はてなキーワード: うな重とは
結局、人によるという結論になると思うが私は名古屋名物をあまり食べない。
■ 味噌かつ
■ ナカモの味噌(家庭)
おでんに使う
年に1回食べるか食べないか。
■ 寿がきや
年に数回(片手)食べる程度。
食べるとやっぱりソウルフードだと感じる。
■ 台湾ラーメン
年に数回(片手)食べる程度。
有名な味仙はあまりいかないし、味仙の台湾ラーメンはニンニクが多いので食べるのに予定調整が必要。
■ 手羽先
ほぼ食べない。
数年に1度見かける。
■ ういろう
ほぼ食べない。
個人的には好きで、職場の近くに美味しい店があった時はよく買っていた。
あまり好きと言っている人は聞かない。
■ ひつまぶし
ほぼ食べない。
■ 天むす
■ エビフライ
名物か?
■ きしめん
ほぼ食べない。
一時期ハマっていたが蕎麦のが好き。
■ カレーうどん
年に数回(片手)食べる程度。
■ 小倉トースト
食べない。
恥ずかしい。
他の地域のみんなはどうなんだろうか。教えてくれよな!
アラガン製。
片肩4ccを両肩、合わせて8cc、お値段8万6千円也。
ひどい肩こりと、肩こりから来る頭痛に万年悩まされていて、肩ボトックスに興味があった(前提)。
僧帽筋が盛り上がっているので、首が短く見える。かつ、肩周りのもったりした見た目は人を老けさせる。
この度、見た目アップデートをしたくて、肩の盛り上がりを無くすべくボトックスを打つことにした。
コロナワクチンより針は細いとのことだったが、刺さる時の痛みはワクチンより痛い。
毛の濃い所に当てる医療レーザー脱毛よりは痛くないが、普通の注射よりは痛い。
どうやら筋肉が凝っていればいるほど痛いらしい。右肩が凝っている私は、右肩の方が左より痛かった。
腕が上がらなくなる、肩が重くなる、という説明を受けた。
筋肉の動きを鈍くするので、肩トレーニングなどのパフォーマンスが低下すると言われた。
・打った直後12:40
痛みで手汗がすごい。ずっとこぶしを握りしめていたので手が震えている。ちゃんと力が入る。
深呼吸をするように言われ、ゆっくり立ってふらつくことが無いか確認される。
・13:00
チリチリ感が軽くなる。
腕は余裕であがる。
・16:30
二の腕の付け根あたりも重くなってきた。
具合が悪いなどの症状はなし。
腕はまだまだ余裕で上がる。
・19:00
肩の重みが落ち着いてきた。
落ち着いてしまったので、これ効くのか?と不安になっているところ。
・翌日12:30
首の付け根が重いように感じる。
他は特に感じない。
・翌日20:30
右肩が張っている気がする。痛い。
・旭川いじめ問題のような重大な女性被害事件には何の言及もしない、
https://twitter.com/kouei52/status/1628600221948334080?s=19
https://twitter.com/tsuisoku777/status/1628425976542793728?t=P2PAByQF2m0BA3HWhb7p8g&s=19
https://twitter.com/bot_never4get7/status/1628578443565895680?t=d1RZtz8ZCvDGIshldjjQ0Q&s=19
福島交通事故事件(犠牲者のうち1人が女性)での被告(男)を減刑した裁判長(男)
https://twitter.com/tsuisoku777/status/1626103851760906240?t=FCGVFHbRnm9aN8PGFVss_Q&s=19
・女性被害事件は容疑者がサブカル事業者または被害者が韓国・中国系でないと動かない。
・無論インボイス制度や緊急事態事項、スタグフレーションの事も無視。
・人によっては鶏卵高や乳牛減反政策にも立ち向かおうとしないかつヴィーガンと内通・兼任してる。
・最悪なのはFF外通知OFFでブロックすらしようとしない奴。
参考資料(胸糞注意⚠️警戒)
https://twitter.com/MuMeimei11?t=w-1YZRCjXEFl3q9dzaWC1g&s=09
少し前、デス・ストランディングというゲームをやったことを書く。(今はEpic Gamesで無料なのでDLしておこうね)
とても良くできていて面白かった。特に、オープンワールド上で崖にはしごを置いたり川に橋を掛けたりしたのを共有して、みんなで便利な世界を作っていこう、というゆるい共有オープンワールドなコンセプトデザインが良い。誰かが置いた橋で川を渡るときに、社会をみんなで良くしていっているというつながりを感じられるのが気持ちいい。
