はてなキーワード: 死ねとは
ツイッターやめよう!私はやめた!
たとえば、私が道ですれ違った見知らぬ男に「ブス」と暴言言われたとしよう
こういうとき我々は「男が暴言を言った」と認識しがちだけど、実はそうではなくて「クソ人間が暴言を言った」なんだよ
殊更に「男」という属性を取り上げてしまう時点で認知が偏っているんだよ
「男はクソ」みたいなツイッターブンブンミサンドリーインフルエンサーに影響されていると、「ああやっぱり男だ」みたいに思ってしまうんだよな
これが確証バイアスってやつ
「男」でも「女」でも「クソ人間」と置き換えられるときは思想が偏っているから要注意な!!
別に、出汁がわりに勝手に使えば良いけどさ(俺も炒飯には中華調味料を入れる)。
ツイッター初投稿で落書きみたいな絵を無言投下して1万近く伸びてる絵師がいるのに対して毎日ちゃんと描き上げて1桁良いねとかやってられねー
ちな、どっちもジャンルはエロだからシャドバン対象なのに何で伸びる奴は何もしなくても伸びるんだよ。画力とかそもそもの話を言われたら何も言えん。性癖に刺さらないからって言われたけどそんなの知らん。どうしようもないだろ才能か。
倫理や人権のせいでイカコロな事にイキそ感謝するよしないといけない(戒め)みたいな
意識高い思想が余裕のないKMRの間で流行ってますけど、キエゲエバカMURがどこから来るのか考えた事とかないんですかね…
人間社会の高度さはレオとタクヤのコラージュのようなものだとわかったぜ、やっぱ多様性欲?は大事はっきりわかんだね
じゃけん遺伝子ガバグラムBabylonで更なる高みへさあ行こうぜ!もう待ちきれないよ!早く(クルルァを)出してくれ!
グラブをはめてバーベル台へ潜入…MU蔵も(筋肉が)落ちたなあ!まるで枝みたいだあ…殺す死ねの連呼で怒りのバワーを借りて何とか持ち上げるとあの疲労感がやってくる
本当に死にたいならさ、「ここから飛び降りたら死ねそう」「ここだったら救急車も入ってこれまい」「ここから落ちたら後戻りできないな」みたいな感じで死ねるポイントを常日頃から探してるものだと思うけど?
酒飲んで川に入った死亡とかいうニュース見ると「この方法もなかなかいいな。橋から飛び込み決めたら嫌でも川のど真ん中だ」みたいな感じで、旅行へ行けたら何しようみたいな感じで死に方考えるでしょ。
熱中症のニュースを聞けば、「酒と睡眠薬飲んで暖房ガンガンに炊いて寝るか風呂に入ってれば死ねるな」とか思うでしょ。
そしてさ、もう死ぬんだよ?全部終わらせるんだよ?週末に「この仕事終わったら休みだ」って感じで少しの苦しみぐらい頑張ればいいじゃない。
最低限の身辺整理は常日頃からやって、準備できたら会社退職するみたいに川とか海とか滝に酒と睡眠薬飲んで飛び込めばいいじゃない。
残された人のこと考えるくらいなら生きなよ。自分勝手に死ぬんだから心の中で「すまねぇな」って謝って全部放り投げて死になよ。
死んだら葬式とかなんやらで手間かけること確定なんだから、偽善者ぶらないで最後のわがままで後片付けしてもらいなよ。
「みんなごめん。手間かけるね」って感じの軽いノリで死んだっていいと思うよ。ほかのちゃんと自殺してる人だって自分の葬式とか後片付けとかやってないでしょ。最後くらいやりっぱなしでいいんだよ。
ただ後片付けとかしてもらうのはいいけどさ、他人に人殺しさせるのはやっちゃいけないと思うよ。(積極的)安楽死って他人に自分を殺させることだよ。他人にやってもらうにはプレッシャー重すぎだからそれくらいは自分でしようよ。
