懐に入ってしまうと案外怖くないよね
ので、自分が所属する日本に住んでる国民を徹底的にこき下ろすのはOK。
でもそれって叩く対象に自分を含めてないよね。定型文のように「自戒を込めて」などとおまじないを付け加えることがたまにあるけど、本当は心にもないよな。
魂が時間を遡れるっていうのはおんなじで、
魂が一つ、までは行かないけど自分に関わりのある人間には生まれ変わる可能性がある
だから周りの人を大事にしようね、みたいな宗教作りたいな、と思ってた
朝の海には一度も訪れたことがない。だけどボクの脳裏には、焼き付いて離れないほどの郷愁が映る。
太陽はまだ水平線の向こうで眠っている。空は色づいていて、夜の帳を押し広げてゆく。
静寂の海岸は波音以外の音が消えている。波音を時折かき消すかのように背後の国道を車が通り過ぎ、やがて再び潮騒に紛れていった。ああ、鳥の鳴き声も目を瞑ると聞こえるし、今しがた羽音を鳴らし始めた蝉の声もかすかに響く。
水平線は霞がかっていて息は白い。空は橙から紫へと移り変わってゆく。
夏の初めを思わせる雲は、入道雲には程遠い。それは扁平で、紫立ちたる雲の細くたなびきたる――そんな一文を片隅に思い浮かべるほどには劇的じゃない。
海岸は冷たい空気にかき消されたかのように人を拒んでいる。だからきっと人は少ない。遠く小さく見える恋人たちは、この場所に招かれたみたいだ。現地のおじいさんは犬に導かれて駆け足になる。もし鴨川がとても大きいのなら、こんな風になるだろうか?
ボクは堤防の先にたどり着いた。太陽が目の前に迫ってくる。うん、いよいよ日の出が見える。そう思ったのだけれども、雲の流れがこちらに挨拶する陽の光を細く遮り、やがて太陽は見えなくなってしまった。ボクは仕方なく堤防の下を覗き込むと、退屈まぎれに小石を蹴って魚群を驚かせてみた。
魚が人懐こい顔を覗かせる頃、ボクの顔は真っ白になる。目を細めて、手のひらをかざして。
太陽と空の境目にある虹色は青い銀河のように左右両手いっぱいに広がっている。そんな風に思えた。
朝の海に行って何をすると思う?
最高ですかー。
壱弐参ダーッ!
なんにょ?
○ご飯
朝:なし。納豆。昼:冷やし中華。夜:人参と玉ねぎとウインナーのスープ。パン。チーズ。間食:飴。チーズ。柿の種。
○調子
むきゅーはややー。仕事はそれなりー。
連休明けはシンドイね。
○スーパーマリオ64(WiiUVC)
スター105個まで。
私は以前から「大学へ行きたいなら、貸与型の奨学金を最大まで借りてでも行ったほうがいい。行きたいなら、そしてしっかり勉強する覚悟があるなら、何百万と借金をしてでも行く価値がある」ということをネットで喧伝してきた。しかし先日、とある大学の偉い先生がネットバトルをしており、お相手が「私はお金がなくて大学に行かなかった!おまえは恵まれている!」のように言ったことに対し、「私は数百万の借金をして大学院進学しけどなw」のように返しており、哀しい気持ちになった。
「お金がなくて大学に行けない」というのは、実際のところ「お金」が問題ではないだろう。親がどの程度応援してくれるか?周囲にどの程度情報があるか?様々な要因が、その人の「資本」であり、それが足りない状況が「お金がない」という言葉に集約されてしまうことはよくある。事情は人それぞれあるだろう。
大学の先生が、そういうことに想像力もなく、安易にマウントを取ってしまう様を非常にグロテスクに感じた。
私は、そんな風にマウントを取る材料にするために、「お金を借りて大学へ行こう!」と喧伝したわけではない。「大学はそれだけ行く価値がある。あなたの人生を諦めないで!」と、普段は声の届かない人々へ声を届けたかったからだ。
「勉強の成績だけ良い人」と分けるためだと思う
高校の時の話を思い出したから書いてみたけど実際外で頭おかしい人見かけたら遠くからなるべく避けてるだけだし、
横断歩道待ってる時、前の人がいきなりこっち見てなんか叫びだしたときも戸惑って何も声出せなかったわ!自分にできないことを勧めてしまったすまん!
