はてなキーワード: 教室とは
クラスにSAPIXに通う優等生から知的グレーの子までいる。知的障害には明白なボーダーラインがあるわけではなく、黒に近いグレーから白に近いグレーまである。
小学校の学習内容は1年生から等量ではなく、4年生くらいから急激に難しくなる。俗にいう小4の壁。
算数でいうと分数や少数が出てきて、四則演算をやっていればよかった低学年とは異なる。
うちのクラスのグレーの子は低学年でも勉強は怪しかったが、4年生以降は壊滅的だ。
一方で、トップクラスの子はSAPIXに通い、中学受験に向けて周りと隔絶した学力をつける。
圧倒的な学力を持つ子は不遜な態度を取るようになる。優越感だろう。
この地区は高級住宅街なので、外国人は少ないし、問題も起こさない。区によって苦労は違うだろう。
公立小はこのように能力的にかなり格差がある子達が同居してまわっていく。
この子達が中学→高校→大学と進むに従ってこの周囲の格差はなくなり、均質な周囲との付き合いになっていく。同レベルな人たちしかいなくなる。
「Vになることを勧められたい人」が、知人に2人いて、言っちゃあなんだけどキツい増田です
なりたければ素直に「なりたい」って言ってくれたら応援しやすいのに、チラッと見てくる感じがキツい
「知人」である2人は、もともとネットで知り合って、リアルでも遊ぶようになったネッ友なんだけど、最近は「友人」と呼ぶのもキツいぐらいキツい
ので、愚痴らせてほしい
この2人とは共通の趣味(音楽)で知り合ったんだけど、お互いに陰キャでオタクでもあったから、所謂インターネット老人会とかもしょっちゅうやって盛り上がる仲だったんだ
側から見たらキショくなるぐらいネット用語使って、そこに居心地のよさを感じる自分もキショいんだろうけど、キショいって思われてもいいやってぐらい自分も楽しくやってたつもり
知人をAさん、Bさんとする
楽しくやってたとはいえ、2人とも友人になってからはまだ1年弱なんだけど
2人とも自分より少し歳上(30代前半)でさ
Aさんが数ヶ月前、「受肉したいな」って言ったんだよ
自分は「おもろいじゃん、ええやん」って返した
もっとなんか言ってあげればよかったのかもしれないけど、それからというもの、「俺がVだったら」とか「あのVtuberはこれぐらい稼いでるらしい」とか「友人にVになったやつがいるんだけど」とか、深読みのしすぎかもしれないんだけどチラつかせてくるようになって、だるい
自分もV観るの好き、なんだったらVのファンアートを描いたりするぐらい好きで、
縁あって個人のVさんたちとも関わるようになったし、X(旧Twitter)でスペース開いたり開いてもらったりして喋るようにもなったけど、喋ってるとAさんもスピーカーに上がってきて、なんか知らんけどVさんたちの前ではイケボ風味で喋るんだよな Aさん
自分の前ではそんな風に喋ったりしないのに
そういうの見ちゃってから、スピーカーに上げたりしないようにしてるし、あんまり喋らんようにしてる
Vさんの前だと、Aさんには悪いけど言ってることが正味おもんないし(前はそんなことなかったのに)、そぐわないタイミングで「昔はツイキャスしてて〇〇人の前で〇〇してました」とか、謎エピっつうか謎マウント挟んでくるようになった。
Aさんにとって初めましてのVさんの前で、Aさんが「Vの活動内容分かってます」風の喋りをするのがキツすぎる(これはBさんもやる)
自分が嫌だなと感じることは、自分が我慢すればいいけど、あまりリスペクトになってないリスペクトの示しを目の前でされるのはキツい
Bさんはもっとしんどくて、なんか
ガワがあれば聞きやすいかもしれないけど、本当に申し訳ないんだけど、実際のツラを知ってる30代のショタボイスを聞かされるのはキツい
この感覚分かってくれる人がいるかわからないんだけど、学生の時教室で「やけにうまぶった鼻歌」聴かせてくるやついなかった?
