はてなキーワード: リスパダールとは
おくすり飲んだんじゃねーの(リスパダールとか)
児童精神科に通院し強迫性障害と衝動性を抑えるためリスパダールとストラテラを服薬している。
1/2成人式を終えた頃から「授業中に勝手なことをしている」「急に大きな声を出す」「自己中」と級友から名指しで言われることが多くなり、最近はクラス女子全員を敵に回している。
「お父さん僕はガイジなの?」「ガイジって何?」「みんなからお前はガイジだって言われる。病院に通っているのは僕がガイジだから?」「いまは言えない。もうちょっと待って欲しい」これだけ答えるのが精一杯だった。
告知はまだ先と甘く考えていた自分が情けなかった。2ヶ月悩んで息子にASDのことを告知してみた。
「この色は何色に見える」「赤色」「その色は何色に見える」「赤色」「じゃこの色とその色は同じかなぁ」「同じじゃない」
「そうだね。赤色でも薄い赤もあれば濃い赤もある。人によって色や匂いや音の感じ方は異なるんだ」「うん」
「人間の脳の感じ方は人によって異なっているけど、どうも多数派の感じ方と少数派の感じ方があるみたい」「ふーん」
「多数派の方が正義で少数派の方が悪というわけでもない。ただ左利きと同じで少数派の方が不利なことが多いようだ」「うん」
「あなたの好きなさかなくんや庵野秀明さんもあなたと同じ少数派のようだ。少数派も生きるのに困らなければこれは障害ではないんだ」「ふーん」
こんな感じで告知してみた。翌日妻から息子が同級生に「この色は何色に見えるテスト」をやったことを知り、告知のミスに気がついた。
「アスペルガーは言われたとおり(文字通り)に受け止める」ことを計算に入れておらず、息子が同級生にアスペルガーであること知られてしまうリスクを背をわせてしまった。
先週中ごろから学校に行きたくないと渋り始め就寝中に嘔吐し38度の熱が出た。1日休ませたら平熱に戻ったので登校させたのだが、給食を食べた後再び嘔吐し再度38度の熱が出た。
救急外来で検査したが異常なし。嘔吐と発熱を繰り返す息子が「学校で具合が悪くて倒れたら顔にティッシュを被されて『○○さんはお亡くなりになりました』と言われて皆に笑われた」
と言われ頭に血が上った。本人はなぜ笑われたのか理解できていない。午前2時頃まで息子について妻と悲観的な会話をしていたら息子が呻きだし38度の熱が出た。
とりあえずリスパダールとセレネースは抗てんかん薬じゃなくて抗精神病薬です。
発達障害に使われる薬がこの2つがメインってどこから仕入れた知識ですか?
ASD(自閉スペクトラム症)にはリスパダールは定番かもしれないが、セレネースはそうじゃないだろとか、エビリファイは?とか、そもそも抗てんかん薬だって、てんかん以外の精神疾患に幅広く使われてる薬だよとか(気分安定薬として、あるいは抗不安薬として、あるいは睡眠薬として、あるいは抗うつ薬の増強療法に、など)、ADHDにはストラテラとコンサータでしょとか、もしかして発達障害が何を指すのかすら理解してないんじゃないかとか、もうどこからツッコミ入れていいのか分からんくらいのレベル。
こういう人が「障がい」「障碍」と書く人の中にものすごく多いのは何なの?偶然にしちゃ多すぎるよ。
元増田自身が面倒ごとを何とか避けようとし続けて、母親の精神病未治療期間(DUP)を長期化させ、予後不良とさせたのにこの言い草。
やはり母と子は似るのか。
ジプレキサザイディスかリスパダール液を味噌汁に入れるという形にすればバレなかったろうに。
同時に[精神障害者保健福祉手帳]の取得を検討したが、結論としては現状で必要が無いものであった。
それ「精神障害者保健福祉手帳」じゃなくて「自立支援医療(精神通院医療)」のことじゃないっすかね?
障害年金申請くらいのレベルであれば「手続きが煩雑」と言えるだろうけどさ。
閉鎖病棟のことでつか?
