はてなキーワード: 演繹とは
この類の話ってのは、まあよくある話ですし、帰納することでLGBT以外のマイノリティにも同じように演繹できるんですよね。
で、わたしもそのLGBT以外の属性のマイノリティなんですけども(メンタル系)、社会を殴りたいのはありますよ。毎日。しかしいちおう働けて経済自立できているし、恋人は作れないけど性欲のほうは自己完結できてるし、そこまで困窮してないから冷静に言えるのだろうけども。困窮してたら冷静になれないだろうなーとは思う。保護してくれ。
ちなみに自分がどのくらい社会を殴りたいかというとこのくらい:https://anond.hatelabo.jp/20170817024451
わたしは例の記事から「LGBTは自戒として、力いっぱい社会を殴り続けるようなことをしてはらない。そんなの相手が辛いだけだ」という教訓を得ることを狙っている、と受けとったのですが、その狙いとは真逆の反応が多くて困惑した。
https://withnews.jp/article/f0180406003qq000000000000000W03j10101qq000017134A
だから、なおさらこの記事の狙いであろうことを今後も言い続けたほうがいいのでは、と思いました。何を言われているかちゃんと理解していますか?してないでしょ・・そんなだからこの記事を書かれてるんでしょう・・・。まさに。
しかし譲ってさらに突っ込んで考えると、「もはや冷静になって非LGBT者を対等な人間と考えてコミュニケーションを図る余裕すらないほどに深刻に困窮している」と捉えることができ、それはもはや自戒を課すことのできる状態ではなく、それ以前の問題であり、つまりは自立した人間でなく要保護・要介護のレベルと見なさざるを得ないことになるのですが・・、その判断をするにはちょっと躊躇している。
そんなことは無いですよね。
もちろん、自立できますよね。
もし本当に対等にコミュニケーションが取れないほどに困窮してるとなると、うーん生活保護とか、カウンセリングとかを申請することになるのでしょうか。よくわからないけども。
いや、全然違うでしょ。
ことばの由来から来たイメージか、あるいは、保守善、リベラル悪で、過激な変化をさせようとするリベラル悪だ。みたいなレッテルにしたいのかもしれんが。
保守→日本の強い人がフルでパワーをつかえるようにする社会が良い社会だ。
というのが、あえて言うならできる定義でしょう。
保守、リベラルの言葉の原義はもう今では全く意味を為さない。日本本来の風土によって、上記2つに吸収されたような状態。
たちが悪いのは、外国との対立において、日本の立場が良いというスタンスを、他のとくに経済論議や憲法論議に演繹すること。
で、保守だから善、リベラルだから悪のようなレッテルにしてしまって、強い人が好き放題するような社会が良い。というたちの悪い誘導にみえる。
なので、これだけ複雑になった社会で、言葉の定義ができなくなった右、左、保守、リベラルなんて言う奴はまともに議論する気無いんだなとレッテル張ってもいいぐらい。
で、経済的観点から言えば保守はネオリベラリズム(新自由主義)。リベラルはニューリベラリズム(社会自由主義)だ。
ネオリベラリズムは、規制、税金をとにかくフラットにして金持ち=日本の強い人がフルで自由に活動できるようにするのが良い状態。
ニューリベラリズムは、適度な規制や、累進課税を設け、再分配をして、弱者も自由にのびのび活動できるようにするのが良い状態。
だから、保守が自由主義=リベラリズムで、その一つのネオリベラリズムなのに、その棍棒でリベラルをぶっ叩いてるという謎な状態だね。
更にいうと、30年以上前、バブル前は日本はケインズ主義で大きな政府だった。国が政策や強い累進課税や借金による景気対策で経済を強くコントロールしていた。
護送船団方式と言われるようなね。
これも、日本の官僚みたいな強い人がフルでパワーを使えるようにするということで保守リベラルの定義になれば保守となる。
その頃がどちらの定義になるかといえば、適度な規制や累進課税を設けて、かつ、わざわざ借金してコントロールするということで、
ネオリベラリズム、ニューリベラリズムの定義によればニューリベラリズムの方になるだろう。
なので、経済議論で保守という事自体がもはや何を指すのかが意味不明瞭となる。
「今の政権がフルでパワーを使えるようにする」であれば今の定義で近いものとすればやっぱりネオリベラリズムなんだろうけどね。
