はてなキーワード: 人生とは
要は男社会で競争しながら生き残るのが無理そうだーと思った男性が10代半ばまでに去勢して女性になる道ね
成長期前〜成長期の途中に女性になった場合は戸籍もその他も女性として扱われるように手配してもらえる。スポーツはまあ微妙なところかな、女性枠には入れないかも
だから男性は思春期までに男として生きるか、(子どもは産めないけど弱くて可愛い)女として生きるかを選べるってこと
そうすれば可哀想な上に誰にも助けてもらえない弱者男性っていうのがちょっと減って、人生に絶望する無敵の人も減って、最近よく話題になる「男らしさ」の呪縛から解放される人が増えるんでない?
ちなみに知的障害とか植物人間とか、介助者が付きっきりで面倒見ることが確定してる人については保護者が去勢するかしないか判断してOKってことで
こうすれば男性の良さは活かしつつ、男性が社会に与える悪影響も、男性であるが故に受け止めざるを得ない理不尽も少なくなっていく気がするんだよなぁ
なぜこれを誰も語らない。
不思議だ。
「若者が東方に興味を持つ理由は精通を迎えるのに東方Projectが丁度いいからです」という暴論が飛び出すことはあっても、そもそも老人が東方から離れていった理由は語られない。
「老人はブルアカで過酷なオナニーをしているから」というのはもっともらしく聞こえるが、今なお東方のエロ画像は増え続けているわけであることを俺のチンコは知っている。
というか、若者だってブルアカで過酷なオナニーをしているわけだからして、老人だけが東方から離れていっている理由は他のコンテンツが伸びたからであると説明するのは厳しいだろう。
oi、誰か語ってみせてはくれないのか?なぜ誰も語らない?ファーストペンギンは突き落とされてジッサイアブナイと言われているからだろうか?
どうやら、我が古のサイバネ魔術「シッタ=カブリ」を使うときが来たようだな。
老人共は弾を目で追うことが実際難しい。
老人がスプラのワザマエランキングでイキることはあっても、エペやCSになると途端に黙り込むのがいい見本だ。
ゲーセンでグラディウスを延々とやっている無職とニートの中間になった中高年達はパターンを見ているだけで弾は見れていない。
東方の高何度はランダム弾幕を避ける視力が必要なので、老人はいつの間にか東方を落第し、視力が低くても遊べるカードゲームやRPGへと消えていくのだ。
キャラが増えすぎて老人には覚えきれない。
なぜ、老人たちの間で学園アイドルマスターが流行ったのだと思う?
古参アイマス老人を見ればわかるが、彼らはもう自分の推しの話しか出来なくなっている。
広大なアイマス世界の広がりを語り、シリーズをやりまくって何百というアイドルの複雑な関係性を諳んじていた姿はそこにはない。
自分の好きな数人のキャラクターとの関係性しかもう語れないのだ。
東方はどんどんキャラが増えるだけでなく、公式非公式で様々な関係性が日夜増築されていくのでもう老人にはついていけないのである。
ミドルエイジクライスの真っ只中にいる中年、それを終えて自分の人生の虚無を認めるしかなくなった壮年、彼らにとってZUNという成功者に親近感を感じることはもはや不可能に近い。
その昔、まだ若かった彼ら、まだインターネットの力で無能が突然這い上がれるドリームを信じていた彼らにとっては、ZUNという多才なる存在さえもいつか自分のマブダチになりうる同人作家の一人に感じられただろう。
AI技術が発達すれば俺だって神ゲーが作れるさ、バーチャル女体化が発達すれば俺も大人気配信者だ、そんな妄想はいざ技術が発達したあとには見事に瓦解した。
ここ10年ほどの技術的特異点の数々が彼らに己の無能を知らせる効果たるやあまりにも絶大であった。
世界に対する解像度、好奇心の総量、努力の才能、自分を信じる勇気、それらがないならどんなに技術の下駄を履かせても結局は無能なのだと痛感させられてしまったわけだ。
そんな彼らにとって、ZUNはもはや恵まれた才能を振り回すいけ好かないチート野郎。
そんな奴がこれ以上チヤホヤされるのに1ミリも協力はしたくないという感情は自然だ。
応援するならせめてチームで結果を出している連中や、才能があっても一種類だけの人間であるほうがいいだろう。
だって、優秀なチームを組めればという前提条件なら自分だって成功してた可能性もあるしこれから先もワンチャンはあって、なにか一つが優れているだけの奴なら自分だって自分の仕事でやってる分野でマウント取る余裕がまだ残るから。
凄すぎるクリエイターの作った作品を応援できるのは、自分の才能を信じられる若さがあるうちだけなのだ。
