はてなキーワード: 某SNSとは
作れたらTwitterとマストドン(と他SNSサービス)をいっぺんに見れるマルチクライアント用アプリが欲しい Twidere的な
何故かっていうとかつて存在した某SNSサービスからの難民が鳥か象に分岐したから負いきれない
それだけならTwidereで非常にありがたいのだけど、TL見ながら投稿ができないのが難点
開発できもしないのに偉そうだなあ自分
亡きShootingStar系の…でなくてもいいから文字だけでいいからTL見ながらその場で投稿できる機能があればかつてツイ廃だった身としては嬉しい TLと投稿画面が切り替わるのがだるい
今までもGoogle日本語入力の使い勝手そのままで罫線一覧や数字キーボードのみが出せたら楽だし作れたらいいのにと思ってた
Gboardは記号一覧の表示のデカさとステッカーが気に入らんから却下
泥厨だし自分さえ使えればよいのだけど言語なるものが多々あるらしいし、プログラミングも授業の一部分で日本語でプログラミング?で亀を動かすソフトしか軽く触ったことがない
ぐちぐちぼやいてばかりであるが、どっから手を付ければいいのかわからん
不満を飲み込んでばかりのままじゃいけないとはわかってるけど難しすぎそうでこわいんだな
というぼやきの放流
私は、感染者が唯一いない県に住んでいる
そんな私の息子がコロナになった
社会人二年目だ
息子とは正月以降全く会っていなかったので、自分たち夫婦は濃厚接触者でもなかった
なので、特に気にせずに過ごしていた
近所の人達に避けられるようになったのだ
不思議に思っていたら、「お前の息子コロナなんだって?濃厚接触者じゃないって言われているが、嘘をついてるんじゃないだろうか?本当の事を言え!実は息子に会っていたんだろう?」と近所の顔見知りに詰め寄られた
唖然とした
私たち夫婦は、息子がコロナになったと一言も周りに伝えていなかったのだ
どこから知ったのかと不思議に思って聞くと、「俺の息子から聞いた」と返事が
その顔見知りの息子と私の息子は小中と同級生だった程度でそこまで深い仲だった訳では無い
息子が顔見知りの息子に話す訳がない
非公開アカウントになっていたが、見る事が出来た仲の良かった同級生がその他の同級生に漏らしたのが真相だ
その同級生も悪気があって漏らした訳じゃないだろう
それがここまで地元で広がるとは思っていなかっただろう
当分噂は消えないので、息子は帰ってくる事が出来なくなってしまった
はてブって昔からあるイメージあるけど、利用者側になるのは初めてだ。用途としてはチラシの裏みたいなことでいいのかな?
某SNSでしがらみを作ってしまい、好きなことを言えないまま「好きなこと言えよ」みたいな歪な状態で、言うに言えないことを言うためにここに来た。
文字数の制約なんかも狭くはなさそうだし、何度も投稿しなければ言い切れないようなことを、1度に言い切って溜飲を下げるにはうってつけのツールだとは感じた。
しかし実際こうやって書き始めてみると、実は言いたいことってそんなになくて、「誰かが見てくれてるかもしれない」という希望が欲しかったのかな、とも思う。
こうやって思ったことを書くだけで一種の思考整理というか、感情整理というか、手段はあるのに今までそういったことを自分があまりやってこなかったことに気付かされる。
世間が物騒で不穏な雰囲気を醸しているので、それこそストレス発散の選択肢が以前よりも持てなくなってきた。そんな中で以前と同じように働け、と言われても能率は落ち、根が詰まる。
そんなことを言い訳に使いたくはないが、今月から仕事を休んでいる自分がいる。
原因は上司との不和によるストレス性の精神疾患が主たるもの。一年ほど前に同上司にパワハラを受けた為、それがきっかけになっている。仕事を続けようと思えば続けられたのだろうが、精神が傷だらけな上に身体まで悲鳴を上げ始めており、その状態でコロナ堝ストレス堝に飛び込む道理もないだろうと妻に諭され、休職に踏み切った。
思えば半年前くらいから綻びは出ていたのだろう。しかし居酒屋で同僚や友人たちと酒を酌み交わしながら愚痴やら酒やらをこぼし合うことで取り繕っていた。
張り詰めた糸の緩めどころが無くなり、切れてしまったのが今月、という話だ。
書き始めも書き始めだが、続きはまたその内。
タイトル通り。
書き手はAさん側の人間で、一周遅れでひいこら言いながら普通を追いかけている人間です。
例に漏れず流行りに乗ったお気持ち的なアレなので読んだ後に不愉快になっても責任は取りません。
さて、私が読んで思ったのは「どう生きるかはその人次第なので、価値観が合わないなと思ったらフェードアウトする」でいいんじゃないですか?でした。
確かに30すぎて独り身、安定した職についていなくて、ついていても貯金などの蓄えがないと言うのはこの“日本”で生きていくにはなかなかハードな状態なのだと思います。
実際、そうやって自己破産する方もいらっしゃいますしね。逆に何とかなるや精神で本当に何とかしちゃう方も居ますけど。今回の話に出てくる32歳のヤベーオタク(仮)は明らかに前者でしょう。
でもそれで困るのって誰?
両親兄弟くらいじゃない?
“友達というカテゴリー”の赤の他人に関係ある? なくないですか?
あったとしても他人に同類とみなされて恥ずかしいというくらいですかね?
例えば例の記事のAさん。
雰囲気の良い小洒落たカフェやレストラン。 みんながフォーマルなお洋服の中、1人だけジャンパージーパンにクタクタTシャツ(でしたっけ?そんな感じでしたよね)
Aさんが中学高校生の少年少女なら目を瞑っても、三十路だとウワッってなりますよね。
どう生きるかはその人次第、とは言いましたが、TPOがなってないのは少々幼稚に見えます。
でもそれは“暗黙の了解”ですよね?ドレスコードが必須な店ならルールとしてアウトですが、ルールではない。なら好きな服を着ていって下さい。周りの人が何と思うかは知りませんが、ルール違反をしているわけではないですからね。
でもそれじゃあ一緒に行っている3人が恥をかくじゃないか?
