はてなキーワード: 美しい人とは
1. 西洋的価値観を全面に押し出して、その方が優れてるような価値観にナチュラルに誘導しようとしないでください。
2. 国別ミスコンって、各国で一番美しい人、といいながら競って、結局全員西洋人みたいな顔とスタイルになるじゃないですか。普通にキモいですし、国々の美を語るような名を冠するなら、もっとその土地の美の定義とはなんなのか考えて、相互理解をすすめ合ったらどうですか?
3. 「わたし好みのルックス、各地域に住んでいる人から選びましたコンテスト」なら好きにしてください。でも、それをミス日本とか言わないで。少なくとも私の定義とは違うんです。
4. それなりに日本に生きているので、日本という名前は、みんなそれぞれに愛着があるです。アイデンティティに紐付いてしまっているのです。だから炎上するんです。ある国の美 (のように聞こえる名前) を語って一方的な美の定義を上から喧伝したら、その国の人が違和感を感じるのは当たり前ですよね。
5. それで違和感を表明されたら「差別だ」とか「多様性を認めてない」とか「いや内面の美の話だよ?」とか屁理屈をコネて更なるマウントを取ろうとするのもやめてください。
ミス日本のエントリー資格は以下の3つで、その点彼女は全く問題ない。
・地区大会開催年の12月31日時点で、17歳から26歳までの女性
・日本国籍を有すること
・未婚であること
どこ情報かは失念してしまったが、確か過去にクォーターの方がミス日本のファイナリストに選ばれたこともあった気がする。
Wikipediaによると、日本に元気や活力をもたらすような人物として成長することを願って選抜や育成が行われるらしい。
外見の美しさだけではミス日本に選ばれることはないといえるだろう。
ミス日本がどのようなコンテストであるかがあまり知られていないのは、今回の騒動(と、呼ぶほどではないかもしれないが)が起きた原因の1つだと思う。
ミス日本の意義や目的、審査基準などがもっと周知されれば良さそうだ。
ただミス日本がキャッチコピーとして「日本らしい美しさ」を掲げているのも事実。
そしてこのような表現では、いわゆる「日本人らしい見た目の美しい人」をイメージしがちなのも仕方がないと思う。
そこで考えたのだが、そもそも「日本人らしい見た目」とは何なのか。
両親ともに日本人でも、西洋人のような顔立ちをしている人もいる。
反対に、両親や親戚に外国の方がいるけれど、その人自身は日本人にしか見えないケースもある。
このような方々がミス日本のグランプリになった場合、「日本人だけど見た目が日本人っぽくないからミス日本にはふさわしくない!」という意見が出るだろうか。
たとえば、外国で生まれてしばらく外国で過ごし、成人する前に日本国籍を取得・日本に移住した場合。
見た目も国籍も日本人だが、ルーツが日本にあるとはいえないだろう。
日本人と外見の特徴が似ているものの、ルーツが外国にある場合はどうなるのか。
両親ともに日本人ではなく出身地も外国、現在の国籍は日本、そして外見はいわゆる日本人に見える……
このような人がミス日本のグランプリになった場合、仮に討論が起きるとしても、外見とは違う部分が焦点になるのではないだろうか。
言いたいことをまとめるとこんな感じだ。
2つ目はこれまで意識してこなかったものの、改めて考えてみると難しいと思う。これを機に、自分の考えをとことん突き詰めていきたい。
仕事上、最も重要なビジネスパーソンから誘いの声が掛かってしまったのだ。
断ってくれてもいいが、という前置きは枕詞の意味合いしかなかった。
でも拒絶するべきだ。
妻が他の男に抱かれている様子など見たら発狂する。
そこに生きる私達夫婦。
二人に子供は居ない。
年に2、3度ホテルに行く。
それだけだ。
妻から求められることはない。
常に私の方から。
最低限の夫婦の交渉がなければ、ふたりの関係が消えてなくなるんじゃないか?と不安にかられて。
外に女をつくったことはない。
(見た目だけ)きらびやかな世界に寄り集まる美しい人たちは多い。
その中から都合のいい女性を選べないわけでもない、と自惚れている。
