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2024-01-20

放置子って昔でいう鍵っ子

うちも母子家庭放置されてたけど、学童クラブに通ってたからまだマシだったのかな。

まあ学童クラブ民度は良くなかったけど。

放置子は学童クラブにすら行かせてもらえてない子どもってことかな。

母曰く「子どもは放っておいても勝手に育つと思ってた」とのこと。んなわけあるかーい。

2023-12-10

anond:20231209202659

鍵に紐をつけておき、首からかけておく。常に。

昭和鍵っ子小学生だった私はそうしていた。

2023-11-05

なんかこないだ「氷河期世代バブル恩恵を受けてないなんて嘘つくなお前らだって学生の時はバブルだろいい加減にしろ!Z世代もっともっとひどいぞ!」みたいなのをついったーで見て

うーん俺ってバブル恩恵受けたことあったっけ?ってよく思い出してみた

まず食事において飢えることはなかった。団塊団塊ジュニアの最もでかい違いは団塊結構割合で「幼児から少年時代にかけての深刻な飢え」を体験していること。団塊さらに親世代戦争で戦ってる世代なので、田舎地主でもやってないかぎりひもじい思いは体験してる。都会で不動産結構持ってる程度では本人も家族も金があっても食い物がないなあなんてことはあったようだ。氷河期世代の俺はその点ひもじくて泣くようなことはなかった。小学校の友人だと「家に誰もいないので火を使うのを禁止されている関係上食い物はあるが食えないおなかすいた悲しいお前の家のみかん食わせろ」なんてことはあったが俺は鍵っ子経験なので。俺が飢えたのは就職手取り15万で親に5万仕送りしてたとき人生で一番やばかった。2001年ぐらいである。そのタイミングで親無職になってんだもんなあ。俺の稼ぎがあと1万2万少なかったら親が立ち直るまで金が持たなくて本当に死んでた可能性がある。

バブルっぽいたくさん食べ物お金を使えたなという記憶はない。マクドナルドハンバーガー60円台で購入できて大量購入して差し入れに使ったり、牛丼の並が安かったりというような思い出の方が強いな。あ、でも中学生高校生の時にフレンチとかイタリアン厨房で皿洗いするバイトはなかなか高給がもらえたぞ。大学生になったとき家庭教師ほどではなかったけど。

世代に金があったか旅行に行ったり留学にいったりしてたんだろう贅沢ものめとかいう話も出てたな。旅行、数えるぐらいしか行ったことない。いわゆる修学旅行を除き、泊りの旅行高校生の時にスキーがたぶん3回ぐらい。親の知人に景気良い人がいてそこの家庭が別荘借りるから便乗とかいう感じなので安くあげた感じであって贅沢旅行という感じは当時もなかった。あとは大学の時にバイトして部活合宿という名前旅行3回。そんなもんだ。小学校低学年までは日帰りで遊園地動物園は年4~5回行ってたと思う。遊興に潤沢にお金を使えたという範囲に下の世代から見ると見えるんだろうか?

団塊世代の親が団塊ジュニアの俺たちに何を重点的に金を使っていたかというと受験対策である受験戦争と呼ばれた。努力して同世代を蹴落とし、よい大学に入りさえすればバブル期にぶいぶい言わせた奴らのような素晴らしい未来が開けていると思われていたのであるバブル崩壊してもしばらくしたらまた戦後復興みたいな好景気がすぐ来るとみんなが思っていた。団塊庶民が持ってた金銭の余裕は団塊ジュニアに軍拡競争のごとき教養を身につけさせるために浪費されるかバブル崩壊で低下した資産に吸い込まれ、贅沢をした者はそんなに多くはなかったのだ。

2023-10-10

欧米ワッショイするのか批判するのかはっきりしてほしい

埼玉県が「子どもを自宅に残して外出、子どもを残し車を離れることについて、小学3年生(9歳)以下は虐待」という条例案を提出して大炎上してるけど、みんな大好きメリケン国では「アメリカでは12歳以下の子どもにひとりで留守番させるのは虐待」というのが今の共通認識になってる。

※州によって年齢が設定された条例が制定されている。

埼玉県メリケン国を参考にしたのは想像に難くなく、また「子どもを残し車を離れること」に関しては昨今の車内置き去り熱中症殺人事件に対する対抗策として提案されているのも理解はできる。

これに対して、市勢の愚民どもは「現実に添っていない」などと批判しているが、メリケンだって30年前くらいまでは鍵っ子が当たり前で、だからこそ「ホームアーロン」といった映画が作られていたわけだ。だが、現実留守番の子供の事故事件が多発した結果、条例が定められ一人での留守番違法となった。

あん関係ないけど最近子供一人で留守番するアドヴェンチャー映画は鳴りを潜め、ベビーシッターホームシッターもの映画が激増している。アメリカ映画はすぐ世相を反映するのでわかりやすくてよい。

当然、制定された当初は批判も少なくなかったっつーか非難GOGOだったが、現実に起こっている子供に対する危機対応するためということで各家庭で何となく対策を取ったり、なんとなく隠匿したりすることで制度に合わせてみんな生活している。

ちなみにメリケン以外でもニュージーランド14歳以下の一人留守番違法法律に明記されているし、イギリスでも親が注意すべき事項が制定されており、それを破って子供に何らかの被害が及んだ場合違法になる可能性がある。

 

でさー。

普段欧米では男女平等がどーのこーの、転職がどーのこーの言う癖してこう言う時だけ日本の政治家はバカだのなんだの言うやつらはなんなの?見習うべき指標であるメリケン様がやってんだから日本でもやりゃいいじゃん。

こういうときだけ「欧米日本は状況が違う」云々言い出す奴、ホンマむかつくわ。

だったら普段から欧米日本は常に状況が違うっつーの。

結局、自分利益があること以外は参考にしたくないんですーっていうの、マジでなんなん?って感じ。

2023-10-07

anond:20231007225826

もう少し上の世代(当時高校生くらい)だが、普通に共働きで当たり前だったけどなあ

まあ母親パートデフォだけど、その話も友達ブティック手伝うって程度の設定だろ?

別に周りも含めて特別貧乏だったわけでもない

その作品知らないけど当時としても感覚古くない?

と思ってぐぐったら

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%9A%E3%81%8D%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93

原作秋元康

お、おう…

あと原作1992年

そうだとしても子供が小5なら母親パート出てるの普通だったと思うけどなあ…

未就学児が(幼稚園ではなく)保育園とか、小学校でも低学年なのに鍵っ子だったら貧乏家庭ってイメージはあったと思うけど

いつから夫婦共働き普通になったんだろう

実家に戻ると誰が買ったかあずきちゃん(1995〜1998年までNHK放送)のDVDがあったので懐かしいと思って再生している。世代として完全ドンピシャな俺からすると「懐かしー!そうだったそうだった!」と共感することが多く、

ヨーコちゃん携帯学校に持ってきて一躍人気者になったり、運動会父親ハンディカムを奮発して購入したりだとかはもうなんか逆に泣けてくるぐらいだ。

その中で、お母さんが友だちの運営するブティック(?)を手伝う回がありそれを聞いたあずきちゃん顔面蒼白になり

「お母さんが働く!?うちってそんなに貧乏だったっけ!?