じゃあ縁切ったらいいじゃない。
“自分”が恥ずかしい思いをするから、Aさんを世間一般的なマジョリティに押し込めようという考えはナンセンスです。
AさんがTPOを知らないとか慣れていないとかで、本人が意図してやったわけではないのであれば、教えてあげたら良いのです。
大体の30歳はそうやって小さな恥から学び、TPOという概念を知ったんじゃないですか? Aさんがどうであろうが友を続けたいならそうすれば良い話です。
逆に、小さな子供ではないのだから自分から学べ。と思うのなら距離を置いたら良いのです。
同じく教えたが拒絶されたというなら、諦めて離れたら良いのです。
もちろん離れるまでもなく本人の価値観に則り離れていくこともあるでしょうけれども(友人側記事のぐちぐち言われたから〜ってやつです)
幼い頃、学生時代から長く付き合う友人でも、大人になると長くを別の環境で過ごします。
同じコミュニティから別の場に所属するのですから、その新たな場でそれぞれ別の影響を受け、価値観もゆっくりとズレていくでしょう。
高校時代に『私達ズッ友』『チャリで来た』みたいなプリクラ撮ったマブダチが自分の苦手なタイプの人物になっていたり、30歳の自分では友達にはならないなってタイプの人物になっていたりするでしょう。
だから諦めて離れたら良いのです。
ここまで書いて読み返してみたら『Aさんの友達側の目線』っぽい感じになっていたので、これからは『Aさん側の人物の目線』で書いてみます(なってなかったらごめんなさい)
でもそれも人生なのでは?
そういう人物は、先述した価値観の人からは嫌われるし離れられてしまうでしょうが。 同じくらい楽観主義、刹那主義、その日暮らしな同じ価値観の方といずれマッチするでしょう。
好きに生きろ。
ちゃおの小学生みたいな服着てても、ダガーで名前囲むタイプの中学生みたいな服着てても、全身しまむらやアクシーズでコーデしてても別に良いんじゃないの。
突き詰めて行けば新たなファッションジャンルみたいなもんじゃないですか。
パリコレだって常人には意味わかんないのいっぱいあるじゃないですか。アレみたいなもんなんじゃないですか?(私の偏見です)
サイゼでドリンクバーとドリアで1時間?良いじゃんやれよ。店員にめっちゃ嫌われるタイプの客だけどルール違反じゃないでしょう。
ただAさん側の方で、友人側の人物に当たるお友達がいる方は、縁を切られることを覚悟して貫いて下さいね。
受け入れがたいと思う人が大半。それを受け入れてくれる人は同類か神様かなんかです。
さらにマイノリティで成功している人はめちゃくちゃ運が良くて人脈もあって『なんとなく』で生きていけるタイプですからね。
記事書いている私含め、この記事なんかを真面目に読んでる人に何となく生きていけるやつはほぼいないからね。
勘違いするな。自惚れるな。自分がどの程度の人間でどの程度価値を誇れるかしっかり考えろ。
その上で自由に生きて下さい。
もし長年の縁を持った人間に嫌われたくない、友達でいたいと思うなら努力して下さい。
生活全てを変えなくても良いのです。
例えば友達と遊びに行く時用のフォーマルなお洋服を買うとか、センスがないというならマネキン買いをするもよし、店員さんに聞くもよし。 なんなら友達に相談でもすれば良いのです。
聞くは一時の恥、聞かずは一生の恥と言います。
独学で覚える器用な方もいますが、Aさんのような方は(私も含め)同類でしょう。
相談して、もし呆れて嫌われるんならそれがご友人との縁だったんでしょう。
というかその程度のこと聞いたくらいで呆れたり見下したり笑い物にするような方は“友達”なんですか…?という疑問がありますが、まぁそういう方もいるでしょう。
そうやって“マジョリティ”を学び、TPOを学び、必要な場面でのみ“擬態”すれば良いのです。
付け焼き刃はすぐボロが出るでしょうが、何度も叩いて熱してくっつけたらいつかそれなりになるんじゃないですか?
そうすればほどほどに自由に、ほどほどに年相応になれると思います。 なれてないかもしれないですけれどね。
下からは隙あらば自分語り的な感じの頑張ってるアピールの場なので別に読まなくて良いです。
ここまで付き合ってくださりありがとうございました。
化粧なんかしないですし(というより超過敏性で化粧代が財布を圧迫したので諦めたともいう)お洒落のおの字も知らない。
全身しまむらでできていて、すっぴんにゴテゴテのアクセサリーつけるオタクちゃんです。
でも必要なときは次の日肌が真っ赤になろうとも化粧しますし、全身黒のなろう系主人公みたいな服から店員さんコーデの“何とかTPOに沿った”服を着ます。
化粧をしない代わりに顔は毎日洗い、服は毎日着替え、頭もしっかり洗います(一般的には当たり前なんですけど、突き詰めためんどくさがりは不潔なんですよ。いらない情報ですが是非覚えて帰って下さい)
眉毛だけでも整えたらそれっぽくなるし、まつ毛とアイプチするだけで腫れぼったい目から多少マシになります。
腕毛と足毛と指毛はちゃんと剃ろう。爪はちょうど良い長さに切って、ニキビにはニキビケアがオロナイン塗っとこ。
友達と出かけるときは髪をケープでガッチガチにしとけば髪ボサボサな『ウワッ』現象から逃れられるよ。 お洋服はしわしわなのとヨレヨレなのとだまだまなのは着ていかない。
それするだけでも年不相応だけど“清潔感”があるのでギリ生きていけるから。
実際自分なりに頑張ったけど離れた人もいるし、一緒にいてくれた人もいるし、逆に自分なんかより幼稚でウワッってなって自分が切った人だっていることだけ明記します。
ここまで書いて満足したので尻切れとんぼ的な感じになりますが終わりにします。
不快になった人はすいません。他の方の迷惑にならない程度にコメントで鬱憤晴らして帰ってね。
以上、ありがとうございました。
かしこ。
学校を9月入学にすればいいと某SNSで高校生が提唱したとか、多くの知事が賛同してるとかテレビニュースで言っていた。
現状では学校によって環境が違い過ぎるから学力に差が出る、とかなんとか理由をつけていたがそれは理由にならないと思う。
仮に9月入学になったって今から約半年間なにもしないとか、そんなはずはない。熱心な学校ならオンラインで補習でもやるだろうから、結局はその子の周囲の状況によって差が開く。
環境を整えて小中高生誰もが同じスタートラインで今の特殊な状況を乗り越えたいというのなら、政府がSIM入りタブレットを小中高生の全員へ無償配布し、かつ現場の先生へオンライン授業のコツをレクチャーするなどすればいい。
なのにテレビはパラダイムシフトだ欧米に合わせるのだなんだと的外れなことを言っている。
となれば、誰かがこの感染症騒ぎのどさくさに紛れて、9月入学を推し進めようとしているのではないか?それは誰なのか?その人には何のメリットがあるのか?
