はてなキーワード: 負の感情とは
打ち上げハブられる程度にカースト低下してたら最早浮上の見込みはないからただ踏まれるだけの無力なカスで終わるよりとにかく復讐してやる、みたいなつもりでやってるなら理解できるし根性だけは認めるが、その路線は予後が悪いのでこのまま行くとマズい。
タガを外して悪意の限りを尽くせば1人でクラスにダメージを与えることは十分可能だけど、それはそれだけに敵意を集めるだけでなく、暗い成功体験も積み上げてしまう。すると地獄みたいな人間関係の最底辺で意地を張って生きることに最適化された精神構造になり、自らドブの底に沈み込んでいくことになる。要するに人間関係に背を向け、空気と序列と慣習を無視し、自分に向けられる負の感情に敏感に反応して暴れ回るみたいな動きを孤独への耐性や恐れを知らない蛮勇として心を支える柱にしてしまうんだな。当然敵意も悪意も呼び込むから厨二病も手伝って正のフィードバックがグルグル回る。
学校にいるうちはまだいいが(よくない)、この精神構造が抜けないまま社会に出るとかなり厳しいことになるぞ。ソースは俺だ。主にはその根性を建設的な方向に導いてやってほしい。尤もこれは鬱屈した中学男子が縋る「強さ」の核を解体する作業とも言えるからかなり難しい話になるが、とりあえずやり方は否定しても根性だけは認めてやって欲しい。そこを否定したら多分爆発して突き進むと思う。
1年半以上ぶりにこれにログインしたら全然辛かった記憶のない2021年の秋とか自分が凄い懊悩してるんであろう文書が見つかって、その一年前とかにもいろいろと負の感情を吐き出しており自分ってこの時期こんなこと考えていたんだ‼️と半ば信じられないくらい、ちょっと戦慄すらしました。
自分はブログとかSNSでも熱心にするほうでは無いといえ思ったことをすぐ言っててきたつもりだったけど、ここを振り返ってそれぞれの時期で悩んでいたことを綴っている文書の赤裸々ぶりは他媒体のそれと違いすぎて驚いてしまった。
今思うとそんなことで悩んでいたの❓と思うこと、ここに関しては全然考えが変わったなということも多くあるけど逆に今悩んでいることを予期するような内容もあって、わかってんじゃん〜、ってなる部分もありました。書いてることでも10割ではないけど、書きもしなかったら本当に全く忘れていただろうなって事ばかりで人間って不思議だなって思いました
でも邪魔。
私だって夫とデートしたりイチャイチャしたいのに、パパかまって、話聞いてってずっと独占して。
久しぶりに新しい服買って夫が「かわいいよ」って褒めてくれたのに何が「パパ私にも可愛いって言って」だよ。うるせえよ。
久しぶりに2人きりになれていい雰囲気になってた夜に限って泣きながら起きてきたり皆で一緒に寝たいって。だまれよ。
お出かけの時だってほんとは夫と手繋ぎたい。別に娘と手繋いでても何も嬉しくないから。
行ってきますのキスだって娘がパパ私にも私にも〜って言うたびにイライラする。私だけにしてよ。
別に以前から娘を疎ましがったり冷遇してた訳じゃないし、態度に出した事もない。母親の仕事は義務だからちゃんとこなしてたよ。だけど実は昨日、GW久しぶりにデートがしたくて雰囲気のいいお店調べてて「お母さんに預けて2人で行かない?」って誘ったら「え、それだったら家族皆で行こうよ」って言われてメンタルぐちゃぐちゃになって、それからずっと負の感情が止まらないんだ。
「久しぶりに2人きりでデートしたいんだ」って言えばいいなんて事、わかってる。でも、私の提案に対して夫から「いいね」じゃなくて「皆で行こう」って言葉が出た事が、無理なんだ。
結婚して家庭持とうが子供できようが夫は私にとってずっと彼氏だし恋人だし恋愛感情でずっとずっと好きなのに、夫は私のこともう好きじゃないのかなって思ったらしんどくなってきた。
これはなんてことはない「オタクの独り言」を試しに書こうとしているだけである。
そこに高尚さも思慮深さも無い。そう言うものを求めてきた方はここで閲覧を終了して欲しい。
なんの話かと言うと、アイドルマスターの話だ。
結論から言えば、私はもうバンダイナムコの出すアイマス公式だけを喜んで飲み下すことをやめた、さらに言うならアイマス公式を絶対的なものと考えなくなったという話である。
当時まだ10歳を超えて数年の人間にとって、彼女らは衝撃的に眩しく映った。
まだガラケーを使っていた時代に、よく分からずに触れたのがそのアイマスシリーズだったのだ。
当時は結局多少触れた程度で終わり、数年が経ってデレステがリリースされた。
友人の勧めもあって試しに触ってみるとこれが存外面白く、何より、3次元の少女というものに当時虐められていたトラウマがあった私は2次元の少女ならその想起をしなくて済むことに驚きのめり込んだ。
少ない小遣いを考えて課金してみたり、イベントでどこまで行けるか試してみたり、上位勢の「大人」たちの崩壊加減を見て尊敬1割恐怖2割戸惑い7割の感情を抱いたりと、私の青春の隣には少なくともアイマスがあった。
