「一刀両断」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 一刀両断とは

2007-12-17

恋愛の怖さってこういうことだ

また恋愛話を書くんで、童貞には申し訳ないけれど。

今まで見たホラー映画の中で一番怖かったのは中学生の頃、深夜に見たアレだ。

もうタイトルすら思い出せないけれど、気の弱そうな美形の男を

年増の女たちが狙ってわれ先にとモーションをかけていくという内容。

色目を使って身体を摺り寄せてくるババアどんモンスターよりも破壊的だった。

まだ恋愛を知らない中学生の俺は、漠然と「モテたいなぁ」って思っていたんだけど、

自分の好みじゃない女にモテるのはこれほど怖いのかと戦慄し、ずっきりと脳に傷痕を残した。

俺は最近、名前も思い出せないこの映画フラッシュバックに苦しんでいる。

奴は狡猾で巧妙で、決して「好き」とはストレートに言ってこない。それゆえ「嫌い」と言い放つこともできない。

毎日のように送られてくる奴からの恐怖新聞。手を変え品を変え、俺を魔界へと引きずり出そうと画策している。

奴の中ではクリスマスは俺と過ごすことになっているらしい。キリストなんて生まれてこなければ良かった。

俺の落ち度を正直に吐露すると、はっきりと「NO」といえないことだ。

思えば初めて会ったその時に無手勝流の撫で斬りで一刀両断してやればよかった。

だって「NO」って言ったらあいつショック受けるじゃん。下手したら泣くじゃん。気持ち悪ぃ。

2007-11-28

悩みながら文字を重ねる

先に行った人たちはあぁだこうだいうだろうが,現在進行形で悩みを抱えそれについて考えている人にくだらないとかつまらないとかそれはまちがってるとかまじになっちゃってなんなのとかきもいとか理論的でないとか言ってることがころころ変わるとかそういうことを言ってもしょうがあるまい。

悩むことすら奪い去ろうとする人たち。それは救いの手を差し伸べているのではない。救いの振りをして深い絶望の中へ突き落とそうとする行為に他ならないのだ。もし自分が理性的で合理的できちんとした理論を持って言を成していると思うのであれば,見守ることをなぜしないのか。わざわざちょっかいを出し憤らせ,あるいは呆れさせるのか。わざわざ口を出し,勝手に放言し,それにかえってくる反発を逆切れだと罵るのか。

相手はあなたではなく,あなたは相手ではない。歩いている道は違う,似ている部分もあるだろう,参考になる部分もあるだろう。しかし違うということが本質的に変わるわけではない。先に知っているというだけで,少し経験値が高いというだけで,相手に介入し根本的な違いを認めず同質化しようとするのはなぜか。相手を一刀両断するのはなぜか。あらゆる差異を認めず,間違っていると糾弾するのはなぜか。その程度のプライドなら捨ててしまえ。

2007-10-24

http://anond.hatelabo.jp/20071024165637

解決方法の提示じゃなくてすまん。

うちはWindows機(Windows XP)だけど同様に文字がにじむ。

Firefoxフォント指定は、デフォルトの「MS Pゴシック」、サイズ「16」のまま。

文字がにじむページは、すぐにぱっと思い出せるのがイザ!mixi

Firefox2系にアップデートしてから起きるようになった気がするけど、諸事情で一ヶ月に数回新しいフォントインストールするような環境なので、システムフォント近辺が怪しいのかなあと思ってる。

文字がにじむページが一割以下というのと、毎日見に行くサイトの場合はStylishでにじまないフォント指定に変更するようにしてるから、結局原因を突き止めてない。

以前、Mozilla掲示板mixiFirefoxコミュニティで同様な質問が挙がってたけど、Firefox側の問題じゃないんじゃないんですかと一刀両断されてた。根拠が提示されてなかったという意味では、あてにならない情報

