はてなキーワード: 白髪とは
これ7年前の俺が書いた増田なんだけど(こんなん書いたこと忘れてたが最近のハゲ増田の下におすすめに出てきて思い出した)
なんでコイツこんなに絶望してるんだろう はげたはげた言ってるけど今からみりゃ当時そこまででもなかったはずだ。まあ半分ネタなんだろうけど。
ただそのせいで何かエモい文章になっててわろた 今こんなの書けんわ。
7年たって今40近くなんだが結果でいうとまだそこまでハゲてない(生え際は若干後退したと思われるが頭頂部は普通にある)。
昔から自分が40になるころには完全なるハゲ親父になると確信してたが、そうはならなくてビビってはいる。現実はハゲより白髪に悩むようになるとは思いもしなかった。
・良良良ー良・良良良だった
なんかもういろんな意味で良ッ
観るという判断をして良かった
・途中まで「水↓木↑さん、バチクソに令和の受けど真ん中だし自らエロ同人の導入みてえなシチュに入ってく…」という思考が半分占めててふーん、昭和倫理観+田舎御家騒動、やね…+チラつく墓場鬼太郎の「じゃ!」 で見てたけど途中なんかこのシーンだけ絵のレベルが段違いじゃない?なテラス戦闘シーンから「この映画、意外と社会派チックな事いいおる…そういうの、好き…」ってなって引き込まれていった
・導入の記者の人が見た廃村になった描写と当時の生活があった頃の様子の対比でイイネ!ってなった
・おっねずみ男とかコウモリ猫の系譜や!と思ったら本人だった 記憶よりふた回りほど小さくなっとる…? 基本コメディリリーフだけど「俺は手を引くぜ」の闇に消えるシーンとか人ならざる者感して好き
・水木さんのバチクソ受けっぽさは狙って作られたというわけでなく偶発的なものという感じがvery very goodすぎる
・鬼太郎父、水木さんにデレるの早ない?と思ったけど恐らく行間があるやつ
つまり近親姦で世代紡いできてた一族ってこと?それハプスブルグ家みたいにならない?だからショタは病弱だったんか!今合点した
・夫婦再会シーンで引きで映る地面に転がってる瀕死状態の水木さんすき
・たまにある鬼太郎ピンチ回に出てきそうな妖怪がゴロゴロでてくる 鬼太郎父つよい
・後半の主張の感じは説教のかほりがするなあと思わなかったと言ったら嘘になるが元の鬼太郎は児童向けアニメやしズートピアのラストみたいな「言葉にして作品の言いたいことを固める」あった方が観るがわの心構えの方向性が示されてええかと思ってみてた
平日の朝イチ回だから
己みたいな層しかいないと思ってたら意外とおじさん客・男性客いて驚いた
・思い返すと「世代交代」とか「全体主義と個人のいのちだいじに」とか「ご先祖様の血脈→あっこれ鬼太郎くんのやつや!タイトルや!」とか複数テーマが滅茶苦茶匠なバランスで的確に描写されとった…もう電車でタバコガンガン喫煙してたり吸殻ポイ捨てしたり細かい描写の積み重ねが「時代の倫理観」「今から見ると引くけど当時はみんなやってたから普通だった」を確実に伝えてテーマと絡めて「伝えて」きおる…スタッフさん天才か?