気になって仕方がないが、見当がつかない。
友達が死んだ。
人づての人づてに知らされた末の突然の訃報だった。自らの命を手放した。
友達は学生の頃に知り合った中でいちばん好きな人だった。美人で、繊細で、恥ずかしがり屋で、とんでもなくナイーブな子だったが、それを隠そうと何も言わずに何処かへ行ったり適当な冗談を言ったりする子だった。
彼女のことが大好きだったから高価なガラス細工でも取り扱うかのように接した。
大好きで大好きで、友達というよりは「この世でいちばん幸せになってほしい」と願い続けていた人がこの世に幸福を見いだせず去ったという事実のみが厳冬の夜に取り残された。
彼女とは8年前にあったきり、数年前に某SNSで偶然相互フォローになった程度だったが思えば卒業式の日に「ああ、もうこの子とは二度と会えないだろうな」という予感がして、一日中写真を撮り続けて笑顔の彼女を目一杯心に焼き付けた。
普段は当たらない私の勘が当たってしまったことが非常に苦々しい。
しかし彼女とのやりとりで「もっと連絡を取っておけばよかった」などと思うことはなかった。もとより彼女は連絡を取り合うことをひどく嫌がっていたから。
よしんば連絡を取っていたとしても死ぬことをやめさせるということはしなかったはずだ。
何を苦に、何を嘆いて自らを世界から見限ったのかはわからない。彼女のことだから、仕方ないよね、今まで生きてくれてありがとう、と長年の友達ヅラの私は受け入れるしかない。好物も詳細な住所も知らないくせに。
彼女にとって私は小さな存在だったかもしれないし、それで良いと思う。
私の中ではかけがえのない、世界で一番大切な人だけれども。友達でも恋人でもなく世界で一番大切な人。
今までもこれからもきっとそうでありたいし、それ以上の人を見つけるなんてとてもじゃないけどしたくはない。そんな存在は絶対に有り得ない。
この世が呪わしい。
全てが許せない。
私の愛する人を返してほしい。
あなた以外は愛せないのに。
美しい人が失われ、私を含めた有象無象のみが取り残されていくのを見続けるなんて考えたくない。
せめてあの世、というものがあるのならば彼女に干渉しないニュートラルなものであってほしい。
後追いなんてしないけど、本人が嫌がってもいつか絶対に会いに行く。嫌われたくなくてずっと行動できなかったことを全部する勢いで会いに行きたい、必ず、絶対、ごめんね
最近私はvtuberを見るのにハマっており、特ににじさんじ、ホロライブのvtuberの動画を見ている。
これらのvtuberはゲーム実況や雑談配信などのライブ中心であり、対極的なvtuberはおそらく動画中心のvtuberであると思う。
自分語りをつづけると、以前某ゲーム実況&演劇をするvtuber集団をかなりの頻度で追っていた。
といっても入れ込んでいたわけではないのであの一件以降も特に精神的障壁を感じることなく動向を追っていたし、むしろ彼らの問題自体にとても興味があった。
問題は公式が”Ctuber”という言葉で皮肉にも的確に表現してしまった概念についてのものだったように思える。
これらは対比されて某SNS上で大いに取り上げられたように思う。
簡単に言えば“ガワ(キャラクター設定)”と“前世(中の人)“の問題である。
ライブ中心のvtuberは”中の人”の特徴が支配的になるのに対して、動画中心のvtuberは極端な話が”ガワ“があれば中の人は代替可能であると、そういう話だったと思う。後者のあり方を公式は”Ctuber”と呼んだのだと自分は解釈している。
そしてこれも個人的な観測に基づくものだが”Ctuber”という概念は視聴者層、とくに”信者”層にあまり受け入れられなかったように思う。ライブが中心でない彼らでさえそうだった。
彼らに対する印象をSNSや某掲示板で見ているときに上の一件を思い出して面白いことに気がついた。
俗にいう”信者”と“アンチ”のやりとりを見ていた時のことである。(心象への影響が面倒なので肯定派、否定派と呼ぶ)
否定派があるvtuberの“前世”がした倫理的にはあまり許されることではない過去を取り上げて攻撃していた。
上の一件をもとにして考えるならば、ライブ中心のvtuberは“前世”にも大いに依存した存在であり、そこを擁護するべきのだと私は予想した。
肯定派の意見は、”ガワ”と”前世”は完全に分離されて然るべきだ、と言っているという意味でvtuberとは”Ctuber“であると言っているのと変わらない。
むしろ”前世”が中心的なライブ中心vtuberにおいて、その肯定派に”Ctuber”理論を主張するものが多いというのはどういうことなのだろうか?
また、一つ穿った見方をすると、”ガワ”を守るために”前世”を切り捨てて見ないフリをするというのはいかがなものか、ましてや活動が”前世”の力量に大いによっているvtuberにおいてはどうなのか?
知り合いが顔出しアイコンでやってるTwitterで甘酸っぱい恋愛Tweetをしていた。
元金持ちマダムでいまも悠々自適でバツイチで十代の子供がいる。
タイムラインは高価な買い物や旅行の話が一割、あとは恋愛アカウントの名言やら引き寄せやらソウルメイトやらで埋まっている。
惚れるのは仕方がない。いくつになっても恋愛はままならない。
でもいかにも脈がなさそうな十も二十も歳が離れた年下から惚れられていると言い張るいい年をした大人を見るといたたまれない気持ちになる。
あれ、なんでなん?