2007-09-24

日本刀で両断してるのが格好よかったから」

大河ドラマ好きな女子中学生が影響受けて祖父を一刀両断。祖父死亡。

それをうけてNHK、年内の放送を自粛へ。

***

書いてみて無いなと思った件。

とりあえず、いきなり放送自粛とかファンとしては辛いので、

某国みたいに細かいRestrictedの設定と徹底、それのパッケージへの明記を義務づける方向で

がんばってもらえないかと思う。

テレビとかも時間帯ごとにRestricted設けてみるとかで。

表現の自由社会的影響力の調整の兼ね合いということで、

このあたりで落とし込めないかなあ。

2007-06-22

http://anond.hatelabo.jp/20070622114310

そうそう!男子目線でこんな感じってどうなの?うちの相方は「小汚い」で一刀両断なのだけど。

2007-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20070606143031

おれはMは上の方に挙げるけど、こういうのって描写されてない部分のストーリーとか想像しちゃうと正確に診断できなくなっちゃうよなーと思う。

MはSに体を許したのが気に食わないらしいが、「俺以外の男と気持ちよくなりやがって」とでも思ったんだろうか。LはSに抱かれてる間、本当に嫌で嫌でどうしようもなかったかもしれないけどMのために必死で我慢したのかもしれない。そういう気持ちも考えずに一刀両断してしまうMの行動には納得できない。MはLが好きなら泳いででも渡れっつうの。Mは実はLのことはそれほど好きでもなくて、体よく分かれる理由が欲しかっただけで、まさに渡りに船って感じで切り捨てたのではないだろうか。と、想像するとMに腹が立ってくる。

Bはほとんど話に加われてなくて想像のしようがないんだけど、これが100万円じゃなくて1万円とか10万円とかの払えそうな金額なら「金を払うか、体を許すか」の2択になって、Bも話に加われたと思うんだ。100万円って「100万円払ったら渡してやる」じゃなくて「絶対渡してやらない」の意思表明に近い気がするもん。

逆にHはまあいいかなーと思った。弱ってるタイミングにつけこんでいるとは言えLは断れと。

2007-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20070526001701

そもそも「化粧や整形を諦める」という話じゃないんだけどそこはとりあえずスルーするとして

その「それくらいならたいした悩みではない」と一刀両断する、それこそが問題なんだよなあ

化粧を死に物狂いで頑張り整形もして、そこまでしないと「たいした悩みじゃない」、

そこまでしてやっとで「一つの悩み」と認められる、それこそが。

『相当努力しないとそもそも悩みとすら認められない』

これはなにもこの問題に限った話じゃないんだけどさ。こういうの最近多いよね。0か100かみたいな思考の人が多いというか。中途半端な不幸というのは何故か一番責められやすい。まだ「完全に救いがゼロで悲惨すぎる不幸」にいたるには、まだ隙がある、という場合にとことんそこを責められる。逆に本当にちょっとした不幸なんかは寧ろあっさり受け入れられたり。例を出したほうがわかりやすいんだけどいい例が思い浮かばない。上手く説明できないんだが……この感覚分かる人いるかな。

2007-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20070517183600

 へぇそうなんですか。そのサークルでは、みんなコミケに行ったりするんですか。でもよくよく考えてみたら、田中コスプレの服つくったりしてるし、みんなげんしけん名義で同人誌出したりしてるし、確かにバランスがいい集団ですよね。予想ではもっと、斑目みたいな「非生産的オタク」がオタクサークルには多い気がします。

 

 女性に『げんしけん』見せると案外、斑目が人気あったりしますよね。高坂くんは「ありえない」と一刀両断されました。個人的には朽木のキモさもどんなオタクでも持っている特有のもの(イタさ)だと思うんですけどね。

http://anond.hatelabo.jp/20070517184445

 『ヨイコノミライ』は一巻しか読んだことないんですけど、サークルクラッシャーらしき女の子が登場する話でしたっけ?何を好き好んでオタ系サークルに手を出したのかも知らないので、なんともいえません。