外交においては、日本の強い人の言うことが正しい=保守、外国の弱き人が正しい=リベラル
憲法においては、日本の偉い人が道徳で国民を教化するような憲法が正しい=保守、国民一人一人の弱い権利を保護するような権力者を律する憲法という立ち位置が正しい=リベラル。
論旨によって全く意味合いが違う。とくに外交においては国民の対立感情を煽れるから、その敵味方で保守リベラルの善悪を作りたいというたちの悪い誘導が通る。
そういう意味で、右、左、保守、リベラルなんていう言葉をすててしまって、各問題でどういうスタンスかを個人がそれぞれ持つのが当たり前になるようなのが良い。
日本は議論においても同調圧力が強いから、保守のスタンスだったらこの他の問題でも保守のスタンスだろ?っていう同調圧力で議論が歪められるのだから。
このコメントした者です。
「Aは100%の確率で±0、Bは良い結果と悪い結果の可能性がある場合、Aのほうが必ず良い選択である」は必ずしも成り立たないので、
この文章はのっけから演繹が破綻しており、ゆえにそれを前提とした以降の内容も論ずるに値しない、
つまり「この文章の論の展開からは」、反出生主義を取り入れるべきとは全く考えられないという趣旨で書きました。
ですが、増田のいうとおり、子供は自分ではない(=生まれてくる子供の効用関数の形状を事前に推定できない)以上、
「子供の幸福の期待値」を事前に計算することは原理的にできないですし、僕が間違っていたと思います。
変な言い方をしてしまいごめんね。
なお、「‐∞」があるなら期待値はかならずマイナスなのではという論旨は、
元増田が言うような凄惨な事象を‐∞と扱うか、-1兆のような有限の大きい数で表すかというだけの、
ある種言葉のあやなので、それほど議論する意味はないかなと思いました。
>子どもを作るなら、少なくともこれら全てを承知した上で作りな。
了解です!
はっきり言って北朝鮮だの中国はどうでもいい問題。ていうか、北朝鮮はミサイルポンポン飛んできてるのに選挙する!とか言って、で、選挙始まったら途端に打ってこなくなったね。
あれは完全にガン無視するのが一番北朝鮮と誰かさんに効果的だと思うね。
むしろ、北朝鮮や中国への敵視姿勢を演繹して、経済の新自由主義や、憲法の日本会議的改憲に賛成に演繹させようという質の悪い誘導。
https://anond.hatelabo.jp/20171029085625
ひどいディベートの授業の体験増田があったので、ディベート経験のある自分が解説してみる。
ディベート経験は5年くらい。大学から始めて、高校生の指導やディベート甲子園の運営、全国大会出場などをしてきた。
何について討論するのかを決めなくてはいけない。
元増田にあった、「ルーズソックスに賛成か?反対か?」ではディベートにしづらい。中高生では基本的に政策ディベートというものを論題にする。
例えば、「日本は生徒のルーズソックスの着用を禁止すべきである」
という、行うことがはっきりしており、肯定と否定に分かれる事ができるテーマが望ましい。
また、現状で肯定側と否定側の意見が戦えるほど現状の価値観が偏っていない論題が望ましい。
もしルーズソックスは校則で禁止されてる場合は、この論題をすべきではない。
今までディベート甲子園で行われた論題はここにある
http://nade.jp/koshien/proposition
ゆるい論題だと、「ドラえもんは未来に帰るべきである」「日本の学校は制服を廃止すべきである」などがある。
これは大前提。1チームは2~4人。というのも、スピーチをする機会というのは試合を通して4回しかないからだ。
自分の考えとは関係なく、機械的に決めたほうがよい。また複数回行い、肯定側・否定側を両方経験することが望ましい。
ディベート甲子園では、試合当日に肯定側か否定側のどちらになるのかが決まり、複数回試合をする。
ディベートをするには、立論というものを最低限準備する必要がある。これは討論の土台となるものである。
肯定側は、論題を肯定する政策の中身と、それを行ったときに発生するメリットを説明する。
この立論がディベートの試合の中で土台となり、試合の一番最初にスピーチする。そこから討論を行っていく。
逆に立論中に述べられなかった論点は後から出してはいけない。出してしまっても審判は、その発言を無効と判定する。
なので言いたいことはできるだけ立論にいれる。中学生なら4分、高校生なら6分にまとまるよう原稿を用意する。
メリットは、「現状分析」「発生過程」「重要性」の3つから構成される。