コンセプトを実現するための周辺デザインも良い。設置物を使い回すというコンセプト上、同じ拠点間を何度も往復させる必要があるが、拠点間の荷物の運び屋という主人公設定でそれが違和感なく実現できている。また、快適な移動のために強力な設置物や乗り物が用意されている一方で、設置物を除去するための時雨や乗り物から下ろすためのBTという設定も収まりが良い。カイラル通信の設定などは最たるもので、行ったことがない地域では共有要素が使えなかったり、移動困難な拠点間で社会性が維持できるという理由付けに役立っている。
そして何より、重厚なストーリーがとても良い…良いのだが、ただここに問題がある。ストーリーが良すぎるのだ。ストーリーが気になってどんどん話を進めたくなってしまう。すると、せっかく緻密に練られた共有オープンワールドというコンセプトで遊ぶというより、ストーリーを見るために配達業務をこなす、というふうになってくる。だんだん配達の面白さより面倒くささが大きくなる。まあ、この辺は人によって遊び方が変わってくるのだろうが、私の場合、配達はクリア後にやればいいだろうと思って、とにかくストーリーが気になって必須イベントを先に進めてしまった。その結果、クリア後に一気に重厚なイベントがなくなってしまうので、配達業務にスパイスがなくなってすっからかんな印象になってしまった。ゲームを始めた最初のころは共有オープンワールドで配達するだけで楽しめていたのに、もはやストーリーというご褒美がなくなるとなにか物足りなくなってしまったのだ。(それでも国道復旧くらいはやったが)
デス・ストランディングをプレイして思ったのは、重厚で素晴らしいストーリーは、実のところ、ゲーム性的な面白さの妨げになるのかもしれないということだ。例えば同じく私が好きなゼルダBotWは、ゲームのストーリー自体はとても簡素だ。私の場合ボスはほったらかしでフィールドを走り回って楽しんでいた。もしBotWで、先が気になるような重厚なストーリーが次々と提示されていたらどうなっていただろう?先が見たくて一気にクリアして、その後ストーリーがなくなった世界でフィールド探索をちゃんと楽しめるだろうか?まあ、実際はそれなりに楽しんで探索するのだろうが、それでも少し気が抜けたように感じられるのではないか?
すべてのゲームのストーリーが簡素であるべきだとは思わない。実際、デス・ストランディングのストーリーは素晴らしいものだったし、それを見るだけでもプレイする価値はある。ただ、ストーリーとゲーム性は少し食い合うところがあるように思える。それらを両立するにはどうすれば良いのだろう。
年単位で断捨離してて、今年でやっと「部屋も廊下も床に置いた物を跨がないと歩けない」から「跨がずに歩ける」まで進歩した。わたしえらい。
溜め込む性質のあるオタクにこれらはもうムリ、諦めるしかない。紙の最大の問題はとにかく重いことで、保存するにも処分するにも常に付きまとう。これからは全て電書の時代なのだ。
数千冊の薄い本を処分(売却)するために箱詰めしたら1箱20kg前後になり、それを毎週10箱ずつ出荷し続けるのを数ヶ月に渡ってやってようやくすっきりできた。お陰でゆうパックの集荷の人からは、毎週やべー重さの箱を大量に出すやつだと完全にマークされてしまった。
配信って圧縮音源だし音質的にちょっとね…とか言って数千枚溜め込んだ自分を殴りたい。一箱に入る量があまり多くならないお陰で書籍のような重さにはならないが何しろ書籍以上に数が多くなりやすいのが鬼門。あとCDケースは割れやすく、どうしてこんなのを有り難く保存していたんだろう…って気分になる。
どうせもう一生遊ぶことは無い。
どうせもう一生開けることは無い。
どうせもう一生掲げることは無い。
狭い部屋に本棚を置くのが間違っていた。組み立ては1人で出来ても分解や搬出はかなり大変だったのでもう本棚なんていらない。
ようやく足の踏み場ができる程度にはなったけど、ここにきてやる気が減衰してしまった。あともうちょっとで片付くと思うんだがそのちょっとに至れない。
よく思うことなんだが、外ではとても言いづらいことなのでここに書かしてもらう。
自分は「もし自分が明日死んだら」ということをよく考える。誤解されないために明記するが、これは自殺したいと思っているということではない。自分の余命が決まっているというわけでもない。自分はありがたいことに安定して(多くはないが、生きていくことはできる)お金が手に入る状況にあるし、友人にも恵まれており、趣味等もある。体もまだ20代前半で特に大病を患っているわけでもない。かなり恵まれている状況にあるということは自覚している。