「どう考えても無理目な恋愛やのに本気になってもうた…」と頭抱えるのが筋じゃないん??
彼女の解釈によると相手は未熟さとか内気さとか何らかの養育的背景により、自分の本心に素直になれないらしい。
それでもう一年以上LINEの返信がないし、電話は留守電だし、会うのももちろん無理。
それで数日おばはんは浮かれていた。フォロワーからも祝福のリプライが届いていた。
跡が残るところを覗きに来るとは熱い想いを抑えきれない証拠という解釈である。
一年無視してきた相手のSNSをのぞくって怖いもの見たさ以外思い浮かばないんだが、このポジティブさはどこから???
こういうアラフィフおばはんをこれまで何人か見てきたんだが、見かけるととてもいたたまれない気分になる。
言い張っているのがおっさんのときは「アホか!キモいわ」と呆れ、軽蔑するがそれ以上悩むことはない。
おっさんは図々しく行動化して相手に接触しようとするから目につきやすく、批判も浴びやすい。
しかしおばはんの場合は相手からの誘いを待つので、はっきり断られたり周囲から批判されたり、現実をつきつけられたりすることが少ないようだ。
「素直になれない彼」「本心を隠す彼」を待っている系おばはんのステイタスは様々。
バツイチ子あり、既婚子なし、未婚といろいろいた。
しかしひとりも、ただのひとりも、外見的にイケてる女子はいなかった。
若いときにモテたとか、同世代から引く手あまたとかもなさそう。
それなのになぜか一回り前後年下の男から惚れられていると思いこむってどういうこと??
内心がどうあれ現実は片思いなわけだから惚れられない自分を顧みれば謙虚になっていいはずなんだが
「なぜはっきり告白したり交際を迫ったりしてこないのか」と自分の受け身な態度は棚に上げて相手の優柔不断さ(!)にイラついていることが多い。
「彼の本心をはっきりさせるには?」って避けられていて相手に彼女がいる時点ではっきりしとるやろ!
しかし自分の悩みはこういう思春期回帰型の女性が存在することではなく、こういう女性を見るとものすごくいたたまれない気分になることだ。
思春期回帰型おっさんも数多く目にしてきたが「キモい。以上、終わり」である。
絵も描いて同人誌も売ってる私の最推しジャンルが、最後のまとめとして画集みたいなものを出した
画集発売に告知もかねて、某SNS上で絵やコスプレ写真など、ファン活動を募集していた。
TLを眺めると、絵が載って喜んでいる人が少なからずいる。
私は、それが喜ばしいと同時に凄く嫌に感じている。
載っている全員は確認していないけれど、ずっとこのジャンルで描いてきた人もいるだろうし、
好きだったけど募集期間中に忙しくて描けなかった人もいるだろう
考えてみて欲しい。
絵も描かないし、コスプレもしないけど、ずっとイベント運営をやってきた人を知っている。
その人たちの努力は、どこへいくのだろうか。
2次創作をする人から、ただの購入者まで、誰もが平等にこのジャンルが好きだったはずだ
好きは人と比べられないし、比べるものではない。
公式が公式と銘打った本の中に、そこそこお高く、ハードカバーでクソ重くて
でも私は本当は、それがただの表面上の良い訳で、ただの妬みだと言う事を知っている。
私は絵が好きだった。
でも私は、絵が下手だった。
先生には才能がないと言われ、睡眠時間を惜しんで描いても一切評価はされなかった。
才能がある人は落書きでも巧いと言われ、辛かった。
理性ではわかっているけれど、心の中ではそれを否定しきれなかった。
親戚も、みんな描くことは好きなのに、誰も決して巧くはなかった。
一時は描くことを諦めた。と言うより描けなくなった。
でも、今私がいるジャンルのおかげで
私はまた描く気力を取り戻し、絵を描いている。
今のジャンルでたくさん同人誌を描いた。おかげでかなり絵も上達したと思う。
でも、今回の事で知ってしまった。
どんなに上達しようとも、私は、やはり、絵が下手なのだと。
画集に載らなかったなんて、普通の人からしたらたいした出来事ではないのだろう。
載ってる人よりも載らなかった人の方が多いし、私より巧いように見えるのに載らなかった人もいる。
だから多分これは、自分が自分に課している呪いか重しか、その手の類なのだ。
劣等感は今も残り続けているのだと。
この画集が出た事で、唐突に私は忘れたかった事を思い出してしまった。
だから、こんな事に負けないでほしい。
下手でもいい。絵はずっと描いていたい。
画集は受け入れづらくとも、作品自体を嫌いになったわけじゃない
よく感想や評価がないと描けないとか言う人たちがいる。私にはそれがない。
だって評価が欲しかった時は、描いても描いても評価されなかったんだ。
公式が何だ、こちとら幼稚園から絵本をパロって紙芝居作ってた生まれながらの二次創作屋だ
だから、高かったし、仲のいい人も載ってるけど、
巻末のファン投稿コーナーはカバーつけるのに巻き込んで一生開かない事にします。
結局のところ、これはやっぱり妬みとかそういう救いがない感情で
一生消える事はないのかもしれないけれど、
それでも私は私が元気に絵を描いていく為に書き捨てました。
ここに投稿するのは初めて&書物は苦手なので読みにくいかもしれません。
何故これを書こうと思ったか。
初めて知り合ったのは、某SNSにて。
きっかけは某オタクイベントのチケットを余らせており、知り合いに声を掛ければすぐ捌けたのだが、ただなんとなくという理由で某SNSにて募集をかけてみた。
当時、そのイベントは大人気でチケットが数万円で転売されるほどだったためか、すぐにたくさんの応募が来て何日か経ってから応募してきた人を全員見てから話が合いそうな人を選んだ。
この時、女だからと言う理由で選んだわけではなく、自分は年齢=彼女いない歴のまさにお手本のようキモオタだったので、異性と一緒でも話続かなくてつまらないと思い同性の人を探していた。
その人の投稿を一通り見たときは、やっているゲームが結構被ってた・投稿見た感じ男っぽいという点があったので自分が探していたタイプだなと思い声をかけた。
イベント当日までは2ヶ月ほどあったので、何回か軽く絡みにいって少しは仲良くなれたかな?という感じで、当日イベント会場で待ち合わせた。(今振り返ってみると偶に女性らしい話し方があった)
集合場所で待っているとメッセージが飛んできて、近くに着いたと来たので周りを見渡すとすっごいデブがいた。
「まさかこいつか…?」と思ったが事前に教えて貰っていた服装を見返したら全然違ったので安心した。
なかなか見つけられなかったので、こっちから連絡しようとすると、聞いていた服装をしていた少し地味めの女の子がスマホを持ちながらキョロキョロしていたので、もしやと思い声を掛けたらその人だった。
自分の予想と大幅に違っていたので少し動揺したが、SNS上で何回か話していた事もあり会話は問題なくできた。(多分)
イベントが終わり、打ち上げに行くことになっていたのでお互いに感想を語り合いながら、そのまま飯に向かった。
打ち上げでもイベント終わり特有の謎のハイテンションだったというのもあり、普段話す友達と変わらない感覚で話すことができた。
その日は、また機会があれば遊びましょう的なことを言って解散した。
女性とサシで遊んだのは久しぶりだったのでその日は浮かれながら帰って帰宅したが、その時はもう会うことはないだろうなと思っていたので特に気にせず寝て、翌日の同イベのことしか考えていなかった。(二日目はオタクのフレンズと行くことが元々決まっていたのでいつものテンションで楽しんだ。)
2日間のイベントも終わり日常に戻ったので、普段通りの投稿を続けていた。
たまに軽く話す程度の関係が続き(この頃には軽く意識していた気がする)、お相手の住んでいる県で開催される別のオタクイベの参加が決まり、そこで飯の誘いをしたら来てくれることになり2回目のエンカが決まった。
駅で待ち合わせをして、姿を見つけて一瞬フリーズした。
可愛すぎでは!?!?!?