とりあえずこんな所でいいだろ。
最終成果に対する俺の取り分は1割ぐらいでいいぞ。
人生プレイとは、ゲーム実況におけるプレイスタイルの一つで、縛りプレイの一種である。
通常、ゲームのキャラクターは一度死亡してもそれで終わりではない。アクションゲームなどでは残機を一つ減らした状態で、RPGでは所持金などを減らした状態でやり直しというのが一般的である。そうでなくてもセーブしてあるところからの再出発となり、最初からやり直しということにはならない。
しかし人生プレイにおいては「そのキャラクターの死亡=最初からのやり直し」となる。結果として何回にもわたる繰り返しプレイが必要になり、通常プレイよりもプレイ時間が非常に長くなる。ふとしたことで全てが台無しになってしまうこともあり、なかなかに気の抜けないゲームプレイとなる。
https://dic.nicovideo.jp/a/%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%A4
投稿日:2034/1/1
新年早々恐縮だが、今日は伝えたいことがある。勿体ぶって気を引くのは嫌いなので本題を書こう。
それは、 僕が長年続けてきた「悪口芸」を卒業するという決断だ。
これを決めた、理由は大きく分けて二つある。
僕のような奴の悪口は、以前なら「若者のやんちゃな主張」と受け取ってもらえたかもしれない。しかし、今の僕は家族もいるし、複数のビジネスを手がける経営者でもある。世間から見れば、どう見ても「強者」だ。そんな僕が「イジる」行為は、もはや「イジメ」と変わらない構図に見えてしまう。地位を手にしたお笑いタレントの若手に対する「イジり」を見て不快になった人は多いはずだ。僕は性格が悪いことを隠さないが、ただのイヤな奴にはなりたくないのである。
僕も今年で42歳、2度目の本厄を迎える僕の人生も、いよいよ折り返し地点に差し掛かった。
年をとるといろんなことが変わる。徹夜できなくなったし、涙もろくもなった。ギックリ腰があんなにつらいものだとは思わなかった。
正直言って、最近は自分で「これはちょっと的外れな悪口だな……」と感じる場面が増えてきた。周囲の微妙な反応を見ても、明らかに以前のような鋭さが失われているようだ。
それも当然だ。10年前ならまだしも、42歳のおじさんの悪口には、どこか痛々しさが滲んでしまう。60歳、70歳になっても悪口ばかり言っているオジサンを見て、「この人の言うことは深いなぁ」 と思ったことがあるだろうか? 僕はない。使い込むほど刃の切れ味は鈍くなる。もちろんその刃を研ぐ努力はしているが、若い人のアンテナと吸収力には敵わない。
誤解のないように言っておくが、僕自身はまだまだやれると思っている。しかし、どんな芸風にも必ず「賞味期限」は存在する。ごまかしが効かなくなる前に、潔く身を引くべきだと判断した。
卑怯な言い訳に聞こえるかもしれないが、僕は決して誰かを傷つけたくて悪口を言っていたわけではない。相手の知られざる側面を引き出す手段として悪口を利用していた。それができなくなるのなら、あえて売り物にする意味もない。それだけだ。
さて、こうして冷静に自己分析してみて、自分で笑ってしまった。結局のところ「守るべきものが増えて、能力のピークを過ぎたから引退します」 という、実に平凡な結論に落ち着いてしまう。10年前の僕なら、こんな日和った自分を喜々としてイジり倒していたことだろう。でも、僕はそんな嘲笑も甘んじて受け入れるつもりでいる。
思えばいろいろなことがあった。ターニングポイントは約10年前、某YouTuberを有料コンテンツ内でイジった炎上騒ぎだろう。あの頃から僕の考えは少しずつ変わりつつあったのかもしれない。
でも、悪口芸で稼いできた時間を僕は決して後悔していない。この10年で世界は大きく変わった。誰もがAIの力を借りて文章を書くようになった。それは、資本家が定めた倫理コードに従って思考を均していくことにも等しい。
そんな息苦しい世の中で、僕は人間にしか書けない悪口の価値を示したかった。悪口は、単なる悪意やヘイトではない。良い面も悪い面も含めて人間なのに、世の中は「良いところ探しゲーム」ばかり強要する。僕は「悪い面」も含めて「イジる」ことで、世の中に新しい価値を提供できると信じていた。そして、実際に多くの人から支持を得ることができた。決して趣味がいいとは言えないだろう。でも、AIにはできない人間らしい営みの可能性を提示してきたし、胸を張っている。