・全体主義に見せかけた「おまえら特攻してこい」→「隊長は?」で首の「死んだら、アカ~ン!」本人の見えないとこで舌ペロを思い出した
・エンディングロールからも最後の最後まで良すぎじゃん…水木神原作の「鬼太郎を育てることになる」単話だけ予習してたから(いろんな意味で)これ最後どうやってあの流れに着地するんや…と思って見てたらアッ白髪……そういうの好き……アッ…エンディングが漫画なのだあいすき…アッ…虚しく宙をかく鬼太郎父の腕…でも魂に刻まれてる…そういうの好き好き侍…アッ…最高…で終わってた
相変わらずジェンダーがどうとかつまらない話が多いので、過去の用例から「奥さん」あるいは配偶者呼称についていろいろ考えたいなあ。と思って書きます。
勿論、女中などに似ようはないと、夢か、うつつか、朦朧と認めた顔のかたちが、どうやらこう、目さきに、やっぱりそのうつ向き加減に、ちらつく。従って、今声を出した、奥さんは誰だか知れるか。
それに、夢中で感覚した意味は、誰か知らず、その女性(にょしょう)が、
「開けて下さい。」
と言ったのに応じて、ただ今、とすぐに答えたのであるが、扉(ひらき)の事だろう? その外廊下に、何の沙汰も聞えないは、待て、そこではなさそう。
「ほかに開ける処と言っては、窓だが、」
さてはまさしく魘(うな)された? この夜更けに、男が一人寝た部屋を、庭から覗き込んで、窓を開けて、と言う婦(おんな)はあるまい。(「沼婦人」泉鏡花、1908(明治41年)
「奥さん」は、自分の配偶者というより既婚女性に対する敬称として用いられています。「女中などではなく」自分が夢想する上流階級を思わせる女性(奥さん)が誰か分からないが、夜更けに訪ねてきた「女性(にょしょう)」は普通の「婦(おんな)」ではないだろう……という流れですが、この呼び分けは、日本語代名詞の豊かな言語世界を垣間見せてくれますね。
「奥さん」という語がめちゃくちゃ出てくる小説と言えば、やはり夏目漱石「こころ」(1914(大正3年))でしょう。前半では「先生」の妻である静さんの呼称として、後半では先生が青年期に下宿していた、静さんの母親の呼称として「奥さん」が登場します。この作品は、一人称の語り手による手記の体を(前半後半とも)取っているため、固有名詞を避ける書き方をしており、その結果であると思われます。
私はすぐ玄関先を去らなかった。下女の顔を見て少し躊躇してそこに立っていた。この前名刺を取り次いだ記憶のある下女は、私を待たしておいてまたうちへはいった。すると奥さんらしい人が代って出て来た。美しい奥さんであった。
「奥さんらしい人」という表現から、「奥さん」が「配偶者」の意味で用いられていることが感じられます。ただ、自分の配偶者を呼ぶ呼び方ではないですね。
私の知る限り先生と奥さんとは、仲のいい夫婦の一対であった。家庭の一員として暮した事のない私のことだから、深い消息は無論わからなかったけれども、座敷で私と対坐している時、先生は何かのついでに、下女を呼ばないで、奥さんを呼ぶ事があった。(奥さんの名は静(しず)といった)。先生は「おい静」といつでも襖ふすまの方を振り向いた。その呼びかたが私には優しく聞こえた。返事をして出て来る奥さんの様子もはなはだ素直であった。ときたまご馳走になって、奥さんが席へ現われる場合などには、この関係が一層明らかに二人の間に描き出されるようであった。
「こころ」は新聞連載ですが、奥さんの初登場は先の連載4回目、その後奥さんと先生(夫)の重要なシーンである第8回を経て、この第9回で初めて名前が登場します。この作品、先生を訪問してきた「私」と奥さんが共に食卓を囲むシーンなどが多くあり、この夫妻は大正当時の一般的な夫婦関係よりも幾分現代に近い感じで描かれているように思います。
次は、「先生」が若いころ、その奥さんの自宅に下宿をしたとき、奥さんの母親を「奥さん」と読んでいたというシーンの引用です。(中略があります)
それはある軍人の家族、というよりもむしろ遺族、の住んでいる家でした。主人は何でも日清戦争の時か何かに死んだのだと上さんがいいました。一年ばかり前までは、市ヶ谷の士官学校のそばとかに住んでいたのだが、厩(うまや)などがあって、邸(やしき)が広過ぎるので、そこを売り払って、ここへ引っ越して来たけれども、無人で淋しくって困るから相当の人があったら世話をしてくれと頼まれていたのだそうです。私は上さんから、その家には未亡人(びぼうじん)と一人娘と下女より外にいないのだという事を確かめました。私は閑静で至極好かろうと心の中に思いました。
(略)
私は未亡人に会って来意を告げました。未亡人は私の身元やら学校やら専門やらについて色々質問しました。そうしてこれなら大丈夫だというところをどこかに握ったのでしょう、いつでも引っ越して来て差支えないという挨拶を即坐に与えてくれました。未亡人は正しい人でした、また判然(はっきり)した人でした。私は軍人の妻君というものはみんなこんなものかと思って感服しました。感服もしたが、驚きもしました。この気性でどこが淋しいのだろうと疑いもしました。
(略)
私は未亡人の事を常に奥さんといっていましたから、これから未亡人と呼ばずに奥さんといいます。奥さんは私を静かな人、大人しい男と評しました。それから勉強家だとも褒めてくれました。けれども私の不安な眼つきや、きょときょとした様子については、何事も口へ出しませんでした。
「上さん」「未亡人」「妻君」「奥さん」は全て同じ人物を指していますが、それぞれの場所でニュアンスが異なることが分かります。それぞれ「下宿屋の女主人」「(夫を亡くした)配偶者」「配偶者(尊称)」「既婚女性(尊称)」くらいに捉えるのが適切でしょうか。