妻は私が外で遊ぶことを容認している。
というか、私に対しての興味が薄い。
関心がない。
ひょっとしたら、もう私に対して愛情がないのか?と思うこともある。
ただ商売をする上でお互いにお互いを補完しあうスキルが貴重すぎて手放せない、
夫婦というよりもビジネスパートナーと思っているのかもしれない。
そんな風に考えていた。
妻が他の男に抱かれているところを想像するのは苦しい。
しかし、仕方がない。
これをしなければ商売は続けられないのだ。
それに今の生活を捨ててでも守るべき矜持などというものは、とっくの昔に捨て去ってしまっている。
妻も、もともとは生き馬の目を抜く業界で営業の第一線で働いていた女だ。
そして重要なことだが、一度参加すれば二度と三度と抜けれない蟻地獄のような誘いではなかった。
その乱パは参加人数は10人程度。
そのうちの半分はセクシービデオに出演している方々を高額の報酬で招いている。
主催者が見たいのは、素人の女性が初めてプロの男優に責められて狂う様子とそれをみて苦しむ夫。
そして夫が自分より若くきれいでかわいいセクシー女優とセックスするのを見て嫉妬に駆られる妻、
という構図だ。
だから一度参加すれば、次回、また次回と参加を強制される性質のものではない。
なぜなら何度も参加して慣れることで夫婦に感情の揺らぎがなくなるからだ。
主催者が見たいのは「セックス」ではなく「心のゆらめき」なのだ。
パーティは都内の某所、邸宅というより要塞と呼ぶ方が相応しい分厚い塀に囲まれた建物の中で行われた。
2人は素人(このパーティには常連の仕切り役の夫婦(今回私達がこのパーティに参加しなくてはならなくなったのはこの2人の誘いによる))、
漫画の違国日記は人間がそれぞれに抱える孤独や現代社会が内包する問題に触れつつも、思慮深く優しい人間であろうとするキャラクターたちが描かれていて、時に共に落ち込んだり、逆に励まされたりして楽しく読んでいました。
今日、実写映画化のニュースで配役を見て、とても恥ずかしくなりました。
皆さんとても美しい。
プロの役者さんなんだから当たり前で、何を言ってるんだと思いますが、朝ちゃんに思春期の自分を重ねたり、槙生さんに年長者として下の世代に接する責任に共感したりして漫画を読んでいた自分が恥ずかしくなったんです。
私が勝手に親しんでいた違国日記は、私の暮らす現実世界においてはこういう美しい人たちの物語なんだということに、今さら気が付いたんです。
自分のような人間が入り込める余地などないのは当たり前のことなのに、私はどこかでこれは私の物語だとすら思っていたのかもしれません。
なんとおこがましい、自分で自分に恐れおののいてしまうような勘違い。
昔からよく分かっていたはずなのに、この作品が本当に強くて優しいから思い違いをしてしまっていました。
ああ恥ずかしい…恥ずかしさで破裂してしまいそうなのでここで吐き出しておこうと思いました次第です。
アラサー。5年ほど交際した彼氏とは結婚に至らず別れて1年半、ほとほと疲れていた。もう自分は恋愛しないだろうな、人のことを心から好きになることはないだろうな、そう思っていた矢先に彼と出会った。稲妻のように恋に落ちてしまった。
彼はバツイチで、11個上だった。聞くところによると、婚姻生活は8年だったらしい。子はいなかった。
相手について知りたいような知りたくないような、でもきっと彼が好きになった人なのだから、魅力的な女性だったに違いない。
事実、彼の知人から元奥さんはとても美しい人だったと聞いた。容姿に優れた上に、頭脳明晰な女性だったらしい。私じゃ太刀打ちできるわけがなかった。
告白したが、案の定振られた。どうやら年下には一切興味がないらしい。
ごめんね、でも増田ちゃんは可愛くていい子だと思ってる。その気を使って言ってくれた蛇足がさらに辛かった。もう大人なのだ、1ミリもそんなことを思っていないことは痛いほど分かっている。可愛いなんて言わなくていいのに。情けないが、涙が止まらなかった。私はまだこんな感情を失っていなかったのだ。
振られたちょうど1ヶ月後に彼を含む飲み会があった。やっぱりまだ彼のことが忘れられなかった私は、傷に塩塗り込むのを覚悟で参加することにした。