声が出そうになったぐらいに見た目が可愛くなってて、すげえビックリした。
軽く意識していたというのもあり、脳内補正があったのかもしれないが可愛かった。
事前に決めていた場所が混雑してたので予約だけして周りを一緒に散策してたんだけどすげえ楽しかった。
飯も終わって解散かなと思ったら、イベント始まるまで付き合ってくれて色んな所案内してもらった。
楽しい時間は一瞬で終わるもので、移動時間になってしまい駅まで見送りに来てくれて別れがとても名残惜しかった。恐らくこの時に8割は落ちていたと思う。
また時は流れ、仕事がクッソ忙しくなりメンタルがボロボロになっていた。
その時は、人との関わりが恋しく誰かに反応して貰いたくて愚痴ばかり呟いており、愚痴を何件か呟いてから休憩を終わりスマホを置いて終電まで仕事をしていた。
内容はあまり書きたくないので察してほしい。
恐らくこの時、10割落ちたんだと思う。
そこからメンタルをなんとか保って無事に生きたまま繁忙期を終えることができた。
また時は過ぎ、彼女と初めて会ったコンテンツのイベントが今年も開催されることが発表され、一緒に行かないか誘うと了承の返事が来て一人ですごい喜んでた気がする。
そして、イベント当日また会えた。
すごい綺麗だった、可愛かった、心臓の鼓動がやばかった。
よく平静を保ってたなと今思う。
今回は前回と違い1日だけでなく2日間一緒だったので2日目にイベントが始まるまでに遊ばないかと誘い朝から夜までずっと一緒だった。
最終日の帰り際になった。
しかし、伝えることはできなかった。
何故か?
ただそれだけ
第三者から見ると、馬鹿か?当たり前だろ、と言いたくなるだろう。
何かを得るためには何かを失うリスクを負わないいけない。そんなことは自分でも分かってる。
でも、そのリスクを負うことができなかった。
自分は、今の関係が続くことを願ってしまった。今後も続く保証はないのに。
この話はこれで終わりです。
恐らく本人がこの話を見たら、すぐに自分のことだろうと分かってしまうと思う。
一つだけお願いがあります。
もし、これを見て嫌悪感を抱いてしまったなら、どうかブロックをして関係を絶ってほしい。
そうでなかったら、見たことを黙っていてほしい。直接伝えることができる時が来るまではどうか。
私はなぜか某SNSでアート系の人とのつながりが多く、従ってそういう人たちやその仲間たちの作品及び作品展の案内を目にすることが多い。
別にそれらの作品が悪いとは思わないし、作者たちはそれなりの情熱と時間をかけて作品づくりをしてるんだろうと思うけど、あまりその作品のためにギャラリーに足を運びたいとか、お金を払って彼らの作品をコレクションしたいとか思わない。
写真を撮るのが好きなので、地方都市などで「ビエンナーレ○○」みたいなイベントがあれば行って写真を撮ることはあるけど、作品そのものが目的というより、何もないとただの田舎で終わってしまうところにアート作品を配置して、独特の風景を作り出しているさまが好きなだけだ。
絵描きとかで、そこそこ上手いんだけど明らかにそれだけでは貧困状態に陥るだろうという生活をしている人の投稿を見ると、正直「絵だけじゃ暮らせないならスーパーのレジ打ちでも何でもいいからバイトすれば?」と思う。その分絵を描く時間が減るかもしれないけど、それ以前に画材が買えなくなったり電気止められたりしてるんだから、多少なりとも金になることに時間を使った方が人間らしい生活ができるだろう。
名だたる大企業を早期退職して、無名のアーティストを世に出すための活動をしている人も知っているけど、物好きなボランティア活動にしか見えない。そんなアーティストたちの中に金の卵が混ざっているかも知れないけど、仮に才能があるとしても私はその人の作品を買おうとか思わない。単に家が散らかっていて、アート作品なんか飾るスペースがないというのが最大の理由だけど、ずっと眺めていて飽きない作品なんて存在しないから余計なものを家に置きたくないのだ。
それなりに評価の定まった美術品や工芸作品を見るのは嫌いでないけど、そういうのは美術館や博物館で現物を拝んで、手元には図録でも持っておけば良いと思う。その時の気分や好みで見たいものは変わる。まぁ図録でもあまり見返さないことは多いが、少なくとも作品そのものよりは安価でかさばらない。
日本でアート作品を買ってコレクションをしようという考えって普及するんだろうかと不思議である。豪邸の持ち主で、せっかくだから家の中にお気に入りの絵や彫刻を飾っておきたいという人もいるかも知れないけど、ごく一部の恵まれた少数派だろう。
中途半端な才能しか持ち合わせないアーティストは無理にそれだけで食べて行こうとしないで、割りきって食べていくための仕事と兼業すべきじゃないかと思う。逆に食べていくための仕事でそれなりの収入がある方が作品を作るための材料やら何やらにお金をかけられて良いんじゃないだろうか?アートだけで食べていけるなんて元々お金持ちか、たまたま流行りに乗って自己PRに成功した人だけではないだろうか?