そういうわけで、私たちは家の主婦を奥さんと呼んでいました。下宿屋のおかみさんを奥さんと呼ぶのは少し変ですが、前にも言う通り、まったく上品で温和な婦人で、どうもおかみさんとは呼びにくいように感じられるので、どの人もみな申合せたように奥さんと呼び、その娘を伊佐子さんと呼んでいました。家の苗字は――仮りに堀川といって置きましょう。(「白髪鬼」岡本綺堂、1923(昭和3年))
…「下宿屋のおかみさんを奥さんと呼ぶのは少し変」という言語感覚から、「おかみさん」「奥さん」の使い分けがくっきりと見て取れて面白い用例ですね。この話は、発表は昭和ですが、岡本綺堂は明治生まれですし、物語内時間は10数年前(つまり震災前)という設定ですから、言語感覚としては漱石の少し後、大正期の中頃を反映していると言った方が適切かもしれません(まあ、それを言うなら「こころ」の場合、おおむね時代は明治期の想定と言えそうですが。)
昭和に入ると、「奥さん」が配偶者を指す呼称としてライトに用いられ始めたように思います。太宰はこういう言葉のちょっとしたニュアンスが本当に上手な作家で、次の用例の言葉の使い分けは非常に印象的です。
「奥さま、もうすこしのご辛棒しんぼうですよ。」と大声で叱咤しったすることがある。
お医者の奥さんが、或るとき私に、そのわけを語って聞かせた。小学校の先生の奥さまで、先生は、三年まえに肺をわるくし、このごろずんずんよくなった。お医者は一所懸命で、その若い奥さまに、いまがだいじのところと、固く禁じた。奥さまは言いつけを守った。それでも、ときどき、なんだか、ふびんに伺うことがある。お医者は、その都度、心を鬼にして、奥さまもうすこしのご辛棒ですよ、と言外に意味をふくめて叱咤するのだそうである。(「満願」太宰治、1938(昭和13年))
医者が、夫の体の静養のためにセックスを禁止して…というちょっとした掌編なのですが、最初の「奥さま」は、医者が患者の配偶者である若い奥さんに言い聞かせるときの呼称、医者の「奥さん」は医者の(やや年配の)配偶者のニュアンスで用いられていますが、地の文での「奥さま」と「奥さん」の使い分けで、雰囲気が表現されているのは実にうまいです。
最後に、呼称という点で、最初に見かけてこれは書き留めておきたい(ぶっちゃけこの記事を書くきっかけになった)のがこちら。
妻は水の引くように痩せて、蚊帳の中で死んでしまった。死ぬ前「今度奥さんを貰う時は、丈夫な奥さんを貰ってね」と言った。
「莫迦、お前が死んだら俺は一生独身でいるよ、女房なんか貰うものか」
彼は妻の胸に涙を落しながら言った。その涙をふいている内にふと俺は嘘を言ってるのかも知れないと思った。
しかし、妻が死んでしまうと、彼は妻に言った言葉を守ろうと思った。死んだ人間に対しては、もう約束を守るよりほかに何一つしてやるものがないのだと思った。
この3つの呼称の呼び分けを、代名詞が豊富でない文化圏の人にどうすれば伝えられるだろうなあ、と思ったりします。
さて、蛇足ながら、このエントリを書いた理由について。呼称、代名詞というのは、時代によって変遷し、人の心を映すもの。だから、いろいろな意見や議論はあっていいと思いますし、そもそも言葉が時代のジェンダー観を反映するというのは、取り立てていう必要もないくらい当たり前のことではありますが、そういった、人々の内心の方を変えるのが面倒だからといって、言葉の方に罪を着せるようにして言葉狩りじみたことをするのは、正直「違うんじゃないかなあ」と思います。人々の心が変化すれば、誰が強制しなくても言葉は廃れ、変化していきます。〇〇という言葉を使うな!なんて言わなくても、それが指す事象が消えたり変化したりすれば、あっという間に言葉は移り変わっていくものです。だから、変えるべきことを人々の総意に基づいて粛々と変えるよう努力するのが重要であって、「言葉狩り」みたいな遊びで何か大きな社会貢献を為したような気分になるのは、正直やめてもらいたいなあ、と思っています。そんな感じのことを感じていただけたのなら、この記事を書いた意味があったというものです。ありがとうございました。
通勤路のバイパス沿いにレストランがある。煉瓦造りの、よくある感じのこじんまりとした店だ。店の近くには、お世辞にも上手いとは言えないが味のある手書きの文字で「当店自慢のオムカレーフェア」等、季節のイチオシメニューの書かれたタテカンが出ている。なんとなく、ニット帽にチェックシャツのカントリー風な店主なんだろうなと想像してたんだけど、こないだ通ったら、パリッとした、今時珍しいしっかり長いコック帽にコックコート、黒い前掛けを身に着け、白髪を後ろに撫でつけた上品なおじいさんが店の植木にジョウロで水をやっていて、それを見て何故か自分は酷く物悲しくなってしまった。
家を建てれば、一国一城の主、と昔は呼ばれた。きっとそのレストランは、おじいさんの大切なかけがえのない店なのだろう。多分、自分がその姿を見るずっとずっと前から、おじいさんはそうして植木に水をやり続けてきたのだろう。
その姿を見れば、普通は幸福そうだと己も嬉しく感じそうなものを、どうして自分は悲しくて、ともすれば涙さえにじみそうになったのか、よく分からずに居る。
己の認識外でも、そのように自分の仕事をコツコツと連綿と続けてきた人々が確かにこの世界には居るのだと、そういった人々でこの社会が構築されているのだと、その社会が護られる事無く失われていく地域があるのだと、その事が自分は悲しかったのだろうか?
