はてなキーワード: 便器とは
便器あふれ止めの水袋が常備してある
端的に言って、2度と当時には戻りたくないと思う。
穏やかな小学校生活が終わって、中学校に上がった。中学校は周囲のいくつかの小学校から生徒が合流し、顔ぶれは半分ぐらい変わった。
新しい同級生、新しい先輩、見知らぬ古い校舎、荒れた空気で余裕のない先生。同級生はみんな、自分の居場所がリセットされて、それを確保するのに必死だったと思う。
一部の同級生が、先輩らの影響で短ランやボンタンのような制服を着て、髪の色が明るくなり、言動が激しくなった。
それに伴って、学校は腕っぷしの強さや声の大きさ、容姿の美醜、スポーツの出来不出来、笑いが取れるかどうか、を軸とした上下関係の階層構造が強まった。
勉強のできる学校、地域ではなかったから、勉強の出来不出来や知識の豊富さはそこまで階層への影響はなかった。むしろ、真面目に勉強をしていることはダサいという空気感すらあった
当時の僕は、身長は高い方だが、容姿は下、スポーツは並、笑いは全く取れない、勉強はそれなりにできるが、トータルでは平凡な男の子だった。
ただ、良好な人間関係の作り方や上下関係のやり過ごし方などの処世術に鈍く、学校に上手く馴染めないまま過ごしていた。
プライドが高かったのだと思う。
階層トップの不良グループはクラスの場を支配していたけれど、僕は、支配されたフリをして上手く立ち回るのはイヤだった。
イジられても笑いで返せず、キレ返した。物がなくなっているなどの軽いいじめに、張本人を殴ったり同じことを仕返しした。
お前、小学校の頃は休み時間に一緒にサッカーしてたよな?僕のお父さんの車で一緒に釣りに行ったよな?何でこうなっちゃったんだよ!とずっと思っていた。だからこそ、負けたくなかった、譲れなかった。
昔は仲が良かったみんなも、自分のいる階層を保つ or 上昇させるために、グループに所属して、その勢いに流され、僕や立場の弱いグループを、気まぐれに攻撃することが、中学校のなかで当たり前になった。
そして、いつも反抗的な態度の僕は、特に標的にされ、孤立した。
カバンや筆箱が無くなっていたり、お金が盗まれていたり、パンツを脱がされたり、通りがかりに殴られたり、いろいろ。当時はよくがんばって学校に行っていたなと思う。えらい。だけど今思えば、がんばり過ぎないで欲しいなと思う。
こんな感じで、安心できる場所は学校には一切なかった。毎日心も体もかなり緊張していて、ビクビクしながら過ごしていた。
その時の身体の強張りはクセになってしまい、他人がいると男子トイレの小便器でおしっこすることが出来なくなった。おしっこをしている時はイタズラされることから逃げられないから、他に人がいると落ち着かず、どんなに頭でおしっこをしようと思っても、出てこない。
学校の中でも奥の奥にある、ほとんど誰も使わないトイレに、休み時間になると駆け込んだ。たまに先に人がいると、その周りを歩いて出てくるのを待った。
年間のなかで最も大きい大会に、中体連の県大会、といったものがあった。
うちの中学校では、この県大会の大会出場のときには、様々な部活から各種陸上競技に出演するメンバーが選ばれた。
僕はどの競技の選抜からも落ちたが、大会までの練習や当日の飲用水の用意など、陸上部としてサポート役のため駆り出された。
小学校から続けてきたが、なかなか結果は出なかった。そして、陸上部ではないみんなとの競争に勝てなかった。
知らないメンバーのために、部活だからとサポートをすることは、楽しいことではなかった。大事な大会で走れない陸上部、ということが情けなくて、恥ずかしくて、自信が持てなくなった。
陸上そのものを楽しいから続けている、という内的動機も弱くなったこともあって、部活という居場所を自分から閉じてしまった。
部活を辞めてからは、授業が終わり次第すぐ帰り、毎日自宅のPCでインターネットを利用した。
Yahoo!チャットでは、立場や背景も関係ない、見知らぬ人とフラットに会話できることがとても楽しかった。私は当時南の島に住んでいたが、その島には映画館が無いと本気で思っている人がいるなど、この嫌な地元とは切り離された人と、遠く距離を超えて繋がれることにワクワクした。
オンラインゲームでは、徐々に強くなっていくキャラと、連帯感のあるギルド(所属するチーム)でゲーム内に居場所ができた。
ただ、Yahoo! チャットでは人とのごく短い付き合いしかできなかったし、親はオンラインゲームにお金をかけることは許さなかったから、オープンβテストの期間が終わったら、ゲームはそれ以上続けられなかった。
それでも、毎日急いで家に帰って、ここではないどこかに居場所を求めた。