だが、こういう状況にあっても、明日死ぬ確率というのは決してゼロではない。交通事故、なんらかしらの社会とのトラブル(事件に巻き込まれるなど)、突然の体の異常の発生(心臓発作等)、最近だとコロナもある。もちろん、小さい確率ではあるが、無視できるものではないだろう。明日ではなく1年後になれば、人間関係のトラブルからの鬱の発生→自殺願望の発生といったルートや生死にかかわる病気を患うといった、もっといろいろな要因が存在する。1年後、今と同じように心身ともに健康にいられる確率というのは決して100パーセントではないだろう。死というのは、たとえ恵まれた自分であっても決して遠い状況ではないのだ。
こういう考えを持つようになったのはなにも最近のことではなく、小学6年生のころからであり、23歳になった今になるまでずっとこのことを意識している。小学6年生のころに一時的に親との関係がうまくいかなくなり(今思い返せば反抗期の始まりのような些細なことであったが、当時の自分にとっては世界を揺るがすような重大ごとであった)、自殺を考えたことがある。実行はしなかったし、「自分が死ねばみんな困るだろう」という小学生らしい浅慮な考えだったが、幼いながらに死に方に思いを巡らせた経験はかなり強烈であり、それからも事あるたびに、死は近くにあることを思い返すようになった。
最初はこういった考えが悪い方向に働くこともあったが(どうせいつかは死ぬんだといろいろ投げやりになった時期になったこともあった)、高校を卒業したあたりからは「いつ死んでも後悔しないような生き方をしよう」というように考えるようになった。これは、色々なことに対して「プロセス」を重要視するようになるという変化を自分にもたらした。例えば、何か目標がありそのために努力をしなければいけないとする。すると、それまではその目標を達成するために努力をしようという考えだったのが、努力する過程も楽しもうという考えになった。そうすれば、目標を達成する前に死んでしまったとしても後悔しないからだ。これは極端な例だが、なんらかしらの結果を出すために何かを我慢するのではなくそのプロセスを楽しむ、あるいは選択をするときにプロセスが楽しそうなほうにする、という風に考えることができるようになった。
他にも、人との出会いを一期一会と思って大事にすることができるようになったり、なにより「今日一日は楽しかったか?」ということを意識しながら生きることができるようになった。これは後ろ向きな考えをしがちだった昔の自分からするとずいぶんとよい傾向だと思っている。
(ちなみに、今死ぬなら誰にどういう遺言を残したいか、といったことも考えたりする。そうすると自分が本当にお世話になっている人はだれか、とかやり残したことは何か、みたいなものが見えてくるのでよい時間だと思っている。もちろん、本当に自分が遺言を書かなきゃいけない場面になった時にこういう考えができるかといわれたらそんなことはなさそうだし、おままごとの域を出ないとは思う。)
まあこういう感じで、死にたくはないが、明日死ぬことになっても後悔したくない、ということを念頭に置いて生きているんだが、こういう話をする(もちろん、本当に親しい友人にしかしないが)と「やめてよ、そんな話」とか言われたりすごく傷ついた顔をされる。本当にやめてほしいと頼まれる場合がほとんどだ。もちろん、自分のことを必要な存在だと思ってもらえること自体はありがたいことである。だが、「もし死んだら」みたいな話をそこまでタブー視しなくてもよいのではないか、という気持ちになる。「今本当に死にかけてる人とかに失礼じゃん」みたいなことを言われたりするが、その発言こそ「自分はまだ死ぬ側じゃない」という傲慢さを自分は感じてしまう。○○歳まで生きてあれとかこれとかやりたいみたいな話をしておいて、それよりも早く死んでしまい、「もっとやりたいことやっておけばよかった」となるよりはよっぽど良い気がするのだが、「それはそうだけど死ぬなんて言わないでよ」みたいに言われてしまう。
先ほども述べたように、死はいつだって割と近くにいると思ってるしそんな状況でも死なんてどっか他人事みたいな扱いをするよりは、もう少し気楽に話せてもいいのになあといつも思っている。
ここまで書いて思いついたのだけれど、こういう話を笑い話としてできるフォーマットが「明日地球に巨大隕石が落ちてきたら」なのかもしれない
社員50人ぐらいの零細会社の世襲社長(3代目)だけど、なんも「経営」してない。
毎日忙しい。それは間違いない。
だいたい初代社長が構築したビジネスを、ずるずるだらだら続けてるだけ。
ドラスティックな経営改革なんてもう50年以上やってないだろ。
毎日やってることと言えば、
金の流れには目を通すし
現場責任者と営業責任者とはまめにどんな感じかコミュニケーションするけど。
でもあとは大企業なら総務部がやるような数字のとりまとめとか、人事部がやるような求人募集出す作業とか、