2007-04-02

http://anond.hatelabo.jp/20070402002302

なんだか詭弁ガイドラインの見本みたいな「仮に」だけど、都道府県教育委員会学習指導要領よりも学問的な正確さを優先して、自主的かつ大々的に動いた事例が過去にあったの? なければこの「仮に」は成り立たないんだけど。ありえない話を題材に議論はできんし。

というか「んなこと知ってるよ大前提だろなに常識レベルの話をぐだぐだと」と一刀両断されるのも、ある程度覚悟してたんだが。いやはや。

2007-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20070316111438

そんなの知らん。

で、一刀両断でもかまわんのだが、アニメ系に手を入れてるのって、どっちかといったらADKだと思うのだが。

今はもう違うのか?

2007-02-28

重箱の隅をつつき隊

君達が語っているのは頭の良さというより適性の話だより

適性云々が何か納得いかんので重箱の隅をつつくよ。

剣士はメラゾーマを簡単に放つことはできないし、魔法使い魔物を剣で一刀両断にはできない。人には適性がある。それは、決して数直線上で簡単に語れるものではなく、無数に、四方八方に広がっているものだ。数学が得意な奴もいれば、走り高跳びが得意な奴もいる。

君達が語っているのは、頭の良さではなく“適性”じゃないのか。

ゲーム脳とは言わないけれど、ゲームゲームであるために適性という仕様があるだけでそれを現実に当てはめるのはどうかと思うよ。例えをつつくのもあんまり良くないと思うけど、現実における適性の定義があやふやすぎるよ。花咲か天使テンテン君みたいにみんなサイダネでも持ってるのかよ。

適性というより能力と志向性の問題の気がするよ。

ただ

頭の良さをこう定義する。

頭の良さ=『自分の適性を見極め、それに向かって正しい努力をできる能力』

こう定義すればA君は頭が悪いと言えるし、確かに人生がうまくいっていない。A君が頭の良い人間だったなら、数学を専攻しているはずだ。

部分における"頭の良さという能力はメタ"という部分はその通りだと思うよ。そもそも、頭が良いって能力じゃなくて評価だと思うんだけど、みんな自分が頭が良いっていいたいせいカオスだよ。

評価だけあって元々が好悪に基づくものだから○○師は馬鹿とか頭が良いとか出てくるんだよ。尊敬できない奴はみんな馬鹿だし、嫉妬する価値もない奴もみんな馬鹿だよ。

最終的に何がいいたいかっていうと、思春期にはみんな「世の中には馬鹿ばかりだ」って思うよねっていいたいだけだよ。セカイ系万歳だよ。

君達が語っているのは頭の良さというより適性の話だ

頭の良い人論が白熱しているみたいだけれど、頭の良さってつまりはなんだい?

今までの議論を見ていると、やれテストの点がとれるだけじゃ駄目だとか、大事なのはコミュニケーション能力だとか、思考と行動のバランスだとか言われている。議論されるべきは、“頭の良さ”というひとつのパラメータの話であるのに、さも“頭の良さ”の中にいくつものパラメータがあるかのように語られるのは、“頭の良さ”というものをなにか別のものにすりかえられてるような気がしてならない。

君達が語っているのは、頭の良さではなく“適性”じゃないのか。

剣士はメラゾーマを簡単に放つことはできないし、魔法使い魔物を剣で一刀両断にはできない。人には適性がある。それは、決して数直線上で簡単に語れるものではなく、無数に、四方八方に広がっているものだ。数学が得意な奴もいれば、走り高跳びが得意な奴もいる。

数学が得意なA君が、いくら走り高跳びの練習をしたって、走り高跳びが得意なB君には勝てない。適性がなければ努力は報われない。もし、A君が大学に行ってまで競技を続けて、体育学部かなにかに入ってしまったら、それは悲惨だ。A君はきっと「なんでこんなに努力しているのにB君に勝てないのか」だとか、「こんなはずじゃない。俺はB君よりできるはずだ」とか思うのだろう。悲惨だ。