自分がめちゃくちゃ性格悪いのかもしんない、自信ない、性格悪いならごめんだけど自分はあれがめちゃくちゃ苦手だった
「かわいいじゃん、Vなれば?」とか言っても、いや〜、とか、企画は思いつくけどね、とか言う
しんどすぎる
個人にせよ企業にせよ、Vはなりたい人たちがとっととなってるんだし、なりたいならなればいい、やってみればいいと思う
数字とか悩むのは二の次で、やってみないとわからないことを、背中押され待ちされんのはキツい
対面で話してる分には自分が回避できるからまだいいけど、特にスペースでそれされると、聞いてるかもしれないVさんに失礼すぎてキツすぎる
令和にもなって、「いい声だね!声優になったら?」みたいな気の使い方したくない、こえ部はもう無いっつうのにさ
もっとキツいのはAさんもBさんも自分でスペース開かないで、増田のスペースで承認欲求を満たしに来ること
これは100%憶測だけど、AさんもBさんも10代のうちにネットで若干の成功を収めてるから、その頃に得た「承認」がまた味わいたくて、今、「Vになりたい」という形でぶり返してるんだと思う
なればいい マジでなればいいと思う
勝手になって欲しい
勝手になれないんだったら、Vは向いてないと思う
20年以上前、友人がダビングしてくれたアニソンカセットテープに入っていた、楽しくて可愛い感じの曲
テープはなくした
増田たすけて
校門まであと少し またしても寝坊
ついでにお弁当忘れ 心はペコペコ
女子高生語録はちょっとなれたけど 話題についてけないときもある
案外わたしのほうが 教えられることもある
よそ見をしないで 授業 聞いてね
季節を変えてく風が 校庭を吹き抜けてく
少しだけツンとするね
それでも明日をみつめて
同じ勉強をして同じ仕事についても女性の方が地位が低く収入を低くされる不平等がフェミの発端(昔は、禁止職業や投票権もなかったですね)で
https://woman-type.jp/wt/feature/15744/
それを見た男が
女は女ってだけで弱者で免除されて羨ましいという歪んだ妬みが弱者男性という謎の言葉を生み
(非モテだろうと非正規だろうとたまたま男というだけで最も生活に関わる収入を1年毎に200万多くもらえる設定の人生はどう頑張っても弱者にはなりえませんが、それが受け入れられないらしい)
女がもらっているらしい得?なんのことか知らないけど(まともな努力じゃなくて膣への挿入を許すかどうかで出世が左右される最悪な風習とか)全部やるから
あー。わかりやすいところで言えば、有料の教室とかクラブ、カルチャーセンター、地域の掲示板とかに貼ってある個人運営のセミナーとか教室。あとは消防団とかバイトとか。あとは旅先の体験教室とか。AirBnBとかでオーナーと仲良くなるとか。なんでもいいから、とにかく知らない人と会ってコミュニケーションの総量を増やすのが先だと思う。
友達になるのは同性でもいいんだよ。その先に新しいコミュニティがあるから。知らない人、知らないことと触れ合えばいいと思う。
ん?おかしくない?って言ったからなんでおかしいのか聞いたら断定してきたじゃない?その時点で答えたら文脈的に嘘になるでしょうよ。
料理教室には通ったことあるし、友達はできたけど、彼女にまではならんかったし、マッチングアプリも使ってみて何人か会ったけど、結局幼馴染と結婚したよ。そんな程度でアドバイスするなみたいになると嫌だからコメントしなかったんだけど、これでコメントの許可はもらえますか?
現実的にはマッチングアプリかコミュニティ(教室とか?)に参加する以外に無いと思う。
ただ趣味のコミュニティで出会いを求めるのをメインにするのは出会い厨の烙印を押されかねないし、シンプルに出会いたいなら結局マッチングアプリかな。
苦手とかは知らん。
小学生の頃に朝活(朝イチの授業前活動みたいなやつ)で、毎日1人ずつ、その日気になったニュースを発表するというコーナーがあった。
たぶん、何でもいいから人前で発表する練習みたいな意味があったんだろう。誰が何のニュースを発表したかなんて全然覚えていない。たしか3年か4年生だったから、何となく朝のニュースで一番初めに読まれるようなものを選んでいたんだろう。おれもそうだった。
おれの順番が回ってきた日、海外で航空機が墜落したのが一番のニュースだった。乗員乗客が多数死亡したんだと思う。ニュースで読まれたように「乗客に日本人はいませんでした」と言って発表を終えた。そのとき教室の後ろのほうで、誰かが「日本人が居なければいいのかよ!」と野次を飛ばした。おれは不意を突かれて、何も言うことができなかった。確かにその通りだと思ったのが半分、ニュースで読まれた通りなのに何でそんなこと言われるんだという気持ちが半分だったと思う。近くに立っていた先生の方を見たが、先生は何も言わなかった。もしかすると、内心は野次の内容に賛同していたのかもしれないし、予期せず問題になる、国籍による命の扱いの違いの話に身構えたのかもしれない。