というシーンがあった。たしかに言われてみれば俺も当時共働きは少し貧しい家庭というイメージがあったし、同時に鍵っ子という言葉もあった。

しかし、今は女性社会進出もあり共働きはむしろ普通だし鍵っ子という言葉自然に聞かなくなった。

ここで思うのはタイトル通りで、だいたいいつ頃から共働き普通になったのか?ということだ。自分イメージだと2003年前後だと記憶しているが、どうだろう?

2023-08-29

しん泣きヴィラン属性が酷すぎる

一人っ子

・親は共働き

鍵っ子

・夕飯は一人でコンビニ弁当

運動会に親が来てくれず

・両親W不倫離婚

中学の頃はイジメられ

派遣社員

ティッシュ配りの業務中に上級リーマンから加虐

ドルオタ

推し保母アイドル結婚引退

フェイスブックとインスタを憎悪

・画面に写った自分の顔にガチギレ

今日からキミも非理谷充(非リア充)だ!

2023-07-28

ヘブバン知らないのか。はてなーはなぜ興味も知識もないのに一家ぶってしまうのか

Hige2323 向こうの市場ソフト資産翻訳商売する分には悪くない買い物なんじゃないの/日本市場リメイク商売で元鍵っ子相手に小銭稼ぎ位しかする事なくない? ゲーム 中国

bohemian916 keyタイプムーン、なぜ差がついたのか… 慢心、環境の違い

sd-craftあいいんじゃない、もう日本では市場いか作品もでないし

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.denfaminicogamer.jp/news/230727p

2023-07-23

幼い時に植え付けられたトラウマ、こえー

いやまあトラウマってほど大層なもんじゃいかもだけど。

俺は典型的な多動性障害を持った子どもだった。コミュニケーションが下手な故のトラブルは絶えず、貧乏ゆすりは止まらず、目線は常にあちこちを飛んでいた。発達障害の子どもに多く見られる体幹が弱いっつー特徴も持っていたから、周りからはふにゃふにゃのがちゃがちゃの変なやつだと思われていただろう。冗談だか本気だかわかんないが、「背中ものさしを入れとけば」なんて言われたこともある。

そんな俺でも、幸運なことに、友人や学校先生家族には恵まれ、ある程度の自己肯定感を持って生きていくことが出来ていた。親が転職し、学童保育に預けられるようになるまでは。

オモチャがあって、マンガがあって、オヤツがあっても、あそこは俺にとって苦しい場所だったと思う。

仲良い子で学童に通ってたのが自分だけで、そんでちょっと虐められただとかか、学童のセンセイがイジワルだったとか、色々あったけど。

今でも思い出すのは、オヤツの時間のことだ。

時間になったら、みんなオモチャ仕舞い、マンガを片付け、、席に着く。

センセイ達がオヤツを広げ、紙皿やスプーンフォークを並べる。

そして、その日のオヤツ係が2人、窓際のホワイトボードの前で今日オヤツを読み上げたら、次は、選別タイムだ。

長机に10人くらいずつ、それを何班か、分けて座ってるトコの、「お行儀のいい」班を選んで呼ぶ。

呼ばれた班の子たちからオヤツを盛りに行っていい。そういうシステムが作られていた。

「あそこは、みんなせすじをよくしてるから、よぼう」

「あそこは、あのこがきたないすわりかたをしてるから、あとにしよう」

オヤツ係の2人が、そう小声で相談している。あのこってのは、俺のことじゃないだろうか。こわい、こわいな。ちゃんとまっすぐ、すわれてるはずだよな。そうだよな。息を止めて、まばたきをがまんして、キレイ姿勢を保とうと必死になる。前を見りゃ、対面に座ってる子も、同じ顔をしている。

そうやって、よく分かんねえ、けど確かにくそ重い重圧を、楽しい楽しいオヤタイムの前に味わわされるのだ。

今になって考えて見りゃあ、なんとも残酷な事をしているなぁ、と思う。ジャンケンでもさせて、勝った順に取りに行くって方が随分マシだろと思う。

何が辛かったって、俺がふにゃふにゃがちゃがちゃになる時ってのは結構ムラがあって、そんな時は自分で頑張ろうとやってみたって、ちゃあんと座ることが出来なくなることだ。そんな時は、最後に呼ばれた同じ班の子たちから、恨みを買うことになる。

の子たちからしても迷惑だったろうが、そんなん俺が1番つらいんだよな。どうしろってんだよ。お行儀をよくするためのしつけなんだかわかんないが、ただそばで黙っているだけのセンセイ達は、冷たい目をしていた。

ある日、いい姿勢ってなんだっけ、まっすぐってなんだっけ、ってわかんなくなった。そんで、どうにか、首の角度、手の置き方なんかを調節していたら、がちゃがちゃしてると思われたのか、

「俺さん以外、行ってください」

オヤツ係に宣告された。

泣くかなんかしたんじゃなかったかな、あん時。

覚えてねーけど。

つらかったな、って思う。

から高学年になって鍵っ子ランクアップして、学童をやめた時は開放感が凄かった。鍵を忘れて家に入れなかったりしたこともあったけど。

あれから成長して、歩き方だの座り方だの、そういうのはだいぶマシになったと思う。たくさんスポーツをやって、人前に出るための努力もしたりして、もうふにゃふにゃのがちゃがちゃの子ではなくなった、と思う。

けど、やっぱ人間ってのは不安になってしまう生き物だ。ふと自分がマトモな人間であれているかおかしいヤツに見えてないか不安になってしまう時がある。今変な動きしなかったかな、今あの人に変なことしなかったかな、大丈夫かな、こわいな、ちゃんと出来てるよな。考えれば考えるほど分からなくなっていく。意識が溶けて、保てなくなっていく。

そーいうとき、あの声がしないか不安になる。

「俺さん以外、行ってください」って。

幼くて、残酷な声が。

2023-06-20

昔の親はマナーが良かったそれに比べて今の親はーの理不尽

子供だけで道路で遊ばせたり、家の前にビニールプールで遊ばせたりするのがマナー悪いとしたら、今より死ぬほどマナー悪かったがな。

なぜそう思うのかというと、私が氷河期世代田舎育ちでまさにめっちゃくちゃ大声で道路で遊んでいた世代からなんだけども。

テレビつけたらゴールデンタイムおっぱいぽろりで、おっさんは道にタン吐いて、電車の中でタバコ吸って道や線路は吸い殻まみれでみたいな時代に、何で母親だけは今よりずっとマナーが良かったってなるんや。

赤ちゃんだけ家に残して出かけたり、働く母親子供学童に行かせず鍵っ子普通幼児だけで遊びに行かせたりも普通にするユルユルが昔の親っしょ。

2023-04-05

身内に金銭トラブルを抱える人間が多い

 身内男性金銭トラブルを抱える人間が多い。あまり詳細に書くと特定されかねないから多少のフェイクを入れるけれど、

祖父は死後にギャンブル借金を抱えていたことがわかり、それも借金元がいわゆる闇金業者のような所で利息含め何百、何千万単位での返済を求められ、祖母が周りに頭を下げ貯蓄も何もかも全てをかき集めて返済に充てた。