今日を境に、僕は「インターネット悪口芸人」の看板を下ろす。しかし、悪口芸の舞台そのものは、この世界に残り続ける。もし、この舞台に立つ勇気のある(性格の悪い)若者が現れるなら、僕は心から応援したいと思っている。
もちろん、僕自身が一朝一夕に変われるとは思っていない。性格は相変わらず悪いままだし、これからも毒を含んだ文章を書き続けるだろう。ただ、「悪口」はもう僕のメインコンテンツではない。その点は、どうか安心してほしい。
今日書きたいことはこのくらいだ。
最後に、一つだけ告知をしておこう。有料マガジン(月額3000円)では、あの有名学者と10年以上水面下で繰り広げてきたバトルについて詳細を綴っていく予定だ。興味のある方は、ぜひ購読してみてほしい。
辛い。
本当に辛い。
一度上がった階級は下げられない、そしてとにかく誰かしらをポストにつけないと仕事がそもそも成立しない。
そして年功序列で決まった席に役立たず共が次々着いては破滅の時計が進んでいく。
行(一)5級の嫌われ者が予算を握りしめたまま毎日寝息を立てている。
行(一)4級の燃え尽き野郎が致命的な椅子に座ったまま5時ポンを繰り返す。
行(一)3級に上がったやつが毎日「好きで上がったわけじゃないのに」と雑談ばかりして働かない。
行(一)2級で定年を迎えそうな奴が今年もどこかで盥回しにされている。
行(一)1級の使える奴は次々に見限って辞めていく。
ここは地獄だ。
この世の地獄だ。
俺はなんでこんな職場を選んだんだろう。
同級生は口にする。
そうか。
「いや、公務員は流石に無理でしょ。民間の大変さを知らないから」
そうだよな。
俺ももっと早く逃げ出せばよかった。
俺の人生はもう駄目なんだろうな。
疲れた。
本当に疲れた。
心休まる日が欲しい。
人の心を失ったカスから休日呼び出しを食らわない人生、せめてそれに見合った報酬が得られる人生を送りたかった。
もう誰も公務員にならないでくれ。
こんな国、滅んだほうがいいんだ
二人の成人の男女が妊婦とその夫になるには、友人期間があり、恋人期間があり、一部では同棲期間があり、でき婚でなければ子無し夫婦期間がある。
妊婦の夫への怨嗟を見るたびに、妊婦になる前から行動がやばそうな夫でどうして結婚したのか悩む。
女が妊婦にジョブチェンジすると同時に、男も無神経な夫にジョブチェンジしているのだろうか。
いやそんなはずはないだろう。夫の妊婦への無神経、想像力の無さが問題なら、そんな性質は妊婦になる以前から継続していることが大半だろう。友人や恋人期間中に病気や疲労、月経による体調不良に理解を示すかどうかは何度かチャンスがあるはずだ。セックスまで行くには女性側にも同意できるほどの健康と気力が必要だし低調なときにたびたび誘われたりしたら観察力がないと見切れるだろう。
なのになぜ異常な夫談があふれるのか。
2妻側の1を100に膨らませる誇張
3無理解なパートナーだと無理解のままセックス結婚する無理解な女だった
4夫のこれぐらいなら平気そうというラインの不一致。つまりは妻側のコミュニケーションの怠慢
5異常な男と分かっていて結婚したが、妊娠中という常時デバフ状態では許容できなかった妻の自己認識不足
こんな感じだろうか。
少なくともクズエピソードが5個以上出てくる妊婦経験談は、コミュニケーションを拒否しているか、話せば改善してくれたがその1回を根に持つ「恨みは一生」型か。
謎な夫話を沢山見て同情と同じぐらい謎が渦巻くので、せめてクズエピソードを挙げるとしても複数回されたことを挙げてほしいですね。一度一度を挙げていくのは人生にも対人関係にもよろしくないので。大体がはじめての妊婦、はじめての妊婦の夫なので、失敗は多いだろう。話し合い相互理解が及ばない真にやばいエピソードだけを挙げてもらって、人工的なやばい夫を妻が(脳内で振り返って)量産するのは控えて欲しいところである。
バスが1日数本のそこそこな田舎のそこそこな家の長女として生まれた
そこそこ稼いでいるくせに家にお金をいれない父とそこそこヒステリーで宗教にハマった母と18年くらした
なんとかそこそこな大学に受かって、地元を出て一人暮らしを始めて、全ての費用を自分で稼ぎながらそこそこな大学生活を過ごした
卒業後、そこそこな中小企業に就職して、そこそこな給与をもらい、そこそこな生活を送った
そのあと通信大学に入り直したり、何度か転職活動をしたり、そこそこ資格を取ったりして、今は世界でそこそこ知られた企業ではたらいている
ワンペアからそこそこ頑張って手札を変えてスリーカードくらいには持って行けたんじゃないかと思う
そこそこ
タイトルの通りで、自分は病院に勤務している いちコメディカル。