結婚の見込みがない29歳正常独身青年が、ご先祖様に申し訳ないという気持ちから先祖の戸籍を請求した。6市町から31通の戸籍謄本を取り寄せ、Excelにまとめた。戸籍制度の変遷や行政区画の歴史を知ることができ、何故か海外移民の歴史にも繋がり、祖父母との会話のきっかけにもなった。独身の暇つぶしにはもちろん、子供の自由研究にもおすすめである。かわいいあの子と新戸籍編製したい。助けて。
俺が末代だ(誤用)→ ご先祖様に申し訳ないにゃあ → そもそも先祖って具体的に誰やねん → そうだ、戸籍、取ろう
ワイ、29歳素人童貞。自分は子孫を残せないかもしれないというぼんやりした不安がいよいよ現実味を帯びてきた今日この頃。親にも祖父母にもご先祖様にも顔向けができぬと思った時、はて自分の先祖ってどんな人たちだったんだらうという疑問が湧いてきた。祖父母に聞いてみても、こんな先祖がいたという話は出てくるがそれが自分にとって何にあたる人なのか(曾祖父?曾祖母?高祖父?)が分からない。墓石や位牌を見てみても名前と戒名と行年が分かるだけ。家系図なんて高尚なものもなし。というわけで、先祖の戸籍、取り寄せてみました。
僕は埼玉生まれ埼玉育ち、岐阜県在住29歳素人童貞工場勤務現場労働限界サラリーマン。父親は次男で地元は山口県、母親は次女で地元は栃木県、そんな2人が地元を捨てて東京の大学で出会い、埼玉で僕が爆誕したってわけ。親の背中を見てすくすく育った僕は当然のように親元を離れ、縁もゆかりもなかった岐阜で働き、親に会うのも年1回、これが因果ってやつです。
さて、いざ戸籍を請求しようと思っても、やり方もようわからん。こういう時はとりあえずググる。ふむふむ、直系尊属の戸籍なら請求できる、と。まずは自分とか親の戸籍を取って、そこに親の名前と前の戸籍の本籍地が書いてあるから、親、その親、そのまた親って遡っていけばいいわけか。同じ市町村内なら先祖の戸籍をある分だけまとめて請求も出来るんだな。自分の本籍地が父親の実家にあることは以前に住民票取った時にわかってたから、山口県の役所まで行かなきゃいけないのかなと思ってたけど、どうやら郵送でも請求できるらしい。これはありがたいね。で、必要なものは、と……、まず請求書か、これはあとでコンビニでプリントだな(プリンターなんて持っていない限界独身青年)。本人確認書類は免許証でいいな、これも後でコンビニでコピー。返信用封筒と切手は買ってこなきゃ。あとは手数料を、定額小為替?、何だこれ、ていがくしょうかわせって読むのか?郵便局でしか入手できないし、貯金窓口って平日16時までしか空いてないのか、これは面倒だな……。
実際の手続きは市区町村のサイトにやり方書いてあるんで、それを見れば誰でもできます。面倒だったり時間がなかったりする人は司法書士とか行政書士とかに依頼したらやってくれるらしいよ。僕はコミュ障だからそっちの方が面倒なので1人でやった。手続き関連で意味わからんのは定額小為替。読み方もわからんくて、僕は最初郵便局の窓口で「ていがくしょうかわせください」って言って小恥かいた(ていがくこがわせ)。これは要するに戸籍の発行代を、現金は郵送できないから代わりに為替で送るってことなんだけど、小為替の額面にかかわらず1枚の発行に200円の手数料がかかる(2022年までは100円だったらしい)。200円の定額小為替1枚にも200円かかるし、750円の定額小為替5枚で1,000円の手数料だよ⁉ 平日の昼間になんとか時間作ってるのにこんな手数料取られるの、ほんとアホらしい。オンライン決済に対応してくれ。社会人の時間と金を返せー。北方領土も返せー。