A君はもっと早い段階で気付くべきだったのだ。高校時代で走り高跳びと決別し、大学では数学を学ぶべきだった。そうすればA君は偏屈な感情も持たずに、人生を過ごしていけただろう。

そう、問題はいつ気付くかだ。適性がないものに固執してはいけない。

頭の良さをこう定義する。

頭の良さ=『自分の適性を見極め、それに向かって正しい努力をできる能力』

こう定義すればA君は頭が悪いと言えるし、確かに人生がうまくいっていない。A君が頭の良い人間だったなら、数学を専攻しているはずだ。

もしあなたが何かをやっていて、それがうまくいかないとしたら、それはあなたに適性がないのかもしれない。

しかし、ここで誤解してほしくないのだけれど、適性がない部分も、努力によってある程度は伸ばすことができる。そして、社会には求められる仕事の本質的な適性以外の能力がある程度必要とされる場合が多くある。(コミュニケーション能力なんてその最たるものだ)

よく世間では、勉強に適性がある人のことを頭の良い人と呼ぶことが多い。それは社会がある段階まではそのようにできているからに他ならない。生活の大半を占める学校テストの点数で評価されているからだ。もし学校が走り高跳びで成績をつけたら、あるいは早口言葉のうまさで成績をつけたら、と想像してほしい。

君達が今まで考えていた頭の良さってなんだい?

はてな村に多く存在する人たちが属する社会が求める適性が、頭の良さとして今まで議論されてきた。

社会が求める適性を持っていて、それを伸ばした人間が成功する。もし、社会が求める適性を持っていないなら、自分の適性がどのように社会に活かせるかを考えたほうが良い。なにもせずに既存のシステムに自分をはめてしまうと、成功するのは難しい。

2007-02-13

原則と運用

原則としてはこうこうだが、実際の細かい運用規程は個別に定められており、実社会では後者が採用されることが一般である。歴史の産物でもあり、大人の知恵の集積といってもいいだろう。にもかかわらず、大元の憲法の条文を持ち出して、大上段に構えているいい大人をみかけた。伝家の宝刀のように振りかざしているが、そのように一刀両断できるほど簡単なことなら誰も苦労はしない。

google:大上段から「正義」押しつける左翼な人々ぐらいだとまだいいけど、自分の正義正当化するために、奇妙な議論をしている大人とは困ったものだ。その他google:詭弁のガイドラインに当てはまるところが散見されるなど痛々しい。

ASIN:4334032524(「みんな」のバカ! 無責任になる構造 )から引用すると、

「立場」に付随する「責任」論とは違って、「xがyに対して責任がある=往々するべきである」という形での「責任」論は、xとyの双方を具体的な特性を持った「誰か」として特定しないで進めていけば、いつのまにか「みんなみんなに対して責任がある」、というどうしようもなく曖昧な話になりかねない。

みんな正義みんなで守ろう」という形をとるのが日本的な“みんな”の考え方であるのに対して、西欧個人主義というのは、社会的「正義」をいったん可能な限り個人の「権利」に分解したうえで、責任主体としての「個人」にそれぞれの守備範囲内で守らせていこうとする思想である。

法化された社会では、ある意味で、徹底的にエゴイスティック(自己中心的)にあることこそが、「わたし」の「責任」として---「みんな」から---与えられた領分を守る意味倫理的なのである。

ナチス体制の暴走とは関係ないことはなく、めちゃめちゃ関係がある。それを関係ないと言い切っているのだから、読解力に相当問題ありと見なされるだろう。ついでにもたらされた結果の善悪に言及している時点で終わっているといってもいい。問題はプロセスとして通ってしまったことが主題なのだから。

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