ここまでがだいたい中学1年生。
2年生になりクラスが変わってからも、同じような軽いいじめ、イジリがある構造は変わっていなかった。そんな中、ある事をきっかけに階層に反抗する心は折れることとなった。
小学6年生の時から好きだった女の子と、同じクラスになった(初恋だったんだと思う)。
修学旅行のはずみもあって、就寝前、端っこあたりで寝そべっていた僕にも、みんなで好きな子を暴露する順番が回された。そこで、迂闊にもその子が好きであることを話してしまった。
僕は次の日の朝、ある場所に連れ出された。女子からも男子からも人気のあったイケてるグループのメンバーが、勝手にその子を呼び出していた。
事前に、僕が彼女のことを好きだということは伝えられていたようで、女の子は戸惑った、迷惑そうな顔をしていた。
そして、ちゃんと好意を伝えることもできないまま、一方的に、僕のことを好きではないことを伝えられた。
好きではないという事実以上に、あの迷惑そうな顔に、かなり心が傷ついた。あれは、階層の中で下位グループと同じ括りにされることを嫌がる拒否反応のような、そんな表情とリアクションだった。
ひどく鼓動が早くなった。気持ちが塞がってしまい、僕の修学旅行はそこで終わった。
この女の子とも、小学生のときは、同じクラスの隣の席でよくお喋りをした。いつも落ち着いていて、知性があるような雰囲気で、スピッツが好きだった。
小学6年生の遠足の時、移動までのバスでカセットテープを流すことができた。僕は遠足の前日、スピッツの「recycle」をカセットテープに録音して、当日のバスで流した。
歌うことが大好きだったし、上手だと思っていたから、その子の近くの席でこれ見よがしに、特に好きだった「渚」か「楓」を歌っていたと思う。
小学生らしく、好きだからといって何ら関係を変えるためのアクションは取らなかったが、日々その子と話ができることが嬉しかった。
中学校に上がってからは、僕は廊下などで見かける度に意識していたけれど、クラスが違うこともあり疎遠だった。
そして、2年生に上がり同じクラスになってからも、思春期特有の自意識過剰から、まともに話すことができなかった。
そしてそのまま、拒否された。
一方的に彼女に好意を伝え、呼び出した複数人の男子グループは、彼女が嫌がるそぶりを見せたとき、「うわ、かわいそ〜」と他人事のように、少し面白がっているように話していた。
個人としてどういう人だ、と言う前に、どの階層に属するかによって、こういう風に軽んじられる存在があることを強く認識したし、軽く扱われる自分自身のことも好きじゃなくなっていった。
自信をなくして、自分のことを好きじゃなくなっていくのと並行して、上の階層である不良グループに嫌がらせをされても、ヘラヘラと笑ってその場をやり過ごせるようになった。そしてもっと、自分のことが嫌になった。
体育の授業で複数人でグループを組んだ時に、兄の影響でアニメに詳しいクラスメイトがエヴァンゲリオンの話をしているのを聞いた。
ガンダムの仲間かな、というぐらいにしか知らなかったけれど、家族でゲオに来たついでに、何気なくレンタルをしてみた。
結果、見事にハマった。
戦闘シーンやメカニクスの描写などに強い興味はなかったが、同じく14歳のシンジや他のキャラの内面の描写に、自分を重ね合わせて見ていた。
中でも人類補完計画やセカンドインパクトは、思春期の想像力と合わさって、朝起きたら本当に起きているのではないかと、期待しながら眠ることもあった。
意地悪をする同級生は、個人それぞれは悪いやつでないことは知っていた。グループや階層といった構造になると、途端に他人に攻撃できることを体験的に知った。また、僕自身にも、階層の中で下のグループを軽んじてしまう意識があることを知った。
何で人間はこんな生き物何だろう、と思った。それぞれ個人としては思いやれる人も、集団となると流されてしまう仕組みが、欠陥だと思った。
他人もそうだし、自分の暗い部分も怖いから、誰かと近づくのをやめようと思った。関係を深めることをやめようと思った。だけど、誰かと認め合いたいという矛盾した気持ちがあった。
人類補完計画のように、人々の壁がなくなってひとつになったら、人間の欠陥もなくなって、みんなが幸せになれると思っていた。本当に早く来てほしかった。
でも、当たり前だが、そんなものは来ないことも分かっていた。だから何度も何度も見直して、頭の中だけでもエヴァの世界から抜け出さないようにした。
繰り返し見る中で、分からない部分も多くあった。なぜシンジは人間がひとつになる世界をやめたのか、なぜアスカは気持ち悪いと言ったのか、結局それぞれのキャラは救われていくのか?
