はてなキーワード: キオスクとは
カードを見せながら、計算を待つ。「○○円になります。」「支払いは○○○で」
交通系ICカードの名称が理解してもらえない問題。JR東海の駅のキオスクで、TOICAって表示されていて、TOICAを提示してるのに、「スイカですか」と聞き返される。静岡東部。
旅先で、TOICAと言ってもわかってもらえず、交通系ICカードと言っても、わかってもらえない問題。地元のカードで言っても見せてるカードと違うので混乱されるし。
スピードパスプラスを見せて、QUICPayで と言ってるのに、クオカードを選択される問題。いっしょに入ってるナナコと間違えられる問題。そもそもスピードパスプラスを認識してもらえない問題。
赤坂見附のビックカメラのあるところから、有楽町線に乗って帰ったんだけど、なんか疲れた。
改札を降りたら行っても行っても丸の内線で
これはおかしいと振り向けば有楽町線、南北線はこっちと案内が。。
地下鉄駅の中なのに、有楽町線は490m南北線は560mと案内があってなにかがおかしい。京葉線東京駅といい勝負?だが、見通しが悪い分よほど長く感じられた。
工事中の天井から電線とボルトが突き出した狭い階段を降りては登り、また降りる。
あ、着いたと思ったら残念!半蔵門線でした。有楽町線まで235mという案内があった。あと半分か‥さらに歩く歩く。対抗者を避けつつ歩く歩く。途中のキオスクでメトロの配線図、もとい乗り換え地図をつい買ってしまってまた歩く。
たどり着いたそこは天国に続いてそうなエレベーターだった。しばし上がると永田町の駅にいつの間にか表記が変わっていて、そこから有楽町線はすぐだった。
階段を降りるとそこは1号車側。最寄り駅は10号車側なのだ。また歩く、歩く、歩く。そしてようやく着いた。
BFのメトロマップより複雑。半蔵門線と丸の内線の間は角待ちキャンプ上等の非対称ゲーなること間違いなしだが、楽しくもありそうだ。
『ようこそ実力至上主義の教室へ(以下:『よう実』と表記)』というアニメがある。
あまりにアマゾンビデオが勧めてくるので1話と2話冒頭だけ見た。
端的に言えば中高生向けディストピア作品という感じ。それに昔天海祐希がやっていた『女王の教室』の要素もちょっと含まれているか。
中学生時代特撮ヒーローものに復学した派生としてエヴァンゲリオンのようなアニメに興味を抱いたのだが、そのころの自分に見せたら一発でのめり込んでいたことだろう。
まあ自分の実家のある地域は田舎過ぎて放送されていなかったんだけど。
ここからが本題なんだけど、『よう実』を見ていたら現代社会が急に怖くなってきた。
『よう実』の舞台は一般社会から隔絶された全寮制の高校で、スマホ型の端末に電子マネーが支給される。
その電子マネーは学内にある娯楽施設など(服屋とか映画館、カラオケ、コンビニ、ゲーマーズ風の店)で使うことが出来る。
んで1話のラスト、「お前らの態度悪すぎだから電子マネー支給基準を満たしてない。だから1円もやらね。」みたいなことを担任教師が言い放つシーンがある。
あのシーンで感じたことは、「態度の悪さ」というのがどこまでを示すのかということである。ついでに担任は遅刻欠席私語携帯弄りを例に挙げていた。
2話冒頭では「リアルタイムで生徒の動向を把握している」というセリフもあった。
つまり「態度の悪さ」というのは授業態度の悪さももちろんあるだろうが、電子マネーの使いっぷりや私生活の悪さも「態度の悪さ」として勘案されている可能性があるということだ。
例えば電子マネー。舞台となる学校では学校支給の電子マネー以外では買い物することは出来ない(学内で諭吉などの現金を扱っている描写もない)。