自分のやってることがすっげーつまんなく感じるんだよな。
世襲で承継したとはいえ自分の会社なのにすっげーつまんねー会社だなと思う。
もう老人みたいな会社なんだよな。
でも自分自身の考えもクソなんだよね。
リスク取る度胸もないし、賭けに出て成功するような能力もない。
おじいちゃんが作った財産をチューチュー吸って生きてるだけのアホなんだよ。
人生つまんね~
ワールドトリガーは胸のカップ数(バストサイズ)表記をやめてほしい。
A面は、ワールドトリガーの単行本カバー裏に記載されている女性オペレーターのみ胸のカップ数が表記されていることに対して、やめて欲しいと記載している文章である。
大本のページは削除されている。魚の拓本については御察しください。
A面に対するレスポンスは、A面が個人の気持ち表明だとしつつも権威化するために個人の気持ち以上のものを持ってきていることはいかがなものかという文章である。
<A面に対するレスポンス>
https://anond.hatelabo.jp/20221010163416
私が、なぜやめて欲しいかについて語る前提情報として、基本的なコンプライアンスのおさらいを挟む。
コンプライアンスという概念はアメリカで生まれ、日本に持ち込まれた。
英語表記でComplianceと書く、Comply(従う、応じる)の名詞形のことを指す。
https://www.astron-japan.co.jp/pdf/chapter_01.pdf
一方、日本における「コンプライアンス」は「法令遵守」だけではなく、「その背景にある精神や価値観、倫理観や社会規範に従うこと」の意味で使われる。
つまり、「法令」だけではなく「規範」「社会常識」「倫理」「道徳」ひいては「CSR(企業の社会的責任)」をも守る必要があるといえる。
https://www.bandai.co.jp/csrkids/whatscsr/
また、「社会常識」「倫理」「道徳」はその時代により変化していく。現代においては「ハラスメントをしてはいけないこと」も含むだろう。
「女子オペレーターのバストサイズのみ、単行本の裏表紙に記載すること」は、コンプライアンス違反に値すると思う。
現実世界でもあるだろうが、創作作品上でバストサイズを「胸の大きさを女子が気にする。大きいと男子が喜ぶ。胸の大きさという本人の努力でどうにもならない部分のある容姿をからかうネタにする」ことがある。「バストサイズネタ」と言えば、だいたいの人がどういう内容か想像できるのではないだろうか。
私は、バストサイズをネタにすることは、現実の子供たちが「バストサイズはネタにしていいことなのだ」「バストサイズは気にするものなのだ。自分のサイズはどうなのだろう」「(周りがからかってくる場合)からかわれても仕方がないことなのだ」と判断することが嫌だ。バストサイズをからかうことはセクシャルハラスメントである。それを善しとする社会になって欲しくない。
その上で、ワールドトリガーは商業誌として株式会社が出版する書籍である。広く流通するし、年齢制限がある訳ではなく、子供が主人公なこともあり、沢山の子供たちも読む。子供の教育に影響を及ぼすと考えられないだろうか。
ここで関わってくるのが、「CSR(企業の社会的責任)」である。
「子供を顧客層に持つ漫画等の作品を多数取り扱う会社」には「子供たちの教育に対して社会的責任がある」のではないだろうか。私は「子供たちの教育」とは、「現代社会」の「社会常識」でいくと、「ハラスメント防止」が含まれると思う。
私は、ワールドトリガーという作品が好きだ。作り込まれた世界観やランク戦のルール、読んでいてストレスの溜まらない精神年齢の高い子供たちのやりとり、キャラクター立ちしている登場人物、違法行為をしていそうなのに表向き明るい雰囲気の企業、そのどれもに魅力を感じている。
そのように好きな作品であるからこそ、私から見て「ハラスメントに繋がりそうなことを、CSRを守らずに行い続けている」、コンプライアンスに違反しているように感じるから嫌だ。また、CSRを口に出していることからもわかるかもしれないが、出版社が企業としての責任を果たすためにも(作者の同意を得たうえで)掲載しないことや年齢制限を設けることで子供への影響を減らすなどの対応がもっともだと考えている。
同人の自費出版であればバストサイズを記載していただいて何の問題もない。好きにすればいいと思う。しかし、自費出版でも一般書店に流通を持ったり、何万部も頒布したりするような大きな力があれば、企業まではいかないにしてもそれなりの責任を持つ必要があると思う。
なぜやめて欲しいかを記載したため、どのような対応を望むのかについて記載していく。