まあそんなことは置いといて、戸籍の請求の時に用意しとくと便利なもの挙げときます。①プリンター: これがないと請求書の印刷とか本人確認書類のコピーとかでいちいちコンビニに行かなければいけなくなる。行った。必要項目さえ書いてあれば手書きの書面でもいいらしいんだけど、今時そんな人なかなかいないよね。②角形2号封筒: 請求書発送と返信用として同封する分で結構使う。③A4クリアファイル: 封筒に入れる書類はクリアファイルに入れる、これ社会人の常識ね。え?ギリギリ働けているだけの無能が社会人面してんじゃねえ?いいいいイキってすみません…
戸籍には、3つ種類がありまして、戸籍に除籍に改製原戸籍、この3つなんですが、まあ大雑把に言ってしまえば生きている戸籍と死んだ戸籍と旧版の戸籍って感じです。先祖のことを知りたいのなら、とりあえず全部1通ずつ請求すればオケ。現存している先祖の戸籍は全部手に入れてやるくらいの気持ちでいきましょう。請求理由に家系図作成のためって書いておけば、まとめて請求もできます。
戸籍はこれまで法改正によって6種類の様式が作られていて(明治5年式・明治19年式・明治31年式・大正4年式・昭和23年式・平成6年式)、現在入手可能で最古のものは明治19年式。ここまで遡れれば、だいたい江戸後期生まれの先祖がわかります。そして、さらに遡りたくなります、なるんです。ところが、明治5年式はいわゆる壬申戸籍ってやつで、新平民とか元穢多とかの表記があるらしく、昔の差別ガーって五月蠅かった奴らのせいで見ることができない。これ、完全に国民の知る権利の侵害じゃね?今の法律だと直系尊属の戸籍しか請求できないんだし、見せてくれたって何の問題もないよね。まあそもそも、部落差別がどうとかいう話がまず胡散臭すぎるし(職業差別なんか?地域差別なんか?血統差別なんか?)、そんなもん現代に存在しないやろ。解放同盟とか、差別反対って叫んでる連中が日本を歪めてるって、こんなとこでもわかんだね。みんなも部落探訪、もとい曲輪クエスト(©鳥取ループ)してこ♪ 楽しいよ!
で、戸籍請求して特に不備がなければ、1週間程度で返送されてくる。僕は最初に戸籍をまとめて請求した時、想定よりも枚数が多かったので小為替が足りず、追加で小為替を送ることになった。小為替は多めに用意しとくのがヨシ。
ここからは自分の先祖の戸籍の話。父方の実家は山口県の田舎で、江戸時代からそこに住んでいたと聞いていたので、1回の請求で割と簡単に明治19年式戸籍まで入手することができた。しかし、よく見ると本籍地の表記が現在のものと違っている。もちろん市町村合併が何度かあって〇〇郡〇〇村とかが今と違うのはわかるんだけど、番地が全然違うのだ。今の番地が「〇〇番地」なのに対し、明治19年式では「第△□番屋敷」になっていて数字も違う。調べてみると、現在の本籍地は地番を記載しているが、明治19年式の段階では地番とは別の壬申戸籍編製時に家ごとにつけた屋敷番号というものを載せているらしい、ということが分かった。そしてややこしいのが、地番と屋敷番号は全く対応していないようなのだ。その辺は地域差もあるみたいで、近代化の過渡期って感じのカオスが面白いですね。まあ現代でも住所表記は複雑で統一されてないし、そんなもんか。もしこの明治19年式の期間に先祖が転籍していたら、以前の本籍地が現在でいうどの場所にあったのか、地番と対応していないのでちょっとやそっとじゃわからないらしい。僕も詳しくはないから、知りたい方はググってみてくれ。そう思うと、父方の家が江戸時代からずっとそこにあるというのは、運がよかったのかもしれん。