生徒の動向を担任や関係者がつけまわしているという描写もなかった。
ということは考えられることはただ一つ、生徒一人一人の電子マネーの利用実態が支給基準を決めるところに筒抜けということである。
言い換えれば生徒の消費行動を通じ、学内の統治者(?)が生徒の一挙手一投足を監視しているのである。
加えて生徒に支給される携帯端末は通信機能も有し、おまけにカメラまで搭載している。
これらの端末を使えば生徒間のやり取りや寮(劇中の寮は普通のワンルームマンションみたいな感じだった)での行動まで丸裸なのではないか。
それらのビッグデータを総合し「お前ら態度悪いから電子マネーやらねー!クソして寝ろ!!!」ということも可能なはずである。というか授業態度だけでは「態度が悪い」と断言できないはずである。
携帯端末や電子マネーのデータが筒抜けで、それらがクラス単位でのビッグデータとなり「態度が悪い」と判断されたと考えるのが自然であろう。
翻って現実社会ではどうか。自分も電子マネーを日常的に使っている。(関東在住なので)PASMOを使ってバスや電車に乗っている。
やろうと思えば『よう実』世界のように自分の行動を一挙手一投足監視することも可能ではないか。
少なくとも「最寄り駅は○○駅」とか「コンビニやキオスクではよく××新聞を買っている(から政治思想はこうだ)」といったことは筒抜けである。
また、自分は幸いスマホやガラケーは持っていないが、デスクトップパソコンは持っている。そうしないと増田には投稿できないし、アマゾンも使えない。
アマゾンビデオを見られるということはアマゾンプライムに入っている。実際、アマゾンでよく買い物をしている。今日もティーパックをポチった。
dアニメストアにも入っている。使う検索エンジンはFirefoxデフォルトのGoogleだ。Youtubeだってよく使う。
アマゾン、Google、Youtube、dアニメ、これら4つのサービスの利用履歴を洗うだけでも趣味嗜好や行動形態は相当絞り込めるはずである。
その結果『よう実』世界のように、「この人の態度は悪い」「この人は社会不適合者だ」といったことを閲覧・検索・購入データから判断される可能性もなくはない。
スマホに至っては常時身につけて歩くものである。GPSやカメラ機能でどこにいるかといったことまでもが筒抜けになるのは想像に難くない。
2話冒頭まで見た感じだと、『よう実』は監視社会は身近に迫っていること、またそれを可能にする事物はもうすでに日常に潜んでいることをテーマにしているように感じられた。
精神疾患を患っており、ここ一年で何度も警察のお世話になった身である。警察としては監視対象にしたい人間であることは疑いようのないことだ。
その際、日々使っているサービスにより監視されてしまうことが起こってしまうのではないか…といろいろ気をもんでいる。
いっそ東京の自宅を引き払い、パソコンもイエデンワも捨て、回線も解約し、セオドア・カジンスキーみたいに山奥の掘っ立て小屋で一人暮らすしかないのではないかとすら感じている。
ヨッピーの記事で軽く取り上げられた北海道帯広市のご当地ローカルチェーン「カレーショップインデアン」について、帯広に住んで星霜を経た私が、初心者からわかる楽しみ方を紹介しよう。
公式サイトはここ。
http://www.fujimori-kk.co.jp/indian/
https://hokkaido-labo.com/indian-curry-obihiro-15604
そもそもここは、駅前にある「ふじもり食堂」が、カレー事業を独立させて事業展開しているチェーン店だ。