・従兄弟学生時代から続けていたらしいギャンブルで友人、知人への借金が膨れ上がり、返済のために消費者金融から数百万単位での借金をして首が回らなくなり従兄弟母親に泣きつき、それでも返済が追いつかず結局叔母である私の母親借金を立て替えた。

・小さい頃から仲良くしていた親戚のお兄さんは、酒とギャンブルにはまり借金を抱え、当日幼稚園児と新生児だった子供奥さんを残して単身赴任先で首を吊った。

 こういうことがあって、私は本当にお金人生や縁を本当に狂わせることを思い知ったから、お金が無くなることが怖くて仕方がない。だから就職を考えた時、自分がやりたい仕事よりもとにかく安定した仕事をと考えて資格を取り、公務員という道を選んだし、社会人になり一人暮らしをしているけれど、自炊をして毎日チラシを見ながら少しでも安いスーパーを数件ハシゴするくらいには無駄お金を使いたくないと思っている。

 母親からはよく「財布の紐がかたい」「ケチだ」と言われるけれど、お金に困ることへの嫌悪感が凄くて、毎日自分の通帳の残高を見て安心している。数年前に大きな病気をした時も、治療のことよりも治療期間は働けない上に治療費でお金が無くなることの方がすごく怖かった。

 そんな風に毎日を過ごしていたというのに、先日、実の兄に金銭トラブルが発覚した。

 どうやらクレジットカードを作る際、自動的リボ払いとなる設定になっていたようで、しかズボラ性格故そのことに年単位で気付かず、結局気付いた時には数百万の借金を抱えることとなり、その返済に充てるため消費者金融借金をしたらしい。

 その話を母親から聞き、私は呆れとも絶望とも言えない感情を抱いた。兄だって、今まで身内が金銭トラブル人生を狂わされた所を沢山見てきたはずなのに。何よりも、小さい頃は大好きで尊敬していた従兄弟借金を抱えた時、ゴタゴタの中で実は母親祖母に預けていた私と兄名義の預金を全て従兄弟が使い込んでいたことも同時に発覚して、そのことで激怒し従兄弟没交渉になってしまっているくらいには、借金に対して恨みを抱いているはずなのに。どうしても私は、兄が身内と同じ道を辿ろうとしているように思えてしまう。

 そしてもしかすると、いずれは私も同じくお金人生を狂わされるのではないかと思ってしまう。今はそのことが本当に怖い。

 忘れられない光景がある。

 親戚のお兄さんの葬儀の際、私も手伝いに親戚宅へ行っていたのだけれど、その時、それまで気丈に振る舞っていたお兄さんの奥さんが、奥さん親友だという女性が訪ねてきた瞬間、別室にいた私たちにも聞こえるくらい大きな声を上げて泣き崩れた。そりゃあ、そうだ。まだ幼い子供二人を抱え、夫は自分の知らない借金自殺。その当時、私はまだ学生だったけれど、今から考えると彼女はいつ泣き崩れてもおかしくなかったのだ。寧ろ、よくそれまで私達に涙の一つも見せず葬儀を準備を進めていたことだと思う。

 そして、全てが終わった後に待っていたのは責任押し付けだった。「どうして気が付かなかったの」「単身赴任じゃなく家族でついて行ってあげれば良かったのに」そんな言葉を受け、奥さんはとうとう親戚とはほぼ縁を切り、今ではその当時から相談に乗っていた私の母としか連絡を取っていない。

 そういう光景を昔から見てきた。そして何よりも、祖父借金然り従兄弟借金然り、結局ほとんどの借金を私の母親が肩代わりしていることに物凄く嫌悪感を抱いてしまう。

 私の母親は、高校卒業してから定年までずっと同じ職場で働き続けていた。時代のせいだったらしいが私は生後50日で保育園に預けられ、物心がついた頃には朝から夕方まで保育園で過ごすことが普通だったし、小学校に上がると当然のように鍵っ子で、低学年の時は17時まで学童に預けられ、高学年になると家に帰ると洗濯物を取り込むのが私の役割だった。

 小さい頃からの私の口癖は「専業主婦のお家のお母さんが羨ましい」で、母親はその言葉を聞くたび胸を痛めていたらしい。…今思うと本当に残酷なことを言っていたと思うのだけれど、当時は確かにそう思っていた。それでも母親は、「貧乏な家で育ったから、自分の子供には貧乏な思いをさせたくなかった」と言っていた。確かに、私の父親はよくテレビCMも流れているほど誰もがよく知っている会社に勤めていたし、おそらく当時の経済状況から見ても母親正社員で働く必要性はそれほどなかったと思う。

 それでも、そんな思いを持って働き続けていた母親が貯めたお金を、どうしてくだらないギャンブルで作った借金の返済に使われなければいけなかったのだろう。月々数万単位母親に返済を続ける従兄弟のことを、借金を残して死んだ祖父のことを、私は許せない。「もうこのことは話し合って解決たから」と言われても、従兄弟には二度と会いたくないし罵声を浴びせてやりたいくらいには憎い。

 同年代の親戚で私は唯一の女性で、だからなのか比較的穏やかだと思われているようだけれど、心の内を曝け出さないだけで従兄弟のことは本当に馬鹿だと思っているし、そんな従兄弟を育てた叔父と叔母のことも好きになれない。なのに、叔父最近になって老後のことを気にしているらしく「結局お前にも俺たちと同じ土地の血が流れている」だの何だのと言ってくる。要するに、「従兄弟奥さん義理の娘だと言っても結局他人から老後の面倒は見させられない。何かあった時は頼む」と言いたいのだろうけれど、まっぴらごめんだと思っている。

 そんな風に嫌悪していたのは、「死んでもお金のことでトラブルを起こしたくない」と思っていたのは、私だけだったのだろうか。

 どうやら、母親はまた兄の借金も肩代わりするつもりらしい。「どうやってお金をかき集めよう」と電話口でため息を吐かれたけれど、「じゃあ私もいくらか出そうか」とは言えなかった。私だってお金にすごく余裕があるわけじゃない。それに、自業自得で作った借金を立て替えてあげる気になれない。

 ずっと言いようのない恐怖が胸に渦巻いている。私もいつかお金に困る日が来るのだろうか。消費者金融に手を出してしまうようなことを起こしてしまうのだろうか。兄の話を聞いてから、その気持ちが一層強くなった。

 私だって、全く無趣味なわけじゃない。寧ろ人よりもお金のかかる趣味を持っている。ただ、自分のお給料から貯蓄に回す分、生活費等を差し引いた金額計算し、できる範囲での出費を心がけているだけだ。だから、正直そこまで生活に余裕があるわけでもない。ただ、確かに同じ趣味の界隈では「借金をしている」だの「リボ払い地獄だ」だのという話も聞く。今のところ、そこまで深くのめり込む予定もないし大丈夫だとは思っているけれど、それでも、ふとしたきっかけでそちらへ足を踏み入れてしまうのだろうかという不安が拭えない。

 お金人生を狂わせるから、狂った人が間近にいるから、本当に怖い。私もいつかお金人生を狂わせてしまうのだろうか。その時には、殴ってでも引きずり倒してでも私の目を覚めさせてほしい。