他にも、高祖母の家系の明治19年式戸籍で、「〇〇郡〇〇浦」という、「町」でも「村」でもない表記のものがあった。町村制は明治22年施行だから、それ以前の藩政時代の表記が残っていたのだろう。これまた過渡期って感じでたまらぬ。こうなると郡制とか府県制とか市制町村制とか、行政区画の歴史についても、わたし、気になります!状態。心の中のえるたそが犬みたいに瞳を輝かせて迫ってくる。やれやれ、僕の頭脳はほうたるだからね、手短にね、やっちゃいましょうかね(Wikiを読む)。
そんなこんなで、クソ労働により病みそうで病まない少し病んでいる状態になりつつも請求を粛々と進め、とりあえず6市町から31通の戸籍を入手した。ある程度集めたところでExcelにまとめる作業に入り、そちらの作業の方に時間がかかってしまってまだ先祖の戸籍すべては請求できていない。単純に高祖父母の代まででも2^4=16家系あるからね、というのは言い訳ですごめんなさい。今のところ、一番遡れた人が高祖母の祖母にあたる人で文政3年(1820)生まれ、さらにその1代前の両親まで生年月日は不明ながらも名前は判明した。やろうと思えば200年くらい遡れるんやな。
戸籍には生年月日や出生地、婚姻などによる入籍・除籍日、死亡日、死亡地などが載っているので、ひとまずExcelでまとめてみた。眺めてみると、子供が早くに亡くなっていたり、夫と死別して出戻りしていたり、養子を迎えたり、韓国京城で死んでたり樺太真岡で死んでたりアメリカで死んでたり、戸籍から見えてくるものなんてその人の人生のごくごくわずかな部分にすぎないけれど、だからこそいろんな人生があったんだなと想像しちゃう。それに対して僕の人生……。もうずっと静止期、Stationary phase。Log phaseが一瞬すぎたんよ。いや、まだ長すぎるLag phaseの途中って可能性もないことも……ないか。
戸籍で父方の方を辿っていくと、長男がずっと(途中養子を挟んでいたが)家を継いでいて、一方母方の方を辿ると四男の四男の長男みたいな感じで家を継ぐという感じではなく、そこは対照的だなという感想をまず持った。自分のアイデンティティはやっぱり父方の方にあるけれど、自分自身の境遇(次男の長男です)を思うと、母方の方にも親近感が湧く。故郷を離れる、離れざるをえない人生というものに。特に母方の方は、一度栃木県を離れて北海道に渡ってからまた栃木に戻ってきており、中には樺太に渡って真岡で死んでいる親族もいて、これはおそらく長男の家系じゃなかったから移住したのだろうと思う。真岡なんて真岡郵便電信局事件でしか知らなかった地名だよ。こんなところで樺太と繋がるとは思わなかった。戸籍だと直系しか辿れないから、祖父母の兄弟とか曾祖父母の兄弟とかの傍系がその後どうなっていったのかまではわからないんだけど、自分自身が親元を離れていて昔の次男三男みたいな生き方をしているので、そっちの方も気になってしまう。それでも、おそらく当時の人たちには生まれ故郷という感覚はあったんだろうなと思ってて、自分なんかはもはや故郷が存在しなくていつか故郷に戻るみたいな感覚が全くないので、故郷が欲しい帰る場所が欲しいと思ってしまうんだけど、これはないものねだりだよね……。強く生きていくしか、ないね……。