Twitterで総選挙の話題を調べているときに、自らの担当アイドルをデカデカと掲げながら負の感情を撒き散らしている一団を見てしまった。
別段何かしようとも思わなかったが、運営はもちろんのこと他のアイドルの悪口まで大っぴらにして嘲っている姿に、彼らは何と戦い、何のためにアイドルマスターに触れているのかと疑問に思った。
私はその時点で公式との間に溝を感じてしまったのだろうと思う。
それは、彼らを見て感じた違和感というのが「ゲームのユーザー」の愚痴を「プロデューサー」が言うというものに起因していた。
その時点で、言葉たらずではあるがもはやアイマスをゲームとして消費するメンタリティは私の中に存在していなかったのだ。
私は幼い頃から、モノの設定を考えたり物語を紡ぐことが好きな人間だった。
私の視点から見れば、アイドルマスターの公式ゲームはあくまでひとつの窓のようなものに過ぎず、私の窓やその他のたくさんの窓からたくさんの並行世界を覗けること、それが許される土壌があることこそがアイドルマスターというブランドコンテンツの魅力だった。
そういった中で、ひとつの窓でしか無い総選挙に固執し、あまつさえ他のアイドルやプロデューサーを貶すまでに凝視するのは気味が悪かった。
私にとってアイドルマスターの公式は最も大きな窓であるにすぎず、もちろん声がつくだとか様々な特典はあるにせよこだわるものと思えなかった。
先んじて述べた想像と創造への好奇心、そしてその原動力となる小説をはじめとする活字媒体との触れ合いは私の中で彼女らの声を勝手に合成して再生していたし、やり取りを目を瞑れば感じいることもできた。
彼らは皆で共有したいという思いなのだろうか。しかしそうであればあんなことは言わないだろう。私は声をつけたい、声が欲しいという意味がわからなかった。
声がつけば露出が増えると言われても、その露出は公式での露出という意味であって、つかなくても「プロデューサー」が物語を作っていけばいいのでは無いか?
ソロ曲がもらえると言われても、まあ確かにこれは聞けたら嬉しいものではあるのでなんとも言えない。熱狂する意味がわかるのはこの理由だが、もらえるのもかなり遅れるという印象がある。
彼女らの声が聞きたいという意見はもっとわからなかった。先にもいったが、聴こえていたわけだから。
さて、これがマイノリティであることはしっかりと認識できていたので、この一般とのズレに蝕まれていくのにそう時間は掛からなかった。
そんな折に、今回のような話が出た時期があった。
公式は営利企業であって、アイドルマスターというコンテンツは近い将来たたむ可能性もある。
その時に一緒に自分までアイドルマスターを捨てるような真似をする気はなかった。
公式は一次創作者として尊重はすれど、その創作が発表された時点で観測される世界は爆発的に増え発散する。
何が言いたいか。マルチバースというか、並行世界がその時点で無数にできるということを言っているわけだ。
私が観測するアイドルマスターは私にとってのアイドルマスターで、それは誰かに邪魔されるものでは無い。
そして、その中で公式の受け入れ難い幾つかの変更や終了或いは新規開発を見た。
だから私は、私の中のアイドルマスターを尊ぶことに決めたのだ。
営利企業だから営利だけを求めるという決断は一見正しいが、その姿勢を貫きステークホルダーやユーザーを無視すれば営利より得難い「信用」はなくなる。
私の中でバンダイナムコという企業への信用はもはやつゆほども残っておらず、そしてそれを相手に伝え改善してもらおうと考えるほど彼らに熱心ではなかった。
なんかここまで書いて思ったのは、自分も読み手も煙に巻こうとするような書き方をするとまあ某アイドルっぽくなるし私が彼女の担当に見えるのではという不安である。
安心して欲しい。確かに可愛いとは思うが担当では無い。そもそも可愛く無い子がいるか?いねえよなあ?うん。
クソ眠い中で数年自分の中で渦巻いていた感情をなんとか言葉にしようとしたのでまるで分かりにくいのは自分でも理解している。
結局何が言いたいかというと、公式が全てでは無いということだ。
公式が紡ぐのを手放したなら自分が紡げばいい。どんな形であれ。
さらにこれを一般化すれば、「こちらを裏切ると分かっている人を信じてついていくほど我々は暇でも優しくもないのだ」ということなのである。
何らかのトラウマを負った人が、その体験が不条理なものではなく必然のものだったのだと自分に言い聞かせるために、善人や悪人・幸福や不幸等を皆差異なく価値がある(逆に等しく価値がない)とみなすような、悪く言えば雑な価値尺度を持つようになるのはよくある話
嫌な人間や出来事を、「この人や事にも何かの意味がある」みたいに単一のルールで合理化するのはある意味簡単だが、「人類全体を愛することは隣人を愛するよりも容易だ」とも言われるように、個々の物事を個別のふさわしいやり方で処理するのは困難で億劫な行為