つか、初めての入院だからよくわかってないんだろうけど、入院させたくらいでどうにかなるなら皆困ってないから。
入院させても治ってない状態ですぐに出てくる、また地域でトラブルを起こす、また入院する、また地域でトラブルを起こす………これの延々ループに入るだけ。
まあ厚生労働省が、日本の精神医療は長期入院が過ぎるということで、精神障害者は地域で暮らしましょーって推進してるんでどうしようもないけどね。
退院後はナマポ受けさせてグループホームに入れるのがいいんじゃね。
そんじゃ〜ね!
普段使っているコワーキングスペースで抗精神病薬の忘れ物があった。(名前は忘れたがリスパダールかなにか)
その時は、統合失調症の人が同じ場所にいるんだと思って怖いなと思ってしまった。
突然奇声を上げるのかな、幻覚と戦いだすのかななんて不謹慎な想像をしてしまった。
でも日を置いて冷静に考えてみた。
すると逆に凄いと思った。
そんなハンディキャップを持っていても頑張って外に出ようとしている努力は賞賛に値する。
生活保護を受けて不満を漏らし実態のない不安を愚痴りながら引きこもっているだろう。
そうなったんだから仕方ないじゃないかと言い訳をし逃げていたかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20160908174756
>さて、この37歳嘱託司書さんですが、年収204万円、月の手取り133,442円だそうです。
>一見低収入にも見えますが、嘱託の司書は月14日勤務で実働6時間だそうです。
>という事は休憩1時間として拘束時間は1ヶ月98時間です。ちなみに8時間勤務休憩1時間22日勤務で拘束時間は198時間。
>すなわち、他人の半分しか働かずに貧困だと言ってる状態ですね。
>1ヶ月は8時間睡眠としても480時間有るのですが、2割働いて8割サボリって、それ働いてるって言いますかね?
公共図書館の嘱託職員はほぼ最低賃金なので社会保険に入ってるということはほぼほぼフルタイムかと思われます。
>1ヶ月100時間の残業をしながら、手取りはたった25万円。これ、残業代を誤魔化されているか、自分の残業時間も数えられないかのどちらかじゃないですかね?
>そして体を壊して実家に帰り、図書館の嘱託職員になったそうですね。
>実家から図書館に勤めていた頃は、手取り12万円の貧乏だった。
>貧乏ながら好きな本を買う、買い物する、友達と遊ぶ、休日に問題意識のある障害者分野のボランティアに行く、ということはできた。
残業代をごまかされた、というより給料で20時間までしかでない、とか名ばかり裁量労働制で給料でなかったんじゃないですかね。
あとこれくらいのプチ贅沢もできない生活って何よ。病人は寝てろってか。
うつは金があれば治るなんていう話も冗談であるくらいなので労働してこれくらいの生活なんて贅沢のうちにははいらない。
>そしてこんな事も言う
>「結婚すれば、生活が変わるみたいなことはよく言われていますが、非正規で低収入な自分にまったく自信がないし、誰かが見初めてくれるとはとても思えない。
>やっぱり結婚とか出産は、普通以上の収入がある人の特権というか、自分にかかわることとはとても思えないです」
>まず「見初めてくれる」という感覚がオカシイ。お前が行けよ。塔に閉じ込められてるお姫様じゃねーんだぞ、お前は37歳の世間的には「オバサン」だ。
>僕ならむしろ「結婚するしか無いんじゃね?」としか思わない。
>この人、決定的に稼ぐ能力や時間軸を把握して積み上げていく能力が欠けている。
>ならば、真面目だけが取り柄のブサメン、キモメン、グロメンでも我慢して、又は年上と結婚して、2人で年収200万×2をやれば良い。
>30後半~40以上である程度金持ってて未婚の人間は、間違いなく人間的に問題が有るので、貧乏人狙い以外はダメだろうからね。
>30後半で栄養状態も悪そうだから、もう出産は望み薄だろう。運良く?子宝に恵まれたとしても、世帯年収400万有れば1人なら育てられる。