結局その後、特に何も話はなく、自分の席に戻ったと思う。記憶が曖昧だ。ただ、「日本人が居なければいいのか」という野次は忘れることが出来なかったらしい。自分がまったく考えていなかった問題がそこに含まれていたかもしれない。
THE YELLOW MONKEYの JAMという曲を知ったのは、それより何年も後のこと。あの時の自分の心境を歌っているかのようで驚いた。
まだ、そんな夜に逢いたくなる「君」とは出会っていなかったが。
ジャニーズの報道を見ると動悸が早くなって胃の中が全部逆流しそうになる。
その理由は単純で、自分の性的被害と人にしてしまった加害を同時に思い出して心臓が締め付けられるように痛くなるからだ。
被害者面だけしたいわけではないので、先に言ってしまうが、自分は性的加害者でもある。
相手は妹みたいにかわいがっていた2つ年下のいとこで、親戚同士のお泊まり会のときに寝ているところを触りに行った。
生々しい描画がしたいわけではないので詳細は省くが、直接触ろうとして下着を少し下げたところで目が覚めそうになったので、慌てて部屋から出ていった。
その時は自分の兄弟含め何人もの親戚が泊まる会だったのでおそらくは特定されることはなかったと思う。
その後もたまにあったりしたときはやはり兄妹みたいな関係でいられたので、そんなことを少しずつ忘れつつあった。
それから20年ほど会わない時間があったのだが、その子の父親が亡くなったという話を聞いて、葬儀に参加することになった。
その時自分はすでに結婚していて子供も二人生まれていた。結婚式はやらなかったので親戚にはハガキで報告を送った程度だった。
葬儀が終わってからも母と妹の話は終わらず、しんみりとした雰囲気の中でうちの子供達だけが騒いでいた。
すると、妹みたいだったいとこが子どもたちと遊びながらふとした瞬間に手を止めて泣き出してしまった。
どうしたのか聞いてみると、父親に自分の子供を見せられなかったことが悲しくなってしまったのだという。
その子の母親も、亡くなった夫に孫を見せてやれなかったことが本当に悔しいと一緒に泣き出した。
少し落ち着いてそういえば結婚はどうしたのか聞いてみたところ、「じつは、〇〇ちゃん(増田の名前)は大丈夫なんだけど、、、」という枕詞とともに自分が男性恐怖症であることをこちらに告げてきた。
はっきりとした理由は言わなかったけど、親戚を含めて自分以外の男性が怖いのだという。
今回の葬儀についても遠回りに自分以外の男のいとこは参列を断っていたという。
その瞬間、それまで忘れていた自分がしてしまったことがフラッシュバックのように思い出された。
それはつまり、自分が性的加害をその子にしてしまったことが原因で男性恐怖症になり、今日の今日まで苦しみ続けていたということではないか。
いとこが泣いているのも、母親が泣いているのも、全部自分のせいではないか。
それなのに加害者である自分だけが許されているとはなんておかしな状況なのか。
今頃あの世ですべてを知ったこの子の父親が、どんな形相でこちらを見ているのかを想像しただけで背筋が凍る思いだった。
すべてを白状して懺悔したい気持ちが、自分だけは信じつづけてきたこの子に真実を突きつけてしまう残酷さに負けてしまった。
保身と言われればそれまでだが、真実を知ってしまうことが今更傷を深くえぐり返してしまうことのように思えてできなかった。
自分が性的被害にあったのは小学校5年生のときに、民間のキャンプ体験合宿に参加したときのことだった。
インドアな自分に対して、仕事で忙しかった親が夏休みに無理やり参加させたもので、同年代の子供10人くらいが、30歳くらいの優しい男性インストラクターに色々と教わりながら自然を体感する教室だった。
悪いことをしなければ怒らることもなく、みんなで料理を作ったり自然に囲まれたテントで眠るということ自体が新鮮で楽しい経験だった。
2日目の夜、尿意を感じて夜中にふと目が覚めると隣にインストラクターが横たわっていた。
自分が何をされていたのかの自覚はなく、なんとなく嫌だなと思いながらも「トイレに行きます」といってその場を離れた。
戻ってきたときにはすでにインストラクターはその場にはいなかった。
今にしてみれば思い出すだけで背筋がぞわっとするほどの嫌悪感がある。
ただ、そのことは自分にとって歪な形での性の目覚めとなった。
一つは尿意によるものか快感によるものかわからないながら、勃起してしまった自分への戸惑いが強く残ることになった。
同性愛者を差別するつもりはないが、自らが同性に対して性的な何かを感じることに猛烈な嫌悪感と恐怖を覚えるようになってしまった。
今に至るまで、男性恐怖症(男性過敏症)は解決されないままでいる。
