究室が課している出席のルールを満たしていてこれはちょっとあり得ない。
過去、卒論をそんな理由で失敗していた学生なら見たことはある。
一つ下の学年の自分から見てもヤバいと思うような発表内容で、回覧に出されていた卒論もほとんど何も書いてない感じのだった。
後で聞いた話だと、その発表をした学生はほとんど研究室に来ていなかったらしい。
...まあ、こういう状況で「これでは修士に値しない」はわかるけれど、それなりに研究室に来ているのにそれをもらうのははっきり言ってブラック研究室。
実際に見たことはないんだけれど、自分のいた学部にかつて卒論発表会で自分の学生にパワハラを始める人がいたらしくて、
その研究室に行くとヤバいってことが知られているところがあったな。
今でいうAIのような流行りもののテーマを扱っている研究室だったので、憧れだけで研究室を選んで地獄を見る場所だったらしい。
文系大学院の常識は知らんけど、自分の感覚だと修了率50%は相当ヤバいと思う。
この研究室で論文を書く場合って、指導教官はauthorに入りますか?
ゼミで指導をしたと言えば言えるのかもしれないけれど、文系の研究室はえらく気が長いんですね。
月1程度(1回1.5時間ほど)以外は研究について話すのNGなんですよね。
研究を進めるうえで研究室で特殊な機械を借りたり、先生の人脈を使ったりしてますか?
自分の感覚だと、その程度の相談時間で、研究室のリソースも使わないとなると、指導教官をauthorに入れていいのか怪しいレベルだと思うんだけど。
ちなみに、自分のいたところは毎日指導教官とテーマについて話してました。
論文を書くときは構想から相談して、添削もしてもらってました。
「増田君が言いたいことはこういうことでしょ」と先生が書き直したことも時々あったので、ぶっちぎりでauthor感があった。
これが1カ月に1回。ほんとに研究室の進捗がslowなんだな。
そして、シン・仮面ライダーのメイキング(NHK制作のドキュメンタリー見てくれ)よりもひどい世界だ。
早いフィードバックで何度も回すのが自分の周りだと普通なので。
もちろん、先生に毎回確認するのは気が引けるので博士などの人が先生に質問をするときに一緒に居たりして、一緒に先生の話を聞いて意図を組んで、その人と壁打ちをすることが大半だと思うけど。それでもって、その博士の人もauthorに含まれる。話しているうちに博士の人のアイディアが入ることもあるし。
は別に正直でいいと思うんだけれど、先生の知り合いでその分野に明るい人を紹介してもらって共同研究できないんだろうかとかは考える。
④ヒステリックになっていると言われる
「先生方は現状をどのようにお考えなのですか」の回答はそんなに問題があるとは思えない。
「お考えですか」だからね。
大学としてこの修了率は普通のことなのか、普通じゃないのか?みたいなところからだな。普通のことだったら、それ以上の会話はないよ。
普通じゃなかったら改善案についての話になるけれど、普通のことだったら改善などないからね。
正直、元増田のお気持ち表明以上の意味がある質問には見えない。
修了率が高い研究室に移れないかを考えてもいいとは思うけれど。
⑤計画性がないと言われる
ここまで読んでいて思うのは先生には学生を育てる動機づけがないってことかな。
先生の問題というよりも、大学やその業界の問題のような気がしてならない。
うちの分野だと自身の研究成果はさておき、育てた学生(特に博士)の数や研究も評価の対象になるので、下を育てることにそれなりの動機付けがある。
多分、指導能力がない(学生を育ててない)人はテニュアトラックに乗れないんじゃないかなと。
あと、先のところでも書いたけれど、もしかして、元増田の通っている大学院は別に修了しない学生が多くても構わないって思ってない?
自分のいたところはその分野の人材を育てるという意味合いもそれなりにあったのか、修了率はかなり高めだったと思う。中途で消えた人は見たことない。
でも、修了率50%でなんとも思わないというのは研究室どころか、その専攻科がそれを良しとしているとしか思えない。
え?先生って定形勤務なの?てっきり裁量労働なのかと思ってた。
働きたかったら何時間でも働いていいけれど、働きたくなかったら別に何もしないでもokみたいな。
ふんわり定時みたいなのがあったほうが自分も学生も働きやすいからそういうのをやっているだけかと思ってた。
でも、この書類もGW直後に見てもらうのだと間に合わなかったんだろうかとも思ったりする。
先生にだって休みの日を休みの日として過ごす時間は必要だと思うので。
家族サービス中にちらちらとメールチェックをするのはokですか?ngですか?