>結婚はある程度ギャンブルにはなるが、一人では詰んでいる状態なので贅沢は言えない。
>ここまで詰まれた自分が悪いのだから、そのへんは何とかするしかない。
とりあえずこの人が男であるとしていうけど、うつでぶっ倒れていつ動けなくなるかわからない、夜中にうなされて大声をだすかもしれない
ひどいときには幻覚を見ておびえられるかもしれない、そしてうつでは後遺症的にも性欲が落ちるのでセックスは苦痛で拒否されるかもしれない女と
年収200万の余裕ない状態で結婚できる?そもそもそんな年収で2人くらしできる家借りれる?実家に居候でもうつやってる神経の細い女が男の実家で
元気でいられるとは到底思えないけど男のほうが女の実家に居候とかできますかね、
女側に帰って言えば必死こいて200万に家事が1人分貧乏ならちゃんとした介護が使えないから自分の親にプラスで舅姑の介護がドカンとのっかってくる
>金が多少なりとも有る間はボランティアで浪費して、無くなればボランティアをやめてボーっとしてるだけ。
>このオバサンがこの先生きていく為には、真面目で体が丈夫な男を捕まえて共働きするしか無い。
学芸員は私も悪手だと思う、この人がとるべき資格は簿記2級(3級でも可は可)一択。
この手の人の場合警戒心がものすごい高くて男を見る目がない年収か低ければ余計に男の支配欲を刺激してろくな目に合わないので
同じ年収200万なら女性とルームシェアのほうが安心です。女は総じて自分の親の介護も家事もやる気でいるからね。
>僕はお断りですね。司書切られたら居酒屋バイトして、それも務まらなくなったら皿洗いやトイレ掃除でもすれば良い。
>または、実家帰ってどこかに勤めれば良い。今は人手不足だから、職業選ばなきゃ月手取り10数万くらいは取れるだろ。
>アンタの居るそこ、そこがお前のデッドエンドだ。
>文句言わずに余生を過ごせ。まぁ文句言う資格は元々無いけどな。
だーかーらーうつやった奴に居酒屋のバイトとか皿洗いとかスピードと体力を要求する仕事は無理だって。
うつ病真っ盛りでガストのランチに入って一週間で朝一の掃除に回されたけど1か月でやめた話します?
37歳の女性(既往歴あり)の体力なら零細企業か中小企業の経理か事務のおばちゃんが給料の金額的にはほぼ一緒ですが
雇止めがない分安定しています。(だから日商簿記2級もしくは3級)つかほぼこれ一択。あとは医療事務だな。
>ちなみに100時間残業で心が病んだという指摘は的外れだ。実家に帰って仕事とは別にボランティアして遊ぶほど元気だったのだからな。
>貧乏人から抜け出したいなら、せめて1ヶ月22日8時間労働はやれよ。一般的な収入取って生活している労働者は、ほぼ全員がそうしている。
100時間残業ってうつどころかふつうに過労死のレベルなんだけど…。
この人たぶん年間120日休日1日8時間残業なしデスクワークなら普通に非正規でも正社員でも仕事できるレベルだとおもう。
ブコメにも書いたけど精神科通院中で1か月22日(繁忙期に至っては24日とかある)中小企業の営業事務で正社員で1年半ほど働いてますけど
正直5年働ける気がしない。正社員はナチュラルに残業があるんだよ…。副業なんて無理だ。
朝とか発注で時間に追われるから腕力使わない飲食みたいな状態で血圧MAX!
残業も月40時間とか1時間かけて帰ったら寝るしかないしまともな生活するなんて無理、幸い実家のサポートがあるから何とか健康体でいられてるだけ。
正直何のために生きてるかわかんない。
金もストレスすごいとなんだかんだ菓子とか休みの日にパフェドカ食いとかして無駄遣いしてたまらない。
繁忙期の診察であまりのヤバさに医者が入院しましょうか?って言って来たり頓服のリスパダールが手放せなかったり
貧乏ヤダ!生き延びるんだ!グラフィック扱えるいいPCがほしい!贅沢がしたい!って頑張ってるけど
親の介護考えたりすると目が暗くなる。正直ぎりっぎりだ。
給料だって貧乏ヤダって言ってるけど中小企業だから派遣並み賞与ほぼなし!一人暮らししたらたぶん記事の人と生活変わらないレベルだぜ?