遠巻きに彼の顔を見て、ああやっぱり素敵な人だな、と再確認した。振られたけど心の中で静かに思い続けてるくらいならいいかな、ビールを啜りながらそう思ってしまった。
その日は少し体調不良気味だったため、思ったよりも酒が回り足元がフラついていたので、皆と解散したあと店のそばでしゃがんでどう帰ろうかとズキズキ痛む頭で悩んでいた。
大丈夫じゃないです。そう言うと、タクシー捕まえよう、彼が言ってタクシーを止めた。
座席に座り込み、自分の住所を告げると、糸が切れたように私はぐったりして自然と頭を彼の方へ倒した。走行中、彼はずっと何も言わずに私の肩を支えてくれていた。
これはよくないな、ダメだなと思いながらも、初めてこんなに彼に近づけたのがとても嬉しかった。さっきまでタバコ臭い空間にいたのに、彼からはとてもいい匂いがした。
そして彼は私の肩から手を離すと、私の手を握った。
女性のような華奢な指だった。私も握り返した。
私が握り返すと、彼はさらに強く握ってきた。彼の手に触れられた嬉しさと、絶対に報われることないだろうという悲しさと、いろんな感情が混じって、涙が出そうになった。このまま時間が止まればいいのに。このまま付き合えればいいのに。頭がぐちゃぐちゃになって、そしてやがてそれは元奥さんへの叫びへと変わった。
こんな素敵な人と結婚していたなんて、彼女は前世でどんな徳を積んだのだろう。どんな顔だったのだろう。最初はどういう馴れ初めだったのだろう。初めてのキスはどこでしたのだろう。どんな結婚生活だったのだろう。一体彼女の何が、彼に人生を共にしたいと思わせたのだろう。私は彼女には絶対なれない。それが本当に悔しかった、辛かった。彼女になりたかった。
タクシーは私のマンションの前に止まった。ああ、着いてしまった。時間は止まらなかったんだ、そう落胆すると、気をつけてね、今日はお大事にね。おやすみ。そう彼は言って、申し訳なさそうな顔で私を見た。そして静かに私だけを下ろして、片手を挙げると、またタクシーに乗り込み、闇の中に溶けていった。彼は私の家には上がり込まず、颯爽と帰っていった。
手にはまだ彼の感覚が残っていた。洗いたくないな、気色悪いがそう思ってしまった。好きな人と手を繋いだ事実、それを消したくなかった。なんて夢のような時間だったのだろう。
何故かというと、思ったより反応が多くて、それをすごく気にしてしまうので。新しい反応が来たかと考えて、そわそわして眠れなくて。
まあ元々削除するつもりで書いてたし。
温かい言葉を掛けてくださった方々、ありがとうございます。意外と誹謗中傷もほとんど見当たらず、冷静に客観的なアドバイスをくれる方が多くて、ネットって捨てたもんじゃないな〜と思いました。
精神的にやられてる自分に酔ってただけの小娘に、どうもありがとうございます。
老廃物を流して、昨日より綺麗な考えの自分になって行きたいと思います。
酷くこびりついたルッキズムを、私の中から全て掻き出して捨て切れるように。
見た目ではなく、自分の中身を愛せるように。
もう少し頑張ってみます。
はてなブログはあまり使う方ではないけど、また言いたいことあったらここに来るね。
じゃ!
タイトルの通り。スカって最近になって割とアリなのか?と思うようになったので先人の意見を賜りたい。
みんなが興奮するのはどのパターンなのか。
男子トイレも女子トイレもするときは個室じゃん? 基本的に隠されているもの、隠されていなければならないものを見れることに興奮するのか。パンチラと似た興奮のポイントだと思う。
言葉の通り。すごい美人、美少女ないし美男子も他の人間と同じく汚いものとひり出すんだなと言うギャップに興奮するのか。嘔吐シチュエーションと似たようなものかなと思う。
1と視点を変えて、基本的に隠さなければならない好意を人に見られているというシチュエーションに興奮している対象に興奮するのか?上手く言えないけど、露出して興奮している人に興奮する……みたいなのが近いかなぁ。
これはあるかな?と思うけどまだイマイチ理解できていないので……。流石に食スカまでは分かんないけどそこまで行くと別ジャンルなのかな?