 こんなこと誰にも言えないから、ここで吐き出しました。長文ごめんなさい。

追記

 感情のままに書き殴った文章に色々と反応があって驚いています複数の方から増田なら大丈夫だよ」と言っていただけて、根本的な考えは変わらないものの、少しだけ安心しました。

 以下、追記になります

祖母に通帳を預けていたことについて。

 援助の目的はありませんでした。どなたかも書かれていたように、母が私と兄が成人した時に渡せるようにとそれぞれの名義の通帳を作り、纏まった金額預金していたそうです。ただ、「手元に置いておくと少し困った時などふとした拍子に使ってしまうかもしれない」と思い、そういうことができないよう、通帳を別居している祖母に預けていました。それをお金に困った従兄弟(叔父夫婦と従兄弟祖母と同居していました)に泣きつかれ、祖母が渡してしまったそうです。

性別について。

 話の全体像が見えないことと関係しているか不明ですが、文章内でも書いているように私は女性です。内容がわかりにくいことに関しては、先述したように本当に感情のまま書き殴ってしまったので理解しています。読み辛くて申し訳ありません。

自己破産について。

 私は正直、自己破産でも何でもして責任を取らせれば良いのにと思っています。ただ、田舎者の性なのかただのお人好しの馬鹿なのか、母は今後のことを考えて自分達が助けられる範囲なら助けてやりたいと考えているようです。そのことについては従兄弟の件があった際に私も意見しましたが、「関係ないんだから、口を出すな」と言われてしまいました。それなら借金のことも何もかも私に言わないで欲しかったです。結局、母の方も私以外にそういう話を吐き出せる相手がおらず、私は捌け口にされているだけなんだと思います

祖父借金について。

 消費者金融から借りたわけではなく、本当に闇金のような所から借りていたようです。なので、

取り立てが直接祖母の家にやってくる→祖母は同居している叔父夫婦にはこんなこと言えないと預金を崩し、足りない分は親戚や友人・知人方からお金を借りて回り返済をする→お金を借りた親戚や友人・知人に返すことができずとうとう私の母親叔父夫婦に打ち明ける

 といった流れでした。ですので相続放棄以前の問題だったのです。

・私の趣味について

 舞台観劇です。好きで応援している役者さんもいます。といっても頻繁に劇場へ足を運んでいるわけではなく、平均すると月に1.2度ほど観劇している程度です。パンフレット等のグッズも購入しますが、あくま自分収入で賄える範囲を心掛けていますとはいえ地方公演のため遠征することもありますし、1枚で1万円近くするチケットを月に何枚も購入するなんて、とよく言われるため人よりお金の掛かる趣味を持っていると書きました。

 FPなど資格を取得してはどうかという意見ありがとうございます。大きな病気(20代なのですが、数年前に癌と診断され治療を受けていました)をしてしまった後で、体調と相談しながら仕事復帰をしたばかりなので、今すぐ行動に移すのは難しそうですが、将来のことを考え勉強していきたいと思います

2023-01-14

今の親は大変だな

朝歩いてたら通学してる小学生みんな親が一緒に登校してた

班登校するところまでなのかもしれないけど毎朝大変だなぁと思った

長野公園廃止させた話で児童クラブに100台近くの車が迎えに来るという話を聞いて、わざわざ大変だなと思った

田舎者アラフォー鍵っ子だった自分からすれば勝手学校に行くし、児童クラブはなかったけど家でテレビなり友達の家で遊んでたのでなんか違う世界を感じた

今はそういうわけにもいかないんだろうなぁ

子育て全然向かねーじゃん

2022-11-23

anond:20221123125413

鍵っ子元増田では取り上げられてないが、これも死語だな)とかみたいに、社会一般化したために特別呼称を付けて区別する必要がなくなった類の事物では

当時は水の節約のために朝シャンは避けようなんて言説があったが、SDGs現代社会で、出勤登校前にジョギングとかしてシャワーで汗を流すのは止めようとか言われないのは面白い話だなと思う

2022-10-12

子供を作る人の気が知れない

anond:20221012041224

この増田見ておもったことを書く。

なお自分は女だが子供の頃の交通事故のせいで子を成す器官を部分的に失っている。治療などしたら人工的に産めるかもしれないが、産む気はない。それでも構わないという人と結婚している。養子縁組治療も一切してない。

から自分は(あくま気持ちの上では)選択子なしである

 

もしも自分が五体満足であったもしても、子供を産む選択絶対しなかったと断言できる。

その理由をここに書いていこうと思う。少子化リアルな原因が見えてくるかもしれないから。

 

 

理由① 巷で見る母親が羨ましく見えない

きょうび、女性に課せられたのは出産子育てたけでなく、+仕事介護があたりまえとなっている。これは、女性本人が望むと望まざるとに関わらず、一馬力では子育てできない事を意味しているのだろう。

保育施設の前、塾の前、スーパーの中、駅などで子供をつれたお母さんたちを見ることがあるが、皆一様に肌ボロボロ・服は適当。それだけでなく、忙しさのあまりか、子供キツイ言い方・なにかするたび叱ってばかり。

自分母親がああだったら、子供心に「自分邪魔なんだな」と感じてしまうだろう。

 

理由② 子供がかわいそうだから

先の理由と少し似ているが、鍵っ子で塾通いしている子どもたちは親と接する時間が短すぎる。数少ない親との時間では叱られてばかり。夜遅くまでやってる進学塾なんて虐待権化でしょ。

友達同士で遊びに行ったりとか、季節の移ろいを感じたりとかもできないんだろうな。帰り道の落ち葉を踏み鳴らして遊んでたら「早く帰るよ💢」って叱られるもんな。

大人になってからも頑張って入った会社で頑張り続けるだけ。一瞬も楽しかった記憶を辿れないんだよ。人生ずっと辛いよ。

辛いことのほうが多い人生を、親の快楽ときで生み出してはいけないと思う。

 

理由③ ハイリスク・ローリターンの降りれない博打から

競馬競艇みたいな国営博打とは違って青天井、一度賭けたら二度と降りられない。障害者になるかも。犯罪者になるかも。健康普通大人になっても、ブラック企業で使い潰されるかも。詐欺に合うかも。結婚も自立もできずにこどおじ(おば)になるかも。22歳超えてから「お母さんお父さん助けてくれ」って言われても助けてあげられるか?

そんな最悪の未来だけじゃなくても、進学や習い事にとにかくBETする必要がある。公立学校学費が浮いたとたん「オーケストラ部に入りたいかチェロ買って!」とか言われるかもよ。

100万円単位お金を常にポンと出してやれる環境じゃないと、子ども大人勝手な都合で悲しませることになるってこと。そんなの耐えられない。

 

 

どう?子供を生むことがいかに野蛮で自分勝手なことか分かった?

2022-09-26

anond:20220925000824

その理屈だと、家父長制の中で子ども権利を守っていくのもOKになるぜ

共働き鍵っ子を量産するよりも子どものためになるんじゃない?