残業時間考えたら残業なしの派遣のほうがQOL高くね?って思う時がある。
結婚なんてただのうつと違うからブチギレて裸で飛び出したり暴れてわめいて人曰く殺意を抱くレベルの鋭い罵倒とか
普通の人にも大変なんだから、大変はあたりまえ、だとは思うけど
(精神的に)飢えて貧乏で死ぬかすり減らして健康を損ねて(社会的にもしくは肉体的に)死ぬかどちらか選べ、
余生どころかあと5年生きてられるかもわかんねえ不安でびくびくしてる年齢的には働き盛りのやつらがゴロゴロしてる世の中、やっぱりおかしいだろ。
http://anond.hatelabo.jp/20160107125638
この前、危うく自殺するところだった。
普段はラミクタールと頓服のデパス、後はマイスリーくらいでそれなりに過ごせている。
だが未だに大きく気分が揺らぐことがあり、この前がそうだった。
ぼんやりネットをしてる最中に、突然、本当に突然、「寿命まで生きる必要はない」という考えが湧いた。
【この世に「自殺はしてはいけない」という人が溢れているのは、単に「自殺はしてもよい」と思った人がこの世にいないからだ。
自分は12階のマンションに住んでいる。一歩踏み出すだけで死ねる恵まれた立地だ。改めて考えてみると自殺可能スポットってのは結構あるもんだな】
〈だめだ!普段の自分は死にたいなんて思っていなかったろう。自殺衝動はうつの症状の一つだ。単に気分がおかしくなっているだけだ。一時の感情に流されるな〉
【うつの時のあのどうしようもない絶望が生涯にわたって続くんだぞ。自分は絶対に救われない。波が来たら薬で抑える、それを繰り返して何になる?
もういいじゃないか。自分の人生なのに何を遠慮することがあるんだ。自分のやりたいようにやればいい。自殺をしたければすればいいんだ。】
〈自殺するとどれだけ周りに迷惑がかかると思っているんだ。自殺は最悪の手段だ。他のあらゆる手段を試してからでなければ考える資格すらない〉
【自殺をする前に「自分は現実の辛さによって死ぬのではありません。自分の脳がおかしくなって死ぬのです。」と遺書にちゃんと書いておかないとな。
自分の周りの人達はいい人ばかりだった。その人達が責任を感じることのないようにしっかり書いておかないと。自分が死ぬのは純粋に自分のせいなんだから】
〈早く薬が効かないかな。このままの思考でいたら自分は絶対に自殺で死ぬ、自殺で死ぬ、自殺で死ぬ。止めないと。止まるのか。つらい。どうしてこんなことが起こるんだ、どうして〉
幸いこれは二時間ほどで引いた。次の日病院に駆け込んでリスパダールをもらったが、あまり効いた気がしなかった。
その後断続的にこのような思いに囚われたが、なんとかやり過ごした。数日後完全に通常状態に回復した。入院まで考えたのが嘘のようだった。
直前の状態は軽躁っぽかったし、混合状態というやつだったのだと思う。
何の予兆も見せなかったのに突然自殺する人がいるが、今ならその人の気持ちがよくわかる。
あれは自殺の発作による、一種の病死だったのだ。
これまでいろんな病院行ってみたんだよね。
最初の小さなクリニックでは「相手の考えてることがわかる」と言ったせいか、統合失調症とか診断されて、リスパダールとかエビリファイとか飲んでたんだけど、副作用がやばすぎてやめたし、そもそも自分が統合失調症ってのもなんかちがうなあって感じだった。
そのあとアスペじゃないかと思って、大人の発達障害を扱ってることで有名な病院に行ったんだけど(というのも、ネットでよくあるアスペ自己診断のテストでぼくは超高得点だったから)、アスペじゃないねと言われた。最近なんでもかんでもアスペって言われたりして、アスペじゃない人が自分はアスペだと言い張ってて、病院は困ってるらしい。
で、森田療法やってみるかって感じでそういうの扱ってる病院行ったんだけど、自分で勉強してみるとなんかちがうなあって感じでやめた。
で、今の病院に通い始めてもう3年になる。投薬治療とカウンセリング。先生はやさしくて話は熱心に聞いてくれるからわるい病院だとは思ってない。最初の診断で、複雑性PTSDかなみたいに言われて(そんな病気存在しないらしいけど)、でもまあいまはふつうに社交不安障害+うつ病ってことになってる。社会復帰のためにそういう施設でSSTとかやってるんだけど、まあなんかうまく行く気がしない。