食べていくために好きになれない仕事に甘んじている自分のやっかみに過ぎないかもしれないけど、アートは生活費を稼ぐ手段として極めて能率が悪いと思う。中途半端な才能と収入にあがいている自称アーティストには「一番好きなことは仕事にするな」という言葉をプレゼントしたい。
知り合いに子供が産まれたんだけど双子の男の子で私も双子の男の子が欲しかった。その子は結婚して2年くらいで自然に妊娠して産まれてるし今20代だったはずで、私だってそのくらいの年齢でそうやって子供に恵まれたかった。私は結婚して子作り始めて5年子供できなくて一度流れて治療してやっと授かった。渇望していた男の子ではなくて女の子だった。それでも自分の子供は超可愛いし、妊娠の経過も順調で正期産だったし、出産も初産とは思えないほど順調だったし、まだ1歳前だけど大きな病気もなく健康に育ってくれているし、凄く育てやすい子供だからこれ以上望んだらバチが当たりそうなくらい恵まれているんだけど、どうしても知り合いが羨ましい。
彼女が双子を妊娠したことは某SNSで知ったんだけど見ると嫌な気持ちになる自分がいるから見ないようにしていたのに、たまたま普段開かない別のSNSを開いたときに出産報告を見てしまった。だから今この日記を書いている。まあそこで見なくても共通の知り合いからその話題いつか出ただろうから遅かれ早かれ知ることにはなったとは思うんだけど。
そう、こんなに自分には可愛い子供がいるし環境だって恵まれているのに、他人をみて妬ましくなってしまうのが凄く嫌なのだ。子供にだって申し訳ない。それでも思ってしまう。辛い。自分が嫌になる。この性質どうにかしたい。
某SNSでSEをやっている後輩が、知り合いに「(タダで)GWに自分の会社のパソコンをWindows 7からWindows 10にバージョンアップして欲しい」と言われて怒っていた。
一応バージョンアップの仕方を親切に書いてあるサイトを紹介してあげて、「分からなかったら聞いて。」ぐらいのことは言ったらしいが、そもそもそういうサイトに書いてあるような内容を受け付けない頭の持ち主だったらしく、「とにかく全部やって」みたいに言われて「結局必要な事前情報も寄越さずに丸投げかよ!」とキレていた。
基本的にお金を取ってシステムを作ったり直したりしているプロに対して「タダでやってよ」というのがまず失礼ではあるのだが、そういうのに弱い人って、プロがそういう仕事をするのに必要な事前情報が何かとか、会社のパソコンの設定を外部の人間(しかも特に金を払って契約し、秘密保持を担保しているわけでもない)に委ねるリスクというものに対してまるで理解がない。
機械に強い夫(あるいは彼氏)と機械に弱い妻(あるいは彼女)でもよく起こりうる現象だと思うけど、こういう組み合わせの人々のギャップって本人たちが意識している以上に深い溝なんじゃないかと思う。その後輩の愚痴に対するコメントのほとんどが、「(嘘の用事をでっち上げてでも)断りなさい!」だったんだけど、きちんと理由を説明して、「こういうことを外部のプロに頼むのがいかにおかしいことか」を諭しても絶対に相手には伝わらない気がする。思考回路がそもそも違うんだから。
後輩に直接言っても仕方がないと思ってコメントはしなかったんだけど、そういう人は人種と思考回路が違うんだから、プロのSEの常識に基づいてものを言ってもムダなんだよ。
タイトル通り、困惑している。ウッソだろお前っていうビックリと、そこまでやるのかっていう唖然と、そんな事しなくてもお前ならやってけるだろっていうツッコミと、そこまで深刻に悩んでいたのかもしれなかったことに気がつけなかった悔しさ等々、色んな感情が渦巻いて、困惑している。
ハッキリと書いてしまおう。私は障がい者に対して差別感情を抱いてしまっている。好きとか嫌いとかいう生理的なものでは無い、人生で数少ない経験の積み重ねから、障がい者と接する事がとても怖くなってしまっている。心の中に、所謂健常者との垣根のようなものがしっかりと出来てしまっている事を差別と称するのならば、私は差別心を持ってしまっている。
本題からはちょっと逸れるが、障がい者の事を恐怖に感じてしまっているかの理由を説明する為に、幾つかのエピソードを紹介したい。身バレは回避したいので、ある程度はフェイクやぼかしを交える。それでもバレるかも分からないけど、少なくとも生理的嫌悪だけでこの感情を持ってしまった経緯は説明しておきたい。
私が通っていた小学校には当時、特殊学級というものがなかった。当時カーストも低くぼっちになりがちだった私は、2人組で知的障害を持った生徒と組まされる事が多く、しまいにはその生徒にまでタゲられてしまった。
体育の授業の時に鳩尾を彼に思い切り蹴られたその日、遂に耐えきれなくなって、そのダウン症の彼に罵詈雑言の限りを浴びせてしまった。
その日のうちに我が家に連絡が言ってしまったらしく、夜にブチ切れた父親に「弱いものいじめとは何事だ」一方的に罵倒され、「捨てるぞ」と最寄りのPAまで連れてかれ、最後は大泣きしながら電話で母親に謝罪して話は終わった。
そんな役回りにさせられた当時の自分にも問題大ありだが、己の心に明確に憎しみが生まれてしまったのはこの頃である。この感情が恐怖に変わったのはもっと少し先である。
とある趣味のサークルで知り合った女性。所謂OD常習者の薬ソムリエ。この女性にクレジットカードをスキミングされ、ネットで買い物をされた。丁度口座に金が入ってなかった時と引き落としのタイミングが一致し、買い物された金額が口座から落ちなかったことから発覚した。
商品の受け取り先から大体犯人が分かったが、本人はこれを強く否定。細かい過程は書けないが、結果的に一緒に戦ってくれた恩人が大打撃を被ることになってしまった。
後処理はカード会社に一任したので細かい事は追っていないが、証拠は固まっていたのに障害を理由に不起訴となった。その証拠に用いられたのが障害者手帳である。
この時から私は「障害者なら何やっても許されるのかよ」と叫ぶ人々の一人になった。
このエピソードはちょっと毛色が違う。私の知人が遭遇した被害である。
この知人、とある資格のスクールをしている方である。精神疾患者はこの知人の元友人である。