女性の権利を向上させたい」ってはっきり言えよ その理念は間違ってないんだから

そこを誤魔化すからいつまでもアンフェが「じゃあ男性権利はどうなんだ!」って言ってくるんだよ

女性の権利以外は自分たち仕事じゃないって言わなきゃならんよ

2022-09-11

きょうだいについて

 人間の脳とはどうにも不便なもので、積み重ね続けているはずの明るく優しい記憶はその隙間に挟まる嫌な記憶に塗りつぶされてしまう。古来より経験から学習して危機回避するために必要仕様なのだと考えれば理解はできるのだが、現代に慣らされたわたしにとっては、ずっと自分を縛り続ける鎖のように重苦しい。

 虐待、という言葉日常的に――さまざまなニュースネット記事大学の授業、書籍なんかで――目にする。その程度に軽重はなく、そしてその辛さに貴賎はなく、当事者が辛かったと感じ、または自覚なくとも傷つき、倫理と法に照らし合わせたときにそう判じられたのなら、それは虐待になるのだろう。

 多くの人が、まずぱっと想像するのは保護者から子への虐待であろう。母から、父から扶養から祖父母から。近年では、養護者による高齢者に対する虐待問題視されている。わたしiPhoneに標準搭載された辞書によると、虐待とは「むごい取り扱いをすること」。調べれば、厚生労働省による児童虐待のページも出てくる。それによれば、児童虐待は「身体虐待」「性的虐待」「ネグレクト」「心理的虐待」の四つに定義されるらしい。なるほど、思いつく大体はさらっていそうだ。長くなるのでそれぞれの具体的な例は省略するが、暴力言葉による脅しなどが挙げられている。

 そして、本題である

 きょうだい間の虐待を知っているだろうか。

 寓話だと、シンデレラの義姉が一応それに当てはまる。義理の兄姉、弟妹、そして実のきょうだいから虐待である

 わたしは未だ、自らのそれを虐待ということに疑問を覚えている。確かに暴力があって、辛い言葉があった。けれどやっぱりきょうだいから、そして自分でも信じられないことに、生まれてこの方家族のことを明確に「嫌い」になったことがない上、いくつかの発端は自分に非がある喧嘩だった覚えがあるために、はっきりとした定義けができないのだろう。

 でもたぶん、あれは虐待だった、と言っていいのだと思う。

 わたしには、四つ上の姉がいる。はっきりとした実感では思い出せないが、間違いなくわたしは姉が好きだった。生意気だったし、変な子どもだったけれど、姉のやることをいつも真似して、遊んでほしがった記憶がある。面白いと言っていた漫画を読んで、図書館で本を借りて、拙い四コマを描いていた。女の子のお人形ミニチュアが家にあったから、それで一緒に遊んでほしかった。まあ姉は真似されるのを嫌がっていたし、あまり遊んではもらえなかった気がするが。母に諸々が露見するまで部屋も一緒で、二段ベッドの上下で眠っていた。

 ひとつ、間違いなく自分に非がある発端として思い出せるのは、借りた本のことだ。当時姉はあるシリーズ小説にはまっていて、それをわたしも読んでいた。今思うと意味が分からないのだけど、ホラー作品の影響か、知らない内に血痕が増えていたらおもしろいだろう、と、当時のわたしは考えた。ちょっとした騒ぎになることで、家族の気を引きたかったのかもしれない。馬鹿な思いつきで、抜けた歯かなんかの血液を、本のページになすりつけたのだ。

 単純に汚いし、本当に意味不明だ。弁償しろと言われたらそうすべきだし、怒られたら謝るべきだ。

 姉は怒った。当たり前だ、妹が自分の本を読んでいたと思ったら、返ってきたときに謎の薄茶けた汚れが付いていて、あまつさえそれが不衛生な血液なのだから生理的に拒絶して責められても仕方ない。

 それで、姉はわたしを蹴った。蹴って、床に置いてある座布団の上に転がして、そこで背中を踏みつけた。座布団の上だったのは一縷の優しさなのか、当時の部屋は恐ろしく汚かったので、床に放置された物ものわたし身体が潰すのを嫌がったかもわからない。とにかくそんな感じで、わたしは泣いて謝って、しばらくののちに姉は怒ったままひとまず足を退けた。本をどうしたかは覚えていない。

 そんな調子だった。二人とも通っていた小学校の校門前で、下校時刻にみぞおちを蹴られて――これは何が原因だったか忘れてしまった――動けなくなり、野次馬にじろじろ見られながらどうにか帰ったこともあった。姉はさっさと帰ってしまったので、持っていた傘を杖にして耐えていた。わざとかどうか分からないけれど、的確にみぞおちへ爪先が入って、ちょっと吐きかけた。

 ここで弁明しておくのだが、両親は見て見ぬふりをしていたわけではない。というのも、わたしたちは鍵っ子で、昼間は父母ともに家にはいなかったのだ。そういったいざこざが起こるのは大体ふたりが帰ってくるまでの時間帯だったので、そしてわたしは姉に言い含められ、かつ自分の受けているダメージの深さに無自覚だったので、親にあまり言い募ることもなかった。父母の見ている前で姉の手が出たらさすがに止められたし、姉は叱られていた。まあそれによって機嫌の悪くなった姉の言動さら悪化することもあったのだが、とにかくそういうことだった。

 契機は、特に姉の機嫌がひどい夜だった。母は父を迎えに行っていたので、両親ともいない。子どもは夕飯もお風呂も済ませて、あとは寝るだけという時間だった。

「ねえ、電気消して」と言われて、わたしは断った。前述したが、わたしたち姉妹は二段ベッドの上下で寝ていて、付け足すと姉が上段、わたしが下段だった。部屋の照明にはよくある紐が付いていて、天井の真ん中から垂れている。姉のいる上段からは手を伸ばせば届くが、わたしは一度ベッドから出ないと届かない。舌打ちが聞こえた。電気消せよ、と言われて、お姉ちゃんの方が近いんだから自分で消してよ、ともう一度断った。それで、姉は怒った。

 足音を荒らげてはしごから降りてくる音に身体が強ばった。怒られるんだと思うと本当に嫌で嫌で、それでも、今日ばっかりはわたしは悪くないのだから、と頭の中で唱えていた。電気をどっちが消すかなんて、どう考えても至極どっちでもいい張り合いだ。変な意地は、それでも道理に合わないことに従いたくない一心で、そのあとに予期される出来事よりも優先されてしまった。

 ぎゅっと身体に力を入れ、壁側に背中を向ける。お腹は内蔵に直接響いて辛いので、せめて背中側ならという発想だった。ベッドから引きずりだされるのが一番怖くて、でもそうはならずに、背を向けたわたしへ、そのまま足が飛んできた。電気消せよ、消さない、の、文字だけだと死ぬほどしようもない、馬鹿みたいなやり取りをしながら、ひたすら泣いて背中を蹴られていたと思う。どれだけやってもわたしが動かないことを察したのか、姉は苛立たしげに身を引いた。そして戻り際、「絶対チクんなよ」と残してはしごを再び上がっていった。電気はそのままだったので、結局どっちが消すかなんてやっぱり大事じゃなくて、「妹が自分の言うことを聞かずに口ごたえしてくる」ということがとにかく気に食わなかったのだろう。

 ほどなくして、父と母が帰ってきた。ただいま、と言って部屋に入り、声をかけてくる母からわたしはとにかく顔を隠した。顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、それでもうまく強ばった身体は動かない。異変を察知した母にどうしたのと問われても「なんでもない」で通した記憶があるが、声が震えてぼろぼろだったので、そんな嘘はあっけなくばれてしまった。