家族連れで旅行した際に、「自分はインデアンを食べてみたいけれど、他のメンバーが色んな食事を楽しみたい」みたいなことがあるかもしれない。
それならふじもり食堂に入ると良い。インデアンよりカレーメニューは少ないが、「ふじもり」のカレーは「インデアン」のカレーと同じなのだ。
ふじもり食堂の歴史は古く、この開拓地に鉄道の駅が初めてできた時に、現在で言う「キオスク」的な商店を始めたのが濫觴である。
「ふじもり食堂」は現在でも駅前で列車の待ち時間などで使用されるから、今に生きる歴史スポットとも言える。
濃いルー、濃い味で、実は帯広市民でも評価が分かれて、嫌いで行かない人も多い。
嫌いな人は「味が酸っぱい」などの意見があるようだ。
はじめてならば「インデアンカレー」でいい。
メニューに載ってる公式で定められたトッピングメニューから「インデアンらしさ」で食べるべき順を述べるなら以下の通りだ。
「カツ」>「ハンバーグ」=「チキン」>「エビ」=「シーフード」>「野菜」となる。
カツカレーは周囲を見ていてもやっぱり人気。ついでチキン派が続く印象。シーフードはやや異端(美味しいけれど)。そしてやや高い。
ハンバーグはルーの関係(後述)で人気ある。トッピングで一番ポピュラーなのはチーズトッピングで、それが最も用いられるのがハンバーグ。
そんな感じで格付けしてみた。
次にインデアンにある3種のルーの違いを見てみよう。
ルーは三種類。
①インデアンルー
メニューにある6つトッピングのうち、インデアンルーなのは「ハンバーグ」のみ。
「カツ」「チキン」「エビ」「シーフード」はベーシックルー。「野菜」は当然野菜ルー。
これは、インデアンのお店が美味しいと思うからそうしているわけだ。
野菜ルーはイモのおかげでもっさりしている。それが好きな人も多いが、初めてならば避けるべきだろう。
また、野菜ルーはメニューを見ての通り在庫が少ない。よく品切れになっている。
まずは、インデアンルーか、ベーシックルーで提供されるトッピングメニューを注文するべきだ。
インデアンルーは、肉が入っているので人気だ(直球)。
インデアンでは、トッピングとルーとを組みかえてアレンジすることが許されている。
一番多いパターンは、ベーシックルーで提供されるメニューをインデアンルーに切り替えるアレンジだ。
本来ベーシックルーで提供される「カツカレー」だが、それをインデアンルーで楽しめるのだ。
初めての人で、アレンジに挑戦したいのならば、このメニューをたのむべきだろう。
個人的なお薦めは、ハンバーグにエビトッピング、あるいはインデアンルー+カツ+エビだ。
三種の薬味がある。
赤い福神漬
緑のシソ漬
これは市民に聴いても趣味が分かれる。俺は緑が好きだが、ピンク派が多い気がする。
5段階から選べる。
①普通
②中辛
③辛口
④大辛
⑤極辛
辛いの好きなら「大辛」だ。「極辛」は辛いには辛いのだが、よくわからない臭みみたいのが出てくる。「大辛」が一番バランスが良い。
辛いの苦手なら「普通」。注文が多い印象があるのが「中辛」。私はいつも「大辛」。うまいぞ。
飲め。
濃いカレーに水がよく合う。
市内に何店舗かあるインデアンのどこに行くべきだろうか。
初めてならば、「まちなか店」がお薦めだ。
駅から近いし、ここは最も混む所なので、店長は常にインデアンのエースが張る。
現在の前谷店長はエース中のエースで、流麗な仕草でコメを盛り、目に見えぬ速さでカツを斬り、魔法のようなお玉の扱いでカレーをかける。
そのウィザードクラスの調理にもぜひ注目するべき。なので「まちなか店」に行こう。
帯広社会と言うものをじっくり堪能したいのであれば、同じく駅近くの「長崎屋」フードコート内のインデアンに行くのも一考だ。