現状分析では、主にルーズソックスが規制されていない状況で起きている問題について説明する。
できるだけ問題が大きいことを主張する。例えば、ルーズソックスを履いていることで犯罪に巻き込まれやすい、と設定する。
この問題を具体的に説明できるよう、資料を集める。例えば、高校生が犯罪巻き込まれる率、ルーズソックスを履いている高校生への印象調査、声をかけやすいと言った定性的な資料など。
発生過程では、ルーズソックスを規制したときに、この問題が解決されることを立証する。
現状では、ルーズソックス履く→下校時にそのまま遊びに行く→声を声をかけられる→トラブルになる であるが、
プランを実行すると、規制されるとルーズを履いてくると怒られるので履かない→下校時に遊びに行くが、声をかけられる率が減る→トラブル減少
というルートを立証する。
重要性では、このメリットが発生したときに、それがどれだけインパクトがあるのかを示す。
青少年のトラブルは精神に悪い影響を与え、学業を疎かにさせる。それは国全体の産業と競争力に大きく影響してくる。
できるだけ大きいほうが良いが、大きくするとそれだけ立証が甘くなるので注意。
デメリットは、「現状分析」「発生過程」「深刻性」で構成される。
現状分析では、現状で特に問題が起きていないことを述べる。現状サイコーという訳である。
週5日も校則され時間の大部分を占める学校生活でみんなルーズソックスを履いていきて、おしゃれとして、自己表現として楽しんでいる。
発生過程では、立てるデメリットが起こる過程を立証する。デメリットを「多様性の低下」としてみる。
ルーズソックスが規制される→学校に履いてこれなくなる→時間の大部分を占める学校生活で自己表現ができなくなる→画一的な人格が形成される
とか。演繹的に論理の矢印を作ったら、主張を補強する資料を集める。
「ルーズソックスは私を表現するもの」と言っている資料だったり、服装の厳しい学校の卒業生はクリエイティブな職業に就く割合が低いみたいな資料を探す。
深刻性では、デメリットが発生した場合にどれほど深刻なのかを述べる。
画一的な人格形成によって、クリエイティブな思考が苦手で国際競争力が低下するとかかな。あまりよい深刻性が思い付かないが。
ここまで準備して始めて試合ができる。
各側の発言機会は4回。スピーチ担当者以外は話してはいけない。(準備時間を除く)
①肯定側立論 4分
②否定側質疑 2分 (肯定側立論にわからないことを質問する。反論はNG)
③否定側立論 4分
④肯定側質疑 2分
⑥肯定側第一反駁 3分 (否定側立論に反論する + 否定側第一反駁の反論に再反論する)
⑦否定側第二反駁 3分 (肯定側第一反駁に再反論する +議論をまとめる)
⑧肯定側第二反駁 3分 (否定側第二反駁に再反論する + 議論をまとめる)
①発生過程を削る
②重要性(深刻性)を削る
のいづれかになる。
発生過程というのは、A→B→C→Dのようにつながっているものうち、一箇所でも切れば、例えばB→Cを完全に切ると、全く発生しなくなる。
完全に切るのは難しいので、B→Cの半分を削る、という反論の仕方になってくる。
例えば、メリットの現状分析の、ルーズソックス履く→下校時にそのまま遊びに行く→声を声をかけられる→トラブルになる、だと
1. 規制なくても全員履いてるわけじゃないよね
2. 全員が下校途中に遊びに行かないよね
3. ルーズソックス履いてるからといって声かける人の割合がわからないよね
みたいな反論になってくる
重要性への反駁だと、
みたいな反論になる
ここまでやれたとして、ジャッジができる人間がいないと教育としてのディベートに価値はない。
議論をまとめて、メリットとデメリット、どちらが大きいか判定して、勝敗をつける。
ジャッジは、すべてのミクロな議論について、どういう反論があったかと説明し、最終的にどちらが優勢で、なぜその判定をしたのかを話す。
その結果、立論におけるメリット・デメリットが何%削れたのかを定量的に示す。
先程出てきた
を元に、紙に丸を書いて、メリットとデメリットの大きさを書いて判定するやり方が取られている。
ディベートのジャッジは通常ディベート熟練者が行う。つまり有効なディベートは経験者がいないとまともに成立しない。
ディベートをやるときは、1つの論題に対して数ヶ月かけてリサーチ、立論作成、試合を繰り返し、議論を熟成させていく。
この過程で、反論のポイントの探し方、強固な論理的思考力、頭の回転速度、スピーチの聞き取り及びメモの方法を学んでいく。