父方の方は父方の方で、明治末から大正時代にアメリカに渡ってアメリカで死んだ親族が2人もいた。で、調べてみると山口県は全国でも5指に入る移民送出県らしい。有名なのは周防大島(屋代島)からのハワイ移民で、島には日本ハワイ移民資料館もあるよ。行ってみたいね。海外移民の歴史については、詳しくはググればWikiとかも出てくるし(Wikiの「広島県人の移民」の項目は読み応えあった)、興味ある方は調べてみてほしい。実際、父方の実家からは瀬戸内海を挟んで周防大島がよく見える。でかい。一時期周防大島出身の民俗学者・宮本常一の本を読んでいたことがあって、そこに宮本常一の父親が明治27年にフィジーに出稼ぎに行く話が出ていたので、まあ島と本土の違いはあるとは言え、あの辺一帯に外に出ていく気風みたいなものがあったのかなと想像してる。こんな感じで、家系っていう私的なものから歴史に繋がるのも面白いですな。
ここまで調べたことを表にまとめて、父方の祖父母に見せてみた。よお調べたのおって言われました。
「この人はアメリカに渡って、稼いだから家を建てちゃるけぇって言っちょったけど、向こうで喧嘩を止めに入って死んじゃったんよ」
「このおばあさんは酒造の娘でのぉ、気位が高い人じゃった」
「このおじいさんは働かん人だったみたいでねぇ、田んぼを売っちゃって大変じゃったんを○○さん(息子)が頑張って立て直したんよ」
あとは祖父が実は山口ではなく東京で生まれて幼少期は東京で暮らしていたり(当時は東京府東京市)、祖母が京都で生まれていてそれが実は自分が大学時代に下宿していた場所の近くだったり、なんてことも初めて知って、いろいろと話せて楽しかったです。
① 引き続き戸籍を請求:多分まだ結構取り寄せられる戸籍が残っているので、続けていこうと思う。古い戸籍は廃棄している自治体もあって(実際にもう無いですって3件ほど言われた・昔は除籍後80年経過したら廃棄してもよかったらしい・今は150年)、あれはとても悲しい。1回広島市に請求した時に無いですって言われたので、もしや原爆のせいか⁉と思って調べてみたんだけど、戸籍は疎開させていて無事で、単純に大正3年以前に除籍された戸籍を廃棄してだけでした。貴重な資料なんだし、廃棄せずに何とか残せんかったんかな。
② 昔の住宅地図を見る:せっかく先祖の本籍地を集めたので、古い住宅地図で本籍地がどういうところだったのかを見てみたい。複写したい。でも住宅地図は図書館でも禁帯出で、地域の図書館とか国会図書館とかの現地に行かないと見ることができないからな……。やるか――住宅地図複写旅――。
③ 菩提寺に過去帳を見せてもらう:これもいつかやってみたいね。
実際にやってみて思ったけど、これ、中学生の自由研究とかにいいんじゃないかな。役所で手続きして、資料集めて、整理して、発表用にまとめる。広げようと思えば家制度とか行政区画とかの歴史にまで広げてレポートにもできる。祖父母との会話のきっかけにもなる。お子さんがいる方、おすすめですよ!もちろん子供をもつ見込みのない独身の暇つぶしとしてもかなり面白いと思う。まあ、休日に何してるの?って職場で聞かれたときに先祖の戸籍集めてまとめてますって答えたらちょっと引かれたけどね。そもそも休日が少なすぎて疲弊して遊びにも行けんのじゃこのクソ会社がコラ。でも一人、この話に食いついてくれた女の子もいたので、あわよくばお近づきになりたいよ。一緒に新戸籍編製しませんか?住宅地図複写デートとかどうですか?もちろんオシャレなカフェとか映画館とか夢の国とかにも行きますから。高いご飯も奢りますから。自分、やれます、やらせてください。使うあてもないのにNISAで順調に積み立てられていく資産、何も積み上らない人生、虚しい。寂しい。一発やるまで死ねるか!!!