もう一つは、性的欲求の解決手段として、「寝ている相手を触る」という行為が強烈に印象付けられてしまった。
あの瞬間に印象づいたわけではなく、思い返し疑問を反芻している間に塗り重ねられるように刻まれていったのだと思う。
それは自他ともに認めることで、それが恋愛感情であるのか、兄妹間による愛情であるのか、長女であるいとこにも、末っ子である自分にも分からなかった。
相手がどうかはわからないが、小学生くらいまでの間のことでありながらも自分には命と同じくらいに大切な存在だった。
それが一切の言い訳にならないどころか、それなのにどうしてそんなことをしてしまったのか自分でもわかっていないというのが正直なところだ。
全ては想像力の欠如であったのだと思う。
好奇心に負けてしまったというよりは、たまたまできる環境が揃ってしまったところに、されたことがある人間がいただけのことなのだと思うしかなかった。
ただ、本当に、本当に今では後悔しかない。
ジャニーズの報道を見るたびに、そのことが思い出されて心臓が締め付けられる思いがする。
自分への性被害がなければいとこへの性被害がなかったかどうかはわからない。
そればかりは本当にたらればで、だからそのことについて性的加害者を責めるつもりはない。
それどころか、もし自分への加害がなかったらという思いが持ち上がろうとすると同時に、そんなものが相手への加害の言い訳になるわけがないという鉄槌が下るのだ。
加害者なのだから苦しんで当然という言葉が、いつでも自分を苦しませてくる。
それを当然のことと受け入れなくてはならない苦しみから逃げることはできない。
学生時代、同級生との関係をうまく築くことができずに孤立してしまったし、未だにゲイやホモセクシャルに対する直感的な嫌悪感を払拭できないままでいる。
思春期を迎えて、されたことに対する意味が理解できるようになればなるほどその考えは強くなった。
そんなことさえ、いとこのことを男性恐怖症に陥らせておいて言えることではない。
わたしの被害は、自らの加害によって全てが甘じて受け入れざるを得ないものへと変わってしまった。
断じていうが、それ以降自らが痴漢行為に手を染めるようなことはない。
される側の辛さを知っているつもりだし、それによって人生がどのように狂ってしまうのかも知っているつもりだ。
そんなことを考えているときでさえ、狂わせた側としての責任という鉄槌が脳天に振り下ろされ続けている。
ジャニーズの報道を目にする度に、自らの責任によって脳天への鉄槌が繰り返され続けている。
報道を止めてほしいわけではない。
ただ、被害者数百人という数字を巨悪を叩くだけのエンタメで消費しないでほしい。
その上で理解してほしいことは、ジャニーズの最も醜悪な点として被害者を共犯関係にさせている点にある。
ただ単純に、一人の大人から数百人の児童が被害を受けていたと言うだけの話ではないのだ。
彼らは「アイドルとして成功したい」という正義のもとに、黙認や通過儀礼という解釈による加害の助長を担わされていた。
それが分別のつかない年端も行かぬ年齢の頃から組み込まれるように作られていたと考えれば、その仕組みのあり方がどれほどおぞましいものかわかってくると思う。
大人であれば立ち止まれたものであり、大人になれば後悔するようなことを、信じてる大人にやらされていたのだ。
そのことが今まで被害を表沙汰にしなかったし、ジャニー喜多川氏はそれを理解した上で、分別のつかない年齢の子供だけを集め続けてきたのだろう。
金に目がくらんだ親さえも巻き込んで。
それはもう端的に言って地獄だ。
どれだけ表向きに眩しいエンターテイメントを演じていても、その土台に埋もれているものが地獄すぎる。
今回の一件が巨悪を叩くエンタメで終わってしまえば、さらなる地獄が地層として積み重なるだけになってしまう。
そんな地獄が地獄を生む呪いの連鎖を断ち切るためには、一つ一つのケースと向かい合い、絡まりあった被害と加害を解いていく必要がある。
少なくとも、今のままただ単に巨悪を叩けば叩くほど、少しでも加害に手を貸してしまった被害者の心の傷さえもえぐっていくことを理解してほしい。
もちろんそれがあなたにとっての正義だというならば好きにすればいい。
そんでペロッとなめちゃって、「う~ん、この味!」ってバカヤロ!
って内容を期待していたのに、本当にお前にはガッカリだよ。親御さんもさぞかし落胆されていることだろうよ。
本を読むとかなり整理されておすすめだぞ
インターネットの頭のおかしい奴は簡単に言うと科学リテラシーが低い。
化学や医学のリテラシーが低いと反医療やナチュラル派やテスラ缶信者になってしまうように、文系科学リテラシーが低いと簡単にプロパガンダに引っかかって、ネトウヨやアンチフェミや共産党アレルギーや嫌韓になってしまうのだ
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