精神疾患は自己の現状と精神に大きな齟齬が生じたことの現れだから、今までの価値観で生活していくことはできないということだろう
既に人格改造するためにできることはやってきたわけなので、今更なことしか言えずすまないが、引き続きそうするための努力を続けるしかないのではと思う
鬱が治らない。
女、30手前、鬱歴5年。
仕事で成功して今のところ休んでも問題ない資金あり。結婚、出産も終えて円満離婚した。
人間関係良好。自由にさせてもらってストレスフリーなはず。博愛主義者なので人類皆愛してるからなんか負の感情とかない。
なのに、鬱が治らない。
薬はこれ以上どうにもならんと思う。
心理士系の国立の研究施設で認知行動療法やらコーピングやらもやったしカウンセリングも色々ためした
何で治らんのや。
何で希死念慮あるんや。
強いて言うなら16か、18くらいまでかなり過激な虐待を受けてきた。
食べるもんなくて草とか土食べたりとか、水死させられそうになったりとか。
特に気にしてはなかった。まあ親も人間なので。今落ち着いて仲良しだし。
でもやっぱりそれなのか?
八方塞がりです。あと何したらええのん。
鬱が治らない。
女、30手前、鬱歴5年。
仕事で成功して今のところ休んでも問題ない資金あり。結婚、出産も終えて円満離婚した。
人間関係良好。自由にさせてもらってストレスフリーなはず。博愛主義者なので人類皆愛してるからなんか負の感情とかない。
なのに、鬱が治らない。
薬はこれ以上どうにもならんと思う。
心理士系の国立の研究施設で認知行動療法やらコーピングやらもやったしカウンセリングも色々ためした
何で治らんのや。
何で希死念慮あるんや。
強いて言うなら16か、18くらいまでかなり過激な虐待を受けてきた。
食べるもんなくて草とか土食べたりとか、水死させられそうになったりとか。
特に気にしてはなかった。まあ親も人間なので。今落ち着いて仲良しだし。
でもやっぱりそれなのか?
八方塞がりです。あと何したらええのん。
日曜日にとある美術館に行ったんだがモヤモヤしてしまったのでどうすればモヤモヤしなかったのか知りたい。
昨日の俺は美術館とは別に買い出しもしてたのでクソデカリュックを背負って美術館に入り、リュックはロッカーに預けることにした。
そこのロッカーは入れた100円があとで帰ってくる今どき良心的なタイプだった。
俺が荷物を入れて鍵をひねると入れたはずの100円がすぐに返ってきた。
壊れているのかと不安になり、確認のために開け締めを繰り返すと100円がいつの間にか2枚になっていた。
前の利用者が100円を回収していないのだ。
この時、前の利用者が100円を忘れた気持ち悪いロッカーは無視して他のロッカーを選び直すべきだった。
今なら分かる。
そうだ。それだけが正解でそれ以外のすべての選択は間違いだった。俺はそこを間違えたのだ。冷静さを欠いていた。
どこから冷静さを欠いたのかと言えばここで間違いない。
買い出しのついでに美術館に寄ったのがそもそもの間違いだったとは思わないのでやはりここなのだ。
俺はひとまず自分の荷物をロッカーに入れて鍵を引き抜きポケットにしまった。
戻ってきた前の利用者の100円は手に握ったままロッカールームを出て、すぐそこにいる警備員に「前の人のが出てきました」と声をかけながら渡した。
俺がすぐ横のエスカレーターに乗ろうとすると、後方から「ロッカーは何番ですか?」という声が聞こえた。
俺が振り返りポケットから出した鍵の番号を見て「◎▲□番です」と答えると「ありがとうございます」が返ってきた。
俺がエスカレーターに乗った直後に警備員が無線に「◎▲□番のロッカーうんちゃらかんちゃら」と喋るのが聞こえた。
そうなのだ。
ここなのだ。
ここで俺の脳は完全にパニックに陥ったのだ。
◎▲□番のロッカーの中に入っているのは俺のバッグだ。中身は人にあまり見せたくない趣味のグッズだ。これ即ちマジのファックだ。脳を飛び交う信号はBPMを加速し続け私の妄想は臨界を突き抜けた。
「俺のバックが前にロッカーを使用した人の落とし物扱いになる!俺は俺を証明してそれを取り返す必要がある!下手をすると俺が他人の荷物をパクろうとした窃盗犯として指名手配だ!それはマジでだるい!」
そう思い込んだ俺は急いでエスカレーターを逆走しそうになるも踏みとどまった。この話で唯一冷静だった部分だ。
エスカレーターのすぐ横に貼られた「お食事お飲み物ご遠慮ください」「マスクをつけてください」「おしゃべりはご遠慮ください」の張り紙が目に映る。エスカレーターの下り口に待つ別の警備員が俺を睨んでいる。
俺を睨んでくる警備員に「これってすぐに来た道を戻るルートってありますか?」と聞いた。
警備員は嫌そうな顔で横を指差す。
エレベーター!見えてなかった!冷静ではない!
