色々な意見があるものだ、と思ったし、特に誰を説得しようとかそういうことは思わなかった。
愚行権がどうの、モラル的にどうの、というよりは、俺自身も好きにやったし、好きにやればいいのでは、という意味で。
(昔と今とでは状況が変わっているので、そこは合わせる必要はあるだろうけど)
ただ、前提条件くらいの共有はあってもいいかもな、という感じで書いているのだが、「リスクコントロール」の意識は大事かな、と思った。
「それなりに身分を晒すリスク」を取る場合、言動にそれなりに気をつけるとか。
匿名でも絶対安全地帯では無く、「名誉毀損」で訴えられる場合もあるとか。
マーフィーの法則ではないが、今回の事件は起こるべくして起こったと思う、冷たく聞こえるかも知れないが。
(もっとも、「失敗する余地があるなら、失敗する」的にユーモアで言ってしまうと、さすがに違うな、とは思うが)
アメリカでは今後も銃乱射事件は起こるだろうし、極度の貧困人口が世界最多8700万人のナイジェリアでは今後も餓死する人はいるだろう。
一方で、銃を持った犯人に「さすまた」で対応するよう指示された警備員が死亡したり、今思い出したが、つい最近、新幹線の事故で亡くなった方もいた。
相対化して今回の件を軽くしようということでは無く、世の中はそういう面もあるし、案外何とかなる部分もあるし、どうしようも無い部分もあると思う。
要するに、リスクに晒される度合いを無闇に増やしてもあまり意味がない気もする。
もちろん、こういうことを書いてもやる人はやるし、痛い目にも遭うのだろうし、痛い目を見ないと分からない部分もあると思う、後に資産になる勉強代として。
結局、「行動」というのも投資の一つと考えることも出来るのだろう。
投資するから回収出来るわけで、投資しなかったら何も得られない。
投資の技法として、伸びそうな所に小さく分散投資するのが基本とか、中長期的運用が基本とか色々あると思うが、今回の事件は「金をドブに捨てるような自暴自棄」に
近いと思うし、人の命という「高すぎる代償を支払った」と言っても、可能性がある限りは起こってしまうのだろう、1000年に一回の地震のように。
特にビビらせようという意図は無くて、ユートピアや理想気体が存在しないようにリスクのない世界もやはり存在しないと思う。
仮に89式機関銃で武装したところで突然襲ってくる粗暴犯には刺され殺される anond:20180627031603
抽象論的すぎんよ。 他人の不幸を演繹したって意味がない。 そんなのリスクコントロールでも何でもない。