朝からごめんね。
どうすればいいんですか?
→どうしようもできないらしいです。
→どうしようもなくないのに、そうした選択をしているのはご自分らしいんです。
言葉は声で表すだけ無駄です!声色、脳から出力され彩られた言葉、すべてが陳腐です!腐っています!脳の、いちばん新鮮なところにあった、ヘドロみたいなやつだけが、真実なんです。私はほんとうのことを話しています。そうです。
声にして、相手の耳に届き、相手の脳に侵入したとき、それは、そのものはもう私ではありません。相手に理解を頼んだのは私なのに、届いてしまったものはもう私ではないのです。どうしようもありません。言葉は出すだけ陳腐です!
自分の中で、自分だけが見れるそれだけが、真実なんです。本当なんです。私を見てください。私を見ることはできないのに。苦しい。一人で自分を見ているときだけが、いちばん美しい人生が行われています!なのに、人は、他人の言葉は、私の人生に色を蒔いてきて、苦しいです。私に色はなく、私は
見る専でイベントにも行かずSNSで見ているだけだが、コスプレが好きだ。たまたまTwitterにおすすめされた人が美しすぎてフォローして以降、その人のお友達だったり推しジャンルのコスプレイヤーだったりの写真に「いいね」したり写真集を買わせてもらったりしている。
でも正確に言えば私が好きなのはコスプレそのものではなく美人がするクオリティの高いコスプレで、バズっているコスプレイヤーしかフォローしていない。ぶっちゃけ微妙だな……という写真が流れてきた時はミュート一択だ。
結果、私のタイムラインには美人しか残らず、コスプレとは選ばれし美しい人だけが楽しめる特権だという認識でいた。
持論なので異論は認めるけど、コスプレは顔が9割。他でどれだけ頑張っても顔が微妙な時点でダメ。スタイルも衣装もその他諸々も大事なのは分かるけど、何故か顔が良い人は他も良く、顔が微妙な人は他も微妙。
2.5次元舞台沼にも片足を突っ込み、プロの俳優とスタッフによる素晴らしいコスプレを見せてもらえるものだから(ぶっちゃけ衣装は微妙な時も多いがとにかく顔が良いので)、かわいいは正義だと信じて疑わなかった。
コスプレを扱っている某漫画も好きで毎週欠かさず読み単行本も購入しているが、フィクションの世界においてもブスは美人を引き立てる為のモブでしかなく、残酷なまでに美人にしかスポットライトが当たらない。ブスは仲間に入れてもらえず、何だかんだ理由付けされて排除される。
だから私はコスプレが出来ない。だってブスだから。幼少期からブスだといじめられ、整形をする財力も勇気もなく、大人になってようやく「周りも大人だから余計なことは言わないでくれる」環境に身を置けるようになったから虐げられることはなくなったが、「美人 ブス 格差」で検索したらブスのあるあるとして出てくる事例に全部当てはまるから。SNSで見かけるコスプレイヤーは美人ばかりで、稀にTwitterから勝手におすすめされるブスを見ると申し訳ないけど「うわあ…」と引いてしまうから。羨ましいな、やってみたいなと思うけど、やっぱり整形する財力も勇気もないままだから。メイクも自分なりに色々試してみたけど、「なんか頑張ってメイクしてるけどダメなブス」になっただけだったから。
そんなことを思いながら生きてきて、先日偶然コスプレのイベントに居合わせる機会があった。舞台を見に行った劇場がコスプレ会場の隣だったのだ。
衝撃だった。私の知っているコスプレイヤー、一人もいない。
ごめん本当に悪口でしかないんだけど、美人がただの一人もいなかった。
えーと、そのコスプレってアイドルの子だよね?顔が良すぎる設定の天才的なアイドル様だよね?スタイルも抜群にいいんだよね?相撲部が文化祭のウケ狙いで女装してみたコスプレじゃないよね?