ちょっと研究室にいた時間と自宅にいた時間がかぶってて、なんかおかしいので時間帯はわからんけど、
理系だと追い込みの時期に研究室に住んでいるみたいな人は普通にいる。
ま、事実上研究室に住んでいるような人生を研究に捧げた先生なんかもいるらしいしね。
学位論文書いてた時は研究室から徒歩数分のソバ屋で年越しそば喰って、正月も研究室にいたけれど...
研究に費やす時間についてはこんなものだと思う。修了できなかったら死ぬみたいな気持ちでやってたのは事実で、文字通り命を削って学生してた。
親はモラトリアム楽しんで遊びに行っていると思っていたようで、恥ずかしいからと親戚の集まりに来ないように仕向けられてた。
労働基準法で守られているし、学位を取れなかったら死ぬみたいな謎な緊張感もないしね。
でも、指導教官の対応はなんかおかしいと思う。そもそも、学生を育てようとか卒業させようとかいう意思を全く感じない。
でも、それは個人の問題というよりもシステムの問題なのかもしれないとも思う。
もし、増田の分野が人を育てることを重視していないなら、それは業界の問題であって個人の問題ではないし、
そこは手厚い育成を求める人たちが行ってはいけない分野なんだと思う。
法テラス?
普通に考えると、この手のトラブルは弁護士に話す案件かなーと思った。他の人の状況や客観的な証言を集めたかったら探偵も使うのかもしれないけど。
「重複」を「ちょうふく」と読んだら「じゅうふくだよwww」を言ってくる奴を許さない委員会の投稿に「代替」「続柄」などさまざまな委員会が反応
って記事があって、
前々から気になってたんだけど、文字変換がこれらの間違いを加速させてる問題。
だいがえ 代替
ぞくがら 続柄
その他にも
そうさつ 相殺
ぼんよう 汎用
ひとだんらく 一段落
かいどく 解毒
これらが指摘されているが、
全てスマホやGoogleIMEだと一部は「もしかして」の注記はあるものの変換できてしまう。
IMEを作成する側として間違いを正して(変換できない)あげるインセンティブが無いのだからはいはい「ぞくがら」ね「続柄」の漢字が欲しいんでしょう、はいはい、
と出してやったほうが「変換率」「ユーザービリティ」は上がる。
クラウドでだかユーザーデーター収集で変換候補を学習しているから悪貨が良貨を駆逐が起きる。
Q1:生まれつきの障害ですか?それとも、病気や事故による障害ですか?
Q2:聴覚障害の方が非聴覚障害者と会話をする場合、視覚情報(文字情報)で筆談することになるケースがまだまだ多いと思いますが、筆談する際に非聴覚障害者が心がけておいた方が良い(例えば、会話が支障なくスムーズになる)ポイントとか有りますか?
当時自分が置かれていた状況とあまりにも似ていて、読んでて胸が痛くなった。
元増田を読んでたら居ても立っても居られなくなったので自分の経験を書こうと思う。
自分は10年ほど前、某国立理系単科大学のとある実験系研究室に所属する院生だった。自分もその分野の研究に興味があって研究室に入ったのだけど、指導教員が問題のある人だった。元増田の教員と同じように学生に対して「こんなんじゃ社会に出たとしてもやっていけない」と発言したり、お盆にも実家に帰省させず実験をするように学生に強要したりと、まさにアカハラ教員だった。でも多分元増田の指導教員の方がもっと酷い。当然自分含め学生たちは毎日深夜まで研究室で過ごしていたし、休日も大学に通うのが当たり前だった。
そんな状況の中過ごしていた自分は無事大学院入学半年ほどでメンタルを崩し、次第に自殺の二文字が頭にチラつくようになった。今となっては何であんなことで深く落ち込み悩んでいたのだろうと思うけど、社会に出て働いたことの無い人間が、自分より社会経験のありそうな人から「お前は社会に出ても使えない」と言われ続けられれば、そうなってしまうのも仕方ないよなと感じる。かくして自分のメンタルは順調に蝕まれ、結局朝、布団から起き上がれない状態までいってしまった。
そんな自分を救ってくれたのは旧Twitterだった。学生の頃の自分はツイ廃で、メンタルがやられていたのもあってぼーっとタイムラインを眺めることが多かった。インターネットにはいろいろな人がいて、自分と同じように過酷な研究室で過ごす人の愚痴だったり、そういう研究室で過ごしていた人の体験談などが書き込まれていた。特に自分の目を引いたのが大学院を中退して就職したという経験の書き込みで、そこに書かれていた「社会では案外なんとかやっていける」といった文章で自分の道が開けた。というかあの頃の自分は藁にも縋る思いで、あの地獄のような環境から抜け出せるのならばなんでも良かった。