これらのモヤモヤと、いつまでも起きない人類補完計画への期待感は、中学3年生になって受験勉強に忙しくなったのもあって、少しずつ心の片隅に追いやられていった。心に残る形は歪なままだけれど、そのままフタをした。
その後、県内では進学校だった高校に入学し、校内の暴力的な上下関係などはなくなって、落ち着いた学校生活を送れるようになった。
大学は第一志望には落ちたけれど、都内の学校に進学でき、希望していた地元からの脱出は叶った。
だけど、その都度、人間関係の構築は必要だった。苦手意識や恐れを感じて、中学生の頃のような緊張が蘇ってきて、上手くいかないことも多かった。言葉が上手く出てこない、出てきても変なことを言ってしまう、怖くて誘えない、など。
大学1年生の終わり頃に、良い友人との出会いがあった。何かと心の距離を取りたがる僕を、何度も何度も誘ってくれて、しつこく自宅に招いてくれた。そして、人に近づく怖さがだんだんと薄れていった。
また、その友人を起点に人間関係が広がっていった。みんな優しく受け入れてくれて、少しずつ人付き合いの自信がついていった。
いつまでもどこか漠然とした孤独感や居場所のない不安はあり、心のクセになっていてなかなか取れなかった。同時に、エヴァのこともよく思い出した。
それでも、その後の学生生活はこれまでにないほど充実して終えることができた。
この時に身に付けた自信から、就職先での人間関係も何とかやり過ごすことができるようになっていた。
今は、30歳になった。それなりに忙しく働いていて、家族もある。
誰かの心の痛みがよく分かる優しい人と一緒になった。
できることが増えて、自分の人生も俯瞰で見られるようになり、生活をうまくやる自信もつけている。
日常の中で中学生当時のことと、エヴァのことを思い出すことはほとんどなくなっていた。
そして、今回の新劇場が話題になっているのを見た。これで最後ということで、とても気になった。
なぜ今さら気になるのか考えてみると、過去に集団の中で屈してしまった悔しさ、自信喪失をちゃんと受け止めて解釈して、成長することができているということを、大人になった今エヴァと対峙することで、確認したかったのだと思う。
僕はとても救われた気持ちになった。
今回の物語では、シンジ、ミサトさんを始め、みんなが過去の様々な間違いや未熟さを認めながら、前を向くことができた。
第3村のトウジとヒカリ、レイの田植えなどの描写は、日常に地に足をつけて生きていることに対して、背中を押してくれたように思う。
劇中のみんなが自分なりの希望を見つけていくのと同じように、今僕自身が生きている人生に対しても「それでいいんだ」と、認めることができたように思う。
本当に良かった。ああ、これでいいんだね。
正直なところ自分は“どうでもいい”と思ってる。
『パンティー派だけどパンティーが好きになりたいならどうぞお好きに。
ブリーフ派でブリーフにアプローチかけるんなら勝手にしといて。
これじゃダメなの?
ハッキリ言って必要なのは『配慮』じゃなくて『干渉しないこと』なんじゃないかな。どうでもいいよ好きにすれば?ルールは守ってね。これで終わり。ぶっちゃけノーパン派の人で、公衆が定める下着区分に自己申告の下着で適用されようと思ってる人、バカにしか見えないよ。
いくら心がブリーフでもパンティー履いたままで立ち小便器は使いにくいし、心がパンティーでもブリーフ履いたままでビデ使っても無意味なのと同じ。
下着の区別とか誰も興味ないし、どう着飾ろうがどう喋ろうが下着は変わらないんだから黙って下着に従った区分を受け入れなよ。『心は大人なのに!』とか言ってる身長100センチに満たない子供がオート開閉付きのトルネード水流付きウォシュレット乗ろうとしてダダこねてるようなモノだよ。利用者にも、そのトイレの設計者にも迷惑。ちょっと身勝手過ぎない?
正直なところ自分は“どうでもいい”と思ってる。
『女だけど女が好きになりたいならどうぞお好きに。
男も女も好きなんだ。そりゃお得だね。
体と心の性別が違うんだ。好きなカッコしなよ。』
これじゃダメなの?