大学卒業後、父親にはかなり怒られてパニックになったりしたけど、障害者手帳取ってからはなんか優しくなったので、そういう意味ではよかったのかなと思うけど、でもまあプリントアウツにたいした意味はないかなあと思う。
強烈な眠気を引き起こす精神病の薬って、いわゆる「メジャートランキライザー」ですよね。
基本的には統合失調症のお薬だけど、双極性障害やうつ病なんかにも処方されるアレ。具体的に言うと、リスパダールとか。
で、職場で寝てたら注意されます。当たり前です。たとえ障害者雇用で戦力とされてなくても注意されるでしょう。
なぜなら同じ障害者であっても身体障害者の人は居眠りしませんからね。
そのあとのバイト先で病名を知ったら解雇されたって、当たり前でしょうが。現実を知らなさすぎ。
バイト先にとっても増田にとってもひとつも利益にならないマイナスの情報をなぜ言うのか。まさか仕事ができない言い訳に言ったんじゃあるまいな。
もう増田は働くことをやめろ。向いていない。無理なもんは無理だ。現実を認めろ。
家で療養しとけ。
あと増田の最後がポエムみたいになってるところからして、自分に酔ってる気持ち悪さがプンプン漂ってるし、なんというか、余裕すら感じさせる。
行きずりの男と寝ようとか発想が若干パーソナリティ障害も混じってるようだし、あんたは社会の害悪でしかないのだから、家にこもっとけ。
下手に希望を持つな。
本格的に入院したり自殺未遂したりで病院のお世話になり始めたのは7年くらい前、家に泥棒が入って生活費を15~20万程盗まれて精神的ストレスと恐怖感が増大してからだが(しかも犯人は親戚だったもんだから以下あとで)、私が小さな頃から元増田の日記にあるような性格傾向があったから、多分その頃から少しずつ病を得ていたんだろうと思う。
ただ元増田の家と状況が違うのは、弟は一時期色々あって大学を中退しながらも今は仕事しながら一人暮らしをしていることと、母親が中途の盲聾者ということだ。私が中学校位まではまだ少しは見えて聞こえていたのだが、今は全く。(でも母親の部屋には双子の子供がいて、それが何かを言っているのが聞こえているそうだ)目は網膜色素変性症、耳は高熱を出したことで突発性難聴で、私と弟が生まれる間に二つの病にかかったらしい。亡き祖母の話だが)
こういう状況だったから小さい頃から母方の祖父母と同居し、祖母が母親がわりに私の面倒を見てくれた。
祖父は賃貸業をやっているから(まだまだ元気な昭和3年生まれだ)ずっと家にいて、私は幸い寂しい思いをした事がなかったが、コロコロ変わる母親の機嫌に合わせるのが苦痛で、祖父母と折り合いの悪くなった父母と弟が一時期近所にある祖父の借家に引っ越した時も、私だけは祖父母の家に残って祖父母と一緒に暮らしていた。母は祖父母よりも遠い人間だった。
あんな女性にだけはなりたくない、としか思えなかった。
ヒステリックな母親の性格がどうしても好きになれなかった。「お母さんはかわいそうだから大切にしておやり」と祖母に言われて育ったが、私には無理だ、としか思えなかった。私が小さな頃はまだ補聴器を使えば音が聞こえていたが、中学の頃には聴力がほとんどなくなったから筆談しか出来なくなり、高校時代になると、視力もほぼ無くなったから、手のひらに指で文字を書かないと意思を伝えることが出来なくなった。
何かを相談しようにも、その過程を踏むのが面倒で、自分の進路を決める時は大概、家族には事後承諾だった。
高校も大学も第一志望を決めてから話をした。
幸い大学は第一志望には落ちたものの県外に出る事が出来た。祖母が土地を一つ売って事業に失敗した父親の借金を精算し、かつ私の入学費と1年生の間の授業料にあててくれたということを後で知った。2年からは授業料免除と奨学金とバイトで、家からの仕送りがほとんどない状態で大学に通えた。18切符で東京に行ってコミケに参加も出来た。
家に母がいない、家族の事を考える必要がない、ということがどれだけ気楽か。本当に幸せな時期だった。
ただ、私は地元に帰らねばならなかった。母親の面倒を見なければならないから。
やがて就職活動の時期になる。地元で就職先を探さなければならない。その時期から37~8度の微熱が続き、一日起きられないこともしばしばだった。今にして思えば多分、逃避行動でしかなかったのだろうと思う。そして時は折しも就職氷河期。
結局仕事の見つからないまま地元に帰り、とりあえずアルバイトで食いつないで公務員試験を受けよう、と思っていた時に、祖母にガンが見つかった。余命1年。