ここに行くと、マジで老若男女がインデアンを食べている現場に出くわせるだろう。じーさんばーさんも中学生もサラリーマンもお姉さんも食べている。
十勝は旨い食い物が多いので、ぶっちゃけ他のとこ行った方がいい。
だがハマる人はハマる。
なかなか来ること少ない場所と思うが、来たら試してみてほしい。
18きっぷで遠出してその帰り道。
4人掛けのボックスシートを1人で占領できるぐらいしか人が乗っていなく、あと2回乗り換えれば家に着けるような列車。
終電2つくらい前で、もし乗り過ごしてもまだ何とかなるレベルの状況。
今日一日、観光地に色々歩き回って、乗り継ぎの連続であった列車に乗り疲れて、それを癒やすかの如くキオスクで買い込んだ酒を車内のその占有状態のボックス席で飲み干す。
俺は今幸せな時を噛み締めている。
世間はクリスマスイブで浮かれ、俺も先程までその熱に嫌気が差していた。
きっと車内の誰もが俺のことを視界に入っていることすら忘れてしまっているだろう。
日々、東京の喧騒に飲まれ、人の視線に晒され、鬱々と過ごしていたこれまでとは打って変わって、俺は今何者でもない。
ずっとこの列車が走り続けれはいいのに、永遠に終着駅に辿り着かずに果ての果てへ行ってしまえばいいのに。
そう思いながら、いつもと変わらない"帰路"をこの列車は歩むのだ。
前提として私はかなりうんこを漏らす
頻度で言うと月に2〜3回程度だろうか
なので、漏らした時用にパンツを1枚いつも持ち歩いている
今までパンツを持ち歩いてて良かったと思ったことしかないので、よく漏らしてしまう人にはオススメである
それはさておき、そんな私もパンツを持ち歩いていない時もある
その状態で漏らしてしまうとノーパンのままパンツを買いに行く羽目になるわけだが、いい加減パンツをどうにかしてほしいと思ってこの増田を書いた
まず、駅のトイレの前にコンビニやキオスクがあるのにパンツが売ってない場合が多い事に怒りを覚える そのせいで最寄駅のトイレとパンツ売ってるキオスクマップを作る羽目になった(便利)
増田を見る限りみんな頻繁にうんこを漏らしているのだからどこのキオスク、コンビニでもパンツをデフォルトで販売すべきだ 売り上げ増が見込める
セブンイレブンのパンツはトリンプ監修なのに「このデザインかぁ…」というピンクフリフリパンツが売れ残っていて、しぶしぶそれを買うことが多い もう家に6枚くらいある
駅のキオスクで売ってるパンツはベージュのボクサーショーツでダサすぎる こちらも家に3枚くらいある
うんこを漏らした人が選ぶ余地がないからって足元見過ぎじゃないだろうか?まぁうんこを漏らした時にはデザインも値段もろくに見ずに買うのは間違いないがネイビーのシンプルなものや、ボーダーとかもうちょいデザインが洗練されたものが置いてあると私が嬉しい
豪華寝台列車で食べた、
超高級電子レンジでチンした奥義の丸大ハンバーグの味忘れられないわ。
走り出したってニュースで見たわよ。
ある部屋は2階のジャグジーで夜空を見ながらジャグジれるんだって。
トンネルの時どうするのかしら?
まあ、そんな列車、
超高値な高嶺の花だけど、
私思ったんだけど、
ぐるぐる回る環状線ってあるじゃない、
帰りに牛丼食べれるし、
ビアガーデン気分よ!まさにヘブンだわ。
ずっと回って走るから乗り過ごしても、
それか、原点回帰して、
昔はよく駅にあったキオスクも少なくなってきたじゃない、
それを車両にして走らせるの、
あれ買って帰ってきても、
家で食べてもなんか素っ気ないのよね。
つくづくそう思うわ。
あらやだ、
なんだか旅したくなっちゃったわ。
出発しんこー!!!