 そのあとは、わたしリビング、姉はそのまま自室にと引き離され、事情聴取が行われ、部屋はやっぱり離すべきだ、という結論に両親が落ち着いた。そのあともしばらく姉の気性は荒かったが、思春期の前半を過ぎて彼女高校に入ったあたりから本格的に落ち着いて、そんな騒動はぱったりと止んだ。ギターで頭を殴られたりだとか、背中ものを投げつけられたりだとか、怒って一瞬包丁を持ち出されたり(見せられただけだったが)だとか、壁に首を足で押さえつけられたりだとか、まあ色々あったが、そんな感じだった。

 「口ごたえするな」「使えない」「気持ち悪い」「何で生まれてきたの」――そしてまた、言葉というのは厄介で、簡単に口からこぼれるのに、言われた側はその感情まで受け取ってずっと抱えてしまう。身体に対する物理的なあれこれは間違いなく痛くて、それも勿論辛かった。でもたぶんその根本にあるのは、自分がそういう扱いをされていること、そうしてもいいと思われていること、好意や情の非対称性だったのではないかと今は考えている。お前は愛されていない、だめな人間で、嫌われていて、いない方がよかった。それの真偽はともかくとして、真正から突きつけられるには痛すぎる。身体的な暴力は衝撃的に覚えているけれど、思い出したときじわじわと首が締まっていくのは言葉のほうだ。そして、日常的に放り投げられるのにいつだって避けようがなかったのも、言葉のほうだ。

 姉はいわゆる癇癪持ちというやつで、怒ったら自分制御ができずに手が出てしまっていたのだという。でもそれが友人に向くことはなかったし、たぶん妹は格下の、彼女にとってそれをしてもいい人間だったのだろう。自分の中で、怒ったら手が出てもいいし、ひどい言葉を投げてもいいし、言うことを聞かないのはおかし存在。何なら、日常的に何を言ってもいい存在

 幼い頃から培った「この人と自分平等ではない」という意識根深い。何ならそれは今でも、姉妹揃って無自覚に残っている。実は現在姉妹間の仲はそこそこに良好だ。ただその前提に、姉は大人になったけれど、間違いなくわたしのことは下だと思っている。わたしは大きくなったけれど、姉に対して嫌に思うことがあっても諦めているし、そういうものだと思っている。そういう暗黙の了解存在しているから、比較的穏やかな日常保証されるようになった。

 でも、色々なことがぼやけてしまった幼少期の記憶の中で、ぐちゃぐちゃとした嫌なものばかりが輪郭を持ち続けて、わたしはそれを手放せない。姉と笑顔で話しながら、ふっと影がよぎるみたいに、昔のことを思い出してしまう。やっぱり、した側が覚えてなかったとしても、された側は覚えているものらしい。

 この文章は間違いなく恨み言だ。でも、これを姉にぶつけたいわけじゃない。やっぱり姉のことを嫌いになりたくなくて、でも傷ついた自分のことも認めてあげたくて、好きなものが好きでいたいだけだ。だから、取り残された感情記憶を吐き出して保っている。

 わたしは今も、生まれ育った家で姉と共に暮らしている。実家を出ようとはあまり思っていなかったのだが、最近になってふと、「この人と一緒にいたら、わたしはこの先もずっと自尊心を削られつづけるんだ」と悟って――そのうち、家を出なければならないことに気がついた。母は姉を出すと言っているものの、姉を一人暮らしさせてうまくやっていける気がしない(わたしもあまりできる自信はないけれど)ので、全員の健康を考えたらそのうちここを離れることになるのだろう。

 あのときと比べて、身体はずいぶん大きくなったし、精神成熟したところはあるはずだ。それでもわたしはまだ、自分の中にずうっと、声を殺して泣いている子どもがいるような気がしている。

2022-08-24

anond:20220824003333

そりゃ、3・40年前は共働き世帯の子鍵っ子20年前の一部オタクのことではない)なんて言われて可哀想な子扱いされてたわけだし

2022-08-21

変質者に6回会ったことがある

 

 

自分が生まれ育った土地に帰ってきた。

23区の閑静な住宅街と呼ばれるあたり。

実家も近くて子育てやすくて助かるなー

とか考えていたとき、ふと思い出した。



私が小さい頃に遭遇した変質者たちはまだこの町にいるのかな?



まりはもう30年近く前だけど

人生の中で、この町で、5回変質者に会っている。

参考になるか分からないけど一応手口とか書いてみるね。


①道に迷ったお兄さん

初遭遇にして一番悪質だった。

友達と下校中に声かけられて

駅までの道が分からいから教えてほしいと。

口頭で伝えても分からないって言われて

地面に地図書くから〜って植え込みの陰に連れてかれて

地図書く間、目つぶっててくれる?と言われ。

当時小1で人を疑うことを知らない女子だったので

友達と共に素直に目をつぶったら

キュロットのしゃがんでできた足の隙間から

パンツの中に指を突っ込まれた。

その頃は性的知識は全くなかったけど

さすがに何かおかしいと思って友達学童に駆け込んだ。


②陰部を落としたお兄さん

 

これまた小1、友達と下校中に声かけられる。

『これどこかに落ちてませんでしたか?』

と言ってポラロイド写真を見せてくるが

写っているのがおちん○ん。

厳密には自分はお○んちんだと認識してなくて

見てないでーすって通り過ぎてから友達

『あれおち○ちんだったよね?』って言われた。



③唾液の研究をしているお兄さん

これは小2の下校途中。白衣を着た人が試験管を持って

『唾液の研究をしてるからツバをくれませんか?』って。

しかもこの人はすでに男子数人のをゲットしていた。(男子もその場にいた)

後になって、精神年齢低い男子を味方につけてから

女子同調圧力集団心理?使うって賢いなーと思った。

元々男子狙いの可能性もあるか…気持ち悪いのでスルーした。



ステレオタイプおっさん

中1の部活帰りの暗い夜道で、

コートパカッ!全裸!っていう旧時代の変質者にあった。

今までの人は若めだったけどこれはおじさんだった。

すでに変質者慣れしていたのでスルー



自転車往復お兄さん


高2だったかなー、自宅から最寄駅に歩いてたとき

かいからチ○コだして自転車に乗った人(服は着ててズボンから出してる感じ)が

『これ見たことある?』と言って通り過ぎていった。

たか、、、と思ってスルーして歩いてたら

また前から同じ人が自転車でやってきて

何も言わずにゆっくりと横を通り過ぎていく。

携帯見て、気にしてないふりしてたけど、

自転車vs徒歩で勝ち目なくてめっちゃ怖かった。

早足で人通りのある道に向かったけど4回すれ違った。

(ちなみにこの人イ○パルスの堤○に激似すぎて、申し訳ないけど今でも○下嫌い)


その他にも、鍵っ子がドアを開けたタイミング

押し入られるみたいな事件流行った頃、

帰宅中に後をつけられてるな〜とかはあった。


ちなみに全部、学校学童〜自宅間での出来事

書いてて思ったけどめっちゃ治安悪くね?

でも女子ってみんな何かしら被害受けてるよね?

性犯罪って身近だよね?