警備員に礼をつげてエレベーターに走り寄ると、目の前を通過したのがドアのガラスから見えた。
俺は階段を駆け下りる。発声器官が再び野生に帰る。もうこの美術館にとって俺は「100円をちゃんと返した人」ではなく「迷惑な○ピー○○ピー」だろう。クソ!入館料を払った直後なのにすでにここを出て行きたくてたまらない!ポケットの中でチケットに八つ当たりしていると気づけばそれはパチンコ玉ぐらいの大きさに織り込まれた紙玉になっていた。
ロッカーにつくと荷物はまだあったのでひとまず鍵を空けて荷物を取り出し、別のロッカーに移すことにした。
立て付けの悪いロッカーがあり、あの100円は忘れられたのではなく「機械の調子が悪く飲まれていた」可能性に思い至る。
調子のいいロッカーを探して荷物の移し替えを終えて、最初のエスカレーターに戻る。
100円を渡した警備員と目が会うので気まずくなりそっと目を逸らす。
エスカレーターに乗ってから「ロッカーに前の人のカバンもまだ残っている可能性を感じた俺が急いで盗みに戻ったと勘違いされていたら?」という不安に襲われた。
流石に妄想だというのは分かっていたのだが、さきほどエレベーターを教えてくれた警備員の不快感を顕にしたような眼差しと視線がぶつかると妄想の圧力が増した。
この時に俺は「近くの警備員ではなく受付に100円を返していたらどうだったのだ?」という後悔に取り憑かれた。
今思い返すと、そうした所で結局同じような流れにはなっていただろうし同じように妄想に取り憑かれただろう。
やはり正解は「100円が出てきたロッカーは無視して他のを使う」だったのだと思う。
俺は受け付けにいかず安易にすぐ近くの警備員にお金を渡した自分を強く攻めていた。
そうではなくもっと前に、落とし物の100円をロッカーから取り出した時点で、問題のロッカーにそのまま荷物を一度預けたまま離れた時点で間違いだったのだが。
自分に対しての苛立ちと僅かなボタンの掛け違いに心のモヤは最大限となった。
情報が入ってこない。
紙玉になったチケットをポケットで握りつぶしながら展示の目の前を早足で進み、それを丁寧に眺める人々を次々に抜き去っていく。
数分のうちに全てを見て回り、ロッカールームへと戻り顔を怒りに歪ませながら美術館をあとにした。
入館時に気になっていたミュージアムショップを見て回ろうという気はもう起こらない。
その気持ちを思い出そうものならこんな奴らにこれ以上無駄金を払えるものかという憎しみで自分が壊れてしまうと感じ押し殺した。
入館料も美術館によった時間もあの100円のせいで全部ゴミに変わった。
思い出してもモヤモヤとしてくる。
冷静さや人生経験が足りなかった。
諦めはつく。
展示のポスターを見たときのキラキラした思いが汚泥にまみれたカスになったことさえ割り切れはする。
クリスマスケーキを帰り道に川に落としたとでも思えばいいんだ。
家に待つ誰かが悲しむでもなく自分が辛いだけなのだから飲み込める程度の痛みだ。
それでも悔しさは残る。
どうすればいいのか、どうすればよかったのか。
本当に全く同じことがまた起きたら対処は出来るが、少し違う形で起きたならまた同じように失敗する気がする。
なにかないものか?