2つのGoogleアカウント(会社用のG Suiteアカウントと個人のGoogleアカウントなど)を利用しているMacユーザーにお勧めです。
Windowsだとアカウント別のショートカットを作れば、任意のアカウントでログインしたChromeを起動できますが、
Macの場合はアプリを終了した時点でアクティブだったアカウントで次回起動してしまいます。
個人アカウントのメールをチェックしたいのに、起動すると別のアカウントだった場合、
そのたびにユーザーを切り替えて起動しなければいけないのがストレスでした。
個人アカウントはFirefoxやSafariで…とも思いますが、対応している拡張機能が無かったりといろいろ不都合があります。
でもEdgeなら(ブラウザで使うのはMicrosoftアカウントですが)中身は実質Chromeですから、ほぼ同じ環境を実現できます。
しかも使ってみるとあれこれ使いやすい…特にコレクション機能が便利。
Microsoftアカウントを使えばデバイス間で同期も取れるので、スマホや他のPCともお気に入りやコレクションを共有できます。
・人類の魂はたった一つ
・一つの魂がある人の人生を生き、死んだらまた別の人の人生を生き、を繰り返してる
・魂は時間を遡れる、例えばある子供の人生を生きた後でその親の人生を生きたりする
・それでも数百年単位で見れば魂は過去の人間の人生を生きてから未来の人間の人生を生きている
・人類が絶滅すれば、魂は最後の一人の人間の人生と一緒に消滅する
行動方針
・魂が消滅しないようになるべく長く、多く人類は繁栄しないといけない
その大学就職強いっても院なり行って出荷完了になった学生がまっとうに社会人として送り出されてるだけで
研究室でヘコヘコしてえらい教授様の助けも借りつつ就活してなるべく太い会社に出荷されてくのが典型パターンだから
学部終える前にどう働くかは考えよう
あとその大学の就活センターは担当人数少ないしなんか……なんとも言えないけど
保健管理センターのカウンセリングの先生方は親身になって相談してくれる人いるから健康診断やった建物まで行ってカウンセリングの予約入れよう
さっきWikipediaで見て知ったんだけど、水木しげるが鬼太郎シリーズを描き始める20年前から鬼太郎の紙芝居があったらしいね。
紙芝居 ハカバキタロー/墓場鬼太郎(原作 伊藤正美、画 辰巳恵洋):1933〜1935年頃 紙芝居で登場
紙芝居 墓場の鬼太郎(水木しげる):1954年〜 紙芝居で登場
どういう話かともっとわかりやすく言うと、コロナのせいで楽しみにしていたイベントに行けなくなってしまったので「楽しみ!」という感情を自分の手で殺した話。
ただ吐き出したいだけなので気にするな。
今さら語ることではないが、今世界は大きな疫病に対峙している。世界的に見て感染率や死亡率が低い日本でも、毎日のように感染者数が報告され、正直心をえぐられてつらい。
友達にも中々会えない。楽しみの旅行は潰れる。イベントは中止。ご用意されたチケットも無に帰す。
挙句、満員電車に詰め込まれ、ソーシャルディスタンスとは何なのかハッキリしてない職場で声を出す仕事。
はあ。反吐が出る。
しかし、それでも、私には一つだけ「楽しみ」が残されていた。何ヶ月も前から楽しみにしていたイベントが開催されることになった。しかし、東京都内で。
政府はイベントの参加人数5000人以下を守れという。しかしイベントは行われる。
世間では毎日東京都内の感染症を報告し、メディアは恐怖を煽る。しかしイベントは行われる。
東京都に住んでいない私はそのイベントに参加すべきか否か、ギリギリまで悩んでいた。
記述し忘れていたが、こんな匿名ブログに思いをぶちまける程の私だ、無論友達が少ない。だが、そのイベントで最近仲良くなった(と勝手に私が思っているだけかもしれない)フォロワーさんと初めて会うことが出来る機会だったのだ。正直、私はイベントよりそのフォロワーに会いに行くためだけに東京に行きたいと思った。いやもちろんイベントも楽しみだったが。(じゃあそのフォロワーさんとだけ東京以外で会えよって話はナシだ、コミュ障ナメるんじゃない)
この日が来るまでの間、私はコロナ禍の中の出勤にも耐えた。人事異動により替わった上司とのいざこざにも耐えた。吸血鬼ドラルク並のメンタルの弱い私が毎日仕事をしていただけ褒めて欲しい。
それだけ、そのイベントを糧に今まで何があっても耐えてきたのだ。それなのに。
飛行機とホテルのキャンセルボタンを押す時の私は、まるで目の前に居るもう一人の自分の上に跨りながら自分の首を絞めて殺しているような気持ちだった。
「楽しみ」を殺す。イベントを楽しみにしていた、その為に何だって耐えられた自分を殺す。
移動手段と宿泊先を無くした私に東京に向かう術は無くなった。これでよかったんだ。
感染者を増やさないで済む。何より「お前はこんな大変な時になぜ東京に行ったのだ」と職場で村八分に遭わずに済む。逆に都民からは「オメーみたいなやつが地方に持ち帰るから広がるんだろうが」的な恨みを向けられずに済む。
正しい選択をしたのだ。それなのに。
心が泣いている。ひとを殺したのだからそうだろう。大切なものを殺されたから当たり前だろう。
誰にも見えず、誰にも理解されず、誰にも慰められず、誰にも知られない自殺。
この死一つで世界中のコロナが滅ぶなら、私は喜んで身を投げるだろう。
一日でも早く、安寧の日々を返してくれ。