とってもヤミー
サンドイッチって
毎朝食べてるけどなんてステキなのかしらって思うわ。
トマトもなかなか、
私は嫌いじゃないわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
こういった議論は色んな所でされていて、様々な理由付けがなされている。
だから、それを問いたいとは思わない。
「原則、しないほうがよい。」
それは当たり前だ。
そのくらいはわかっている。
ただ、日付が変わる頃に帰宅し、6時過ぎには家を出る日々を送っていると、
すごく疲れている日には「ああ、電車の中で化粧ができたらあと30分寝られるのに」と思う。
遅刻ぎりぎりの電車に乗ることになった日には、「ああ、キオスクでカロリーメイト買って今食べられたらいいのに」と思う。
普段めったにかかってこない相手から電話がかかってきたら、やはり心配で出たくなる。
でも、電車内で化粧をしている人や何か食べてる人がいたら周りの人は白い目で見てるし、
携帯電話で通話してる人に怒鳴るオジサンは今年に入って5人くらいは見た。
誰だってわかってるんだけどさ。
しないほうが良いってことくらいは。
でも、できたらいいのにって思うときはある。たくさん。
そのくらいのことは周りが慮って許容できる世の中になってくれたらいいんだけどな、って、
今どきの人間はそうじゃないということを、昼間同僚と馬鹿話をする過程で熱いトークをもって説明された御託。
賢者タイムに入って追加で取ろうとしたティッシュを机から落として思わず後ろにかけておいた部屋干しの下着を引っ張ったときに
不浄の左手の復権は、マウスやキーボードなど右手による操作を求められる電子端末の普及により、もたらされる。
なるほど……?と相槌を打ちつつも、
古風な人、機械音痴を上品に卑下した人間を自称していた自分には関係ないねと、思っていたので
いつの間にか起きていた逆転劇は僕の中に驚きを持って迎えられた。
そんな細かいことは大抵の人は日記につけるまでもない些細なことなのだろうけど、
僕にははっきり覚えている理由が二つある。
美鳥の日々のおっぱいで何かに目覚めた記憶と旧劇のシンジ君の真似という黒歴史。
とりあえず、いずれにせよ十年近く前の話だ。
使用してきた媒体の変遷により、右手、左手の主従を選ばなくてはいけなかったが、
スマートフォンの登場により、左手、右手を選ばなくてよくなった。
左右の利き手を選ばなくてよい。最近使いだした自分が言うのだから
他の誰かが百万遍すでに言っているのだろうが、この事実は本当に良いことだ。
昔は、新幹線で親戚の家に一人帰るとき、黒い背表紙のアダルトな小説を
駅のキオスクで心臓をばくばくさせながら素知らぬ顔で購入していた。
「小説家になろう」のノクターン部門を、携帯でスワイプしながら読むようになった今となっては
紙媒体の、あの読みたい見開きで止めることに四苦八苦していた苦労は何だったのかと思う。
ページを片手で捲る技術は左手のみでしか行えなかったことを思うと(親指でページを少しずつ繰り出すこと)、
左右を選ばなくていい状態で本能がままにことを為すのはいつだって利き手だ。
スマートフォンに馴染むこれからの世代では、多数の人たちがまた右手が恋人という
かつてを取り戻すのだろうな、と思う。
今どきの人間はそうじゃないということを、昼間同僚と馬鹿話をする過程で熱いトークをもって説明された御託。
賢者タイムに入って追加で取ろうとしたティッシュを机から落として思わず後ろにかけておいた部屋干しの下着を引っ張ったときに
不浄の左手の復権は、マウスやキーボードなど右手による操作を求められる電子端末の普及により、もたらされる。
なるほど……?と相槌を打ちつつも、
古風な人、機械音痴を上品に卑下した人間を自称していた自分には関係ないねと、思っていたので
いつの間にか起きていた逆転劇は僕の中に驚きを持って迎えられた。
そんな細かいことは大抵の人は日記につけるまでもない些細なことなのだろうけど、
僕にははっきり覚えている理由が二つある。
美鳥の日々のおっぱいで何かに目覚めた記憶と旧劇のシンジ君の真似という黒歴史。
とりあえず、いずれにせよ十年近く前の話だ。
使用してきた媒体の変遷により、右手、左手の主従を選ばなくてはいけなかったが、
スマートフォンの登場により、左手、右手を選ばなくてよくなった。
左右の利き手を選ばなくてよい。最近使いだした自分が言うのだから
他の誰かが百万遍すでに言っているのだろうが、この事実は本当に良いことだ。
昔は、新幹線で親戚の家に一人帰るとき、黒い背表紙のアダルトな小説を
駅のキオスクで心臓をばくばくさせながら素知らぬ顔で購入していた。
「小説家になろう」のノクターン部門を、携帯でスワイプしながら読むようになった今となっては
紙媒体の、あの読みたい見開きで止めることに四苦八苦していた苦労は何だったのかと思う。
ページを片手で捲る技術は左手のみでしか行えなかったことを思うと(親指でページを少しずつ繰り出すこと)、
左右を選ばなくていい状態で本能がままにことを為すのはいつだって利き手だ。
スマートフォンに馴染むこれからの世代では、多数の人たちがまた右手が恋人という
かつてを取り戻すのだろうな、と思う。