昔はこんなことがあっても、不審者はいるの前提で

先生に話しても親に話しても警察通報とかはなくて

もっと自衛していこう!気を付けよう!』

って感じだった気がする。

知らんとこで通報してたのかも分からんけど。

n=1だからなんの参考にもならんけど

下校中の低学年が狙われやすいのか。。。

今は学童が送り迎えしてるから平気なのかなあ

①とか③とか、そんなん引っかかる?って思うけど

低学年ってまじピュアピュアだったからな…

の子供なら大丈夫なのかな…



うそうそれでさ、ほとんどが20代〜30代ぽかったか

現在50代〜60代になっているとして

まだ変質者やってるのかな?

まったり性欲が衰えたりでもうやってないといいのだけど。



我が子が小学生になった今、

この人たちがまだこの町にいるかもと思ったら

なんだか怖くなってしまって。

親子で同じ被害受けましたとか洒落にならん。

死ぬまで現役です!』とか言われたら落ち込んじゃうな。

『30年も前の話でしょ?時代が違いますよ』って言われるかな。

私もそうであって欲しい。

まあ一番は、全員死んでてほしいわ。

 

 

 

***思い出し追記***

 

今日うんこリュック変質者のニュース見て

そんな奴もいたなと思い出してしまった

 

 

自転車唾液DK

 

 

多分高1、高校まで徒歩通学してたんだけど

自転車に乗った同年代くらいの男子が片手運転してて

すれ違いざまに下ろしてる方の手と軽く当たってしまい。

とっさに『すいません!』て言って

向こうも特にまらず去って行ったんだけど、

ぶつかった箇所を見たら白いアワアワが。。。

最初何かよく分からなくてハンカチで拭いてたんだけど

ああ、、、臭いが唾液、、、おえっ

まり彼は片手運転しながらもう片方の手に唾液を溜めて

ちょうどいい女子とすれ違うのを狙っていたのか、、、

世の中いろんな性癖がいるなあ(遠い目)と思いつつ

学校ついてジャージに着替えた思い出。。。

 

 

 

うんこリュックのおかげで記憶蘇ったわ

他にもどんどん埋もれた性被害出てきそうな気がしてる

思い出したら追記しまーす

 

 

 

2022-08-18

anond:20220818135610

俺たちでいう鍵っ子とか、あのへんから実家っていう概念が薄くなってきたよな

もう架空ファンタジーというか、記号的というか

田舎にある実家ってこういうもんだよねっていうのがもはや実感のある意味ではなくなってはやうん十年は経つ

2022-03-15

挨拶しないちんこ

大卒地方中小企業管理職恋愛経験ゼロ童貞アラサー

恋愛をしないまま、仕事ばかりしているとこの歳になってしまった。

三十代にもなると、地方ということもあり結婚の流れが早いのだろう、脚色抜きで自分以外の同年代はみな結婚をしている。

職場での人間関係は良好だと思うが、周囲から度々「最近ソッチはどうなのよ?」というピンク色を帯びたジャブをもらうこともあり、未だに独身を貫いている俺が奇異の視線で見られていることは明らかだ。

童貞だとは言っていない。あまりに衝撃が強すぎるからだ。

もはや俺は彼らにとって、空想上の生物と言って差し支えないだろう。

ヒトは三十にもなって女性器に自らの男根を挿入し腰を振る儀式を終えていないホモサピエンスをヒトだと認識できない。仕方の無いことだ。俺には性欲がない。これも仕方の無いことだ。

全く以て、どうしようもない。

自分には性欲がないのだと打ち明けると、周囲からはよく「俺には感情が無い」と額に手を当て嘯く中学生のようだと笑われたが、事実ないのだからどうしようもない。うんこは臭くて厄介だが、かと言って「明日からフローラルに頑張ります」とはならないのと同じである先天的に性欲がないのか、あるいは非モテとして過ごしてきた惨めな三十年間を説明するため、無意識のうちに「無かった」ことにしたのかは明らかではない。ただ、少なくとも今の俺に性欲がない以上、恋愛結婚も何処までも遠くままならない。誰かが言った。すべての恋愛セックスに通ずる。そうかもしれない。専らのトレンド不純異性交遊だ。性器結合主義を信奉する若者にとって、セックスとは性器を通した精神交流である

コンニチワ、とちんこが言う。

I'm fine.とまんこが言う。

ハウアバウチューとちんこが膣を探り、エンヂュー?で挿入。

これでfinishだ。あとは腰を振るだけでいい。俺は童貞なので分からないが、きっと挿入とは麻雀立直をした感覚に近いのだろう。責任思考放棄して快楽を待ち続ける時間はさぞかし幸福に違いない。もっとも、放銃による快楽の機会均等の観点からすると、セックスの方が麻雀よりよっぽど平等に思えるが。

ともかく、俺はそのいずれにも参加できない。俺のちんこはコンニチワが言えない。挨拶をしないちんこ非常識だ。それが分かっているので俺はちんこを表に出さないし、これまで鍵っ子のように下着なかに閉じ込めていた。

けれども、そうこう言えない状況になってきている。地方は恐ろしい。結婚していることが出世の条件だとは思いもよらなかった。少なくとも俺の職場では、婚姻がその人の信頼性担保しているようだった。そろそろしっかりしたらどうだと上司に言われ、同じ文脈で家庭の話になる。守りたい人がいるから仕事にも一層気持ちが入るのだと精神論が語られる。恐らく正しいのだろう、大多数の人々にとっては。しかし俺はそうではない。俺のちんこあなたちんこと違ってコンニチワが言えない。挨拶する相手もいないし、いても挨拶ができない。俺には性欲がないからだ。

おい、このフレーズ何回目だ? この問答を繰り返すことに何の意味がある?

俺は選択を迫られている。婚姻転職かの二択だ。どちらを選んでも環境は変わるし、どちらも選ばないのもまた選択の一つだ。なかなか難しい状況だと思う。あなたにはきっと理解できない。俺にも理解できないのだから

あるいは、俺たちの断絶はこういう風にも表せる。

あなたカーナビで、俺は絶対に曲がれないドライバーなのだ

あなた左折提案する。それが最短距離からだ。俺は曲がらない。あなたは次の角で左折を指示する。俺は曲がらない。あなたは徐々に苛立ち、声を荒げる。俺は曲がらない。あなたは呆れて「理解できません」と言う。俺もまったくの同意見だ。こっちが曲がれないと言っているのに、曲がれと指示するカーナビが何処にある?