精神疾患者が「社会復帰したい」と知人に打ち明け、知人も「そういうことなら」と指導を引き受けた。もちろん受講料も大幅に割引き、この資格を受けるには最低限の費用での指導となった。国内に多数存在する資格と呼ばれるものの例に漏れず、その資格も受験に至るまでは規定量の授業を受け、規定量の熟練が必要となる。
本人の体調や精神状態も考慮しながら、ゆっくりと確実にやっていこうという段取りで話は決まり、指導が始まった。実際に指導を休むことも多く、講習の進みはかなりスローペースであったらしい。
しかし、ある時突然「いつまでも試験を受けさせないとはどういうことだ、金だけ取って何もしないつもりか、差別だ!」と詰問されたとのこと。その人が受けた授業時間と試験を受けるに足る規定量には倍近い差があるにも関わず、である。
知人がその旨を何度も伝えたが、伝わることは無く、最後はその資格を統括している団体にクレームを入れられてしまった。当初は知人が差別を疑われたが、その団体に粘り強く当時の状況を説明した結果、指導する講師を知人からチェンジする事で事なきを得た。
この頃から障害者に恐怖を感じ始めた。彼らはやり方によっては理不尽に健常者を蹴落とすことが出来るのだ、と。
長々と書いたエピソードもこれが最後です。どうか辛抱していただければと思います。
これは私と先述の知人が絡んだちとめんどくさい話なので、この話だけはフローチャートで。この難病患者の方は元々私の知り合いで、知人と面識はありません。
↓
確か「悪用する人も多いから、それを減らす為にも啓蒙は大事」みたいなことを私が書いた
↓
それに対して難病患者の方がコメントを入れた(消されちまって覚えてない) ↓
それに対して知人が「(私)はヘルプマークの事をよく理解していますよ」的なコメントを打った
↓
難病患者の方、唐突に「怖いコメントが来たから消した」と打ち込む
ここまでは良かったが、難病患者の方は何が気に入らなかったのか、仲間を募って知人にメッセージで暴言をひたすら投げまくった。知人が謝罪をすると無言でブロック、これを20人近くにやられたらしい。
先述のエピソードの話に対処してる最中の出来事だけあって、知人のダメージも相当大きいものだった。というか難病患者の方も元々私の知り合いだから、ただひたすらに知人申し訳ない気持ちが強い、今でも。
同時に、気に入らなかったのならせめて私に一言入れてくれれば、とも難病患者の方に対して感じてしまった。
ここに来て本当に障害者の方々と関わるのが怖くなってしまった。それまでは知的障害だったり精神疾患だったりと、理不尽な目に遭ってもまだ己を納得させるだけの何かがあった。
しかし、この難病患者の方は、罹患に至るまでは無難に社会人として企業に勤め、情熱を持って一心に仕事に打ち込み続けた人である。むしろ病魔に負ける事をよしとせず、回復と復活を心に誓っていた方である、少なくとも知る範囲の中ではという話だが。私と「障害を持っている人」という概念の関係に完全に亀裂が入った瞬間である。
随分と長くなってしまったが、これらの出来事を経て、私は障害者に対して強い恐怖心を持ってしまった。関わったら最後、何をされるかわからない、健常者は健常者であると言うだけで被害を訴えることも許されない。運が悪かっただけかもしれないが、金銭的被害スレスレの話に連発して遭遇してもなお平常で居られるほど勇敢であることは出来なかった。
街中で白杖をついている人を見ても手を差し伸べられなくなった、ヘルプマークを付けている人を電車で見かけたら車両を変えるようになった。ただ私が臆病で、恐怖を感じるからだ。
妄言一つで彼らは何の咎を背負うことなく我々を罪人に出来るからだ。弱者なんて嘘だ。彼らは強い、理不尽なまでに強い。私にはその理不尽を被る強さがない。だから近寄りたくないのだ。
そんなことを考えている人間の友人が、障害者手帳を取ることになった。本当に仲良くしている友人だ。同じ趣味を持ち、強気に見せて実は脆い、でも人に対しては誰よりも誠実な友人が障害者手帳を取る。
私が己を弱いと形容したのは、彼と積み上げてきたものを脅かしかねないほどに、障害者に対する恐怖心が強いからだ。障害者手帳であろうが何であろうが、友人であるからには心を許し、信用するのが友としての正しい在り方であるのに、それが揺らぎかける程に弱いからだ。この弱さに腹が立つ。何故友人は友人であると断言できないのだろうか、己よ。
誰にも吐き出せず、でも我慢しきれずに辿り着いたのがここだった。数々のエントリーを読み漁っているうちに、いつか自分も書くことになるのだろうかなんてうすぼんやりと考えていたが、その機会は思った以上に早かった。
願わくば、私がこの恐怖を乗り越えて彼と今まで通りの関係を続けていきたい。そして、彼が私や知人を襲ったモンスター障害者になってしまわないように心から強く願いたい。
モンスター障害者なんて言葉を使う時点で差別なのかもしれない。しかし、未だに弱い私はこの恐怖感を拭いきれない。
私に強さをください。
諸事情で無職になってしまったので、生活の足しにしようとアルバイトを探して入ったら思いのほかシフトに入れてもらえず、もう一つ掛け持ちokのバイトが出来るところに応募した。
某SNS大手がやっている求人のオファー機能というやつでオファーが来て、詳細を見るとシフトの融通が利いてそこそこ時給もよく、スキルも身につけられるというなかなか魅力的なものだった。
名前は、そうだな、ここでは「アロマージュ健康院」とでもするか。
ちょうど大手もみほぐしチェーンの求人も見ていたので、同じような雰囲気のリラクゼーション系サロンだと思った。
面接当日、お店まで行ってみる。
担当に「迷ったら連絡してくださいね」と言われ、地図を読むのにそこそこ自信のあった自分はそんな迷うか?と思いながら行ってみた。迷った。
地図上では確かに近くにあるのに、現在地の近くには農協の建物とマンションが1件だけ。地図ではマンションを指しているが教えられた建物名とは名前が違う。
流石に遅れるとまずいと思い、思い切って電話してみる。すると担当者が出て、「そのマンションで合ってます。ちょっと前にマンション名が変わったんですよね」と。
え?マンション?店の名前の看板もないのに?しかもマンションの名前が変わるったって「ハイム有井」→「ハイツ有野」みたいな微妙な変わり方する?