そちらは身長190cmあるスポーツ選手だよね?寝っ転がって動画見ながらコーラとカップ麺とポテチ永遠に食べてるニートのコスプレじゃないよね?
そのウィッグはヘルメットかな?すごいテカテカでガチガチなの逆にどうやった?ミニ四駆の塗装とかで余ったスプレーぶっかけた?
イケメンキャラの男装してる人の眉ビーン!目力ドーン!鼻筋シャキーン!みたいなイキってる変なメイクは流行してるの?量産型くらい見かけるんだけど?
肌がニキビ痕とか湿疹だらけなのを隠してないのもあちこちテープが見えてるのも衣装ペラペラヨレヨレなのも後で加工すればいいのかーそっかー、皆楽しそうだな全員楽しそうだなそっかー……
そっかー、好きに楽しめばいいのか。そうだよやりたいことやったもん勝ちなんだよ。
なんというか目から鱗で、もしかしたら私もコスプレをして良いのかもしれないと思えた。顔はスタンプとかで隠して、フォロワーから内心「こいつブスなのにw」と思われながらお付き合いのいいねを1つ2つもらうくらいのコスプレをしても良いのかもしれない。
坂本美雨が、3月28日に亡くなった父・坂本龍一への追悼コメントを発表した。
美雨は昨日4月5日夜にSNSを更新し、約440文字のコメントを掲載。「ずっとずっと、憧れていました。私が生まれた時から父はたくさんの人に愛され、近くて遠い存在でした。父に会いに行く時は、好きなワンピースを着て、きれいな姿で会いたかった」「最期の日々も、そうして会いに行きました」と振り返り、「今、ちっちゃくなってもう一度娘をやりたい」「思いきり抱きつきたい。大好きでたまらない」と素直な思いを吐露した。さらに彼女は「彼の人生は、濃密な、美しい人生だったと思います」と偉大なアーティストとして世界的に称される龍一の人生を称えつつ、「坂本龍一を幸せにしてくれたすべてに、深く感謝します。お父さん、ずっとずっと愛してます」とつづっている。
坂本さんは良い娘をそだてたなあ
合掌
理屈とか抜きで使い分けれて使いこなしてる単語があるものだけどその理屈を、どういうニュアンスで使い分けてるの言語化と言われると難しいだろう。特に方言。
逆に初めて知ったのが書き言葉からだと、たとえば絵本程度であっても、その言葉のニュアンスを真に理解してる自信がないみたいなことある。
たとえば「それはたいそう美しい人で」の「それは」みたいなやつ。絵本とかで死ぬこと聞いてるので自分がなんか物語書くときでも構文して使い所はわかってしまうわけだけど、強調の意味なのだとそれっぽい説明もできそうだが、真のニュアンスってのはわからない。わからないままにみんなの使い方を真似てる感じ、という意味では発達障害がよくいう擬態に通じるものもある。
絵本で知るんじゃなくて絵本で使うような言葉も家庭で積極的に乳児期から話しかけに取り入れてられてれば結果は違ったかもしれない
自分も大人なので、実るわけがないのも、向こうが仕事なのもわかりきっている。そもそもモテるほどはイケてるわけではないからこその風俗通いだからだ。
ただ、わかってはいても、うちから湧き上がる気持ちそのものは本物だ。
去年10年来の彼女と別れたばかりで、つまり10年ぶりの恋でもあり、男女の経験もそれなりに積んでるはずで、このザマである。
いやぁ、でも、そもそもからして人生でこんなに美しい人と巡り合ったのも初めてならば、その人と肉体関係も結べればやっぱり勘違いしてしまうんだな、というのが正直なところ。(見た目、性格、肉体の相性全部、物語のヒロインかと思うくらい自分の理想な人)
この日記を書いているのは、もう会わない方がいいんだろうな、という、会いに行く行為そのものが精神的な自傷であることに気付いたためでもある。(会ったあとに酷く落ち込むので)