呆然とした。祖父と伯母二人と一緒に、入院していた病院に通った。母はその頃、自分の部屋に引きこもって、食事と風呂の時以外は部屋から出ないようになっていた。私には母の相手をしている精神的な余裕はなかった。祖母は手術をしたが体力がものすごい勢いで落ちていくのが傍目にも良くわかった。私はまだ何も恩返しをしていないのに。私の誕生日から2週間後にあっけなく祖母は逝った。
「お母さんの面倒を見てあげてね」というのが祖母の願いだった。しかし母との距離感を埋める努力すら、私はしようとしなかった。
私にとって母親以上に母親である存在だった祖母を亡くして、何もかもがどうでも良くなった時期に、前述した泥棒騒ぎが起きた。
母はしょっちゅう出歩くことが出来ないから、手元に生活費を持っていた。それをごっそり持っていかれて、恐怖と悲しみに泣き喚く母と一緒に私も泣くしか出来なかった。続けて2回。父親が金銭を管理するようにし、部屋に鍵を二つつけたが、母親は昼夜を問わず「死にたい」と大声で叫ぶようになった。部屋の中にマジックで「死ね」という殴り書きがあちこちでされた。
私は母親の変化を受け入れることが出来なかった。そして家にいることが苦痛になった。事情を知っている友人の家に入り浸るようになって、家に帰るのは2週間に一度という有様だった。
ある日たまたま家に帰った時。2階から父親が大声で私を呼んだ。母親の部屋に入ってみると血だらけだった。母は手首を切ってわんわん泣いていた。
見舞いに行くことすら苦痛だった。しかし投薬を始めて、母親の精神状態は嘘のように落ち着いた。最初はリスパダール頼みだったのが、徐々にいらなくなった。私は相変わらず家に近づくことがしんどいから父親に任せっきりにしていた。
後日わかった事だが、盗んだのは従兄弟だった。従兄弟の母親である伯母は、母の頼みで買い物に出かけたりしてくれていた。
何もかもうんざりだった。
…とりとめがなくなった。そんなこんなで私もパニック持ちだ。今もストレスがかかることがあると寝入りばなに死にそうな気持ちになって飛び起きるし、コーヒーを飲むと発作が出やすくなるからあまり飲まないようにしている。
20代の頃は早く死にたいと思っていた。
でも30代になって厄年を超えて、「とりあえず生きててもいいんじゃね」とちょっとずつ思えるようになってきた。
ちょっと前にも母親が首吊って死にそうになって入院した。鬱血した顔を見て泣けてはきたが、「母が生きててよかった」と思えるようになった。
私には元増田さんのような情の深さはないし自分かわいいし懐も広くはないから、母親を受け入れることは一生出来ないだろうと思う。父親には任せっぱなしで済まないと思うけど、なかなか家に帰れない。ごめん。
網膜色素変性症は遺伝の可能性があるから、私も発症するかもしれないし、子供に遺伝するかもしれないと考えると結婚&出産はする気がないけれども、人生の伴侶を見つけた元増田さんが羨ましいな~と思ってしまう。私、心狭いなあ。私の分も幸せになれよこんちくしょう!
でも人をうらやんでても自分は自分だからしょーがない。私は事情を知って受け入れてくれている友人に心から感謝するしかない。
私に生きる場所をくれた人だ。ここがあるから、私はとりあえず生きていようと思える。公務員にはなれなかったけれど、正社員でもないけれど、とりあえず働いて生きてる。働ける体がある。仕事とは別に一生続けられる技術も身につけた。
そしてオタクバンザイ。漫画とアニメとゲームと小説がなければ、私はとうに死んでいただろう。
死んでも世間的には害がないんだろうけど、ここで死ぬのはシャクだからもっと生きてもっと働いてもっと本読んでWEB見てゲームして遊ぶよ。
私には支えてくれるものがたくさんある。けれども母にはない。今年は私にとっては正念場だ。後悔したくないからちょっとだけ頑張ってみる。
母の世界は、母の中にしかないのだ。目を閉じて耳を塞いでも、目も見え耳も聞こえる私では想像出来ない世界に母は住んでいるのだから。
それを肝に銘じておかないといけないなあと思う。
人格者にはなれない人間が、過去を整理するためにつぶやいてみた。
…こうやって並べてみてみると、自分本当にキャパ狭いな…。だから増田で書いたんだが。
ごめんねばあちゃん。頑張ってもう少しだけ母親に優しくしてみるよ…出来るといいなあ。