第一に、「今まで女性オペレーターだけバストサイズを載せていたけれど、考えてみたらバストサイズを載せる必要は無かったので、今後は取りやめる。過去の分は削除する」と発表したうえで、新規掲載なしかつ過去分削除することである。
第二に、何も言わず新規発行の巻や増刷分から削除していくことである。
第三に、男性オペレーターも登場させてバストサイズを記載したり、そもそも性別関係なくスリーサイズを載せることが挙げられる。
第四に、過去の名作たちの本の冒頭ページに挟まっているような「本誌は掲載当時の価値観で描かれたものであり、差別の意図はありませんでした云々」というような但し書きをつけて販売することである。
いずれも、作者に対応させるのではなく、企業として企業が対応する必要があると考えている。作者の趣味で時代にそぐわないステレオタイプの描写があったら、編集者が変更させるべきだと思うのだ。
正直、バストサイズも嫌だが、それ以上に「オペレーターは女性、技術職員は男性」「迅悠一のセクハラ」について引っかかっている。
バストサイズ以外の描写であればコンプライアンスに違反していそうでも問題ないだろう、なんてことは勿論ない。
特にセクハラである「同意なく他人のお尻を触る」ことは「強制わいせつ罪」である。
それも、「旧ボーダー」「S級」「未来視」といった「組織にいなくては困るような重要な人物」からされたら、断れない人もいる。その上で「断れない相手を選んで行っている」ことは最悪である。
「オペレーターは女性、技術職員は男性」はしれっと削除して欲しい。
「迅悠一のセクハラ」は犯罪でありコンプライアンス(広義)ではなく(狭義)で完全にアウトなため、何も言わず削除するという選択肢はないと考える。「今まで放置していたが、欠点や親しみやすさを醸し出すためのキャラ付けとして描くには軽率な選択だった。今後真似する子供が出たり、行っても良いのだと思われたりしても困るため、削除することにした」と発表のうえ、削除して欲しい。
いずれも、作者に対応させるのではなく、企業として企業が対応する必要があると考えている。作者の趣味で時代にそぐわないステレオタイプの描写があったら、編集者が変更させるべきだと思うのだ。
その他事項についても、作者に対応させるのではなく、企業として企業が対応する必要があると考えている。まだ刊行の続いているかつ、アニメ化をするような勢いのある作品であれば、作者の趣味で時代にそぐわない描写を編集者が変更させるべきだと思う。
私は休載後にハマった新規勢だ。ハマってすぐに迅悠一が最推しになった。
しかし、どうしてもセクハラに大して拒否反応が出てしまい嫌だと思った。セクハラさえなければ悩むことなく完璧に好きになれたのにと思ったこともある。
インターネット上で迅悠一のセクハラについて書いている人がいないか検索し、文章を探して読んでは大きく頷くこともあった。好きなキャラだからこそ受け入れがたかった。(勿論、読者が無理にキャラクターを受け入れる必要などない)
2022/10/12現在修正も何もないので、作者の中では現実世界のようにハラスメントは厳しく罰せられることだと社会常識が変わろうとも、迅悠一というキャラクターはセクハラを続けるのだと解釈している。それでも私は迅悠一が好きだが、罪には罰をと考えているため、企業内の就業規則等に従い、厳格な処分が正常に下されていることを願っている。
近所のマンションに侵入しようとして非常階段のドアノブを回したら鍵がかかっていたのだが、これは防災的な観点からは問題があるのではないだろうか
この状態だと例えば正面玄関で火災が起こって正面から内部に入ることができなくなった場合、消防士が非常階段から内部に入って消火活動や救助活動を行うことができなくなってしまう
もちろん内部からであれば住人が解錠できる仕組みになっているだろうが、これは言い換えれば内部から解錠されない限りは外部から解錠することはできないということだ
住人が火災に気づかなければ消防士はマンション内部に入れず、スピーカーなどを使って避難を呼びかける手間と時間が生じて安全性の欠陥となるだろう
もし住人が火災の初期段階で正面玄関から避難していた場合は解錠を行う人が内部にいなくなり、やはり消防士が内部に入ることができなくなってしまう
そのときに本当に住人がみんな避難していればまだいいのだが、小さい子どもや体の不自由な人などが内部に取り残されている可能性が否定できず安全性に問題が残る
非常階段に設置された安全のための鉄の扉が、消防士を阻む障壁となってしまっているのが現状なのだ
事故や事件など物騒な話が増えた昨今、マンションの非常階段というごく身近な場所でこのような重大な危機管理の欠陥が放置されているとは呆れてしまう
一刻も早い改善を求める