担当が女店長と呼ぶ女性スタッフが出迎えてくれた。中も普通にマンションだ。廊下にIKEAみたいなお洒落なライトが置いてある。
廊下の奥の一番奥のキッチンがある部屋に通された。ここはこたつやテレビなどがごちゃっと置いてあり、生活感がすごい。
とりあえず言われるままに履歴書を渡して質問に答えたり、給料の説明を聞いたりする。掛け持ち先の飲食の店名を言うと別店舗の常連らしくあそこおいしいよね〜と乗ってくれた。シフトはちゃんと融通を効かせてもらえるそうだ。
給料については、基本は求人に書いてある給料より安いが、なんか指名料やら色々のインセンティブで求人に書いてあるくらいの給料にはなるよ、みたいな説明がされた。他にも店舗がいくつかあって、移動に問題なければそっちに行ってもらうことになるかもとのことだった。
質問はある?と聞かれ、当初から気になっていたマンションでの営業について聞いてみた。
この店はマンションの一室を店舗としていて、他の店舗も同じような感じだそうだ。1店舗につき1〜2名のスタッフが配置され、客に施術をする。
そういえば、と思い出したように女性スタッフが質問してきた。「オイルマッサージだからお客さんはほぼ裸なんだけど触れる?」
いや、マッサージって触るものでは?触れない人間が応募するものなんか?
とりあえず「大丈夫です」と答えると、「実はウチ、お客さんのほとんどが男の人なんだけど、大丈夫?」とまた聞かれた。マッサージするのに別に男も女も関係なくない?と思い、また「大丈夫です」と答えた。
そんな感じで面接が終わった。
帰って彼氏に「こんなところの面接行ってきたよ」と報告すると、「そんな怪しいところやめとけ」と言われた。
自分も怪しいとは思いつつ、時給が求人よりも安かったので「風俗でもないし所詮そんなもんやろ」と思っていた。
2日後、採用の連絡が来た。ここで断ればよかったが、なんとかして稼がないとと焦っていた自分は「よろしくお願いします」と言ってしまっていた。
ちょっと飽きたのでこの辺で。続きはそのうち書くかも。
先日アイドルマスターシンデレラガールズの6thライブへ参戦しました。
Dya2のみでしたが全てにおいて非常に満足のいく内容でした。
個人的に文句をつけるところは何1つないのですが、某SNSを見ているとやはり人によっては言いたいことがあるというか...この話題が出るのはもはや必然です。
終演→アイマス最高!→厄介報告及び色芸論争
なんか本当に毎回この流れやってますし様式美になりつつあるというか、私にいたっては『これがないとアイマスじゃない』とすら思えてきています。
さて、今回の主な『UO折るな』案件はタイトル通り"銀のイルカと熱い風"みたいです。
ちなみに私は会場で行われていた「銀イルカで青振ってくれませんか?」みたいな企画で初めて「銀イルカは青推奨である」ことを知りました。
アイマスにおいて『青曲でUO』は荒れる原因の1つですが、今回もその例からは外れないようです。
デレステのMVを見たことがなかった為確認したところ『おおむね青い』という印象でした。
おおむね青いと言った理由は、唯の黄色と智絵里の緑色と美波の水色が混ざった上での青だと思ったからです。
真っ青ではないけど青、これ見た上で何色振るべきだと思う?と言われたらまあ青、そんな感じの青。
渋々認めるみたいな言い方してますが、ゲーム内で視覚的に青を提供されているわけですから青を推奨する理由としてはもう十分すぎると思います。
更に言うと歌詞にも「碧い」とか「海」とか「空」とあって青系統の色を連想させられます。
なるほど、青いじゃん。
何よりも「空と海の色も輝いている」という歌詞はまさしくUOが合うと思います。
空と海は言わずもがな青ですが、空と海が輝くのは『夕焼けによって』なんじゃないかなーと思ったんです。オレンジ色に輝く空と海ってわけです。
そもそも夏の曲ってだけでなんかUOを彷彿とさせます(しますよね?)。
あと単純にアガります。アガったらとりあえずUO勢は一定数いるはずなので、彼らの気持ちが理解できるか否かは置いといてアガる曲であるというだけでUOからは逃れられません。
うーん、UOも合ってるかなー。
ステージの上見ろ
色々こじつけの理由を書き連ねましたが、結局は自分がどう考えるかだと思います(私は企画の方からもらったUBと持参のUOどっちも振っていました)。
そして一番言いたいのは、客席よりもステージの上見た方がいいです。
いちいち客席を気にしてヒリつくよりもステージ上の演者に集中し応援してあげてください。
客が作り上げる一体感が好きっていうのもわかりますが、色んな思想を持つオタクが集うアイマスライブでそれが実現するのは難しいです。
だってお前、"in fact"でUO折ってる奴いるんだからもう無理だなって思うでしょ?
銀イルカですが、序盤は青がかなり多く時間経過でUOが増えていく光景はかなり綺麗だと思いました。「空と海の色も輝いている」をまさしく表しているように感じました。
UO非推奨者的にはUOがいるだけでブチギレ案件かもしれませんが、自分の思い通りにはならなかったけどあれはあれで良かったなーっていうなんでもエンジョイできるくらいの精神でいた方が色々お得なんじゃないかと思います。