いつかタイミングが合ったら、料理を食べるのは難しくても(昼は混むだろうから)珈琲の1杯くらいは、その店に飲みに行かなければ、と思う。
https://note.com/chuushin/n/n76168d3c4350
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/chuushin/n/n76168d3c4350
これ見て本当に情けなくなったよ。
俺は日本保守党の街宣で集まった人間の数・熱気・層を見て結構ヤベーと思った。
なんか全体的に身なりがいいんだよ。
身なりの汚い白髪頭ばかり集まる共産党の街宣と比べると差は歴然。
結構いい服着たまだ頭の黒い中高年が多いなと感じた。
確かにそういうマグマがあって上手く引き当ててるんだと感じた。
俺この集まってる層の画像や映像見て、昔冷やかしにいった幸福実現党の選挙説明会?を思い出した。
ホテルでやってるから笑いの種に見に行ったんだけど、全体的に身なりのいい「ちゃんとした人」って感じなの幸福の科学の信者って。
知らずに見たら日舞の発表会とかそういうのかと思う感じの客層。
保守党支持者はあれに似てる。
もちろん過剰に恐れる必要もないけど
どういう主張をしててどれぐらいの数が居るのかって言うことをまず調べて警戒すべきところ
街宣の手際が悪かったとかそんなことばっか書いて留飲を下げて
異様に集まってる頭数や熱気を警戒しないって言う
お前等本当に負け癖の染み付いた野党支持者ムーブだなって感じ。
真面目にやってないよね。
支持者は楽しみだった気持ちを消化できずに、いたるところで集まり、話合いをしていた。「私は昔、自民党支持だったが、安倍派の権力が弱まって、今のままではダメだと思ったら、日本保守党ができたんだよ。自民党はダメ。」「岸田はダメ」「河野太郎って、中国と日本の二重国籍やからな」「今、信用できる政治家は、高市早苗ぐらいだな」「太陽光パネルのせいで熊の被害が増えてる」「ワクチンなんか打つか」「会社では、誰も分かってくれない」と。思い思いの言葉を伝え合っていた。
これとかさ、
「ほらこんなバカどもだ!」
って読者のチ○チ○を慰撫する為だけの文章なのは見りゃわかるけど
「会社では、誰も分かってくれない」
とかさあ。
左派は保守政党支持者を見るとすぐそうやって「どうせ社会の負け組だ」と考えて気持ち良くなる悪癖(左派としてどうなのそれ?)があるけど
俺は保守党の集まってる人間パッと見ただけでも負け組とは違う層に見えてならない。
変に身なりのいい人間が多かったってのは繰り返し言っておきたい重要なポイントだと思う。
つまりお前等は「敵」を真面目に見据えて事実を分析する姿勢すらないんだよね。
「保守の新党がどういう層にリーチしてるのか」を真剣に分析する気がない
「どうせあいつらは負け組!」と言って気持ち良くなっておわり。
おめーらみたいなのがノイジー支持層だから日本の野党は負け続けるんだと思う。
熟年負け癖野党支持者の気持ちいい所をこしょこしょするのに特化した記事だよな。
これ本当に中学生が書いてるのか?