大学院を辞めて就活しようと決心した次の日、両親にそのことを相談した。いきなり辞めるのではリスクが大きすぎるということになり、1年間大学院を休学することにした。学生課に休学届を提出し、指導教員に今日から研究室に行かないという旨のメールを出した日のことは今でも忘れられない。平日の真っ昼間に大学の外をふらついているという現実が信じられなくて、自分は自由になったんだという実感がなかなか得られなかった。それから1週間くらいは家でゲームをしたり、都内を観光したり、目一杯遊んで気分をリフレッシュした後、就活モードに切り替えた。
大学院を休学する前から就活のターゲットは決まっていた。公務員である。公務員の就活は新卒であるかどうかが関係なく、年齢の条件と公務員試験をクリアすれば採用される。自分みたいな人生のレールを脱線しかけていた人間にもリカバリが可能である。そして自分は試験に受かるために半年間ひたすら勉強した。1日何時間も勉強するのは大変だったけど、研究室に閉じ込められて夜遅くまで過ごしていた時と比べれば屁でもなかった。そして最終的には某地方自治体の試験に合格し、内定をいただき、大学院には休学期間終了後に退学届を出した。今も同じ職場で働いているけど、メンタルよわよわでどんくさい自覚がある自分でも仕事は続けられてる。
長々と自分語りをしてしまったけど、伝えたいことは、あなたの人生はこんなところで終わらせるべきではないということ。
あなたはまだ本格的に社会に出て仕事をした経験がないから、指導教員の言うことだけが正しいと思っているのかもしれないけど、結局その人もn=1にすぎない。
普通の組織は、あなたやあなたの指導教員が考えているほど厳しくない。
むしろ大学教員の方が人生のほとんどをアカデミックの世界で過ごしている訳で、そっちの方が「社会を知らない」のではと思う。
人生、辛いことがあったら落ち着くまで休んでもいいし、なんなら逃げ出しても構わないと思う。
自分は大学院中退からの就職(公務員)を選んだけど公務員の仕事内容は相当ブラック。それでもブラック研究室よりはマシだし、同僚や上司に恵まれれば(自分は運よく良い人たちに巡り合うことができた)やりがいを持って仕事をできる。多分これは民間企業に就職したとしても同じだと思う。
ただし中退もいいことばかりでは無い。大学院を中退したという事実は、周りは気にしないと言ってくれるけど、自分は就職後も長い期間負い目に感じていた。ある決断を下す前には慎重に考える必要があると思う。
なんか世の中便利になったなーと思うことが多いので
書き出してみる。
自分のスペックは重度の聴覚障害者で補聴器を外すと何も聞こえない。けどなんとか喋れるレベル(発音は不明瞭だけど)。
聴覚障害者みんなが同じように感じてるかは知らないけど自分の感想。
これはだいぶ前からだけど、なんの番組でも大抵は字幕がついてるようになった。一昔前はこの番組は字幕ないかぁ…って事が多かったけど今はもうあんまりそんなことはない。深夜帯はついてないことも多いかな?
コロナ禍以降web会議オンリーになったんだけど、コンピューターの方がよく聞き取れてる。聴覚障害にも色々あると思うけど自分は補聴器をつけても、聞こえても聞き取れない事が多い。音として認識はしてるけど言葉として認識できないんだよね。でもパソコンはかなりの精度で認識してくれる。
Androidはスマホから出てくる音なんでも文字起こししてくれる機能がある。YouTubeの自動文字起こしみたいなやつ。これの何がいいって電話ができる。電話リレーサービスって第三者が間に入って文字にして伝えてくれるサービスがあるんだけど(これにも大変お世話になった。いいサービス)やっぱり自分で電話できるのはいい。電話のハードルがだいぶ下がった。
iPhoneはたぶんその機能がないのでiPhoneは使えない。はず。
Bluetoothイヤホンみたいな感じ。スマホやパソコンからダイレクトで音が入ってくるので聞き取りやすい。ちなみにBluetooth対応補聴器の前はヘッドフォンを補聴器に無理やりかぶせてた。痛いしめんどくさかった。
これは聴覚障害者に限らずの話ではある。
JRとかの電車は長距離だと障害者割引が使える、んだけどこれまではみどりの窓口で障害者手帳を見せて…みたいな感じで並ぶのが面倒だった。今はえきねっとでマイナンバーカードを認識させれば、あとは券売機で障害者割引の切符を発行できる。
色々言われてるマイナンバーカードだけどこれだけでもカード作った意味があると感じる。
多分これ以外にも気づいてないだけで恩恵を受けてる事はいろいろあると思う。
世の中テクノロジーが発達して色々助けられてる。誰に感謝したらいいかわかんないけど、ありがとうございます。