ハッキリ言って必要なのは『配慮』じゃなくて『干渉しないこと』なんじゃないかな。どうでもいいよ好きにすれば?ルールは守ってね。これで終わり。ぶっちゃけトランスセクシャルの人で、公衆が定める性区分に自己申告の性別で適用されようと思ってる人、バカにしか見えないよ。
いくら心が男でも女の体で立ち小便器は使いにくいし、心が女でも男の体でビデ使っても無意味なのと同じ。
心の性別とか誰も興味ないし、どう着飾ろうがどう喋ろうが性別は変わらないんだから黙って体の性別に従った区分を受け入れなよ。『心は大人なのに!』とか言ってる身長100センチに満たない子供が身長制限付きのジェットコースター乗ろうとしてダダこねてるようなモノだよ。利用者にも、その施設の運営者にも迷惑。ちょっと身勝手過ぎない?
トランスジェンダーだから苦しんでるんじゃなくて、叶わないワガママ言ってるから苦しいだけだよ。体が女なら女子に男子校の入学はあきらめて、体が男なら他の男たちに混じってスポーツやればいい。なんでこれが出来ないのかな。『体は男だけど心は女。せめて女子トイレに入ったり女風呂に入ったりして社会的には女性という承認を受けたい!』とか、そう思ってるならその時点で心身ともに女性ではないよ。女性に限らず、『こう振る舞うことで社会的にはその性別として認められたい!』なんてその性別の人は思わないもの。
どうでもええねん。心の性別とかどうでもええねん。変なもん持ち出すな。好きなカッコしろ。好きな性別の相手を愛せ。それを馬鹿にするやつは悪い。そいつは道徳的に間違ってる。さらし者にしたれ。でも通常でないことは心得ろ。
レズもゲイも異性を受け入れられんのならノーマルに拒絶されても凹むな。ヘテロのことノーマルって呼ぶなとかそういうのはいらんぞ。
そもそも人体は異性間の性交を前提に作られとるんや。異性愛者がノーマルなのは仕方ない。そこはわきまえろ。ケツは座薬以外のモノ入れる場所じゃない。当然や。
Qとかいう自分の性別を疑問視してるやつも好きにしろ。迷ったら股間見ろ。それが答えじゃ。
好きな色のランドセル背負えばいいし好きな服着たらいい。
ただ体の性別だけは絶対だからそこだけしっかり参照しろ。ガチ両性具有でバイの人はもうあれ。ボーナス。なんでも好きにしたらいい。そこはしゃあない。男子風呂入っても女子風呂入っても嬉しいならもう最強。こいつには誰も勝てない。ふたなりはマジで強い。メスショタと女装子と男の娘はただのホモ。以上をもって閉廷じゃ。
※追記
性自認なんて黙って自分の股間見て決めとけやって話なんだけどね
心の性別()と食い違うからなんやねん。心でちんこは生えてこねえんだよ
他の利用者が不安に思うから体が男なら黙って男風呂入っとけや。何考えとんねん。それさえ嫌なら公衆浴場使うなや。家に風呂ないなら引っ越してくれ
レズもゲイも普通に自然界にはいるよ。同性愛に向かう動物もいるよ。
そういう意味では生き物として絶対にあり得ないことではないよ。
でもそれは自然界のそいつらも異常ってだけだよ。事実として普通ではないじゃん。なんでそこで「我々は少数派なだけで普通だ!」って意地張るの?
人格が卓越していると、いろいろ得なことが多い。人格さえ優れていれば、どんな不祥事を起こしても許されるから安泰だ。だからつねに人格を磨くように心がけなくてはならない。会社で配られた本にそう書いてあった。研修で課題図書になっていたやつが、昨日ようやく読み終わった。
やる気は出た。だから今日は朝6時半に出社して、「人格の磨き方」を検索した。トイレを雑巾で磨けば人格も磨くことができるそうだ。
会社のビルをいったん出て、朝からやっているスーパーで洗剤と雑巾を買ってトイレに行った。便器はいい感じに汚れていた。誰かが的をはずして床に吹きこぼしていたので、それも雑巾で拭いた。便器がきれいになると、たしかに人格が磨かれた感じがある。
光る便器を見つめていると、もよおしてきたので、自分で磨いたばかりの小便器に放尿した。人格を磨いた後は、小便の勢いがたしかにいい。
誰かが入ってきて、隣の小便器に立った。高そうな青いスーツを着た人が、静かに放尿を始めた。その人はジャケットの内ポケットから何かを出し、無言で私のズボンのポケットへ入れた。こちらの顔を見ようともせず、尿が止むと身体を上下に揺らし、何事もなかったように出て行った。