リベでも左派でもいいんだけど若い人の感じが全くしないんだわ。
俺もおっさんだから、中学生どころか大学生新聞だとしてもほんとにその年代の人が書いてるものなら
なんかしら「あ、目の付け所とか調理の仕方とかが俺の親しんできたものと違うな」の感を受ける筈なんよ。
そういうのが全くない。
例えばだけど
もっと正面からその主張や党是を批判・論難したりするんじゃない?(百田なんてツッコミどころだらけなんだし。)
なのにこういう、「集まってたやつは会社に居場所のない負け組」「陰謀論者が居た」とか
そんなことばっか言ってニタニタする感じ。
これ若さ感じるか?
これほどまでにアラフィフ元朝日新聞記者みたいなダシが出まくってる老舗系ラーメン出されて
「中学生が作りました」って言われて眉に唾つけないのは常軌を逸している気がする。
「#どうして解散するんですか?」系の何かじゃねーの?これ。
というか「#どうして解散するんですか?」の方がよほど若々しさを感じた。
(実際バレてみれば「#どうして解散するんですか?」やってたのは大学生ぐらいの若者だった
生き方の指針が見えてこない。
若かりし頃は女や金を手に入れるため、あれこれにアンテナを張り、努力してきた。
おかげで今では若く優しい嫁と好条件の収入に恵まれ、どちらも満足している。
しかし、それ故に、今後何を目標にして生きるのかがわからなくなって、今何もやる気が出ない。
一般的には『子育てが生きがい』と答える人が多いだろうし、そのつもりでいる。
しかし現状子供はいないし、今後出来ないかもしれないから、指針としては一旦扱わないことにする。
異性の対象から外れ始めてるのを日々感じる。所帯持ちだからまだいいが、独身だと本当に絶望すると思う。
『金』も稼げるようになったけど、税金と保険代がエグいほどかかって、稼ぐモチベーションも失われてる。
正直、ここまで累進税がキツイとは思わなかった。
『マイホームを買ってローン返済』を言う人もいるだろうけど、夫婦どちらもローンは嫌いなので無い。
老後向けに小さい中古戸建て買うとかはあるかもしれんが、35年フルローンとかは微塵も考えてない。
『趣味』という声もあると思うが、趣味もインカムの1要因になっているので、純粋に楽しめない側面がある。
是非聞いてみたい。
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【追記】先輩方からのコメント、ありがたく読ませて頂きました。ありがとう。
最初にも書いたけど、出来るかわからないから子供の話は今回スルーした。ごめん。
けど「子供が出来たらいい父親になりそう」ってのは嬉しい。照れる。
■ロードバイク・バイク・ヨガ・サーフィンはいいぞ/新しい趣味を見つけて幸せになってほしい
自分のライフスタイルとは全く無縁なものばかりだ・・・。ありがとう。サーフィンはともかく、あとの3つは一人でも出来そうだね。
筋トレは何度かやってみたけど、あまり持続しなかったな・・・。
■起業したら?/趣味があればそれをやるための資金確保とか、時間確保が目標になる
実はもう起業してるんだ。法人4期目になる。コロナの時は死ぬかと思ったけど今は安定してる。
繁忙期は仕事がとりあえずは時間潰してくれるけど、今は閑散期で時間がめちゃくちゃあるから今回のエントリの心境になったんだ。
■>趣味に絞れば、受動型趣味 能動型趣味 のバランス大事だなーって思ったことがある
めちゃくちゃわかりすぎて三度見してしまった。本当にこれだね。
■>今が体力と知識のピーク、あとは毎年1年ずつ時代遅れになっていく
最新の論文からTikTokの動画まで、あらゆる面で勉強することを忘れないよう心がけてる。
テンプレだけど、自分にはもったいないぐらいの良い嫁だよ。出会いから数えてもう6年になる。
本当に強く生きて欲しい・・・。
白髪のシュワちゃんが出てる印象だったんだけど普通に若くて、あれ?これじゃなかったっけってなった。
全盛期のシュワちゃんって俺の印象の中では冷蔵庫みたいなガッシリ体型のゴリラだったと思ったんだけど
意外に頭小っちゃくてシュッとしてて、顔も普通にイケメンでびっくりした。
ヒロインは初のアフリカ系アメリカン人のミス・アメリカに輝いたヴァネッサ・ウィリアムスで25年前からアメリカはオポリコレに配慮していたのかと思ったり思わなかったり。作品のシナリオ的に割と白人白人してなくて、南米系アメリカ人とかも割と出てたな。悪役はロシア人と白人。もろロシア!って言ってて草なんだ。
足を杭で貫かれても抜いた直後にダッシュしてて、こいつ本当はターミネーターなのでは?と思いつつ、なぜか悪役に肩を撃たれると急にフラフラしだして、露骨な人間アピール来たな……ってなったり。こういう大雑把なダメージ表現がハリウッドアクションの醍醐味だよな。