多分AIには答えられない。
奴らはどうせ「ロッカーから出てきた100円は遺失物です。盗めば窃盗罪になります」とでもわかりきったことを言うだけだろう。
全然読解力ないのねw
反論しているけど、俺のいいたいこと1つもわかっていない。よく読めよな
というか、なんで俺を元増田と思ったの?さ
そしてなに?異性に感情は持つけど同性には妬まない?
俺は「君の感情」を言っているんだよ?
馬鹿だな
どんなに否定しても君があまりに言い訳しているなら、俺が正解なんだと思うぜ
君だよね
冷静に考えればフィクションなんてのが理由にならないのは明確なのにフィクションを持ち出すのには何らかの意図があるはず
「作者がフィクションになんたら」と言い出したよね
なんで否定されていると思ったんだろうか
ファンタジーだろうがフィクションだろうが実録だろうが、君は自身の負の感情をぶつける相手に定めただけでしょ?
恐らく結婚等への強い思いがあるんだろうね
ここでファッションについて書き込むと物凄い憎しみのこもった反応がある。
しかしその人がファッションに無関心ならそれはおかしい。興味がないなら「ふーん。俺は関係ないや」で流せばいいはずだ。
なぜそんな負の感情が発生してしまうかというと、本当は、自分もオシャレになりたいからだ。自分も、自分の着たい服を着てそれを褒められたいのだ。
それができないコンプレックスを刺激されるので過剰に反応してしまう。
この「本当はオシャレになりたいけど、そんなこと望んでいないと言う」というのは自分自身に嘘をついてることになる。
変な姿勢でいると体のあちこちが歪んだり固まったりするけど、人間の心も不安定なままでいると同じようにいびつに変形してしまう。
ファッションに無関心を装ってる問題は、心の健康を害して、偏屈な人間になってしまうことだ。
「たかが服」と思うかもしれない。でもそのたかが服の話題で激高してしまう人がここには多くいる。
自分自身に嘘を付き続けると、人としてのありように悪影響があるのだ。
プライド高い故のイライラを他者にぶつける人間か、自分にぶつける人間の二種類
前者はまわりからプライド高いって思われるんだけど、厄介なのが後者はプライドが高いって一見思われないんだよね
プライドが高いから勝手に自分にとって高いハードル設定してもちろん達成できなくて、自分自身にイライラをぶつけて死にたいとか言ってる
アホじゃんって思う
死にたいとか言うから自己肯定感が低いと思われる、自分を下に扱うからまわりからはプライドが高いと思われない、だから自分はプライドが高いと気付かない
悪循環すぎる
プライド高いし、他人と比べて異常なほどに他者に自分のほうが優れてるって確認するやつも多い
それ、プライドが高いんですよーって気づくべきかもー
たとえば銀行屋にプロスポーツの技術的な指示をお互いが理解できる日本語で行ったとする。
しかし銀行屋はその指示をほとんど理解できない。これは銀行屋が能力的に劣っているからではない。
逆にプロスポーツの専門家であっても、銀行の技術的な指示を理解できないだろう。
いろいろ理由はあるが、常識を共有できないというのも大きな理由の一つだ。
全ての要素を語り手が伝えることはできず、暗黙的な前提を読み手が理解していなければならない。プロスポーツの専門家と銀行屋は多くの場合専門分野における常識を共有してない。
と、このように極端な例えならば、みんなが腹落ちする。
同じ時間をたくさん過ごしてるし、顔もよく合わせてる。だから常識を共有している、と勘違いしてしまう。
が、その前提が誤っている。
あなたの取引先のA社の担当が甘いものが苦手なのは、あなたにとって常識だ。しかし、そんなことはA社の担当ではない、あなたの同僚の常識ではないのだ。
もしも、あなたが何かを誰かにお願いする立場なら、受け手の常識を想定し、その受け手が理解できるようにお願いするべきである
これは特段難しいことではなく立場が下の人間が、上の人間に行うときは多く常識として語られていることだ。
しかし、何故か上の人間はこの常識を紛失し、伝えるための努力を放棄し、理解できない下々のせいにしていくのである。
それは単純に上になればなるほど忙しくなるのと、権力勾配による忖度が期待できるからだ。
が、多様性を前提し背景が異なる人間が増えてくるとなると、そのドクトリンは機能不全になってきつつある。
実際それで成果があげられなくなった不満として、「無能」「アスペルガー」「常識を知らない」と愚痴って負の感情を発散してるのだろう
自らの指示を理解できない人間に、細かく指示するのはあなたの時間の無駄である。
常識を共有できる人間に取り替えてしまうのが早い。外注ガチャを引くとか、部下ガチャを引くのである。