あまりにも簡単だと意図せず死んでしまうかもしれないから、パンを尻に挟んで右手の人差し指でハナクソをほじりつつ左手でボクシングの素振りをしながら「南無阿弥陀仏!」と叫んだらポックリ死ねるようにしよう
ああ、わかる。とてもよくわかる。
いつものように眠って、そのまま苦しみなく死ねるならと思わないことはない。
職をかえて上向く自信もなく、
このまま生きていても幸せになる道が見えない。
何の才能もなく、ただ惰性で生きている。
死にたいと考えないやつは
幸福な生活を送ってるか、考える事もできない極限的状況にいるやつなんだ。
後者は気付いた瞬間に理性も飛んであっさりなんて事もあるが。
他人に生きる事を選ばせようとする人々が羨ましい。
幸せなんだろうなと。
俺達にも幸せへの道があると勘違いするぐらい幸せなんだろうなと。
幸せの波にもまれ過ぎて幸せな感覚が麻痺する人もいるぐらいに幸せなんだろうなぁ。
もう無理なんだ、自分の手で這い上がれるような時期は過ぎた。
かえって迷惑をかけそうですらある。
ただそれだけの権利が欲しい。
お前の気持ちはわかるけどそのうえでガキ生んでるのがゴミすぎる
お前の今感じている苦しみを将来的にガキに押し付けるんだろ?嫌がらせで子供産んでんのか?「古い人間ばかりになっていく恐怖ガー」←いやちんちん気持ちよくなってなんも考えずに射精しただけだよね?子供の幸せとか何も考えずに
成田は安全な死なんて提唱してないだろ、自決しろっつってんじゃん。安らかな自決の方法とかあると思ってんの?自分で腹かっさぱいて苦しんで死ねっつってんじゃんあいつ。あいつのおかげで安楽死の議論が十年は停滞したと思ってるね
この先どんどん値上げされていくであろう介護費、医療費の問題(笑)最初っからこの問題横たわってましたよね?自民党が何もする気ないのも見てたよね?失われた30年の九割をやる気ない政党に任せてた結果だよ?
民主党は子供手当拡充しようとして自民党の丸川珠代に「恥を知れ」と絶叫されたけどそれから10年以上たって自民が子供手当を始めようとして批判されてたのがつい最近だけど、10年前だろうとその時にできることやってたら今は多少違ったかもしれないのにね~
正直死にたいときにいつでも安全に死ねるようになったら、逆に前向きに生きれるかもしれないなという感はあるが
「弱者への何故死なないのか圧」をめちゃくちゃシビアにジャッジして自殺教唆の罪を重くする、とかがぱっと考え付く対案だがうまくいくとも思えないね。だってジャップって陰湿なミンジョクじゃん
手錠して足がつかないようにして吊ったのに無意識に呼吸してしまい意識が落ちなくなり窒息状態となって暴れまわって段差に足を引っ掛けて生還してしまったのですがここまでやっても死ねないならどうしたらいいですか?
制度の問題としてはまだ全然議論も体制も足らないと思うから全然推進派とはいえないけど個人としてはただそのように死ねたらねえ…
本当にそんな方法があれば今でいいなと思う
遅すぎてるくらいかもしれない
他の人もそうしろとは言わないし言えないから全部にわかるとは言えないけどわかるよ
自分個人として始末がかからず肉体が苦しまずに死ねる方法全く思いつけないけどあればね~って自分にとっては常に心の底にあってつらいけど世間にとっては非常に矮小だろう話しかだからしてないんだって…
(そもそも相模原の件があったり介護したりしたあとあれこれ考えてから反対だし…だからこそ夢みたいな方法あればななんてバカみたいに思っちゃうんだし…)
未遂経験のある人間としてずるずる生きてきてしまった人間が元増田の確実で約束された死があれば今の生のうえで安堵できるかもって気持ちの吐き出しに共感を示してるだけなんだよ
「個人としては」とか5行目とか読めなかった?(一行目の書き方が悪いのはそうだな!ごめんね)
元増田もタイトルにはっきり「自分の」って書いてるし、自分は自分の話としてそれに答えたつもりだし、元増田を全部わかるとは言えないともはっきり書いてあるのに
全体の話に拡大しないでほしい