新型コロナウイルス感染症(以下コロナ)のクラスターも何度か経験し、その感染力であるとか、自身もコロナ感染症にかかってしんどかったので、コロナの怖さ自体を否定するつもりはない。
ただ、「一体いつまで今の対応が続くのだろう」「もう良い加減よくないですか?」と思うところが正直なところある。
病棟にコロナ陽性者のいない日々の業務もN95という息苦しいマスクを装備して行うのだが、もうこれは一旦置いといて、自分が不満に感じていることのひとつとして「面会の制限」について書きたい。
・小学生以下は面会不可。
自分のところが特に厳しいのかと思ったが、友人の職場や、行く機会のあったいくつかの病院も時間が少し長めであったりはしたけれど、大きくは変わらない条件だった。
とくに「小学生以下は面会不可」というところが非常に引っかかる。「以下」だ。ようは12歳までは面会ができない。
これは60〜70代くらいの入院患者の孫であるとか、若い患者であれば我が子との面会が叶わない可能性があるということだ。
このくらいの歳の子は、じいじばあばが好きだという子は少なくないと思うし、親であれば尚更その存在は大きいだろう。患者サイドから見てもそうではないだろうか。
自分の病院では主治医の許可がおりた場合に、もろもろの制限が解除されて面会が可能になるのだが、これはもう本人が危篤で意識も曖昧な状態になっていることがほとんどだ。情けの面会みたいなもの。
このタイミングでやっと会えることにどれだけの意味があるのか?
大人ならまだその最期の時間に意味を見出せるかもしれないが…。
なぜ患者とその家族は制限されまくっているのか、わからずにいる。
自分たち職員は感染に対して意識が高く、常に予防策をとって生活しているかというとそんなことはない。
病棟での飲み会は未だにやっていないが、こんなのポーズだけで、外食だっていくし、県内外問わず遊びにだって行っている。
患者は入院時に検査をされ、そのあとは全くといっていいほど外部との接触がなくなる。
院内でコロナ陽性者が出るとしたら、はじまりは職員であることが多いであろうし、実際ここ最近は職員の陽性ばかりだ。
この面会の制限はなんなんだろう。
一体いつまで続くのだろう。
もちろん誰かが感染してしまった場合にその人のことはどうなるんだという側面もあるけれど、自分の家族で想像した時に、現状は本当につらいなと。
ある日突然入院になり、そのまま会って話をすることもできないままお別れになる可能性もあるのだから。
正直なところ、自分がその立場になるまでは「決まりだから」くらいの気持ちで対応していた。
しかし妻が体調不良で入院となり、その間2歳の息子はママとスマホの画面越しで会うことしかできなかった。
加えて自分の母親が入院し、医師から「いつ急変してもおかしくない」と言われたが、入院中は孫と会わせてあげることができなかった。(今回は無事退院できた)
妻も妊娠まで働いてたから稼ぐことに理解がないわけじゃないとかいうアホ妻擁護のブコメ馬鹿なんじゃねーの???
一人の食い扶持どうにかするのと家族5人の人生背負って稼ぐことの違いもわからないからバカにされてんのにそれすら気付かないのもはや憐れみを感じる
一人暮らしで家事簡単だから5人家族の家事子育ても簡単にできるって言う男いたらアホだと思うだろ?
お前の言ってることはそいつとまんま同じなんだよ
この与件に対して「怒り狂う」を選んでも「もうどうでもいいや」を選んでもいずれにせよ不自然ではないのだが
「そもそも選べない」というか、自分が本当はどうしたいのかもよくわからないままにうかうかと人生が過ぎていくのがリアルってことなんだろうな。
初対面の人に「統計学って知ってる?」と聞かれて「かんたんそうな本で挫折しました笑」と答えたら
どうも話がかみ合わなくて、誕生日を聞かれたあたりで占いらしいことに気づいて、そっと距離を取ってしまった。
たとえば天気予報だって、優秀な人たちが集まってスパコン使って、それでも明日の天気さえ予測できないのに、
次に、占う側に責任感が感じられない。
仮に「悪いことが起こる」と言われたら、悪いことに注目しやすくなって、
そんなこと真面目に主張したら逆に頭おかしいと思われるんだろうな。
人生がどん底だったときは、当時テレビで売れっ子だった老婆の言う「大殺界」のまっただ中だと知って安堵した。
(結局、大殺界が終わってもまったく状況はよくならなかったが)
気づいたら、薄っぺらい知識でさも「わかっていますよ」みたいな顔をしている占いに嫌悪感を抱くようになっていた。
「素敵だな」と思う人がいても占い肯定派とわかった瞬間に「あーこの人もか」と悲しい気持ちになって辛い。