ポケットを確かめると、マクドナルドのハッシュポテトが入っていた。まだ温かかった。人格を磨くと、朝マックに行かなくてもハッシュポテトが食べられる。方向性として間違っていなかったわけだ。
人格を磨くためなら今日は珍味おばさんにも優しくできるはずだ。この人は毎日のように会社へ電話してきて珍味を注文しようとするので、珍味おばさんと呼ばれていた。キッチンや洗面所に貼るタイルを売っている弊社に珍味も何もないのだが、電話を取った人がなぜかいつも私につなぐので、適当に返事してガチャ切りしていた。人格を磨くためなら、今日は全人的な応対をするだろう。
おばさんは始業後まもなく電話してきた。基本的に時間にはきっちりしているのだ。
「ねえ、ちんみちょうだい。あなたのちんみちょうだい」
「かしこまりました。赤黒くテラテラ光って、鼻を近づけると生臭さでむせかえるような、あの肉ですよね」
「そう……それ、それ……」
珍味おばさんは受話器の向こうで息を荒げながらメールアドレスを教えてくれたので、見積書を送った。
昼頃、三ツ桃さんが眉間にしわを寄せながらFAXを持ってきた。ひっつめ髪で、だいたいいつも厳しい営業部の先輩だ。
「この、鮭とば5箱って、なんの注文?」
「人生の糧、ですかね」
三ツ桃さんは瞳孔がひろがり、両手で口を覆ったまま動かなくなった。
「行きます? お昼」
オメガラーメンは混んでいた。満席のカウンターに座った客は肩を触れ合うようにして麺をすすっていた。店に入ってから三ツ桃さんは俯いたまま、一言も話さなかった。食べ終わって店を出たとき、「今晩、時間ある?」と訊いてきた。
夕方、会社を出ると三ツ桃さんの運転する車で国道を走った。車内はかすかな音でラジオが流れていた。信号待ちでウインカーの音がやけに大きく聞こえた。
「その人格、どうしたの」
「磨いたんです」
「そう」
会話はそれだけだった。運転している三ツ桃さんの横顔を見ると、歯を食いしばっているのか、顎の筋肉がやけに緊張していた。
夕闇が濃くなった頃、車は砂利の引いてある空き地のような所に入り、停まった。廃車や鉄屑が大量に積んであった。三ツ桃さんはトランクから棒のようなものを取り出し、からんと地面に投げてよこした。それは木刀だった。
三ツ桃さんは自分の木刀を上段に構え、タクェッと叫びながら振りかかってきた。拾った木刀で受け止めると、乾いた木と木が当たる音がした。そのまま横になぎ払うと、三ツ桃さんは後ろに飛びすさった。向けあった剣先を中心に、私たちは円を描くようにすり足で歩いた。つむじ風が古い落ち葉を吹き上げる。人格卓越の戦いはまだ始まったばかりだ。
潔癖症って実は菌や汚れを嫌うのではなくて、「穢れ」という概念を拒絶している。という話を聞いて納得したことがある。
大腸菌の話とか、トイレを歩いた靴が〜って話とか理屈っぽか聞こえるけど統一性は無くて、マイルール。自分の決めた範囲での想像上の汚れが許せないんだよね。
潔癖症でない人に伝わるように言うと、清潔に洗った便器で飯が食えるか。それを嫌だと感じる気持ちらしい。
私は潔癖じゃなくて良かったと思う。
ずっと在宅で久しぶりに出社してテンションあがったから、スタバでラテを買ったのね。グランデサイズ。(賢い人がスタバではグランデが1番コスパが良いみたいな本を書いてたから)
デスクに座ってたらお腹がぎゅるるるるってなったけどトイレに立つの面倒くさくてギリギリまで我慢してた。
そしたら仕事に集中できないぐらいの波が突然来て、立たざるを得なくなった。廊下を早足でトイレに向かってお気に入りの個室(他よりちょっと広い)に入ったのね。
用を足そうとしたら意外と便秘というかカチカチで肛門が痛くなりそうで不安になったけど踏ん張ったら、カチカチうんちが蓋みたいになっててゆるゆるうんちが便器内で爆発した。
ちょっと前に高速道路で車が故障して、うんち漏らしそうになってレスキュー隊に来てもらい、無事に事務所のトイレでうんち爆発させた増田を思い出した。
ちゃんと便座の裏拭いてたなと思って、私もやろうと思い便座あげたら汚くてげんなりした。
そして思ってたより便座の上の方まで爆発してたからもしや…?と思って自分のセーターの背中みたらちょっと飛び散ったうんちついてた。
はぁ〜仕事やる気なくなっちゃったよ。このセーター洗濯したばっかりだったのに。
帰りたい。