そうして車内は静かになり、俺は助手席に誰も乗せていない気楽な軽を走らせて、どこまでも真っ直ぐ走り抜けていく。

恐らくもうブレーキは利かないのだろう。壁は目の前に迫っている。

2022-01-16

異常独身男性だけど子連れ親の高慢が鼻につく

自宅が最寄り駅から下ったところにあるのね

から帰途で石造りの階段を下るわけだが、その階段って最上から初段まですっぽりと左右を建造物の擁壁に挟まれていて、降りきるとそこからT字に幅員の狭い歩道(人2人分)が開けていて、前方にはガードレールを挟んで二車線の車道歩道に平行して開けてるのね

先日俺がその階段下り終え歩道に半身を乗り出した瞬間に、ママチャリが徐行しながら突っ込んできたのよ

俺は急いで身を引いたけどギョッとしたよね

ママチャリ運転者は急ブレーキをかけると右によろけた車体を片足で何とか抑えて停止した

見ると、ママチャリの後部座席に、見た目学齢期未満って感じの男児が眠っていた

運転者はその母親と思しき女で、その右隣には彼女の夫らしき男性もいて、こちらは徒歩の装いをしており、どうやら二人は顔を向き合わせながら談笑しつつこ歩道を歩いてきた様子だった

いや、おかしいだろ

人2人分の幅員しかない歩道を、1人が徒歩で、1人がママチャリを徐行しながら並んで歩くこともそうだが、後部座席男児が眠った状態で座っているのに、夫の歩行速度に合わせて徐行するのは危ないだろ

実際件のママチャリは左右にゆらゆらと揺れながら突撃してきたからね

俺が持ち前の電光石火で避けたから事なきを得たけど、子供を乗せたチャリの動きじゃないよあれは

で、その母親、俺に対して謝りもせず、後ろの息子を気に掛けるでもなく、体制を立て直すと何事もなかったかの様に例の徐行を再開。夫の方はそんな彼女に連れ添いながら今度は彼女の腰に手を添えることで安全性を確保したつもりでいた

俺は思い出しだよ、今年の夏のことだ

俺の家の庭に向かいの家の男児が闖入して、高さ6尺ほどの物置の屋根に登って遊び始めた

俺は注意したよね。そんなところで遊んでいると転んで怪我をしても知らないぞ、と

男児は俺の顔と暫し凝然と見つめたかと思うと、さっと身を翻して庭から立ち去ったよね

ごめんなさい、わかりました、うーせーばーか、何れもなし

実はこれ、初めてのことじゃない

もう何度もこの無愛想な小人に庭を踏み荒らされているんだよ俺は

親は知ってるはずだ、決して共働き親の鍵っ子待機児童の類いではない

先週、出社の際に玄関先で隣家の子供とばったり出くわした

おはようございます!」と元気に挨拶してくれる

発達障がいで時間管理を不得手とする俺は、朝は毎回バス停留所まで走らなければならない

急いでいるのに、挨拶などされても有難迷惑しかない

おはようございます!」とこちらも返してやると、返事が返ることを予想していなかったのだろうが、円らな瞳を一際丸く拡げて狐につままれた様子だった

ガキが……

2021-11-23

第1章 俺、誕生

once a porn a time.

I am born in The bed town.

そこはベッドタウンであることだけが取り柄のしがない町であった。

しいて特産品を挙げるのならのなら、現代価値基準で言えば圧倒的な勝ち組家庭がモーレツに嵐を呼びがちな国民アニメぐらいである。

私はそんな都心に近いことだけが拠り所のそこで、そのアニメ主人公たちからは1回りぐらい下の家庭に産まれた。

十二分な中流であった。

私を産んだ時に既に母は40を超えていて、父はそこから更に2歳ほど年を取っていた。

両親の性格は今で言えば大人の発達障害、その血をかけあわせて出産適齢期を過ぎた母体から世界に飛び出した私は、当然のように見えざる発達障害を抱えていた。

物心ついた頃、テレビで見た自閉症特集で「自分はこれをギリギリ回避しただけなのだ」と子供心に嫌というほど感じたものだ。

発達障害からくる情緒不安定、また生まれつきの運動音痴リズム感の無さが幼少期の私を苦しめた。

せめて産まれたのが3月でなければ……。

持って産まれた才能と産まれた時期によって本能レベルの優劣を植え付けられた幼稚園時代、思い出せる記憶おゆうぎ会で失敗した結果泣き出して最後には小便を漏らしたことだけだ。

他の記憶はどうでもいいものと辛いものしかないので忘れてしまったが、一番辛い記憶は忘れきることが出来ていない。

小学校に上がってからは、持ち前のコミュニケーション不全と癇癪持ちにより友人を作りかけては次々に失っていった。

ただ、両親が共働き鍵っ子で、ゲーム玩具だけは持っていたため、それを目当てに厚かましい連中によく家を遊び場にされていたことを覚えている。

私にとって人と一緒に遊ぶことは食い物にされることだった。

結局彼らとの間に友情が芽生えることもなく、クラスで班分けがあると決まって彼らは本当の友人たちと群れあい、私は余り物のグループにいた。

同じグループにいる者たちは、今思えば全員が発達障害だったのだろう。

その顔つきは目がつり上がってこそいないが、うっすら自閉の色に染まっている。

スポーツは苦手だった。

ゲーム自分で遊んでも家をたまり場にしている連中よりうまく出来ないことにイライラしがちだった。

私は一人の時間にはよく図鑑を読んでいた。

それで暗記が好きな子供だと勘違いされたのか、学校教師は私に自信をつけさせようとよく電車動物名前を答えさせようとしたが、私は物についた名前に興味はなかった。

科学論理に基づいてどういう事が起きているのかが好きだったのだ。

まり物事概念のもの理屈原理が好きであったのだ。

その理由は結局の所、生まれつき物覚えが悪い自分でも、名前を覚えなくても概念だったら分かるし、テストで出るときも穴埋めの周りにヒントが沢山あるので昔の偉人名前なんかよりはずっと覚えやすいと感じたからだろう。

私の中にただ一つ人より出来ると感じられるものがいつの間にか産まれていた。

そんな私を見て、両親は中学受験を勧めた。

勉強が好きだと思ったのだろう。

それと、小学校友達がいないことも見抜かれていた。

新しい環境で、勉強の好きな同級生と一緒になれば、自閉症じみた我が子にもちゃんとした友達が出来ると信じた両親は、私を塾に通わせることにした。

塾に通うことの条件として私は大嫌いだったスイミングスクール習字教室を辞めることを提案した。

取引は成立した。

それから私は受験勉強をそれなりに頑張り、それなりに手を抜き、結局暗記が得意でないことで躓き、志望校から2段階落ちる滑り止めの私立入学した。

中学受験勉強どころか学校の授業さえ本当に真面目にやっていれば受かれるような学校だったが、親戚や両親は私を賢いと褒めてくれた。

私だけが自分いか努力しておらず、そもそも勉強自体も苦手なのかを思い知らされていた。

そして、同じく受験勉強をする塾の同級生を見ているうちに、自分が得意げにしていた「記憶力が足りない代わりとしての理解力」というも、実際は大したことがないことを嫌というほど分かっていた。

我が子を無事私立へと送り出したと胸を撫で下ろす両親とは裏腹に、私は自分という人間の程度を思い知らされた烙印としてその学校制服へと袖を通した。

つづき https://anond.hatelabo.jp/20211124015201

2021-07-05

子供を預けることに申し訳なさがある……って言ってる人って小学一年生から鍵っ子だった人間とかを正常な教育を受けられなかった野蛮人みたいに思ってるんだろうか

多分思ってるんだろうな

2021-07-03

anond:20210703172044

子供の為なら片方の親が家に居た方が良くないか

学校パワーカップルみたいなのが居たが、帰ってからゲームばっか

親とは殆ど顔合わせられない、ある時帰りの会で急に泣き出して寂しいから家に帰りたくない、みんなと一緒に居たいって泣いてた子居たし

鍵っ子結構居たが可哀そうだったぞ。電車通学だったか放課後遊ぶのも禁止だった

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