ディベートで一人前になるには2年くらいかかると思っている。授業で1回やったとか、企業研修で1日とかでは決して身につかない。
中学校、高校の場合は、地域のディベート甲子園事務局に連絡を取ろう。
それか近くにディベートサークルがある大学を探そう。指導に来てもらえるかも。
大学生・社会人の場合は、サークルに入ろう。探せば色々出てくるよ。
とにかく指導者が付いて、じっくりやらないと身につかない。
http://japan-debate-association.org/contest
想像を絶するスピードと論理、資料の殴り合いが見られて、初見ではほとんど理解できないだろう。
だがこういう世界があるということを知っておくのも良いだろう。
ああ、やっぱり分からない感じなのか。
twitterで、英単語とツイートした適当な奴にいいねを送っていたが、打率が悪いんで今回も分かりにくいんだろうと思っていた。
日本言語学会にもこういう脅迫めいたメールを送って、4日ほど経った。今回も返事は帰ってこないだろう。twitterでは半年ほどは動いているはずだから、放置してメールが来たら良いなぐらいのスタンスでいこうと思う。
このようなサイトを作り、宣伝して周っていますが、あなた方が「日本言語学会」などという普遍的な名称を掲げ、権威として振舞っているおかげで、こちらはそれに認められてないというだけでデマとして扱われ迷惑しています。
あなた方は論文の審査と言いますが、そもそも自然言語の分析というのは既に知っているものについて明確化する作業なのであって、本来的に演繹的でなく帰納的なものであるはずです。
あなた方が何をもって論文を審査するのか理論的に分かりませんし、そのようなもののために無職である私が7000円も支払うわけにはいかないのです。
最初に書いたように、意識しないにしても、あなた方は間接的に私の活動の障害になっています。
今回に限らず、あなた方はその名称をもって一般的に、権威と認められ、障害として存在しています。
であるから、あなた方は社会的にこの質問に答える義務があります。
返答を待っています。』
追記:ああ、あんた、本当にありがとな。
保守、リベラル、右翼、左翼って概念、さらに、科学主義経験主義はどちらの陣営のものか?ってのは無意味じゃないかな?
あまりに雑な概念すぎるから、外国との感情的対立を、経済や法律に演繹するのに利用するために使われてるようにしか見えない。
そのような大雑把な概念でくくることをもとめられる。
そして、まさに科学主義的ではない、感情的に反応する要素で国民を二分して、感情で無意味な怒りを招く方が勝つ、というバカな展開になる。
二大政党のトップがグルになって、そのどうでもいいような対立だけさせて新自由主義や日本会議的改憲では一致団結してそのまま通そうとする。
やっぱり中選挙区制に戻すべきだと思うよ。
保守、リベラル、右翼左翼なんてラベリングは現在において全く役に立たない。
なぜか?事象を説明するのにあまりにもいろんな要素が混ざりすぎた概念になっちゃってるから。
世の中いろんな問題あるけど、それをある程度単純にまとめ、その論点についてどうか?とやらないとならない。
それでも、端的で人の感情に訴えかけやすい、外国との対応あたりで、善、悪を作ってしまう。
それを他の経済、宗教、道徳、法律にも演繹で、外国との対応で善なる観点だからどうだって話にする。
その善なる観点は経済、宗教、道徳にも応用できるんだって雑な対応に使われがちの分類。
言い出す奴はほっといて、とにかく経済で新自由主義はどうか?法律で日本会議的改憲はどうか?一番重要なのはどこなのか?
ということをいうために、「何となくこの分類だったら議論がわかるだろうな」分類を提示してやってるね。僕は。
要因が多く絡むからね。
「ある現象が起きました!」「だから○○だと言えます!」みたいな演繹のオンパレード。
だって一人の研究者が使える金って限られてるから。厳密な科学的検証はサンプル数を増やして適切な手法や追跡をする必要があるんだけど、それは金と時間がかかる。
その演繹がホンマに関連づいてるの?と疑うのも批判であり科学。
そして、その論文を全分野なんて絶対精通してない。だから、かなり荒い○○は全部プラシーボでしょ?みたいな批判もある。
ある特定分野に精通しているという事は、その分野に近しいところは詳しいけど、遠いところは一般人とあんまり違いがわかんなかったりする。
案外センセイ方もわかってないかもよ?